第八十七話 不届き者は嘲笑ってやりましょう。
静かに、密かに私達は船に近づくと船体に持ってきた梯子をまずは掛ける。
私はその設置面を凍らせて氷の上に固定した。
ロープに重しを付けて引っ掛ける案もあったのだがこれには外すリスクとその時に鳴る音、巻きついたロープが発見される可能性などを考慮して却下となった。
まず乗り込むのは隠密行動に慣れたこの三人、ガイ、ケイ、リディだ。
ケイとリディにはやってもらうべき仕事がある。
ガイには人質解放のための偵察及び道案内だ。
ここにはまだ七人の敵勢力がいる。話によれば協力している非戦闘員の商人四人は船の中央部に近い船室に逃げ込み、震えているらしい。となれば下手に様子を伺うために出てこられて鉢合わせし、騒がれても面倒なのでここは排除しておくべきだろう。大型船舶用の施設側の団長達一団を監視しやすい船長室あたりの位置に三人が陣取っているのは非常にやりやすい。私達はガイが行く先に人気がないことを確認してくれた後ろを足音を忍ばせてついて行く。まずは手筈通りに商人達を捕縛し、騒がないように気絶させた後、猿轡を噛ませてイシュカ、ガイ、閣下と辺境伯がそれぞれ肩に担ぎ上げると甲板のリディのもとに行く。
そこに用意されているのはメインマストにある見張り台から対岸に向かって斜めに張られたワイヤー。
そう、ジップラインだ。
これで一気に素早く移動させてしまおうというわけだ。
まずは音を少しでも漏れにくくするために結界を張り、彼等の着ている上等な上着を身包み剥ぎ、持ってきたハンモックに押し込んで落ちないように括り付け用意できたところで風に煽られる船の軋み音に合わせて彼等を岸で待機しているライオネル達のもとに送り出す。彼等を先に送った理由はもう一つ、船内の仔細な情報を聞き出すためだ。特筆すべき問題が無ければ問題ないが急を要する連絡事項があればシーファが連絡にやってくる。
これが終われば後は人質救出だ。
甲板上の団長達から見える位置の転がされている船員達は申し訳ないが後回し、目に付く彼等を先に動かせば気付かれる可能性が上がる。となれば先に救出すべきは私達を襲った襲撃犯達の家族、人質として囲われていたであろう九人の御婦人達だ。
ただあまり考えたくないのは彼女達の置かれている状況だ。
血気盛んな無骨な無法者の男百人以上が乗っている船の中での監禁。
それがどういうことなのか、みんなは顔を顰めたものの私に気を使ってかハッキリ言わなかった。囚われてきたのはいずれも見目麗しいうら若き女性達だったというのだから下衆な欲望と魂胆が透けて見えている。商人達の上着を剥いだのはこのためだ。新しいものを用意しても良かったのだが時間もなければ荷物が嵩むのもよろしくないので彼等の服を剥ぐことにしたのだ。
囚われている女性達がまともに服を着ていればまだマシだ。
酷ければそれすらも与えられていない可能性がある。助けた船員の話でも複数の女性の悲鳴が聞こえていたというのでほぼ間違いないだろう。
全くフザケた話だ。
人質として確保するのなら丁重に扱えってなもんだ。
要するに兵士達の不満とストレスを解消するための生贄として犠牲にしたのだ。生きて返すつもりなどさらさらなかったということか。
おそらくあのへネイギスと同じ人種なのだろう。そこら中に敵を作って恨まれて、悪逆非道の限りを尽くし、そのてっぺんの罪に塗れ、血塗られた椅子に座ったところでいったい何が得られるというのか。そこに人望が付いてこないのならそれは砂の牙城、強い風が吹けば崩れるものでしかないというのに。
そこで彼女達のところに辿りついたなら無事を確認した上で、まずは私がその部屋に入ることにした。男に対する恐怖が植え付けられているのであるならば彼女達の前に助けに来たとはいえ成人男性を連れて行くのは些か無神経だ。聞けば船員の娯楽室の一室にまとめて放り込まれているという。
何が娯楽だ、バカヤロウッ!
女性を馬鹿にするにも程がある。
身包み剥いでアイツら全員男娼館にでも売り飛ばしてやろうか。
同じような目に遭って、しっかり自分達のしたことを猛省すれば良い。
問題の娯楽室に到着するとガイが頷いたのを確認し、私は静かに扉を開ける。
イシュカから渡された荷物を持って部屋に中に入るとそこにはあまりに酷い惨状が広がっていた。
酷く生臭い、鼻が曲がりそうな悪臭、薄汚れた床に壊れた玩具でも転がしたように放り出された女性の衣服はボロボロで、最早原型を留めていない。白く綺麗な肌の上に無数に走る擦り傷やミミズ腫れ、ここで何が行われていたかなんて聞くまでもない。
私は持っていた荷物を一旦床に下ろし、真っ直ぐに彼女達を見た。
狼狽えるな。
顔に動揺の色を出してはいけない。
私はまだ幼い子供、彼女達の恐怖する対象ではないと認識してもらわねばならない。
虚ろな焦点の合わない目でぼんやりと眺めていた瞳が一瞬、怯えたように私に向けられたが、私の姿がまだ幼い子供であることに少しだけホッとした表情を見せた。
こういう時はどういう言葉をかけるべきか迷った末に私はとりあえず挨拶の言葉を口にする。
「こんばんは、綺麗なお姉様方」
こういう時に憐れんだ顔をしてはいけない。
惨めさが募るだけだ。
同情というのは時と場合を選ばなければ侮辱にも等しい。
無体を働いた男とも呼べないケダモノ達に湧き上がる怒りを抑えつつ、極力子供らしい笑顔で振る舞ってみせる。
「素敵な騎士ではなくて申し訳ないのですが仲間と一緒にお助けに参りました。こんな子供の私と一緒に逃避行して下さいますでしょうか?」
男を意識させちゃいけない。
私は子供、私は子供と言い聞かせつつ、そう切り出した。
「・・・助かる、の? 私達」
ポツリ、ポツリと途切れ、掠れた声がその悲惨さを語っている。
笑みを絶やさず、私は無邪気を装い、頷いた。
「ええ、勿論。私の手を取ってくださるなら」
差し出した私の掌をじっと見て彼女達は次々と弱気な言葉を紡ぎ出す。
「・・・ダメよ。ここから逃げ出したところで私達に生きる術なんかない」
「こんなことに、こんな目に遭った女が幸せになんてなれるわけないわ」
「そうよっ、死んだ方がマシよ」
「助けてくれるというならいっそここで殺してっ」
飛び出すのは世を儚むような言葉ばかり。
無理もないといえば無理もないのだけれども、それではあまりにも哀しい。
虚しすぎる。
ここで安易に頷いてはいけない。
私はあえて強い口調で話しかけた。
「何故生きる術がないと?
幸せになれないなんて誰に決められたのですか?」
「小さな子供がわかったふうな口を聞かないでっ、何も知らないくせにっ」
そう、悲しみで立てないというのなら私を詰ってくれていい。
死んだ魚のような目を向けられるくらいならその方がずっとマシだ。
私は小さく苦笑して言葉を紡ぎ出す。
「そうですね。私はお姉様方の気持ちがよくわかるなどと無責任な言葉は決して申しません」
わかりはしない。
苦しみというものは個人によっても捉え方も、感じ方も違うのだ。
他人の心の痛みはたかがこの程度と他人が決めていいことなんかじゃない。
お気の毒に、よくわかりますなんて陳腐な言葉、私は絶対に口にしない。
だけど・・・
「ですが、これだけは言わせて頂いてもよろしいでしょうか?」
私は彼女達を真っ直ぐに見つめるとその先の言葉を紡いだ。
「自らを価値の無いものだと貶め、蔑むことだけはどうかやめて下さい。
その言葉は貴方達をこんな目に遭わせた男共が負うべきものなのですから」
力にものをいわせて、か弱い女性を集団で襲う。
そんなヤツは既に人間なんかじゃない。
それは人の皮を被った獣にも劣るケダモノ。
人ならば持つべき理性を捨てた社会のゴミ、クズ男だ。
許されていいわけがない。
だからこそ、
「理不尽な目に遭ったお姉様方にはそれ以上に幸せになる権利があります。自分を貶めた男が憎いと思うなら、そんな輩を見返してやるために存分に幸せになってやりましょう。
それこそが最高の復讐ではないでしょうか?」
と、私はそう思うのだ。
暴力を振るった男達が罪人となって今度は大勢の人間に見下される番なのだ。
「この船に乗っていた無法者の殆どは既に私達が捕らえました。
残る悪党にも当然この代償は利子をつけて支払わせます。
これから重い罰を課せられるソイツらを私と一緒に笑ってやりませんか?
監獄に、島送りにされる男達を嘲笑い、見送ってやりましょう。
ザマアミロと。
お辛いかもしれませんがそれには貴方達の証言が必要になります。
御助力頂けるなら是非私に幸せを見つけるお手伝いをさせて下さい」
私はそう語りかけながら一人一人に軽く触れ、洗浄魔法と回復魔法をかけ、持っていた荷物からマルビスに用意してもらった女性用のワンピースと大判のスカーフ、商人達から剥ぎ取った上着を順々に掛けていく。汚れたままじゃきっと人前にだって出にくい。
こんな姿を無闇に晒す必要はないのだ。
回復魔法を掛けたところで心の傷は癒えるわけではないけれど。
「男はもうこりごりだというのなら、私達のところに来て頂ければ男と顔を合わせることのない場所で働き、暮らして頂くこともできます。私のところにはそういった目に遭ってウチにみえた女性が他にも居られますから。男に頼らずとも女性が生きていける、そういう環境があります」
日々の暮らしにはお金が掛かる。
いつまでも家の中に閉じ籠っていられるわけではない。
「捕らえた男達からは私が責任を持って慰謝料を支払わせますので当面の資金は御心配なく。安心してウチにいらして下さい。そのお金が尽きるまで療養し、傷が少しでも癒えたなら、よければ私達の仕事を手伝って頂けたらと思っています。住むところも用意させて頂きますよ。そこは男の出入は禁止され、警備もいますのでご安心ください」
住み込み女性大歓迎だ。
ウチの人事部の扉を叩くのは八割方男。
女性は結婚して家に入るものという認識がまだ強いこの世界は女性は家で内職しながら家を守るというのが基本だ。だが女性だからこそできる仕事、細やかな気遣いというものがある。給料に格差があるのが問題なのだ。人にはそれぞれ個性があるように向き不向きというのがあって当然、男が偉いというわけでは決してない。
その中の女性がおずおずと小さな声で呟く。
「・・・仕事って、私に出来ることなんてせいぜい針仕事くらいよ?」
せいぜい?
くらい?
そんなことはない。
「それは素晴らしい。私達が最も欲しい職人です。是非ウチに就職して下さい」
「私なんて料理くらいしか取り柄なんて・・・」
「最高ですね。一番足りない人手です。貴重な戦力になって頂けることでしょう」
「私は織物ができるだけで・・・」
「とても助かります。これからの寒い時期は特に厚手の布織物が飛ぶように売れるのです。是非お手伝い願います」
次々と掛けられる言葉に私は大袈裟なくらいに明るい声でそう応える。
きっと、まだ大丈夫。
彼女達が自分の出来ることを伝えてくれるということは生きる意思、働く意志があるということだと思うから、ここに確かに彼女達を必要としている環境があるのだと私は伝える。
「ウチには女性が活躍できる多くの場所があります。
男並みに、男より稼いで、男を見返してやりましょう。
男を頼らずとも女性は自分の力で、稼ぎで充分生きていけます」
怖いというなら無理をする必要はない。
植え付けられた恐怖は簡単に消えたりなんかしない。
でも、それでも、どうか世の中にはそんな酷い男ばかりではないと知ってほしい。
「ですが、それでも、もし、また誰かに恋をしてみようと、そんな勇気を持てたならその幸せを掴む努力をして下さい。
私のところには貴方がたを虐げたロクデナシとは違う、良い男が揃ってますよ? 中身のない空っぽなケダモノではない、ギッチリと中身の詰まった甲斐性もあるとっておきの男が。
勿論、正当な理由なく彼等に傷つけられたなら私に言って下さい。
ソイツを私が蹴り飛ばして説教をカマして差し上げます。
もっとも、女性に手をあげた時点で私からすればソイツは男失格ですけどね」
女性を言葉で納得させられないから暴力で解決しようなんて最低だ。
特に今回のようなモテない男がする愚行は許せない。
いったい女性をなんだと思っているのか。
女性とそういうことを致したければ誠心誠意、真心込めて口説き落とし、合意の上でするべきだ。力ずくで言うことを聞かせようなんて、そんな考え方をしてるから余計にモテないのだと心の底から知ればいい。
私が拳を握り締め、そう力説すると一人の女性が呆れたように言った。
「貴方、とても面白いことを言うのね」
「そうですか? 選ぶ権利は男だけにあるものではないですよ」
まあ私には選ぶ権利は与えられなかったけど。
でも本当はわかってる。
選べなかった時点で私はきっと選んでいたんだ。
ロイやマルビス、イシュカやテスラ、ガイと一緒にいる未来を。
見も知らない誰かと恋することよりも、彼等とともにある生活を望んだ結果なのだ。
ロイ達は一度として私に強制なんてしなかったのだから。
私は微笑んで言葉を続けた。
「暴力で女性に言うことを聞かせようなんて不届者は急所を思い切り蹴り上げてやればいいのです。ソレが使い物にならなくなったとしても自業自得、遠慮はいりません。ソイツは人間語を解しない愚かなケダモノなので世の中の女性のためにもなるでしょう。
嫌な男、駄目男にはキッパリとNOを突き付ける、そんな自立した意志の強い女性はとても素敵だと私は思いますよ?」
流されることのない自分をしっかり持った女性はカッコイイ。
私はそんな女性が大好きだ。
ただ甘えた声で男にねだり、男に依存するだけではなく、自分の足でしっかりと立っている逞しい女性が増えてくれば、きっと今よりもっと女性の地位は向上する。
「本当に? 本当に私達、幸せになることを諦めなくても良いの?」
小さな声で確認するように尋ねてきた問いに私は大きく頷いた。
「当然です。何故諦める必要があるのですか?
ウチにはお姉様方と同じような目にあった女性もみえますが、既に何名かは家庭を持っておられますよ? お疑いでしたら今度ご紹介致しましょう。きっと相談に乗ってくれるはずです」
そりゃあ全員の男がそういうことに寛容だとは言わない。
堅物でどうしようもなく融通のきかない男もいる。
だけど全ての男がそうだとは限らない。
だって、そうじゃなきゃ、もと娼館勤めのお姉様達があんなにウチの男達にモテるわけがない。美人で色っぽくて、よく気の利く彼女達の男を見る目もとびきりだ。
半端な男では落とせない。
彼女達は今や高嶺の花なのだ。
大事なのは過去じゃない。
その過去が形作っている今のその人なのだと私は思う。
そして私も世間にではなく、今の自分に胸の張れる、周囲の人達に誇りと思ってもらえる、そんな男になりたいのだ。
たとえ、それ以外の世界中の人間に蔑まれ、見下されたとしても。
「貴方の名前、そういえば聞いていなかったわ。
聞くまでもないような気がしないでもないけれど、教えて頂ける?」
少しだけ声に元気を取り戻した彼女に尋ねられて私は名乗ってなかったことを思い出す。
怪しまれないためにも名乗りを欠いては駄目だろう。
図太い私もやはりそれなりに動揺していたということか。
これは是非とも名誉挽回せねばなるまい。
私は姿勢を正すとカッコつけて紳士らしくお辞儀した。
「美しいレディ達に対して大変失礼致しました。
私、ハルスウェルト・ラ・グラスフィートと申します。
若輩者ではありますが、どうぞ以後、お見知りおきを」
出来る限り、精一杯の笑顔を添えてそう名乗るとその場に騎士の誓いの如く膝をつき、左手を胸に添え、右手を彼女達の前に差し出した。
「花のように可憐で綺麗なお嬢様方、頼りなく未熟な騎士の顔を立て、御同行頂けるでしょうか? 私と私の仲間が責任を持って必ずや無事に外へとお連れ致します」
後は貴方達には私に膝をつかせる価値があるのだと示すことで少しでも彼女達がプライドを取り戻してくれることを願うだけ。
するとおずおずとその中の一人が私に向かって手を差し出してきた。
「貴方に助け出して頂いたこと、自慢させて頂いてもよろしくて?」
その程度で良いなら喜んで。
私は彼女の手を取り、にっこりと微笑んだ。
「それを貴方が望まれるのでしたら」
拒む理由は一つもない。
そう答えた私に彼女が嬉しそうに泣き笑う。
「ありがとう。貴方は最高に素敵な騎士だわ」
やはり女性は暗く沈んだ顔よりその方がずっといい。
笑う元気が出せたなら、きっとまだまだ大丈夫。
「美しくお綺麗な方々にそう思って頂けるのなら男冥利に尽きるというものです。
ですが恋人を妬かせたいというのならくれぐれもご注意を。
男というものは女性が思うよりもずっと嫉妬深い生き物ですから」
私はそう付け加えると彼女達の許可を得て、廊下で待っていたイシュカ達を招き入れた。
くれぐれもお嬢様方は紳士に、丁重に扱うようにいいおいて。




