第百四話 質素倹約上等です。
翌日、使用人を残し、アンディの妹君とシュゼットの奥様はベルデンと一緒に私達の馬車に、アンディの婚約者はアンディの馬に乗せ、それぞれの仕事を片付けるために出発した。
イシュカとガイ、ライオネルを連れて行く代わりに連れてきたそれ以外の護衛十五人は十人をロイの方に割り振ってこちらに五人同行させることにして御婦人方々には馬車から出ないようにとお願いする。
並走する馬は全部で四頭、イシュカとライオネル、ガイと私だ。護衛五人には御者台と後部荷台に分かれて乗ってもらう。
多過ぎる馬の数は周囲にも威嚇になりかねないからだ。
まずは問題がありそうなところを先に片付けた方が良いのではと提案するとマルビスは首を横に振った。
「どうして?」
何故かと問うとマルビスが小さく笑って教えてくれる。
「時間稼ぎで足止めされ、他店の債権を先回りして買われたら面倒だからですよ。真っ当なところであれば話も早く済みますから」
成程、流石はマルビス。私はまだまだ甘いというわけだ。
そういうわけで問題がありそうな二件を後回しに三件ある金貸しを距離が遠いところから精算して回る。ここの領地だけではなく他領のところもあったので馬車での移動はそれなりにあった。御婦人方々には不便をお掛けするがベルデンと一緒で安心なされているようで、一緒に乗ったマルビスに色々と馬車の中で経営に付いて聞いていたらしい。
私はイシュカとライオネルに挟まれてノトスに乗っていたのだが田舎町とはいえ相当に目立った。ここの領地で獣馬、しかも異形の馬に乗っている人間は初らしくノトスとガイアはかなり目を引いたが、ここでもグラスフィート家の家紋の旗と泥障は非常に役に立ち、見物人は多かったものの遠巻きに眺めるだけで近付いては来ない。
なんでここでもグラスフィート家紋が知られているのか疑問だったのだが、この領地に食料を納品、買取のために出入りしているハルウェルト商会の馬車が差している旗で覚えているそうだ。
そういえばそうでしたね。
商会馬車にはグラスフィート家紋と商会のトレンドマーク、私の似顔絵の旗がはためいている。
最初は恥ずかしいからやめてくれとお願いしたのだが、ウチだと非常にわかりやすく強力な盗賊避けになるからと説得され、不承不承許可したのだ。
私の恥よりみんなが安全な方が良いに決まってる。
ウチは国内最大手。
今や農作物の仕入れ、運搬もしている。
そこで私のあの盛りに盛られた噂が出回っているとなれば、そりゃあ興味だってわくよね?
私自身が行き来している領地は王都、レイオット領、ステラート領、ベラスミ領だけで、後は殆どない。せいぜい通り過ぎるか、ちょっとお邪魔しました程度の観光ならもう二、三ヶ所あるけれど知っていると言えるほどのものではない。
そういうわけで普通であれば滅多に拝めないハズの、御利益があると噂の私の『御尊顔』というヤツを見物に来た、と、まあこういうことらしい。
最近では諦めの境地に達しつつある。
私の顔など見て何が楽しいんだろうか?
御利益ありきの噂からすれば一見の価値ありなのか?
そこそこみられるとは思うけどウチのイケメン陣営達の顔の方が絶対観賞に値すると思うのだが。
それともいっそしっかり実物見て頂いてガッカリされれば広まっている盛られた噂も少しは下火になるだろうか。そんなどうでもいいことを考えつつ、午前に一件、午後に二件、無事に返済を終えて三分の一ほどの借金は片付いた。動くのも大変そうな脂肪太りでミーハー根性丸出しな金貸しの、脂ぎった手で握手を求められた時は内心引き攣っていたけどね。もう二度とは会わないであろう相手、そのくらいはたいしたことでもない。それでスムーズに話が進むなら安いものだ。しっかと後で手洗いはさせて頂きましたけどもね。
ドッと疲れて陽が暮れてから屋敷に戻るとロイ達が既に戻っていた。
出迎えてくれたロイ達の話では、例の高利貸しが月末支払いの確認と言って返済は大丈夫かと昼間に訪ねて来たらしい。使用人達が家人は全て留守にしているとお引き取り願ったそうだ。
どうやら御婦人達を一緒に連れて行ったのは正解だったらしい。
アンディの婚約者はすごく綺麗な人だったし妹君も確かにとても可愛かったのでウチの護衛達も鼻の下を伸ばしていたくらいだから返済滞るなら借金のカタに他所に取られる前に早く連れて行こうとでも思っていたのかな?
返せないと言われたならまだしも返済期限までまだ日もあるでしょう?
約束守って返済しろというのなら期限くらい待ちなさいよっ!
明日にはしっかり耳を揃えて返却してあげるから。
例の借金を肩代わりすると言っていたという貴族も狙っているって話だし焦ったのかもしれないが、とにかく明日も連れて行くこと決定だ。留守中に連れ去られてはたまらない。
「だがそういうヤツらがそれで諦めるか?」
ポツリと漏らしたガイの言葉に一瞬その場の空気が凍りつく。
「金を返したところでそういう輩は攫ってしまえば後はどうとでもなると思うんじゃねえの?」
「婿入りを狙っているという商人はまだしも貴族の方はわかりませんよ」
続いたガイの台詞にイシュカが同意する。
言われてみれば確かにその可能性もなくはない。
性根の腐ったヤツがどういう手段に出てくるかなんてわからない。
「アンディ、どうする?」
私達がどう心配したところで決めるのは当事者達だ。
家族と一緒とはいえ、女性達は出稼ぎにウチに出稼ぎに来る状態だ。下位貴族の子息子女は上位貴族の屋敷に奉公などに働きに出ることもあるけれどアンディの家は伯爵家。普通であれば婚約者がいれば花嫁修行として嫁入り先の家に入ることもある。アンディの婚約者がデキャルト家にいたように妹君も普通であればそうなるわけなのだが婚約者であった伯爵からは膨大な借金を理由に婚約破棄されたそうだ。女性の地位がまだ低いこの世界では、そういう女性は出戻りのバツイチ扱いと同等になってしまう。そうなると正妻としての良い条件の家には嫁入りも難しい。側室としてでも限られてくる。家柄、体裁を重んじる貴族社会ではなかなか難しいそうだ。
本当に馬鹿らしい話である。
女性の価値がその程度で下がるはずもないだろう?
まあウチには甲斐性持ちのイイ男が揃ってる。
男の比率が高いウチなら選び放題、望まぬところに嫁ぐ必要はない。
存分に品定めして気に入っていただけたなら彼等に嫁入りしてくれても全然構わない。
だが、それもウチに来てからという話。
予定ではシュゼットとアンディと一緒にというつもりだったわけで。
「私達は明日中に片付けば明後日には屋敷に帰るつもりでいるけど、ここは警備は万全?」
昨日、今日で見ていたところ、財政難とあって警備兵の数も少ないようだし、ベルデンは筋肉マッチョには見えない。脱いだらスゴイんですタイプなら別だけど。
尋ねた私にアンディが口籠もる。
「ですが予定では・・・」
「アンディがそれでいいなら構わないけどね。心配なら明後日一緒に連れて戻っても良いよ? すぐには用意出来ないからとりあえず女子寮になるかもしれないけど。あそこなら男子禁制でウチの警備もいるし、少なくともここよりは安全だと思うよ?」
ウチなら私有地への出入りもそれなりに厳しいし、守備良く入り込めたとしても無断で連れ出すのは更に難しい。
安全と聞いて反応したのはアンディではなく女性陣だった。
「・・・よろしいんですか?」
私の顔を見てオズオズと尋ねて来たのはアンディの婚約者。
「乗りかかった船だもの。道中もアンディと私達が一緒ならそう問題もないでしょう? 好きにしていいよ。ロイ、部屋は空いてるよね?」
「女子寮でしたら」
すぐに返ってきた返事に女性達はホッと息を吐く。
その表情にやはり不安はあったんだろうなと察する。
それを見てマルビスが提案する。
「そうなればお話次第ですぐに働き始めて頂いても結構ですよ? 女性の仕事ならたくさんありますからお好きに選んでもらっても構いませんし、アンディ達が来るまで不安だから待つというのであれば寮費さえ払って頂ければ問題ないかと」
寮費という言葉に彼女達は少しビクリと反応する。
そりゃそうか。借金もあるわけだしね、その辺りは気になるところだろう。
「寮費というのは如何程ですか?」
確認してきたのはシュゼットの奥様だ。
「食費込みでお一人一部屋金貨一枚ですよ?」
返ってきたマルビスの答に夫人は目を丸くする。
「食事込みで、ですか? 随分とお安いのですね」
「ウチはハルト様のお父上のグラスフィート伯爵に許可を得て農家と直接取引して食材も手配していますからね。その分旦那様にはウチから税を納めているわけですが。商品というものは運送料というものが結構大きな割合を占めるものですよ。それを農家からウチに直接納品して頂くか、もしくは回収して回ることで経費削減しています。ウチの食堂は味も良いと評判ですし、サラダとパン、日替わりのスープはおかわり自由なので食べ盛りの方や肉体労働の方達には好評ですよ」
その言葉に女性達の喉がゴクリと鳴った。
はしたないと思っているのだろう、態度にこそ出さなかったけど。日々の食費もそれなりに削られていたのかもしれない。肌艶をみても荒れているとはいかないまでも血色が良いとは言えなかった。
迷ったのはほんの少しだけ。
早く働き始めればその分借金返済も早くなるという考えもあったのだろう。彼女達の決断は早く、顔を見合わせると揃って大きく頷いた。
「働かせて下さい。私達に出来ることがあるのでしたら是非」
「アンディはそれで構わない?」
「彼女達がそれで良いというのなら反対する理由はありません」
うん、やっぱり安全で安心して仕事ができるならその方がいいよね。
「じゃあ決まり。馬車にも荷物が減った分だけ載せられるよ。小分けにしてもらえば警備のルイジス達の馬にも多少詰める。女性は荷物が多いものだからね。急ぎでないものなら後はシュゼットとアンディに持って来て貰えばいいよ」
それなりの荷物も持っていけるとなって女性達は殊更喜んだ。
「ありがとうございます。お世話になります」
揃って頭を下げる彼女達に尋ねる。
「荷造りが大変かもしれないけど大丈夫かな?」
「大丈夫です。今からすぐ支度に掛かります」
そう言ってもう一度頭を下げると彼女達は失礼しますと言って部屋に向かった。
「貴方は相変わらず女性に甘いですね」
マルビスが苦笑して私に言う。
当然。女性は大事に優しく扱って然るべきだ。
しかし、だからといって、
「誰にでもじゃないよ。私は身勝手な自己主張の激しい女性は苦手だもの。仕事での妥協を嫌ってのそれなら全然構わないけど自分の都合を一方的に押し付けてくるような人はちょっと、ね」
おねだりも相手の経済状況見て無理させない範囲で気遣える人なら全然OKだけど、だからといって際限なしってのも困る。殆ど口も聞いたことがない相手ならどんな美男美女にもプレゼントしようなんて思わないし、その状況でプレゼントしてくれと言われたらなんで私がって間違いなくひくと思う。だって見知らぬ他人にそんなお金を使うなら私は自分の大切な人のために使いたい。
ロイやイシュカ達に使うお金を実際惜しいと思ったことないし、彼等はそもそも私に強請ったことはない。
「限度を超えなければそれも可愛いんですけどね」
そう言ったのはライオネル。
そういえば以前に独占欲が強くていつも失敗するって話、聞いたような記憶がある。
「だよなあ。俺らもそれなりに稼ぎもあるけど、貴族のお嬢様に贅沢させるほどは厳しいよな」
ジェネラが笑ってそれに同意する。
そうか、普通の男は自分の甲斐性内の範囲なら嬉しいものなのか。
私にはよくわからない。
仮にロイとかに何かが欲しいと強請られて私は嬉しいだろうかと考えたが想像つかない。身近で私に強請ってきそうなのはサキアス叔父さんくらいか。だが叔父さんにあの魔物の素材が欲しい、これが実験に必要なんだと力説されて強請られても、一体何に使うつもりだと怪しむだけで嬉しいなんて絶対思えない。
今度はどんな騒ぎを起こすつもりだと文句を言いそうだ。
後は母様や姉様くらいだろう。だけど新商品を前に目の色変えてアレも寄越せ、コレもくれと鬼の形相で言われても『いい加減にしろ、それは売り物だ』と思うだけで可愛いとはとてもじゃないが思えない。
父様の前だと淑やかなのにあの違いはエゲツないと思う。
だけど結局、ああいうものは相手次第。
アンディはライオネルやルイジス達の会話を聞いていて苦笑する。
「貴族と言ってもウチのような貧乏貴族ならそうでもないさ」
そうそう、そういうこと。
貴族がみんな贅沢な暮らしをしていると思うのは大間違い。
実際三年前まではグラスフィート領も余裕がなくて母様達も父様に新しいドレスが欲しいとは自分から口にはしなかったのだから。
それを思うと母様も可愛い女性なのだと思う。
私には全然可愛くないけどね。
「要は女性次第だよ。身の丈に合わない贅沢な暮らしを望むような人でなければ大丈夫ってこと。グラスフィート家だって三年前までは私も兄様のお古ばっかり着てたんだから。
初めて自分のを仕立ててもらったのは六歳の誕生日に着た服だもの」
「それが今や金貨二万枚をポンッと貸せるほどの財力ですか」
そうだよね、それが恐ろしいところなんだよ。
最近では月初にマルビスが金貨の入った箱を複数抱えて書斎に持ってきても驚かなくなった。以前は凄いって騒いでいたのに感覚が麻痺してきてる。
これは非常にマズイとは思うのだ。
ロイが微笑んでアンディに言葉を返す。
「ハルト様の場合、陛下の褒賞があって、商業登録も複数持っているからこそですよ」
「貴族も経営が上手く行っていないところであれば、むしろ王都の大店の平民の方が裕福なくらいでしょう。鉱山を持っていたり、領地に有名な特産品でもあれば別ですが、まともな経営をしていれば副業がない限り領地の税収だけでは食べていくのが精一杯ですよ。領民に重税を課せば領主は潤っても領民は貧困化しますからね」
「確かに羽振のいい貴族のところは平民の生活が苦しいとこも多いよな」
マルビスの言葉にキエルが呟くとガイが私を見てクククッと笑う。
「ウチは金があっても御主人様は普段は平民とたいして変わらん格好してるしな」
「そうそう。下手すりゃ俺らの方が良い服着てる時あるし。
なのにケチじゃない。気前は良いってのがまた妙なんだよな」
ランスの軽口に言いたい放題いってくれているウチの獣馬乗りの面々が笑う。
まあ事実そうではあるのだけれど。
「別にいいでしょ。動きやすくて気に入ってるんだから」
高い服より気に入った服の方が私にとって価値があるだけ。
高価な服でもお気に入りでよく着る服もあるんだから好みの問題なんだから。
私がブスッと膨れてそう言うとマルビスが澄ました顔で言う。
「ええ、勿論構いませんとも。
お陰で貴方の着ている服が飛ぶように売れているのですから」
再び起こったみんなの爆笑に私は複雑な気分になった。
そんなに私、貧乏臭いかな?
染みついた性分はそうそう治らないということだろうか?
いやいや、無駄遣いしてる時もあるよ?
本とか、珍しい食材とか、側近のみんなの服とか。
そう言いかけて、それらの多くはマルビスが経費として計上しているのを思い出し、私は何も言えなくなった。
別にいいでしょっ!
質素倹約、上等じゃない?