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第七十五話 罪も咎も負うべきはそれを犯した当人です。


 城内を進み、門を幾つか潜り抜けた先、開けた敷地の場所にポツンとそれはあった。


 城の景観と似合わぬ無骨で質素な、それでいて剛健な作り。周囲どころかその小さな建物の上まで鉄格子で囲まれ、まるで動物園にある猛獣の檻のようだ。鍵が厳重に掛けられた扉の前と建物の前には兵が二人ずつ立っている。そしてそれを覆い隠すように周りには一周だけ木が植えられ、それ以外は城寄りに兵舎らしき質素な建物がある以外は身を伏せても隠れることができるような場所はない。兵士の訓練場にもなっているようだ。

 あれが地下牢への入り口か。

 なるほど、これでは仮に牢から逃げ出したとしても、まずは扉前の、次の関門は鉄格子前の兵士、それを抜けられたとしても大きな物音を立てれば兵舎から飛び出した多くの武装した騎士に取り囲まれるというわけだ。

 ここまでくるのにも幾つも迷路のように細い道を通ってきたし、壁でもよじ登ろうとしない限りは城の上階に辿り着くのは難しい。仮に辿り着いたとしてもウチの屋敷にあるような不法侵入者が簡単に入ってこれない仕掛けがあるだろうし。

 それがなかったとしても当然城のあちこちにには侵入者を阻むための監視塔があるわけで、隠れる場所がないなら狙い撃ちになってしまう。一番単純な侵入方法は正面突破だが当然のことながら警備はここが一番固い。

 私が城に侵入しようとするなら何処からしようかなどと、やる気もない、くだらないことを考えつつ、滅多に見れない城内の裏側の様子にキョロキョロ視線を巡らせながら団長達の後を付いていく。

 特に深い意味はない。

 滅多に見れないものはとりあえず見ておこうという好奇心からの行動だ。

 牢獄などというものはそういうことに関わる職業に就かない限り、罪を犯さなければまずお目にかかることのないシロモノだ。犯罪者になるつもりも、ましてそこから脱獄するつもりもないヤツがそんなものを興味津々で眺め倒してどうすると言われそうな気がしないでもないけれど。

 好奇心というのは大抵においてそういうものだ。

 だからこそ猫をも殺すということなのだろう。

 世の中には見ない方がいいもの、聞かない方がいいものは山ほどある。

 だがその好奇心があるからこそ人類の発展があるのも事実で。


 頑丈そうな門扉の鍵が門番によって開けられ、ギギギギギィと重い音を立ててる。

 そこを潜り抜け、更に地下牢に続く小屋の扉を入るとそこには脱獄を阻むためなのか土魔法を受け付けない、石やレンガで全て作られていた。あるのは地下へと続く階段と簡易テーブルのみ。階段への入口も鉄格子の扉が付いていて、警備兵からランプを受け取ると団長は階段に足を踏み入れた。

 まずは襲撃者のところに行く前に団長達に確認したいことがあるので暫く私の話を合図するまで黙って聞いていて欲しいとお願いする。

 階段を降っていくと狭い牢屋が左右に三つずつ並んでいる。

 意外に数が少ない。

 灯は中央通路の天井にある数個のランプだけだ。

 密閉性が高いのか空気が澱んでいる。

 こういうところって魔素とかが溜まりそうだけど大丈夫なんだろうか?

 まあ何も対策していなければこんなところに牢屋も作らないか。

 それを聞いてみたいところだがある意味藪蛇になりそうなので黙っていた。


「ここだ」


 右側の真ん中、他にここに捕らえられている者は現在いないようだ。

 となるとはここは監獄ではなくそこへ送られる前の留置所みたいなものなのか?

 そこには舞台の上で見た時と随分印象が違う男の子がいた。

 手枷を嵌められ、両足首に鉄球が繋がれている。

 おそらく歳の頃は十ニ歳前後、学院内を怪しまれずに闊歩できるギリギリライン。辺りが薄暗いせいで髪や瞳の色まではハッキリ判別できないが確か襲われた時はやや濃いめの茶髪だったような覚えがある。早々に蹴り倒して背中を踏んづけていたから顔立ちもしっかり見てはいなかった。

 こうして見ると誰かに似ているような気がするけど思い出せない。

 私が必死に記憶を掘り返していると牢獄に響く低い声が聞こえた。


「殺せっ」

 いや、殺しませんよ?

 少なくとも私は。

「暗殺に失敗して逃げ帰ったところで俺に未来はない。

 契約がある以上、どんな拷問を受けようと俺からはどんな情報も取れない。俺に便利な使い道はないぞ」

 まあ普通ならそうなんだけどね。

 便利な使い道ならないこともないですよ?

 どんな命令が下されているのかは聞いても答えられないだろうが、彼の行動から察するに私の殺害命令が出ていることは間違いないが条件付きになっている可能性がある。ただ殺せと命令されているのなら今私が目の前にいる状況で襲いかかって来ない理由がわからない。暗殺も失敗、毒での自害も失敗となると命令不履行なのは間違いないが、下された命令はまだ有効なのだろうか? 

 そうなると間違いなく野放しには出来ない。

 まあ野放しにする気もないんだけど眼前の彼からは殺意が感じられなかった。そのあたりは確認してみたいところではあるが契約上書きが終わった後でいくらでもできるので焦る必要はない。

「あのさ。これはあくまでも君個人の話なんだけど聞いてもいいかな?

 その契約は何か理由があって自らサインしたの?

 奴隷契約だってわかっててサインしたんだよね?」

「そんなわけないだろうっ、俺はっ・・・」

 即座に返ってきたのは否定。

 確認のためにこの質問をしたわけだがやはりだ。

 自分のことなら喋れても主人が関わってくると話せないってわけか。

 そんなわけないってことはやっぱり脅されたか騙されて契約させられたと、こういうことね。

「話せることだけでいいから答えて。奴隷契約を結んで長いの?」

「いや、まだ一年は経っていない」

 意外に短い。

 とりあえず聞きたいこと、確認したいことを矢継ぎ早に質問する。

「ナイフの扱いには長けていたみたいだけどそれは誰かに教わった?」

「兄貴だ。上に兄貴がいる。俺の自慢だ」

「君は剣も扱えるの?」

「当然だ。兄貴みたいな強い男になるのが夢だったからな」

「お兄さんは相当強いの?」

「ああ。まあこんなことになっちまったからにはもうそんな夢も見れねえけど。兄貴に迷惑が掛かるくらいならこのままここで首を刎ねられた方が幾分かマシだ」

 夢見るほど自慢ということはそれなりに強いか、若くして周りに認められているか。そうなってくるとかなり限られてくる。

 多分仕事は騎士。衛兵、警備兵程度では『相当強くて自慢』とはならないだろう。

 となると・・・

 私が少しだけ考え込むと彼は不思議そうに尋ねてきた。

「アンタ、俺を殺しにきたんじゃねえの?」

 殺す気がないからどうしようかと頭を捻っているわけだがそれを言うわけにもいくまい。

 私が主人であるためにビスクやケイではこういったことは確認しにくい。

 二人は私の言うことに絶対服従状態に近いからだ。

 しかも本人達が望んで従っているので尚更わかりにくい。

 だからこそお願いはしても命令は極力しないようにしているが、うっかりやってしまうこともある。だが二人は命令されるまでもなく、私に逆らうつもりは毛頭ないという。自分達は犯罪者であり、捨て駒であるとから気を使うことはない、邪魔になったなら一言そう言ってくれれば迷惑のかからない場所で勝手に死ぬから手を汚すこともないと。そこまで従順だと逆に怖いものがある。

 なんにせよあの二人は嫌な顔一つしないので判断し辛い。

 とにかく目の前の彼からサインを取り付けるのが目下の私に下された使命。

 私は曖昧に微笑って口を開いた。

「まあね。ちょっと確認したいことがあって来ただけだよ。

 別に君程度の刺客に殺られるほどマヌケでもないし」

 大見栄を切ったわけだが実際にはイシュカと団長の叫び声がなかったら殺されていたかもしれない間抜けなのだけれど。

 こんなことは自分から言わなきゃわからない。

 ワザと挑発するように言った言葉に彼は怒るでもなく呟くように言った。

「知ってる。アンタの噂は町でも村でもいろんなところで聞いたからな。

 兄貴もスゲェッて騒いでたし、アンタの話はよく聞かされたよ」

「どんな話?」

「四匹のグリズリーを倒すのに剣も魔法も殆ど使わなかっただとか、魔獣の足跡見ただけで森に潜む可能性のある魔獣を当ててみせたとか、興奮して俺に話してくれたからな。

 だから俺が殺せるなんてハナっから思っちゃいなかった。

 むしろホッとしたかな。失敗してアンタに踏みつけられた時は」

「兄弟仲、いいんだ?」

「ったりまえだろ」

 ベラスミに住んでいれば私がグリズリー討伐に協力したことくらい噂話で知っているだろう。

 だがここまで詳細にとなればかなり限定されてくる。

 すぐに思い当たったのは一人だが、あちらの騎士団内で話が語られれば他にも候補がいるかもしれないので断定はまだ出来ない。

「その話を聞いたのはいつ?」

「確か一昨年の冬、だったかな。確か歳が明ける前だ」

 これはほぼ決まりだ。

 今は学院での講義も始まっているので私が今まで魔獣討伐などで使った手法その他はある程度騎士貴族の間でも語られるようになってきた。だが一昨年の冬、ベラスミに私が初めて訪れた時期となるとその話を聞いたのはかなり早い時期になる。

 つまりウチの商会の人間とも交流がある、私のよく知る人物が彼の兄だろう。

 おそらくだからこそ狙われ、利用されたということなのだ。

 ウチの情報を得るために。

 もう一度じっくり見てみれば、なるほど、目もと、口もとあたりがよく似ている。どうりで会ったこともないはずなのに見たことがあるような気がしたわけだ。

「私、君に見覚えがあるんだよね。

 いや、ちょっと違うか。今は雰囲気はまるで違うんだけど特に横顔とかが昔の彼に」

 少し影のあるあたりが特に。

 つらつらと関係ない世間話をしていたようにみせて実は自分が誘導されていたことを知り、彼はギクリと体を強張らせる。

 しまったというのが露骨に顔に現れている。

 主人が不利になることは喋れない、行動できない。

 この契約事項がどう作用するのか知りたかったのだ。

 一切口を聞けなくしてしまえば情報収集ができないから意思疎通が図れないのでは役に立たない。行動については言わずもがなである。動くことが出来ない人形はハッキリ言ってしまえば邪魔だ。つまりは密偵として利用するなら命令以外でも自分の意思で行動し、話せることは絶対条件。

 奴隷契約とはおそらく契約させられた者の意識の問題なのだろう。

 だからこそ自分や家族の話をする時はスラスラと言葉が出てくる。

 となれば、彼には主人のそれを考える余裕を与えない方向で追い込んでみたらどうだろう?

 あくまでも仮定ではあるが、かなりのブラコンであることを考えると兄に多大な迷惑がかかると思えば主人への配慮、命令への意識が薄くなるのではないか? 

 気の進まぬ命令であればあるほど意識はそちらに割かれるものだ。

 やりたくない、嫌だと思えば思うほど縛られることになるとすれば?

 上手くいくかどうかはわからないがやってみる価値はありそうだ。

 私はニヤリと悪人ヅラを意識して微笑ってみせる。


「まあ君が誰に似てようと血縁関係があろうと私は気にしないよ。

 騙されたのは君の責任であってお兄さんとは関係ない。

 それを周りの人間が私と同じように考えるかどうかは疑問だけどね。

 それは私の関与するところではないし正直どうでもいいよ。所詮他人事だから。

 お兄さんは君が騙されて奴隷契約を結ばされてるって知ってる?」

 普通こんな言い方をされればまともに言葉通りの意味には取れやしない。

 案の定目の前の彼は大いに慌て始めた。

「知るわけねえだろっ、こんなことが他のヤツらに知られたら兄貴に迷惑がかかる。だからサッサと殺せっ! いや、違う。頼む、頼むから殺してくれっ」

 焦って殺してくれと連呼する彼にそんなこと関係ないとばかりに明後日の方向を見てそれに答える。

「それも君次第かなあ。私は陛下からの君に関する処分を一任されている。

 つまり君を生かすも殺すも私次第ってわけ」

 口調だけはすっかり悪人気取りの私に彼の顔色は真っ青になる。

 閉じ込められている鉄格子の柵を持って叫ぶ。

「俺の話せることならなんでも話すっ、そりゃあ喋れねえこともあるけどっ」  

「それはわかってるからいいよ。

 聞いても言葉が出なくなることはさっき確認した。

 でも主人に関係ないこと、不利にならないことなら話せるっていうこともわかったよ。だから私がこれから質問することやお願いすることは君の主人に全く関係のない、不利にもならないこと。君が可能なことばかりだ。答えなくても構わないけど君が答えられないならお兄さんに聞きにいくだけだし」

 主人には全く関係ないという事を強調しつつ、君の願いを叶えるか否かは君次第、君が出来ないなら君のお兄さんに迷惑が掛かるだけだよと念を押すように付け加える。

「つまり俺は普通にアンタの質問に答えるか、行動すればいいわけだな?」

「そう。主人に不利なことは喋れないのは既に実証済みでしょう? 

  話せないことなら言葉が出てこないわけだし、私は喋れもしないことを拷問して聞き出すつもりもない。

 これは理解してくれた?」

 彼が真剣な顔で頷いたのを見て私は続ける。

「君のお兄さんは主人の計画を知ってる?」

「知らねえよ。知ってたら絶対止められるし、俺の前でアンタの話をするわけもねえ。止められねえなら閉じ込められるに決まってる」

 でしょうね。

 彼のお兄さんは生真面目すぎるほど真面目だ。

「君が人殺ししないように?」

「殺してねえ。殺そうとしたのはアンタが一番最初だ。兄貴はアンタに心酔してるからな。ベラスミが救われたのはアンタのお陰だって耳にタコができるくらい聞いたよ」

「つまり君がやらされていたのはお兄さんとウチの商会の情報収集ってわけだ」

 私がそう断定すると彼は途端に喋れなくなった。

 やはり主人の不利を意識させると言葉が出ないようだ。

 私は一生懸命に何かを言おうとしているが声を出せなくなっている彼に軽く手を振って落ち着くように言った。

「いいよ、いいよ。答えなくて。答えられないっていうのが答えだから」

「・・・兄貴は悪くねえ」

 ようやく絞り出したのは主人と関係ない兄への擁護。

「そうだね。悪くない。

 そして聞いた話から判断すると君もある意味被害者ってことも理解したよ」

 気の毒なことにね。

 だからといって無罪放免とはいかないのだが。

 そう言って肩を竦めると彼は不思議そうな顔で私を見た。

「俺を責めないのか? なんでそんなことが言える?

 アンタ俺に殺されかけたんだぜ?」

「殺されかけた?  ああ、あの時君に襲われたのが?」

 私はそれを鼻で笑う。

「甘い甘い、あんなの私にとって日常茶飯事。道端で絡まれたのと大差ないよ。

 君ごときの腕で私が殺せるわけないでしょう?」

 勿論これはハッタリだ。

 イシュカ達の声がなかったら多分危なかったがそれを顔に出すことなく私はにこやかに続ける。

「ああ、君が気絶している間に口に仕込んでいた毒は取り除かせてもらったし、私は聖属性持ちで上級魔法も使える。舌を噛み切って死のうとしても無駄だよ? すぐに直してあげるから。

 君をお兄さんのもとへ生きて届けるまでね」

 一番彼が望んでいない、嫌がるであろうことを口にすると尚更彼は必死になった。

「それだけはっ、それだけは勘弁してくれ、なんでもするっ、俺に出来ることならなんでもするからそれだけは頼む」

「どうしようかなあ、そんなに懇願されてもねえ。

 私は捻くれ者だから『やるな』と言われると逆にやりたくなるかも?

 別に君をお兄さんのところへ届けたところで君の主人は困らないでしょう? 君は主人の都合の悪いことは喋れないんだから。

 お兄さんは間違いなく困るかもしれないけど。 君が私を暗殺しようとしたってわかって」

 あの人のことだ。平身低頭、土下座せんばかりに頭を下げてくるだろう。

 別に謝罪してもらう必要はないけどね。

 どちらかといえば彼らも被害者だ。

 だがこの国の法律では貴族(わたし)に刃を向けてしまった以上、生憎無罪とするわけにもいかない。

「頼む、なんでもする、なんでもするからそれだけはっ」

「なんでもって、なんでもはできないでしょう? 契約で縛られてるんだから」

「だからそれ以外ならなんでもするよ。アンタ、頭良いんだろ? 

 それなら契約したままの俺の使い道くらい考えてくれよっ」

 既にそれは用意してあるんですけどね。

 っていうか陛下に押し付けられたわけだけど。

 彼の意識から主人を考える余地を残していては上手くいかない可能性がある。

 申し訳ないけど追い込ませてもらうよ?

 私は困ったようにわざとらしいほど大袈裟に溜め息を吐く。

「いつ寝首をかかれるかわからない人間を側に置いておくのもねえ」

「鎖で繋ぐなり、重しを付けるなりすればいいだろっ」

 そうすると出来ることってかなり限られてくると思うよ?

 映画やアニメの中で罪人とかがそういうものつけられて働かせている場面が出てくることがあったけど、アレって逃げ出せないかもしれないけど効率も凄く悪いと思っていたのだ。たくさん働かせたいになら余計に体力を奪うようなことをしてどうする? 長くたくさん働かせようと思うなら、むしろそこそこの生活環境を用意すべきだ。重い物を引き摺らせるよりその分荷物を持たせて、無茶な食生活を送らせるより粗末でもしっかり食べさせてガッツリ働かせた方がお得のような気がする私は人非人だろうか?

 私はもったいぶって口を開く。

「そうだなあ、まあそれでも使い道がないわけでもないけど。

 そこまでいうならこれにサインしてもらおうかな?」

 勿論取り出したのは陛下が用意した奴隷契約書。

 但し一番下の彼がサインすべきところで山折にし、その上に書いてある文面が見えないようにした上で薄い板にクリップで留めたものを鉄格子越しに見せた。

「文面は隠してあるけど、これにサインしてくれたら考えてもいいよ?

 何が書いてあるかわからないわけだけど、これが金貨千枚以上の借用書だったとしても、君の遺言状だったとしても、借金も被害も被るのは君であってお兄さんでもない。 家族にまでこの文面の責任を負わせることはしない。それならばいいでしょう?」

 だが彼からすれば一度騙されて奴隷契約を結ばされた身だ。

 内容を知ることができないこれに署名するのには相当の覚悟が必要だろう。

 これを受け取ろうとして伸ばされた手は震え、尋ねる声も戸惑いに掠れていた。

「これに、サインすれば、兄貴に迷惑はかからないんだな?」

 私は頷くのを躊躇う。

 ここでそれを否定するのは簡単だけどそれでは彼を騙して署名させた領主代行、ウォルトバーグと一緒。彼の兄に聞いたことがある彼らが住んでいるところは、確かそう大きくもない町だったはず。騙されて契約を結ばされての行動とはいえ、私の殺害を企てたのがそこの住人に知られることとなればどうなるかは想像に難くない。

 人の口に戸は立てられない。

 それを私は別の意味でよく知っている。

 

「わからない。ベラスミの内政にまで私は口が出せないからね。

 そうでなくてもこのことが周囲に知られればどうなるかわからない。

 私にはそこまでの保証はできないからね」

 少し考えた末、正直に私はそれを彼に告げる。

 すると彼の顔から血の気が一気に引いた。

 そう、噂なんてものはどこから漏れてどう伝わるのかなんてわからない。

 罪人の家族がどうなるかなんて考えなくてもわかる。

 彼が捕まった時点で既にそれは確定しているのだ。

 大勢の前で彼は私に襲いかかってしまった。

 仮に彼が何食わぬ顔で自宅に戻ったとしても、無罪放免とできない以上第三者にそれが全く伝わらないなどと都合の良いことは考えるべきではない。

 それは仮に彼がここで命を絶ったとしても変わらない。

 彼もその事実に気づいたようだ。

 私は絶望した彼に提案をする。


「でも仮に君の兄が騎士の座を追われたとしても、彼が望むなら私のところで雇ってあげると約束するし、住処を追われるなら家族ごとウチに移り住んできてもいい。ウチなら君達が自分から素性を漏らさない限り周囲は知らない人達ばかり、問題ないと思うよ? 仕事は山ほどあるし、望むなら仕事も紹介してあげる。当然正当な報酬でね。

 ウチにはワケ有りの人間なんて山ほどいるからね。私は気にしないよ。

 私の専属警備は給料もいいし、緑の騎士団並みの実力者揃いだよ?

 勿論不当な扱いは絶対しない。これでどう?」

 だが私の言葉に彼はまだ迷っていた。

 現実は理解しているだろうが覚悟がつかないのだろう。

 人に騙されて多大な被害を受けた者はウマイ話を差し出されたとしても、それを簡単に他者を信じることなんてできない。

 むしろ大事な者を守りたいならそうでなくてはならないと私は思う。

 でなければ他人に利用され、搾取され続ける可能性もあるのだ。

 己が犯した失敗から学ばなくてはならない。

 世の中善人ばかりではないと彼はその身に沁みている。

 私の提案に躊躇うのも無理はない。

「そうだね、口約束だけじゃ信じられないよね」

 それでいい。

 さて、疑っている彼にどうやって私を信じさせよう?

 嘘ではないと伝えるには。

 私は顎に手を添え、考える。

 例えば一方的にリスクを負うのではなく、こちらもリスクを負えばどうだろう?

 同等のものを差し出す必要はない。

 私の言葉に嘘がないと証明できれば納得してくれないだろうか。


「団長、城に商業用の契約書ってある?」

 黙って見守っていてくれた団長に尋ねてみる。

 ウチでもよく使われるその契約書は簡単な制限しかできないものだ。

 商業ギルドで販売しているが届出も必要になり、証書も商業ギルド管理で双方の署名が必要で、解除には同じく双方の署名、もしくは期限切れ待ちとなる。

 強い制限を掛けるとなると借金返済のための契約奴隷の書類で借金の返済を持って解除されるより強い制限を掛けられる。

 どちらも商業ギルド管理の書類で届出が必要であり、提出された時点で発動される。盗難防止のために一般には保管場所は知らされていない。書き損じであっても購入した物は返却を求められることになっている。

 奴隷契約は国家管理で、国への届出が必要となる。

 罪人などに対して使用されるそれが一般に出回ることはない。

 少なくともこの国では。

 つまりはウォルトバーグは明らかな違法行為を行なっているわけだが、残念ながらこれを証明すべき手段がない。彼の関与を立証できない上に、解除できなければ聞き出すことも出来ないし、仮に解除できたとしても証拠がなければ言い逃れができるのが現実だ。

 つまり別件で引っ張るしかないわけだが、彼の握っているであろう情報が役立つであろうことは間違いない。疑り深くなっている彼に信じてもらうには私の言葉に嘘がないことを証明する必要があるのだ。

 

「商業用はないが履行契約書ならあるぞ?」

「どう違うの?」

 それは聞いたことがない。

 つまりそれも国管理ということだろうか?

「まあ似たようなもんだ、約束が守られない場合にはそれを守るまで左の手の甲に紋が浮かび上がる。そいつが手にあるってことは約束を守らない人間だということの証明になるんで信用がなくなる。

 まあ大抵は当人同士ではなく、その直属の部下が署名することが多いんだがな」

 成程、おそらく国家間や貴族間で使われることが多いものなのだろう。

 少なくとも人一人を、自分以外の誰かを犠牲にできる立場にいる者。

「じゃあそれでいいよ。一通持って来てくれる?」

「わかった、ちょっと待ってろ」

 団長はすぐにそう返事をするとその書類を取りに出口へと向かった。 

 暫くすると団長がそれを手に戻って来たのでそれを受け取るとその場で彼に申し出た提案について書き記す。これはサインした瞬間にそれが手の甲に一瞬浮かび上がって消え、約束が果たされなかった瞬間から浮かび上がるものだというのを連隊長が教えてくれた。

 私がそれに迷うことなくサインすると本当に左手にそれが鈍く光って浮かび上がり、すぐに消えた。

 それを驚いたように見ていた彼に差し出した。

 牢の中から手を伸ばし、彼はそれを私から受け取る。


「これでどうかな?

 これを商会事務所の人事部に持ってきて貰えば真面目に働いてくれる限りという条件はつくけど間違いなく雇い入れる。使うかどうかは本人の意志に任せるよ。

 商人は信用第一、そんな紋を手に刻んだりしたら私の商売上がったりだからね。間違いなく約束は守る。私の専属護衛になれるかどうかは君のお兄さん次第だけど貴方が自慢するくらいなんだから実力で上がってこれるでしょ?」

 彼は私の言葉を聞きながら、その文面を目で追う。

 それに間違いがないことを確かめると彼は驚いたように私を見る。

「・・・俺はアンタを殺そうとした犯罪者だぞ?」

 私はそれがどうかしたかと言わんばかりの顔で笑う。

「そうだね。でもそれは『君が』であって、君の家族に責任はない。

 私は罪も咎も当人が背負うべきであって、その家族まで背負う必要はないと私は思っているんだよ。それを一緒に背負いたい、背負わせたいと思っているなら別だけどね。

 それに私は君のお兄さんの優秀さをよく知っている。

 真面目で仕事熱心で自分の仕事に誇りを持っていることも。

 そんな彼、ゴードンと彼の家族を信用しない理由はない」


 そう、その目もと、口もと、本当に彼に、ゴードンに似ている。

 二年前、あった頃のゴードンに。

 少しだけ影があって、どこか自信なさげで、騎士隊長の座はお飾りだと言っていたあの頃のゴードンに。

 今は背筋がピンッと伸び、表情も明るくそれに相応しい顔になった。

 以前と雰囲気がまるで違う。同一人物であることを疑うほどには。


「アンタ、見た目や噂と随分イメージ違うな」

 彼がジッと私を見てポツリと呟く。

 イメージ? 

 ああ、イメージっていうと例のおかしな具合に盛られたあの評判のことか。

 そりゃあ当然ってもんだろう。

「あの体中が痒くなりそうな美辞麗句が並んだヤツ?

 あんな御大層で立派な人間なんているわけないよ。

 私が王都の貴族や盗賊の間でなんて呼ばれてるか知ってる?」

「なんだ?」

 聞き返されたので団長に視線を向けると団長が苦笑して代わりに答えてくれる。

「魔王と魔神だ。恐れ慄かれてるぞ」

 その通りっ!

 嫌いな相手、敵対者に怖がられるのは別に悪いことだと思っていない。

 むしろ関わりたくないので私を見たら是非とも回れ右で全力ダッシュで逃げてほしい。

「まあそういうことだよ。御愁傷様、相手が悪かったね」

 喧嘩を売るなら殴り返される覚悟をしてもらわないと。

 私は得にもならない喧嘩はしない。

 売られない限りこちらから買うつもりもない。

 やられたらやり返す、あくまでも正当防衛が基本スタンスだ。

「だが安心しろ。口に出した約束をコイツは一度として違えたことはない」

 団長が私の言葉を擁護するようにそう言ったのを聞いて彼は頷いた。


「わかった。サインする。どちらにしても俺にはその道しかない。

 それにアンタは兄貴が言っていたように信頼するに足る人物なのはよくわかった。俺はアンタを殺そうとした時点で首を刎ね飛ばされようが、金貨千枚以上の借金を背負わされようが文句も言えない立場であるにも関わらず、俺の家族まで気を使って、契約書までこうして用意して、それを証明してくれた。

 信じるよ。

 アンタの、いや、ハルト様の言葉を。

 俺はどうなってもいい。兄貴を、家族を助けて下さい、お願いします」

 そう言って彼は頭を下げた。

 どうやら彼の頭の中から彼の主人の存在を一時的とはいえ追い出すことに成功したようだ。

 やはり奴隷契約解除の鍵は奴隷となったものの意識に関係ありそうだ。

 逃げるなよと、閉じ込められればどうやってそこから抜け出そうかと逃げ出すことばかり考える。

 嫌なことを押し付けられ、サボるなよと命令されればどうやって手を抜こうかと考える。

 従いたくない命令を下されれば、どうすればそれに従わなくてもいいかと考える。

 考えなければ出来るのに、従いたくないと思うからこそ強烈な痛みに襲われて意識を支配され、命令に抵抗できなくなるというわけだ。諦めて、逆らうことをやめれば本当の意味での奴隷が出来上がるという寸法だ。

 

「話が早くて助かったよ」

 

 上手くいかなかったらどうしようかと思ってた。

 別に本人が望むならゴードンが私のところへ来るのは全く問題ない。

 新たに心強い味方がまた一人増えるだけの話なのだ。

 私の手から内容を伏せられた契約書を取ると彼はすぐにペンを走らせる。

 そうしてサインを終えると、彼の服の下にあった奴隷紋は眩い光を放ち、浮き上がると空中で割れ、粉々になり、そこに新たな私の奴隷紋が光り、刻まれた。

 わけがわからない様子で目を見開いてその様子を見ていた彼に私は尋ねる。


「君の名前は?」


 クーベルト・ジ・ベルトラルク。

 ベラスミのもと貴族、ベルトラルク家の次男。

 私の新たな奴隷となった彼は間違いなくゴードンの弟だったのだ。



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