第九十話 氷上の戦い、全身全霊全力で頑張ります。
事務所前まで来ると私は縛られて両手で一本ずつ腰から剣を抜くと密かにスイッチをオンにして玄関に向かって放り投げた。ウェルム特製の魔剣だ。
それが二本、扉に当たって落ちると中から両手と腰を縛られたマルビスが姿を現した。
「すみません、ドジを踏んで、とんだ御迷惑を」
小さな声で謝罪するマルビスに、扉の影に隠れつつ落ちた剣を拾っている男から見えないようにニヤリと笑って頷くと視線をさりげなく上に向ける。
おそらくこれでマルビスには作戦の内容がわからないまでも私に考えがあると理解してくれるはず。
良かった、自分の足で歩ける程度には無事(?)なようだ。
頬には殴られたような跡がある。
よくも私のマルビスを。
アイツ、絶対後で蹴り飛ばしてやる。
私がグッと拳を握ってそう誓うと扉の向こうから男の小さな悲鳴が聞こえた。おそらくこちらの忠告を無視して柄に手を触れたのだろう。
ザマアミロだ。
こちらの思惑通りに事は進んでいる。
男は少しの間を置いて次の命令をする。
「契約書を下に落とせ」
いいですよ、勿論従いますとも。
哀れな罪人の最後のお願いくらい叶えて差し上げましょう。
「マルビスを放せ、そういう約束のはずだ」
少し離れた場所からイシュカがそう叫ぶ。
「契約書の内容を確認したら放してやる、安心しろ」
私が落とした契約書を掴むと戸口の陰で男がそれを開く小さな音が聞こえた。
暫しの後、男の声が再度聞こえてきた。
「間違いはないようだな。ヨシ、お前は行っていいぞ」
そう言ってマルビスの腰に繋いでいたロープを外に向かって放り投げた。
私は顎でイシュカの方を指し示すとマルビスが前に歩き出す。
男はサインを終えたのか卑下た笑いを浮かべて扉の影から姿を現した。
「これで期間限定とはいえお前は俺の奴隷だ。
ザマアねえな。たかが一人の従者のために自ら奴隷に成り下がるとはとんだ馬鹿もいたもんだ。
救国の英雄が俺の奴隷か、気分は悪くねえな」
たかが、じゃない。
私の大事なマルビスだ。
それくらいのリスク、迷わず背負ってみせますとも。
キシシシッと笑い声を上げながら出てくるとまずは持っていたナイフで足の間のロープを切り、次に私の腕のロープと猿轡を解き、私の方に向かって剣の鞘の方を持ってそれを差し出してきた。
「さて、と。ほらっ、お前の剣だ。
せいぜいキバって俺の護衛をしてくれよ? そういう契約だからな」
商業用の契約書はサインを終えると一瞬だけ微かに光る。
それが魔法の契約書であると示すために。
だからこそのこの行動であろうが甘いんだよ。
少しは私のすることを疑うべきなんだ。
私は魔力を吸い上げるスイッチを切りつつ剣の感触を確かめ、腰に戻す。
「ええ、勿論。その契約が成立しているならば」
私は不敵に笑ってその名を呼ぶ。
「ガイ、イシュカ、ライオネル、リディッ」
これが作戦最終段階の合図。
私の呼ぶ声に反応してガイとリディが屋根上から、イシュカとライオネルが前方から走り寄る。私はその男から一歩後ろに離れ、ジャンプしてその顔面を思い切り蹴り上げた。
よろめいた男を四人が即座に囲み、制圧する。
男を守るどころか蹴り飛ばした私に目を白黒させて男が喚く。
「なっ、なんでだっ⁉︎ お前は俺の護衛のはずだろうっ」
私に蹴られた左頬を押さえつつ、男が喚く。
「ですから契約が成立していれば、ですよ。成立していないのだから仕方ありません」
そう、奴隷契約書は最低でも奴隷とする者の半分以上の魔力量がなければ弾かれる。
殆どの場合においてそれは適応されることがないからあまり知られていない事実だと連隊長が言っていた。平民の成人で八百から千以下程度、衛兵で千二百前後、新米騎士で千三百超え、前騎士団長のゴードンが以前聞いた時には確か二千超えた辺りだったはず。ならば騎士団長になれなかったコイツがそれ以上であるはずがない。
だとすれば私なら契約を弾けるはず。
しかし万が一ということもある。
ウォルトバーグの子飼いで実力を隠していた可能性だけが心配だったのだがその心配も無用の長物だったようだ。
とはいえ絶対ではない。
一応私が一撃食らわせてから確保するよう四人にお願いしておいたのだ。
男は茫然とした後に顔を真っ赤にして怒鳴った。
「はあああっ⁉︎ テメエ、さては俺を騙しやがったな。この契約書は偽物かっ」
失礼な、そんな卑怯なことはしませんよ?
そのために私の剣を掴ませるように誘導したんだから。
とはいえ本当に奴隷契約が成立したとしても、あの条件なら私の部屋から金貨が減るだけでマルビスの命に比べればたいした痛手でもない。
私が被害届を出さなくてもコイツはこの国に牙を剥いた犯罪者、指名手配犯に変わりはない。
私が追いかけないというだけで連隊長達が逃すはずもない。
どちらにしてもコイツの人生は既に詰んでいる。
私はソイツを睥睨し、言い放つ。
「いいえ、間違いなく本物ですよ。それは貴方も確認したでしょう?
私は締結されたらと言ったはずです。ただ貴方の魔力量が私を従えるのに足りなかったというだけの話。
残念でしたね。
私の忠告通り、剣の柄を掴まねばまだ可能性はあったんですが」
私も今日はそれなりに魔力を消費している。
だがもとの内包量が違うのだ。コイツには負けない自信もあった。
疑っているソイツにタネ明かしをしてやった。
「この剣は特別性でしてね。私自慢のお抱え職人と研究者達がコラボした力作で、魔力喰いなんですよ。扱うにはそれなりの魔力量がいるんです。
奴隷契約は従える者の半分以下の魔力量ではその者を従えることができない。滅多にそういう事はないそうで、あまり知られていない事実だそうですよ。貴方は私の忠告を無視して剣の柄を掴み、体内魔力量を減らした。つまり、私の魔力量の半分以下しか貴方は現在持っていないということです」
男は目を見開いて私を見る。
話がまだ上手く理解できていないのだろう。
「人の忠告には素直に従った方が良いですよ? 少なくとも敵対する者に対しては疑って然るべきだ。ああいう言い方をすれば貴方は興味本意でそれを掴むであろうと予測しました。
己の優位に胡座をかき、警戒を怠ったのが貴方の敗因。即ち自業自得です」
私はそう言い捨てるとイシュカ達に縛り上げられたソイツに背を向け、振り返る。
そこには私を微笑んで見ているマルビスがいた。
フリード様が癒してくれたのか、多少汚れているものの元気な姿がそこにある。
全速力で走ると腕を広げて待っていてくれるマルビスの胸に飛び込んだ。
「マルビスッ」
私の勢いを受け止めきれずに二人地面に倒れ込んだがマルビスはしっかり私を抱きしめたまま離さない。
無事だと信じてた、信じたかった。
ずっと心の中でそれを祈り、願っていたのだ。
安心した途端に涙が溢れ出てきて私はみっともなくもわんわんと泣いた。
「大丈夫ですよ、心配して頂くほどの傷ではありません」
ぎゅっと抱きしめられる腕の強さも、聞こえてくる胸の鼓動も、その温かさも、全てが夢ではないと私に教えてくれる。
「良かった、良かった、本当に良かった・・・」
怖かった、本当はすごく恐かったのだ。
あの男がではない、マルビスを失くしてしまうかもしれない恐怖に怯えていた。
それでも立っていられたのはイシュカやガイが支えてくれていたから、マルビスの無事を信じようと決めたからだ。
「貴方をおいてあの世に逝ったりしませんよ、約束しましたからね」
そっと耳に囁かれた言葉に益々私は泣いてしまった。
あやすように背中を軽く叩かれて安心する。
きっと私の顔は今上げたら涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。
百年の恋もいっぺんで醒めそうだ。
「それよりもカッコつけてジュリアス達を逃した結果がこのザマです。
情けない私に呆れていませんか?」
私が?
マルビスに?
ありえない。だって、
「マルビスはいつだって最高に素敵でカッコイイよ?」
私がそう答えるとマルビスが一際甘い声で答えてくれる。
「ありがとうございます。貴方にそう言われるのが私は一番嬉しいです」
いつも私の無茶なお願いも、全てなんとかしてくれる。
仕事の出来る、最高にカッコイイ男だもの。
力が強いだけがイイ男の条件などではない。
マルビスはいつだって、とびきりのイイ男なんだから。
マルビスの腕の中でホッとしていたのも束の間、通用門の方向から複数の馬の蹄の音が聞こえてきた。
団長達は馬を置いて港に向かっていたはずだ。
涙も引っ込んで何事かと泣き腫らした真っ赤な目で顔を上げると聞き覚えのある声が届く。
「ハルト様っ、ハルスウェルト様はいらっしゃいますかっ」
その声の主はゴードンだった。
あれっ、なんでここに?
確か、ウォルトバーグに担ぎ出されないために兵を連れ、地方に向かったのではなかったか?
「ここにいらっしゃいますよ」
泣き喚いていたせいで一瞬声が出なかった私の代わりにマルビスが返事をしてくれた。
私は涙を拭いて立ち上がると姿勢をシャンと正した。
そうだ。
まだ全ては終わっていない。
安心するのはウォルトバーグが捕まって、全てが片付いたその後だ。
「どうしてゴードンがここに? 何かあったの?」
私が尋ねると彼は慌てた様子で答えた。
「事情は後でお話ししますっ、とりあえず今はすぐに港の方に。マリンジェイド連隊長がお呼びです」
「わかった、すぐ行く」
私が港に向かって走り出すとすぐ後ろをイシュカとガイが付いてくる。
何故至急なのかはすぐにわかった。
空が真夜中だというのに明るい。
燃えさかる炎で真っ赤に染まっているのだ。
ウォルトバーグが乗っていたはずの船が、しかもゆっくりと港から離れ、風の影響なのか南西のベイラス港の方に向かって進んでいる。
マズイッ、あの方向には木製のハネ橋がある。
通用門の前にも勿論あるけど、あの橋が焼け落ちたら開業日程にも影響が出る。
燃え移れば森も焼けてしまうかもしれない。
橋は今は降りたままだ、すぐには上げられない。
駆け寄ると私に気づいて駆け寄って来た連隊長に簡単な事情説明を聞いた。
早い話が逃げられないと悟ったウォルトバーグが自分の喉を突いて魔物化したということだ。ウォルトバーグは火、光、風属性持ちで、要するにヤツの使った火属性の魔法が船に燃え移り、この状態なわけだ。ウォルトバーグ自体はシルベスタの四強が揃っていたために完全魔物化する前になんとか討伐したらしいのだが消火までは間に合わなかったそうだ。
幸いにも他の船はいないし、港への燃え移りだけは総出で防げたが肝心の船を繋いでいたロープが焼き切れ、アンカーが繋がっていた部分が焼け落ち、船が動き出してしまったと、こういうことだ。
まだ橋までは距離もある。
だけどこのまま何もしなければそれも時間の問題だ。
とりあえずハネ橋に走って向かうべきか。
私が脚に強化魔法をかけようとしたその時に後ろから呼ぶ声がして振り返るとライオネルとランス、シーファがルナとアルテミス、ガイアを連れてきてくれていた。
流石はライオネル、よく気がつく。
咄嗟に飛び出した私達と赤く染まった空を見て状況を判断して、馬を連れて来てくれたのか。
即座に飛び乗ると私はこの場の指揮を団長に任せて連隊長を後ろに乗せ、ハネ橋に先回りすることにした。
連隊長は水属性持ちだ。消火するならきっと力を貸してくれる。
橋に到着する手前でルナを止め、飛び降りると、一旦馬の脚を止めたガイ達に指示を出す。
「ガイとライオネル、ランスとシーファは可能ならハネ橋の引き上げを。
連隊長は出来る限り他への被害を抑えて下さい。
イシュカは私に付いて来てっ」
ガイ達が頷いてそのまま馬で駆け抜ける。
ウォルトバーグとの戦いとその後の対応で連隊長は魔力量を減らしていると聞いた。ならば今日は殆ど魔力を使っていないイシュカの魔力量の方が多いはず。ならば連れて行くのはイシュカが適任だ。
私は運河脇の水路へと続く階段を駆け降りる。
「消火なら私も手伝います」
身を乗り出して少し遅れて到着したゴードンがイシュカと私に向けて叫ぶ。
「助かるよ、ゴードン。お願いね」
人手は少しでも多い方がいい。
「何をするんですか?」
「船を止めるんだよ、橋に到達する前に。
運河の上に氷のバリケードを作る。イシュカも手伝って」
尋ねてきたイシュカに簡単に説明するとすぐにイシュカも理解する。
「承知しました」
さっきとは違う。
今度は音に気付かれないようにと水に氷が張る音を抑える必要もない。
調整不要、全力全身全霊、総魔力解放だ。
私はまず運河の中心までの道をしっかりと運河側面に固定するように張ると転ばないようにイシュカに支えてもらいつつ中央に立つ。まずは私が自分のいる位置を中心に広範囲に氷を張る。運河の流れに乗って動いてしまっては意味がない、ガッチリと側面に固定する。
しっかりとした足場ができたならバリケードの構築だ。
橋が落ちるだけならまだマシだ。
勢いよくぶつかって大破したら破片が辺りに飛び散ってしまう。
それが森の木に燃え移れば山火事の危機が待っている。
イシュカと二人、全力で水面を凍らせにかかる。
ある程度の厚さが出来たなら、次は氷を厚くすることに全力を注ぐ。
船は勢いもある。短い距離で止まるとは思えない。
ならばある程度の幅と距離が必要だ。
再び水路に続く階段を駆け降りた私達の後ろを連隊長とゴードンが付いてきた。
「水属性持ちの騎士が応援に来てくれたんでね、私達も手伝うよ」
それはありがたい。
見上げれば多くの騎士、兵士が運河脇に見えた。
船と一緒に走って消火に当たってくれていたようだ。
本当に船足を止められるかはわからない。
最悪止められなくても船足が弱まれば水属性持ちが他にも駆けつけてくれればなんとかなるかもしれない。火の勢いさえ弱まれば船を破壊して沈めてしまえばここは運河、水に浸かってしまえば火も消える。
ハネ橋もガイ達の手によって上がり始めてる。
追いついてきた騎士達も手が空いた者から私達のもとに駆けつけて来てくれて必死に氷のバリケードを築くのを手伝ってくれる。その中にはレインの姿もあった。
私一人では出来ない、厚い氷のバリケードが出来上がっていく。
最後の力を振り絞り、私は限界寸前まで魔力を注ぎ込む。
ビキバキビキバキと水の凍る音と船が氷を割る音が辺りに響く。
船が近づいてきて氷が割れて揺れる不安定な氷上に踏ん張った。
お願い、止まってっ!
私は魔力切れ寸前で遠ざかる意識を必死に繋ぎ止めながらそれを見守ると船が止まったのはまさにハネ橋の掛かるその位置、上がりきる橋の合間で停止した。
あと少し、ほんの少しで橋を破壊する寸前。
沸き起こる歓喜の雄叫びを子守唄に、停泊した船上をゆっくり橋が引き上げられて行くのを見届けて、私はとうとう意識を手放した。
全力で注いだ体内魔力はもう殆ど空っぽだった。




