第百九話 所詮私は単純な生き物なのでしょう。
イシュカは私がノシてしまったソイツを厳重に縛り上げ、凶器や毒物を隠し持っていないことを確認すると追いついてきたジェネラと私を追ってきたライオネルと一緒にソイツを運んでもらい、私はイシュカと一緒にひと足先にみんなのいる場所に戻る。
そこに普通に歩いているガイの姿を見つけ、ノトスから飛び降りると私はペタンと地面にしゃがみこんだ。
・・・良かった。
本当に、良かった。
安心したとたんに溢れ出す涙が止まらなかった。
ボロボロと次から次へと頰を伝う涙に眼の前の景色がボヤける。
気が抜けてヒックって喉から引き攣るような声が漏れた途端、堰を切ったように溢れた声が止まらず、私は大声で泣き喚いてしまった。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃで、きっと酷い顔だ。
でも止まらなかった。
最近情けない姿ばっかり晒してる。
その自覚はあったけど、でも駄目だった。
「泣くなって、大丈夫だ。俺は頑丈だ、これくらいで死にゃあしねえよ」
慌てて駆け寄ってきたガイが私を抱え込んで背中を叩きながらテキパキと指示を出す。
護送用の馬車を用意しなきゃとか、血の臭いで魔獣が寄って来たら大変だからとか、色々考えなきゃいけないことがあったはずなのに、全然頭が働かなくて私はただみっともない泣き顔晒してガイに縋りつく。
こういう危険もあるんだって、ちゃんと考えなきゃいけないって、マルビスの時に学んだはずなのに。
本当に懲りない。
こういうところが私の一番駄目なところだ。
思いつきで行動し、出たとこ勝負のいい加減。
自覚もあるけど咄嗟の場合にそこまで頭が回らない私は所詮凡人。
時間をかけて、みんなに頼んで協力してもらって、かろうじてなんとかなってるポンコツの、偽りだらけの大きな看板背負わされた偽物天才児。
穴だらけの欠陥品。
私は全然数多の賞賛に相応しい人物なんかじゃない。
『ごめんなさい』を繰り返す私にガイが目を釣り上げて怒った。
「それは違うぞ。コイツは俺のミスだ、御主人様のせいじゃねえ」
ガイらしくなく、強い口調のそれに思わずしゃくりあげていた声が止まる。
いつも飄々として、サラリと交わすのに・・・
私は目を見開いてガイを見つめる。
「俺は辺りの気配を確認した上で結界の解除をさせた。
まさか俺の気配察知をすり抜けるヤツがいるとは考えずに、な。
つまりコレは俺の過信と驕りの結果。俺は手前の失敗のツケを自分で払っただけ、自業自得だ」
確かに私はガイのその能力に頼ってた。
今までガイの野生の勘ともいうべき危機察知能力に何度も助けられていたから。
それに頼って、甘えて、危機管理を怠ったのがそもそもの原因。
「でも・・・」
「でももだってもねえよ。それに俺は御主人様はどんな怪我も治してくれるって信じてたからな。そういう約束だっただろう?」
私の認識が甘かったせいだと言おうとした言葉を遮ってガイがそう言った。
覚えがあった。
その台詞には。
それはいつかの約束。
どんな姿でもいいから必ず私のところに帰って来て欲しいって強請ったのは覚えている。
我儘だって言われても仕方ないって思ってたお願い。
ガイが呆れたように、困ったように返す言葉を探して小さく笑ってたのは覚えてる。
「コレは俺がドジを踏んだ、つい油断しちまった結果だ。
それとも御主人様は自分が完璧で、俺達が必要ないって言うつもりか?
自分が守ってやらなきゃならない、弱い存在だって思っているのか?」
そう尋ねられて私は言葉に詰まる。
私が完璧などであるはずもない。
みんなに助けられてどうにかなっているだけなのは私が一番良く知っている。
私はガイを見上げて大きく首を横に振った。
すると良く出来ましたとばかりにポンッと頭の上に手を置かれる。
「だろ? 俺達は運命共同体、対等な立場じゃなかったのか?
全部一人で背負い込む必要はない。俺達も一緒に背負ってやる」
言われていることはわかる。
理解るけど。
「でも、ガイなら、避けられたはずでしょ?」
「どうだろうな。だが咄嗟に身体が勝手に動いた、考えてる暇なんてなかったよ。
それに逆の立場だったら御主人様は後ろに俺がいて矢を避けたか?」
避けない。
避けられるわけがない。
問われて即座に私は再び首を横に振った。
するとガイは唇の端を微かに上げて笑う。
「だろ? だったら俺の行動もわかるよな?」
私はその意味を理解してコクリと頷いた。
「ヨシッ、良い子だ。
なら俺にいう言葉は『ごめんなさい』じゃねえよな?」
わしゃわしゃと撫でられる髪。
その言葉が意味することに気が付いて、私の目から再び引っ込んでいた涙が盛り上がる。
私はガイの胸に抱きついて泣きながら御礼を言う。
「ありがとう、ガイ」
何度も繰り返し、御礼を言う私にガイが笑う。
良く出来ましたとばかりに優しく叩かれる背中。
私はこうしてガイに子供扱いされるのに弱い。
本当は私は中身はみんなより遥かに歳を重ねた大人だ。
だけど私は子供で居させてもらった記憶が殆どない。
前世では弟妹の世話にかかりきりで、今世では手が掛からないからと六歳まで然程構われることもなく、誕生日以降は大人と同等の扱いをされて。
ガイは私のその頃に感じなかった『寂しい』という感情の穴を埋めてくれる。
子供扱いされるのが嬉しいなんて、私は何処かおかしいのかな。
でも間違いなく幸せだと思うのだ。
護衛のみんなは後片付けをしてくれてるし、ロイとマルビスは泣き止まない私の面倒をガイに預けて昼食の準備に取り掛かる。
私が指示を出すまでもなく、みんなが動いてくれる。
一人でキバる必要なんかない。
だってみんなは私が集めた、集まってくれた最高の仲間。
これからはもっと慎重に行動すると心に誓おうとした私の耳にガイの声が届く。
「頼むからこれに懲りて変わってくれるなよ?
俺は今のままの御主人様に惚れてるんだからな」
・・・・・。
今、ガイ、なんて言った?
私は一瞬で涙が引っ込み、嗚咽が止まった。
目を見開いて見上げる私にガイが宣う。
「何をそんなに驚いてるんだ?
前にも言っただろ?
その剛胆で強気な性格が俺は気に入って側にいるんだって。
俺は退屈が大嫌いで、楽しそうだから御主人様のところに来た。
スリルのある毎日、最高じゃねえ?」
・・・・・。
そっちの意味か。
そうだよね、私を子供扱いしてるガイがそういう意味で『惚れてる』なんて言うわけがないよね?
吃驚した。
何度も驚かせないで下さいよ。
私は神経は太いけど心臓はそこまで丈夫じゃ・・・ないこともないのか?
心臓に毛が生えてるだろうと何度も言われたことがある。
でも、誰も信じてくれないかもしれないけど、私は結構ビビリなのっ!
開き直りが早いだけなのだ。
だって逃げられないのなら泣き言言うよりその方が早いじゃない?
でも変わらないでいてくれって、
そのままがいいんだって言ってくれたその台詞は間違いなく嬉しくて。
私は涙で濡れた顔で微笑ってガイにしがみつく。
すると頭の上からガイの溜め息が降って来た。
「仕方ねえな。今日は特別だ、感謝しろ。
この俺が甘やかせてやるよ。
たまには我儘も聞いてやるってこの間、約束したしな」
そう言ってしがみついていた私をガイはしっかり抱え直す。
「だから笑えよ。そんな泣き顔は見たくねえ」
素っ気なく、ぶっきらぼうに言われた口調に反して、
抱き締めてくれるその胸は温かく、
あやしてくれる腕は甘く、優しかった。
暫くすると気持ちも落ち着いてロイ達が用意してくれたスープの匂いに減っていたお腹が盛大な音を立てた。それを聞いたガイに大爆笑されたのは言うまでもないが逆にそれが私の体裁の悪さを吹き飛ばしてくれた。
「やっぱ、そういうところはまだまだ子供だな」
と、そう言われた言葉に気分は少々複雑だった。
要は色気が無いってことだよね?
確かに私にはそのようなありがたくも羨ましいものは著しく欠けている自覚はありますけどもね。しかしながら色気より食い気が先で、腹の虫に催促させてる時点で文句も言えやしない。
私が赤くなって睨み上げると益々ガイは楽しそうに笑う。
思い切り泣くのって、結構体力使うんだなあって実感しつつも体裁悪くて顔を顰めて俯いていると目の前ににゅっと湯気の立ち昇るスープを差し出される。
「温かい内にどうぞ。お腹、空いていらっしゃるでしょう?」
マルビスの優しい声に御礼を言ってそれを受け取った。
遠ざかるガイの背中の向こうにライオネルとジェネラの姿が見える。
戻ってきたのか。
良かった。
無事な二人の姿にホッと息を吐く。
勧められた折りたたみ椅子の上に腰掛けるとロイが持っていたハンカチで顔を拭いてくれる。
「大丈夫ですか?」
泣き腫らして真っ赤になった目と涙で重たくなった瞼。
間違いなく今の私は酷い顔をしているだろうな。
おかしい。
私の涙腺はいつからこんなに緩くなったのか?
前世では負けず嫌いで、涙も見せない、泣き言も言わない可愛くない女だと散々貶されてきたはずだ。泣けば泣いたでそういう人達はお前が泣いたところで可愛くないと言うのだとわかっていたからだ。
泣いて許されるのは『美人で可愛い女性に限る』のが世間一般の暗黙の了解というもので、可愛くもない三十路も遥かに過ぎたオバサンが泣き言を言ったところで仕事が出来ない女のレッテルを貼られるか鬱陶しがられて『イイ歳して』と馬鹿にされるのがオチ。
だけど考えてみれば私は今世ではまだ子供。
泣いても許される歳の子供だったと思い出す。
結局のところガイ以外私を子供扱いすることが殆どないというのもあるわけなのだが、誰にも負けないイイ男になるつもりだったのに、現実はどんどん情けなくなってきているような気がしないでもない。
大人と呼ばれる歳になるまでにはなんとかしなければと改めて心に誓う。
「うん、ありがとう。大丈夫、泣いたらスッキリした」
みっともなくも鼻水を啜り上げるとロイが微笑んだ。
「無理をなされなくても良いのですよ?」
「つい、取り乱しちゃって。私もまだまだだよね」
私の目指すイイ男像には程遠いが、そう簡単になれるなら苦労はしない。
発展途上ということで、ここは今後に期待してお待ち頂こう。
御礼と謝罪を込めてありがとうを伝えるとロイが『いえ』と小さく首を振る。
「私達は貴方が『まだまだ』でいてくださる方が嬉しいですから」
なんで?
情けなく泣き喚く姿は情けないだけでしょう?
首を傾げた私にロイは言う。
「それは私が支えられる隙があるということですから」
はい、確かに。
現在隙どころか穴だらけの私は皆々様に助けて頂いているからこその今の自分があるのだとよ〜くわかっていますけど?
決して忘れていませんとも。
それが嬉しいとはロイは物好きだ。
手間が掛かる小僧の世話というものは普通面倒臭いものではなかろうか?
随分と趣味が悪い。
世話焼きのロイだからこその台詞かと思って納得しそうになった横からマルビスが口を挟んできた。
「どうか完璧にならないで下さいと寧ろ私は言いたいですね。
私達は貴方の側に居られる理由が欲しいんです」
?
側にいてくれるならそんなものいらないけど?
「理由なんてなくたって、私は側にいて欲しいよ?」
だからこそ呆れられて離れていかれないようにと必死なのだ。
トラブルメーカーで迷惑、面倒かけまくりな自覚ありますから。
申し訳ないと思うほどには。
だけどロイは私の言葉に苦笑する。
「そのお言葉を頂けるのはとても嬉しいですよ。
でも私は安心したいんです。貴方には私が必要なのだと。
ですからこれは私達の我儘なのでしょうね」
それは私がポンコツのままの方がいいって言ってるように聞こえるのだけれど。
気のせいかな?
益々わけがわからないといった顔をする私を見てマルビスがクスクスと笑う。
「私達を図に乗らせて頂きたいんですよ。
貴方には私がいなきゃ駄目なのだと調子に乗りたいんです。
だから良いのですよ?
貴方は貴方のままで。
私達はそんな今の貴方が大好きなのですから」
今のままの私が大好きだって言ってくれるのは嬉しいのに間違いないけれど。
「それは私がイイ男にならない方がロイやマルビス達には都合が良いってこと?」
そりゃあ完璧なものより欠けているものの方が魅力的なことがあるのは私も理解している。
完成されてしまったら、それ以上は望めない。
未完だからこその美しさというのも理解している。
でも欠けたところだらけの私は呆れられはしても魅力的だと果たして言えるものなのか。
納得できなくて私が尋ねるとマルビスが私に言う。
「貴方は既に充分イイ男なので今のままで良いのです」
「全然足りないと思うんだけど?」
「そう思ってるのは貴方だけです」
私の言葉は即座に否定された。
そうかなあ。
絶対そんなことないと思うんだけど。
イイ男ってのは人に御迷惑かけるようなものではないはずでは?
御手数、御迷惑をお掛けしてる時点でイイ男失格だと思うのだけれど。
「それはマルビス達の欲目じゃないの?」
「欲目じゃなくて事実です」
今度はロイに断言された。
やはりロイとマルビスは私がポンコツのままの方が良いと言っているのに間違いなさそうだ。
「それはロイやマルビス達が物好きなだけじゃなくて?」
「・・・もういいです。貴方には難しい話のようですから」
マルビスに溜め息混じりにそう言われた。
あっ、コレは呆れられたかな?
ダメなところもできれば後数年、『馬鹿な子ほど可愛い』でお待ち頂けないかと交渉しようと口を開きかけたところでマルビスが宣った。
「言い方を変えます。
是非物好きな私達が好きなままの貴方でいて下さいと言えば納得して頂けますか?」
つまりマルビス達の趣味が悪いと。
こういうことで良いのだろうか?
それなら納得できないこともないかも。
「それとも貴方は万人に好かれるイイ男になりたいですか?」
「ううん、ロイやマルビス達に好きでいてもらう方が嬉しいよ?」
「ではそれでお願いします」
『ではそれで』とは?
些か投げやりにも思えるその言葉。
これで良いのだろうか。
なんかマルビスに上手く言いくるめられた感がしないでもないけれど。
もともと万人に好かれるのを目指していたわけではない。
自分の好きな人に好きになってもらいたくて始めたこと。
このままの私の方が良いと言ってくれるなら呆れられない程度に今のままで良いかと思う私は所詮単純な生き物なのだろうと思ったのだった。




