閑話 アインツウェルト・ラ・マリンジェイドの苦悩 (1)
初めて会った時から彼は全てに於いて規格外だった。
いや、そう言うには些か語弊がある。
会う前から彼の話はバリウスが顔を合わせる度にまるで自分のことを自慢するかのように話していたので話だけなら耳にタコができるほどには聞かされていた。
ハルトがああした、ハルトがこう言ったと私の顔を見れば彼の話ばかり。
絶対に彼を緑の騎士団に引っ張り込んでみせると息巻いて。
思えばワイバーンの偵察個体を撃破した時点で多少の手間と時間が掛かっても伯爵が城に報告に来た時に何か理由をこじつけてでも付いて行くべきだったと今でも後悔している。
あの時点ならばバリウスを出し抜くことも出来たのだ。
アイツはワイバーンの巣穴の調査と遠征準備に追われていたのだから。
その後も彼の活躍は止まることを知らない。
緑の騎士団が取り逃したという九匹のワイバーンを僅かな兵を率いて討伐し、
王都近隣で起こったスタンピードの制圧に助言、被害を最小限に止め、
城に蔓延っていたへネイギス一派制圧に助力。
更にはシルベスタ王国第一王子殿下の病状回復に尽力。
そのついでとばかり絶滅したと思われていたリバーフォレストサラマンダーの捜索にも協力、見事その巣穴を特定して見せたばかりか私達でも手を焼いていたミゲル第二王子の性格矯正、継承権放棄までさせ、勉学のために机の前に座らせることに成功した。
これは感心するというよりも、いっそこれは夢かと疑う事態。
バリウスに続き二人の王子も口を開けばハルト、ハルトと彼の話ばかりだ。
こうなるのも無理はないとは思う。
頭脳明晰、沈着冷静、容姿端麗、文武両道、有言実行、彼を褒め称える言葉なら山のように思いつく。
それだけじゃない、料理も上手くて面倒見が良く働き者、性格までいい。何よりもあの地位、権力に阿ることも、屈することなく自分の意志と意見を押し通す行動力は大人をも凌駕する。
ここまでくると最早詐欺か冗談かと思える存在だ。
私に彼と同じことを出来るかと問われれば、恥ずかしながら否という他ない。
要するにたった六歳の子供に私は負けているのだ。
あれは別次元、張り合うのも馬鹿らしい存在なのだと。
それは彼が城に襲来した三匹のコカトリスを討伐した時に思い知った。
彼は六歳にして、既にこの国最強であると。
圧倒的才能。
無詠唱で即座に発動される全属性の初級魔法。
それらを駆使して相手に近づく隙を与えず翻弄できるだけの知恵も回る。
剣技や体術こそまだまだだが、そんなもの、あの魔術詠唱の速さと威力の前では差など無きに等しい。彼自慢の足の速さで逃げ回られ、一発上級魔法を落とされればジ・エンド。それが火属性であるなら即座に消炭、水属性であるなら氷の彫像だ。圧倒魔力量による威力の相乗効果、正確無比の魔法コントロールの前ではそもそも剣も体術も必要であるかさえも怪しい。
なのに彼はそれを自慢することは決してない。
部下を立て、誇りと自慢する。
あれでは側にいる者はひとたまりもないだろう。
バリウスがあれは恐るべき天然の人タラシだと言うのも頷ける。
男というのは総じて単純な生き物だ。
張り合うのも馬鹿らしいと思えるほどの強者に褒め称えられれば気分も良い。認められれば調子に乗って必死になって彼の役に立とうとするに決まってる。
彼に自慢してもらうために。
更に特筆すべきはあの商才と政治能力だ。
本人は自分は為政者に向かないと言っているがベラスミの一件をみればわかる。
自分の領地だけではない、広い視野を持って政治的な和解策、見解を提案し、商業的立場から他国の損得勘定まで計算に入れて策を練るのだ。
しかも双方の利益を考えた上で。
それでいて驕ることなく、危険な最前線にも怯まず立ってみせるあの胆力。
ありえない。
それでいて他者を労い、安らぎを与え、称えるのだ。
彼は武勇だけでなく、その人柄でも他者を惹きつけ、更にはとびっきりの美味い食事でこちらの胃袋を掴みにくる。例えるなら懐が深く器の大きな父親、癒しと安らぎを与えてくれる母親がまるで子供の体に同居しているようだ。
誰よりも男らしいと称される子供の、母性にも似た温かさ。
勿論、欠点や足りないところもある。
だが彼はそれを自分で理解していてその穴を埋めてくれる者を探して側に置く。
大概に於いて男というものは自己顕示欲、承認欲求が強く、自分のそういう足りない部分から目を逸らしがちだ。
だが彼は男の、しかも子供でありながら驚くほどにそれが低い。
褒め称えられることを嫌い、常に一歩引いて部下を褒める。
いったいどういう育ち方をしたらああいう子供ができるのか不思議でならない。
一応彼の育った環境や生い立ちなどは調査資料として陛下のもとにも届き、拝見させてもらった。
田舎の貧乏貴族の三男坊。
特に英才教育をされているというわけではない。
そんなごくありふれた環境で育ちながらあんな子供が出来上がるものなのか?
特筆すべき点があるとすれば歩みも覚束ない内から書物を床に広げていたということくらい。文字も習っていないそんな歳の子供がそれを理解するとは思えない。騎士団に所属する者達は実家から追い出された三男坊以下の貴族子息が大多数を占めているのだが、少なくとも私の周りにはあのような者はいない。
貴族というのはなかなか業の深い生き物だ。
プライドが高く家柄というものを重視する傾向があり、跡取りである長男とそのスペアである次男とそれ以下の三男以降はその扱いにかなりの格差がある。三男以降の彼等は家のためにと働かされ、給料の大半を家に取り上げられ、使い捨てられる存在であることもしばしばだ。それが嫌で騎士団寮に居続ける者も少なくない。
故に自己主張が激しく、どこか卑屈で僻みっぽい性格の者も多い。
そうでなくては存在を忘れられてしまいがちだからだ。
勿論経済的な理由から自分より年下の弟妹の世話をさせられていた者も多いので面倒見の良い者もいなくはないが、常に優先順位が下であった彼等は諦め癖がついていることも多い。育った環境が彼等をそういうふうに形作っている一端なのだとは思う。
だが彼には貴族の三男坊以下特有のそういった臭いがしないのだ。
彼の誕生日パーティの後、確認した石碑の示す魔力量を見た時はなんの冗談かとも思ったが、彼が成した功績の理由の一端を知った。
あの小さな体には国内随一と言われていた私を遥かに凌駕する魔力量が内包されているのだ。
その後も彼は何かと話題が絶えることもなかったが、基本的に私の仕事は王族とこの王都の治安維持。バリウスほどは接点がないのにも関わらず、この王都で、彼の領地で顔を合わせる機会も多かった。ミゲル殿下の休暇に合わせたグラスフィートへの送迎もあったからだ。
陛下に呼び出しを受けて参上すれば、今日もグラスフィート領から届いた彼のところに潜り込ませている者達からの報告書を陛下は上機嫌で目を通している。
面白くてたまらないといった表情。
彼のやることなすことに興味津々のようだ。
相変わらずの活躍ぶりをみればそれもわからなくもないが一国の王が特定の個人にここまで肩入れするのも如何なものかと思うこともある。
とはいえ私も陛下やバリウス達のことを言えた義理ではない。
私のそんな視線に気がついたのか陛下がチラリと私に視線を向けた。
「アインツ、また眉間に皺が寄っているぞ?」
指摘され、慌てて表情を取り繕うが陛下はそんな私を見てクツクツと愉快そうに笑う。
「冷静沈着、冷徹無比がウリの其方にそういう顔をさせるのアヤツだけだな。其方も随分と人間臭くなってきたものだ」
冷静沈着? 冷徹無比?
私の行動は周囲からそう見られているのは知っている。
だが私自身はそうは思っていない。むしろ逆だと思うのだが上に立つ者の責務として極力公平に、落ち着いて行動すべきと心掛けていることもあってそう見られがちだ。そんなことは陛下も知っているはずで。
「そんなに面白くないか? アヤツの活躍が」
面白くない?
そんなことはない。
確かに六歳、いや、今はもう七歳か。そんな子供に負けている自分の不甲斐無さには呆れているが彼を妬むのはスジが違う。
「いえ、そういうわけでは・・・」
「だろうな。そうでなければ暇があればいそいそとアヤツのところにわざわざメシを食いに行くまい。貴族どもの間ではとうとう其方に女の影がなどと騒いでいるヤツもおったのは笑えたが」
否定しようとした声を遮って陛下がそう仰った。
そんな噂まであったのか。
想像力豊かなヤツもいたものだ。
グラスフィートに用事があって出掛ける時は確かに少々浮かれていたこともあったので、差し詰めそれを目撃されたということなのだろう。
彼の作る料理は美味い。
見たことのないものも多いが格別凝った料理というわけではない。
だがまた食べたいと思える優しい味をしているのだ。
あれは実に癖になる味だ。
「揶揄っていますね、陛下」
「わかるか?」
わかりますよ、それくらい。
口には出さないがおそらく陛下は拗ねているのだ。
陛下も彼のところで出される料理が気に入っているのは知っている。だが立場上、私達のように気軽に食べに行くことも食べたいと強請ることも憚られるのだろう。私達が時折差し入れと言って彼のところから持参する料理や甘味を密かに楽しみにしているようだ。
そういえば今回は陛下にそれを持って来なかったと思い出す。
忘れたことに対するちょっとした嫌がらせみたいなものか。
「人が悪いですよ」
「揶揄いたくもなるだろう。我が国自慢の双璧がこぞってアヤツに誑かされておる。こんな面白いことは他にない」
「誑かされてるって。止めて下さいよ、その言い方」
「ではなんと表現すれば良いと? 相応しい言葉が他にあるか?」
私が顔を顰めると陛下はそう問い返してきた。
言われて考えてみれば他に適当な言葉が見つからない。
贔屓、支持、厚遇、引き立てる。
似たような言葉はあれど、どれも相応しいとは思えない。
私は小さく溜め息を吐いてそれを認める。
「・・・ですね」
「私はアヤツがいつ国が欲しいと言い出さないかと不安で夜も眠れないぞ?」
肩を竦めて大袈裟に言うあたり、本気ではないのが丸わかりだ。
土産を買って来いと素直に言えば良いのにこの人は、時々子供みたいなことをする。大国を治める偉大なる国王陛下も一皮剥けばおそらく普通の男と変わらないのだろう。
それを表に出すような方ではないけれど。
私は苦笑して口を開く。
「そのようなこと微塵も思っていらっしゃらないでしょう?
陛下。誤解を招くような言い方は冗談でもお止め下さい」
どこで誰が聞いているかもわからない。
まあこんなことを口にするということは人払いをしてあるのだろうから聞かれたとしても問題のない宰相くらいのものなのだろうけれど。
陛下はそこまで迂闊な方ではない。
私がそう言うと陛下は頷いた。
「そうだな。アヤツは争いを、特に戦を何より嫌っている。
本人は喧嘩上等、売られたならば速攻買う好戦的な性格だと思っているようだが」
一見すればそう見えなくもない。
事実、彼は殺しこそしないが敵には容赦ない。だが、
「あの行動理念をみれば、むしろ逆でしょう。
本人に自覚はありませんけど。
だからこそのあの初動の速さと行動力だと私は思いますね。災厄というものは時間が解決してくれるものではありませんから。ズバ抜けた頭脳と対応力故でしょうが事態が大きくなって犠牲が出る前に最速で対処することで被害を最小限に食い止めようとしているのでしょう」
「アインツもそう思うか?」
「ええ、彼は国を奪るために戦を起こすくらいならどんなに苦難でも更地から国を興すことを選ぶでしょう。何もなかったところにあれだけのものを作ってみせるのですから彼らならそれも不可能ではありません。いくら国の助力もあったとはいえ、それが出来ない者にあそこまであれらの土地をあれだけ短期間に発展させることなど無理ですよ。
我々とは思考も考え方もまるで違う」
だから国を奪るなどということを選択肢に入れない。
運河建設の時を見てもそれは明らかだ。
ベラスミを攻め落とし易い国だと彼は知っていながら話し合い、交渉を選んだ。出資して事業を興し、現地の人間を雇い入れる。植民地化して支配するのではなく、その土地に住まう者に強制するのでもなく協力を要請する。
理由を聞けば、『その方が良いものが作れるでしょう?』と。
無理矢理やらされるのと、自ら進んでやるのでは意味も違えば出来上がる商品の質も変わってくると。
全く恐れ入るばかりだ。
「私もそう思うよ。腐った貴族どもにはそれが解っておらん。
友好的に接すれば、あれほど付き合いやすい者も居らんだろうに。
私がアレらの立場なら地面に頭を擦りつけ、媚び諂ってでも協力と意見を請うぞ。その程度のことで領地繁栄が得られるなら安いものだ。アヤツは情に絆されやすいところがあるからな。他者を踏みつけ、理不尽な要求を押し付けない限り、懐に入り込めれば尚更だ」
流石は陛下、彼の性格をよく理解している。
「全くですね。それを理解しているのはレイオット侯とステラート辺境伯くらいでは?」
「後は王都の騎士達か。全部とは言わんが若いヤツは特にそうだ。
近衛もだが特に討伐部隊のヤツらは完全に誑かされてる」
きっと彼等に尻尾が付いていたならば全力で彼の前で振っていることだろう。
「ですね」
「こんなこと今まで無かったぞ?
人事部に近衛から討伐部隊へ、しかも地方支部への転属願いが山と積まれることなど建国以来初めてだ。定員オーバーだと却下しているが魔獣討伐は危険な仕事であるが故に逆は今まで山程あったがな」
私はそれに苦笑する。
無理もないといえば無理もないが。
「近衛も見事に誑かされてますね」
彼の提案した運河水道設備は貧しかった領地の暮らしを劇的に変えた。
水に困ることがないということは食物の自給自足がかなうということだ。
今まで乾燥した地域ではグラスフィートをはじめとする広大な農地を持つところに依存していたことも多かったが水が行き渡ることで開墾、農地化が進み、ハルウェルト商会を通して痩せた土地でも育てられる野菜や果物の種や苗を手に入れ、グラスフィート領の農作に詳しい人間を派遣、伝授するといった営業も行われているので失敗するということも少ない。勿論商売である以上有料ではあるが特別高いというわけではなく、働く農民の出張料、日当、紹介手数料程度。もたらされる知恵と技術はやがて実がなり、領民に新鮮な食料を与え、蓄えとすることができる
今までは新鮮さだけが重要視されがちで味は重視されないこともあったのだが、ハルウェルト商会の取り扱っている商品の一つである冷蔵庫を利用して新鮮さを長持ちさせることで今まで流通させるのが難しいと言われていた野菜も遠く離れた場所に届けられるようになったのだ。
特に運河沿い近くの領地はその恩恵も大きい。
野菜や果物の出来が良ければ一気に買い上げ、市場で野菜を売りに行く必要もなく商会の流通経路を使って販売してくれる。
良いものさえ作れば高値で引き取ってくれる。
それは農夫達にやりがいをもたらし、競って仕事に励み、領地は更に豊かになる。
実家から追い出される形で騎士団に来た者でも家族に多少思うところがあったとしても故郷にまで恨みがあるものは殆どいない。だからこそ自分の育った土地を豊かに変えようとしてくれる存在に敬意を払う。ハルトとハルウェルト商会の興した事業、商売は彼等の住まう土地だけでなく、他の地域と連動、提携を組むことでより一層、共に発展していく。
そうすることでハルウェルト商会にはより良い品が集まり、安定した品質で市場を勝ち取っていくのだ。
平民主体に考えられた、平民のための商売。
少数の貴族、金持ちを相手にするのではなく、圧倒的多数の平民を主な客層とし、薄利多売で稼ぎ、圧倒的流通量から得た極上の品質のものは信頼という付加価値を付けて金持ち相手に高値で売りつけて稼ぐ。
上手く仕組みが出来ているものだと感心する。
各領地の発展は国の発展にも繋がり、国庫も潤い、豊かになっていく。
今やハルウェルト商会はあらゆる意味でこのシルベスタの経済、流通を動かしていると言っても過言ではない。
しかしながらここまでくると、その内集団で騎士達に退団届でも出されて彼のところに就職されやしないかと不安にならないでもないが、それを防ぐためなのか、園内警備以外の警備、警護希望者、つまり彼と彼等の関係者と関わる仕事に就くには前職場の紹介状が条件の一つとなっているようだ。要するに彼のすぐ側で働きたいと思うならバリウスか私の紹介状がいるわけで、だからこその支部への移動願なのだろう。
あそこにはイシュガルドも所属しているので彼との関わりも深い。
いつもながら上手い方法をよくもまあ思いつくものだと思う。
陛下は小さく溜め息を吐いた。
困ったというより呆れているといった感じだ。
「まあそれもこの際構わん。こちらにとっても都合が良いのでな」
都合が良い?
それはどういう意味だ?
「何かお考えが?」
「いずれわかる。今は言えんがな。その内、支部の増員も考えている。
討伐部隊だけでなく、近衛、いや、支部配属となれば近衛とは言わんか。現在建設している国際貿易センター完成と同時にそこの管理、警備と地方貴族取締強化のため、ある程度の数を移動させる。
計画段階ではあるが、そこでフィアに政と経営を学ばせるつもりだ」
それをここで仰るということは更にその先に狙いがあるのだろう。
何をお考えになっているかまで定かではないけれど、つまり、
「彼は陛下に首輪を付けられそうになっていると、こういうことですね?」
気の毒に。
この人は狙った獲物は逃さないタチだ。
「人聞きの悪いことを言うな」
「違うんですか?」
そう尋ねると陛下が人の悪い顔でニヤリと笑う。
「いや、あっているぞ? 付けられるかどうかは別問題だが。
アヤツを逃すのは国益の損失、それも大のつく痛手となるであろうよ。
金、権力、人脈、あらゆる手段を講じて囲い込んでやろう。
アインツ、手伝えよ?」
「異論はありません」
彼がいることで不都合なことはないが利点は山ほどある。
この先問題も出てくるかもしれないがそれ以上に大きな恩恵があるのだ。
「差し当たってアヤツが王都で生活する間の警護に関することなのだが」
「王都内の貴族達の反感と妬みによる妨害と暗殺計画の阻止ですか?」
彼は王都の貴族達の間で魔王と呼ばれている。
王都を救ってくれた彼に対して実に失礼な話だとは思うのだが、本人は全く気にしている様子はない。むしろ面倒な輩に絡まれるのが減るのなら大歓迎だという。
そういうところはかなり図太いというか、イイ性格をしている。
知恵でも武力でも求心力でも敵わない相手に喧嘩を売って虎の尾を踏むなど馬鹿だと思うが貴族のプライドというのはかなり厄介で、馬鹿にされるのも、下に見られるのも我慢ならないと憤慨している。
何を馬鹿な勘違いをしているのか。
そもそも彼の視界にすら入っていないのだから大人しくしていれば敵認定されず平和に過ごせるだろうに余計なチョッカイをかけるから痛い目に合うのだ。
彼は自分と関わりがない者には一切の関心がない。
それをわざわざ彼の視界に入る場所にノコノコ出て行って喧嘩を売るとは呆れて物が言えない。
彼の周りには常に名のある屈指の実力者達が控えているし、彼自身もとんでもなく強い。仕掛けるだけ無駄だというのにそれがわかっていないとは哀れなことだ。
「そうだ。以前キッチリ灸を据えてやったのでな。大分数は減らしているのだが、その分、闇に潜っていてキナ臭いことになっているようなのだ。リディの報告によると色々と厄介な事態を招きそうでな」
陛下が眉を寄せて息を吐く。
「また面倒そうな話ですね」
「まあな。アヤツの性格からすると学院にいる間は城に住めと言っても聞かぬであろうし、城だから安全という保証も出来ん。ある意味城はそういう輩も入り込みやすい。妙な言い掛かりをつけて余計面倒にならんとも限らん」
確かに。
城には多くの貴族が出入りする。
気をつけていても彼に害なそうとする者や、利用しようとする者がすり寄る可能性も否定できない。彼等の運営するハルウェルト商会では毎日のように莫大な金が動く。それを考えるなら城は彼等にとって居心地が良い場所とは言えないだろう。来年から彼の講義も学院で始まるからこその提案ではあろうが彼の警護は重要案件の一つだ。
「それで、だが。バリウスが面白い提案をしてきてな」
「なんですか?」
「アレのシンパが多い騎士団内の敷地に住居を用意したらどうだと。
軍事顧問の役職もあることだし、さして問題はなかろうと。
夜は自分が一階部分に住めば妙な輩の襲撃も防げるし、何かあっても一声上げればアヤツ贔屓の団員達が飛び出してくると申しておってな」
そんな話が出ていたのか。
しかしながらバリウスの狙いは他にあるだろう。
「悪くない手だとは思いますが、明らかにバリウスの下心が透けて見えているでしょう」
「ああ。おそらく目当てはアレらの作る食事であろう。
アヤツは食い意地は人一倍張っているからな。
全く、公私混同しおってからに」
思えば一年以上前、フィガロスティア第一王子殿下がグラスフィートに滞在していた時から彼と彼の側近達が作る料理に並々ならぬ執着を見せていた。ミゲル殿下の世話のために自分は食べられず、彼等の食事を私が相伴預かっていた時も子供じみた嫌味を言っていた。
大人げないとは思っていたけれど、
「気持ちはわからなくもないですけどね」
「其方も胃袋を掴まれたクチか」
「否定できません」
彼の料理は私も大好きだ。
「だが確かに悪くはない。
国の重要な機関の中に居を構えさせるということはアヤツとなんとか繋がりを作ろうと企んでいる他国への牽制にもなる」
「つまり許可を出されたと」
「そういうことだ。それにアレらは色々な意味で何をしでかすか解らん。
宰相達とも容易く監視できる場所に置いておける提案は悪くないと」
なるほど、そういう利点もあるのか。
確かに一緒に生活していると似てくるのか彼に限らず、彼の周りにいる者達の行動力も半端なく凄い。だからこそあの勢いで商会が巨大化しているのだろうけれど。
だがここでその話を持ち出してくるからには私を呼び出した理由もそこにあるのだろう。
「それで私にどうしろと?」
「バリウスと一緒にその一階に住め。バリウスも出来ないわけではないがアレに腹芸には向かん。彼奴らが王都にいる間だけで良い。部屋は用意してやる、バリウスのイビキが響かぬようキッチリ対策もな。アレはなかなかにキツイからな。
悪くない話であろう?
アヤツが王都にいる間はアヤツらの料理が食える」
そして隙あらば自分にも差し入れを持ってこいと?
下心が透けているのはバリウスだけではないでしょう?
要するに陛下もしっかり胃袋を掴まれていると、こういうことか。
まあそれは口にすまい。
最高権力者の体裁というものもある。
だがその提案が私にとっても悪い話ではないのは間違いない。
「それはまた、なんとも魅力的な話ではありますね」
食生活が豊かになるというのは実にありがたい。
騎士団の寮の食事にも飽きている。
彼等が王都にいる間は毎日のようにあの料理が食べられるのだ。
「では頼んだぞ? 別にアヤツらのやることを止める必要はない。
ただいきなり何をしでかすかわからんところがあるのでな。怪しまれん範囲で報告だけは頼む」
「承知しました」
彼の料理が日常的に食べられる。
一年近く先のその予定に私は少しだけ浮かれ気分で陛下の命令を快諾したのだった。
その後も何かにつけて彼の周囲は話題が絶えない。
五千クラスの魔石を抱える巨大な蛇の魔物退治に始まり新たな鉱石の発見、不毛の地と呼ばれたベラスミが猛烈な勢いで開拓、開発されていく。
そもそも冬は寒いものと決まっている。
だからこそ多くの貴族達は温暖な南の地に寒さを逃れるか、己の領地に閉じ籠るのが一般的。
なのにあの非常識さはなんなのだ。
湧き出る温水を利用した街道の雪を解かすあの設備、高く頑丈な塀で囲まれた宿の床の暖かさ、従業員教育も行き届いた一般客とはエリアを分ける貴族、金持ち用の高級宿の部屋と貸別荘には専用の温泉風呂付きで、その湯に浸かれば肌艶が良くなると御婦人達には評判、関節痛に悩まされていた年配の方々には痛みも和らいだという効能に評判が評判を呼んで運河開通と同時に先駆けてオープンした宿屋は高額であるというのに既に春先まで予約でギッチリ埋まっているという。
平民が主な客層としつつも稼げるところはガッチリ稼ぐあの商魂の逞しさ。
しかも滞在規則を守らない場合には叩き出されるという。
キッチリ書類にサインさせた上で保証金を預かり、対応するという徹底ぶり。別に普通に客として振る舞うならば滞在も許されるのだが、権力を傘にきた横暴な行動が目に余る貴族は即座に追い出され、出禁を食らっているとも聞く。上手いと思うのは直接出て行けというのではなく、問題を起こした貴族の部屋の床暖房と風呂への温泉の流れを止めることで居座りを防止し、誓約書を盾に追い出し、苦情は彼のところへ直接行くようにと丁重に促され、さあどうぞとばかりに立派な馬車まで用意されるらしいのだ。
彼を敵に回したくないと思うならすごすごと退散するしかないわけで、苦情を言いに行けばあの弁舌でやり込められる。お客様は大事にするが迷惑な居直り客と従業員に無茶無体な要求を強制するような不届者は客ではないから二度と来てもらう必要はないと彼の所有する施設への一切を禁止を申し渡される。
そうなれば彼らが作り出す流行の品々が売られているのは彼の所有する土地の中だけ。それらを手に入れるのは困難になる。
難しいことを要求しているわけではない。
彼の逆鱗に触れたくなくば従者やメイドを同伴させて普通に過ごせば良いだけなのだ。
小さくなって機嫌を伺えというわけではない。
宿屋の従業員は側仕えでも、メイドでも、まして娼婦でもないのだから。
困らせてやろうとか、言いがかりをつけてやろうとするから痛い目をみる。
そういう話が出回ると暫くするとそんな客もいなくなったという。
それはそうだろう。
この国で彼に正面切って喧嘩をする馬鹿は最早いないのだ。
正面から歯向かえないからこそ闇に紛れるから厄介なのだが、あそこには優秀な諜報員もいる。
ここまでくると図にのって横暴な権力者にでもなりそうなものだが彼の腰は相変わらず低く、自己評価も驚くほど低い。
こちらが相応に接すれば立ててもくれる。
結局痛い目に遭わされた貴族達は自業自得というだけなのだ。
そうして色々と話題を振りまいている彼が春が明けると、とうとう王都に講師としてやってくることとなったのだ。