第百八話 その足が踏んだのは虎の尾なんかじゃありません。
眼前にあったのは大きな真っ黒な服を着た背中。
目にいっぱい映ったガイのその肩には弓矢が刺さり、突き抜けていた。
私は悲鳴を上げることも出来ずに凍りつく。
「イシュカッ、ジェネラッ、追えっ」
痛みを堪えて叫んだガイの怒号に二人が茂みの向こうに遠ざかろうとする人影を追いかけて全速力で走り出す。
ウチでもスピードに定評のある二人だ。
多分追いつけるはずだ。
真っ青を通り越し、真っ白になったものの私はハッと我に返り、即座に上級の回復魔法を唱え始める。
その間にも流れ落ちる血液に私は狼狽える。
落ち着け、落ち着け。
ガタガタと震えそうになる身体に必死に言い聞かせる。
慌ててミスればもう一回始めからやり直し。
それで手遅れになったなら悔やんでも悔やみきれない。
フリード様が言っていた。
聖属性魔法は心を穏やかにしなければいけないって。
焦ったら駄目だって。
どんなに心配でも、恐ろしくても目を背けたら駄目だ。
ちゃんと教わったでしょう?
それを今活かさなくてどうする?
ガイを、大事な人を失くしたくないのなら落ち着け。
泣くのも嘆くのも全て後。
今の目の前にある現実に立ち向かえ。
出来る、絶対に出来る。
私なら治せるはずだ。
私の総魔力量は七千超え。
ガイが言ってたじゃないか。
私の回復魔法なら死人でも生き返りそうだって。
死神なんか追い返せ。
返り討ちして叩き出せ。
修復するイメージを慌てず頭に思い描き、細かい組織を繋ぎ合わせる感覚で身体を繕うのだと。
身体の細胞、神経、筋肉組織、人体解剖図を思い出せ。
魔法は想像力が命。
出来る、必ず出来る。
自分を信じて今出せる全力を注げっ!
私が呪文を唱え終わると一気にライオネルがその矢を引き抜いた。
勢いよく溢れ出す血液に失いそうになる冷静さを必死に押し留める。
泣いて喚く暇がどこにある?
そんなことはガイを治した後で充分だ。
後悔したくないのならまずは最優先事項は治療。
ガイを失くしたくないのなら落ち着けっ!
私の翳した手から溢れ出す淡い白い光がガイを包み込むと傷がみるみる塞がっていき、青褪めていた肌にほんのりと薄い紅色が戻り、ホッと息を吐く。
良かった。
本当に良かった。
目尻から涙が溢れ落ちて頬を伝う。
ホッとしたと同時に湧き上がる感情に私は掌に爪が食い込むほどに握りしめる。
・・・赦さない。
絶対に赦すもんかっ!
私の大事なものを傷つけるヤツは誰一人だって。
身体が怒りのオーラで満ち溢れていく。
私は賊が逃げた方向を仰ぎ見る。
ジッとその方向を見つめると神経を研ぎ澄ませた。
イシュカ達の気配を感じる。
まだ近い。
追いつける。
私はグッと歯を食いしばると即座に速度強化の魔法を二重にかける。
明日は酷い筋肉痛で動けなくなる?
そんなの知ったことかっ!
「ハルト様っ、いけませんっ」
静止するロイやライオネルの声が聞こえた。
でも私は足を止めなかった。
私は私に誓ったんだ。
自分の大切なものは全てこの手で守ってみせるって。
勢いよく飛び上がると近くの大木の枝に飛びついた。
背後に私を追いかけてくる気配を複数感じたがスピードは緩めない。
障害物の多い森なら地面を走るより上を行くほうが早い。
私の最大のウリは身軽さとスピードだ。
絶対逃してなんかやるものか。
枝のしなりと反動を利用して木から木へと勢いよく飛び移ると下から馬の嗎が聞こえた。
ノトスだ。
そうだ、思い出した。
私にはノトスがいたんだ。
その姿を認めると、私に並走して駆けるノトスに背中に飛び乗る。
森の中を走るには最高の私の獣馬。
ぎゅっと手綱を握りしめるとイシュカ達の気配がする方向にスピードを上げて即座に向かう。
落ち着け、落ち着け。
怒りに任せて取り乱せば勝てるものも勝てなくなる。
赦せないことに変わりはない。
だけど怒りに支配されちゃいけない。
感情に振り回されては更なる被害拡大だ。
それだけは絶対阻止。
これ以上私の大事な人達を傷つけさせたりしない。
必死に自分にそう言い聞かせて前を向く。
途中複数の低ランク魔獣の気配はしたけれど、私の身体から立ち昇るオーラを恐れてか、襲ってくる気配もない。
余計なことに時間を取られては追いつけなくなる。
こんな時にはあり余る魔力量は都合がいい。
私は周囲の気配を威嚇しつつ駆け抜ける。
前方に見えたイシュカ達の背中に近づくと蹄の音に気付いた二人が振り返った。
「イシュカッ、ジェネラッ」
「ハルト様っ」
二人の名前を呼ぶとイシュカが私の名を呼び、手を伸ばした。
その腕を掴み、馬上に引き上げ、そのまま私は加速する。
「真っ直ぐ、前です。もう近いはずです」
私の後乗ったイシュカが賊の気配のする方向を指差すとやや遠い茂みが揺れて動くのが見えた。
あそこか。
「イシュカ、手綱をお願い」
「何をするんですか?」
「アイツの足を止める」
このままもっと深い森に逃げられても面倒だ。
戻るのが遅くなる。
一応回復魔法はかけてきたけどガイだって心配だ。
早くあの場所に帰りたい。
でも焦って感情に流されて、もっとマズイ未来を招いたらダメだ。
「ハルト様」
「大丈夫、殺しはしない。
そう簡単に楽になんかさせてやるつもりないんだから」
心配そうに私に声を掛けるイシュカにそう応える。
まだ少し距離がある。
まずは光魔法か。
暗い草木覆い茂る森の中で強烈な光を放って視界を奪う。
呪文を唱え始めると私のやろうとしていることを理解したイシュカが私から手綱を受け取り、その腕の中に囲い込み、身体を支えてくれる。
障害物を身軽に飛んで、交わして避けるノトスはまるで暴れ馬。
しっかり捕まっていないと振り落とされる。
私は小さな声で呪文を唱えるために集中する。
そしてそれを放った瞬間、ノトスの体を思い切り反転させて近くの大木の影に隠し、その視界を守る。
先行弾にも似た眩い光をイシュカと私は目を閉じて瞼で覆い、更に掌で隠すことで防ぐ。
それでも強烈な光はその下からも感じられ、予告なくその光を目に入れた賊は視界を奪われ、速度を緩めた。そのタイミングを狙い、閃光が消えたところで一気に距離を詰め、更に初級魔法の雷を落とし、感電させて完全にその足を止めさせた。
チェックメイトだ。
追いついたところでノトスから飛び降りるとイシュカと二人、地面に倒れる賊の前に立つ。
暗殺者は動けない。
当然だ。
初級とはいえ私の魔力量だ、手加減も一切していない。
ギリリッとこちらを睨み据えている男は指一本を動かすのも厳しそうだ。
コイツがガイを、私のガイを傷つけた。
絶対に赦さない。
ソイツを前に再び私の身体から漏れ出した殺気に賊は目を見開き、ビクリと身体を強張らせ、震え、小さいな声で呟く。
「バ、バケモノ・・・」
・・・・・。
はああああっ⁉︎
何を今更怯えてんのっ⁉︎
そりゃあ頭にきてるからかなりの殺気垂れ流してるけどね。
そのバケモノを襲ったのはアンタでしょ?
なに被害者ヅラ晒してんの。
冗談じゃない。
バケモノ、怪物、大いに結構。
それがどうした?
私は恐れ、慄かれる魔王になると決めたのだ。
先に仕掛けてきたのはそっちでしょ。
私は正義の味方なんかじゃない。
手を出してさえ来なければ他人事、私は興味なんてなかったのに。
動けない身体で必死に尻で後ずさろうとするものの、ヤツの背中はすぐに太い大木の幹に阻まれた。
私はソイツの前に一歩歩み出ると醒めた目で睥睨する。
「逃げたいなら逃げれば?
逃げたところで地獄の果てまでだって追い掛けるだけだし、無駄だよ」
このままあっさり逃すなんてそんなマヌケな真似、私がするわけないでしょう?
ガタガタと震え出し、情けない姿を晒すソイツを溢れ出た殺気で思い切り威嚇し、呆れた目で見下ろす。
「人の大事なもの傷付けといて何今更ビクついてんの?
この私にケンカ売っといてタダで済むと思ってるのかな?
馬鹿なの?
馬鹿だよね?
人を殺そうとするってことは返り討ちに合う覚悟もあるってことだよね?
それともそんな覚悟もなしに殺し屋なんてやってんの?
アンタ、フザケてんの?
フザケてるよね」
いつもより低い、といっても声変わり前の子供の高い声。
捲し立てられたところで迫力には欠けるかもしれない。
だが漏れ出る殺気はそれを凌駕する。
所詮三流の飼い主の駄犬、この程度。
少し脅しをかけただけで竦んでる。
相手の力量もわからずに襲撃するからこんな目に遭うのだ。
ガイのアンテナから逃れた、多少気配を隠すのが上手かっただけの三下。
私の噂はシルベスタ王国中に轟いていたんじゃなかったの?
それともたかが小僧一人と侮ったのかな?
私の周りには常に名だたる武人がいるもんね。
みんなに目が行くのも無理はない。
だけど御生憎様。
私の見てくれだけで判断するからそうなるのだ。
私のウリは武術じゃない。
たかがと侮り、見縊ったのがこの結果。
同情の余地は全くない。
まあそんなもの、するつもりもないけどね。
私の大切な人、傷つけたんだもの。
相応の覚悟があってのことでしょう?
覚悟があったところでそんなもの、握りつぶし、踏みつけてやるだけだけど。
暗殺者は捕まった時点で火炙りか絞首刑確定、未来はない。
待っているのは拷問に等しい取調べ。
そうして肉体的にも精神的にも削られまくった後に刑は施行されるのだ。
情けをかけるつもりは皆無だけど。
そんなもの、私のガイを傷付けた時点で捨てている。
今までのコイツの罪に比べたらたいしたこともないでしょう?
アンタは飼い主の命令だから仕方ないとでも言い訳して、その手に何人もの人間を手にかけてきたんでしょう?
それとも殺しを楽しんできたのかな?
まあ私にはどっちでも大差はないけれど。
逃げられないと悟ったらしい刺客は奥歯に仕込んでいたらしい毒を噛もうと思い切り口を開き嚙み・・・締められなかった。
私がその口に靴ごと足の先を突っ込んだからだ。
口を閉じられなくなってソイツはみっともなくもがいた。
躊躇わず、勢いよく押し込んだから歯が何本か折れたのだろう。
開いた唇の端から血が滴り落ちる。
「何を勝手に死のうとしてくれてんの?
荒手の冗談かな?
冗談だよね?
そんなの、私が許すわけないでしょ?」
靴をソイツの口に突っ込んだまま更にグイッと押し込んでから脱ぐと今度はその手に握っていたナイフが持ち上がろうとしたのを認めてその掌をナイフごと思い切り勢いよく踏みつける。
ギャッと情けない叫び声がその口から上がった。
指の骨の一本や二本、折れたかもしれない。
でもそんなもの、知ったことではない。
こっちは殺されそうになったんだ。
過剰防衛?
逃がせばまた狙われるかもしれないんだから充分正当防衛範囲でしょ。なんで自分の欲求のために暗殺者を送り込むような輩の都合を考慮してやる必要がある?
それに行動が安直過ぎるでしょ?
もう少し考えたら?
そんな定番じみたシナリオは見飽きている。
悪党の行動パターンなどたかがこの程度。
深く考えずにただ命令に従うからこんな目に遭うのだ。
「いいよ? 何度でも死のうとすれば。
何度でも死ぬギリギリの寸前で回復魔法かけてあげる」
その度に死にそうに痛い目にあって転げまわり、のたうちまわって踠き苦しめばいい。
それでも簡単に死なせてなんかやらない。
「アンタにはその後ろにいるヤツの存在からその悪事の数々まで一切合切、全部吐いてもらわなきゃなんないんだから」
そのためならどんな手段も講じてやる。
見せしめ兼ねてソイツが二度とこんな気を起こしたくなくなるように徹底的に、屈辱的に追い詰めてやる。
悪行暴いて懲らしめる?
そんな御大層なモンじゃない。
これは私怨、報復だ。
ハタからこんな場面を見れば私の方が悪党に見えるに違いない。
だがそんなことはどうでもいい。
私は大事な人達を守るためなら悪党でも極悪人でも構うもんか。
評判が堕ちる?
イメージがガタ落ちだ?
それがどうした?
関係ない。
そんなものは些細なことでしかない。
むしろ好都合、望むところってもんだ。
私はそんな崇め奉られるような御大層な人物じゃないのだから。
「別に私はアンタがここで野垂れ死んだところで痛くも痒くもないけどね。その後ろにいるヤツにもキッチリこの代償を支払ってもらわなきゃ困るんだよ」
この言種はまるで任侠モノのヤクザみたいだなあと他人事のように考える。
だがコイツを殺さない理由はただそれだけ。
害虫駆除をするならば、根刮ぎ、徹底的にと決まってる。
見も知らぬ暗殺者の一人や二人、毒を呷って死んだところで心なんて傷まない。
その程度で今までの行いが清算できるはずもない。
アンタはそうやって何度も助けを乞う被害者を情け容赦なく手に掛けてきたんでしょう?
その手で他人の大事な人の命を奪って来たんでしょ?
自業自得、身から出た錆。
因果応報というものだ。
だけどここで死なれては困るのだ。
「クサい臭いは元から断たないとまた臭ってくるでしょ?
私の周りを悪臭漂わせて彷徨かれたら迷惑なんだよ。
冗談じゃない」
そしたらまた誰かが危ない目に遭うでしょう?
そんなの許せるわけないじゃない。
アンタとアンタの主人が踏んだのは虎の尾なんかじゃない。
アンタ達が踏んだのは特大の地雷。
触れたのは王都の貴族に魔王と恐れられているこの私の逆鱗だ。
「楽に殺してなんかやらないから覚悟しなよ。
アンタもアンタの主人も死んだ方がマシって目に合わせてやるんだから」
まるで極悪人の捨て台詞と同時に私が放った全力開放の殺気にアテられたソイツは白目を剥いて気を失ったのだった。
全く、覚悟のない根性無しはこれだから困るのだ。
私は気絶したソイツを見下ろしてフンッと鼻息を鳴らしたのだった。




