第百一話 それは家族になる約束です。
「それで貴方はまた一人従者を増やす算段をつけて来たわけですか?」
マルビスに深い溜め息と共にそう言われて私は身を縮こませた。
ハイ、ドウモスミマセン。
ついうっかり、優秀な人材差し出されて受け取ってしまいました。
「でもまだ決まったわけじゃないよ?」
俯き加減で上目遣いにマルビスを見上げる。
言い訳臭いが断られる可能性もあるわけで、いや、やっぱりこれは言い訳か。
しゅんっとなって頭を下げる。
どうして私はこう欲張りで節操がないのか。
まあ本人の意志を確認するって言ってたから絶対ではないんだけど。
「いえ、あれはほぼ決まりですよ。領地と妹、更に恋人も救う手段がそこにあって、それを躊躇う男はいないでしょう」
イシュカがキッパリ言い切る。
別に借金の立替を商会資金に押し付けるつもりはないですよ?
勿論私の個人資産からお貸ししますとも。
別に全て善意でというわけではなくて、陛下が国の税金で個人を救済する手段がないというなら私が働いてもらって回収しようとしただけですから。
借金なんてものは大抵金利で苦労するわけで、一括支払い、立替で、無利子で貸し付けて、ついでに一人で無理なら三人で働いてもらえば問題なかろうと。馬車馬のように働かせようとか、そんなアコギなことも考えていませんよ?
頑張って頂ければウチは成果給も出せますし。
そう言えば陛下に運河周辺の土地も買い足すって言っちゃったっけ。
どうして私というヤツこうも行き当たりばったりなのか。
足りるかなあ、隠し部屋の中の金貨で。
周辺の土地は買い付けていた貴族達が寄贈してくれるらしいからそんなに広範囲でもないとは思うし、多分大丈夫だとは思うけど。空になっても来月になれば登録使用料とか家賃収入が入って来るからマイナスにならない限り困るほどでもない。いよいよ足りなければ私が持っているアレキサンドライトを売るという手もあるわけで。
金貨は後生大事にしまっておいたところで増えるわけではないし、眠らせておくよりもずっといい。
私が小さくなっているとみんなはそれ以上私を責めることもなくさっさと次の話題に移った。
「ロイ、それでハルト様が仰られたというデキャルト領復興のための手段はどんなものだったのですか?」
「それについては旦那様にも是非相談に乗って頂きたいところなのですが」
マルビスの問いかけにロイが城でのことを話し出す。
あれっ?
もういいの?
イシュカに呆れられたからもっと注意されるかと。
拍子抜けしてことの成り行きを見守っているとロイは私が城でブツブツと文句を言ったと言おうか、ボヤいた言葉を上手くまとめて語り出した。
毎度のことながらお世話になっておりますという他ない。
農林畜産業については父様の経営する我がグラスフィート領の最も得意とする分野だ。父様もその秘書をしていたロイも相応に詳しい。だからこそロイも父様に意見を求めたんだろうけど、私を置いてどんどんと話し合いが進み始めた。
私はキョロキョロと視線を彷徨わせながらそれらを聞いている。
「それはまた、土地改良に於いてなんとも画期的なものではあるな。理にも適っている」
父様が思案顔で呟くとロイが頷いた。
「やはり旦那様もそう思われますか?」
「ああ。それに牧畜に関しても面白い手段だ。そのまま自然に生えるに任せるよりも人が手をかけてやればそれだけ生えてくるのも早いだろう。そうして順番に食わせることで常に二つの囲いでそれらの飼料を生産するとなれば常にエサをストックできる状態が続く。今は水道設備が通っている領地も多い。干魃被害の心配もそうないだろう。確かに人手は増やす必要はあるであろうが二、三軒のそれに携わる者を組ませることで人手と土地をいっぺんに確保する。効率的だと思うぞ。
ウチの領地でそれらの仕事に従事している者達にも今度提案してやらせてみよう」
「良いかもしれませんね」
「とはいえ、最初はある程度支援も必要なはずだ。飼料となる牧草はすぐに育つわけではないからな。それさえ乗り越えて、その者達が慣れてくれば生産量も上がってくるだろう」
「有名ではありませんがデキャルト領の羊毛は品質が良いのですよね。
そうなるとウチも提携して優先的に品を回してもらうとしましょう」
父様とロイの会話にマルビスが割り込む。
「だが領地で昔から続いている取引先もあるはずだぞ?」
どうするのだと確認するような言い方にマルビスが答える。
「当面はウチに出荷を増やせとは申しませんよ。支援する交換条件として生産が増えてきた分だけをその見返りとして随時適正価格で融通してもらえるように持ち掛けましょう。こちらが立替た借金返済のためという名目があれば他領からの苦情もこないはずです」
でしょうね。
それは立派な口実だ。
「成程な。それなら確かに文句も言えまい。
手を差し伸べず黙って見ていただけなのであれば尚更な」
「では屋敷に帰ったらテスラにも手伝わせて各領地の出身者にも尋ねつつ色々と調べさせてみましょう」
ということはアンディがウチに来れば支援決定ということか。
まあ構いませんよ?
ウチの利となりそうで安心しましたから。
心の中でホッと息を吐いていると視線を感じて顔を上げたら父様と目が合った。
「しかしお前の才能がそんなところにもあったとはな。
もっと早く気付き、意見を求めていれば我が領地が軌道に乗るのももっと早かったかもしれんな」
才能ではない。
前世のテレビ特番でやっていた知識だ。
丁度その頃夢中だったラノベにそういう設定があって砂漠化もこうすれば止められて、緑地化に成功することもあるのだと感心感嘆して見ていたことがあったのをたまたま覚えていただけの話。
異世界の成功例がこちらで通用するかは謎ではある。
「それは買い被り過ぎです、父様。
私の提案が実際に使えるものかどうかまだわかりません」
「まあそうだな。だがやってみる価値は充分にある」
そりゃあ文句を垂れ、嘆いているよりは建設的だとは思うけど。
存在する植物などがほぼ変わらないから多分いけるだろう。
ただ細かい手法まで覚えているわけではないし、知ったかぶりに近く、詳細に意見を求められても困るとは思っていた。
ついうっかり口出しした結果がこの事態。
ホントに私っていうヤツはつくづく懲りない。
シルベスタの穀倉地帯と言われる我がグラスフィート領領主の父様がそう言うなら大丈夫そうかなとは思う。
「とにかく明日は適当に話を合わせてくれと仰っていたのだな?
となれば余計な口出しは慎み、意見を求められぬ限りは曖昧に相槌を打っていれば良いか」
でもそれなら団長か連隊長に言付けすれば良かったのでは?
「今日城に行く意味はあったのかな?」
私が首を傾げると父様が私に向かって言った。
「他にも大勢の目がある謁見の間でそのような話し合いは無理だ。
直接陛下に意見するのは普通であればかなり難しいことなのだぞ?
ウチは伯爵家だ、命じられれば否とは言えない。お前の扱い自体がかなりの特例と言って良い。公には出来ぬが光栄なことに間違いない。それだけ重用されているということだぞ?」
やっぱりそうなのか。
あの部屋の状況、いや、隠し通路を使用して案内された時点でそうなんだろうなとは思った。
だってそれってつまり超極秘事項でしょ。
私と同じくそういった系統の知識に詳しくないので口を噤んでいたガイがジッと私を見て宣う。
「必死に囲い込みに入ってんな、陛下。
どうすんだ、御主人様?」
どうするもこうするも、私の答えは以前から全く変わっていない。
「できれば勘弁して欲しいんだけど」
「無理だな。あのタイプは一度狙った獲物は逃がさねえ、諦めろ」
デスヨネ?
ハイ、ワタシモソウデハナイカト、オモイマス。
自分の迂闊な性格がまったくもって恨めしい限り。
今更やってしまったことはどうしようもないけれど。
すっかり小さくなっていた私の頭の上にポンッと掌を置いてガイが心配するなとばかりに優しくクシャリと撫でる。
「まあ良いんじゃねえ?
アンディも相当に腕が立つ。国の諜報員をやっていたくらいだからな。アンディが受け持っていたのは主に国内の貴族関係の情報収集だ。そっちなら俺より詳しいだろうし、そういうところにも入り込みやすい。マルビスに頼まれた例の部隊を仕切らせるには逸材だと思うぞ」
ああ、隠密部隊か諜報部みたいなヤツか。
私が狙われやすいのは貴族関係、ならばむしろラッキーと言うべきか。
マルビスがガイの言葉に頷いた。
「そういう手もありましたか。
そうですね、では正式にいらっしゃることが決まったらその辺りの話もしてみましょう。そうすればガイや陛下直属のリディとも連絡が取りやすいでしょうから連携も上手く行くのでは?」
「確かに。あの腹黒、それを狙ったんじゃねえだろうな」
ゲッ、その可能性も捨て切れないかも?
「かもしれませんね」
同意したマルビスにやっぱりかと思った。
とはいえ今日はもう遅い。
対策と話し合いは明日の謁見が終わった後でということで、それぞれ明日の自分の準備と仕事に戻っていく。
リビングに残ったのはガイと私だけ。
面倒な話は終わったとばかりゴロリとガイは床に寝っ転がった。
ガイはアンディの事情、知ってたのかな。
だから今日ここを出る前、あんなこと言ったの?
それは私を心配してくれてたから?
それとももっと別の理由?
何かあっても一人で生きていけるって。
私がいらないって、そういう意味じゃないよね?
聞きたい。
でも聞けない。
私は自分が怪我したって、危険な目にあったってガイが居てくれる方がいい。
死んでしまったらガイに、みんなに会えなくなっちゃうから、それは嫌だ、死にたくない。前世の私にも死にたい理由はなかったけど、何が何でも生きたいって理由はなかった。
だからこそ生に縋ることなく迷わず子供を庇えたのだろう。
でも今の私は絶対死にたくないって思ってる。
それはみんなが居てくれるからで、誰が欠けても嫌だと思う私は欲張りだ。
ロイが、マルビスが、イシュカ、テスラ達がいるから俺はいなくてもいいだろうって、ガイはいつかふらっといなくなりそうな気がして。
私はふらっとガイの側に座った。
「あのね、ガイ」
「なんだ?」
ごめんね、いつも面倒かけて。
そう謝ろうとして言えなくなった。
全くだ、いい加減にしてくれって言われるのが怖い。
「ガイはずっとこの先も私のところに帰って来てくれるのかなって思っ・・・」
代わりに口をついて出てきたのは縋るようなみっともない言葉。
それはガイの言葉を信じてないってことじゃないか。
途中でそれに気がついて口を閉ざす。
呆れてどこかに行ってしまわないでね。
側にいて。
私はそう言おうとした言葉を飲み込んだ。
なんて図々しい。
ロイも、マルビスも、イシュカ、テスラだってずっと側に居てくれるって言った。なのにガイにもだなんて欲張りどころか強欲過ぎだろう?
「ううん、なんでもない。忘れて。ゴメン、変なこと言って」
私はヘラリと笑って立ちあがろうとするとその手首をガイに掴まれて再びストンと床に座る。
そのままぐいっと手を引かれ、胡座をかくガイの膝の間に抱え込まれた。
「大丈夫だ。帰って来てやるよ、他に戻るところもないしな」
あやすように背中を叩かれて自分が子供扱いされているのを知る。
こういうところはガイは変わらないなあって思う。
ホントは中身は違うんだよとは絶対言えない。
ガイの表情は見えないけど、一定のリズムを刻む鼓動は穏やかで安心する。
「俺は御主人様の手料理が大好物で、俺のために作ってくれたそれを食ったのを団員のヤツらに自慢してやるのが趣味だからな」
そういうところも変わっていない。
感じる後ろめたさに俯いた顔を上げられないでいると小さなクスッという笑い声が聞こえてきた。
「心配性だなあ、御主人様は。何がそんなに不安なのかは知らねえけど。
結婚すんだろ? 俺とも。一応婚約者なんだしな」
意外な言葉に私は上を向いて尋ねる。
「・・・して、くれるの?」
一番婚約破棄される確率が高いのはガイだと思っていたのだ。
最初から乗り気じゃなかったし、どうでもいいって感じだった。
ガイの嫌うファーストネームを捨てられるっていう利点があったからでガイの名前はゲイルのそれから連隊長のに変わっていて、目的は既に達成されている。簡単にガイが約束を破るとは思っていたわけじゃないけど、縁談避けにって理由で、まあいいかって引き受けてくれたからいつか破棄されても仕方ないってどこかで思っていた。
「そのつもりでいるぞ? 御主人様がやっぱり嫌だって言わない限りはな。既に連隊長の遠縁に養子縁組もされてるし。
俺はできねえ約束はしない、二言はねえよ。
もともと所帯持つ気も皆無だったって言ったろ?
俺は他人の人生背負う気も、自分の子供が欲しいと思ったこともないしな。
まあ俺にイシュカ達みたいなのを求められても困るが」
私は別にガイにそれを求めたつもりはない。
欲しかったのは帰って来てくれる約束。
「ガイはすごくモテそうだもんね」
縛りつけておこうとは思っていない。
そりゃあガイが綺麗な女の人連れてたら少し寂しいとは思うだろうけど。
「当然。こんなイイ男、女が放っておくわけねえだろ」
だよね。そうだと思う。
私はまだ外見子供だし、ガイを惑わせるような色香にも縁がない。
婚約者ではあっても恋人じゃない。
それがなんでこんな寂しいのかな。
わからない。
キュッとガイの服を握りしめるとあやすように胸の抱き込まれ、頭の上にガイの顎が乗った。
それは大丈夫だって、言い聞かされてるみたいで。
「俺はどんなイイ女にもマジで惚れ込んだことはねえからな。
夢中になって誰かを追い回す未来は思い浮かばねえ。
多分そういう性分なんだろ。だから心配いらねえって」
それって恋したことがないってこと?
違うよね?
ガイは経験豊富そうだし、それとも口説く前に女性の方から寄って来るって言いたいのかな。それとも一度口説いてフラれたら追いかけるほどの執着は無かったってことかな?
そのあたりもよくわからない。
それでも、
「なってくれるんだろ? 俺の戻ってこれる家族に。
末席で全然構わないぜ? 多くを望まれても俺は応えられないからな。
それでもいいんだろ?」
そう、尋ねるってことは戻って来てくれる約束は破るつもりがないってことだよね?
ならば答えは決まってる。
「うん。それで充分だよ、ガイ」
必ず戻ってきてくれるって約束してくれるなら。
恋人は別れたら終わりだけど家族なら側にいられる。
ずっと一緒にいられなくても帰って来てくれればそれでいい。
「なら安心していいぞ。少しくらいの我儘なら聞いてやる。
俺の大事な御主人様だからな。
前にも言ったろ?
子供が変な遠慮すんじゃねえよ。俺は嫌なら無理だって言う」
「それで嫌いになったりしない?」
「しねえな。子供は我儘なもんだって昔から決まってんだよ。
ちったあそれらしく甘えろ。誰も文句なんて言わねえよ」
ホントのホントの本当に?
「ガイも?」
「当然だろ? そこまで俺も心狭くねえ。笑って許してやるよ」
ポンッと叩かれる背中は心配するなって言われてるみたいだ。
子供扱いは変わらないけど耳もとで囁かれる言葉が甘いと感じるのは近すぎる距離のせいだろうか。
ガイの胸の中は日向の匂いがして落ち着く。
どうしてだろう?
日向より闇夜に動くタイプのはずなのに、優しい匂いにホッとする。
「安心したか?」
そう問われて頷き、キュッとガイの服を掴む。
ゲンキンなものでホッとしたら欠伸が漏れて、ガイが小さく微笑う。
「眠いのか?」
「少しね」
聞かれて素直に応える。
城から帰ってきた時も既に真っ暗闇の夜。
いつもならとっくにベッドの中にいる時間だ。
「いいぞ、眠っても。適当にベッドに放り込んでおいてやるから」
連れて行くでなく放り込むって言葉が如何もガイらしい。
ロイやイシュカなら大事に抱え上げられところだけど。
私はクスクスと笑い声を漏らして尋ねる。
「ガイが?」
「その内イシュカ達も戻ってくんだろ。心配いらねえって」
結局他人任せなのね、やっぱり。
まあ最初から期待はしていないけど。
「ガイじゃないんだ?」
「イシュカが戻って来るのが遅かったらな。面倒くせえし」
「こうしてる方が『面倒くせえ』んじゃないの?」
「子供一人の重さに耐えられねえほどヤワじゃねえからな」
確かに間違いなくそうでしょうね。
がっしりとした胸板は私程度の重さなどへでもないのだろう。
んじゃまあ遠慮なく。
とはいえ居心地の良いそこは眠るのが勿体無いような気がしないでもない。
少しだけ。
ほんの少しだけこのままいさせてもらおうかなって思った。
私のタヌキ寝入りなどガイはお見通しだろうけど。
少しくらいの我儘は許してくれるって、嫌なら駄目だって言ってくれるって言ったから、払い退けられるでもなく、駄目だとも言われないってことは、こうしていても許されているってことだろう。
だけど穏やかに刻むガイの鼓動は心地良くて、眠りたくないって思うのに私はいつのまにか深い眠りに落ちていた。