第十三話 未来というものは見えないものなのです。
自分の足首に縛ったロープをガイのベルトに結び直し、二人で狭い洞窟を進む。
ガイは匍匐前進、私は四つん這い状態でだ。
幸い下は岩盤なのか、ある程度固くて平らなので進み易いし、後方からイシュカが穴の中を照らしてくれているので先の視界もハッキリしているので進みやすい。横長で高さもないことを思えば、ここは道とか洞窟と呼ぶよりも裂け目、クレバスというのが相応しい気がする。
私の知る前世の洞窟探検のイメージはこんな感じだ。
人一人が入れるかどうかの狭い隙間を身体を捩じ込ませて進んで行く。
多分ここにも探せば穴はもっとあるに違いない。
前方を行くガイの体半分ほど後を私はついて行きながら周囲を観察する。
やっぱりすごく不思議な光り方をする石だ。
ひょっとして磨けばそれなりに面白い素材になるのでは?
私の好奇心が顔を出したが今はそれどころではないとソレを押し込み前方に注意を払う。
外から照らして見たからある程度の長さがあるとわかっていたけれど、思っていた以上に結構長い。それなりに距離を来たと思うのだけれどまだ先が見えない。歩いて進んでいるわけではないので思っているよりは距離も短いと思うけど。無言でノシノシと進んでいるとガイがふと動きを止める。
「何かあったの?」
極力小声でボソボソと尋ねる。
「いや、何かあったというか、ただもう直ぐ切れるぞ」
何が、というのは聞かなかった。
見ると前には岩の壁が見えていることを思えば、この探索が終わりが近いのか、それとも他の道が出てくるのかは定かではない。まっすぐな直線軌道ではないのでイシュカの照らす光もそろそろ届かなくなっているが光の屈折具合からすると単なる行き止まりというわけでもなさそうだ。すぐにガイも前に進み出したことを考えると危険はたいしいて感じていないということなのだろう。
岩に反射する光以外は殆ど暗くて見えなくなってきたけれど、暗闇に少しづつ慣れ始めたためかうっすらと視界は確保できている。黙ってガイの後を進んでいると少しだけ広い場所が現れた。とは言っても五、六人が立てる程度の広さと幅で上からは僅かな明かり取りにもならないような光が漏れている。だがずっと洞窟の中にいたせいかその陽の光はひどく明るく感じる。おそらくどこかの山の斜面に空いた穴だとは思うけれど随分と小さい。ここから見るとピンポン玉を押し潰したほどの小さな穴。かろうじて流れ込んでくる空気は穴の中と違って美味しい気がした。
ガイは油断なく周囲を見渡し、危険がないことを確かめると私を制止し、まずは自分がそこに立ち、もう一度危険がないことを確認してから私を手招きした。
天井はかなり高かったが上に行くほど狭くなり、よじ登るのは厳しそうだ。
壁は岩盤で土ではないから土魔法も受け付けない。
ここから外に出られるかと問われれば無理ではないが人手もいる。
そしてその人手を招き入れるにはこの場所は狭すぎるのだ。
何故ここから小さな獣や虫が入り込んでいないのか。
理由は定かではないがまだ空いて間もないか、あの化け物が居座っていたからそれに怯えて近づかなかったか。
「照らしてくれ」
そう言われて小さく指先に光を灯すと周囲が薄く緑を帯びた色に輝いた。
やはり何かの鉱石か?
ただ少し濁った鈍い色合いをしている。こういう色なのか、磨けば光るのかは定かではない。何層かに色が変化しているので一面光輝いているというわけではない。それにこれが鉱石だと仮定して、全てが素晴らしい宝石に磨けば変わるわけでもない。宝石には傷やクラック、不純物などが入り込めば価値も落ちるし、美しい光を放つわけではなく、高価な値がつけられるのはごく僅か。
とはいえ、これは調査して事と次第がハッキリするまでは公表すべきでもない。
実は単なる美しいだけの石でしたという場合もある。
緑色をしている石は何もエメラルドに限ったことではない。
有名なのはそれだが、翡翠、トルマリン、サファイア、オニキス、ガーネットなどにも緑色のものがあるし、ペリドット、マラカイト、オパール、グリーンターコイズ、トパーズ、フローライトなどもそうだ。これらの宝石と呼ばれるような鉱石以外にも、海洋底や海山の一部を構成していた玄武岩質溶岩が変質・変成作用により緑泥石、緑蓮石などの緑色鉱物が晶出して、濃緑色を呈するようになった岩石などの河原とかに行けばそこらに転がっている石もある。
何故こんなことを知っているのかと聞かれれば前世での友人の影響だ。
いたのだ、ローンを組んで宝石を買うのが大好きという友人が。
宝石類に全く興味を示さない私と対照的な彼女はウン十万という宝石を身に付けては私に自慢していた。しかしながらその宝石を手に入れるために食費を削り、袖口の擦り切れた安物の服を着ていた彼女が身につけていると申し訳ないがイミテーションにしか見えなかったし、周りの友人も彼女が本当に本物を身につけているとは信じていなかった。私は一度宝石の素晴らしさなるものを説かれてそういうショップに一度だけついて行ったことがある。 彼女がローン契約するのを見ていたので間違いなく本物であるとは知っていたが、すすめられて本物を手に取っても彼女のいうような宝石の良さは正直理解できなかった。ガラス玉との違いもわからない私に取っては猫に小判、私にはガラス玉で充分だとつくづく感じたものだ。
実際、本物を見抜ける人など一般庶民には多くはない。
子供に残す財産になると彼女は力説していたが私はいつも疑問だった。
宝石というのは傷がつけば価値が下がる。デザインにも流行がある。
本当に財産として残せるようなものは庶民がローンを気軽に組めるようなものではない。中古品販売業者を覗けばわかるというもの。新品で買えばおそらくもっと高いと思われるものが驚くほど低価格で売られていたりする。その値段で売られているということは買取価格はもっと安値だというわけだ。買取価格はゼロではなかろうが常日頃から自慢げに身につけて、石に傷がつけば価値は下がり、磨けば当然その分だけ石は小さくなる。ソレを財産というには疑問に思えたが、好きで買って身につけているのなら私的にはたとえ価値がゼロになったとしても良いのではないのかと考えていた。
価値観なんて人それぞれ、自分の手が届く範囲で買っているのだ。好きに使えば良いと思っていたので彼女の語るウンチクを聞き流しつつカフェでケーキを思う存分鬼畜にもほうばっていたものだ。宝石のためにいつもケーキを我慢して紅茶だけ頼んでいた甘い物好きの彼女の前で。
私には何十万という宝石よりも目の前のケーキの方が遥かに魅力的だった。
多少話はズレたが、とにかく石なんて物は磨いて見なきゃわからないし、その価値を決めるのはあくまでも売り手と買い手あってこそ。売り手側の力量も関係してくるのでたとえクズ石だったとしても、磨いて光ればウチの有能な商業班の面々が張り切ってあの手この手で売り出してくれるに違いない。ここに作る施設のウリも欲しいところだし、綺麗なら安価な石でもデザイン次第で庶民の女性を彩る装飾品になりえる。そのためにも少し持って帰りたいものだが、何処かに適当な大きさの欠片が落ちていないものかとキョロキョロと下を見回すと、幸い掌に収まるほどの物が幾つか落ちていたので空いているコートのポケットに手当たり次第それらしき石を押し込んでいるとガイが上方を睨みつけていた。
「何か気になることがあるの?」
そう問いかけるとガイはハッとしたように我に返る。
「いや、ここはどの辺りか探れないものかと思っていたんだが」
上にあるあんな小さな穴程度で位置が分かるものなのか?
ガイは視力もいいし、耳もいい。私にはわからないものが分かるのかもしれないと思って続く言葉を待っているとポツリと呟いた。
「水音が近い。それに雲の流れと風の音から察するにおそらく西側、北寄りか南寄りかまではわからねえけど。割れた地面と雲の流れ方、陽の差し込み具合から大雑把なところはわかるんだが」
・・・大雑把でもわかるんだ?
相変わらず凄い、やはり野生動物並みではなかろうか。
経験則というものだろうが私にはさっぱりわからない。
「登れれば良いんだがジャンプした程度では届かなさそうだし、上に行くほど狭まっているからもう一人デカいヤツがいればソイツを足場にして両手両足を突っ張って登れないこともなさそうだが」
「もう少し上まで届けばいいの?」
ガイの身体能力なら素で結構高く飛べるはず。
「何かいい方法があるのか?」
「すぐに思いつくのは二つ。可能かどうかは試してみないとわからないけど。
一つは小さいとはいえ魔石をある程度の数持って来てるから小さな結界を保持しつつ積み上げてそれを足場にする方法。もう一つはガイのジャンプに合わせて風魔法を下から放って跳躍を後押しする方法。どっちも多少危険はあるけど私が下にいれば落ちても降下速度を和らげるくらいはできるし、そうすればガイなら受け身くらいはとれるでしょ?」
問われたので咄嗟に思いついた方法を提案してみる。
多分大怪我まではしないはずだ。
「成程な。特に後のヤツは詠唱破棄出来る御主人様ならではの方法とも言えるが」
そうか、普通なら難しいのか。
確かに落下速度を考えれば詠唱してたら間に合うわけもない。
自分と他人の当たり前が同じでないことをよくよく理解しなければ。
「どうする? ガイ」
「とりあえず手っ取り早い方を試してみるか。身体強化してジャンプするから合わせてみてくれるか?」
「いいよ。威力はどれくらい?」
「この間俺を激突から防いでくれたくらい威力のヤツで」
「わかった。身体強化も私がかけるよ。重ねがけする?」
何気なく言った一言にガイが動きを止めて私をじっと見た。
「ちょっと待て」
なんか変なことでも言っただろうか。
「確認したいんだが御主人様の身体強化しない状態のジャンプ力は知っているが重ねがけするとどのくらいなんだ?」
なんだ、そんなこと?
いざという時どの程度強化されるのか確認したくて時々試すのでその程度のことは知っている。急に身体能力が上がればバランスが取りづらくなることもあるので時々使って慣れるように練習している。
「中庭にある一番高い木の一番下の枝くらいなら飛び乗れるよ?」
「って、御主人様の身長の三倍はあるアレかっ⁉︎」
「そうだよ。まあギリギリだから狙い外してできない時もあるけど掴まるくらいならなんとかね」
通常時と身体のバランスの取り方がズレるので微妙な調整が難しい。
別に驚くほどでもない。実際の人間の持つ身体能力は発揮されているものの十分の一にも満たないという話を聞いたこともある。ただそれを全開にしてしまうと体に負担がかかり過ぎるから無意識に抑制されているのだと。
つまり身体強化魔法をかけると火事場の馬鹿力、身体を強制的に酷使した状態になるわけだ。以前身体強化しているのを忘れて果物を手に取った時、加減を間違えてうっかり握りつぶしたことがある。
「・・・魔力量による相乗効果か。忘れてたな。ソイツがそういうとこにも発揮されてるわけか」
しまった、さっき自分と他人の違いを自覚しなきゃって思ったばかりなのに。
便利だからと慣れるとそれが当然と認識してしまう。
「でも使いすぎると翌日筋肉痛に悩まされるかもしれないよ?」
「そんなペナルティがあるのか」
「だって本来の能力以上に筋肉に負担を強いてるんだから当然でしょ。
別に酷使しなければ特に問題ないよ。要は使い過ぎなきゃ単に強化されてるだけの状態なんだから」
魔法は万能ではない。
頼り過ぎると痛い目を見るのは自分なのだ。
「持続時間はどのくらいだ?」
「半刻弱くらいかな。魔力量が増えてもそれはあんまり変わらなかったよ」
何事も試してみなければわからない。
魔力量が多いからと全てにおいて有利にコトが運ぶわけではない。
「つまりジャンプに使ってもその後たいして動かなければ翌日までそう響かないってことか」
「前にイシュカにも試して確認したから間違い無いよ」
一応その辺は違いを知りたくてお願いした上で試してみたのだ。
しかしながら日頃からガッツリ鍛えているイシュカと私では翌日に残るダメージが違ったけれど。二日、三日筋肉痛に悩まされる私にたいしてイシュカは一日で済んだ。
要は私の鍛え方が足りないということなのだが。
「わかった。ならまず重ねがけだけで頼む。それだけ強化されるならジャンプだけで必要な高さまで届く可能性がある。風で下から押されたら激突しかねん。一応落ちた時だけフォローを頼む」
「でもあの穴から出られないよね?」
近づけばもっと大きくなるだろうけど、人が出られるほどとは思えない。
高さがあるとはいえおそらく別荘の高さと同じくらい。
私ならギリギリなんとかなる可能性はあるけど私では登れない。
「土魔法を使って崩せないこともないが、ここが崖崩れで空いたことを考えるとな。地盤が緩んで崩れたんなら場所を確認してからでないとマズイだろう。この狭さじゃ下手すれば生き埋めだ。まあ大きさからすれば腕くらいは出せるだろうから目印を何か付けておけると良いんだが」
「どうするの?」
「それを今考えてる」
ふむっ、目印か。
ここが山であることを考えるなら何か置いて置くだけでは見つけにくい。
この場所からでも大雑把とはいえ場所が判断できるガイなら少しでも景色が覗ければある程度場所は特定できるだろうけど、私が出られるかどうか程度の穴を見つけるのは至難の業ではないかと思うのだ。上手く発見出来れば良いけどこの高さだ、万が一踏み抜いて落下でもすればこの高さ、落ちたらタダでは済まない。ここまで張って来た道を引き返して取りに行くというのも面倒だし、何か手頃な物があっただろうかと考える。どうしたものかと首の後ろを掻きながら視線を少しだけ下に向けたところでガイのベルトに縛られたロープが目に入った。
ああそうか、その手があった。
私の表情の変化に気づいたガイが、なんだとばかりに私の視線の先を追う。
「それ、使ったら?」
私はガイのベルトを指差した。
「それって、ロープのことか?」
「うん。ロープの先にナイフ縛っておくんだよ。それを何処かの木の幹にでも向かって投げれば刺さってロープが穴から斜めに渡されるでしょ? そしたらそのロープが目印になるんじゃないかなって。近くの木にそれがさせるなら垂らして置くだけでも良いかもしれないけど」
腕さえ出せればガイのナイフ投げの腕前ならそれも難しくないはず。
そうなれば大体の位置が把握できていれば結構楽なのではと思う。
「なるほどな。確かにそれならただ闇雲に探すよりわかりやすいが、もう一捻りほしいとこだな」
「んじゃもっと目立つようにしようか?」
私はポケットから二枚の大判のハンカチを取り出した。
洞窟に潜るなら到底一枚では足りないと思っていたので全部で十枚用意して来たのだが現在持っているのは二枚だけ。黄色と緑、青と紫の二枚のスウェルト染めのそれを短冊状に引き裂く。
「何をしてる?」
また妙なことをやり出したとばかりにガイが座り込んで作業をしている私を見下ろしている。
「だってロープだけだと森の色に馴染んでわかりにくいでしょ? でもこのハンカチをこうして紐状に裂いて」
細長く切った布の切れ端を縄の網目に押し込み、通して結んでみせる。
薄茶一色だったロープは四色の色に彩られる。
隠す必要がないならド派手に目立たせれば良い。
そうすれば半端なく視力のいいガイなら見つけるのもそう難しくないはず。
「こうしておけばわかりやすいかと思って」
「いつもながらよくもまあそこまで頭が回るなあ」
「ちょっと考えれば誰でも思いつくよ」
何か言いたげにガイが口を開いたが、言う気がないなら結構面倒臭いので手を貸して欲しいのだが。
「見てるだけなら手伝ってよ」
「ああ、わかった」
別に丁寧である必要はないのだから適当で。
とはいえもともと大雑把なガイと私の作業だ、実に芸術的なまでに新進気鋭な出来栄えだった。
それはどういう意味だって?
言わなくても説明するまでもなくわかるでしょう?
要は見つけやすく目立てば良いのだ。
むしろこの方がわかりやすいというものだ。
準備が整ったところでガイに強化魔法を掛けると流石の運動能力で半分以上の高さまで飛び上がり、器用に両手脚を使って壁をよじ登り、予定通りナイフで目印をつけると私に声を掛け、ガイの落下にタイミングを合わせて風の魔法で衝撃を和らげる。それを利用して器用に身体を捻ってシュタッと地面に降り立ったガイとイシュカ達の元に戻る。
とりあえずの危険はないことを報告した上で一応昇るには厳しい上方に出入り出来ないほどのかなり小さな穴があったことは報告しておいた。
そして運んできた荷物の内これからも調査で必要であろう大半をこの場所に残し、今日は一旦引き上げることになった。入口に近付くに連れて増える低級の魔獣達を追い出しつつ、来た道を戻って行く。明日は途中にある枝分かれしていた道の調査になる。外に出ると空は夕暮れ色に染まっていた。仕掛けられた罠には魔獣達が逃げ込んでいて二つの穴の小さい方を塞ぐと大きな穴には土壁の蓋を崩すとワイヤー網の向こうには大量の低級魔獣がぎっちりとひしめき合い、バタバタと暴れていたので上から魔法を次々と浴びせ掛け、トドメを刺すと手際良く分担してそれらの首を落としつつ、荷馬車に詰め込み、私が聖魔法の結界を張りつつ別荘まで運搬する。
低級は素材も買取価格も安いとはいえ塵も積もれば山となる。
小さな魔石でも庶民の暮らしには役立つし、その肉は捌けば立派な食料だ。再び冒険者ギルドや商業ギルドの協力を仰ぎつつみんなが解体作業を進めてくれる中、ジュリアスとテスラが交渉しに行った例のデザイナーが面会を希望して訪問していたのでケイにロイが作っている途中だった鍋の番をお願いしてロイとイシュカを連れ、応接室に向かうと私はソファに座って待っていた彼の前に腰掛ける。
紅髪にアクアマリンの瞳、アイドル系優男のチャラ男っぽい容貌だ。
私の好みではないけれど流石もと貴族、顔が良いのは間違いない。
意外だ、あのどこか宗教画を思わせる絵を描いたのがこんな人だとは。
「お待たせして申し訳ありません」
一応建前的な挨拶というヤツだ。
「いえ、事情は伺っていましたのでお気遣いなく。こちらこそ忙しい最中お時間を割いて頂きありがとうございます」
今日、私達が洞窟に出掛けている間にジュリアスとテスラ、他、商業班二名と一緒に例のデザイナーの勧誘に行っていたのは知っている。その調査書もケイから届いていたのである程度の彼の家の経済状況は把握しているけれど、話は難航しているようだ。
如何にもプライドが高そうだ。
貴族の、というより甘やかされて育った結果的な感じがする。
まあもと貴族の四男の末っ子、多少は仕方がない。
ベラスミの多くのもと貴族達は比較的腰が低かったけれど全てではない。支配者側の特権階級の人間というものは往々にしてこういうところがある。
プライドが高いということは決して悪いことではない。
方向性さえ間違わなければ、の話ではあるけれど。
「ジュリアス、話はどこまで進んでいるの?」
すぐにこの場所に来たので詳しい話は聞いていない。
だが彼らの顔色を見れば交渉は難航しているのは間違いなさそうだ。
「彼のデザインの商品を見て、是非他のデザイン画も見てみたいと貴方がお望みになっているという話はしておりますが、折り合いが合わず・・・」
「つまり条件次第なんだ?」
折り合いがつかないということは、ふっかけられてられているってことね。
「はい。ウチは初任給は高くありませんし」
「成程ね。それで彼の提示している金額は?」
いったいいくら要求してきたのか。
「契約金で金貨五十枚、月給にして金貨二十五枚です」
そりゃダメだ。
成果や実績があれば話も変わってくるが、今の時点では無理。
ウチは平民相手、薄利多売がモットー、それでは間違いなく赤字だ。
契約金だけならまだしも成果も出してない内からそんな金額払えない。
彼のデザインした商品は町の商店で売れ残っていた。要するに、そこまでの金額を支払ってまで手に入れたいものではないと証明されている。勿論ベラスミの経済状況を見ると一概にはそう言い切れないが、それでも彼の作品は倉庫で眠っていたのだ。
「随分と大きく出ましたね、ハイネルド・ジ・ランドルファ殿。その金額は私の秘書と護衛、デザイナーの基本給をも超える金額です」
勿論、ロイ達には基本給以外にもその他手当を支払っているので実際の金額はもっと多い。
前に座ったハイネルドはそんな私の言葉を気にとめる様子もない。
「貴方の噂はお聞きしてます。民の間では神話の英雄の如く語られ、商売も手広くされていることは。貴方からすればその程度の金額、端金でしょう?」
つまり『金持ちなんだからケチケチせずに大枚叩けよ、俺が欲しいんだろ』とでも言いたいのか。
これは間違いなく私の苦手とする人種だ。
調査書では彼の家庭環境も家業の経済状態も書かれていたけど、経営を取り仕切り、あまり表に出てこない彼の詳しい性格までは書かれていなかった。少々難ありの可能性ありとは書かれていたが。
これが交渉するための見栄やハッタリの類ならマシだが、果たして・・・
「そういう問題ではないのですよ。貴方のその要求を通せば私は以後そのような要求を突き付けて来た者に対しても同じように条件も呑まなければいけなくなります。それにそれを認めてしまうと私のもとで既に尽くし、働いてくれる者達に申し訳がたたない。ジュリアスは貴方になんと言いましたか?」
ひとまずは彼の要求は突っぱねる。
「その条件では契約できない、話はなかったことにしてくれと」
それは良かった。
デザイナー不足とはいえなんでもハイハイと聞いて雇い入れるのは違う。
私はホッと息を吐いて話を続けた。
「安心致しました。何のために貴方がここまでお見えになり、私を待っていたのかはあえてお聞き致しませんが私の答えも一緒です。どうぞお引き取りを」
にっこりと微笑んでそう言い放つ。
すると目の前に座っている彼はムッとしたような顔を見せた。
「貴方はこんな立派な建物をポンッと建てられるほどに金持ちなのでしょう?」
だから文句を言わずにさっさとその金額を払えと?
金があっても生憎貴方のような横柄な人に寄付する持ち合わせていない。
貴方にその金を渡すなら一生懸命働いてくれている従業員達にその分エールでも振る舞った方がいい。
よくよく私の神経を逆撫でするのが上手い。
口もとを引き攣らせつつ応じる。
「そうですね、その問には『はい』とお答え致します。
ウチの商会では確かにデザイナー不足で苦労しています。ですが、応募は殺到していますし、貴方でなければならないというわけではありません。この度は御縁がなかったということですね、残念です」
これが作戦だというのなら私は如何にも貴族らしい性格と見られているということだろう。差し詰め次々と武勇をあげて調子に乗っている貴族の小僧とでも思われているのか。
顳顬あたりに青筋が浮きそうだ。
「随分と噂とは違うんですね、貴方がそんなケチな御方だとは思いませんでしたよ」
お生憎様、そんな安い挑発には乗りません。
私はすまし顔で微笑む。
「そうですか。それは御期待に添えなくて申し訳ありません。
まあ見知らぬ他人の評価など私は微塵も気に致しませんのでそれで結構ですよ。商会の利益は私の財産ではありませんから。第一、貴方の提示した給金は私の基本給よりも上ですよ?」
金貨二十五枚、そんな金額を私は給料として貰っていない。
「そんな馬鹿なことあるわけないでしょうっ、デタラメだっ」
いや、本当なんだけれど。
するとジュリアスが真顔でそれを肯定する。
「嘘ではありません。ハルト様の財産は国からの報奨金と魔獣討伐のクエスト達成報酬、及びその素材の売上金と商業ギルドからの登録使用料等や功績により陛下から賜ったハルト名義の寮や宿屋などの建物の賃貸収入です。商会から出ている給金は他の従業員と大差ありません。むしろ長なのだからもっと高くするべきだとこちらが進言するほどには低いです」
そう、私の給料は金貨十枚、ロイ達やジュリアス達商業班幹部の半分以下だ。
何故かって?
別に深い意味はない。カッコつけたわけでも良い人ぶりたいわけでもない。
必要ないからだ。
これ以上金貨の増殖を加速させてどうする?
既に一生使い切れるかどうかもわからない金額が積み上がっている。そして更にまた入ってくる予定があるというのに。ただでさえ既に隠し部屋で雪崩を起こしそうになっているほどに積まれているのだ。かといって無神論者の私はナマグサ坊主の多い神殿に寄付するつもりはないし、領内養護施設の修繕費や食費を負担する代わりにウチへの就職斡旋もさせてもらっている。当然正当な条件での雇用で拒否も可能である。孤児は就職先に困ることが多いため助かるといわれているぐらいだ。後は従業員のための福利厚生施設でも建設ラッシュが終わったら順次建設しようかと思っている。
金は使ってこそ生きるもの。
備えは大切だが必要以上に溜め込んでおくものではない。
「そういったわけで私には副収入もありますから必要ありません。経理上タダ働きというわけにはいかないので給料をもらっていますが、貴方の提示した金額の半分にも満たないのですよ。
商会の利益は商会で働く者と分け合うべきです。勿論みんな平等にという意味ではありません。商会に大きく貢献してくれた者にはより多くの成果給の手当を、最低限の働きしかしない者には基本給のみを、最低限の働き以下の怠け者は減給、もしくは解雇です。真面目に働く者が損をすることがあってはなりません。
私は屋敷を空けることも多いですし、好きなことをやらせて頂いているので高い給金を貰うのは道理が違います。みんなは私の道楽に付き合ってくれているのですから」
「俺達は貴方のその道楽を形にするのが仕事ですからね」
私の座るソファの後ろからテスラの声が聞こえて視線を向ける。
「そうですよ。私達はそれで稼がせて頂いているのですから遠慮なされる必要などありません。普通貴方の立場であれば金貨百枚以上でも当然。それが私達よりも安月給だなんてどう考えてもおかしいでしょう?」
そうジュリアスに力説される。
しかし何かを欲しいと口に出せばマルビス達が速攻で取り寄せてくれる。
そしてその殆どが経費として落とされる。
その状況ではお金があったとしても使う場所が殆どない。
私が自分の懐からお金を出すのはこういった出先だけ。
管理もロイにほぼ丸投げ、帳簿もマルビス達にお任せ状態なのだ。
我ながら適当で無責任だと思う。
だからこそ外出先での大盤振る舞い、日頃の感謝も込めての散財だ。
「そんなにおかしいかな?」
私が首を傾げると周囲にいた全員が『おかしいです』と頷いた。
「まあそんなわけでして、こちらからお誘いしている以上ある程度のイロは付けさせて頂くつもりではいますが成果を出す前から売れるかどうかわからないものにそんな高給を要求してくる貴方に応じるつもりはありません。どうぞお帰り下さい。
ロイ、お客様を馬車で御自宅までお送りして差し上げて?」
「かしこまりました」
私がお願いすると即座にロイが返答を返す。
自分の要求が通らないと知った彼は大いに慌てた。
「それは困るっ」
でしょうね。
彼の実家の経済状態は聞いている。
「困ると申されましてもこちらとしても否という答えを変えるつもりはありません。契約というものは双方の了解があって結ばれるべきもの。条件が合わない以上仕方ないでしょう?」
ウチはボランティアではない。
誰かが困っているからとヒョイヒョイ融資をするつもりはない。
それくらいなら商会のために働いてくれている人達に利益を還元した方がマシ。縁もゆかりも無い、しかも廃業して働きに出れば充分食べていける人達だ。ケイの調査によれば運搬業の家業の経営状態が芳しくなかったために店舗と土地が差し押さえになっているらしいという話。そのため長男が家業の切り盛りを、次男、三男が鉱山に出稼ぎへ、そして目の前にいる彼、ハイネルドが店の経理を担当しているらしいという話。借金の金額はおおよそ金貨百枚ほどと思われるという記載があった。
「貴方が抱える事情を話して下さらなければ検討のしようもありません。
あるのでしょう? 貴方がその条件を出した理由が。
見も知らぬ他人、しかも私のような子供に頭を下げるのは気が進みませんか? ならば貴方はその意地を持って御自分の抱える問題に対処して下さい。土下座をしろと言っているわけではありません。高飛車な態度で雇い主に対して食ってかかり、暴言を吐く。そんな貴方を信用することはできませんし、不快な思いをしてまで助ける義理は私にはないのですよ。
とにかく私共としましても貴方の仰る条件は到底受け入れられません。貴方が我が商会で働き、その金額を払う価値ありと証明して下されば将来的にはそういった金額をお支払いすることもあるかもしれません。実際、基本給の数倍以上の成果給を給金として受け取っている者もウチの商会にはおりますしね」
ウチはしっかりと働いてくれる人に対してはしっかり評価する。
才能があるならそれに見合った援助も手当も支給する。
だが彼にはまだなんの実績もない。
「確かに貴方のデザインには私は惹かれました。
しかしながら人にはそれぞれ好みというものがあるのですよ。
私が気に入ったからといって万人に受け入れられるとは限りません。売れなければそれは商品にすらなれないただの飾りです。そういったものにそんな高額な給金を道楽で支払い続けることは出来ません。ウチでは技術職、専門職に関しては才能がない者には辞めるか他の仕事を紹介して移って頂いてます。勿論その仕事が好きだから基本給でも構わないというのであれば続けることもできますが、ウチの基本給は金貨六枚です。
貴方は自分の作品が売れなかった時、諦めて他の仕事をすることができますか? それともその基本給で満足して働いて頂けるのでしょうか?」
目の前の彼は歯を食いしばる。
悔しいでしょうね。
こんな子供、軽くあしらえると貴方は思っていたのでしょう?
だけど残念。仮に私の壁を突破できたとしても後ろにはウチの有能な経営陣がズラリと列をなし控えている。どちらにしても浅はかな貴方の考えは看破され、敗北を味わうことになる。
「これは今ウチの専属デザイナー、キール・セイランにも最初に問いました。
彼はこの条件に一切の迷いなく頷き、私のもとに来てくれたんです。
そして今ではその才能を遺憾無く発揮してくれている。私に尽くしてくれているその彼よりも高給で貴方を雇用することは彼に対する裏切りです」
もともと一年半前まではその日の暮らしも困るような生活をしていたキールはどんどん上がる給料に恐れ慄いている。見習いの金貨五枚から始まったキールの給金は今やその三倍以上。ウェルトランドの店舗で商品の売り上げが上がっていけば更に増えていくだろう。
「そういうわけですのでどうぞお引き取りを」
私がそう言い放つとロイが部屋の扉を開ける。
彼は私をギリリと睨みつけ、立ち上がると捨て台詞を吐くことなく退室して行った。
世の中というものはそんなに甘くないのですよ。
私がそのいい例でしょう?
地味に目立たず適当なところで手を打って生きていくつもりが国内最大規模の商会のトップに付き、関わるつもりのなかった王家との関係はガッチリ鎖で繋がれ、一人の恋人で良かったはずが今や五人の婚約者持ち。
何事も思い通り、順調になど行かないものですよ?
イケメン五人も婚約者に抱え込んでおいてそれは単なる御託、贅沢だろうって?
そこを突かれると非常に弱いところではあるけれど、これは私も予定外。
それにいつ呆れて見捨てられやしないかと戦々恐々とする毎日で。
嘘をつくなって?
はい、そうですね。
満喫させて頂いておりますとも。
だってここまで来たらもう開き直るしかないでしょう?
みんなもいずれ気がつくだろう。
自分の主人が本当はタダの凡人であることを。
その時が来た時に呆れられないように努力することが私に唯一出来ること。
凡人になったとしても足手纏いにはなりたくない。
私はこの未来も、胸を張ってみんなと一緒にいたいのだ。