第百五話 私は天才ではないのです。
残るは二軒の高利貸し。
マルビスが厄介そうだという店を後回しに残りの四割を占める店に午前中に出向くと、昨日と同じく最初は言い掛かりでも付けてやろうと思っていたらしいが開店早々店前に着けた馬車の旗にある紋章と商会のロゴマーク、更にはそのロゴに似た私の顔を見て急に態度を一変させ、低姿勢になった。
本当に話が早い。
更に迫力の我が護衛陣に睨みを利かせれば文句も言えずに即行で応接間に通されてお茶に茶菓子まで出てきて平身低頭で借用書を出される。立場が逆だと思わないでもなかったが一応客だし、ちゃんと利子付けて返すのだからまあ良いかと細かいことは気にしないことにした。
こちらも真っ当な商売をしている者にまで灸を据えてまわるつもりはないので書類をマルビスが確認したところでルイジス達が運んで来た金貨を積み上げる。
勿論目の前で改めさせますよ?
後で中身が足りない、チョロまかされたなどの言い掛かりをつけられないようにしっかりと。
枚数が枚数なのでそれなりに時間はかかったけど。
そうしてキッチリ借用書を回収、返済済証明書を受け取り、最後の一軒向かう。
ここが終わればめでたく終了となるわけなのだが。
しかし、そう簡単にコトが運べば誰も苦労はしない。
一番厄介なそこに到着した時、明らかに他の四軒と態度が違っていた。
私は良くも悪くも有名人だ。
昨日も町でも見物人の山が出来ていた。
噂がすぐに伝わらないようにと他領の遠い所から片付けていたので情報が回ってくるのが遅れたのだろう。使用人達には屋敷を留守にする理由を伝えずにおいたから昨日の屋敷に来た連中はおそらく金策に走っているとでも思ったのかもしれない。客人が来ていることは伝えられていたがそれが私達であることは口止めされていた。だがアンディが婚約者と共にロイ達に領地内を案内して回っていたこともあって視察に来た客人を案内していると勘違いしていたようだ。
図らずも二手に分かれていたことが功を奏していたわけだが、今日の午前中に支払い終えた時点で金貸しあたりからどうやら話が回ったらしい。
ハルウェルト商会がデキャルト領の借金を返済して回っていると。
それで万全待ち構えて待っていたと、こういうわけだ。
そこで荒事に慣れていらっしゃらない方々を馬車の中に残し、まずは私達だけで対応することにした。
私達を出迎えてくれたズラリと並ぶ非常にガタイのイイ方々御面相は間違いなく悪人ヅラ。
人数的にはウチの倍以上いるのだが馬車の後ろに付いていたニヤリと笑ったガイの余裕のある顔を見て取るに実力的には我が護衛陣より遥かに劣るのだろう。
こういうことは集めた戦力がものをいう。
それは当然だが数のことではない。
実力で大幅上回る私達をこの程度の力量の者達の数で押し切ろうとするならこの倍以上の三倍は欲しい。
まあそれでも時間稼ぎくらいにしかならないだろうけど。
多分この程度ならイシュカ達なら三人で、もしくはイシュカ達を除いた五人だけで圧倒できるだろう。
それなりに腕に覚えがあれば強者は佇まいとオーラが違うので戦うまでもなくわかるという。生憎私はそこまでよくわからないのだが、これだけの数の強面に囲まれたところで無駄に無意味に殺気を垂れ流している連中を怖いなどとはこれっぽっちも思わない時点でその程度は知れている。
真の強者というものは無闇に威嚇などしないもの。
能ある鷹というものは爪を隠すものですよ?
三流の雑魚にビビるほど私はヤワな神経をしていない。
そこそこにいた見物人も物騒な雰囲気に逃げ出して今は通りに人影も見えない。
まさに好都合。
魔物や魔獣もそうなのだが、数が多いと気が大きくなる傾向がある。
勝てない相手に集団なら勝てると錯覚して突っ込んでくるのだ。
雑魚を寄せ集めたとしても所詮雑魚。
油断さえしなければどうということもない。
つまりレベルの低い魔獣達と大差ないわけだ。
この戦力差に気付けないマヌケだからこそ二流以下の三流。
「申し訳ありませんが、貴方がたの後ろにある店舗でデキャルト伯のお借りしていたものをお返しに参りました。ですので道を空けては頂けないでしょうか?」
マルビスもここ数年でかなり肝が据わってきたと言っていた。
この程度で怯むこともない。
マルビスと私が立つ後ろにイシュカとガイが並ぶと肩を竦めて溜め息を吐き、マルビスは再び口を開く。
「このようなガラの悪い方々を雇っている時点で店の格というものが知れるというものです。余計な御世話かと存じますが、もう少し経営の仕方をお考えになった方がよろしいかと思うのですがね」
マルビスのあからさまな皮肉に男達の背後から中肉中背の、ギンギラキンキラと品のない宝石宝飾品を山程つけた男が顔を出す。
うわあっ、カモがネギ背負って歩いてる。
一人で道を歩いていたら間違いなく数刻も待たずに後ろから殴られて強盗に遭うだろうなあ。
アレが伯爵家に婿入りを狙っていたとかいう店主か。
歳の頃は三十半ばといったところ。
そんなに早死にしたいのだろうかと私は呆れて目を細める。
「うるさい、ウルサイ、五月蝿いっ!
この数を見てよくもそんな悠長なことを言っていられるなっ」
「数だけ集めたところで役に立たないのであれば、貴方の身につけている品のない宝飾品と一緒。怖れるまでもありません」
煽ってるなあ、マルビス。
まあ言ってることに間違いないんだけど。
「ガジェット。すみませんが馬車の中に居られる方々を怖がらせたくありませんのでルイジスとキエルを連れて少し馬車を移動させて頂けますか?」
「了解っ、その辺一周して戻ってきます」
「短くて結構ですよ、すぐにカタが付くと思いますから。
そうしたら仕事をサッサと終わらせて帰りましょう」
その意見には賛成なんだけどね?
目の前の方々が更に殺気立ってきましたよ?
余裕をカマして減らした護衛に店主の気が大きくなる。
「カタづけられるのはどっちだろうな?
自ら護衛を減らすとはお前、馬鹿だろう?」
「この程度の方々は恐怖を感じるほどではありません。
私の日常はもっと刺激的ですからね」
・・・・・。
マルビス?
それはどういう意味でしょう?
心当たりがないこともないのだけれど、この場はとりあえず聞き流しておこう。
呑気にツッコミを入れているような場面でもないし。
愉快でたまらないと言った顔でガイがマルビスの横に立つ私に近付いてくると耳元で囁いた。
「御主人様、例のアレ試してみろよ」
例のアレというと、アレですか?
最近ガイとの特訓でそれなりにできるようになってきたアレのことですか?
「出力50パーセントで頼むぜ? 全力は出すなよ?
家に閉じ籠もって様子を伺っているヤツらがぶっ倒れかねない」
流石にそれは大袈裟な気がしないでもない。
だがここにいる面々は団長や連隊長のソレを知っている。
その程度ではビクともしないだろうけど。
私はチラリとマルビスを見る。
「私も大丈夫ですよ。貴方のものだとわかっていればどうということもありません。全力開放でも平気ですよ? 慣れましたから。
それにそれで目の前のゴミを片付けられるなら悪くないと思いますよ?」
マルビスの言うゴミとは目の前にいるチンピラみたいな方々のことでしょうか?
人間顔の作りで判断するのは・・・と、言いたいところだけど、間違いなく歩き方や仕草、格好、卑下た笑い方や凶暴な目付きまで、その感じが漂っている。
私は小さく溜め息を吐いて頷く。
「わかった。やってみる」
そうこなくっちゃとばかりにニヤリと笑ったガイの顔は悪戯っ子みたいだ。
嫌な予感を感じたらしい店主が喚き散らす。
「やってみるとはなんだっ、暴力で解決しようとでも言うつもりかっ」
それはそっちの方でしょう?
こちらは返すもの返して平和的に、穏便に話し合いで解決しようとしているのに。
胡乱げな目で彼等を見ているとガイが再度耳打ちする。
「御主人様、70パーセントで行けや」
ガイ、50パーセントでもヤバイって言ってなかった?
「いいの?」
「みんな家ん中に引きこもってるからな。悪くても尻餅つく程度だろ」
いやそれはマズくないか?
若人達なら構わないだろうけど、それってお年寄りに優しくないよね?
しかしながらガイもマルビスもすっかりノリノリだし、残ったライオネルとベイリック、ダイナーも面白そうに笑ってる。一応私の総魔力量、内緒になっているはずなんだけど例のベラスミの一件以来、みんなにはバレてるような気がするんだよなあ。
勿論正確な量はバレてないだろうけど魔力量の相乗効果ってヤツだ。
非常事態とはいえバリバリと思いっきり水を凍らせちゃったからなあ。
何も言わずに黙秘してくれてるのはありがたいけど。
ガイの手がポンッと肩に置かれた。
「大丈夫だ、実害はない。そこそこ距離もある。
だが間近なら・・・どうだろうな?」
つまり間近でなければ大丈夫だと?
それ、本当でしょうね?
だが確かにこんな御面相の方々が彷徨いているよりマシか。
私は少しだけ目を伏せて集中する。
ガイ達と違ってまだ慣れていないので即ってわけにはいかないのが難点ではあるのだけど、私の例の病気とも言われる癖を考えるなら丁度良いと言われてる。ウッカリとソレを無意識に垂れ流される方が迷惑だと。
準備が整ったところでゆっくり目を開けると同時に私の周囲の空気を揺らし、吹き出したソレは所謂殺気だ。
殺気というものは戦闘力や経験値によっても違うのだが、私のソレは持っている魔力量が滲み出たものだ。常人を遥かに超えた魔力量は濃密で重く、他者を威圧する。
それは強者の証と言われるものだ。
まあ私の場合はただのハリボテ、コケオドシなわけだけど。
だがそれを知らない者なら効果はテキメンだ。
眼前にいた強面の方々と店主は一瞬で腰を抜かし、その場で膝を付く。
顔面蒼白でガタブルと震え、かろうじて動けたガラの悪い方々は守るべき店主を置いて散り散りに、這々の体で無様な格好を晒して逃げ出した。
哀れ店舗前に置き去りにされた店主はすっかり萎縮して動けない。
「ああ、綺麗に片付きましたね。流石はハルト様、素晴らしいお仕事です」
マルビスは首を巡らせて男達の姿が見えなくなったのを確認するとそう一言言った。
それは褒められているのか?
すごく微妙だ。
「これなら話は早く済みそうですね。
丁度ガジェット達も戻って来たようですし」
遠くから聞こえてきた馬車の音に耳を傾け、マルビスは店舗前に視線を戻す。
店主の顔色は蒼白、白目剥いたまま、ぴくりともまだ動かない。
心臓発作、起こしてないよね?
殺気だけで人殺しってのはちょっと御遠慮したいのだけれど。
ジッと私が様子を見ているとヒイィィと言ってバタバタと手足を動かして店内に這って逃げ込もうとした。
ああ良かった、生きてた。
その様子を顔色も変えず見下ろし、マルビスがテキパキと指示を出す。
「ライオネル、申し訳ありませんがこちらの方を中にお連れして差し上げて頂けますか? どうやらマトモに歩けないようですから」
「わかった」
「ベイリックとダイナーは馬車が到着したら荷を降ろして頂けますか?」
「承知しました」
ライオネルが店主を担ぎ上げ、店の扉を潜るとカウンターの向こうには背後の壁に張り付いたままの事務員と思わしき人が一人いて、私達の姿を見てとるとぎこちなく動き出し、頭を小さく下げた。
「良かった、中にいらした方はどうにか動けるようですね。
では完済に必要な書類を揃えて頂けますか? デキャルト伯がお借りしていた金額は本日付で全て当方で返済致します」
そう言ってにっこり笑ったマルビスの顔は間違いなく楽しそうだった。
無事に、というには些か語弊があるような気がしないでもないが、とりあえずは分散していたデキャルト領の借金はウチに一本化された。
これは頑張って家族で稼いで返してもらうとして。
「それでそちらの方は如何でしたか?」
先に戻ってきてサンルームで一休み、お茶を頂いていると今日はロイ達の方が遅く帰って来た。
「問題となっている主要な土地は一通り見て回り、土壌の質なども旦那様や他の農業関係者にも確認して試験したいので何箇所かめぼしい場所の検討をつけ、袋詰めして回収して来ました。用意して頂いた地図に得られた情報は書き込んでいます。
やはりハルト様の最初の見立てに相違ないのではないかと」
「過放牧による土地の砂漠、荒地化、ですか。厄介ですね。
ではそちらは持ち帰って検討しましょう」
マルビスとロイの話から察するに例の私が提案したデキャルト領の緑地化計画の一環らしい。
私は農作物に関してはほぼ素人だ。
前世の野菜や果物がここに生育している植物に近いから家庭料理程度なら調理法はそこそこわかっても、その生産方法や向いた土壌などを知っているわけではない。せいぜい寒冷地ではコレが作られていて、温暖な地方にはこんなものがあったハズ、程度である。その植物に向いた土壌や環境などは無知に近い。とりあえずは今、動植物関係の図鑑や農業関係の本をマルビスに手配してもらっている。
支援を決めたからにはまずは基礎知識も必要だ。
私に専門的なことは無理だと思うので、出来ることといえば小賢しい知恵を絞り出すことくらい。見ていれば役に立ちそうな知識も思いつき、思い出すかもしれない。
植物が育つのにも時間がかかる。
草が生えてもそれを放牧でヤギや羊、牛に食べさせられてしまっては元の木阿弥、キリがない。それで生計を立てていた人達に畜産業だけでなく牧草を育てるために農業もやれと言ったとして、果たして馴れないそれをやってくれるだろうかという疑問もある。結果が分かりやすく出るといいのだけれど。
売りに出せる資源がないとなれば、やはり手っ取り早いのは農業。
グラスフィート領のように他領に出荷できるほどのものはすぐに育てられないとしても育てた人達の腹を満たすことができるだけでも生活水準が変わってくる。それ以外の物に使えるお金が増えるからだ。
そうなってくるとまず必要なのは灌漑設備。
井戸、貯水池、水路・・・はすぐに舞う土で埋もれるって言っていたっけ。水道設備も夏場には取水制限されることもあると聞いている。となれば農業を推し進めていくにはやはり水の確保は急務。来る途中で見た高い山の山頂には万年雪も積もっていたのであそこから水を引っ張ってこられればそれが解消されそうだ。山からなら傾斜を利用すればその麓に水を届けるのも難しくないはず。聞いた話では雨が降らないわけではないということを考えれば染み込んだ水が地下に流れていないということはないだろう。
だとすればとりあえず必要なのは貯水池、溜池か。
冬から春にかけての水が豊富な時期に確保して利用する。
水路もすぐには無理かもしれないが埋もれてしまうというなら蓋付きの溝掘、もしくはパイプを地中に埋めて中を通せば遠くまで行き渡らせることも可能なはず。それを幾つか作った貯水池に繋げてそこに補給すれば乾燥した大地も湿って周辺だけでも砂漠のオアシスのように緑が増えて来ないだろうか?
でもそうなると水を各地域に行き渡らせるパイプもたくさん必要だし、折角生えた緑を家畜が食べてしまわないように周囲をある程度囲って管理する必要もあるだろう。
貯水池の中に家畜の糞尿が混じれば衛生上もよろしくないし、何かの時に病気が蔓延する可能性も捨てきれない。生活用水として利用もしにくくなる。でも生活用水として利用するなら水を濾過するための設備も必要だろう。そうして水が簡単に手に入れられる場所があればそこに定住して牧畜業をしようと考える者も出てくるかもしれない。農業用水が手に入れやすくなれば作物も育てやすくなる。
ブツブツと呟きながらなかなか纏まらない考えを整理する。
こういうのは一朝一夕じゃ改善も無理か。
そう思ったところでハタと我に返る。
・・・・・。
マ、マズイッ。
視線が突き刺さって非常に痛い。
ロイとマルビス、特にデキャルト伯爵の視線が怖い。
つい、ウッカリといつもの発作が・・・
何故私は夢中になって考え込むとこういう事態に陥るのか。
私はあくまでも凡人だ。
そんな難しいことを言っているつもりはない。
つもりは決してないのだが、私の頭の中にある、前世の過去の賢人達が何年も掛けて築いてきた、便利で行き届いた生活の術が詰まっているわけで、実際のところどこまでが画期的で、どこまでが一般的なのかイマイチ把握しきれていないのが現状なのだ。
私が知っているのはごく限られた地域だけ。
いや、所詮、それも言い訳か。
恵まれた生活というものは一度浸かってしまうと忘れられない。
だからこそ私は前世の知識をフルに使って生活を豊かにしようとしてきた結果が今の現状なわけで。
要するに私の異世界転生時点でのチートは言語読解能力だけなのだが、結局、この知識こそが一番のチートなのだと、
こんな時、つくづく実感するのだった。