表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
261/369

閑話 ゴードン・ジ・ベルトラルクの宣誓 (1)


 一言で言うなら規格外。

 

 彼をよく知る人物達は口を揃えてそう言う。

 とにかく変わっているのだと。

 才能、頭脳、身体能力、価値観、考え方などに至るまで。

 大抵の場合、変わっていると言われる人々は個性的といえば聞こえはいいが周囲の事情、迷惑を考慮しない、ハタ迷惑な人物が多いものだ。

 だが彼をよく知る者ならば彼を悪く言う者は殆どいない。

 いや、いないこともないのだがその者の話を聞けば自分に都合が悪いからという事情が透けて見えている。結局己の利益が害されるから彼が気に入らないというわけだ。

 だが彼はそんな輩のことは一切気に留めることはない。

 自分に関わらないならばという但し書きはつくが、敵がいたとしても自分には多くの仲間と味方がいる。その人達がわかってくれているのならと第三者の評価など全くと言ってもいいほど気にしない。

 それどころか自分の評価と価値を極力低く、下に下に見せようとする。

 自分の力などたいしたことないと。

 地位にも権力にも全く興味を示さない。

 有り余る資金力がありながら、それらにも執着もしない。

 必要となれば自分の金庫の中身を空にするのも厭わないという。

 そんな馬鹿な話があるものかと最初は半信半疑だった。

 だが実際、今までにも彼の財産は何度も空に近い状態にまでなっているという。

 あの御方は贅沢なんかに興味はないんだよと、彼の商会の従業員達は言う。

 貴族というものはお金があれば豪華な食事、高価な服、最高級の絹で身体に合わせて仕立てるのが普通だ。だが彼は仕事がしやすい動きやすい格好が一番と自分のところの商品である既製品を愛用し、自分が気に入って商品化したのだからと常日頃からそれらを来て歩く。

 それがまた宣伝効果となって更に売れるというわけだ。

 彼の方は歩く広告塔でもあるのだと。

 全く貴族らしくも、子供らしくもないその御方、ハルスウェルト様はとにかく変わり者なのだと。



 初めて彼を見たのはベラスミ国王陛下の謁見の間においてだった。

 成人前のシルベスタの皇太子殿下より更に年若い、いや、幼いと言っても差し支えのないその子供は一国の王の前でも堂々とした振る舞いで大人に混じってそこにいた。

 突然の大国の皇太子訪問にここ数日間城の中はてんやわんや。

 いったいどんな理由があってと疑心暗鬼、戦々恐々とした空気が城の中には漂っていた。

 一年ほど前に来訪したオーディランスの使者はこちらに無茶な要求を突きつけ帰って行った。それによりただでさえ厳しいこの国の財政は逼迫、破綻寸前で国王、宰相、大臣までもが頭を抱えていた。そこに今度は近隣諸国でも特に国土の広い大国の王子の訪問、どんな無茶な要求を突き付けられるのかと。

 ところがだ。

 持ち込まれた案件はこの国の多くの民を救う可能性を秘めた運河、水道建設への参入の可否を問うものだった。

 他国では待ち侘びる春の訪れもこの国ではそれを喜ぶ者は皆無に等しい。

 それは毎年多くの災害を引き連れてくるものだからだ。

 北に聳え立つ多くの雪山は春になると大量の雪解け水を川へと流し氾濫、毎年水害や緩くなった地盤の崖崩れなどの災害により多くの犠牲者を出している。南の国では水に困っている国も多いと聞くが我が国からすれば悩みの種でしかなかったこの問題を解決に導くものだ。しかも厄災であるそれらを南の国相手に大量に売りつけることで外貨まで得られる、貧困化が進んでいるこの国を間違いなく劇的に変えてくれるものだ。

 洪水となる雪解け水の氾濫からこの国を解放し、湿った大地を乾かし、実り豊かな国に変えることも叶う可能性を秘めた案件、陛下は勿論、宰相、多くの大臣達、警備に兵士達に至るまで色めき立ったのがわかった。

 勿論、それは私もだ。

 こちらが納得するまで説明すると詳しい人材を連れての訪問。

 その並ぶ錚々たるメンバーの中に彼はいたのだ。

 彼の名は間違いなく我が国にも轟いていた。

 子供の身でありながら様々な武勲を立て、シルベスタ国王陛下の覚えもめでたい彼の名はハルスウェルト・ラ・グラスフィート。

 僅か六歳の幼い子供だ。

 何故ここに彼がいるのかと思えばこの壮大な計画の発案者であるという。

 それが本当だとするならば王子が至宝というのも頷ける。

 存分に検討をという言葉を残して彼等が退室したその時、問題は起こった。

 城下町から少し離れた南の方角にある村が四頭のグリズリーに襲われ、救援依頼が入ったのだ。


 よりによってこんな大事な時に。

 私は耳打ちされた内容に客人の前であることを一瞬忘れて顔を顰めた。

 我が国の討伐部隊は現在他の地区の魔獣討伐に出払っている。すぐに対応が出来ない。大国の賓客を放って出掛けることも憚られる。どうしたものかと頭を抱えていると彼等から討伐支援を申し出て下さったのだ。

 彼は周辺諸国でもその名を馳せているシルベスタ王国最強と名高い双璧の一角、アイゼンハウント団長だ。願ってもないことではあるものの国賓とも言える方に手伝わせるのはどうかと悩んでいると城下町にも期待できる戦力が滞在しているし、彼、ハルスウェルト様にも手伝わせるから問題ないという。ただ彼を担ぎ出すとなるとシルベスタ王国では子供の参戦は認められていないため、彼の持つ冒険者特権を使うので討伐した魔獣素材の半分を取り分として彼に、残りは状況を見て配分するという条件を提示された。

 それは迷うまでもなく当然の権利だ。

 むしろ手伝って頂くのであればこちらが依頼料を出すべき案件であることを考えれば全て差し出すのが道理、否はない。彼の持つS級冒険者登録証には驚かされたものの、彼の持つ様々な功績が嘘ではないというそれは証でもあった。


 S級ランクは金でも権力でも買うことのできないものだ。

 つまり彼にまつわる物語か伝説かのような功績が事実であるという裏付けにもなる。

 彼等の仲間が泊まっているという宿屋に向かい、団長が装備を整えている間に彼が従者であるロイという男に買い物に行かせたのは見ていた。討伐に必要だと言って買ってこさせていた品は到底グリズリーの討伐に役に立つとも思えないものばかり。

 ハチミツ、料理で使うオタマ、トング、大判のハンカチ、薪だ。

 なのにそれらを使い、私が思いもかけないような方法を用い、僅か数名を指揮して彼は初級の魔法を組み合わせ、本当に一刻も満たない間に高ランク魔獣を討伐して見せたのだ。


 驚いたなんてものではない。

 顎が外れるかと思った。

 それは表現する言葉が見つからないほどの驚愕。

 そうして戻って城に戻ってきた後もそれは続いた。

 シルベスタ王国の思いもかけなかった申し出に飛びつきたいのは山々だが肝心の資金を捻り出すことが不可能、なんとか資金調達できないかと頭を抱えていた我が国に彼は自分の商会の仕事を割り振ることに協力できるなら関税対策など条件次第で自分が資金を建て替えることも可能だと申し出たのだ。

 彼がオーナーを勤める商会従業員の制服、商品を販売するために必要となる入れ物や小物、その他の仕事を平民達に割り振り、その作業料として回収。つまり我が国の税収となる部分を彼の商会が建て替えた代金返済に当てるというものだ。

 彼等の仕事を技術者、職人に配分し、手間賃も支払われ、運河建設の資金も用立てられる。思いもかけなかった方法にも驚いた。もしこの提案を受け入れるつもりがあるならば、そのために商会の代表とその幹部達がいる彼の屋敷に会議の場所を移したいと。

 運河建設をなんとしても実現したい我が国にとっては願ってもない。

 現場が見たいという彼とその一団の案内を陛下からくれぐれもと申し使った私はその予定地へと同行した。風呂好きだという彼が温泉にはしゃぐ姿は年相応に見えなくもないがその言動と振る舞いは既に大人。鉱山から逃げ出して来た男が仲間を犠牲にして生き残ったことに対して静かに激昂し、やり込める弁舌は大人顔負けだ。そうして事態把握のためにもこの国を守る騎士として向かいたいと願うと協力も申し出てくれた。

 この国の者ではないから手伝う義理はないと遠回しに私に言いつつも力を貸してくれるという。チグハグなところがないこともなかったが彼の話を聞いていると納得した。

 その土地の民の危機はそこに住まう者が力を合わせて対処すべきと彼は考えているのだ。

 今回は彼等が居合わせたが、それはたまたま運が良かっただけの話。

 常日頃は自分達はここにはいない。

 自分達を頼りにされても応えられない、自分達には自分達の生活があり、守るべき者がある。またこのような事態になった時、また助けてもらえると思うのは間違いだと。だからこそそこにいる者が対処する術を身につけなければ今日助かったとしても同じような災厄が降り掛かれば今度は助からない。来るかどうかもわからない助けを待って自らの身に降りかかった災難と戦うこともせず、命を落とすようなことがあってはなならないのだと。

 強者とて万能ではない。

 そんな強者(たにん)をアテにして戦わずして怯えて待ち、傷付けば『何故もっと早く助けてくれなかったのだ』とその力を持った者を恨む。

 そんな不条理があってはならないのだと。

 だからこそ彼専属の護衛であるイシュカと呼ばれていた男は彼の戦い方を見ておくべきだと私達に進言した。

 一人では出来ないことも複数の者が力を合わせれば出来ることもある、力がないと理由付けして逃げ隠れることは言い訳でしかないのだと。

 そうして鉱山で出会したカイザーグリズリーも策を練って最小限の被害で留めるように対策し、そこにいた者の協力を得て、またしても強大な魔法も武力も振るうことなく見事に討伐の手助けをしてくれたのだ。

 首こそ私が切り落としたもののこれを私が倒したというのもおこがましい。そのクラスAとも言われている魔獣の片足を切り落とした彼は自分の戦果を誇ることなくそこにいた者達と共に喜びを分かち合い、私達にも礼を言って更には去った後には自分を手伝ってくれた礼だと、関係者を労う酒を後日届くように手配までしていた。


 呆然とした。

 そして理解したのだ。

 彼は私達と考え方がまるで違うのだと。

 各々が役割分担し、協力し合うことで強大な敵をも倒す。

 今までには考えもしなかったことだ。

 その後、彼の屋敷でも様々な事件や問題が発生し、我が国でも重大な事件に宰相達が関わっていることが発覚して対外的に彼等の存在は抹消され、彼の下で奴隷紋を刻み、尽くすことになった。このことに関してはごく一部の限られた者しか知られていなく、二人は処刑されたことになっている。

 結局、彼がベラスミの山を観光施設開発のために買い上げ、同時に彼のハルウェルト商会の下請けを主に請け負うことでベラスミの運河建設が施工されることで落ち着くことになった。

 発案、提案、資金調達、その他諸々の殆どに彼は関わり、見事その手腕で全てを丸く収めて見せたのだ。


 そして春には運河が彼のいるグラスフィート領とベラスミが繋がり、私達を苦しめていた川の氾濫訪れることもなく、ベラスミは独立自治区として認められ、新たなシルベスタ王国の領地として新しい歴史を歩むことになったのだ。


 様々な功績を残しながら彼は決して前に出ようとしない。

 極力目立ちたくないとばかりに功績を他者に押し付けて、自分はのほほんと楽しそうにしているのだ。

 噂というのは兎角誇張されがちだ。

 だが彼の場合はむしろ逆。

 何故ここまでの人物が今まで殆ど話題に上ってこなかったのか。

 彼の勇姿と振る舞いはベラスミの民の間でも最早伝説だ。

 年末に御静養に見えた時は救って頂いた周辺の村々から大勢の民が押し掛ける事態となったが彼はそれでも変わることも驕ることもなかった。


 私は彼が来年開講するという講義をなんとしてでも受けたい。

 それを領主代行に願い出て近衛隊長の座を返上し、彼がこの地で大蛇の魔物を倒した時に伺い、申し伝えると彼は微笑って私に言った。

 プライドを捨て、自分よりも年下の子供に混じって学ぶつもりがあるのなら来年を待つまでもなくもっといい方法があると。


「書物を読む以外にですか?」

 私が聞き返すと彼は大きく頷いた。 

「この土地には孤児院や養護院みたいなものはある?」

「ええ、ありますが?」

 それがどうかしたのか。

 どこの国にも災害や戦争、魔獣被害に巻き込まれて親を亡くした子供は多い。

 特に珍しいことでもない。

 すると彼は私に意外なことを提案して来た。

「だったら話は早い。時間がある時にそこに行って子供達と全力で遊ぶといいよ?」

「何か意味があるんですか?」

「勿論」

 不思議そうな顔をする私に彼は続ける。

「子供はゴードンよりも力も体力もない。そんな子供が貴方に勝つためにどんな悪戯を仕掛けてくるか体験してくるといいよ。

 但し魔法は使っちゃ駄目だけど手を抜いてもダメだよ? 

 子供はそういうの敏感だからね。

 柔軟な子供の発想は素晴らしいよ。大人とはまるで違うことを考える。

 ただ一日や二日通った程度じゃ無理だろうけどね。

 一緒に泥だらけになって遊んで、子供達と仲良くなれたらきっと面白いものが見られると思うよ?」

「面白いもの、ですか?」

 それにいったいなんの意味があるのか。

 私はわけがわからなくて再度尋ねると彼はその理由を教えてくれた。


「私が使う多くの手段は子供の悪戯を大掛かりにして手を加えたものなんだ。力で勝てない相手にどう対抗するか子供は既成概念にとらわれずに考える。自分をどんな手段を使ってやり込めようとするかよく見てみなよ。あの手この手、様々な手段を使って貴方に勝とうとしてくるだろうね。

 だからきっと本を読むよりもずっと勉強になると思うよ? 

 ゴードンが手を抜いてワザと子供に花を持たせるようなことをしなければ負けん気の強い子なら特にね。

 それが応用できるようになれば魔獣討伐にも役に立つよ、きっと」

 力を持たない者が力ある者に勝とうとする手段。

 それが糧になるということか。

「今度試してみます」

「大人が手を焼くような悪戯坊主がいれば最高だよ、きっと」

 彼はそう言って綺麗に笑った。


 その日以降、私は休日に時間があると安い子供のオヤツになりそうなものを抱えて孤児院を訪問するようになった。

 彼が言うように全力で遊んだ。

 本気の私に簡単に子供が勝てるわけもない。

 それでも彼に言われた通りにしていると三回目の訪問から特に気性の激しい男児が二人ほどムキになって私になって突っかかって来た。

 まともに当たれば私には敵わない。

 それを悔しがってなんとか私をやりこめようとあの手この手と用いてくる。それは回を追うごとに巧妙になり、気を抜けば引っかかりそうな時もあった。

 成程、彼が言っていたのはこういうことか。

 私は楽しくなってきて子供達の悪戯をつぶさに観察し、それらを魔獣討伐でなんとか利用できないか考えるようになった。

 彼が子供の発想は既成概念に囚われることがないから素晴らしいのだと言っていた意味がわかってくる。大人では考えつかないような手段に面白くなって私は彼の忠告通り手を抜くことなく本気で相手をする。やられたらやり返す、悪戯には悪戯で、そんなことを繰り返しているうちに自分にも発想力が身についていくと感じられた。

 私が来るのを楽しみに待ち構えている子供達との知恵比べ。

 大人が手を焼くような悪戯坊主がいれば最高だよと彼は言っていた。


 つまり彼も悪戯小僧なのか?

 魔獣魔物相手にどうやって引っ掛けてやろう、どうして罠に嵌めてやろうと模索して対処しているということなのだろう。

 それはただ勧められた書物を読むだけでは得られない経験。

 だが知識無くして活かせないものでもある。

 だからこそ彼は書物を読み、情報を蓄えろとそう言ったのか。

 理由を頭と体で理解すれば楽しくなってくる。

 ここでこうしてこうすれば、こう避けるだろうからここにこれを仕掛ける。そんなふうに趣向を凝らして本気で子供と遊んでいると勉強になるのと同時に考える力を身につける。

 発想の転換、相手を如何に自分のペースに持ち込むかが勝負だと。


 そうして休日の度に僅かな時間を作っては訪ねていた孤児院に彼の講義が始まる春先、留学のためにこの先来れなくなる旨を伝えると私を目の敵にしていたガキ大将が号泣した。

 不思議な気分だったがまた来ると約束はしなかった。

 私の仕事は常に危険と隣り合わせ、いつ訪れるかわからない死という別れ。

 安易な約束はすべきでないと私は頭を深く下げ、後ろ髪を引かれるようにその孤児院を後にした。

 そして私は念願叶って彼の講義に参加したのだった。



 彼と彼の助手、イシュガルドことイシュカの講義は面白かった。

 開講式を兼ねた入学式に参加した時は彼の講義に疑念を持って参加していた者もいたのだが、そこで何千というベルドアドリの大群が襲い掛かり、それを瞬時に討伐してみせた手腕に受講者達は驚いていたが、私からすれば何をそんなに驚いているのかと思ったくらいだ。

 四頭のグリズリー相手に即座に対応してみせる彼に低ランクの魔鳥ごときが大量に現れたところで相手になるはずもない。

 私は変わらず最前線に迷わず立つその姿に憧れた。

 開講式での演説も実に彼らしく、自己評価の低いものであったがその言葉は聴いている者の心を揺り動かす。ただでさえ眉唾ものの夢物語のように語られていた彼の評判は多数の見物者を得て更に広まっていくだろう。

 現実の武勇伝として諸外国に伝播していくに違いない。

 私は彼等の講義を一言も聞き漏らすまいとメモを取る。

 彼オススメの書物が置いてあるという図書館にもすぐに向かい、これから先、借り手が多くなれば読めない本も出てくるかもしれないとまずは並ぶ書物の題名と著者をチェック、読んだことのない本は期間中に借りられるだけ借り、目を通した。

 書物はまだ高級品、そう簡単に手に入れることは出来ない。

 とにかく出来るだけの知識を詰め込もうと必死に一ヶ月を過ごし、私は故郷に戻り、魔獣討伐部隊に転属、確かな手ごたえを感じながら毎日を忙しく過ごしていた。


 そんな時だったのだ。

 ハルウェルト商会から三通の手紙が私のもとに届いたのは。

 

 仕事柄、自宅に戻れないこともしばしば、一家の大黒柱として懸命に不規則な生活の中では家族との会話も少なくなりがちだ。

 それでも父を亡くしてから母も妹達もハルウェルト商会から回ってくる裁縫の内職で家計を助けてくれていた。

 貴族という身分こそなくなったものの、もとから名ばかりであったため余計な見栄を張らずに済むようになったことはむしろ喜ばしい。今年は弟のクルトも騎士の試験を受けたいと言っていた。

 鍛錬に時折付き合って交わす剣筋から考えると騎士は厳しいだろうが衛兵くらいには引っかかってくれるだろう。

 私も始めから強かったわけではない。後は本人の努力次第。

 領主代行に気に入られているのか屋敷にも出入りさせてもらっているようだし、仮に衛兵が無理でも領主代行の警備くらいには入り込めるだろうと、そんなことを考えていた矢先だったのだ。

 仕事を終えて自宅に戻ってくるとそこには見知ったハルウェルト商会の者が待っていた。


 彼の名はノーマン。

 この領地にあるハルウェルト商会の施設立ち上げに滞在しているベラスミの副支部長だ。

「帰宅直後に申し訳ないのですが至急でお耳に入れておきたいことがありまして」

 ウチは一応もと貴族。傷んでいるところも多いが屋敷と敷地の広さだけは普通に比べると広い。とはいえこの辺りはハルウェルト商会の施設から少し離れているため土地の値段も上がっているというわけではない。あの辺りは人里も少なかったため殆ど国が土地を所有して貸出していたのだが、現在ではその周辺の土地の値段は爆上がりしているので一般庶民では手が出せない価格になっている。もっともあの周辺一帯は既にハルウェルト商会が押さえているし、話題のアレキサンドライト発掘を狙ってシルベスタの貴族や豪商がこぞって山を買い漁ったため殆どベラスミ所在の者はその所有権を持っていない。領地に所有権が残っているのはもとからあった町とその周辺の人里だけ。ここを売り払われては民の暮らしが困るからとシルベスタ国王陛下から転売禁止区域に指定されているので実際には一般平民の生活には殆ど影響はない。

 それでもハルウェルト商会から回される仕事は尽きることがないために民は金を稼ぐ手段が増えたこともあって以前より豊かに暮らせるようになってきている。食料品や生活雑貨も手に入りやすくなった。本当にありがたいことだと思う。母や妹達も増えた裁縫の内職で家計を助けてくれているので我が家も随分と生活が楽になってきていた。

 だが確かにハルウェルト商会の内職を引き受けてはいるが出来上がった商品を回収するために近所の支店に来ることはあってもノーマンが今まで直接ウチに来たことはない。

 ノーマンの強張った表情にただ事ではないと感じて私は尋ねてみる。

「何かあったのか?」

「できればその・・・」

 チラリと母や妹達に気付かれないように視線をそちらに流して口篭った。

 どうやら他の家族にはあまり聞かれたくない案件のようだ。

「私の私室でいいか?」

「構いません。お願いします」

 すぐに返ってきた返事に早急な要件であるのだろうと判断し、すぐに場所を移動するとパタリと扉を閉めたところでノーマンは入り口に結界を張った。

 余程聞かれたくない内容なのか?

 そうしたところでホッと息を吐き、ノーマンは私に手紙を差し出してきた。

「全部で三通あります。ハルト様、マルビス様、貴方の弟君からのものです。

 まずは弟君のものから、次にマルビス様からのもの、最後にハルト様からのものに目を通して下さい」

「普通なら逆ではないのか?」

「弟君のものを読んでいただければその理由も理解して頂けるかと」

 どういう意味があるのかわからないが何か事情があるようだ。

 小さなテーブルセットの椅子を勧め、ノーマンがそこに腰掛けると私もその前に座り、渡された三通の手紙を置くと指示された通りにまずはクルトの手紙を開いた。

 六枚にも及ぶその手紙に目を通すとすぐに理解した。

 ノーマンの強張った顔も、わざわざここに足を運んで来た理由も、結界まで張って防音対策をした事情も。


 全て。


 クルトが一年近く前から領主代行であるウォルトバーグに嵌められ、奴隷契約を結ばされ、支配を受け、ハルウェルト商会の情報を探るために利用され、更には学院祭でハルト様を暗殺するために襲い掛かり、捕えられたのだと。そこでハルト様にウォルトバーグの呪縛から解き放つために奴隷契約の上書きをされ、今は彼のもとにいるのだと。

 ウォルトバーグの企みはハルト様の暗殺。

 彼の所有するあの施設を従業員とアレキサンドライトの鉱山を奪い取ること。そのためにウォルトバーグは様々な悪逆非道な手段を使い、現在兵を集めているのだと。

 俄かに信じがたいことではあったがそれは間違いなくクルトの筆跡、クルトがこのような嘘を吐く理由もない。そういえば最近、家に数日帰ってこないこともしばしばあった。領主代行に仕事を頼まれているので修行と小遣い稼いもかねて仕事を貰っているのだと言っていたのだが、その裏にこんな事情があったとは。

 私は驚愕に目を見開き、その手紙をクシャリと握った。


「この件に関しては既に国王陛下の耳にも入っているそうです。

 ハルト様も事態の鎮圧に協力し、動くことになりました。

 そこでまずは貴方の意思と事実確認をと。

 貴方は領主代行の企みに気付いていなかった、これは間違いありませんね?」

 知らなかった。

 春以降は魔獣討伐に出ていることも多く、城(今は役場扱いになっているのだが)を空けることも多かった。だが、それは春以降からのこと。

 それ以前はすぐ領主代行の側にいたのにまるで気付けなかった。

 それを思えば・・・

「ああ。だがこれは知らなかったで済まされる問題ではない」

 よりによってベラスミにとって大恩のあるあの御方に迷惑をかけるなどあってはならないことだ。

 彼はこの領地の八割近い民に今や英雄の如く語られている。

 こんなことが明るみに出れば折角落ち着いて来た民の生活もあっという間に崩れかねない。彼あっての今のベラスミの平和であるとも言えるのに何故ウォルトバーグ領主代行はこんな愚かな行動に出たのか。

 それよりも領主代行の謀反に私は一番に気付くべき立場ではないのか?

 知らなかったで許されることとは思えない。

 おそらく私の顔色は青を通り越し、白くなっていたことだろう。

 握り締めた拳はあまりの現実にワナワナと震えていた。

 何故このようなことになっている?

 混乱を極めている私にノーマンがテーブルの上の一通の手紙を指差した。

「おそらくそう仰るだろうと判断してのマルビス様の手紙がこちらです」

 その内容はクルトがハルト様の奴隷紋を刻まれて以降の話が書かれていた。

 現在クルトは死亡したことになっていて彼のもとで執事修行することになり、クルトとの約束でハルト様の掌には履行契約書の紋が刻まれてているのだと。そして領主代行を追い詰めるための計画が進行中であるとそこには書かれていた。


「既に計画は動き出しています。ですので貴方にはくれぐれも下手な正義感に駆られて余計な行動を起こさないように申し伝えて欲しいとの伝言です。今まで知らなかった貴方がいきなり動き始めてはこちらが勘づいていると悟られかねません」

「・・・しかしっ」

「貴方が動いて気付かれればハルト様達の立てた計画は全て台無しです。

 動かれる方が迷惑なのだと理解して下さい」

 ノーマンの言葉にそれ以上返すことは出来なかった。

 確かにそうだ。

 今まで何も知らなかった私が行動を起こせばハルウェルト商会と繋がりを考えれば何らかの情報が伝わっている、もしくは知られているとも取られかねない。何の策もなく、彼の計画と連携を取ることもせずに動けば彼の邪魔をしかねない。

「そして三通目、ハルト様が貴方の弟君と交わした約束の書類、契約書と手紙です。こちらを使うかどうかは貴方の判断に委ねるということです」

 そこには私を家族ごとグラスフィートの地へ受け入れ、仕事も用意して下さるというものだった。

 そして添えられた彼の手紙には一言。

 ただ、『待っているよ』と。

 この事態が明るみに出れば私は間違いなく職を失うだろう。

 そうでなくてもクルトが彼の暗殺を企てたと近隣の町や村々に伝われば母や妹達もタダでは済まない。下手をすればここで生活するのも難しくなるだろう。

 だが、だからといって、

「こんな高待遇を私が受けて良いわけがないっ」

 これは家族の中から犯罪者を出した家族が受けて良い条件ではない。

 奴隷契約を結ばされているとはいえもとをただせば領主代行に騙され契約させられたのが原因で、弟が暗殺しようとした彼からこんな条件を呑んでもらう理由がどこにある?

 彼は諸外国との外交の要、シルベスタ王国の重要人物だ。

 一族諸共処刑にあったとしても文句など言えはしない。

「そのお返事は直接ハルト様へ。

 ベラスミの施設開園前でもあるのでハルト様は早々に決着を付けるつもりでいらっしゃるということですので仔細な情報や計画が分かり次第、またこちらに連絡致します。私が頻繁に出入りすると怪しまれる可能性がありますのでこの町にあるウチの商会の店に毎日立ち寄って頂けますか? 酒瓶などの中に手紙を入れて渡します。注文の品は届いているかと店の者に尋ねて下さい。ない場合には届いていないと答えるはずです。貴方からの連絡はこちらの商品を」

 話をそこで区切るとノーマンは持っていた袋から五つの箱を取り出した。

「アンティークの小物入れです。こちらは二重底になっています。これの買取を私に頼んであると店の者に。

 計画は商会の中でも一部の者しか知りません。至急でこちらに訪ねて来る際にはくれぐれも悟られないような理由付けを。必要であれば私とジュリアスの名前を使って頂いても構いませんので」

 

 そう言って彼は結界を解くと一礼して出て行った。



 どうする?

 どうすればいい?

 とりあえずは知らぬフリで仕事を続けるしかないだろう。

 行動を起こしたいのは山々だが下手に行動を起こせば彼の邪魔になって却って迷惑をかけるだけ。動くべきではない。

 それにマルビスの手紙の中にもあったようにコトが衆人のもとに発覚すれば私達家族が身動き取れなくなるのも間違いない。

 仕事に出ている私はまだ良い。家にいる母や妹達はどうなる?

 いや、私も仕事が続けられるとは限らない。

 大罪人の兄だ。

 間違いなく職は失うだろう。

 むしろその程度で赦されることではない。私には責任がある。

 だが母や妹を犠牲にしてもよいものか?

 父が流行病で亡くなってから家族には苦労をかけている。

 私は葛藤した。

 翌日からハルウェルト商会の店に寄り、密かに情報を受け取った。

 作戦決行日は一週間後、近衛と討伐部隊が出動になるらしく二日前には近衛騎士が彼の別荘に密かにやって来るらしい。あまり多くの情報が送られてこないのは疑われているのか、それとも私に下手に動くなという警告なのか。おそらく後者であろうとは思う。

 知れば私は駆けつけたくなってしまう。

 だからこそ当日は理由をこじつけられて現場に担ぎ出されないように注意してくれとの伝言だろう。

 独立自治区として認められているものの、既にここはシルベスタ王国の領土。ウォルトバーグがやっていることは謂わば謀反。オーディランスのように不条理な要求を突きつけて来るならまだしも、長年抱えていた財政赤字もハルウェルト商会が介入したことで健全化に近づき、運河工事の資金調達の目処をつけてもらった上に土地開発さえも進め、仕事に困っていた者が働ける環境まで整えて下さった。

 なのに後ろ足で砂をかけるような真似など恩知らずにも程がある。

 だがそんな者達の企みに気付けずに安穏と暮らしていた自分にも腹が立った。

 これ以上御迷惑をかけるわけにはいかないと思いつつ、晒されるであろう周囲の非難の目から家族を救ってやりたい。

 そんな葛藤を抱えたものの、やはり家族は見捨てられなかった。

 私はノーマンの置いていったアンティークの箱を取り出すと短い手紙を書いてお願いした。

 母と妹をそちらに招待されたことにして逃してほしいと。

 償いは私一人が負えばいい。

 赦されぬというならば陛下のもとにこの首を差し出しても構わない。

 だがその前に。

 私はどうしても彼、ハルト様に直接感謝と謝罪を述べたい。

 手紙で伝えるなど失礼だ。

 赦されたいなどとは言うつもりはない。

 私は私にできることを。

 そうしてその手紙を箱に隠し、ノーマン宛に送ると翌日には三枚のウェルトランドの招待券が送り返され、船便の手配まで済んでいた。そしてグラスフィートで生活するための資金調達する方法と、荷物、家財の運搬方法に至るまで提案されていて、私は休みを利用して残っていた箱を持ち、急に金が入り用になったので残りの箱をノーマンに買い取って欲しいという名目で前日に約束を取り付け直接支部に行った。

 そこで頭を下げて母と妹達をお願いすると同時に用意してくれていた借用書にサインをした。

 提示された土地と家屋敷の買取価格に自分の管理していた金を上乗せして作られたその借用書とウェルトランドのチケットを封筒に入れ、ハルウェルト商会の封蝋を施してもらい、母にグラスフィートの港でクルトが案内のために待っているから開封せずにそのまま渡すようにと伝言するとノーマンに伝えた。

 そしてウォルトバーグに当日担ぎ出されないためにこことは逆方向の村での魔獣討伐依頼を出して欲しいと頼んだ。

 私が行かないと言っても事情を知らない兵達が連れて行かれては彼等も巻き添えだ。無罪放免とはいかないかもしれないけれど詳しい事情も知らされずに担ぎ出された結果が大罪人の汚名を被るのではあまりにも不条理だ。ならば討伐遠征の部隊を組んで出動してしまえば問題ない。いるはずの魔獣が移動して空振りするということは珍しくもないからだ。

 そうして兵を出来る限り連れ出してしまえば巻き込まれることもないだろう。

 もしかしたら隊の中にもウォルトバーグの仲間がいるかもしれないが、関わっているならその者はきっと遠征を拒むだろうから敵味方の選別もしやすいに違いない。

 そう告げて私はハルウェルト商会の支部を後にした。


 彼が、ハルト様がもうすぐこの地にやって来る。

 まずは家族に救いの手を差し伸べて頂いたことの御礼を。

 そして不甲斐ない自分と弟の犯した事件の謝罪を。

 赦されなくてもいい。首が飛んでもいい。

 出来るなら家族だけでも救いたい。


 クルトもハルト様のお命を狙った以上首を刎ねられたとしても仕方がない立場であるのに奴隷の身分とはいえ彼の側で仕事を与えられ、生きている。ハルト様は奴隷だからと無体を強いられる御方ではない。それはビスクとケイを見ればわかる。被害者への補償金が課せられているというのに薄給ながら日常生活を送るのに最低限度の賃金も与えられ、扱いも普通の使用人と変わらないという。奴隷は馬車馬のように働かされるのが常であり、どんどん不健康に、肌艶が悪くなっていくものだ。だが彼等はしっかりと睡眠、休憩、三食の食事までしっかりと与えられ、むしろベラスミで働いていた時よりも健康的になっているように見えたのには驚いた。

 奴隷であることは一部の者しか知らないのだから目に見えて差別するのはおかしいし、補償金分を働いてもらわなければならないのだから粗末に扱ったら駄目でしょうと言った。


 彼はどちらかといえば露悪的だ。

 私は良い人なんかじゃないという。

 代金分は働かせるのだと。

 やっていることはどこかチグハグで、だが理にかなっている。

 彼のもとでなら奴隷の扱いでもクルトも無体な扱いは受けないだろう。

 それを思えばクルトはまだ運がいい方、安心もできる。

 母や妹達をこの領地から逃してもらえるなら私は安心して責任を取ることができる。

 私は騎士だ。

 いつでも覚悟はできている。

 後は彼の邪魔にならないよう、出来る範囲で出来るだけのことをするだけだ。

 この御恩に報いるために。

 そうして彼が作戦決行と決めた前日まで私は普段と変わらぬ毎日を過ごし、母達をクルトが待つグラスフィートへと送り出し、出勤するとノーマンに頼んでいた通り、北の方角の村から大規模な魔獣討伐依頼が届けられていた。


 私はその日の内に野営の準備も整えて早急に出陣した。

 案の定、討伐部隊の中から十三人ほど急に体調が悪くなったり、連絡が取れなかったが想定内だ。私は狼狽えることなく、仕方ないと溜め息を吐いてノーマンに指示されていた通り、野営のための兵糧をハルウェルト商会で受け取る時にそのメンバーの名簿を店の売上金回収という名目でやって来ていたノーマンにそっと渡し、村に向かった。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ