第九十七話 曖昧で不確かなものを人は不安を呼ぶのです。
とりあえず、王都に長居するとロクなことにならなさそうなので三泊四日の滞在で戻ってくる予定でミゲルとレインにはこのまま屋敷に残ってもらうことにした。
するとミゲルは既に学院が冬休みに入っているためにこちらにバイトに来ている友達と合流すると言い出し、レインが珍しくそれに付いて行きたいと言ったのだ。
いったいどういう心境の変化だろう?
レインは結構な人見知りだったはず。
騎士団で朝練に参加しているのもあって歳上の男に対しては随分慣れてはきたけれど、同年代と女性はいまだにあまり得意ではなかったはずだ。
しかしながら子供が自分の意思で変わろうとすることは悪いことではない。間違った方向に行こうとしているならば止めもするが、むしろ喜ばしい変化でもあると思われたためにミゲルとその護衛、団員達にもしっかり頼んでおいた。
そういえば、すっかり忘れていたけれど私が奴隷契約の上書きをした反乱兵はどうなったんだろう?
ウォルトバーグが死亡したことを思えば団長の判断通り上書き契約しておいたのは正解だったわけなのだが、あれって簡単に解除できないようになってるはずだよねえ?
団長をしっかり脅して頼んでおいたからそのまま彼等を押し付けられることは無いと思うけど、確か私の次の命令優先順位は連隊長が次点になっていた。多分その後の事情聴取などの手際を良くするためだろうけど、契約解除の仕方は知らないし、商業用の中途破棄と一緒なら互いの同席と同意は絶対条件。国家管理のソレならばもっと厳しい条件があるはずだ。
奴隷契約を結ばされてビスクとケイのように全て無条件であそこまで従順に、自ら望んで従うことはかなり稀な例だろう。
普通であれば自由を奪われるということは耐え難いはずなのだ。
あの二人の場合はたまたま私のやろうとしていることと彼等の願い、やりたかったことが合致したというのが大きな理由だし、クルトがそれでも一生懸命なのは自分で選択した結果であり、曲がりなりにも自分の夢がそれに近い形で実現する可能性があるからというのも大きいはずだ。
私としても本来なら無理矢理他者を従えるなんてゴメンだ。
生か死かの二択でなかったら引き受けはしなかった。
いったいどこの専制君主か暴君か。
百人を超える奴隷を抱えるなど冗談では無い。
絶対破棄してもらうと決めている。
そうして全ての準備を整えて、三日後の夜明け前に私達は出発した。
ルナが来てから移動時間短縮のために獣馬移動が多かったので、こんなに呑気に馬車で揺られて移動は久しぶりなのだ。
だが早めの昼食を済ませたあたりで心地よい揺れにうつらうつらと眠気が襲い始め、目が覚めた時にはマルビスの膝枕で毛布を掛けられ眠っていた。
今更吃驚しないけど、いや、正直驚きはした。
だって欠伸して眠気覚めやらぬ状態で薄目を開けて途端、バチリと目があったのだ。つまり涎を垂らして間抜けな顔を晒していたであろう姿をしっかり見られたということだ。
でもまあそれも今更か。
間抜けな姿は散々常日頃晒している。
人間開き直りと諦めは大切だと思うのだ。
私に極甘な我が婚約者達が私を起こすワケも、硬い椅子の上に下ろすワケもない。特にロイ、マルビス、イシュカは絶対だろう。テスラもか? 容赦なく椅子に落とすとすればガイだけだ。もっともガイに落とされたところで私の目が覚めなかったらロイ達が膝に抱えてくれそうだけど。多分、間違いなく。
そうして途中、夕食を取りつつ私達が騎士団内の別宅に到着したのはほぼ深夜。
明日の夕方には密会(?)、明後日には謁見が待っている。
今日は早々に休もうと団長達にも簡単に挨拶を終わらせて王都の従業員達が準備してくれていたベッドにそのままダイブ、眠りについた。
翌朝はそこそこの時間に起きると団長達の姿は既になく、夕方には来客があるので早々に出掛けて早く帰って来ることにした。父様は何かあっては困るからと叔父さんと留守番してくれているという。
勿論出掛けるのはシルヴィスティアだ。
現在学院生達は冬休み。
期間営業区画も解放中、彼等アルバイト学生の労働力を借りているはずだ。それと合わせて騎士、団員達にも引き続き期間営業中は日当、賄い付きで臨時応援要員を随時募集している。団長が言っていたように基本的に宵越しの金は持たないタイプの彼等は懐が寂しくなるとちょこちょこ小遣い稼ぎで手伝ってくれているようだ。あそこは国が直接関わっている施設でもあるので堂々と稼ぐことが出来るのも魅力の一つらしい。そして何より騎士団員というのは出会いの場所も少ないので独身者が多いわけだが、ここで働いて彼女をゲットした者もいるらしく、出会いの場の一つとして騎士達の間で脚光を浴びているらしい。
騎士と下位貴族や平民の娘との交流の場。
騎士団員達は貴族の三男以下が殆どだ。
一応扱いは騎士でいる限りは一代限りであっても貴族だが子供にまでその身分は適応されない。貴族としてのプライドがある者も勿論いるが、気にしない者も多い。腕に自信があれば話は変わってもくるが余程の武勲を上げない限り社交界に返り咲くのはかなり厳しい。となれば戻れるかどうかのそんな場所より目先の幸せの方が重要にもなるだろう。
恋人がいる幸福。
人生は薔薇色に変わるとよく物語などでもあるではないか。
自分を大切に思ってくれる、守りたいと思える存在がいることはそれだけで嬉しい。恋人をすっ飛ばし、婚約者持ちになった私の今の人生は薔薇色ではないけれど、今は薔薇色でなくても構わないと思っている。私の人生は少なくとも六歳の誕生日前が白黒だったとするならば今はフルカラー、極彩色。
充分以上に幸せだと思えるからだ。
幸せというものは伝播するもの。
不幸ばかりが溢れていては空気は殺伐としてしまう。
そういうわけで、警備人員にもそんなに困っていないのはありがたい。そして騎士団員達には是非とも恋人を早く作って頂き妙な信仰から脱退して欲しい。
きっと彼等の目が覚めるのも時間の問題。
この機会に真っ当な道に戻ってほしい。
私はロイとイシュカ、ライオネル達をお供に屋台巡りと洒落込んだ。
マルビスはシルヴィスティア商会事務所で仕事なので美味しい料理は勿論御土産としてお持ち帰り予定だ。見世物小屋状態なのは既に諦めたので興味はありません、視界にも入っていませんとばかりにロイとイシュカの腕を取り、世界を構築していると声を掛けられにくいのもわかったので満面の笑みで両手に花を満喫する。
変わらず『フィガロスティア杯』は続いているようで営業店舗もオープン当初と比べると随分入れ替わっているが、そのおかげなのか各店舗の平均提供価格も平民が手を出しやすい価格で落ち着いている。
なかなかの盛況ぶりだ。
そうして抱えきれないほどの料理を持ち帰ったところで昼御飯。
各領地の郷土料理を味わい尽くして別宅に戻ると、一階のリビングにガイと一緒にリディがいた。
結局例の反乱軍の一件では呑気に会話する暇もなかったのでまともにこうして向き合うのは久しぶりだ。
「お邪魔しています」
「いらっしゃい。良かったらゆっくりしていってね」
すっかり馴染みの顔にはなったがウチに一人で来る時は決まって左目に眼帯をして前髪を目が隠れるほどに垂らし、後ろで束ねている髪を解いてやって来る。変装の一環なのだろうがこうして見ると職業不詳の胡散臭い怪しい雰囲気が漂っている。
ウチに頻繁に出入りしていることを他に悟られないためなのだろう。近衛騎士達の前では貴族らしくキッチリ後ろで髪を束ねたオールバックの前髪にオッドアイだったし。
雰囲気も違うので知らなければパッと見、まるで別人だ。
軽く挨拶をして通り過ぎ、そのまま階段を上がって行こうとしたところで呼び止められる。
「それが申し訳ないのですが陛下がお呼びです」
陛下が?
確かに夕刻にここで待つようにとの一文に覚えはあるけれど。
「まだ時間少し早いよね? 陛下との謁見は明日じゃないの?」
準備はまだ出来ていない。
今は陽が真上から傾きかけているとはいえ午後のお茶の時間前。
「手紙に陛下が記されていたはずです。今日の夕方にここで待てと。
勿論、少々約束の時間に早いことはこちらも承知しておりますので準備が整うまでお待ちします。
謁見の前に秘密裏にハルト様にお会いしたいそうです。
そのままの格好でも構いません、アンディと私でご案内致しますので付いて来て頂けますか?
勿論イシュカともう一人、共をつけて頂いて構いません。
我々が使っている秘密の通路を使用しますので場所を特定されては困りますから窓に暗幕を引き、耳栓をして頂いてまわり道をしながら向かいます」
要するに遣いの者と間接的に、ではなくて直に話したいってことか。
考えてみれば伝言で済むなら団長か連隊長に言えばいいわけで、だけどそういう通路の場所を特定されるのは困るから適当に走って位置を私達にバレないようにしたいってことなのだろう。
「そういうのは夜に動いた方がわかりにくくて良いと思うのですが?」
一般的な悪巧みというものは確かにそういう印象だ。だが、
「逆だよ、マルビス」
私はそれなりの有名人。
勿論それはイシュカもだけど普通に歩けば目撃者を増産する。
「誰に何を隠したいかで状況ってのは変わるよ。
王都には貴族も多いでしょ? どこにそういう関係者の目があるかわからない。コソコソ夜に動く方がかえって目立つこともあるよ
木の葉を隠すなら森の中。人を隠すなら雑踏の中。
王都なら馬車も多く行き交う陽のある内の方がかえって目立たないんだよ」
夜は人出が少ない分だけ音も響く。
王都の街は夜でも人出がそれなりに多い。
そうなれば目撃者も増産するってことなのだ。
「一応私達に隠し通路がある程度特定されるのは仕方ないってとこじゃない? だけどバレないに越したことはないから早めに出掛けて夕闇に紛れるってところだと思う。
そういうことでしょう? リディ」
逢魔時という言葉もあるくらいだ。
夕暮れ時には日中や夜中より光の反射で場所や人、物が判別しにくいこともある。
私がそう尋ねるとリディが苦笑する。
「敵いませんね、貴方には。まあそういうことです」
「アンディは?」
「今、馬車の準備をしています」
となれば陛下と面会するとならそれなりの格好が必要だろう、着替えを持っていく必要もあるか。身の安全を考えるならガイに付いて来て欲しいところだが、行き先が城というのもあってガイはこちらに目を向けようとしない。要するに指名するなと視線を外して無言で主張しているのだろう。マルビスも王都ではそこそこ有名人でもあるし、如何にも貴族的な風貌の父様も目立ちそうだし、父様の手紙には今日来いとは書かれていなかったことを考えれば外す方が無難。
そうなると取捨選択の末、残るのは・・・
「ロイ、頼んでもいい?」
「勿論構いません」
ロイなら城にも行ったことがあるし、礼儀作法には全く問題ないから大丈夫だろう。着替えるなら向こうでの支度もある、イシュカにも極力目立たない格好に着替えてもらって。
「じゃあ準備出来次第行ってくるよ」
心配そうなマルビスと父様、ライオネルの顔。
いろんな意味でわからなくもない。
でも国内最高権力者の呼び出し。出向かないわけにもいかない。
「御安心下さい。御子息は私達が必ず責任を持って無事にお返しします」
そりゃあリディとしてはそう言うしかないだろう。
不安を隠せないマルビス達にリディが付け加える。
「もし御心配なされるようでしたら皆様にこう伝えるようにと申しつかっております。
『私はハルウェルト商会を敵に回すほど愚かではない』と。
私の命に変えましても必ずや無事にここにまたお連れ致します」
だがそれを信じられるかと言えば微妙だ。
リディはあくまでも陛下側の人間。
いざとなれば私の優先順位は下になる。
とはいえ陛下は馬鹿じゃない。
私にまだ利用価値を見出している以上、安全は保証されているはず。
それとも父様達が心配しているのは別の方向か?
私が何か陛下御前でしでかす可能性を疑ってる?
いくら私が粗忽者でも手打ちになるほど酷い事態になるようなことは・・・多分、ない。
そもそもそれならとっくに首が飛んでいる。
心配いらないと口を開こうとした私の声を遮ってガイが鋭い視線を向けて宣った。
「まあ俺の御主人様に何かあれば俺の握っている国の重要機密事項を他国に高値で売り付けてやるだけだ。マルビス達までは無理でも俺一人なら亡命なんて屁でもないからな」
・・・・・。
これってさりげに脅してるよね?
仲が良さそうに見えてもその辺は線引きしているってことなのか。
でも私も馬鹿じゃない。この言葉はガイが私を思ってのリディへの牽制なんだってわかる。
「恐ろしいことを言わないで下さいよ」
「約束は必ず守ってくれるんだろ? なら問題ねえよ。
何もなければ俺もそんな危ない橋は渡るつもりねえし」
腕利の情報屋が口にするその言葉。
私はよく怖いもの知らずだと言われるけど、
「そんなことを口にすれば国から命を狙われかねませんよ?」
そう、リディの言う通りなのだ。
危険人物と判断されたなら、消される可能性がある。
だがガイはリディの忠告に少しも動じない。
「別に。俺はどこでだって生きていける。この国じゃなくてもな。
俺がここにいる理由は御主人様が気に入っているからだ。
俺らの身に不審なことが起こればウチの御主人様が黙っちゃいねえ。
なあ、そうだろ? 俺の御主人様?」
ニヤリと笑ってガイが私を見る。
ここで同意を求めるな、なんて言わない。
だってそれは事実。
ガイに限ったことではない。
私は私の大事な人達を守るためなら手段を選ばない。
国外脱出して異国の地でやり直すだけ、国賊認定も知ったことではない。
みんなと一緒にいられるならそこがどこであってもいい。
「私は私の大事な人に危害を加える存在は許すつもりがないだけ。
御国のためになんて御大層な大義名分を抱えるつもりはないもの」
もとより私は正義の味方でも救国の英雄なんて立派なものではない。
私は大きく頷いてガイの言葉を肯定する。
「だ、そうだ。それは俺達も同じってことだ。
多分、あの陛下もそのへんのことはわかってるはずだぜ?
陛下と俺達は持ちつ持たれつ、仲間じゃねえが敵でもねえ。
この国の民である以上ある程度の協力もするが忠誠を誓っているわけじゃねえってことを覚えておけよってことだ。
要するに利害関係の一致で成り立っているんだ。
破られればそれも崩壊する。
俺達が付いているのは陛下じゃねえってことさえ覚えておいてくれりゃあいい」
「肝に銘じておきます」
ガイの宣告にも似た台詞にリディが真顔になってそう答えた。
ただ引っ掛かるのは国を敵に回すことなんかじゃない。
『俺はどこでだって生きていける。この国じゃなくてもな』と、
ガイの言った、その言葉。
多分それはガイの本音。
ガイは身体的な意味だけでなく精神的にも強くて逞しい。
他のみんなが弱いというわけではない。
ガイは元々一匹狼のような生き方をしていた。
私のところにいるのは面白くて居心地が良いからだと。
他のみんなと違う、曖昧で不確かな理由。
それは私の胸に小さな棘を残し、
刺さった。