閑話 アンドレア・ラ・デキャルトの盟約 (2)
ヘンリー様とフリード様が彼、ハルスウェルト様のもとに向かって暫く経った頃、ベラスミの領主代行の調査に出ていたリディが報告を携えて戻ってきた。
ガイという協力者を得て随分と動きやすくなったようだ。
あそこには他にもガイと同じ仕事をするケイやベラスミの政治や事情に詳しいビスクという男がいる。
不定期に変えられるアジトの場所、昼夜問わず、雑踏や人混みに紛れて取られる連絡手段や侵入の難しい場所での密会。
掴みづらい情報。
相当にウォルトバーグという男が用心深く、頭が切れることはわかった。
近衛の特殊部隊要員も半分ほどは現在そちらに人員を割かれている。
独立自治区として併合したあの土地からもたらされる恩恵は今や軽視できない。
ハルウェルト商会の管理する新しい鉱石、アレキサンドライトの発掘、新しい娯楽施設の建設、大量の水資源確保のための水道設備と物流に大きく寄与する運河。
最早あの土地は問題が起きたからといって簡単に切り離せない場所だ。
それが陛下の頭を悩ませる一因であり、このシルベスタの経済の繁栄の一端、更には諸外国との和平条約の要を担っている。
そんな中、彼の勤務する学院で、舞台上で刺客に襲われるという事件が勃発した。
多数の近衛や団員達の包囲網を突破した理由は至極簡単。
似た年嵩と背格好の学院生の一人を拉致監禁、その生徒になりすまして潜入したのだ。
とはいえ、ランクSの魔獣、魔物を倒す彼が並の暗殺者に仕留められるはずもなく即座に確保。団員達の手によって城の牢に運び込まれた。
厄介だったのはその胸の奴隷紋。
コレがある限りロクな情報は取れない。
折角掴んだヤツの尻尾の端。
どうしたものかと頭を悩ませていた私達のもとに、警護のために騎士団内の彼の別邸内に戻ったはずの連隊長が再び戻ってきて捕らえた賊の奴隷紋上書きを提案なされたのだ。
ウォルトバーグの魔力量は二千六百。
この国最高と言われる連隊長でも無理だ。
そんなことは連隊長も承知の筈。
だがそれを聞いた陛下はニヤリと笑った。
「成程な。流石ハルスウェルト、面白いことを考える。
良かろう。明日の朝、彼奴を連れて来い。
アレが動くというならこちらとしても願ってもないことだ。存分に協力してやれ」
「承知致しました」
陛下の御返事を頂き、連隊長は再び彼の別宅へと戻っていった。
残されたリディは慌てて進言する。
「陛下。無茶ですよ、俺の調査ではアイツの魔力量は二千六百超え。連隊長の魔力量でも上書きできません」
最低でも五千二百から三百は必要、足りないのだ。
だが陛下は動じることなくお答えになる。
「そうだな」
「ハルト様の魔力量は今年の春の入学式時点で三千百。成長期ですから多少は伸びているかもしれませんが、いくら知略に優れていらしたとしても魔力差は如何ともし難いものでしょう?」
これは一般にはあまり知られていない事実。
上書きに必要なのは施した者の倍以上の魔力量。
いくら連隊長が四千を超える魔力量保持者だとしてもまだ千ほど足りない。
上書き契約をしようといたところで弾かれる。
それを陛下が御存知ないはずなどない。
すると陛下は今思い出したとばかりに仰った。
「そうか。其方らは知らなかったな、そういえば」
「何がですかっ」
知らなかったとはどういう意味かと問い返す私に陛下はケロリととんでもない事実を告げてきた。
「アレはこちらで要請して調整し、測らせた魔力量。彼奴の本来のものではない」
彼、本来の、ものでは、ない?
どういう意味だ?
「あの測定のための石碑はその時点で内包する魔力の総量だということだ」
その時点での?
確かにアレはその者の持つ正確な魔力量を測るものではない。身体の中に貯えられている魔力量を測るもの。だからこそ計測するタイミングによって変わるし誤差も出る。
魔法は生活に根付いたものだ。
測定前に魔法を行使すればその分の魔力量が減った分だけ少なく表示されるからだ。
つまり、陛下の言葉の意味することは・・・
思い当たった事実に私はリディと顔を見合わせた。
「まさかっ」
「そのまさかだよ。彼奴の総魔力量は既に一年以上前にアインツを凌駕している。今は幾つくらいあるのであろうな? 明日、尋ねてみるとしよう」
魔力量が三千程度で五千超えの魔物がよく倒せたものだと思ったのも確かだ。コカトリスを焼いたあの上級魔法の威力も並外れてはいた。
それは彼が魔法のコントロールに優れているせいだろうと思っていたのだが。
唖然としている私達に陛下が告げる。
「コレは極秘事項だぞ? 其方らを信用しているが絶対に漏らすなよ?
これ以上彼奴の価値を上げては益々他国が彼奴を手に入れんと力を入れ、画策してくるのは間違いない。
だからこそ公の場ではアインツが最高魔力量保持者としてあるのだよ。
知っているのは私と宰相、バリウス、アインツ、冒険者ギルドのトップ何名かと彼奴の父、側近達といったところか」
まさしくトップシークレットではないか。
リディと私はそういったものに触れる機会が他の者よりも多い。
だが、コレは・・・
「彼奴は既にあの歳にして既にこの国の最高戦力だ。
言ったであろう? 警戒する意味はないと。
それにアヤツのあのカリスマ性と政治、経済能力。
この国の発展には欠かせないものだ。
彼奴が本気でこの国の舵を取るというのなら私は王座を退き、その補佐に回ろう。
国と民のために最善を尽くす。
それが王たる者の使命と責任だ。
賢き者、力ある者が国を動かすのは当然のこと。
弱き者では国は護れぬ。
それが今までの過去の繰り返された歴史であり、この世の真理というものだ。
この国を滅ぼそう、食い物にしようというなら勿論私の持てる力をもって全力で抵抗し、逆らいもする。
だが更なる発展が望めるというのなら拒む理由はない。
フィアの回復が難しいと思っていたあの頃は彼奴をミーシャの婿に迎えて彼奴に王位を継がせる算段を宰相達としていたくらいだ、否はない」
だから陛下は彼を放っておけと仰ったのか?
監視は置いても止める必要はないと。
確かに国の歴史というものは侵略と衰退の上にある。
事実、このシルベスタも戦による侵略、衰退、併合を繰り返し、今の大国と呼ばれる領土を持つ国となった。その時代の王の采配によっても領土と言うものは広くも狭くもなる。そこに民という犠牲と兵士の屍が築かれ、国は歴史を刻んでいく。
今は水道が外壁沿いに行き渡っていることもあってそれを破壊するような侵略戦争は得策ではないと和平条約が結ばれ、国境での諍いなどが格段に減った。それは彼の功績であり、大国である我が国が水源を押さえているからこそ成り立つものだ。
「だが彼奴は残念なことに全く政治に興味がないのだよ。
ならばこの国を護る意志のある私達が動かし、彼奴を巻き込んでやるのが最善。
だからこそ彼奴にはこの国のために力をつけてもらわねばならぬ。色々な意味で、な」
故に彼が必要とする、力ある者を送り込むと。
こちら側の味方にもなり得る人材を派遣することで彼を内内に取り込み、協力体制を引くことで彼の持つ力や発想力、機動力、経済力その他を我が国のために利用しようと?
陛下はどこまでこの国の平和と行末を考えているのか。
「シルベスタは大国だ。私達上流階級の者だけでは目が届かぬところも多い。
だが彼奴らは商人。それもこの国最大の商会に成り上がった。
野菜、果物、日用品、その他ありとあらゆるものを取り扱う商人というものは生活の中に容易に入り込んでいくものだ。
彼奴らとしっかり関わりを持ち、連携を取り、信頼を勝ち取れ。
さすれば私達では手に入らぬ、仔細な情報も掴むことができるだろう。
其方らが必要であると判断したなら構わん。こちらの持つ情報も流してやれ。
与えてもらうばかりでは信用は得られぬ。
しかと頼んだぞ?」
それは利害関係に基づいた共存共栄、相互扶助ということだ。
命令し、一方的に要求しただけでは得られない情報だってあるだろう。
情報というものは高値の商品にもなり得るもの。
それをタダで寄越せと言い続ければ心象も悪く、出し渋りしたくもなろう。
彼等は国民ではあっても陛下の部下では無い。
あくまでも協力者なのだ。それを忘れるなと私達に仰っているのだ。
「御意に」
私達はそれを心に留め、再び仕事に戻った。
リディは引き続きベラスミでの調査と彼等との連携を。
私はそれに関連する国内の、主に王都周辺の貴族達の動向を探る。
彼が動けば彼を快く思わない貴族達が動く可能性がある。
ならばまずは今期間限定でシルヴィスティアに出店している父のもとに顔を出しておくべきか。
今はその職も退いたがもと外務大臣というだけあって父は顔が広く人脈もある。
私の知らない情報を持っている可能性もある。
そう思い立つと私は陛下のもとを退席し、父のもとへと向かった。
シルヴィスティアは今日も盛況だ。
私は入口で入場券を購入する列に並び、金を払うと中に入った。
相変わらず彼の商会が出店している屋台はどこも長蛇の列ができている。
それを横目で見ながら私は父のいるデキャルト領の店舗へと向かう。
幸いにもウチの領地の店も彼のところほどではないがそこそこ人が並んでいる。
是非宣伝を兼ねてウチの特産物の売り込みをしたいと手紙にあったな、そういえば。
デキャルト領は以前の干魃被害から復興が遅れている領地の一つだ。
三年前までは彼のいるグラスフィート領もウチと同じ状況だったはずなのだが、彼の存在があの領地を未だかつてない発展へと導いた。
グラスフィート領の幸運は彼がいたこと。
あのような存在は滅多に出てくることがないことを思えば我が領地が特別不運だったというわけでもない。
あれが原因でウチの長男のベルデン兄さんを補佐していた次男のキーウェル兄さんが無理をして倒れ、帰らぬ人となった。三男である俺はその時既に家を出て騎士団に入っていたわけだが、家の苦しい経済状況もあって仕送りもしていた。だが私の仕送りだけで領地が救えるわけもなく、領地は疲弊し、経営は逼迫している。
実際、あの酷かった干魃被害から立ち直っていない領地は他にもある。
グラスフィート領の発展を目にして貧しい領地では我が領地もグラスフィートに続けと奮起しているところもあるようだが、本来領地経営、改革などというものはあんなに短期間で変わるものではない。彼の起こした事業が他の領地にも影響を及ぼしているとはいえ、それが波及するのにはまだ数年かかるだろう。
それまでデキャルト領が持ち堪えられるか、否か。
微妙なところだ。
私は父の姿を見つけると声を掛け、近付く。
父も私の姿を認めると店員と二、三言会話を交わし、私の方に足早に近づいて来た。
「久しぶりだな、アンディ」
私が陛下付きの隠密なのを父も知っているのは家族の中では父だけ。
幼馴染で婚約者のメルティも知らない。
他の者は城勤なのは知っているがどこの部署なのかは教えていないが武術はともかく勉学は並程度であったので衛兵か憲兵、良くても騎士程度と思っているだろう。
ウチの領地は人口も少ないので基本的に家族と親族で運営しているのが現状だ。メルティも学院を卒業してから領地経営を手伝ってくれている。今年で十五になったので私の仕事が落ち着いたら籍を入れるつもりだ。家のこともあるので贅沢はさせてやれないだろうが、その分大事にしたいとは思っている。彼女も贅沢な暮らしよりも自分一人を愛し、大切にしてくれるなら裕福な貴族の側室になるよりもその方が良いと言ってくれているのはありがたい。
父は話があると言うと屋台の上の部屋というより倉庫に近い、質素な小さな部屋に向かった。
あの場所でしないということは他人に聞かれたくない話ということか。
そしてしっかりと扉を閉めて鍵とカンヌキを掛けると小声でデキャルト領の現状を語り出した。
現在領地経営は長兄が既に引き継いでいる。家督を譲った父は母と二人、ひっそりと郊外で隠居生活を三年ほど前から始めていたのだが一年前、領地経営悪化で兄に助けを求められて屋敷に戻って兄の仕事の手伝いをしているのは知っていた。屋敷にほぼいない私が知っているのはそれくらいで、詳しい経済状況までは知らなかったのだが相当厳しいどころか火の車、借金に次ぐ借金で首が回らなくなっていたことまでは知らなかった。
既に屋敷も抵当に入っているのだが、それだけでは返済しきれないほどの額。せめてここで大きな取引先でも見つかればと父がここにやって来たらしいのだが、そんなに簡単にそんなものが見つかるはずもない。それでも小さい新規の取引先は獲得出来たようだがなかなか厳しい状況だという。
このままでは領民にまで余計な負担が及ぶ。
妹の婚約も多大な額の借金に、その負債を背負わされるのではと恐れ、破棄されたという。
そこに降ってわいた二つの援助契約の話。
それが普通である訳もない。
一つはカイザック商会。
その代表は父と殆ど歳が変わらなかったはずなのだが、自分が婿養子に入ることを条件に全ての借金を肩代わりするというもの。
もう一つはマーベライト伯爵からの援助。
こちらは妹とメイベルを借金のカタに買い取るというもの。
どちらをとっても我が家にとっては到底受け入れられないものだ。
前者であれば領地は乗っ取られ、後者であれば妹とメイベルの未来はない。
どちらがマシか?
どちらも大差がない。
借金が消えたところで待っているのは地獄。
だが、二人は自分達がマーベライトのところへ行くことで領民が救われるならと言っているらしい。
家のために好きでもない相手に嫁ぐ。
貴族社会では珍しいことでもない。
だが、マーベライトのところにせめて側室として受け入れてもらえないかと申し出たところ、
『何故金で買った地位も我が家と同等、高くない女にそのような身分を与えてやらねばならぬ。
まあ、そうだな。私は心が広い。
もしあの生意気なグラスフィート家の三男坊の腕の一本でも持って来たらそれをその金額で買い取ってやろう。それならば其方らの女二人より価値もあるからな』
と、そう言われたそうだ。
メイベルと妹が彼の腕一本以下の価値・・・
悔しかった。
だが、私にとって如何に大事な者であったとしても、この国からすれば彼の腕はそれ以上どころかデキャルト領民全てを犠牲にしても足りないものだろう。
人の生命は平等ではない。
事実、彼は既に重鎮。
その存在は御身に何かあれば国を揺るがすものだ。
何度もこの国を救って下さっていることを思えば不敬もいいところ。国民、騎士団員達にも人気がある彼の身に何かあれば陛下と騎士団、そして民衆もが敵に回る。
そんなことをすればどちらにしてもデキャルトは終わりだ。
「正直なところ、既に打つ手はない。
返済も今月はなんとか出来そうだが、おそらく来月はかなり厳しい。申し訳ないとは思っているが、二人とも貴族の娘、その覚悟は出来ていると。
だからすまないがアンディ、お前も休みが取れたら領地に戻って来て、せめて彼女にいい思い出を作ってやってくれないか?」
目前に迫っていた結婚。
目の前が真っ暗になるというのはこういうことか。
マーベライトの言い草にも腹は立ったが、それよりも腹が立ったのは大事な女、二人を守ることの出来ない自分の不甲斐なさ。
仮にマーベライトの言うように彼の腕をアイツのところへ持って行ったとしても約束を守るとは限らない。かといって腹が立ったからとマーベライトを害したところで私は罪人、デキャルトは終わりだ。カイザック商会に伯爵家を明け渡しても領民が更なる犠牲を強いられるのには間違いない。
そうなると認めたくはないが二人を差し出すのが一番犠牲が少ないのも事実で。
私は握った拳が震え、そこから血が滲み出しているのにも気付いたが止められなかった。
「とにかくお前はお前の仕事をしろ。デキャルト領のことでこれ以上陛下にも他所や領民にも迷惑をかけるわけにはいかない」
父の言う通りだった。
私には何の力もない。
多少武力に優れていても、ただそれだけのこと。
いっそ近衛を退団して冒険者になり、大きな魔獣を狩ればとも思ったが一人でそのような金額を稼ぎ続けられるほど冒険者も甘くはない。
ソロの力では限界がある。
私は並以上であっても彼と違って『飛び抜けて』いるわけではない。そんな無茶をすれば借金を返しきる前に野垂れ死に確定だろう。かといって小物を狩ったところでたいした金額にはならない。
どうしようもない現実がそこにある。
せめて良い思い出を?
そんなものあったところでなんの足しになるだろう。
幸せな思い出は地獄での生活をより苦しくするのではないか?
大切な女を地獄に堕としておいて何食わぬ顔で私はのうのうと生きていられるのか?
合わせる顔があるわけもない。
それでもせめてこの件が片付いたら謝罪に行きたい。
いや、それも自己満足だ。
謝ったところで現実は変えられない。
私が謝れば彼女達は許すしかなくなってしまうのではないか?
ならばいっそ私は恨まれているべきではないのか。
わからない。
それでも仕事を疎かにするわけにもいかず、私が諜報活動をしていれば動き出した彼等に合わせて動き出した勢力もあった。
叛乱軍のことは伏せられていたはずだ。
事実、殆どの貴族は動いていない。
だがその勢力は一旦動きを止めたのだ。
何故か?
それもそのはず。彼は彼の屋敷に向かった騎士達を一旦レイオット領に戻し、商人登録させ、レイオット侯爵閣下の協力を得て合同訓練の合宿を装い、彼等を商人として検問所を通過させたのだ。騎士としての検問所の通過記録がなければ貴族達は出兵の動きを追うことは出来ない。更には監視の目を誤魔化すために近衛達に彼の屋敷の迎賓館を開放、野営地が見つかるはずもなく、これにより百名の近衛騎士の行方は影に潜むことになった。
彼の屋敷に滞在しているのはベラスミの娯楽施設に向けての応援要員と対外的に知らされ、叛乱軍とそれと繋がる貴族達を誤認、撹乱させた。
全てが片付き、連隊長とリディに事の次第と成り行き、その決着に至るまでを聞き及び、彼がまた新たな彼の伝説を一つ積み上げたことを知る。
たった八歳の子供。
それも自分の半分にも満たない歳の。
あまりにも自分と違いすぎる格というものに愕然とする。
だが彼に自覚がないのは相変わらずで、気さくで優しい、飾り気のない頼りがいのあり過ぎる彼に騎士団内では益々の人気が高まっていく。
貴族の地位を捨てるのが嫌で騎士団にやって来た者も多いというのに今では彼の下で働けるのなら貴族の位を捨てても良いという者まで出ているのだ。
彼の警護、護衛達は給金も騎士団とたいして変わらない。
彼の専属ともなれば何か事あるごとに景気よく振る舞われる酒と与えられる時別手当、騎士団では班長以上にならねば与えられない一人部屋だが彼のところの寮はそれが就職直後から全ての者にそれぞれ用意され、美味い食事付。
それを考えればむしろ騎士団より高待遇だと言い出す者までいる。
そうして彼の経営する新しい娯楽施設がオープンし、謀反人達の調書もあらかた取り終わった頃、彼を王都に呼び出そうという話が持ち上がる。
当然だ。
これだけのことをしておいて何も褒賞を取らせないというわけにはいかない。
リディと私は彼と内内に相談したいという陛下の命を受け、謁見前日、騎士団別邸まで迎えに出た。
そうして彼を王城への秘密の入口まで目隠しして連れて来ると私達にも気さくに、分け隔てなく話しかけてくる。そんな中で出た話の中で、貴族の中に彼の敵が多くて困っているという話になった。確かにこれまででも功績を次々に上げる彼を妬んで暗殺者が差し向けられていたという話は聞いていた。
彼が知っている数はせいぜい十か二十程度。だが実際には彼の側にいるイシュカやガイ、ライオネルや彼の専属護衛部隊、時には連隊長や団長が彼の目の届かないところで握り潰している案も含めればここ二年ほどでもうすぐ三桁になるのではないかとガイが言っていた。特に出先、外出先では酷いようで、ただ巧妙にそれは隠されて差し向けられた暗殺者でさえその正体を知らないということが殆ど、尻尾がなかなか掴めないということだった。
陛下も連隊長達も彼の護衛と力ある貴族の味方を増やすべきだと言っていた。
騎士団に所属している者は大多数が家を出た跡継ぎ以外の者達だ。
兵力にはなっても政治的な意味合いでの味方になるのは難しい。
レイオット侯爵家とステラート辺境伯家が後ろ盾になっているからこそなんとかなってはいるが、この先彼が領地を持てば彼の嫌う社交界での人脈も必要になってくるだろう。彼を排斥したいという勢力がこれ以上増えれば陛下の御威光が届かないところも出て来かねない。
彼もさすがにそれはわかっているようだ。
「『出る杭は打たれる』だよ。連隊長や団長、閣下と辺境伯が睨みを利かせてくれてるから助かっているけど、もう一人か二人くらい出来れば味方をつけたいところだよね。
私の味方は武力的な立場の強い人が多いし、できれば他方面で」
そんな話が会話の中で出てきた。
何か手を考えているのかと問えば開発事業や援助というのも考えているのだが口出しし過ぎると内政干渉になってしまうし、自領でなければ責任も負いきれないからそう簡単にはいかないという。
その彼の話からすると、
「つまり望まれれば口だけなら出しても構わないと?」
父ならばもと外務大臣、人脈もあり、貴族や諸外国の有力者に至るまで顔が広い。
彼の力になれるのではないか?
彼の提案は画期的なものが多い。
もしデキャルト領の再建の意見だけでも聞けたなら随分とウチの領地も変わるのではないだろうか。
そんな考えが横切った。
だけど彼はそれに小さく苦笑する。
「そんな都合良くはいかないでしょう。失敗すれば人は大抵他所に理由を求めたくなるものだよ。成功は自分の手柄、失敗は他人の所為。貴族は特にその傾向が強いでしょう?」
「貴族に限ったことではありませんが、確かにその傾向は強いですね」
それにリディが同意する。
そういう貴族が多いことは間違いない。
だが父なら、私の兄ならそんなことはしないはず。
仮に万が一、そういう事態になったとしても自分が全て悪いのだと私が全ての責任を被れば良いのではないか?
それで領地が、妹やメルティが救われる可能性があるなら安いものだろう。
私は少しだけ期待して尋ねてみる。
「ではもし、そういう者でないなら、貴方に好意的な、貴方の味方になり得る人格者であればどうです?」
すると少しだけ彼は迷って答えた。
「そんな人なら是非味方につけたいところではあるかな?
商業経済的観点からすればマルビス達の協力も不可欠だから貴族と平民の差別意識の強い人も厳しいことを考えるとねえ。最後まで責任を取れないなら口出しすべきではない思うんだよ。
私は万能でもないし、相談されても力になれるとは限らない」
やはり駄目なのか?
いや、少しは望みがあるのか?
彼等とリディの会話が耳には入っていたが頭には入ってこない。
どうしてこんなにも違う?
似た境遇、同じような境遇にあったはずの領地。
なのに彼のいるグラスフィートは目覚ましい発展を遂げ、デキャルトは借金まみれで首も回らない。
彼に責任も罪もない。
だが違いすぎるその落差に激しい嫉妬の炎がゆらりと心の中で揺れた。
「それでアンディ、貴方は先程から妙な気配を放っていますが何か事情がありますか?」
イシュカが静かに剣を抜く。
「隠すならもっと巧妙にお願いします。
空気が揺らいで漏れ出ていますよ、隠しきれない殺気が」
しまったっ、と、そう思ったが既に遅い。
ここで彼に縋って助けを乞えば良いのか?
いや、それではあまりにも情けない。
彼は私の知り合い、友人ですらないのだ。
厚かましいにも程がある。
自嘲気味に笑って油断なく私を見据えるイシュカに応える。
「気づかれるとは思いませんでしたよ。上手く隠したつもりだったのですがね」
「昔の私なら気づかなかったでしょうね。確かに」
彼が驚いたように目を見開いていた。
隠したというよりも私が未熟で感情を制御出来なかっただけ、だがそこまで露骨に嫉妬という悪意を出したつもりはなかったのだがイシュカの言葉に思い出す。
そうか、彼のもとにはあの男がいた。
リディも敵わないと認めるあの男が。
「・・・ガイ、ですか」
「認めるのは癪ですがアレの危機察知能力は桁外れ、野生動物並みですから。ガイらしくない、妙な言い回しをしていたので警戒はしていたのですよ」
妙な言い回し?
私が席を外していた時に何かあったのか?
本当にあの男は鋭い。
「安心して下さい。危害を加えるつもりはありませんから」
「何がどう安心しろと? どういう意味ですか?」
眉を顰めて問い掛けてきたイシュカに私ははすみませんと、一言謝罪してから続けた。
「私の至らぬ、不徳の致すところ、というべきでしょうね。
未熟故に揺らいだ感情が表に出てしまった。
貴方がたに非も害意もありません。イシュガルドが一緒で、しかもリディもいる。リディは陛下と貴方達側ですから私が下手に動いたところでそこにハルト様が加わればどう考えても私に勝機はありません。それはよくわかっていますから」
どう対応するべきか迷っているとリディが眼光鋭く睨んで尋ねてきた。
「陛下に仇成すつもりではないでしょうね?」
そうか、彼等に害意がないということはその可能性もあると取れるのか。
張り詰めた空気の中、私はそれを否定した。
「違いますよ。流石にそれはあり得ません。
ちょっとした個人的事情がありまして、未熟で申し訳ありません。
その辺りの事情はお望みでしたら後でお話し致します。
勿論責任を負えということでしたらそちらも承りますが、今は先を急ぎましょう。陛下達がお待ちですから。
御心配でしたら縛って頂いても構いませんよ」
そう言って私は縛ってくれと手首を揃えて差し出すと戸惑う彼らを他所にリディがすぐに手首を縛り上げる。そうして細い通路を通って長い縦穴に掛けられた縄梯子と縄を登っていくとそこには団長が既に待っていて、手首を縛られたまま現れた私の姿を見て団長が顔を顰めたがリディに私を見張るように指示してからスタスタと部屋を出て行った。
何があったのかとリディに問われれば話すしかない。
隠し立てしたところでウチの領地の内情は少し調べればすぐにわかる。
おそらくこうなってしまえば陛下の側で働くのは厳しい。
私の仕事は普通の近衛とは違う。
今後のことを考えると陰鬱な気分にならないでもなかったが全ては自分のしでかしたこと、誰のせいでもない。
あらかたの事情を話し終えるとリディが顔を顰める。
「まあ確かにな。そんなことがありゃあつい気の迷いってのが顔を出すこともあるだろうさ。相手が悪かったな。イシュガルドが相手じゃなきゃまだ誤魔化せただろうが」
「誤魔化せたところで時間の問題だ。領地の経営が破綻すれば私もこのままでもいられん」
「・・・そうだな。残念だ。お前とは結構上手くやれてたと思っていたんだが」
リディが溜め息を吐いて床に胡座をかいて座っていた私の隣のゴロンと寝転がる。
私はスマンと謝る。
どういう処罰が下されるかはわからないが、せめて潔く。
そう覚悟を決めると陛下達の話し合いにキリがついたのか連隊長がやってきた。
私がツラツラと話したことを簡潔にまとめてリディが報告すると連隊長がなんとも言えない、複雑そうな顔で『わかった』と言って陛下のもとに戻って行った。
「で、どうするつもりだ? お前」
リディにそう尋ねられたところで私に選択権があるわけではない。
「どうするもこうするもない。陛下の下された決断に従う、それだけだ」
「いっそどうにもならんなら婚約者連れて逃げたらどうだ?」
そう返された言葉に苦笑する。
確かにそれも考えないでもなかった。だが、
「逃げ切れるならな。逃げるのにも金が掛かる。お尋ね者にでもなれば同じことだ。私達が逃げればその責任は全て残った者が背負うことになる」
結局はもっと酷い未来が待っている。
それも逃げた私達だけでなく、それ以外の者まで巻き込んで。
どうしようもない。
「まあ、そうだな」
ポツリ、ポツリとリディとここ数年に起こったことや関わった事件などに吐いて思い出話を語る。明日になればこうしてリディとも話すことはなくなるかもしれないなと考えながら。陛下や連隊長達の前では猫を被っているがリディは口も悪いし、粗雑なところがある。本人曰く、使い分けているだけだと言っているが時々陛下達の前でも出ていることがある。それを気にするような方々ではないけれど。
だが最近となれば私達が関わっていた案件は彼に関するものが圧倒的に多い。
「グラスフィートは異常だからな。あの発展スピードは俺から言わせてもらうならオカシイことこの上ない」
それは私も否定しない。
彼の住むあの場所は見るたびに何かしら新しいものが増えて賑やかになっている。
三年ほど前まではあの辺りは人も家もなかったはず。それが今やこの国でも有数の街に、違うか。あそこに住んでいるのは彼等の抱える従業員達。街というには些か語弊がある。なんと称すればいいのかはわからないけれど。
「奇跡と幸運、偶然が重なった、といったところか」
私の言葉にリディが首を傾げて唸る。
「そいつも微妙だな。あそこが巻き込まれている事件や揉め事は下手打てば一気に領地が破綻、崩壊するものばかりだ」
言われてみればその通りだ。
彼の土地、領地で同じことが起こったとして、果たして幾つの領地が同じように対応出来たか。
おそらく多くの騎士の集まるこの王都でも厳しい。
「それを幸運に変える彼があってこそ成せたことってことか」
彼の存在がなかったなら、この王都も二年半前のイビルス半島のスタンピードで大打撃を受けていたのは間違いない。王都の現在の平和があるのは彼の功績。
所詮私とは出来も、器も格も違うのだと思い知る。
「だがまあそう悪いことにもならないと思うぜ?」
自嘲気味に笑った私にリディがボソリと呟いた。
「何故だ」
「あの普通じゃないガイの御主人様が関わっているからさ」
彼が関わっているから?
どういう意味だ?
これはあくまでも私の家の問題、彼には関係ない。
「あの御仁が関わった事件その他で不幸になったのは誰だ? 思い出してみろよ」
リディに言われて記憶を思い起こす。
不幸になった人間と言われて思い当たる存在がないことに気付く。
犯罪人達は自業自得、自分のしたことのツケを支払わされただけだ。彼のせいで不幸になったというわけではない。
犯罪人達の犠牲者達はどうなっていた?
へネイギスに捕えられていた子供達は今や彼の商会の従業員で、彼のもとに潜り込んでいたベラスミの間者は彼の諜報員、その彼と共謀していたあの国の宰相は彼の商会の経理を一手に引き受け、先日襲った刺客は彼の屋敷で執事としての修行を始め、ウォルトバーグに不条理を強いられていた者達も殆どが彼の商会に就職すると聞いている。
その大半が今や彼のもとで働いているのだ。
この国で本来失業者だった、そうなるはずだった者達。
浮浪者の数は格段に減り、彼の領地ではその姿を殆ど見ない。どこの領地にも大小の差はあれど存在する治安の悪いスラム街があそこにはないのだ。
あの領地は今やこの国のどこよりも平民の暮らし易い場所。
彼の商会が猛スピードで拡大するのも道理。
彼は何か事件が起こるたび、事業を起こすたび、その関係者を自分の商会へと引き入れて雇っている。
それを考えるなら、多分私は・・・
そう思い当たったところで部屋の扉からガチャリと開いた。
「リディ。ハルト達が別邸に戻る。陛下が俺とお前で送って行けと」
「了解しました」
団長に言われて既に夜も更け、リディが団長の後を付いていく。
もう夜も随分と更けている。
この時間であれば城の中を抜けてもそう人目にもつかないだろう。ましてや気配察知に長けている団長が一緒であればそれを避けるのも可能だろう。
そして扉を閉める前に団長は私を振り返った。
「アンディ、お前には提案がある。アインツから詳しい事情を聞け」
その言葉の意味するところは?
私の心は僅かな期待に揺れた。
その後すぐに団長と入れ替わりで入ってきた連隊長の言葉に、リディの予感が当たっていたことを私は知ることになる。
あの御仁が関わった事件その他で不幸になったのは誰だ?
思い出してみろよ。
そうだ。
彼は変わり者。普通ではない。
敵対する者は排除し、その犠牲となっていた者は受け入れる。
そして関わった者を魅了し、取り込むことであの商会は大きくなった。
陛下もお認めになる圧倒的なカリスマ性を持つ少年。
私は彼の、王たる器を持つ少年のもとで働くこととなったのだ。