第九十一話 慌てて大人になる必要はありません。
翌日、目が覚めると既に陽は高く昇っていた。
ふと感じた寒さに側にあった温もりに身を寄せると硬いものに当たって目が覚める。
ロイの胸板だ。服越しだけど。
隣にはずっと側についていてくれたらしいロイが布団の中に一緒に潜り込んでその腕に緩く抱き込まれていたのだが私が身動ぎしたのに気がついてゆっくりと目を開ける。
だいぶ慣れたには慣れたのだが、相変わらずの好みドストライクのロイの寝顔は心臓に悪い。
「お目覚めになりましたか?」
身体を起こして私の顔を覗き込み、その大きくて綺麗な手で優しく撫でてくれる。
まるで恋人にするような仕草にドキドキする。
いやまあ婚約者なわけだけど。
どうか父兄とその子供の間違いだろうとツッコまないでほしい。
今回は私もそこそこ頑張った。
このくらいの御褒美はあってもいいでしょう?
妄想するのはタダなんだから。
「私、倒れたんだよね?」
魔力限界まで振り絞って運河の水を凍らせて、ハネ橋にぶつかる手前ギリギリで停止させたのは覚えている。本当にヤバかった。あれ以上は流石に死ぬと思ったほどの魔力を捻り出し、空っぽになる寸前、オーバーヒート状態でブラックアウト。多分初級魔術一回分の魔力すら残ってなかった。サキアス叔父さんに聞いたところ全くの空っ欠になると死の危険性があるので大抵の場合に於いて身体が反射的に拒絶して気を失うように出来ていると言っていたので、本当の本当にガス欠寸前だったのだろう。
正直、燃える大型船積が突っ込んでくるのは冗談抜きで怖かった。
でもあんなものが橋にぶつかって大破し、破片が飛び散って森にでも引火したら山火事になってとんでもない事態に発展しかねない。橋を作り直すだけなら許容範囲、でも山が丸焼けの丸坊主になってしまったら、森がもとの姿に戻るのには何百年と掛かるのだ。
「船は? 火は収まったんだよね?」
船を停めたのまでは覚えてる。
でも確か船の鎮火はしていなかった。
イシュカも連隊長もいたから船さえ止まれば問題なかったと思うけど。
「ええ。私がここに到着したのは明け方近くですが、船は焼け落ちましたが橋も港も無事です。
多少焼け焦げたところもありますがたいした被害は出ていません。そろそろ後処理も終わっていると思いますよ?」
それを聞いて私はホッと息を吐く。
商船の持ち主には申し訳ないがその程度の被害で済んで助かった。
保証が必要ならマルビスかサイラスに交渉をお願いしないといけないだろうけど、船舶ジャックにあったことを考えれば無事かどうかもわからない。
だがとりあえずの被害拡大は防げた。
「近衛も団員も、ゴードン達もみんな協力してくれたもんね」
「私以外の他の者は現場の片付けと被害詳細な内容確認しております。マルビスがベイラス港に馬を走らせ、ウチの商船をこちらに向かわせましたので朝方には捕縛者達を乗せ、連隊長が近衛を連れ、ひと足先にグラスフィートへ船で向かいました。フリード様は万が一に備えて事務所で待機なされています。彼の方は戦闘、現場指揮、救護、どれもお任せできますので大変助かっています。団長は団員とゴードン達を連れ、ウォルトバーグの屋敷に捕虜となっている方々の救出に。渓谷で捕らえた者は既に昨日の内に王都に向けて護送されましたのでそろそろ到着しているかと。連隊長達も護送を終えたら今回の御礼も兼ねてハルト様の御屋敷に一度戻ってくるとのことです」
じゃあ功労会をやるならそのタイミングが良いかな。
食材やお酒の手配をマルビスに頼んで・・・
「そうだっ、マルビスはっ、マルビスは無事なのっ、みんなはっ⁉︎」
忘れちゃいけなかったっ、マルビス、怪我したんだったっ!
歩いていたし、フリード様が回復してくれていたから大丈夫だとは思うけど。
一瞬にして顔が青くなった私を見てロイが微笑む。
「無事ですよ。常日頃身体を鍛えていたのも良かったのでしょう。傷もたいしたことはありません。重傷者も出ていませんよ。
イシュカは階下でウチの警備の指揮を取り、周囲を捜索、警戒に当たっています。マルビスとジュリアス達は港の被害状況の確認と修理、修繕の手配を、ガイは周辺調査に、ケイは施設内を巡回してくると」
相変わらずウチのメンバーは働き者で仕事も早い。
「閣下と辺境伯とレインは?」
「お二人は仕事の疲れを癒すのだとお酒を持って階下の風呂に。レイン様はそちらです」
仕事?
遊びではないのか?
その単語には些か疑問を感じないでもないがまあいい。
通常運転のお二人らしいといえばらしいが、昼間から酒とは優雅なことだ。
私はロイの指し示した方向、斜め後ろに視線を向けるとそこにはレインの寝顔がある。
私達の会話にも起きる様子はない。余程疲れたのだろう。
幼い寝顔に思わず顔が緩む。こんな姿は本当に可愛いと思う。
「レインも頑張ってくれたもんね」
排水溝に一緒に付いてきてくれただけじゃなく、運河を凍らせるのも手伝ってくれていた。レインの魔力量は騎士団員並み、船を停められたのはレインのおかげでもあるだろう。
「ハルト様はこの後どうされますか?」
このまま少し休んでいたいとも思うけど、片付けないといけないことも、やらなきゃいけないこともたくさんある。それに、
「一旦屋敷に戻るよ。今回の件でまた陛下から呼び出しが掛かるかもしれないし」
襲撃犯の奴隷契約解除もしないとマズイだろう。
結局ウォルトバーグは生きて捕らえられなかったのだけれども、彼等を道連れにすることにならなくて良かったとは思う。その辺りの報告は連隊長達に任せておくとして。
「今、ここに残っているのは?」
「ウチの従業員達と救出した御婦人の方々です。男と一緒にしておくのは問題があるだろうとこちらの女子寮の空室に御案内しました。タッド達の奥方様方がお世話をして下さっています」
それなら安心だ。
人の世話を焼くという点に於いて彼等ほどの適任はいない。
あそこの一家には本当に助けられている。
気になることは幾つかあるけれどとりあえずはお腹が空いた。
食事を催促して鳴った私の腹の音にレインが目を覚まし、ロイが笑って食事の支度をするのでレインとゆっくりお風呂に浸かってきたらどうかと勧めてくれた。疲れを癒すには温泉は最適だ。閣下達のいる階下の風呂を避け、四階の露天風呂に向かった。
何にしても問題は山積みだ。
ベラスミの管理者の反乱なわけだからここの統治管理者は現在不在。
王都から派遣しようにもすぐにというわけにはいくまい。
臨時で誰かを置くにしても城下町周辺の貴族の半数弱が今回の件に加担していたとなれば運営も滞る。彼等の言い分を聞いてみなければ正確なところも判断できないだろうが奴隷契約を結ばされていたとはいえ主となる罪が私の暗殺未遂以外は情報漏洩とほぼ軽犯罪、弁償金で済むクルトが許されなかったのだ、無罪放免というわけにもいくまい。現在独立自治区となっているとなれば問題が起きた今、今後の扱いも変わってくるだろう。これを機に統合してしまうのか、それとも切り離して見捨てるのか。切り離すとしてもここの施設周辺だけは間違いなく統合するだろうけれど、そうなってくるとベラスミで現在ウチで確保している在宅、委託の仕事をしている人達の扱いがどうなるのか微妙なところだ、どうなるかわからない。
襲撃犯以外のもと貴族達の事情、立ち位置でも変わってくるだろう。
知らなかったのか、それとも傍観していただけで連絡を怠っていたのか。後者の場合にはそれなりの罰が下されることにはなるのだろうけど、国境を切り離すとしたら、早急に寮建設の手配をつけて希望者には移り住んでもらう必要が出てくるかもしれない。
他の建設工事との兼ね合いで、少し予定が変わってくるかも。
まあ私の予定が計画通りに進まないのはいつものことだ。
そのあたりはマルビスやジュリアス達と相談する必要も出てくる。
なんとなく嫌な予感がしないでもないが、それでも今までなんとかしてきたし、なんとかなるだろう。
全ては陛下の沙汰次第、今から考えたところで無駄だ。
湯船に浸かりながらそんなことを考えていると一緒に風呂に入っていたレインが声を掛けてきた。
「ねえ、ハルト」
呼ばれて顔を上げるとレインの期待に満ちた目がこちらを見ていた。
「詠唱なしで魔法を発動する方法、教えてくれるって言ったの覚えてる?」
そういえば、排水溝の穴の中でそんな話、してたっけ。
「覚えてるよ」
ここでそれを持ち出されるとは思わなかったが、何かにつけてロイやマルビス達、特にイシュカに対して対抗意識を燃やしているところがあるから早く練習して身につけたいってことだろう。詳しくは今すぐには無理だと伝えたが、それでもいいからと言って引かなかったので簡単にコツだけ教えることにした。
一番視覚で理解しやすい火属性が妥当か。
ここは風呂場だし火事にはなるまい。
私は初級の火炎魔法を指先に灯してザッと簡単にイシュカ達に教えたようにやってみせると物覚えが早いのか、それとも才能があるのかすぐに基礎を覚えて吃驚した。
子供の頭はそれだけ柔軟性にも富んでいるということか。
こういう想像力がものをいうような類のものは大人より子供の方が飲み込みも早いのかもしれない。
「へええ、レイン、スジがいいね。ひょっとしてこれはイシュカやガイより早く出来るようになるんじゃない?」
私がそう言って褒めるとレインが身を乗り出す。
「本当っ⁉︎」
「うん。しっかりイメージ出来てるし、イシュカ達も最初はこんなに上手く出来てなかったよ。これは要は慣れだからね。後は反復して練習あるのみだよ。レインは頭も良いし、持っている属性も多いから全部使えるようになったらすごく強くなるね、きっと」
若い分だけ魔力量の増加率もいいだろう。
今でも騎士団員クラスの魔力量があるのだから、これはひょっとしなくても間違いなく有望株なのでは?
レインの獣馬の才能を見抜く力は確かだということか。
流石は魔獣の血が半分流れているだけあって野生の勘が鋭い。
「そしたら僕はもっとハルトを守れるようになる?」
私の言葉に嬉しそうにレインが尋ねてくる。
「今でも充分守ってくれているよ?」
その気持ちだけで充分だ。
焦る必要はない。
それに私が困っていた時にレインは手を差し伸べて助けてくれた。
するとレインは唇を少しだけ尖らせて少しだけ拗ねたような口調で言う。
「でもまだ僕は置いて行かれる」
そりゃあそうだろう。
閣下が構わないと言ったとしても子供は本来なら守られるべき存在だ。無茶はさせられない。それを口に出せばお前が言うなとツッコミを入れられそうだけど。
どう説明すべきか悩んでいるとレインが大きな声で主張する。
「僕、頑張って早くハルトが頼ってくれる大人になる。大丈夫、負けないよ?」
何と勝負しているのかわからないが、同学年であるなら力も体格も頭一つ分どころかレインはかなり飛び抜けて優秀なはずだけど。それに私の苦手なダンスもピアノの上手だ。ウチの側近、幹部の中ではピアノが弾ける人はいなかったはず。貴族子息の多い商業棟寮、別名、隔離病棟にはそういった高尚な特技を持った人が確か何人かいたはずで、彼等には現在、劇場で演奏、伴奏、その他音楽関係の催し物でも活躍頂いている。
レインの気持ちもわかるとまでは言わないが、子供というのは大抵子供扱いされるのを嫌がるものだ。特に男の子は一人前として認められたいと思う承認欲求の傾向が強い。
それが悪いことだとは思わないけど、焦る必要もないと思うのだ。
「そんなに早く大人になることないと思うけどなあ、私は」
納得がいかないとばかりにレインが拗ねたように聞いてくる。
「なんで?」
「子供には子供の頃にしか体験出来ないこともあると思うからだよ。
急ぎ過ぎていろんなものを飛ばして大きくなっちゃうと後で飛ばしたところが欠けた大人になる。それは大人になってからじゃ取り戻せないものもあると思うから」
後四年もすれば周囲からも子供扱いされなくなってくる。
六年後には成人扱いされるのだ。
「いろんな経験をして、たくさん友達を作って、人の傷や痛みを理解出来る優しくて強い男になる方がずっといいんじゃないかな」
私にはそういうところが特に欠けている自覚がある。
前世では弟妹の面倒と家事を押し付けられて遊ぶ暇もなく育ち、今世では身体は子供でありながら大人の記憶が入っている。
結局子供として扱われる前に、既に大人の思考を持っている私を本当に子供扱いするのはガイくらい。
『どんなに大人びていようが、頭が回ろうがガキはガキだ』と。
後はロイが仕事以外の世話を焼いてくらいときくらいか。それは父様の執事として兄様達の世話もしてきたことも関係しているのだろうけど、今では父様でさえ対等の大人のように扱う。
私は子供でいられる時間を多分飛ばしてしまったのだろう。
前世も今世も。
だから人として大事な何か、欠けている部分があるような気がするのだ。
「ハルトはそういう男の方が好み?」
そうレインに尋ねられて少し考える。
基本的に男というものはいくつになっても子供のようなところがある。
それを子供っぽいと取るか、子供の心を忘れないと取るか、要はその人に対する好感度が大きく作用しているのだろうけれど。
背伸びして大人ぶっている男の人と、ありのままの飾らない男の人。
私はどちらの方が好きかといえば、
「うん? 私は無理して急いで大人になったただ強いだけの人より、ゆっくり時間をかけて大人になった心の強い、優しい、人の傷みがわかる人の方がすごくカッコイイと思うよ?」
そういう素直で真っ直ぐな男の人は素敵だと思う。
子供のままは困るけど、冷めた目で何事も退屈そうに理論理屈ばかりで動く大人より子供の部分を残したキラキラ輝く瞳でいられる人は魅力的だと思うのだ。
それに多分私は潜在的に甘えん坊なんだと思うのだ。
甘えさせてくれる人が殆ど今までいなかったから憧れがあるのだろう。
ただ上手く甘えられなくて意地を張ってしまうことも多々あるので、それを見抜いて強引に甘やかせてくれるタイプや言葉を惜しまず行動で示してくれるタイプ、好意をわかりやすく伝えてくれる人には殊更弱い。
恋愛慣れしていない私は駆け引きもできない。
私に『言わなくてもわかるだろう?』は申し訳ないが通用しない。
それを思えば大人ぶって遠回しに言われても気づけないだろうことを思えば子供のように真っ直ぐストレートで人の方がいい。子供のままは困るけど、冷めた目で何事も退屈そうに理論理屈ばかりで動く大人より子供の部分を残したキラキラ輝く瞳でいられる人は素敵だと思うのだ。
私は異性にモテるより同性に好かれるタイプが大好きだし。
そういう人は頼り甲斐はあってもどこか少年みたいなところがある人が多い。
同性の目というものは厳しいものなのだ。
外見だけで判断しない。
周りに人が集まるということはそれだけ周囲に認められているということだ。
そういう人って男女限らず魅力的だと思う。
「わかった」
私の言葉を頷いて聞いていたレインが神妙な面持ちでそう言った。
わかったって何が?
どういう意味だろう。
しかしながらここでその質問はヤブヘビに成りそうで怖くて聞けなかった。