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閑話 テスラ・ウェイントンの妄想 (1)


 小悪魔という言葉がある。


 大概に於いてその言葉は男を翻弄し、弄ぶ蠱惑的な女性を形容する表現としても用いられるものだ。

 だが性別男であるはずのこの人はまさしくそう表現すべき人ではないのだろうか?

 俺の雇い主にして婚約者でもあるこの人は容易に俺をいつも惑わせるのだ。

 

 ハルト様に仕えることが許された翌日、俺は退職願を持って商業ギルドに出社した。

 案の定、即却下された。

 ただでさえハルト様関係の書類仕事で事務所内は忙殺されている。

 人手不足で王都から新たな人員要請をするほどには、だ。

 つい最近まで暇で暇で仕方がない田舎町だったはずなのだ。

 それがあの曰くつきの男、マルビス・レナスがここに飛び込んで来た日から一変した。

 毎日のように大量に持ち込まれる登録申請書類、扱う商品の物流量から手配その他、仕事量は倍増どころの話ではない。

 もともとマルビス・レナスという男は王都でも有名な商会の息子だった。

 父親に子供の頃からそのイロハを叩き込まれて育っているせいで彼自身も優秀な男だというのは知っていた。マルビスがハルト様に雇われるようになってからこのグラスフィート領の発展は目覚ましい。今やこのシルベスタ王国内の注目度はトップクラスだ。今は王都に出向いているために新製品の登録書類も止まっているが、代わりに持ち込まれたのは王都の騎士団からの大量のワイヤー網の発注の手配だ。

 なんでも王都に大量の魔獣被害の脅威が迫り、その対応と指揮をハルト様が取っているらしいのだ。

 いったいあの方は何をやっているのだ?

 ワイバーン九匹を無傷で討伐してみせた手並みも見事だったが、どうにもそれ以上の災難が彼の方に降りかかっているらしい。王家から山積みにされた特急依頼のための金貨に職人達は目を血走らせて寝る間と寸暇を惜しんで働いた。出来上がった先から王都に運び出されていく大量のそれはこの小さな町に多大なる恩恵をもたらすことになった。商品の大量受注というのはその制作に関わる者だけがその恩恵を受けるわけではない。

 材料を卸す者、運搬に係る者、人手が足りずに駆り出される者、そして町に出入りする者が増えれば当然食事処や宿屋も儲かる。特にこんな田舎町ならその経済効果というものは多大なるものだ。

 提出した退職願は俺の新しい就職先がハルト様のところであるということを伝えると意見は反転、両手を上げて喜ばれた。

 それもそうだろう。

 俺の最近の仕事はハルト様の登録書類関係のものばかりだったわけで、俺がその書類作成のための補佐に引き抜かれることは悪い話ではない。名実共に俺がハルト様の専属になるということなのだ。これから提出される書類関係の不備も減り、訂正、修正の必要も殆どなく王都に回せるようになる上に、減った分の追加人員を更に本部に請求できる。のほほんとしていた頃のようには戻らないだろうが今より楽になるのは間違いない。ハルト様がお戻りになる数日前までは勤めることを条件に俺の退職願は受理された。

 そして領主帰還の知らせと共に仕事も一段落、俺は晴れて退職を許された。

 

 まずはこの身なりをなんとかせねばならない。

 ボサボサに伸びた髪と無精髭、ギルドで着ていたヨレたスーツを誤魔化すための白衣を着て伯爵邸に訪問するわけにもいかない。

 まずは床屋が先だろう。服というものは顔髪形によって似合う似合わないがある。折角服を新しくしつらえても似合わなければ仕方がない。センスなどという上等なものは持ち合わせてはいないがそれは向こうも商売というもの、髪も服も特にこだわりがあるわけではない。自分で選ぶより任せてしまった方が早いだろう。

 マルビスが紹介してくれた店に出掛けて床屋から出てくると妙に通行人の視線が突き刺さるのを感じた。久しぶりに見た鏡に映った顔はそんなにみっともない顔ではなかったはず。田舎美人だった母と、その女に貢がせられる程度の御面相をしていたロクデナシの父の顔を足して二で割ったような顔。幼い頃は父に似ていると言われるのが嫌で前髪を長く伸ばして隠していた今は比較対象となる父はいない。サッパリと髪を切り揃えたその顔はむしろ母の面影の方が強いように思える。あのロクデナシと似ていなくもないのはこのくっきりとした二重の瞼くらいか。目というものは人の顔の中でも特に視線を引くもの、似ていると言われたのもこれが理由だろうと納得した。

 ここは良くも悪くも田舎町、見慣れない男が昼間にのんびりと道を歩いていれば悪目立ちもするだろう。多分不躾に向けられる視線もきっとそのせいだ。王都から来ている連中は慌ただしく掛け回っているからわかりやすいし、そうなると呑気にヨレた服を着て彷徨いている俺は差し詰め不審者と言ったところか。後は服を着替えればいいわけだが、マルビスの紹介してくれた店はこの町では上の中くらいのランクのものだ。服は経費で落とすから着替込みでとりあえず上下で三セット、普段着を二着、接待用を一着揃えてこいと言われている。金は預けてあるから好みまで文句をつけるつもりはないが店員に止められたらそれはやめろと言われている。こだわりはないので適当に地味で一般的な売れ筋で選んでもらった。服など着られれば特に問題もない。あんまり奇抜で派手なものでなければ基本どうでも良い。

 身なりをそこそこに整えて伯爵邸に行くと既に話は通っていて使用人棟の一室を貸し与えられた。三食寮付きとは好待遇、伯爵と一緒に王都からやってきたという俺と一緒でハルト様に雇われることになったというキールという少年とその母親が既に隣の部屋に入っていた。

 そのキールから聞いた話(彼も騎士団員達に聞いただけのようだった)によるとハルト様はイビルス半島の噴火によるスタンピード対応に駆り出されていたらしい。またとんでもないことに巻き込まれていたようだ。だがそこでも大活躍だったようでキールの瞳がキラキラと輝き、夢中で喋る様子がそれが真実であると物語っていた。

 ワイバーンを仕掛けを使って倒していたのは知っていたし、子供にあるまじき策士なのは知っていた。大量に提出された商業登録からもそれは明らかだったが、またなんとも凄いことをやって退けたものだ。騎士団副団長以下数名の護衛付きで王都観光をしていたということだ。

 破格の扱いは国家に目をかけられているという証。

 そして翌日、大勢の商人と団員を引き連れて戻って来られたハルト様は俺の変わりように驚いていたようだが対して気にするでもなく、その夜、団員の慰労と新たに加わる仲間達の歓迎会が行われた。たくさんの料理と酒が振る舞われ、アルコールの入った団員達がまるで自分達のことのように自慢げに語るハルト様の武勇伝を聞きつつ、俺は彼らの心酔ぶりに呆れた。

 実際、今日を含めて直接会うのは二回目の俺でさえ一度会って話をしただけで迷わず自分を売り込み、雇ってくれと願い出たくらいなのだ。それを考えれば二週間近く一緒に過ごせばこうなるのも当然か。

 齢六歳にしてたいしたタラシっぷり。

 副団長だというイシュカなど最早心酔の域だろう。他の団員、商人達とて大差ない。しかしながら彼らの話を聞けばそれも無理ない。聞けば聞くほどたいした大物、肝の座り具合も知恵のまわり方もハンパない。当人は疲れてロイの膝で既に夢の中ではあったが、このドンチャン騒ぎの中、眠れるだけでもその大物ぶりが伺える。俺の選択に間違いはなかったのだと思うと気分が良くなって酒が進み、夜が明ける前には固い床の上で酒瓶を抱えて眠っていた。

 

 翌日、ハルト様に関する秘密を幾つか聞かされたが俺の仕事に直接関係してくるものではないのでたいして気にもしなかった。これだけの武勇を立てておいて、むしろ普通で一般人と変わりありませんと言われる方が吃驚だ。

 そんなことよりも俺を驚かせたのはここ、グラスフィート領で計画されている事業計画の方だ。

 次から次へと提出される商業登録。

 この人が普通でないことはわかっていた。

 いや、わかっていたつもりだった。

 提出されていた使用用途不明の遊具として提出された大量の書類。

 あれはこのグラスフィート領のリゾート施設建設のための物だったのだと理解した瞬間、意味不明で登録が保留にされている多くの書類の山が現実のものとなって俺の頭の中に浮かび上がる。

 面白い。

 こんな施設建設計画など聞いたこともない。

 しかもターゲットとする客層は貴族ではなく平民。

 ならばあの提出書類はあんな書き方では駄目だ、もっと違う方法で提案しなければ通らない。あそこをこうして、ああしてと頭の中は無数の改善点で溢れ返る。

 やはり俺の目に狂いはなかった。

 次々と様々な視点から提案される商品や食べたこともない料理。

 ここには毎日のように驚きが溢れている。


「ハルト様から極力目を離さないで下さいね。予算は惜しみません、欲しいと口になされたものは出来得る限り手配、用意しますので私に全て言って下さい」

 と、マルビスにそう念を押された。

 彼の方は目を離すと面白いものを見つければフラフラと寄って行き、夢中になるといきなり走り出し、足元がお留守になって顔から地面に突っ込むのだという。そうして思いついたものを実験してみたり、更にはブツブツと喋り出したりするという。

 意味不明な行動は一歩間違えれば変人奇人の類いだ。

 ハルト様は頭の中に思い描いても形にするのが苦手なのはすぐにわかった。

 基本的に大雑把で細かい作業や説明も不得意だ。

 それを補うために俺とキールが雇われたのは理解した。

 ハルト様の考えたものをキールが絵で描き起こし、俺がそれを試作してハルト様と足りない点を改良し、手を加えていく。そうして出来上がった物を商品として売り出すのがマルビス達商業班の役目だ。ロイは器用な男で大概のことはそれなりにこなすハルト様の秘書といったところか。サキアスが魔道具知識の不足を補うため、イシュカが護衛でガイが情報収集係と役割分担がハッキリしていてわかりやすい。あの人は自分に何が足りなくて、それを補うためにどういう人材が必要なのかをよく理解している。

 その後もこの国の双璧と呼ばれる二人が押しかけてきたり、王子が来訪したりと相変わらずハルト様の周りは忙しく騒がしかったが基本的に俺の仕事は変わらない。書類整理と試作品作り、及びそれに係る職人達との連絡をとりながらの各部署との連携だ。ギルドと自宅、酒場を行き来するだけの毎日とは格段に関わる人間の数も増えた。

 ハルト様の考え方や行動は貴族らしからぬ独特のもので振り回される。

 だがそんな毎日が楽しい。

 声を上げて笑うことなど何年ぶりだろう。

 笑い方など忘れたと思い込んでいた俺の中にもこんな感情がまだ残っていたのかと思ったものだ。

 


 暇とは無縁の生活にも慣れ始め、第一王子の誕生日パーティ参加のために屋敷を留守にした夜にその事件は起こった。

 基本的に武闘派でない俺は荒事には向いていない。

 支援部隊として多少の雑用は承るが殆どメインで関わることはない。

 だからこそ他人事として様々な事件、問題もたいして気にはしなかった。

 俺とキールの仕事は開発事業と売り出す商品関係のものが九割を占める。

 だがその夜に起こった事件は流石に俺の管轄ではないと他人事を決め込むわけには行かなかった。俺達と同じく留守を預かっていたガイがその異変に気がつくと俺に屋敷の管理を、サキアスに屋敷の警備その他の手配を任せるとすぐにハルト様のいる王都に向かった。

 騒動や事件に巻き込まれるのはハルト様の側にいれば日常茶飯事、珍しくもない。

 だがここ一連の事件はハルト様の立場を揺るがしかねないものだ。

 国王陛下からの褒美として多くの建物を賜わり、順調に開発事業を推し進めてきたがサキアスの弟君の関わった高利貸しの一件辺りからキナ臭い事件が起き始め、どうにも他人事と済まされるような案件とは思えない。ハルト様の父君がここの領主である以上、何か問題が起きれば進退にも関わってくる。

 折角ここまで築き上げてきた土台が崩れかねない。

 俺の出来ることなどたかがしれているとはいえ手は尽くさなければ。

 普段は我が道を突き進み、他者の目など気にも留めないサキアスが先頭に立ち、テキパキと取り仕切る。そういうところを見ているとコイツも支配者階級の人間だったと思い出した。的確に状況を読み、必要と思われる指示を出していく。もともと頭は驚くほど良い男だ、その気になればこの程度朝飯前、その優秀さを発揮した。

 そしてサキアスのもと、忙しく働いていた数日後、ハルト様は狙われた女達から調書を取るためにやってきた大勢の近衛騎士を引き連れ、戻ってきた。


 ロイとマルビス、イシュカの三人を婚約者として受け入れて。


 指に嵌った彼らの瞳の色の宝石が輝く指輪を見た時、俺は感情が騒ついた。

 王都で起こった事件と事情、その全てのあらましを聞けば納得もした。

 だが、俺の中にある何かがそれを認めようとしない。

 ただでさえただならぬ好意を隠しもしなかった三人の醸し出す雰囲気は更に甘過ぎるくらい露骨になった。優越感とも取れるような態度。いや、それは俺の思い込み、単なる思い過ごしなのかもしれない。だが婚約者になったということは、この先も側にいることを許されたことと同意だ。

 俺はそれが羨ましいのだろうか?

 三人とも家族と呼べる存在がいないことは知っていた。

 戻る場所はどこにもないから此処が自分の居場所なのだと。

 二年で騎士団に戻る予定だったイシュカも婚約者になると同時に将来騎士団を退団することが決まって正式にハルト様の部下になった。

 まさしく生涯共にいることを決めたということなのだろう。

 己の指にある側近の証、エメラルドの石が嵌め込まれた指輪を見つめた。

 別にハルト様の態度が変わったというわけではない。

 三人に対する態度と俺達との扱いに差があるというわけでもない。

 変わったのは三人の自信に満ちた態度。

 風除けという理由があるとしても対外的に見れば間違いなく特別なのだ。

 

 俺もハルト様の婚約者になりたいのか?

 いや、でも差別されているわけではない。

 学院時代から身なりに構わなかった俺は女性に声をかけられたこともない。

 昔から恋に夢中になっている級友たちを見ても羨ましいとも思えなかった。

 父に食いものにされていた母の苦労を見ていた俺は、正直に言うなら怖かった。あのロクデナシに、大好きな母に散々苦労を掛けていた馬鹿親父に似ていると言われて、あんなふうにはなりたくないと嫌悪していた。

 恋は人を狂わせる。

 あんな親父に捕まりさえしなければ母ももっとマシな人生を歩んでいただろう。俺から見てもそこそこ美人だったのだ、母をもっと大事にしてくれる男に嫁いでいれば。

『もし』『れば』の話をしたところでどうしようもないことだ。

 だがそれでも考えずにはいられない。

 今ならば充分に母を養ってやれる。

 いや、せめて後もう二年待っていてくれたらギルドに就職したと同時に母を迎えに行って、養ってやれた。

 それとも上への進学を諦めてもっと早く家に帰っていたら?

 後悔というものはいつでも後からやってくる。

 俺はそういう感情に臆病な自覚はある。

 一緒になることで他の誰かも不幸にしてしまうのではないかという恐怖。

 ならば一人の方が気楽だ。

 どこで野垂れ死のうが関係ない。

 一人でいればたとえこの次の瞬間死んだとしても、俺の死体を片付けるヤツに少しばかり迷惑をかけるくらいでたいして困るものでもない。

 そう、思っていたのだ。

 なのに仲間が増え、俺を俺と認識し、大事な存在だと言ってくれる人がいる。

 それを自覚した時、俺の中で何かが変わった。

 独りで高い塀に囲まれて引っ込んでいた俺の心をいとも簡単にひっぱりだし、広い世界を見せてくれる人がいる。

 俺はなんて小さな世界に閉じこもっていたのかと思い知らされた。

 俺の中にあった灰色の世界をブチ壊し、極彩色に塗り替える。

 無変化でいることを許してはくれない。

 ハルト様はそんな人だった。

 これで夢中になるなという方が無理なのだ。


 自覚している。

 俺の世界は既にハルト様を中心に回っている。

 おそらく一緒に過ごす時間はロイやイシュカに並ぶはずなのに、俺よりも内側に入り込んだ彼等が羨ましいと思ってしまったのだ。

 理解している。

 この地に彼の方を留め置くための最善の手段であることくらい。

 各国王族が手中に収めんと画策するのも無理はないのだ。

 圧倒的な文武の力、たった一年足らずの間で田舎町を商業都市へと発展させる知略と人望、その飾らない人柄に集まってくる才能豊かな人材。

 それをたった六歳の子供がやってのける。

 いったいどんな大人になっていくというのか想像もつかない。

 本人は二十歳過ぎればタダの人だと口癖のように言うが、仮に物を作り出すあの才能が枯渇したとしても彼の周りには優秀有能な者が軒を連ねて控えている。その名声は落ちることはないだろう。

 ハルト様の側が面白いと思うのは何も本人だけのことではない。

 彼の方の周りには類が友を呼ぶが如く面白い人間が集まってくる。

 だからこそ彼の方が平凡になり下がったとしても関係ない。

 ハルト様の側は面白いに違いないのだ。

 そうでなくてもハルト様の側は居心地が良い。

 温かいのだ。

 俺が俺のままで、ここにいることを許容して受け入れてくれる。

 飾る必要も、片意地を張る必要もない。

 当たり前に交わされる挨拶、何処かへ出掛ければ『おかえり』と、お戻りになれば『ただいま』と掛けられる言葉は俺にとって遥か昔の、思い出せないような子供の頃の思い出だ。娼館勤めの母親は昼夜逆転生活で、大事にしてくれたものの会話を交わす時間は限られていたし、呑んだくれの親父は始終酒の臭いを漂わせ、反抗すれば暴力を振るわれ、俺を庇う母を殴った。だから俺は親父に近付かなかった。

 俺がいなければ母はあの親父から逃げ出せたかもしれない。

 そう思ったことも一度や二度ではない。

 そんな葛藤に囚われたまま俺は両親を亡くしてしまった。

 母の残してくれた金で無事進学も卒業も出来たが、あの両親を見て育ったせいか家庭を持ちたいという憧れは皆無で、結局十代半ばの結婚適齢期を過ぎ、嫁も伴侶も迎えることなく二十歳目前にして俺はハルト様に出逢った。

 

 俺より遥か歳下、三分の一ほどしかない歳には思えないほどに落ち着いた雰囲気、纏う温かな空気。そして驚くほどの許容範囲と度量。男らしいと言って差し支えない性格でありながら、ふとした瞬間に見せる優しさは父性というより母性が近い。

 何故だろうと考える。

 分析は得意なはずだがわからない。

 わからないが、おそらくこれは期待の一種なのではないかと思うのだ。

 この人ならどんな俺でも受け止めてくれると思わせる器のデカさのせいだ。

 歳下なのに、歳下だからこそ油断していた俺の心の中にするりと入り込み、その真ん中にハルト様は陣取ってしまった。ガイや俺の失言を気にも留めずに笑い飛ばし、聞き流す貴族にあるまじきプライドの低さ。自分の前に立つ者を身分の上下関係なく平等に扱い、部下のために命すら張ってみせる。

 あんな姿を魅せられて心動かないヤツの方がおかしい。

 だからこそハルト様の周囲は人で溢れ返り、笑い声が絶えない。

 そして自分の大切に思う者を守るためならどんな手段も苦労も、犠牲すら厭わないのだ。

 自分の父親、伯爵の進退が掛かった時も一瞬の迷いも躊躇いもなく飛び出し、民を救い、思いもかけない手段をもってして困難な状況を打破してみせた。

 近隣諸国を巻き込んでの水道設備、運河建設による契約という名の同盟の締結。

 王都か戻られてからマルビスやガイ、俺にシルベスタ国内及び近隣諸国の環境や情勢、気候その他様々なことを聞き出し、何か思考に耽っていたのは知っていた。だが、まさかこんな壮大な計画を考えていようとは思いもしなかった。

 これは間違いなく父君だけでなく、俺達全てを守る手段にもなる。

 これが実現されれば俺達どころか国内はおろか、近隣の国々にまでその効果は波及し、格段に争いは減ることになる。いったいこの人はどこまで先を見据えているのかと、末恐ろしくさえ思えた。

 そしてこの先更にハルト様の側室の座を狙っての争いが激化するであろうことを考慮して更に俺とガイがその婚約者としての地位を賜ることになったのだ。


 ことの経緯をザックリとロイから説明されて、

「・・・というわけなんですが、どうします? 強制ではありませんし、断ったからといって立場も扱いも今まで通りで何も変わりませんが」

 そう尋ねられた時、俺に否はなかった。

「婚約します。俺も婚約者に加えて下さい」

 にっこり笑って快諾した俺にハルト様は慌てて止めた。

「テスラ、よく考えた方がいいって」

 よく考えるべきなのは貴方の方でしょう?

 俺みたいなヤツを婚約者なんかに据えたら後が大変なんですよ?

「ハルト様は俺が婚約者になるのは嫌なんですか?」

 俺がそう尋ねるとハルト様はグッと息を詰まらせた。

 拒絶されないのをいいことに更に俺は問い詰める。

「ロイやマルビス、イシュカにガイまで良くて何故俺は駄目なんですか?」

「別に駄目ってわけじゃないけど」

 どうやら嫌がられているわけではないようだ。


 男前な性格なわりに嫌でない限りは断れない優柔不断なところを利用して俺はまんまとその婚約者の席に座ったのだ。


 そうしてハルト様の思い描いた壮大な計画は一晩掛けてキッチリ練られて仕上げられ、陛下のもとに届くこととなり、異例の速さで議会を通過、ベラスミでの様々な問題点も知恵と発想の転換により成し遂げ、ハルト様は更なる崇拝者を獲得し、その名を近隣諸国にまで轟かせることとなり、


 年が明けてすぐ、俺は正式にハルト様の婚約者となった。



 ハルト様の誕生日に合わせてオープンを迎えた初日当日、開園挨拶が終わってハルト様と二人、先日のプレオープンパーティや今後の展望などについて話をしていると、それを突然聞かれた。


 仕事の関係上、俺と過ごす時間は多いがこうして二人っきりというのは珍しい。

 側近達はみんなそれぞれに自分のできる仕事を請け負って忙しく動いている。

 外で働いているみんなのために昼食を作り出したハルト様の横で、それを手伝うために横でサラダ作りに取り掛かる。一年前までは料理などしたこともなかったが最近では随分慣れた。基本的に細かい仕事が嫌いではないからだ。

 作業をしているとふと、視線を感じたものの口に出すのを躊躇っている様子が見えたので暫く様子を見ていたのだが、ハルト様が思い切ったように口を開いた。


「答えたくなかったら答えなくてもいいんだけど、聞いてもいい?」

 そう言い置かれ、俺は問い返すと思いも掛けない言葉が続いた。

「どうしてテスラは私の婚約者になろうって思ったの?」

 そう尋ねられて俺は持っていた調味料を思わずボトリと机の上に落とした。

 まさか今頃になってその話題を振られるとは思わなかった。

 ほぼなし崩し状態で婚約者の肩書を手に入れ、今は対外的にもそれを示すため俺の瞳の色の宝石のついた指輪がハルト様の指には嵌められている。普段は作業の邪魔にならないようにとチェーンに通して首にかけられていることが多いのだが、今日は領民の前に出る必要があったため左には五つの指輪が光っていた。

 ハルト様は隣に立ったまま視線だけを俺の方に向けた。

 とはいえ、身長差で顔はほぼ真上を向くような状態ではあるのだが。

「言いたくないことまで言う必要もないし、別に答えたくなかったら拒否権発動してもいいんだけど」

 尋ねてきたのに拒否権付き、こういうところもハルト様は変わらない。

 聞きたいことがあっても無理に話せとは決して言わない。

 俺は前を向いたまま調味料の入れ物を持ち直し、作業をしながら問い返した。

「なんでそんなことを聞きたいんですか?」

「だって、ロイとイシュカやマルビスはこちらから聞くまでもなく、好意丸出し全開だからわかりやすいし、ガイにはそれなりの理由があった。でもテスラにはそれが必要なかったでしょ。私は自分の婚約者じゃないからって差別した覚えはないし。子供の私と婚約者してもメリットはそんなにないでしょう?

 なのにガイと張り合ってたから」

 俺の無愛想さが疑いを持たせていたらしい。 

 しかしそれは責めているわけではなく、単なる疑問のようだ。

 この人は本気で自分の婚約者になることにメリットがないと思っているのか?

 そんなはずはないだろう?

 貴方の婚約者の座は今や値千金の価値がある。

 おそらく割り込めるなら例え何十番目の妻になろうと自分の娘を押し込みたい輩は山程いる。確かに五人の男がその席に座ってはいるけれど男に子は成せない。娘を送り込む価値は充分過ぎるほどあるのだ。自国に引っ張り込めないことを考えれば他国の姫君は可能性として低いが国内なら問題ない。

 ただ陛下が目を光らせているからこそそれができないだけの話だ。

 俺は少し逡巡して作業していた手を止め、ポツリと本音を漏らした。

「貴方の特別になりたかったんですよ、俺は」

 ただの側近、その立場よりももっと強い絆が欲しかった。

「俺は天涯孤独ですからね。オマケに興味のあること以外には基本的に不精な性格なので女性に興味がないわけではありませんが、口説く手間をかけてまで一緒にいたいとは思わないんです。付き合えたとしてもその先の過程を考えると楽しみというより面倒そうだとしか思えなくて。貴方の婚約者になればそういう煩わしさからも解放されるだろうという打算も正直ありました」

 そんなの言い訳だ。

 女は気まぐれで現実的だ。

 自分に興味を持たない男をいつまでも追っかけてくるのは殆どいない。

 無視していればすぐに脈なしと気付いてすぐに俺に見向きもしなくなる。

「テスラなら口説かなくても女の人から寄ってくるでしょう?」

 確かに以前より声を掛けられる数は格段に増えたけれど。

「俺の外見で、ですか? それこそ冗談じゃありませんよ。そんなものに釣られてやってきた女性と付き合ったらどうなるか容易に想像出来ますから。外見だけじゃ長続きなんてしませんよ。俺は貴方と違う意味で面倒な男ですからね。応えられもしない期待を向けられるのはウンザリなんです。

 でも貴方は俺のそんなこと気にもしないでしょう? 

 俺以上に曲者ばかりですからね、ここは。

 居心地の良すぎるこの場所を手放したくなかったんです。

 勿論、貴方のことは好きですよ。

 でなければ婚約者の立場も受け入れようとは思いませんから」 

「つまり離れたくないって思うほどには好かれているって認識でいいのかな?」

「当然です。好きか嫌いかではなく、間違いなく一番と言って差し支えないほどには大好きではありますよ、俺は」

 余計な一言を付けて俺が言うと頭のいいハルト様は察したらしい。

「差し支えないほど、か。うん、まあいいやその辺りは」

 俺は驚いた。

 気になっていたようなのに俺が自分を好きでいてくれるなら充分だと、そうあっさりと言った。

 嘘はつかないでくれという条件付きではあったけれど。

 だが俺は臆病だから保証は出来ないというと更に思いも掛けない言葉が返ってきた。

 嘘を吐いてもいい代わりにハルト様の前ではそれを貫き通してくれと。

 そうすれば自分にとっての真実は変わらない。

 ただ、それがもし辛くなったら話して欲しいと。

 それでは結局貴方に吐いた嘘がバレて騙したことになるのではないかと尋ねるとそれで構わないと言う。自分が俺を信じたいと思ったから信じただけで、それが騙されてるというならそれは自分が俺に騙されたかったからだと。

 まさかそんなふうに言われるとは思ってもみなかった。

 

「本当に面白いですね、貴方は」

「そう?」

「俺は面白いものが大好きですけど、貴方ほど面白いと思ったものはありません」

 本当に変わっている。

「それはテスラにとっての最高の褒め言葉だね。

 ありがとう、話してくれて。嬉しかった」 

 そう言うと、出来上がったチャーハンを握り、鼻歌混じりに弁当を用意し始めた。


 俺が子供のこの人に敵わないと思うのはこういうところだ。

 これは許容範囲が広いというよりも、むしろ懐が深すぎるというべきだ。

 多くの者を魅了して止まないのはハルト様のこういうところだろう。

 人間生きていれば話したくないことの一つや二つあるし、探られたくない腹もある。だがそれをこの人は必要以上に聞き出そうとしないのだ。興味がないというわけではない、気になっているのだということは会話をすればわかる。それでも本人が話す気になるまで待つ度量みせる。

 話せばちゃんと聞いてくれる。

 問題を抱えて解決出来ないなら手も貸してくれる。

 マルビスやキールがいい例だ。

 二人を縛っていたそれは既に解決済み。

 だが格段に明るくなった表情を見ればわかる。

 問題はすでに過去のものになったのだと。

 

 いつか俺が抱えた心の闇もハルト様は晴らしてしまうのだろう。

 彼の方はいつも俺の想像の遥か上をいく。

 きっと俺はそれを待っているのだ。


 多分それは遠くない未来果たされる。

 そんな予感がしているのだ。


 

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