第六十四話 男の美学も人それぞれです。
マルビス達にいいように丸め込まれ、かなり羞恥に悶えはしたものの、ガイの言う通り、公演五日前、しかも看板も幟も出来上がっているとなれば既に変更不可能なのも事実で、かなり釈然としないものの黙認するしかなかった。
反対しているのは結局のところ私だけなのだ。
公平なる多数決にもとに圧倒的多数で可決されれば反対もできない。
私は独裁政治をやっているわけではない。
暴れ回ってみんなが頑張って用意したそれらを壊して回るのも気が引けるし、既に柿落としはすぐそこ、今から代わりの演目を用意しようにも何もかもが間に合わないとなれば商会の評判はガタ落ち、そうなると私の出来ることなど目を潤ませて睨み上げるくらい。
そんなささやかな抵抗をしただけで観念するしかなかった。
諦める代わりに舞台挨拶は絶対出ないと断言し、父様に任せて私は王都まで学院生を迎えに出た。
何が嬉しくて羞恥ものの美化されまくっている自分が主人公の物語の舞台挨拶をしなければならない?
絶対に恥ずか死ぬ自信がある。
そういうわけで、とりあえずは短期アルバイトの数も結構集まり、まずはシルヴィスティアのアルバイト学生をガッシュのもとに届けて王都で一泊した後、今度はウェルトランドのアルバイト学生をグラスフィートへと届けるために夜明け前の早朝から向かうわけだが、噂に名高い『獣馬ルナ』はここでも見物客の山を作った。
講師業をしている時は目立つので馬車かイシュカのアルテミスで一緒に学院に通っていたためにルナを見るのが初めてという子供達も多く、アルバイト以外の学院生も待ち合わせた門の前に鈴なりとなり、物見高い見物客の山を横切って我がグラスフィート領に向けて出発した。勿論レインも当然付いてきた。
大人数の道行に、やはり途中面倒な輩も出没したが、よく確認もせずに襲撃しようと飛び出して来た盗賊は無風でポールに絡んで見えなかったらしいグラスフィート家の紋章を、大勢の護衛に囲まれていた獣馬ルナの泥障に見つけるやいなや回れ右で全速力で逃げ出した。
襲って来た低ランク魔獣もイシュカやライオネル達が前戦に出て戦っている間、私は最終防衛ラインとして馬車を警護しつつ、遠距離魔法で彼等の援護に徹し、何事もなく無事に到着。マルビスとゲイルのもとに送り届けたところで取って返し、途中レイオット領で襲って来たマヌケな盗賊達のアジトを突き止めてきたガイを道案内に護衛のみんなと一緒に夜襲を仕掛け、ゴ◯ブリの巣穴を一掃。衛兵に引き渡して野盗から回収した御宝は冒険者ギルドに預けて報告、報酬を受け取り、その金貨で護衛のみんなと町で宴会の席を設けて先に支払いを済ませたところでイシュカと二人、抜け出して屋敷まで戻ってきてその日は休んだ。
いよいよ始まったグラスフィート領収穫祭の前夜祭ともいうべき劇場柿落とし。
だが私は屋敷の外に一歩も出ることなく、ガイとレイン、サイラスと共にこの期間を過ごした。
三つの劇場は満員御礼、立ち見も出ていたらしい。
その他施設も超満員、アルバイト学生達はウェルトランドを楽しみつつ、しっかり働いてくれている。
みんながそれなりに忙しく動いている中、私は執務室でせっせと溜まった書類を片付けつつ、そこそこに呑気にしている。レインは支部での朝練に参加した後はいつものように私の横で学院の勉強に精を出している。来年は絶対に授業出席免除の日数を今年以上に増やすつのだと息巻いている。
サイラスも今まであまり手を入れていなかった法律方面の関係書類の整理に追われていてそれどころではないようだ。結局ウチの商業登録や営業形態は今やかなり複雑化していてややこしい事態になっているわけで、『かろうじて法に触れてはいないものの』という合法スレスレのヤバイものもあったそうだ。一度見直し、改善、管理し直す必要があり、サイラスの仕事は山盛り状態、それでも少しずつ片付いてきているようだ。
しかしながらこの短期間に王都に住まう優秀な人材、サイラス、ヘンリー、フリード様を一気に三人も引き抜いてしまい、今後の嫉妬、やっかみ、妨害工作を考えると頭が痛い。
一応フリード様は騎士団支部所属ではあるけれど。
だが当然、そんなものに負けるつもりはない。
「今日も外には出ないんですか?」
半分ダレて机の上に突っ伏していた私にサイラスの声が掛かる。
「人手が足りなくて応援が掛かれば出ていくよ」
正直言えば出たいですよ、間違いなく。
折角のお祭りだもの、雰囲気だけでも満喫したい。
だがしかし、その後のこと考えると二の足を踏んでしまうのだ。
私がポツリと呟くと寝っ転がっていたガイが片目を開けてこちらを見た。
「まあ屋敷内ならともかく、門の外には出ない方が無難だろうな」
・・・やはりそうなのか。
決して騒がれたいとか目立ちたいなどと思っているわけではないのにこの事態。
納得がいかない。
「なんでこうなるのかな? 目立つつもりなんて微塵もないのに」
「その辺は諦めろ。既にもう手遅れだ」
愚痴をこぼした私をガイがバッサリ切り捨てる。
マルビスとロイ、テスラ、キールとサキアス叔父さんはウェルトランドの人手が足りてないところへのお手伝い、私の側にはガイがいるのでイシュカはケイと一緒に屋敷周辺の警備。専属護衛達は施設内警備に駆り出され、非番の団員達にも日当を出してアルバイトを募り、協力頂いている。今回は範囲が広いから賄いを全員に作るのは厳しいので協力してくれた団員達には次の講義が終わって帰ってきたらガーデンパーティを主催して御馳走を振る舞う予定だ。
「今日はヘンリー見てないね」
お祭りだからいつもと違う料理の屋台も出店すると聞き、昨日からソワソワしていたのは知っている。
恵まれた家庭で育ち、王城で生活していたヘンリーは贅を凝らした料理には慣れているがウェルトランドで売られているB級グルメやウチで提供される家庭料理は珍しく、今まで味わったことない未知の味で新鮮だったのかもしれない。
ポツリと漏らした私の呟きにサイラスが言葉を返してくれる。
「朝からいそいそと出掛けようとしていたところをフリード様に見つかり、首根っこ掴まれて騎士団に引き摺られて行かれてましたよ。せめて朝礼が終わるのを待てと」
やはり相変わらずか。
好奇心旺盛で、食い道楽で、好きな実験を自分と同じレベルで討論できる仲間を得て、日々楽しく暮らしているようだ。上級貴族であってもヘンリーにとっては地位、権力の重要性は二の次、三の次。如何に自分の暮らしやすい環境を維持し、好きな研究に没頭できるかが重要であるようで、雇い入れが決まった時も雇われている側なのだから『様』はいらんと言われた。
研究と食事以外のことは基本的にどうでもいいらしい。
平民のみんなとも揉めることもない。
というより、見ているとそういうのは瑣末なことと思っているようだ。
暮らしやすい環境を提供し、望めば様々な欲しい研究材料も取り寄せられる(但し経費で落ちないものは自腹になるが特許持ちなので財産にゆとりはあるようだ)有能な商人、自分と対等に意見を交わすことの出来るサキアス叔父さんという存在に、美味しい食事。
ここにはヘンリーの欲しいと思うものが揃っているというわけだ。
暴走を止めてくれるフリード様も近くにいるしね。
「そういえばフリード様の屋敷を建てる場所決まった?」
一月以上経った今でも決めかねて、いまだフリード様達はウチの迎賓館で生活している。急ぐ必要もないし、気に入っているならいっそあそこで生活してもらっても全然構わないし、なんなら居住地用に改築してもいい。迎賓館は新たに建てれば良いので問題ないのだけれど、自分の家というのは特別だと思うのだ。
のんびりと手足を伸ばしてゆっくりできる空間は大事だ。
どこかからフリード様はお前のような庶民派とは違うという声が聞こえた気がしないでもないけれど、住めば都という言葉もある。ウチが居心地良いと思ってくれているのならそれでもいい。
「迷っておられるみたいですよ? 今居られる迎賓館ほど便利な立地もなかなかないですからね。屋敷周辺は既にたくさんの建築物も密集してますし、ヘンリーを見張る上で適した場所となると」
ああそうか、それもあるのかとサイラスの言葉に納得する。
支部に近くて、御婦人達が生活しやすい環境とヘンリーを見張れる位置、それを全て満たす場所というと選べるようでかなり限られてくる。
「フリード様さえ良ければ屋敷の敷地内でも構わないよ。その代わりあんまり大きなのは建てられなくなっちゃうけど」
かなり広めに確保したはずの屋敷の庭には当初からある今は専属護衛達が使っている使用人棟の他にも迎賓館と商会事務所兼寮が建っている。商会事務所も手狭になってきているし、商業班の抱える人数も多くなって手狭になってきているからもう一棟並列して建設予定もある。そうなると残る場所も規模も限られてくるわけで。この屋敷と同規模でというと無理がある。
ウ〜ンと私が唸っているとサイラスが紙を丸めた筒を私に差し出した。
「そんな大きなものは必要ないと仰っていましたよ。
大きな物を建てればその分だけ使用人も必要となりますし、既に家督は譲られていますから夜会などのパーティを開くわけではないのでと、御希望されているのはここの四分の一以下の規模ですね。フリード様の意見を配慮した上での屋敷の図面は既に出来上がってます。場所によって多少の変更はあるでしょうけど」
それを広げてみるとそれは間取りと外観の完成図が描かれている図面だった。だがそれは屋敷というよりも一軒家という方が相応しいような造りだ。二階建てのそれはエレベーター付きという以外は規模的に王都騎士団内の私達の住処が近いがそれよりも更に一回り小さい。
「質素過ぎない?」
「貴方が言われるほどではないでしょう」
まあ確かに。ウチは広くても華美な装飾の類はかなり控えめだし、客の出入りが少ない場所は飾り気が無さすぎると言われている。
個人的には使いやすい、暮らしやすいが一番だと思うんだけどなあ。別に物が少ないというわけではないのだし、自分がいらないと思うものを置いていないだけでごちゃごちゃと趣味の物が積み上げられているところもある。
「ウチは大きさ的にはかなり広いから問題ないけど、この規模でコレだけ質素だと対外的に印象あんまりよろしくないような気がする。ウチは所詮伯爵位で済むけどフリード様はもと近衛連隊長で扱いは侯爵なんだよ? これじゃあ扱いが軽いと思われないかな?」
大きさと広さが必要ないなら王城にある離宮くらいの華美さは必要だ。
フリード様が恥をかく事態があってはならない。
ウチの屋敷が広いが質素だというなら小さくても豪華というメンツは必要ではないだろうか。そうでなければフリード様を軽く扱っているととらえかねられない。ある程度の見栄と建前は用意するべきだ。実際、迎賓館はかなり贅を尽くしてウチも作ってある。それなりのお高い調度品が並んでいるので落ち着かないからあそこに住みたいとは思わないけど。
私がそう言うとサイラスが少し考え込んだ。
「かもしれません。そのあたりは相談してみましょう」
「押し付ける必要はないけど、そのままのデザインでいくなら傍目にも明らかに高価な材料を使ってもらうようにマルビスにお願いしとくよ。お金がある人達なら使われている素材が良いか悪いかくらい一目でわかるでしょ」
私にはわからないけど。
生憎私には目利きの才能はない。
いや、ならば他にもあるのかと聞かれると困るので才能もと言うべきか。
とにかく猫に小判というヤツで、私に高価な物は無駄なのだ。私にそんなものを任せたあかつきには高いと知らずに普段使いで使い倒し、安物を高価だと偽って売りつけられたところで気に入れば問題ない主義の私ではそれで平気で王宮、舞踏会などに出掛け、いらぬ恥をかきかねない。ロイやマルビスが最終チェックをしてくれるから滅多なことはないだろうが二人がいないと途端に困ってしまう。
そういうわけで高い買い物は全てマルビスに頼っているけれど。
「まあ次に待ってるベラスミの方の施設がオープンすればひとまず一息つけるし、後はゆっくりやるよ。ここ二年くらいで十年分くらい働いた気もするし、少しのんびりしたいよね」
思い浮かぶのは春の花見に夏のビーチリゾート、秋の紅葉ピクニックに冬の温泉だ。
その場所は全て確保済なのにそれらを満喫しているとは言い難い。
私が物思いに耽っているとクスリと笑みがソファで寝そべっていたガイの口から溢れ落ちた。
「今、ガイ、笑ったでしょ?」
ムスッとして振り返るとガイが愉快そうに笑っている。
「そりゃあ笑うだろ。
御主人様と暇って言葉ほど縁がないものはそうはないと思うぜ?」
そう言うと、ひと呼吸おいてガイが途端に真面目な顔になった。
「とりあえずおそらく、だが。ベラスミで近い内に一悶着あるぞ、多分」
「そうなの?」
一悶着、か。嫌な言葉だ。
「ああ。今はリディのヤツが領主代行の屋敷に潜入してる。
俺は面が割れてるしな。あんまり近付き過ぎると疑っているのがバレる。連絡は仕入れ業者を介してジュリアス宛に届くようになっている。ウェルトランド内にも私服の近衛特殊部隊が複数客として紛れ込んでいるぞ。『任せてもらった以上こちらの安全は可能な限り配慮する』だとよ。一応警護のヤツらに面通しはしてある。
これから数ヶ月は出掛ける時は必ず護衛を複数連れて行け。ベラスミの別荘の方は今ジュリアスのヤツがノーマンと一緒にあらゆる防犯設備を投入して対策強化している。相当に用心深いようだから狙ってくるならおそらく万全の準備が整ってから御主人様に的を絞って仕掛けてくると俺達は睨んでいる」
普通回りくどい手を使い、周囲から攻め落としていくものではないのか?
私は首を傾げて問いかける。
「どうして?」
「御主人様に警戒されて対策を打たれたら終わりだからさ。
国が滅びかねない魔物を倒す相手に真っ向勝負をかけるほどアイツは馬鹿じゃねえってこった。面倒臭いことにな」
馬鹿じゃないから面倒臭い?
まあ頭が良い相手はこっちも気をつける必要はあるだろうけど。
「立場的にアイツは動かせる兵力も少ない。正面切って戦を仕掛けても向こうに勝ち目はない。そうなってくると直接御主人様を狙ってくるゲリラ戦か奇襲、暗殺を狙ってくる確率が高いな。御主人様はよく少人数で気まぐれに彷徨くから狙われるとしたらそのタイミングだろう。
検問所にも特殊部隊のヤツを駐在させているらしいからベラスミから怪しいヤツが入り込めば早馬で連絡も来るように手筈も整えられているが今のところ怪しい動きはない。
幸いなことにその他大勢の平民は巻き込むつもりはないみたいだしな」
「それはまた珍しいね」
助かるけど。
「だろ? だから面倒なのさ。その場限りの感情で動いていないからな」
つまり計画的に用意周到に、用心深く行動してるってことか。
ガイの言葉にサイラスが溜め息を吐いた。
「多少の犠牲には目を瞑っても、権力を取り戻した時に治める民を大勢失うのは困るというわけですか」
「ああ、多分そうじゃないかと思う。
ハルウェルト商会は基本、御主人様中心に動いている。御主人様さえ消せば巨大な組織を纏め上げる存在がいなくなって崩すのも容易いと考えているんだろう」
別に私がいなくてもマルビス達がしっかり回してくれると思うけど?
でも当然だが簡単に消されるつもりもないし、生憎折角手にした居場所をアッサリと誰かに譲り渡すつもりもない。暇は確かにないけれど、それでも私は今が幸せだと思うから。
ガイの言葉にサイラスが呟く。
「そのドサクサに紛れてベラスミの政権とあの施設の運営権を抑えるつもりですか?」
「おそらく。ベラスミの今の好景気を支えているのはあそこだからな。
あの場所には優秀な技術者も多くいるし、今後のことを考えれば利用価値も高い。失うのは痛手だ。働いている人間もベラスミのヤツが九割以上を占める。実権さえ握っちまえば乗っ取るのも可能だと考えているんだろう」
長年一緒に苦楽を共にしてきたからこその絆だとでもいうのだろうか?
大多数の平民にとって支配者が誰に変わろうと興味なんてない。
平和で豊かに暮らせるなら誰が治めていようと関係ない。
この国には平民に選挙権なんてものはなく、国を変える力は無いに等しい。
民主政権か。
そんなものが立ち上がる事態になるってことは市民革命でも起きないと難しいだろう。今の陛下の治世は落ち着いているし、フィアも基本平和主義だ。
それでもしっかりとした基盤を作らない限り民衆の力は抑圧されれば暴動も起きる。圧倒的多数の平民が力を合わせて立ち上がればごく少数の貴族はあっという間に滅びるだろう。そうして平民による政治が始まったところで彼らが権力者の椅子の居心地の良さを知れば政治はまた腐敗する。上に立つ人間が変わったところで結局歴史は繰り返されるのだ。
こういうのはなんでも紙一重、国を治める側の人間次第で変わる。
言い方が悪いがある意味その時代の運なのだ。
しかしながらそんなふうに思えるのも私が恵まれているからこそなのだろう。
「表面上は平和に見えても水面下でいろんな思惑が絡み合って動いてる。
腹黒陛下の方もだいぶ反抗勢力を絞り込んできたようだしな。
多分一、二ヶ月の内に事態は一気に動く」
表沙汰にするのは暫く待ってくれと言っていた陛下。
気づいていないフリして陰で探りを入れてたってことなのか。
そうなるとプレオープンあたりがヤバイんじゃないの?
各国のお偉いさんがやってくるとなれば何かあれば責任問題だ。
いや、揉め事、戦は極力避けたいのだから大丈夫なのか?
だが当面心配なのはむしろ・・・
「ジュリアス達は大丈夫なの?」
みんなに被害が及ぶのは是が非でも避けたい。
私が青ざめて尋ねるとガイが笑う。
「言ったろ? 多分狙いは御主人様一人に絞ってくるって。
ウチの御主人様は末端の部下にさえ手を出すことを許さねえ恐怖の大魔王様だからな。仕掛けた時点でそこから徹底的に調べ上げ、いつも大元を叩きに行くだろう?」
尋ねられて私は今までを振り返る。
そういう輩は黒幕を引き摺り出さなきゃ繰り返される。
だからこそ根こそぎ叩き潰した。
それは間違いないけれど。
「バレたら御主人様は落とせねえ。ジュリアス達はいっそ自分達に手を出してくれりゃあ尻尾も掴みやすいのにってボヤいてたぜ?」
「冗談でも止めてよっ」
大切なのはロイやマルビス達だけじゃない。
力を貸してくれるみんなだ。
叫んだ私にガイが真面目な顔になる。
「そういうわけで暫くは絶対一人で出歩くなよ? 何があってもだ。
御主人様はまだ殺気を読むのは下手クソだからな」
それを言われると痛いところではある。
目に見えないもの、想像では補い切れないものを読むのは難しい。
だいぶ改善されてきたとはいえ一点集中型の私は周囲に気を配るのは苦手だ。
私は顰めっ面で押し黙る。
「御主人様さえ無事なら最上級回復魔法の使い手がすぐ側にいるんだ。即死を免れれば後はどうとでもなる。専属護衛のヤツら全員にこの通達は既に今日付けで出されている。だがヤバイヤツに入り込まれても厄介だからな。このイベント中は俺とイシュカが護衛で張り付くことにした。警戒されていることがバレても面倒だ」
つまり今日の定期便で届いた荷物の中にその手紙が入っていたということか。いつもガイがいる時はマルビスかゲイルが定期便が届くとお酒の瓶を一本持って来る。要するにそれらに何かの細工がされていてガイに情報がもたらされているのだろう。
「私はどうすればいい?」
ガイ達の苦労を無駄にはしたくない。
「別に。今まで通りで構わねえよ。
但し、出掛ける時は最低でも俺かイシュカ、ライオネルかケイのヤツを連れて行け。さもなきゃ周囲を護衛でぐるりと囲ませろ。それも無理な場合には王都なら団長か連隊長の側にいろ。
いいな? 殺気に気付けるヤツが側にいれば御主人様の防御は鉄壁だ。
今マルビスのヤツが特急で大きめの魔石をアクセサリー加工させている。
それが完成したら持ち歩け。そうすれば被害も最小限にできるだろう」
「わかった」
下手に動くなってことね。
警戒されても尻尾は掴みにくくなる。
サイラスが呆れたように口を開く。
「愚かですね。
仮に実権を取り戻せたとしても、今度は他国に狙われるだけですよ」
「だよなあ。俺もそう思う」
「あそこの地が今まで戦の被害に遭わなかったのは攻め落とす価値が無かったからこそです。それが今や莫大な富を生み出す場所になっている。なのに各国が睨み合いつつも平和が保たれているのはあの地をハルト様が取り仕切っているからこそでしょうに。そんなことになれば均衡が一気に崩れますよ」
「大方抑えてしまえば後は金の力でなんとでもなるとでも思っているんじゃねえ? 頭は回るくせにそういうところはバカだよな。内政に必死で今まで戦に縁が無かったからだろ。
変なところで平和ボケしてんじゃねえの?
さもなきゃどっかの国と密約でも交わしてるか。
だがシルベスタ王国を敵に回すド阿呆はこの近隣にはいないはずだ。
今は御主人様提案の水道設備も整って水源を抑えられてるからな。
敵に回すウマミもねえ」
「ハルト様は今や諸外国にまでその名を轟かせている名軍師であり、各国同盟の要。亡き者にするよりもどんな手段を持ってしても味方に引き込むべきであるというのが大方の国の見解です」
議論を交わしているガイとサイラスの話を黙って聞いている。
サイラスには陛下からの情報も入ってきている。
勿論ウチの情報も流れているだろうけど。
相変わらずの驚くべき事実を超える高評価ぶり。
ここでそれを主張したところで話が進まなくなるだけ、訂正したところで『そんな御謙遜を』と更に評価を上乗せする結果となるのは身に染みている。やはり世間一般の高すぎる評価は側近、従者、護衛その他の周りにいる人達の欲目、贔屓目フィルターのせいだろう。如何にも怪しい噂として広まっているそれらを肯定し、自慢げにみんなが語るせいで美化され、誇張、誇大解釈されてのこの結果と見るべきだ。
私がそんな噂で伝え聞くような立派な人物であるわけがない。
しかしながら続いたサイラスの言葉に思わず目を剥いた。
「それらの国ではこの際何番目の側室でも構わないから自国の美姫を何人か輿入れさせて、孕んだ後に離婚、国に戻らせ、その才能を持った子種を持ち帰らせるか、ハルト様が年頃になったら自国に招いて数日間滞在させてもてなし、毎晩複数の娘に夜伽を務めさせるのはどうだと言っているところもあるくらいですよ。
気の長い話ではありますが親の才能は子に受け継がれることも多いですから。数人女性を送り込めば、全部は無理でもその内の何人かの子供にハルト様の才能が受け継がれるのではないかと」
・・・・・。
私は種馬かっ!
サラブレッドでもあるまいし、凡人の私の子供が天才であるわけもない。
ガイの視線が食い入るように私に向けられる。
「すげえな。御主人様、モテモテじゃねえ?」
「そんなモテ方、ゴメンだよっ」
それは間違いなくモテてるのは私じゃない。
私じゃなくて、私の遺伝子っ!
第一、蛙の子は蛙、トンビが鷹を産むわけがない。
ガイが呆れて口を開いた。
「だがソイツら、肝心のご主人様の好みも趣味も調べてねえだろ。
まあまだ女を孕ませられるまで育っちゃいねえし、好みってのは変わるヤツも多いしな。それも先の話か。
今後屋敷外で外泊する時には危ねえから両横に婚約者連中を侍らせて眠った方がいいかもしれないぜ? 万が一の場合でも男三人いるベッドに潜り込むのは流石に厳しいだろ」
確かにそれは忍び込んできた婦女子を追い返すには有効な手段だろうけど。
今更だし。
そうなると男好きの噂を流すのはやはり効果的ではなかろうか?
女の子が私の守備範囲から外れると認識されれば男を送り込んできたところで子は成せないわけで、これはもっと積極的に女の子は対象外であると広めるべきか?
私が頭を抱えて悩んでいると本に視線を向けて勉強していたはずのレインが尋ねてきた。
「ガイ、ハルトが危ないの?」
問われてガイが聞き返す。
「ん? ああ。レインも聞いてたのか?」
「うん、始めは勉強してたんだけどハルトの名前が出たから気になって」
別に聞かせようとしたわけではないがコソコソと内緒話をしていたわけではないので当然と言えば当然だ。
ガイは曖昧に頷いて肯定する。
「まあ、な。勿論俺らも気をつけるがレインも気をつけろよ?
そういうわけで暫くは御主人様に近づかねえ方がいいかもな」
そう注意したガイにレインが言い返す。
「大丈夫だよ。ハルトは僕が守るから」
へっ?
レイン、今、なんて言った?
思わず目が点になった私の前でレインが続けた。
「父上が言ってたよ。大好きな人なら自分の誇りに賭けて守り抜け、絶対にその人の前で死んじゃ駄目だって」
それは以前私がイシュカに言った言葉に似ていた。
「賭けるのは命じゃなくて誇りなのか?」
レインの言葉に今度はガイが問い掛けた。
「うん。自分が大好きな人のために死んでしまったらその人は自分のせいで僕が死んだって思っちゃうから死にそうになっても必ず勝って、最後まで根性で立っていろって。
死ぬならその人が自分の前から居なくなってからにしろって」
閣下の言葉は私のそれとはまた少し違った。
似ているけど敵わないならケツを捲って再戦の機会を狙うべきという私とは違った、武人としての美学。だからこそ誓いではなく『誇り』なのか。
だが続くレインの言葉に私とガイは目を丸くした。
「でも僕が立っていられたら後はハルトが魔法で助けてくれるってことでしょう?
だから僕は大丈夫。絶対ハルトを護るよ、僕の誇りに賭けて」
私達の反応にレインは不安になったのか慌てて聞き返す。
「あれっ? 違った? そういう意味じゃないの?」
するとガイは小さく笑ってレインの頭の上に手を乗せると、よく出来たとでも言うようにクシャリと撫でた。
「いや、合ってるぞ。そうか、ここにも一人、御主人様の騎士がいたか。
頼りにしてるぜ、レイン。お前なら俺達よりも警戒されにくいだろうしな」
「任せて。僕、頑張って前よりもずっと強くなったよ?
だから今度は絶対僕がハルトを守ってみせる」
そう言って嬉しそうに胸を張るレインはとても誇らしげで、
間違いなく一人の武人としての男の顔だった。
そんなレインに不覚にもときめいてしまったのは秘密だ。
本当にカッコイイ男に日々成長し、育っている。
子供は守備範囲外、守備範囲外、そう自分に言い聞かせつつ私は天を仰いだ。