第九十六話 本当に言いたいことほど言えないものなのです。
それから二日、久しぶりにフィアとのんびり過ごした。
しっかり閣下と辺境伯も別荘に押し掛けて来たのには少々辟易したが、すっかり酒好きのガイとテスラと意気投合している二人は夜な夜な酒浸り。おかげで二人の王子の護衛人員には困らなかったが減った酒蔵は更に空きスペースが目立つ事態となった。
あの二人、ウチを酒場と勘違いしていないでしょうね?
とりあえずマルビスは秘蔵の高価で珍しいお酒は四人の目を盗んで商会事務所にせっせと移動していた。
そういうものに対する嗅覚は人一倍の御仁が揃っていては(特にガイ)別荘に隠しても無駄、何故かほぼ見つかる。なので売り物と思われたなら手も出されまいと考えたからだ。
ところがだ。
これが目敏い辺境伯の目にとまり、金は払うと買い上げた。
こうしてマルビスの密かな楽しみは、めでたくも虚しくハルウェルト商会の売上金となって彼等の底なし胃袋に消える結果となった。
これだから金持ちというヤツは全く(お前が言うなって?)。
泣くに泣けないマルビスは顳顬の辺りを引くつかせつつ、
「お買い上げありがとうございます」
と、せめてもの仕返しとばかりにしっかりボッタクリ価格で販売していた。
ええ、勿論構いませんとも。
双方納得の販売価格の上での商売ですから。
マルビスへの慰謝料としてしっかり計上して下さいな。
ついでに酒のツマミの代金も上乗せして構いませんとも。
私が楽しみに取って置いた珍しいチーズも食い尽くされましたから。
食べ物の恨みは恐ろしいのだと、しっかり身に染み・・・ないだろうな。
所詮は金持ち、ポンッと愛妻にアレキサンドライトをプレゼントできる男がその程度の金額でびくともするわけもなく。だいぶ上乗せされた請求書を見ても顔色ひとつ変えずにサイン、屋敷まで注文の商品配達と一緒に集金に来いと言って帰って行った。
閣下も一緒に連れてきたレインを連れ帰ることなくウチにしっかり置いて行き、後日、日頃の感謝の気持ちとして高品質の大粒エメラルドが屋敷に届けられた。
まさに二人とも財力にものを言わせてやりたい放題。
最早流石のマルビスも苦笑いである。
結局、マリアンヌ様とフィア、連隊長達はミゲルと三人の護衛を置いて三泊四日で城にお戻りになり、閣下達は奥様達と一週間居座って、マルビスと一緒に定期便に乗ってお帰りになった。
無事に一ヶ月が過ぎる頃、まだ混雑しているとはいえ落ち着きをみせてきたルストウェルをジュリアス達とグラスフィートからの応援部隊、客船暮らしをしてくれている従業員のみんなに後を任せて私達は屋敷に戻ってきた。
しっかり留守を守ってくれていたマルビスに出迎えられ、『お帰りなさいませ』という言葉と共に一通の手紙が差し出された。
王家の紋章の封蝋。
陛下からの呼び出しか。
アレから約二ヶ月が経過している。そろそろくるかと思っていたけれど、また面倒な事を押し付けられそうな予感に私は溜め息を吐いて一緒にいたミゲルとレインを先に四階に行かせつつ場所を三階の書斎に移してその手紙に目を通す。
付いて来たのはロイとマルビス、イシュカにガイ、テスラだ。
五日後か。
呼び出しされているのは私と保護者である父様、イシュカ、そしてマルビスとサキアス叔父さん。
となると、ウォルトバーグの件だけでなく、防犯設備についても話があるということか。この間は大雑把で簡単な話しか出来なかったから詳しく聞きたいってところだろう。マルビスが聞いてこないということは多分父様にも同じような手紙が届いていて既にこの内容を大方知っているに違いない。
「準備は出来ているの?」
私がそう尋ねるとマルビスが頷く。
「既に。お望みとなれば今日にでも出発可能です」
当日入りは避けたいし、準備もある。
行き先が城であるなら馬車は必須。手土産持参の必要もあるのだが、
「僭越ながら、既に城に向かうための馬車は一台、贈答の品を乗せて騎士団内別宅まで手配してあります。ですので王都に向かう方法は御自由に選択なさって頂いて結構ですよ?」
・・・・・。
マルビスの言葉に私は思わず言葉を飲み込んだ。
「ハルト様の予定は常に想定通りに進まないことも多いですから」
そう言ってマルビスはにっこりと笑って付け加える。
だから前もって準備万全にしておいたってことね。
みんなが私のトラブルメーカーの体質に慣れて対応している辺りが非常にありがたいとは思うのだけれど、実に微妙だ。
裏を返せばアテにされていないとも言えるのでは?
私がいてもいなくても、ちゃんと仕事は回っている。
ありがたいとは思えども、私の存在意義とはなんだろうと考えた。
まあそこは突っ込んだら負けのような気がするので黙殺する。
ならば最低前日出発で間に合うわけだ。
となれば猶予は今日を入れて三日間ほどか。
「急ぎの仕事は?」
「特にありません。必要と思われる書類もサキアスに言って揃えてあります」
完璧ではないか。
「手紙にはなんと?」
マルビスに尋ねられて私は読んだ手紙をそのまま渡す。
見られて困る内容でもないし、マルビスは関係者だ。
それにザッと目を通すとマルビスは少し考えるような仕草で握った拳を唇に寄せた。
「ほぼ旦那様のところに届いた手紙と内容は一緒ですね。ですが一日日付が早いです。それも夕方にですか」
「そうなの?」
マルビスは大きく頷いた。
「当日夕方別宅にて待たれたしとあります。どなたかが訪問なされるのですかね?
旦那様のほうはその翌日、『御子息と一緒に登城されたし』となっていました」
「つまり何か先に内密に話があるということですか」
ロイが手紙の内容の食い違いに眉を寄せ、マルビスがその手紙を渡すとイシュカと二人、並んでそれを読む。
「おそらくそうでしょうね。
謁見の間では王族とその関係者以外の目も多いですから。
褒美は何が良いか考えておけともありますよ? どうするんですか」
イシュカがその一文に目を止める。
「確か学院への寄付を頼んだはずだけど」
その時イシュカも一緒にいたはずだ。
ミゲル達の生徒会への一助となるようにと。
「それはクルトの件のものでしょう。また別にということになるのでは?」
マジか。
そういえばそんな事を陛下が言っていた気もする。
「いつもいらないって言ってるんだけどなあ。高価なものもらうとかえって高くつきそうだし。
誰か何か欲しいものある?」
私は大きく溜め息を吐いてそこにいるみんなに尋ねるとみんな一様に黙り込んだ。
ウチの経理はビスクがしっかり管理してくれてるし、仕事に必要な物なら全てマルビスが手配してしっかりビスクが経費で落としてくれる。ここにいるみんなは浪費家でもないのでどちらかと言えばお金を使う場所がなくて日々貯まっていく一方だと言ってるし、唯一貯め込んでいる様子のないガイは宵越しの金は持たないタイプであまり多くの物を置きたがらないし調査に必要な経費はマルビスが管理している。
「いえ。今のところ特にこれといって」
マルビスのその言葉にみんなが頷く。
欲しいものが無いわけではない。
王家に褒美として賜るほどのものはないというのが正しい。
金貨も唸るほどあるのでお金で買える物をねだっても意味はない。
地位も名誉も真っ平ゴメンで欲しくない。
「だよねえ。まあその辺はもう少し考えてみるよ。前日の話次第で決めてもいいし。また面倒なもの、押し付けられないといいんだけど。そういえばウォルトバーグの一件以降ウチの酒蔵、かなり減ったよねえ。何も他に思いつかなかったら無難にまた陛下に珍しいお酒でもタカっておこうかなあ」
酒という言葉に反応したんは勿論この二人、テスラとガイだ。
だが陛下という言葉にその表情を一瞬にして顰める。
そうだよね、その反応、わからなくもない。
陛下の褒美には大概面倒事がセットだ。
しかもこれからも頼むぞ的な裏の思惑が透けて見えることも多い。
だが総勢三百名の騎士と団員プラスウチの警備が呑んだお酒の量は半端なく、飲みきるのに何年かかるだろうと思っていたのに実に貯め込んでいたお酒の七割以上がここ二か月で消費されてしまったのだ。
所詮泡銭ならぬ泡酒、まあ構わない。
娯楽が少ないこんな世の中は特に酒の需要は大きい。特に男には。
もともとそういうつもりで頂いたものでもあるし、みんなその分働いてくれたんだからその程度はボーナスみたいなものだ。
なくなれば終わり、そこそこの値段の酒を詰め直すだけ。
ザルどころかザルの網目もないようなウワバミ連中にはそれで充分。
気にしない、気にしない。
そう思っていたところだし。
「それもよろしいかもしれませんね」
そう言ったのはマルビスだけだ。
マルビスでも入手困難な希少品があって大事にしていた物もあったらしいのだけれど、それも辺境伯に買い上げられて呑まれてしまったわけで。
ならばもう一度それを強請るのもいいかもしれない。
王家ならではの独自入手ルートは捨て難いだろう。
みんなの異論はなかったので、陛下との話し合いの中で特に欲しいと思うものとかがなかったらそうすることにしようとなった。ただ最初にお願いするのではなく、無理難題を押し付けられそうになったらその拒否権としての利用も視野に入れて。
「じゃあ出発は二日後早朝で。父様と叔父さんも一緒だし、マルビスとロイもいるしね。今回は期間も短めだし、テスラにゲイルと留守番頼んでもいい? 何かあれば専属の獣馬乗り使って早馬飛ばして? 一応緊急事態に備えてルナは連れてくつもりだけど適当に護衛メンバー選出しといて」
「承知しました。ではそのように」
そうロイやイシュカ達が返事をすると早速それぞれ準備に取り掛かる。
さて、と。
私はどうしよう?
まずは登城の際の衣装チェックか。
成長期の子供の身体はそこそこに面倒だ。
この間まで丁度良いと思っていた服の袖が短かったり、足首が出てしまったりということもある。だからといって身長がこのままでいいとは思っていないのでちょっとだけ嬉しかったりするのだけれど。
「今回ガイはどうするの?」
扉の脇の壁に寄りかかったまま一度も口を挟まなかったガイを振り返って私は尋ねた。
「一応行く。城に行くつもりはねえがリディと連絡も取りたいしな」
「なんか物騒なことでもあるの?」
すっかりリディとは馴染んだみたいだけど王族が絡んでガイが自ら進んで付いてくると言うあたりが結構珍しい。嫌な予感がしないでもないのでそう尋ねるとガイが特に悩むでもなくペロリという。
「微妙だな。御主人様は敵を作りやすいし。まあその分猛烈な勢いで信者も増やしているから何とも言えないところなんだが、その辺りのことも確認したいんで今回は付いてく」
相変わらずタラシ込んでるつもりはないのにソレは増殖しているわけか。
やはり私から妙な病原菌じみたものが出ている説は捨て難いのかも?
タチの悪い悪性腫瘍にも似たソレは完治できるのだろうか?
いやいや腫瘍というよりきっと一過性の麻疹や水疱瘡みたいなものか。可愛くて綺麗な女の子や色っぽいお姉様が前を通れば目が覚める程度のものだろう。
気にしない、気にしない。
気にしたらむしろ負けだと思っておこう。
でもアッサリ口に出すということは然程危険でもないのだろう。
ガイは重大案件に関わって来そうな問題があると話題をすり替えたり、お茶を濁しがちだ。だが油断大敵、物事というものはちょっとタイミングがズレるだけで大事故が起きたりするものだ。私は壁に寄りかかるガイの前までくるとジッと上目遣いで見上げる。
別にアザとく可愛らしくを狙ったわけではない。
身長差が原因なのだが、真っ直ぐに(極力)近い位置で視線を合わせる。
「気を付けてね」
ガイは好奇心旺盛だし、面白そうだと思うとあまり自分の安全を顧みないところがある。それをわかってて諜報活動をやらせている私も私なのかもしれないけれど、私はガイを縛りつけたいわけではない。
ガイがもう嫌だと言えば普通に仕事をしてもらってもいい。
ウチにはたくさんの仕事があるのだし、無理する必要はない。
だけど楽しそうなガイを見ていると止めて欲しいとは言えない。
私はズルイのだ。
怖いと言ってもいい。
束縛を何より嫌うガイにそれを言うと帰ってこなくなりそうで。
ハッキリ言ってジレンマだ。
イイ男(?)ぶってるだけで、結局何も言えない意気地なし。
そんな私の気持ちをわかっているのかガイは私が何か言いたそうにしていても、それを聞いてくることはしない。
「絶対どこへ行っても戻って来てね」
私、いつまでも待ってるから。
そう口に出せばきっと重い。
だからせめて『行かないで』の代わりにいつも私はそう言うのだ。
本当に言いたい言葉を言えない私は臆病者の意気地なし。
「ああ、わかってる」
多分、私のそんな気持ちをガイはお見通しで。
だからいつもガイは心配するなとばかりに私の髪をクシャリと撫でるのだ。
こんなふうに。
子供をあやすような、そんな仕草。
『どんなに大人びていようと子供は子供だろ?』
そう言うガイの言葉が胸に刺さるのは何故だろう。
中身は違うというのを黙っている罪悪感からか、それとももっと別の理由なのか。
でも。
それでも私の身体はまだ間違いなく八歳児の子供。
私はガイが撫でてくれた頭を押さえながらガイが出ていく後ろ姿を見送った。