第二十一話 当初の目的、忘れてました。
テスラと約束を交わし、仕立て屋と同じ状態になっていた商業ギルドでは、階段を降りてきた私達に気が付いた本日の護衛七人がすぐに対応してくれた。
一人は馬車を近くまでつけ、残りの六人は馬車までの道を作る。
本当に今日はずっとこの調子なんだろうか?
気分が滅入りそうだ。
喜んで、感謝してくれているのは解っているがこれは大袈裟すぎやしないか?
乗り込んだ馬車が次に向かう場所は冒険者ギルド。
時間が時間だし、仕事を探している冒険者達はすでに出ている時間帯だ。用事も新しく発行されたという冒険者登録カードを受け取るだけだ、そんなに手間はかかるまい。また大騒ぎになるのも困るので一度ギルドから離れたところに馬車を止め、ダルメシアに頼んで裏口から入れないか聞いてみることにした。
近くの林の中に馬車を止めると一番足の速いナバルがギルドに向かい、了承をもらったところで馬車はピッタリ表通りから見えない裏口につけた。
コン、コココココン、と独特のリズムでナバルが扉を叩く。
それが合図だったらしく、キイッと音がしてダルメシアが扉を開け、姿を現した。
外に出ようとすると、それを軽く手で制され、窓を開ける。
「よう、久しぶりだな、ハルト」
「久しぶりだね、ダルメシア。何、この熱狂ぶり。まるでお祭りみたいだよ」
行く先々で人に囲まれ、最早崇め奉られそうな勢いだ。
遠くに見えた老婦人でこちらを拝んでいるのも見かけた。
こうなってくると気分は新興宗教の教祖様だ。
「そりゃあお祭りみたいなもんだろ、ワイバーンの脅威が無くなったんだからな。
グラスフィート領の英雄だって? すごい出世じゃないか」
ニヤニヤと愉快そうな顔でダルメシアが言った。
「からかうのは止めてよ、ガラじゃないし。みんながいなきゃ成功しなかったんだから私だけ持ち上げられるのはどう考えてもオカシイでしょ?」
「だがお前の指揮がなければ全滅しててもおかしくなかった、それが事実だ」
この世界ではあまり戦術というものは重要視されていない傾向がある。
多分、魔法というものが存在している影響もあるのだと思う。
魔力量が多い魔術師が一人いるだけで戦況は大きく変わる。
上級魔術一発で戦局は一変してしまう状況では優秀な魔術師をより多く集める事ができたほうが圧倒的に優位で早くて簡単なのだ。
それ故、魔法ありきで戦略は立てられる。おまけに貴族というものは派手好きが多い。大魔法や剣技で敵将を打ち倒し、その首を抱え上げた方が自分の手柄も主張しやすいこともあるだろう。
私のようにあくまでも魔法は補助的に使い、チマチマと罠を仕掛けて少ない戦力で待ち構えるような回りくどい方法は誰の手柄か解りにくい。その上、上手くいけば効果は絶大だが躱されたり、情報が漏れたりすればそれで終わり。今回はたまたま上手くハマっただけ、動物というものは学習するので次も同じ手が通じるとは限らない。
期待されても困るのだ。
私は大きくため息をついた。
「もう二度とゴメンだ、身体が震えて逃げ出しそうだったよ。必死で抑えてたけど」
「それでもお前は逃げなかったじゃないか」
「逃げられるわけないよ、ダルメシアならわかるんじゃない?
あの状況で先頭に立って戦わなきゃいけない時の気持ち」
怖くて、恐ろしくて、でも逃げられない。
逃げるわけにはいかなかった。
私の後ろにはグラスフィート領に住む、何千という領民がいた。
逃げたところで待つのは逃げ出した事への罪悪感と悪夢だ。
それは死ぬまで追いかけてくるだろう。
私はそんなのはゴメンだ。
「まあ、な。あれは胃が痛くなるなんてもんじゃないな」
「重かったよ、凄く」
「実際、お前はよくやったよ」
項垂れた私の頭の上にぽんっとダルメシアの大きな手が乗せられ、顔を上げた。
「と、いうわけで、この度めでたくS級昇格の許可が降りた。ホラッ」
ほいっと投げて寄越されたのは金色に輝く冒険者のギルドカード。
遠目でもそれとわかるほど存在感を主張しているそれは身分証明書としても使えるのだが人前では絶対出したくない。
「げっ」
「そのげっていうのはなんだ? もっと喜べって。
ワイバーン九匹相手に圧勝できる奴がA級程度であるわけがないだろうってことで特別認可が降りたぞ。たいした出世じゃないか」
「これ以上目立ちたくないよ」
「それはもう諦めろ、その代わりこれを名目に他領に行くような縁談はお前が望まない限りは断れるぞ。よかったじゃないか」
ダルメシアに言われてハッとなる。
「そうか、そうだった。
ここのところ色々とありすぎて当初の目的をすっかり忘れてたよ」
「なかなか大変そうだな」
いつか『両想いの恋人』を手に入れるために頑張っていたんだっけ。
この際、いっそ派手にリゾート計画成功させてそのトップに納まり、私好みの美男美女を集めてハーレムでも作ってみようか。
ここでは重婚許されてるし、甲斐性があれば特に問題は・・・あるな。
そんな器用な性格をしていればこんな望みを抱きはしない。
前世で一人の恋人すら作れなかった三十路女にはどう考えても無理がある。
二兎追うものは一兎も得ず、だ。
予定も大幅に狂ってきていることだし、もうそれ以外は諦めるとしよう。
「まあ、ここまできたらやるしかないし、やると決めたからには失敗するわけにもいかないからね。頑張ることにするよ」
「お前はそういうとこが男前だよな」
「褒められてるようには聞こえないよ、それ」
前世でもよくそう言われたっけ。
女なのに男前、いや、今は男なのだからこれは褒められてるいると喜ぶべきか。
「まあ気をつけて行ってこいよ。道中気をつけるに越したことはないが今回はお前んとこの家紋、思いっきり主張しながら向かった方が多分安全だぞ」
何故ゆえそうなる? 普通は逆でしょう?
盗賊や夜盗というものは貴族や金持ちの商人を狙うと相場が決まっているのでは?
「今回の件は近隣の領地にまで広まっているらしいからな、ワイバーン九匹を倒した猛者にわざわざケンカをふっかけるような馬鹿はいないってことだ」
それって喜ぶべきなのか。
いや、面倒事に巻き込まれる可能性が減るということは悪い事ではない。
「なるほど、いい事を聞きました。旦那様に進言しておきます」
マルビスはそう答えると前方に目を走らせる。
マズイ、前と後ろに人が集まり出している。
人混みの中の一人と目が合って思わずビクリッとなる。
いけない。つい、長居をしてしまった。
「ホラッ、そろそろ気がつかれ始めたようだからサッサと行け。
まだ用事もあるんだろ?」
ダルメシアに急かされて慌てて窓を閉める。
「落ち着いたら今度はゆっくり遊びに来い」
「またね、ダルメシア」
私が軽く手を振ってカーテンを閉めるとゆっくり馬車は走り出した。
なんでこんなにコソコソとしなきゃならないのか。
別に悪い事をしているわけではないのに、理不尽だ。
歓迎してくれているのも、感謝してくれているのも解ってる。
だけどあんなにギュウギュウと押し潰されると正直キツイのだ。
相手は領民、魔法で弾き飛ばすわけにもいかない。
私の身体はあまり体格のいい方ではない。
もう少し考えて欲しいと思うのは贅沢だろうか?
今日中に片付けないといけない用事だってある。
時間がある時ならまだいい、出来ればこちらの都合もわかって欲しい。
私は小さくため息をつく。
「ゴメンね、マルビス。私、留守番してた方が良かったかなあ」
軽い気持ちで付いて来たけど、どう考えてもこの状況は迷惑をかけてるとしか思えない。
するとマルビスは微笑ってそれを否定した。
「そんなことありませんよ。
貴方が一緒にいらした御陰で仕立て屋では話は早く纏まり、商業ギルドではテスラという優秀な人材が思いもかけずに手に入った。
それに、よほど無茶なものでない限り、今この町で貴方のお願いを断る人間はおりませんよ。貴方に居て頂けると商談しやすくて助かります」
私は目を丸くした。
なるほど、そういう捉え方もあるのか。
「商魂逞しいね」
「商人ですから。褒め言葉として受け取っておきます」
澄ました顔で応えたマルビスに私はほっと胸を撫でおろした。
なんだかどっと疲れてしまった。
早くこの熱が冷めて欲しいものだ。
これでは当分の間は町に出てくるのは最小限にとどめるべきか?
マルビスに頼んで調達してもらえばことは足りる。無理して出掛ける必要もないだろう。あんなんじゃそのうち怪我人も出てきそうだ。
「行く必要があるのは木材加工と金属加工の工房だっけ?」
確か王族に献上するブランコと野外簡易コンロの確認と引き取りだ。
ブランコの方は私とラルフ爺が作ったような板を打ち付けただけの椅子を取り付けるわけにもいかないので木材に飾り細工を彫ってもらって装飾を施し、コンロの方も上部の縁に飾り細工を入れるのは当然だがそのまま丸出しというわけにはいかないので飾り箱を作って入れることにしたらしいのでこの二つの工房は共同作業だ。
献上品と聞いて双方張り切っているそうだ。
上手くいけば大量注文が舞い込んでくるとあっては力が入るのも当然だ。
他にも商業登録の通ったものは王都から戻った後に順次生産を予定しているようだが売り出すための店舗とある程度の数も必要なので領内の工房の生産能力などを考慮しつつ進めるそうだ。
私が頼んだ花や葉、蝶やリボンなどの焼き印やバッグの持ち手にと考えている木材や金属の輪も頼んでいるらしいが最優先は献上品だ。
リゾート開発事業をするのには大量の資金がいる。
ワイバーン素材の御陰で今のところはまだ余裕はあるけどこれからは人手も少しずつ増やさなければならないし、そしたらその分だけ給料を支払わなければならなくなる。
開発事業が無事に軌道に乗るまではなんとしてでも持ちこたえねば。
私には経理の経験がないからロイや主にマルビスに丸投げしてるし、私が一応責任者になっているが成人前なので父様に保護者としての管理義務が発生しているから最終的な決定権はまだ父様だ。
少しずつ経営についても学ばねばならない。
やらなければならない事は山積みだが、取り急ぎ取り掛からねばならないのはグラスフィート領の特産品や工芸品の開発と産業の活性化だ。
目玉として人を呼び込むことができる商品は必須だ。
それにだってお金がかかる。
金、金、金と夢もへったくれもない話になってしまうが元手がなければ何もできないのがこの世の現実だ。そして大きなことを成そうとするなら当然のことながら金額はそれに比例する。
この事業の肝は一大リゾート施設の開業。
少しずつ大きくしていけばいい、では駄目なのだ。
一気に印象づけるにはある程度の規模は必要だ。
「後はガラス工房と土木工事業者、雑貨屋も出来れば寄りたいと思ってます。
そうですね、ここからだと雑貨屋が近いです。
珍しい他国の調味料も取扱いがある店なのでハルト様に頼まれていたものを取り寄せてもらったのですよ」
「調味料っ」
その単語に私は思いっきり食いついてしまった。
そういえばそろそろ届く頃だとマルビスが言っていた。
焼く、煮る、炒めるが料理の柱のこの世界の料理は単純すぎる。
そろそろレパートリーを増やしたいと思っていたのだ。
前世と似た食材が沢山あるということはきっと似た調味料もあるはず。
砂糖に塩、胡椒、ケチャップだけじゃ物足りなくてマヨネーズは手作り済み、スパイスやハーブ、更には醤油や味噌があれば最高なのだが期待は大だ。
金属加工業者に行くならパンケーキ、プリン、ドーナッツの型、蒸し器が無理なら代わりの深い鍋にセットできる穴開きの脚付き板も欲しいし、揚げたものを油切りできる細かい金属製の網も欲しい、冷蔵庫は無理でも密封性の高い棚付きの厚めの金属製の箱を作ってもらえたら上の段に魔法で氷を作って置けば簡易冷蔵庫も出来るはず。
まだ春先だけどこれから暑くなる季節だからかき氷器も捨てがたい。
シロップはまだないからフルーツで果肉たっぷりのジャムも果物が豊富な今のうちに大量に作り置きしておきたい。
やりたいことは山ほどだ。
ガラス工房に用事があるなら丁度良い、保存容器を多めに注文してもらおう。
かき氷を作るなら器はやはりガラスが一番だ。
私の料理の腕は一般的だったから高級店のような物は無理だとしても給料日前に自宅で簡単、お料理レシピ程度のものなら覚えている。うろ覚えな所はトライ&エラーあるのみだ。
懐かしくも魅惑的な甘味の数々が私の脳裏に過ぎる。
「やっと笑って下さいましたね」
クスクスとマルビスが嬉しそうに微笑う。
もしかしなくても、私、思いっきり顔だらしなくニヤけていたのでは?
恥ずかしい、欲望に忠実過ぎる自分に真っ赤になって俯いた。
だって飢えていたのだ、懐かしのお菓子達に。
あの味を知っているからこそ食べられないのはキツイ。
食い意地張りすぎだろっ、と、自分で自分にツッコミを入れた。
「実は、私はこういう事態になるだろうなと、わかっていて貴方を今日連れ出したんです。謝らなければならないのは本当は私の方なのですよ。見通しが少々甘すぎました」
スミマセン、とマルビスが付け加える。
わかっていたのなら何故、わざわざこんな面倒なことを?
私だってそれを聞いていれば出掛けるのも考えて止めていただろう。
みんなに手間をかけさせてまで通すほどの我儘ではない。
「どうして?」
「自慢したかったのですよ、私の主は素晴らしい人なのだと。
そして貴方にもっと自信を持ってほしかった。
貴方はどうにも自分の価値を下に見過ぎる傾向がありますからね」
そんなことない、と言いかけて私は口を噤む。
思い当たることがあったからだ。
前世に私の数少ない友達の一人が言っていた言葉、『私なんかって言葉、言っちゃ駄目だよ』と。
それは自分で自分の価値を下げる言葉だと。
そう言われて治そうと努力したけど子供の頃に刷り込まれたその言葉はなかなか抜けてくれなくて、気がつくと影に潜んでいた気がした。
『私がいなくては』ではなく、『私なんかいなくても』と。
この世界に生まれてからもそれは変わらなくて、私がいなくても父様がいる、兄様達がいる、姉様がいると、だから自分が多少の無茶をしたところで大丈夫だと。
「私は商人なのですよ、人や物を見る目にはそれなりの自信を持っています。
貴方はその私が間違いないと自信を持って選んだ御方です。
もっと周りを頼って下さい。貴方はなんでも一人で背負い込みがちです。
ロイもランスも、シーファ、ナバル達も、そして誰より私がそうして欲しいと願っているのです。
貴方を認めている者は大勢いて、そしてみんなそんな貴方に頼られたい、認められたいと思っています。
もっと私達に甘えて下さい。
私達は貴方だからこそ支えたいと思っているのだと知って下さい。
だから迷惑なんかじゃないんですよ、気にする必要はないんです。
私達が勝手に貴方に頼られたくてしている事なのですから。
そしてどうか笑って下さい。私達が聞きたい言葉は謝罪などではありません」
身に沁みる言葉だった。
私でなければならないと、私だからこそと言ってくれる人がいる。
だってマルビスは沢山の人の中から、まだ子供の存在である私を一番に選んでくれた人。彼や、私を慕ってくれる人達のためにも私は胸を張るべきだ。
私が言わなければならないのは謝罪の言葉などではない。
「・・・ありがとう。みんな、ホントにありがとう」
本当に心から、精一杯の感謝の気持ちを込めて呟くとポロリと目の端から涙が溢れた。
「はい、どういたしまして」
嬉しそうに笑って応えたのはマルビスだけじゃなかった。
馬車の外からも同時に聞こえてきた声は私の胸を温かくした。