閑話 ロイエント・ハーツの後悔
全ては私の失態。
もっと、
もっと早くこの御方の価値に気が付いていたならば。
何度、そう思ったことだろう。
まだ幼い身体と頭脳に詰まった数多の才能。
驚かされるのはいつものこと。
その言動に振り回されるのも最早日常。
私は、いや、私達はそれが楽しい。
それが嬉しい。
どんなに平凡で平穏な毎日よりも、
貴方と歩く多忙な日々が愛しい。
私は彼の方に溺れているのだ。
吐く息も苦しくなるほどに。
これが恋かどうかなんて、そんなことはどうでもいい。
この感情に意味も理由も必要ない。
何よりも大切で、誰よりも大事にしたい。
それが私の最優先事項。
私の全ては彼の方のものなのだから。
圧倒的な知識量にはいつも驚かされている。
驚かされているのは知識だけではない。
その行動力、推察力、想像力、魔力量、他にもまだまだたくさんだ。
エルドとカラルの二人が執事の仕事を覚え、足りないところも少なくなり、もとベラスミの宰相、ビスクがこの屋敷に来てからは彼が商会とここの帳簿管理を一手に引き受けてくれるようになったので私の抱える仕事も随分と減った。
今の主な仕事はハルト様の秘書兼御世話係だ。
ひどく寂しがり屋の彼の方の、出来るだけお側にいて差し上げたい。
違う。
私がお側にいたいのだ。
寂しがりなのは私の方なのかもしれない。
彼の方のお側は居心地がいい。
温かいのだ。
時折露悪的に吐き出される言葉も、裏の意味を考えれば理解る。
己が大事な者を守るため。
幼くして既に確固たる矜持というものを持っているのだ。
凛として自分の意志を曲げない。
それは他人の意見を聞かないという意味ではない。
忠告には耳を傾け、驕ることなく他者を気遣い、己の手に及ばない仕事を『お願い』して片付ける。
御立場からすれば本来、一言命令すれば良いだけのこと。
だが彼の方は少しの躊躇いもなく自らの頭を下げる。
それでいて周囲の者や自分が不利益を被ることに関しては容赦がない。
冷徹無慈悲。
既得権益に群がる貴族達の間ではそう囁かれ、畏れられている。
魔王と。
権力に屈することも阿ることもしない。
潔癖、というわけではない。
必要悪というものもあるのだと清濁を合わせて飲み込む度量を持ち、妥協も知るその思考は既に大人のそれだ。
いったいあのような感覚を彼の方はどのようにして身につけたのか。
それはこの国の一般的なものとも旦那様のものとも違う。
まして支配者階級のものとも明らかに違っている。
この国に於いてもかなり特異と言ってもいい。
彼の方は独断ということをしない。
実際には多分御心の中で既に決定されていることもあるだろう。だからここは独断ではなく独裁を行わないというべきか。
私達側近や従者を同等の立場に置いて意見を求める。
助けてもらわなきゃいけない立場で上から目線で話をするのはおかしいでしょうと。
そもそも彼の方は私達の手を必要とするまでもなく殆ど御自分のことは御自分でできる。ただもっと上手く、もっと手際良く効率的に、より良いものを作るため、より良い策を練り上げるために私達を必要としているといった方が正しい。
何を作るにしても、なんの行動を起こすにしても大勢の仲間が助けてくれるならもっと大きなことができる。
面白いことができるでしょう、と。
必要とされている。
尊敬する御方に頼られ、任せられて張り切らない男はいない。
私達は彼の方の掌の上で踊らされているのだろう。
いや彼の方に踊らせるつもりは全くないことを思えばその表現も正しくない。
私達は喜んで踊っているのだ、彼の方の掌の上で。
私は彼の方の安心して帰って来ることのできる家を作るのだと決めて一年が経ち、私はハルト様について王都に訪れていた。
この間にも色々とハルト様の周りは騒がしく忙しかった。
どんな事件、問題が起ころうと私の仕事は秘書であり執事。
そのお手伝いと御世話させて頂くことが仕事だ。
お役に立ちたい、立ってみせると力を尽くした。
彼の方の意に沿わず、お叱りを受けたこともあったし、後になって反省しきりということも多かったというのが現実だが一緒にいる時間が長くなればなるほどに、その意志、御心を察して動く術も心得てきた。
勿論、彼の方の無茶な行動に身を削られ、心臓を鷲掴みにされるような事態も幾度となくあったけれど。
特にあのベラスミでの大蛇の魔物に襲われた時には心が潰れるかと思った。
それがハルト様の意志に背くことであることはわかっていた。
彼の方は仲間を犠牲にすることを何よりも嫌う。
だが私は事態を把握した時、愚かにも優先すべきハルト様の御心を無視してテスラと二人、部屋に閉じ込めた。
しかしながら当然その程度のことで彼の方をお止めすることなど出来ようはずもない。
ハルト様は決して失くしてはならない御方。
私達にとっても、この国にとっても。
しかしハルト様はそれでも御自分の意志を曲げなかった。
「私は私の信念を曲げるわけにはいかない。
私の肩にロイの言うようなものが掛かっていると言うなら尚更、私は引くわけには行かない。仲間を、大事な人を見捨てるような人に誰が付いて来てくれるのっ」
そう言い放つとハルト様は二本の剣を私達が張った結界を壊すために打ち下ろした。
ドンッという鈍い音が響き、その振動が伝わって私達は慌てて結界を解く。
圧倒的な魔力量を誇るハルト様の前では私達の張った結界など何の役にも立たない、その相乗効果により少々厚いガラスと大差ない効果しかない。
ハッキリ言うなら無駄なのだ。
部屋に飛び込んだ私達の前でハルト様は首に下げた首飾りの一つを引き千切り結界を展開された。
それをドンドンと叩き、今度は私達が張られた結界を破ろうとするその前で小さく微笑むと、
「何より私は大事な人を見殺しにして、胸を張って生きてなんか行けない。
我儘でゴメンね、ロイ、テスラ」
そう謝罪してバルコニーの手摺りに手をかけ、一気に飛び降りられた。
こんな時だというのに、私はその時不謹慎にも見惚れてしまったのだ。
小さな身体から立ち昇る溢れ出た魔力の煌めき。
綺麗だと、こんなに美しい光景があるのかと。
そして我に返った。
私は何をしていたのだと。
覚悟したはずではなかったのか、彼の方の戻られる家になると。
彼の方を閉じ込める檻を作ってどうする?
安全なところにいて頂きたかったのは私のエゴ。
自分勝手で傲慢な願いだ。
彼の方の御心を殺して私はどうするつもりだったのか。
ハルト様を御守りすることが出来たのだと自己陶酔にでも浸る。
そんな愚かな真似をして赦されるとでも思っていたのか?
彼の方はお優しい。
私達のしたことを決して責めはしないだろう。
だがきっとその分だけ御自分をお責めになる。
自分に力が足りないのが悪いのだと。
彼の方に比べたら私の思いなどなんてちっぽけで身勝手なものか。
私は本当の意味での『覚悟』というものを、
この時、ハルト様に教えられたのだ。
私の仕事は彼の方の補佐。
邪魔をすることでは決してない。
何か、万が一のことが起こったとしても私がお側で支え、共にいれば良いこと。
幸いにも私はそこそこに器用な男であることは自覚している。
彼の方が贅沢を好まれる方でないことを思えば、いざとなればお連れして逃避行、私がどこででも働いて二人分の食い扶持を稼いでくれば済むことだ。それを良しとする御方でないことは知っているが、地獄の底までお供しますと言った私の言葉はしっかりと覚えていて下さるようで、失敗したらどうするのだと言うような問いかけをすると彼の方は決まって私の方をチラリと見て、嬉しそうに言うのだ。
『私には地獄を一緒に歩いてくれる人がいるからそれで良い』と。
嬉しかった。
他の者にはしない仕草で甘えて頂けるのも、何か嬉しいことがあれば走り寄って腕に飛びつき報告して下さるのも、とてもお可愛らしいのだ。
マルビスとイシュカには私ばかりズルイと文句を言われたが、代わりに私にはしない無茶なお願いはマルビスに、公然の場では隣を歩き、戦闘に巻き込まれる可能性がある時にはイシュカに頼るではないかと言えば二人は黙り込む。
それが誇らしくてたまらない二人は私にそれを自慢する。
結局のところ私達は同じ穴のムジナ、似た者同士ということだ。
私にはテスラのようにハルト様の発想を活かして提案を纏め上げるような才覚はないし、ガイのように気安く接して下さるわけではないけれど、最後まで共に歩く約束を覚えていて下さっていることが幸せだった。
もっともマルビスとイシュカは間違いなく付いてくるだろうとは思っているけれど。
私達はハルト様の足りないところを補うために雇われたことを思えばそれぞれの役割分担が違うのは当然なのだ。彼の方はやることなすこと大規模、大胆、豪快で、それでいて精密とも用心深いとも思える細部にまで拘り、練り上げる策に彼の方と敵対する者の悉くは平伏し、崩れ落ちていく。
まさしく痛快、爽快だ。
立場上、ガイのように高笑いするわけにはいかないが。
平凡、普通とは程遠い生活にも慣れ、講師として学院生活を送られているハルト様の御弁当と朝食を作り、まだ夢の中にいらっしゃるのならハルト様を起こし、既に起床されているのであればベッドに残った温もりで朝のトレーニングから戻られる時間を推測して食卓に食事の準備を整える。
慣れた毎日の日課。
そして一緒の食卓で揃って食事をした後は登校の準備を整えてイシュカと一緒に出勤なされるのを見送り、商会から毎日ハルト様宛てに届けられる急ぎの書類に目を通し、整理。目を通して頂くべきものとサインだけで事足りるものと選り分けて積み上げ、お帰りになるまでの間に別宅の清掃や夕食の下拵えを済ませてお戻りを待つ。
『ただいま』と私の顔を見て笑顔で玄関を開ける御姿に『お帰りなさいませ』と伝えて自室の机の上にある書類を片付けに上の階に向かわれたのを確認してから夕食の準備にかかる。
ここに来てからも問題は多発したものの私はもう揺らぎはしなかった。
だからこそまたマルビスやゲイル達と新しい事業を展開されるという時も、学院生達のために人材確保という名目で奨学金制度の設立やミゲル殿下の生徒会に御協力なされることを決定された時も、秘書として支え、お手伝いし、御世話をさせて頂いていた。
流石に女装コンテストに参加なされるとお聞きした時には驚きはしたもののそれも今更だ。
ハルト様は型にハマることを嫌う。
個性的なのは素晴らしい。
恥は恥だと思うから恥なのだと。
面子などというものは一切気にしない。
ハルト様がそれを気にするのは私達に恥をかかせまいとする時だけ。
貴方にそんなことを気遣って頂く必要は微塵もない。
側に置いて頂けることこそが私の、私達の誇り。
その他大勢の他人に笑われ、蔑まれたとしてもそれは瑣末なこと。
貴方が褒めて下さるのならどうということもない。
そうして王都での日々が過ぎ、サイラスという弁護士を仲間に加え、学院祭での襲撃事件を経て新たにゴードンの弟、襲撃事件の当人であるクルトを執事として教育を施すこととなり、ハルト様の周りは更に賑やかになった。
色々と絡んできていたベラスミの領主代行に郷を煮やし、打って出ると宣言された時も特に驚きはしなかった。
もともと自由気儘であることを愛される御方。
行動が制限されたこのような状況下は好まれないはずだ。
団長や連隊長達の御手をお借りして一気にカタをつけられるというので私はその補佐に回る。一旦集中して考え込まれると周囲が全く見えなくなるあの癖のこともある。作戦会議の場所と本部がハルト様の御屋敷ということもあって私は雑事をエルド達に任せてその横に常に筆記用具を持って控えることにした。
突然集中状態になり、ブツブツと呟き出すタイミングはマチマチで読めないからだ。
次々とその口から飛び出す奇想天外なアイディアや敵に悟らせないための作戦には毎度驚かされるが時折聞き覚えのない、意味のわからない単語が飛び出してくることがある。
私は極力ハルト様がお読みになった書物は目を通すようにしている。
ハルト様の仰る言葉の意味を理解するには同じ量は無理でもある程度の知識は必要だ。及ばないところは覚えて書き留め、どういう意味なのかを後で尋ねることにしている。ハルト様は集中して考えられている時に呟いている言葉の多くは覚えていらっしゃらない。おそらく物事を整理する過程でしかないそれは、策などを練り上げられた時点で頭の中で破棄してしまわれるせいではないかと私は考えているが、私が読んだどの書物にも載っていない聞き覚えのない単語も多々ある。どこの言葉でどの書物から得た知識であるのかを問い、是非自分も読んでみたいと願えば説明に困った様子で覚えていないという。
どこか辻褄が合わない。
不思議というより何か隠されていると感じることがある。
そう思っているのは私だけではないようで他の者も同じように思うことがあるという。
私達には言えない何か秘密があるのだろうということは推察できるが、彼の方が隠しているということはそれなりの事情があってのことだろう。
人には大なり小なりの口に出せない秘密がある。
それを問い詰めてまで聞き出したいとは思っていない。
彼の方にどんな秘密が幾つあろうとも私達がお慕いしていることが変わることはないのだから。
そうしていつものように万端、万全の準備を整えてベラスミ領主代行をやり込め、無事に『ルストウェル』の開園にこぎつけ、オープニング記念祭が落ち着き、屋敷に戻ると陛下からの呼び出しが届けられていた。
マルビスから手渡された手紙に書かれた内容は旦那様とは違う、一日早い呼び出し。
王都にある商業施設の視察を早めに切り上げて別邸に戻るとそこには既に城からの迎えが来ていた。約束は夕方だったはず、そうは思ったけれど城に到着する時間が夕刻であるとすれば早すぎるというほどでもない。二人の共が許されるということで護衛にイシュカ、側仕えとして私をお連れ下さるということになり、急いで支度を整えた。
今から出かけるというのであれば戻りが遅くなる可能性がある。
私はハルト様がお腹を空かされた時のためにと袋の奥に今朝焼いたクッキー型のパンを箱に入れて仕舞い込み、準備を整えてお供させて頂いた。
出掛けのガイの言い方に引っ掛かりはしたものの、ハルト様は既にこの国の重要人物であることを鑑みれば滅多なことはあるまい。それでも注意するに越したことはないとハルト様と手を繋ぎ、すぐに御守りできるよう気を配っていた。
ハルト様は向けられる害意というものに対して鈍い。
悪意には敏感であるのに、それが不思議でならないところではあるのだけれど言葉尻の微妙な悪意を含む言い回しや絡みつくような粘着質の視線が刺さるからだと。
つまり向き合わねばほぼわからないということだ。
イシュカやガイがよく専属護衛に言っているのは最初の一撃は身体を張ってでも止めろという言葉だ。
ハルト様は魔力量七千超えの聖属性持ち。
急所を外しさえすれば最強の癒し手がすぐ側にいるのだ、死ぬことはないと。
要するに初撃さえハルトの御身に届かなければなんとでもなる。
戦闘力では遥かに劣っていても判断力と察知能力にはそこそこ自信があるので何か問題が起こればハルト様を私が抱え込めば良い。
すぐ側にはイシュカもいる、切り抜けられるはずだ。
細心の注意を払いつつ、抜け道を進んでいると前を行くイシュカの気配が突然剣呑なものに変化したのに気付き、繋いでいたその手に力を込め、背中へ庇う。緊張感漂う中でそれを向けた肝心の相手、アンディは害するつもりはないと両手を差し出し、結局大騒ぎの事態になることもなく陛下の御許へと向かうことになった。
ベラスミ領の扱いについて話し合いがなされ、ハルト様の案が採用されることになったのだが、その提案内容からすればまた暫く忙しいことになりそうなのは想像に難くない。
しかしながらそれもいつものこと。
暇という言葉に縁のない御方であることを鑑みればこの件があってもなくても忙殺されるだろうことは充分予測できる。
相変わらず面白い提案をなされるものだと別段驚くこともなく、感心しきりで耳を傾けていた。
そして話は抜け道で起こった件について話が移った。
「デキャルト伯爵領ですか。あそこの領地は確かにかなり経営状態が悪化していますからね」
唸るように言った宰相の言葉にハルト様は首を傾げてイシュカに尋ねる。
「デキャルト領ってどんなところか知ってる?」
「いえ、私は詳しくは・・・」
「前外務大臣を務めた御方の領地ですよ。もっともその御方自身は既に御隠居されていて御長男が後を継がれているはずですが、領民の信頼も厚いなかなかの人格者ですよ。
内陸部に位置するのですがめぼしい特産物も産業もありません」
首を横に振ったイシュカの代わりに私がその問いにお答えした。
「どんなところなの?」
「領地の半分は砂地に近い大地です。年々それも広がって人の住める場所も狭まっていると」
「メインとなっている産業は?」
「放牧による牧畜、畜産業ですね」
矢継ぎ早に問いかけられる質問に私の知る限りの情報を伝える。
経営的な面でグラスフィートとよく似た地域だった。
グラスフィートは農業。
デキャルトは牧畜業。
どちらも数年前の干魃被害で大きなダメージを受けた領地。
発展と衰退、二つの領地の違いはハルト様が存在するか否かだ。
おそらくハルト様がお見えにならなかったならグラスフィートもいまだ貧しいまま、いや、ハルト様がいらっしゃらなかったならワイバーンの襲来が防げなかったであろうことを思えばもっと酷い経営状態に陥っていた可能性もある。
あの瞬間からグラスフィートの躍進が始まったのだから。
私との会話の中で何かを考えついたらしいハルト様はポロリと小さな声を漏らした。
「そりゃあ駄目だよ」
・・・・・?
駄目?
いったい私との会話で何を悟ったというのか。
その言葉に反応したのは私だけではない、陛下もだ。
「何故駄目だと言える?」
鋭い視線でいるように見られてハルト様はしどろもどろになりながら必死に頭の中に浮かんだ情報、知識をかき集めながら話し始めた。
放牧している家畜が土をそこに留めている草を喰み、草が育つスピードを多分上回っているが故に砂漠化は進み、止められないのではないのかと。更には森林も伐採し、それを木材として出荷することで収入を得ているのではないかと現在のデキャルトの経営戦略まで当てて見せたのだ。
この方が優れているのは魔獣討伐などに於ける戦略だけではない?
私はゴクリと息を呑み、ハルト様の仰ることに耳を傾ける。
「風が吹けば砂が舞う。砂が舞えば折角芽吹いた緑の芽も砂が積もればその下に埋もれてお日様が当たらないから育たない。悪循環だよ。木々は降った雨を大地に蓄える役割も果たしている。伐採すれば植物の成長に必要な水も行き渡らない。切り倒された森もすぐには戻らない。だから砂漠化は加速する」
確かにそうだ。
聞けばその通りだと納得する。
木々を伐採された山々は乾いた土が崩れやすく割れる。
湧き出ていた水が枯れることもある。
順序立ててそう説明されれば納得する。
だが人は利便性を考えて森を切り開き、山を削る。
どうしても目先の利益を考えがちになる。
このくらいは大丈夫だろうと。
陛下に尋ねられてハルト様は少し考え、唸る。
ないこともないけれどかなり厳しいと。
現在厳しい民の生活に更に無理を強いても暴動が起きるだけで根本的な解決にはならないだろうと。
「砂漠で一杯の水を出されて、喉が死にそうに乾いてて、でもそれを目の前の草木に与えれば一年後には実がなって、その果実で存分に腹も満たせるし、果汁で喉も潤せるよって聞いて、今自分が死にそうなのにそれを草木に与えられる人がいると思う? 考えてみなよ」
ハルト様のその例えに誰も言い返せなかった。
静まり返った空気の中、陛下が再びハルト様に問う。
「では仮に住民の協力が得られたとして、其方ならどうする?」
「その地域によっても変わるし、詳しい状況が判らないとハッキリ言えないし責任持てないけど」
「構わん、申してみよ」
促されてハルト様は暫く考え込んだ後に再び口を開いた。
そうして提案された方法は実に考え尽くされたものだった。
樹木を切り倒した後の対策、気候変動、環境の変化への対処、そしてそれを元に戻すための考え得る策略。
私は目を大きく見開いてハルト様を凝視する。
その方法はまさに画期的だった。
しかも民の暮らしの現状をしっかり把握された上で厳しいと仰ったのだ。
「もし其方がその領地を与えられたならどうする?」
「それは今の資金が潤沢な状態で考えていいってこと?」
「構わん」
陛下にそう再び問われ、成功するかどうか判らないと言い置いて、いつものようにブツブツと思考を巡らせながら一気に語り出したその方法は現状での最善とも思える方法。
しかしながらこんな提案は普通ならば何ヶ月も掛け、大勢の人間が意見を出し合い、練られる計画ではないのか?
たった一人、個人で纏められる意見だろうか?
呆気に取られたのは私だけではない。
そこにいた者、国王陛下を含めた全員だ。
全ての視線はハルト様に集中し、沈黙が部屋の中を支配した。
「宰相、今の意見、理解出来たか?」
「なんとなく、ですが」
ボソリと呟いた陛下に宰相が応え、団長の視線が私に向いた。
「ロイ、ハルトのこういう言動に慣れてるお前なら理解出来たんじゃないのか?」
「おおよそでしたら」
頷く私に陛下が声をお掛けになる。
「わかりやすく資料にまとめられるか?」
「時間を頂けるのであれば。マルビスやテスラ達であればそういった地方で生産されてる農産物にも詳しいかもしれません」
そう答えた私に陛下が仰った。
「よかろう。では一ヶ月後、其方達のところに遣いをやる」
そうして更に陛下に取り立てられることとなったハルト様は私達が止めるのも気にせず、陛下からアンディを賜り、翌日旦那様と一緒の登城では更に侯爵の地位と新しく土地を領地として貰い受け、その上、もと外務大臣のシューゼルト・ラ・デキャルト様を成人するまでの間の領主代行として派遣されることとなった。
ここまでくれば陛下の狙いも解ろうというもの。
陛下はハルト様にデキャルト領の財政立て直しをさせるおつもりなのだ。
そのためのこの人員配備、派遣なのだろう。
シューゼルト様がお見えになれば下手な貴族は手出しも出来ない。
経営は苦手だと仰られているが、そもそもハルト様とマルビスの手腕が異常なのだ。
ハルト様の奇想天外で斬新なアイディアを実現できる流通を押さえ、売り出す力を持つマルビス。
経営、商売に於いてこの二人のタッグほど最強な存在は今のこの国にはいないだろう。それを思えば侯爵の地位を得て、ここにシューゼルト様が加われば平民だけではなく、貴族への影響力も絶大になる。アンディを強引に押し込んだのはハルト様の身の安全を強化するためか。
流石一国の王たる御方、どこまでも計算高い。
屋敷にお戻りになると決断力と行動力には定評のあるハルト様がすぐに動かないわけもなく、準備を整えると借金なんてものは一日でも早く返すべきとアンディの到着を待って出発なされた。
目の前に広がる荒れた大地に一瞬息を呑んでいらしたがすぐに辺りをぐるりと見渡し、現状確認されていた。
何をするにしてもハルト様は出来る限りの情報をまず集めてから行動なされることが多い。勿論、それが許されない場合もあるのでそういう時は常に思考しながら状況に応じて臨機応変に対応なされる。御自身は所詮行き当たりばったりの行動だと仰られているが、私から見ればその時に考え得る最善、もしくは最良であると思うのだ。
常にリスクを計算し、回避する手段を模索している。
臨機応変に、拘ることなく柔軟に対応する。
敵方からすれば折角見つけたと思った穴もすぐさま動じることなく塞ぎにこられては打つ手もなくなろうというもの。
強者が油断しないとなれば弱者に勝ち目はない。
そうして翌日からハルト様とマルビス達、アンディと私と農業に詳しい護衛達の二手に分かれてそれぞれの仕事に当たる。
滞在期間は特に決めているわけではないが、年末年始くらいは休養したいと仰られていたので早く片付けたいところだ。私はアンディの案内でデキャルト領の主要な町や村、その土地の状況を観察しつつ、必要な情報を集める。まずは農業を推進する上でそも土壌に適した作物を見つけるためにその土を回収する。
環境は人の力である程度変えられるとハルト様は仰られていた。
そう口になされるということは既に何かお考えがあってのことだろう。
土壌が違えば育つ食物も違う。
まずはマルビスとテスラ達が集めている情報を元にこの土地にも適応しそうな農作物の種や苗木を手配している。持ち帰った土で発芽、生育するかどうかを確認し、ある程度の規模で展開するのが良いだろう。
私は二日間で出来るだけ多くの土地を見て回った。
そうして戻った伯爵邸で報告をするとハルト様のいつもの発作が出た。
周りが一切目に入らないほどの集中力。
ブツブツと考え込みながら呟き、その口から飛び出す言葉に目を丸くしたのは私だけではない。
そこにいた者全てだ。
ハルト様の才能は魔獣討伐に於いてだけ発揮されるものではない。
その戦略と知識は他の物事にも充分通用するのだと。
確かに詳しい情報は御存知ではないのだろう。
そんなもの、それに詳しい者を連れてくれば良いだけなのだ。
情報、技術ならば充分に補填することができる。
だがこのような発想と提案を即座に打ち出すことが出来る者がいったい何人いるだろう?
陛下はハルト様のこの才能を見込んでシュゼットとアンディを押しつけて来たのか?
だとすれば・・・
旦那様と私がもっと早くハルト様のこの才能の気がついていたなら。
違う。
私が忙しさを理由にハルト様の上お二人の兄弟ばかりの御世話をし、メイド達にハルト様の御世話を任せきりにしなければ、もっと早くグラスフィート領は経営を立て直せていたのではないのか?
そこにマルビス達が加われば領地も今以上に発展出来ていたのではないのか?
思い当たった現実に私は呆然とし、後悔する。
しかしながら過ぎたことを悔やんでももう遅い。
過去の失態はこれから誠心誠意お側に仕えることで精算する。
私は必ず今以上にお役に立ってみせる。
ハルト様の欲しい場所は私が作ってみせる。
最後まで御一緒させて下さる約束。
それが果たされるのなら私は貴方の戻る『家』になると。




