閑話 レイバステイン・ラ・レイオットの誓い (1)
『そのうちレインも可愛い女の子に夢中になるよ』
ハルトはいつもそんな酷いことを僕に言う。
どんなに好きだって言ったって『ありがとう、嬉しいよ』って聞き流す。
嘘つき。
僕の本気をちっとも信じてないくせに僕の好きな笑顔で綺麗に微笑む。
信じてくれないのは僕が子供だから?
ロイやマルビス達の言葉には真っ赤になるのに、僕の告白はさらりと受け流す。
意識もしてくれないのは僕が子供だから?
でもハルト。
ハルトは頭がいいくせに肝心なことを忘れてる。
何年か先に必ず子供は大人になるだよ?
子供の僕の言葉が信じられないって言うのなら僕が大人になっても同じ言葉を言ったなら信じてくれるってことでしょう?
だから僕は決めたんだ。
その時までに僕は絶対ハルトが夢中になるくらいイイ男になってみせるって。
ハルトはすごくカッコイイ。
僕と同じ年のはずなのに、僕にできないことを簡単にやってのける。
ある日、僕がそう言うと父様が小さく首を振った。
「レイン、それは違うぞ」
だって僕に魔力制御の仕方を教えてくれたし、大人だって逃げ出したワイバーンの前に一人で飛び出してやっつけた。優しくて、強くて、すごくカッコイイよと言った僕に父様が話してくれた。
「確かにな。
アヤツはお前の言うように優しくて強くてカッコイイのだろう。
だが簡単にやってのけたわけではない。
これはハルトの御父上、伯爵から聞いた話なのだが・・・」
父様が教えてくれたのは本当はハルトがワイバーンと戦った時に震えていたこと、小さい頃からたくさんの本を読んで勉強していたこと、魔術や剣術の練習も一生懸命やっていたこと。ハルトが本当にすごいのはそれらの努力を怠らず、強大な敵に恐れても逃げずに立ち向かったことなのだと。
難しい言葉も多くてわからなかったけど父様は僕がわかるまで丁寧に教えてくれた。ハルトの本当にすごいところは僕よりも、誰よりも頑張ったからなんだと、怖くても逃げないで戦ったことなのだと。
「レイン、アヤツが震えていたことを知って、カッコ悪いと思うか?」
そう聞かれて僕はすぐに首を横に振った。
「そんなことないっ、だって僕は何もできなかった」
「そうだな。それは私も同じだ。何を無茶なことをと非難する者もいるだろう。だが非難した奴らは自分が無事だったからこそ言えることなのだよ。私も武人の一人として駆け付けようとした。そのために剣を取りに走ったが、それではあの場にいた者を救うには間に合わずに犠牲者を出していただろう。アヤツの行動があの場にいた者全てものの命を救ったのだ。
レインはどっちの男になりたい?
弱い者を見捨てて自分が助かる道を選ぶ慎重で臆病な男と自らの危険を顧みず他者を助けようとする無謀な男。簡単で楽なのは慎重な男だが」
そんなの決まってる。
僕はハルトのような怖くても逃げない、カッコイイ男になりたい。
そう言った僕に父様は笑って言った。
ならばハルトに早く追いつけるよう人一倍頑張らねばならんな、と。
ハルトに守られているような男ではイイ男とは呼べないからなと、そう教えてくれたんだ。
僕は今まで勉強も剣術の稽古もサボってばかりいた。
上手くいかないと不安になって魔力が暴走してたから、僕は何もしない方がいいんだって思ってた。
でも違う、それは僕が怖がっていただけなんだって。
もう怖くなんてない。
だって怖がっている時間なんてないんだ。
ハルトに好きになってもらうには、あのハルトより、強くてカッコ良くならなきゃいけない。
だから父様に出された課題も必死に片付けた。
約束より早く終わらせると父様は御褒美に僕をハルトに会いに連れてってくれたから。久しぶりに見てもやっぱりハルトは綺麗で、優しくて、カッコよくて。僕はもっと頑張らなくっちゃって思った。だけど聞こえてくるハルトの話はいつも僕をビックリさせるような話ばかりで、いつになったら追いつけるんだろうって思ってたけど諦めたくなんかなかった。
誰を見ても、どんな女の子に会っても思ってしまう。
ハルトの方が綺麗。
ハルトの方がカッコイイ。
ハルトの方が優しくてスゴイって。
だから一生懸命頑張ったんだ。まだまだハルトには全然敵わないけど少しづつ、今までできなかったことができるようになって、いろんなこと覚えて、嬉しくなった。
そんな時だったんだ。
ハルトが婚約したって聞いたのは。
あの日、ハルトは待たないって言ってた。
だけどこんなに早く婚約しなくてもいいじゃないか。
ガッカリしてやる気をなくした僕を見て父様が笑った。
「なんだ? レインはカッコイイ男になるんじゃなかったのか?」
僕を揶揄うように言う父様を涙目で睨み上げる。
「だって僕はハルトに好きになってもらいたくて頑張ってたのに」
父様は意地悪だ。
だけど父様はそんな僕を見て笑ったんだ。
「成程な。ハルトがお前を待たなかったのは賢い選択だったということか」
どうして?
父様は頑張れって応援してくれたのに、なんでそんなこと言うの?
酷い言葉に泣きそうになっている僕に父様はもっと酷いことを言った。
「それくらいで諦めるような情けない男がイイ男になれるわけなんてないからな。やはりハルトはお前が言うように頭が良かったということだ」
確かにハルトに比べたら僕はまだまだカッコ悪い。
だけど追いつこうと頑張っていたのに。
悔しくて見上げる僕の頭の上に父様がポンッと掌を置いて僕の前に座った。
「レイン、婚約は結婚じゃないんだぞ? 婚約は約束であって決まっていないんだ」
「???」
どういうこと?
僕は父様の言葉に目を見開いた。
「婚約破棄なんてことは世間ではいくらでもある。それに私にも妻が複数いるんだ。愛人や側室のいる貴族は珍しくもないぞ。
ハルトの結婚相手が三人だけと誰が決めた?」
あっ、と僕は声を漏らした。
すると父様は大きく頷いたんだ。
「本当に好きで諦めたくないって思うなら相手から奪い取ってやるくらいの気概がなくてどうする? いつもお前は言ってるだろう?
ハルトは優しくてカッコイイって。
そんな男を周りがいつまでも放っておくと思っているのか?
だとしたらお前の頭は相当おめでたいぞ?」
そうだ。僕が会ったその日に好きになったんだ。
他の人だってハルトを好きにならないわけがない。
「ハルトが結婚できる歳まであと八年以上ある。その間、何があるかは誰にもわからないんだ。
まあレインが諦めるっていうならそれはそれで構わんが」
「僕、諦めなくてもいいの?」
「それを決めるのはお前だ。私ではない」
そう言って父様は僕の顔を覗き込んで僕の返事を待っていた。
そんなの決まってる。
「僕、諦めたくない」
ぎゅっと僕は拳を握った。
「ならば頑張れば良かろう。今いる婚約者を押し退けて八年後にお前が第一席に座っていればいいことだ。安心しろ、もしお前にそれができたならアヤツらへの慰謝料は私が責任持って払ってやろう」
婚約は約束であって、決まりではないと父様が教えてくれたんだ。
「僕に出来ると思う? 父様」
「出来る出来ないではない。お前がやるかやらないかだ。
お前がやるというなら協力くらいはしてやろう。
但し、正々堂々と男らしく努力して戦って勝ち取れ」
そう言われて僕は首を傾げると父様は僕に聞いてきた。
「私の立場なら命令することも、押し付けることもできるだろう。
だがお前はそんな卑怯な手を使ってそれを手に入れたとして嬉しいか?
自信を持ってハルトの側にいられるか?」
そんなの嬉しくない。
僕はハルトと結婚したいだけじゃない。
ハルトに好きになって欲しいんだ。
僕が大きく首を横に振ったのを見て父様が微笑った。
「だろう? ならばハルトより強くなれ。
ハルトが惚れるくらい強く、イイ男にな。
男の中には同性は駄目だという奴もいる。だがハルトの配偶者になれるのが女だけではないとヤツらが既に立証してくれたんだ。
ならばお前がハルトの結婚相手になれない理由はない」
そうだ、初めて会った時にハルトは言ってた。
自分が好きになれるならどっちでもいいんだって。
「アヤツは簡単に諦めるような男が手に入れられるヤツではない。
それはお前が一番よくわかっていると思ったのだが?
それともレインはハルトに守られていたいだけか?」
「違うよっ、僕がハルトを守るんだっ」
僕はあの日、約束したんだ。
ハルトに好きになってもらえるくらいのイイ男になるんだって。
「なんだ、既に答えは出ているんじゃないか。
本当に好きだと、大事だと思うならその人を守り抜ける力をつけなさい。
確かにハルトは強い。
だが強いということはそれだけ危険な目に遭う確率も増えるということだ。
もしお前がハルトを守れるだけの力を身につけることができたなら、彼だけでは勝てない相手がいたとしてもお前と二人なら勝てることもあるだろう。
レインがその時弱いままならハルトを守ることなど到底無理だ。
並び立ち、守る覚悟というものはそういうものだ」
父様の言葉はやっぱりまだ難しい言葉も多かったけど、でも言いたいことはわかった。ハルトが危ない時に僕が弱いままだったらハルトを助けられない、また僕はハルトを見ているだけで何もできないままになる。
「父様、僕、もっと頑張るよ。強くなる。
ハルトを守ってあげられるくらい、すごく強くなる。絶対だよ」
もう僕は迷わなかった。
父様は言葉通りに何かハルトのところに用事があるたびに僕を一緒に連れてってくれた。
ミゲル殿下がハルトのところに遊びに行った時も殿下にお願いして僕も一緒に滞在できるように頼んでくれた。ハルトが指差した遊具にも興味がなかったわけじゃないけど、僕は遊ぶよりもハルトの側にいたくて動かずにいたら、僕の手を引いて一緒に遊んでくれたんだ。
これから僕はしばらくの間、ハルトと一緒にいられる。
そう思うと嬉しかった。
一緒に出掛けて、遊んで、御飯を食べて。
ハルトやロイの作ってくれるオヤツはとても美味しかった。
そんなふうに楽しく過ごしてた収穫祭を迎えたその日、朝起きるといつも僕より早く起きているハルトがまだリビングにいなかった。
不思議に思って聞いてみると昨日の夜、仕事でハルトは出かけていたので疲れてまだ眠っているのだと聞いた。だからハルトはミゲル殿下達に自分を置いて出掛けて欲しいと言っていたってロイが言った。
殿下達は護衛と一緒に収穫祭に遊びに行ったけど僕は出掛けなかった。
だって、僕がここに来たのは収穫祭が楽しみだったからじゃない。
ハルトと一緒に町に出掛けるのが楽しみだったんだ。
お祭りを楽しみにしていたわけじゃない。
僕がそう言うとハルトは僕に尋ねてきた。
「レイン、私が婚約したのは知ってるよね?」
びくっと少し体をこわばらせて僕は小さく頷いた。
「知ってる。でも、まだ結婚してるわけじゃないよね?」
「そりゃあ結婚できる歳はまだまだ先だからね、婚約だけだけど」
やっぱり父様が言った通りだ。
まだ結婚が決まっているわけじゃない。
「僕、諦めないから」
キョトンとしているハルトに僕は両の握り拳を膝の上で握り締めて大声で言った。
「僕、決めたんだ。ハルトのこと絶対諦めないって。
父様が言ったんだ。それくらいで諦めるのかって、まだ結婚していないってことは先はわからないんだぞって、男なら本当に欲しければ奪い取れって。別に愛人や側室がいるのなんて珍しくもないんだから結婚できる歳になる前に僕が一席の座を奪い取れば問題ない、僕がその座を奪い取れたら相手への慰謝料くらい父様が払ってくれるって。
だから僕、絶対諦めないって決めたからっ、僕が必ずハルトの一番になる」
あんぐりと口を開けてるハルトに僕は宣言する。
「僕、ミゲル殿下と一緒に戻らないから。僕、絶対帰らないからっ」
するとマルビス、イシュカ、ロイの声が聞こえてきた。
「これはまた、たいしたライバル宣言ですね。強敵ですよ、どうします?」
「別に変わりませんよ。何人そこに座っていようと関係ないのは最初から変わっていませんし」
「そうですね。私はお側に置いて頂けるなら末席でも気にしません」
ロイ達は僕を止めなかった。
本当に?
いいの? 僕がハルトに好きになっても、頑張っても良いの?
「だってよ、良かったな。御主人様さえ陥せば一席をもぎ取るのも夢じゃなさそうだぜ?」
ヒイヒイと必死に笑いを堪えながらガイが僕に向かって言う。
「まあ侯爵の狙いもわからないではないな。先のことを考えれば御主人様と太いパイプを作っておくのは悪い手じゃない。まあせいぜい頑張れ。いったい何人まで婚約者が増えるかわからねえが一席は一つしかねえしな。それでいいなら構わねえんじゃないの? 侯爵家との繋がりができるのは悪いことでもねえだろ」
「成程、侯爵閣下が言っていた意味はこれでしたか」
イシュカが頷いた。
「何か仰っていたんですか?」
「ええ、ハルト様の学院生活で隣につけておく人材がいないとミゲル様と話をしていたんですよ。腕っ節で負けることはないでしょうし、そもそもハルト様に喧嘩を吹っかけようなどという子供はいないでしょう。ですがそれ以外のところで少々問題がありますから目を離すのは危険ではないかという話をしていたのですよ」
聞いたロイにイシュカが応える。
目を離すとハルトが危険? どうして?
すると今度はマルビスだけでなく、ガイ、テスラまでもが納得する。
「ああ、理解しました。例の癖ですね」
「あの病気か、確かにな。マズイだろうな、いろんな意味で」
「マズイでしょうね、間違いなく。その間は無防備に近いですから」
マズイってハルトが危ない目に遭うってこと?
「ええ、私もそう思います。そうしたら丁度閣下がお見えになり、側に付けるのならレイン様が適任だと仰いまして」
イシュカが父様と話していたことを言う。
それは僕がハルトを助けられるってことなの?
「そういえばレイン様はハルト様と同じ歳でしたね」
「確かに適任と言えなくもないですけど。侯爵家御子息なら身分的にも手出しし難いでしょうしね。ハルト様が隣にいればレイン様にもそう危険は及ばないでしょう」
ロイとマルビスが頷いているとガイが止めた。
「おいっ、マルビス、それ本気で言ってるのか?」
「・・・訂正します。別の意味で危険かもしれません」
別の意味で危険ってどういうこと?
僕は首を傾げる。
「そうですね、ハルト様の婚約者を狙うからにはそれなりに図太くありませんと厳しいでしょう」
図太くないと厳しいってどういう意味?
ぐっと息を詰まらせて恨めしそうにガイをハルトが見ている。
「まあいいんじゃねえ? 帰る気がねえって言うなら暫くここに置いて様子を見りゃあ。御主人様の日常を見てりゃあついていけるかどうかくらい自分で判断できるだろ。無理だって逃げ帰るならそれまでってことで。それでも付いてく根性があれば問題ねえだろ」
僕はハルトを置いて逃げるかもしれないって思われてる?
絶対、そんなことしないっ、僕がハルトを守るんだっ!
「お前らも別に側室が何人増えようが第一席じゃなかろうが気にしねえんだろ?」
ガイがそうみんなに聞くと、
「気にしません」
「独占できるような方だとは思っていませんから」
「ハルト様が望まれるなら拒む理由は特にありません」
マルビスもイシュカもロイも、みんな気にしていなかった。
「だってさ、良かったな。御主人様さえ口説き陥せば問題なく一席になれそうだぞ?」
ガイが僕にウィンクをしてそう言った。
本当に?
僕が頑張ってハルトに好きになってもらえたら一席になれるの?
「僕、頑張るよっ」
拳を握りしめて僕は誓った。
それからもハルトの屋敷でもいろんなことが起こった。
父様やロイ、マルビス達がその時言っていたことの意味も長く一緒にいるとわかってきた。
ハルトの周りではいろんなことが本当によく起こるんだ。
いつもハルトは忙しそうにしている。
人の出入りも激しい。毎日のようにハルトを訪ねて人が来る。
それらをテキパキと片付けながら、その合間にテスラと作業場に篭って商品開発をしている。僕は父様が手配してくれた家庭教師に勉強を教わりながら毎日のハルトの様子を見ていた。
朝食はみんな殆ど一緒に食べているけど僕が起きてくる頃にはいつもハルトはリビングにいる。僕より早起きなのは仕事をしているからなのかと思っていた。気になって聞いてみると朝はイシュカと一緒にジョギングして、その後に剣の稽古、乗馬もしているんだって知って僕は驚いた。
今でもあんなに強いのに、それでももっと強くなろうって思ってるの?
そう聞いた僕にハルトは教えてくれた。
「一日怠けると戻すのに三日かかるんだ。何もせずに強くなんてなれないよ」
そういえば父様が言っていた。
ハルトが強いのはいろんなことを努力して、たくさん勉強してるからだって。
僕は自分の努力がまだ足りないことがわかった。
ハルトより強くなりたいならハルトより頑張らなきゃいつまで経っても追いつけない。ハルトよりイイ男なんてなれないんだって。
僕はその翌日からハルトの後に付いて朝の訓練を始めた。
最初はなかなか付いて行けなかった。
でも僕は諦めたくなかったから一生懸命頑張った。
走るだけで始めは精一杯だったけど、少しづつ付いていけるようになった。
ハルトと暮らす毎日は暇が少しもない。
何度もめげそうになったけど、僕が挫けそうになるとハルトは決まって美味しいオヤツを作ってくれて褒めてくれた。
「凄いね、レイン。もうこれもできるようになったの?」
って。
追いつくのにはまだまだ遠いけど僕にも出来ることが増えてくるのは嬉しかった。
だけどハルト達が作ってた施設がオープンするとハルトも今までより忙しくなり出掛けることも多くなって、僕は屋敷に置いて行かれることが多くなった。
オープンして暫くしてからやってきたミゲル殿下達と一緒に僕は一旦家に戻されることになった。
最初は嫌だと言ったけど僕の相手をするために無理して僕に合わせているのに気がつくとそれ以上我儘も言えなくなった。合わせてもらわなくても僕が付いて行くと言っても乗馬が上達していないので連れて行けないと言われて僕は言い返すことが出来なかった。
ハルトの負担や邪魔になりたいわけじゃない。
だから僕は次来る時までに乗馬覚えてくるからと宣言してミゲル殿下と一緒に帰った。
家に戻ったからって僕は諦めるつもりは少しもなかった。
僕は父様にお願いして今までの勉強や稽古に加えて乗馬と剣術、魔術の勉強を増やしてもらった。
ハルトだって今までやってきたんだ、それで強くなったんだって。
父様も言っていた。
ハルトが強いのは努力した結果なんだって。
すぐに追いつけるなんて思ってない。
だって僕が泣いて蹲っていた間にもハルトはずっと努力してたんだ。
サボって逃げてた時間が僕とハルトの差。
それは簡単には埋まらない。
めげるもんかっ、今度蹲ったらきっともうハルトには追いつけない。
必死になって僕は乗馬を練習したけどなかなか父様に合格はもらえない。
上手く出来なくて僕が口をへの字に曲げると父様は聞いてくる。
「やめるか? それならそれで構わんぞ?」
って。やめるってことはハルトに追いつけないってこと。
ハルトを諦めるってことだ。
僕は歯を食いしばって首を横に振る。
「やめない、絶対やめないからっ」
強くなるんだ、絶対。
ロイ達が言ってた。ハルトの側にいるなら強くならないと駄目だって。
イシュカとガイは強そうだけどロイやマルビス、テスラ達はすごく強いように見えなかったからハルトに聞いてみたんだ。
ロイ達はそんなに強くないよねって。
『レイン、強さにはいろんな種類があるんだ。ロイ達はロイ達の武器と強さがあって、それは私にはないもので、私を支えてくれる力なんだよ。だからこそ私にはみんなが必要なんだ』
そう言ってハルトは微笑んだ。
僕が意味がわからなくて首を傾げると、『レインにもそのうちわかるよ』って教えてくれなかった。
「ねえ、父様」
父様ならハルトが言ってた意味がわかるかな。
「強さの種類ってなあに?」
「なんだいきなり」
「ハルトがね、イシュカやガイとは違う武器と強さがロイ達にはあるから必要なんだって。
僕はよくわからないって言ったらね、僕にもそのうちわかるよって。
父様にはわかる?」
僕がそう聞くと父様は少しだけ目を見開いて頷いた。
「なるほどな。やはりアヤツはあの年にしてありえんほど老成している」
「老成って?」
「中身が大人だってことだ」
それならわかる。
父様が言うようにハルトはすごく大人っぽい。
年は僕と一緒のはずなのにロイ達と普通に話をしてる。
「レインが聞きたいのは強さの種類、だったな。
例えばだ。私とヘレーネはどっちが強いと思う?」
父様と母様? そんなの聞かれなくてもすぐにわかるよ。
「父様、だよね?」
「では何故私はヘレーネによく怒られている? 頭が上がらないのは何故だ?」
そういえばそうだ。
母様はみんながいる前では怒ったりしないけど、家族しかいない時は父様をよく叱ってる。そんな時、父様はいつもスマンって言いながら頭の後ろを掻いている。
「母様は父様よりも強いから? でも母様は剣を使わないよね。
父様はこの国で十本の指に入るくらい強いって聞いたよ?」
イシュカも言ってた。
僕の父様はすごく強い立派な人だって。
父様は頷いて言った。
「ああそうだ。だがヘレーネには敵わない。
それは私には持っていない力があるからだ。
ハルトの言うように強さの種類が違うのだよ。
力が強いからといってそれは万能ということではない。
剣や魔術が得意な者だけでは世界は回らない、戦う場所は戦場だけではないのだよ。勉強が得意な者、気配りが得意な者、他にも色々な特技を持った者がいる。
剣で勝てたとしても其奴らの土俵で勝負すれば私は全敗だ。
だから人は自分を支えてくれる人を側に置こうとする」
やっぱり父様の言うことは少し難しい。
でも言ってることの半分くらいはわかった。
「ハルトは知恵もまわるし、魔術も使える。
だけど剣術はまだまだだろう? だからイシュカやガイと行動を共にし、気配りするのが苦手だからロイを側に置き、開発に必要な知識や技術を補うためにテスラやキール、サキアスを雇い、開発しても売り捌く力がないからマルビス達がそれを担当する。
わかるか? ハルトが凄いところは自分に足りないものがなんであるかをよく知っているからだ。
ハルトに足りない力をアヤツらは持っている。
それがアヤツらは今やこの国で最強と言われる所以だよ」
「最強? 父様よりもハルトの方が強いの?」
「剣や武力では負けん。だがそれ以外で勝てるかと聞かれると微妙だな。
ハルトは自分の持っていない力を信頼できる他の者を側に置くことで補っている。勿論私もそういうことは心がけるようにしているがアヤツらのところは団結力が違う。
ハルトの一声で大勢の者が我こそはと奮い立つ。
それはカリスマ性というべき恐ろしい力だ」
そういえばハルト何かあると自分の出来ないことはイシュカやロイ達にお願いしてた。そうするとロイ達はいつも嬉しそうに『承知しました』って笑うんだ。
でも、また僕にわからない言葉が出てきたので父様に聞いてみる。
「カリスマ性?」
「他者を惹きつける力、魅力のことだ。
それを持つ者は少ないのだよ。身につけようとしてつけられる力ではない。
おそらくハルトの持っている力の中で一番強力な力だ」
ハルトは頭も良くて強いのに、他にもそんなに凄い力、持ってるの?
「リッチとアンデッドの群れを倒した話は聞いたか?」
父様に聞かれて僕は頷く。
ハルトが忙しい時、僕がハルトの話を聞きたくてねだった時、イシュカが話してくれたヤツだ。
「あれが一番いい例だろうな。ハルトは様々な手段を使って倒したわけだが、あれはハルト一人では出来なかったことだ」
「でもハルトが考えたってイシュカが言ってたよ」
凄いんですよって、自分では考えもつかないってイシュカが自分のことみたいに自慢してた。
「だがハルトの考えたそれには様々な物資や人の力が必要だった。
ハルトの立てた作戦はハルトの言葉を正確に理解するロイの理解力が必要で、それを全ての者に正しく教えるために図解したキールの画力、サキアスの持つ知識力が魔素の特性を教授した。テスラの技術力がハルトの策を補強し、マルビスの物流を動かす力で必要な物を揃え、準備した。そしてイシュカとガイがハルトに足りない戦闘力と経験を補い、足りない人手をアヤツの兵達が補った。
だがそれも皆が同じ方向を向いていなければ難しい。
それを可能にしているのがハルトの持つカリスマ性という力だ。
それぞれが持っている力でハルトを支え、助けたからこそ王都の魔獣討伐部隊でも苦労するような難敵相手に一人の犠牲者も出すことなく圧倒的に勝利したんだ。
わかるか?
確かにあれはハルトがいなければ考えもつかないような手段だった。
だがハルト一人だけでは成し得ないことだ。
それが強さの種類、力というものなのだ。わかったか?」
ハルトがいるから出来ること。
でもハルトだけでは出来ないこと。
だからロイ達が必要なんだってこと。
「全部はわからないけど、多分」
わかったと思う。
「どんなに強くとも一人の力だけではどうしようもないことも多いのだ。
ハルトが言うようにレインにもいずれわかる。
経験というものを積み上げて行けばな。それもまた力の一つ。
それを知っているのもお前とハルトの大きな差だな」
大きな差・・・
そう父様に言われて僕は拳をギュッと握る。
「まあとにかく、だ。一つづつその差を埋めていくしかあるまい」
そうだ、いっぺんに出来なくても一つづつ埋めていけばいいんだ。
ハルトも頑張っているなら僕はその倍やればいい。
すぐに全部できるようになんてならないんだから。
僕がモタモタしているうちにまたすごい話が流れてきた。
ハルトが大きな魔物を倒したんだって。
父様が教えてくれたんだ。
悔しかったけど落ち込んでる暇はない。
父様の合格がもらえたのはそんな話を聞いた三週間後だった。
僕は嬉しくてその日の内に出発準備をすると翌日すぐに馬に飛び乗ってハルトの屋敷に行った。
ハルトはベラスミに調査に出掛けてたけど明日の夜には戻って来るって聞いた。
明日にはハルトに会える。
うっかり父様に言って行くのを忘れて父様の部下が僕を追い掛けてきた。
父様に預かってきたという手紙を三通持って。
一通はハルトの父様に、一通は騎士団支部に、一通は僕にだった。
僕が今より強くなりたいと思うならここにある騎士団支部の朝練に参加できるように頼んでくれるって書いてあったから僕はすぐに『やる』って返事した。
全力で追い掛けるって決めたから、僕に出来ることはなんでもやる。
次の日から参加した訓練は簡単に付いていけるようなものじゃなかったけど。
へこたれるもんか。
僕はもう二度としゃがみ込んで蹲ったりしないって決めたんだ。
ハルトの屋敷でまた一緒に暮らすようになると来年は学院入学だからと一緒に勉強することも増えた。
そうして過ごしているとハルトに出来ないことは何もないと思っていたけど、そんなことはないんだってわかってきた。
マナーやダンスは苦手だって言ってたけど普通に出来てる。
上手くはないけど下手じゃない。大人の人ほど上手くないってだけ。
先生は充分だって言ってた。
でもハルトはピアノと絵を描くのはあまり得意じゃない。
ピアノは弾けないわけじゃないけど僕の方が上手いくらいで、眉間の間にギュッと皺を寄せて難しい顔で弾いているし、絵を描くのはもっと苦手みたいでいつも一生懸命描いているのにハルトの描く絵は馬も羊も、狼もみんな同じような形をしている。百合も薔薇の花も区別がつかない。
でも描くのは苦手なのに色を塗るのはすごく上手なのが不思議。
キールが描いた絵に時々楽しそうに色を付けているけど、とても綺麗だ。
それを見ていたマルビスが、
「センスと画力は別物なんですねえ」
と、しみじみそう言っていた。
それにハルトはむくれて『うるさいよ』って返してたのは笑ってしまった。
学院では芸術や武術、魔術戦闘は選択科目だ。
七つくらいある中で二つ合格できれば問題ない。
そう考えれば武術と魔術は全然問題ないハルトはピアノが弾けなくても、絵が描けなくても関係ないと言えば関係ない。
そう、僕がハルトに言ったら、
「人間、才能がどこに眠っているかなんてわからないんだよ?
なんでも挑戦。やってみて、努力してからでも遅くないでしょ。
簡単に諦めたら自分の中に眠ってる才能なんて見つからないよ」
って、そう言ったんだ。
「僕にも才能、あると思う?」
「当然。だってレインは私よりずっとピアノも上手だし、力も強い。剣の扱いだって上手いでしょ。レインは頑張れば閣下みたいなすごい武人になれるよ。強化魔法なしの素の力じゃ私はレインに全然勝てないもの」
それは多分僕の身体がハルトより大きいからだって思うけど。
「僕、父様みたいに強くなれるかな?」
「レインが諦めなかったら、きっとね」
そう言ってハルトは微笑った。
僕が諦めなかったら? 本当に?
でも全部勝てないって思ってたのに僕の方が出来ることがあるのは嬉しかった。
だってそれは僕にもハルトにない力があるってことでしょう?
父様は言っていた。
ハルトの側にはハルトが持っていない力がある人がたくさんいるって。
僕にもハルトが持っていない力があったら僕もハルトに必要ってことだ。
ハルトに相応しい存在でいたいのだとハルトの側近のみんなは言う。
でも相応しいとか、相応しくないとか、全然ハルトは気にしてないと思う。
それはみんなも知っているみたいで。
ただ自分が胸を張って側にいたいだけなんだって。
なんとなく、わかる気がした。
僕だって自分が側にいることでハルトの価値が下がるのは我慢できない。
自分のせいでハルトが馬鹿にされるのは我慢ならない。
そう僕が主張するとガイは微笑って僕に言った。
「レインも立派なハルスウェルト教団の信者だな」
って。
意味はよくわからなくて僕が首を傾げると、
「安心しろ。ここにいるやつらの殆どのヤツはソレだ。
レインもここの仲間になったってことだ」
と、そう言ってひらひらと手を振って出掛けて言った。
するとそれを聞いていたキールが笑って教えてくれた。
「つまりお客様じゃなくなったってことですよ」
要するに僕はまだ第一席にはなれていないけど、ここの一員として認められたのだと、その日、わかったんだ。