第十七話 候補地決定です。
翌日、朝の肌寒さに震え、夢現のまま近くにあった温かいそれに身を寄せると、優しく何かに引き寄せられ包まれてぼんやりと目を開ける。
「おはようございます、お目覚めですか?」
耳もとに届いた小さく、囁くような優しい声に一気に覚醒した。
とたん、自分の置かれている状況を把握して私は耳まで真っ赤になって硬直した。
正面からその胸に抱き締められ、間近にあるロイの、蕩けるほど甘い微笑みに固まってしまった。
「貴方は本当に慣れていないんですね、もう起きられますか?」
私はぼうっとその笑顔に見惚れて小さく頷いた。
昨日の夜、布団が温かくてぐっすりと眠り込んでしまった。
起き上がったロイが着替えるためにベッドから降りると離れる前に腰を屈め、私の目もとに唇を寄せた。
瞬間、再びピキンッと音がしそうなほど固まり、私は顔から湯気が出そうなほど見事に茹で上がり、唇の触れたそこに手で触れた。
「おはようのキスですよ、親しい間柄ならごく普通の挨拶でしょう?」
フフッと小さくロイがまるで悪戯が成功した子供のような顔で笑った。
「マルビスが貴方をからかいたくなる気持ちが少しわかりました。
これはクセになりそうですね」
御機嫌な様子でベッドを離れると私の目の前で着換え始めた。
頼むから朝っぱらから色気を振りまくのは止めてくれと思わず叫びそうになった。
ただでさえ昨日の醜態に恥ずかしくて合わせる顔がなかったというのに、背中から抱き締められ、囁かれた言葉はまるで告白のようだった。泣きそうになっている子供をあやしたようなものだったとわかっている、解ってはいるがあの言葉の破壊力は凄まじくて。
多分、ロイは夜に言ったあの言葉を実践しているのだと気がついた。
ってことは私はこれから何度もこのような事を経験させられることになるのだろうか?
クセになりそうってどういう意味?
すっかり頭はショートして理解不可能な事態に思考回路は停止寸前だ。
「朝食の準備がもうじき出来るそうですよ。
お仕度はお手伝いしたほうがよろしいですか?」
更に混乱状態になりそうな申し出に私は慌てて首を横に振り、ベッドから飛び降りた。
「では隣でお待ちしておりますね」
にっこりと微笑して扉を出ていくロイの後ろ姿を私は呆然と見送っていた。
そして思った。
近いうちに私の心臓は止まるかもしれないと。
朝から混乱の渦に突き落とされたもののなんとか持ち直し、宿を出発した。
砂糖に蜂蜜をかけたような極甘なロイにマルビスは何か察したらしくニヤニヤと笑い、ランスとシーファは一瞬だけ固まったものの特に反応するでもなく流した。この二人のスルースキルは凄いなあと妙なところで感心してしまった。まあ、護衛というのは何事にも動じず、余計なことは『見ざる聞かざる言わざる』が基本なのだろう。
この宿から三刻ほど馬を走らせたのが最後の目的地、ライナスの森とシェリル湖に挟まれた土地。
アスレチックを組むだけなら山の斜面でも可能だし、土魔法で少しくらいなら削っても問題ないだろうが山が崩れやすくなる可能性があるのでできれば避けたい。木が無くなれば森の保水力も低下する。大雨などに降られて土砂崩れでも起こした日には目も当てられない。
極力地形を活かして建設したい。
どうやらこの辺りの森は随分と古いようだ。
歴史を感じさせる巨木が所々に見られる。これはなかなか壮観だ。
これがラノベの世界ならエルフでも住んでいそうな感じだ。残念ながらこの世界に亜人種は確認されていないようで父様の書斎にあった本からはその存在が記された記述は見当たらなかったけれど。
とりあえず山と言うには低いが丘と言うには少々高いメリル山を覆い隠すように鬱蒼と茂る木々。今までの場所は保養地としての役割も狙っていたので水辺が多く、ある程度整備された土地だった。
だけどここには手付かずの自然が残っている。
「そろそろ到着します」
森の中を続く街道の先に一際明るい日差しの差し込んでいる場所が見える。
あそこか、と思った。
着いたらまず一休みした後に周囲の散策と対策を決めないと。
これからの今日の予定を頭に思い浮かべ、森を抜ける。
瞬間、パアッと視界が拓け、光を反射した湖面が飛び込んできた。
凄い、綺麗だ。
なかなか壮観な眺めだった。
確かに平地は多くない、だけど多くなかったからこそ人の手があまり入ることなく自然の美しさを残していられたのだろう。メインの街道を敷くには邪魔な大岩や幹の太い木々と深い森、泉から少し離れた場所には切り立った崖がそびえ立ち、なだらかな傾斜の続く山の斜面斜面は家を建てるのにも苦労する。メインの町からもやや遠くも深い森に囲まれたこの場所は穏やかな平地が多い泉の対岸に比べ不便さが際立ってしまう。
だけどここにしかない魅力がある。
ここは確かに保養地を作るのには魅力的な場所だ。
私達は馬を降りて辺りを見渡した。
平地が少なく狭いといいながら父様達が候補地に入れた意味を理解する。
「なかなか素晴らしい眺めですね」
ため息たともにもらされたマルビスの言葉には賛成だ。
「町からも森を抜けなければいけないという点を除けば二刻弱、位置的にも悪くありません。
ただここの道を通るとなると町から次の大きな村まで約五刻、その間に民家もほとんど見当たらないため利便性も悪く、対岸に進路を取る者が多くなってしまうのですよ。陸の孤島とも呼べるかもしれませんね」
森をある程度切り開くにしても立派すぎる樹木は切り倒すのにも運ぶのにも一苦労しそうだし、見掛けた少なくない大岩も退かせるのは厳しい。
そういった風景も保養所の景観としては悪くないが私達の企画は総合施設、単体では成立しない。アスレチック施設だけでは人を呼び込むことは出来ても利益を出すのは難しい、旅行気分で楽しんでもらったついでに消費してもらうには商業施設併設は必至。いずれ他領からも観光客を受け入れ、のんびり過ごしてもらおうとするなら宿泊施設も外せない。そうなるとここは大規模な開発計画を組むなら難しいと結論を出すしかなくなってしまう。
「確かに惜しいですね。
この広さでは商業施設を建てる場所は確保出来ても宿泊施設建設は難しい」
マルビスも私と似たような意見なのだろう。
諦めるには惜しい景観と立地条件にしきりに辺りを見回し打開策を検討しているようだ。
ふと、耳に覚えのある水音が聞こえてきた。
これって、
「もしかして近くに滝もあるの?」
ロイを振り返って尋ねるとそれを肯定する返事が返ってきた。
「ええ、あまり大きくはありませんが近くには川も滝もありますよ、見に行きますか?」
「行くっ」
馬の世話をシーファに頼んでランスを護衛に森の中に分け入って坂を登っていくと次第にその音は大きくなり、十分ほど歩くと切り立った崖の上からの流れ落ちる滝が姿を現した。
確かに大きくはない、高さもそれほどあるわけじゃない。
でも、これは私が思い描いていた場所に近い。
「スゴイ、絶対ここだよ、ここがいい。
自然の中に組むアスレチック施設の設計もここなら面白いのが出来る。
川や切り立った崖も、滝や湖も、大きな樹木だって理想的だ」
「建物の建設はどうしますか? まとまった商業施設を建てたら宿泊施設の土地が足りません。切り開くにしても時間と経費がかかりすぎる、採算が取れませんよ」
マルビスに突っ込まれ、私は口を噤んだ。
何か、何かあるはずだ。まだ思いついていない打開策が。
考えろ、考えろ、絶対何か方法があるはず。
大岩や森や樹木、それらが開発の邪魔になるというならむしろそれを利用する方向で・・・
その時、私の頭の中で何かが引っ掛かった。
そうだ、あるじゃないか、宿泊施設を建てられる場所がもう一つ。
いや、二つある。
なんで今まで思いつかなかったのだろう。
私は山の頂上に向かって走り出した。
「ハルト様っ」
慌ててロイ達が追いかけてくる。
まずはこの湖全体の大きさと形と土地の所有者がわからないとハッキリしない。
町や村の中にある建物が立っている土地にはだいたい貴族なり、庶民なりの所有者がいる。
そこの周りの畑にも所有者はいることもあるが領主から借りていることが多い、それ以外の土地は金属や鉱石等の発掘などが行われていない限りは領主、即ち父様所有であることが多いのだ。
つまりこの湖周辺の開拓されていない土地は使える可能性がある。
そんなに大きな範囲でなくてもいい、昨日泊まったくらいの規模の宿屋が二、三軒建てられる土地が近い位置にあれば・・・
少し開けた山の尾根のところまでくると振り返り、湖を見渡した。
歪んだひょうたんみたいな細長い形の湖。
さっきまで私達がいた場所はあのひょうたん形の窪みのあたり、シーファと馬の姿が水辺に小さく見える丁度一番幅が狭い辺りだ。
都合がいい、対岸にも田畑は見えない。
走ってきた方向を振り返るとなんとか姿の見えるマルビスとはっきり視界に捉えられる位置にロイ、すぐ後ろにランスがいた。
私のダッシュにピッタリと付いてきたランスはさすが護衛だ、二人とは体力が違う。
「ランス、あの辺りの岸は町から遠い?」
「あの辺りっていうと一番湖の幅が狭いとこですか?」
私の指差す方向を真っ直ぐ見て確認するとランスは少し考えて答えた。
「そうですね、直線距離では若干あちらのほうが遠くなりますがこちらは道が悪いし、真っ直ぐではありませんからね。実際の走行距離と時間はあちらのほうがここよりも早いので一時間強ってところですか」
半刻くらいしか変わらないのか。
それなら乗り物を乗り換える手間を考えれば直接こっちの方が現実的だ。
一応は聞いて見たほうがいいか。
「ちなみに湖をあそこからここまで船で渡ることは可能かな?」
「難しいかもしれません。この湖は真ん中辺りは深いですけど岸からは浅瀬が少し続くんですよ。あまり大きいと船底を擦ってしまうと思います。小さな四人乗りとかなら可能かもしれませんが」
やっぱり無理か。
橋をかけるとなるとどうしても予算が足りなくなるだろうし船も船乗りもっていうと人手も更にかかるから厳しいよね。
と、なると残されたもう一つ、やり方によっては二つの手段が使えるか否か。
「この辺りって風とか季節によって強かったりする?」
「いえ、それはないと思います。そりゃあ天気によって多少は変わるでしょうが基本的に小さいとはいえ山に挟まれているんであまり激しい風か吹いたという話は聞きませんね。
地元の奴に確認したほうが間違いないとは思いますけど」
ふむ、確認の必要はあるけど可能性はあるわけだ。
息を切らして追い付いたロイに聞いてみる。
「ロイ、あの辺りって父様の土地かな?」
額の汗を手の平で拭い、荒い息をつきながら私の指差した方向を見下ろすとゆっくりと息を整え、大きく深呼吸してからロイは答えた。
「はい、多分、そうだと思いますが」
やっぱり!
だったら二つ、方法がある。少しワクワクしてきたかもしれない。
やっと追いついてきたマルビスが地面に座り込んで私を見上げて尋ねた。
「何か思いついたんですか?」
「いくつかの条件がクリアできれば、宿泊施設を建てる場所を二つ、間違いなく一つは確保出来るよ」
面白そうに私を足もとから見上げるマルビスと困惑気味のロイ。
「もしかして対岸のあの場所ですか? あそこは普通に馬車で行くとここから町まで行くのと変わらない距離になります。町に帰った方が早いですよ?」
この湖の独特の形からすると確かにそうなる。
湖を回り込まないといけなくなるからね。船は無理、橋は予算が厳しい。
でもあるんだよ、普通じゃない方法が。
できるかどうかは調べてみないとわからない。
だけどアスレチックパークに相応しい手段が。
「湖の上を歩くんだよ。後、もう一つ、湖の上空を滑って渡るんだ」
混乱しているのはロイとランス。
さすが、既にアスレチックを組むための資材の発注をしているマルビスは思い当たったらしい。
ニヤリとその顔が笑った。
「なるほど、アレですか。確かに条件次第ではありますね」
そう、私が数日前に書いた絵の中にあるのだ。
橋を使わず、湖を渡る方法が。
「『浮島』と『ジップライン』だ」
マルビスと私の声が重なった。
山を降りてから宿で用意してもらった昼食を取るとロイやマルビス達に思いついたことを地面に枝で絵を書き、説明した。
ジップラインは前世の世界でも有名だ。
高低差を利用してワイヤーロープにベルトとハーネスを装着してぶら下がり、滑車で滑り降りるアクティビティ。風を切る疾走感が最高なのだ。高所恐怖症の人には難しいだろうけど、それならばもう一つ、名前がわからないので私が適当に名付けた浮島でも湖の上を渡ることは可能だ。ただ移動手段として使うならもっと改良の必要はあるだろうけど湖の上に浮かんだロープで繋がれた木製の箱が連なった回廊を岸から岸へと渡したロープやワイヤーを伝って進んでいくのだ。これは距離があったり、風が強かったりする場所では厳しいがランスの話では可能性がある。
そして、安上がりにすませることの出来るキャンプ場は商業施設と一緒に平地と湖畔に作るとして、余裕がある世帯向けのもう一つの宿泊施設、森の中、太い樹木があるからこそ可能な木の上に作るツリーハウスだ。
日常生活とは違う気分を味わってもらうには、むしろこっちの方がいいかもしれない。
私が説明し終わると納得したロイは頷き、マルビスは目を輝かせた。
「面白いですよ、絶対王国どころか近隣諸国でも話題になります。
そうですね、まずはハルト様の仰る通りツリーハウスが現実的でしょう。山の斜面を利用したジップラインや距離の短い浮島で客を慣れさせ、一気に対岸を利用し拡大する。そして更に湖の周辺一帯をリゾート化と進めて行くのが妥当でしょう。勿論旦那様に確認する必要はありますがこれが実現できるならこの場所に関する問題は解決、使える土地の範囲も規模も広がります」
興奮気味のマルビスが熱弁する。
なるほど、マルビスの言う事ももっともだ。
慣れないことをいきなりやれと言われても難しい。
湖の上を横切るような大掛かりなものはすぐには受け入れらないに違いない。そこで先にその楽しさを知ってもらうことで利用者を増やそうというわけだ。
さすがにそこまでは考えが及ばなかった。
「では早速私は周辺の地形をスケッチしてきます」
「シーファ、マルビスの護衛をお願い」
鞄の中からいそいそと紙と机代わりの板を取り出し、マルビスは走り出さんばかりの勢いで森に向った。
あれって紙を押さえながら書くの大変だよね、まだ目玉クリップみたいなものは発明されていないみたいだし不便そうだ。
何かいい方法はないかな?
目玉クリップがむずかしいならダブルクリップはどうだろう。
あれなら再現難しくないよね。
「本当に貴方は私達が思いもつかないような手段や方法を考えつきますね」
背後からロイに声をかけられた。
「偶然だよ」
「偶然とはこんなに何度も続くものではありません」
何度も続くものではなく、続かせられてこその力だと私は思うのだ。
今回は自分の持っていた知識と作ろうとしていたものがたまたま上手く嵌っただけ。
こういうのは運もあるのだから。
「でも似たものは沢山あるでしょう? 私はそれを繋ぎ合わせて利用させてもらってるだけ。本当に凄いのはそれを考えた人達だよ」
存在しないものを作り出すような発想力には生憎恵まれていない。
「作られたものを利用するのにも才能がいる、ということですか」
「違う、才能じゃない」
知識は力だ。足りないものを補う方法を如何にして見つけ出し、利用できるか。
発想の転換だ。
「ワイバーンの時と一緒だよ。
私は負けず嫌いで諦めが悪い、駄目だと言われても自分が納得出来ないなら納得出来るまで探す。駄目じゃなくなる方法を見つけられるまで考える。
確かにどうしようもない時もあるけど私は簡単に諦めたくない、諦めろと言われてもなかなか諦められない天の邪鬼なヘソ曲がりなんだ。私は諦めるなら自分が納得して諦めたいだけなんだよ」
煩いとか、しつこいとか、いい加減にしろとか言われたこともあったなあと前世のことを思い出す。今思えばこだわりが強すぎたのかも。
「私の我儘みたいなものかな? 私って結構面倒くさい奴なのかも」
納得するまで『イエス』と意地でもいわなかったっけ。
そりゃ煙たいに決まってるよね、話がすすまないんだから。
あ、自分で言ってて結構ヘコんできたかも。
「貴方は天の邪鬼でも面倒でもありません」
傍目に明らかなほどしょげていたのか、それをロイは否定した。
「貴方は意志が強いだけですよ。いえ、強くあろうとしている、というのが正しいかもしれませんね。性格が男前すぎて脱帽ですよ」
男前か、そういやあ言われたことあったっけ。
「思わず惚れちゃいそうなくらい?」
「もう惚れてますよ。そこは惚れ直すという言葉が適当かと」
真顔で返されて真っ赤になった。いや、ここ突っ込むとこだから。
ものも言えず俯いた私にロイの楽しそうなクスクスと笑う声が聞こえてくる。
「やっぱり貴方はかわいい御方ですね。カッコイイところも素敵だとは思いますが、たまには年上の私をたてて甘えて下さると嬉しいんですけど」
「質悪いよ。そんな事ばっかり言ってると口説かれてるのかと思っちゃうでしょ」
「貴方がそう思うならそうかもしれませんね」
なんでそこで否定しないかな?
外見六歳児なんだから小児趣味の変態扱いされても知らないよ。
「美辞麗句で曖昧にぼかして煙に巻くのは貴族の嗜みですが、貴方はハッキリと言葉にしないと悪い方に誤解しそうですからね。勘違いして遠慮なされるのを避けるには思っていることは隠さず、大袈裟なくらいにお伝えするのが良いと昨晩、学習致しましたので」
やっぱり、そうなるのか。そして続くのが確定なのか。
ロイといい、マルビスといい、言い方ストレート過ぎて心臓に悪いよ。
お願いだからもっとお手柔らかにして頂きたい。
いや、激ニブ認定されていた私にはこの対応が正解なのか?
どちらにしてもこれから二人の言動に振り回されるのは確定のようだった。