閑話 バリウス・ラ・アイゼンハウントの野望
グラスフィート邸、ワイバーン襲撃事件はあっと言う間に王都の話題となっていた。
一匹でも小さな村なら一晩で壊滅、群れなら王都ですら大打撃を与えかねない奴等だから恐怖の対象となるので当然我が緑の騎士団の出撃対象だ。普段群れで生活する奴等が一匹で現れたということは繁殖期の偵察とも考えられるので調査も任務に入ってくるだろう。報告を聞いてまずはグラスフィート領地に入り込んだそいつの討伐が先かと直ぐに部隊編成を組もうとしたところ副隊長のイシュガルドに止められた。
「落ち着いて下さい、報告は最後まで聞いて下さいといつも言っているでしょう」
「しかしワイバーンだぞ、偵察の奴は通常群れのサブリーダーか、その下の奴の役割だ。あの領地はそれに対応出来る奴は・・・」
「既に討伐済です、だから貴方が向かわせなくてはならないのは討伐部隊でなく調査隊になります」
「討伐済、だと?」
一瞬、耳を疑うその言葉に動きを止める。
「ええ、現れたその日に、というかその場で。
時間にして半刻もかからなかったようですね。その時、屋敷ではグラスフィート家三男の六歳の誕生会が開かれていたそうですが人的被害はゼロ、損害も軽微のようです。領主からの報告、ワイバーンが運ばれた冒険者ギルドからの連絡、パーティに参加していた貴族からの確認も全て裏も取れています」
ワイバーンはウチの団員でも最低三人一組のユニットを三チームであたらせるような奴だぞ。
「ただ一つ、未確認というか、信じられない噂と報告が上がってきていまして」
妙に歯切れの悪い、イシュガルドらしからぬ物言いに何事かと顔を顰めると続いた言葉に俺は言葉を失い、
阿呆ヅラを晒すことになった。
「それがあの、そのワイバーンを倒したのがそのグラスフィート家の三男坊、まだ六歳の子供らしいと」
「・・・は?」
子供?
それは何かの聞き間違いではないのか?
なんの冗談だ。
「そう、なりますよね」
完全に固まってしまった俺にイシュガルドが報告を続ける。
「参加していた複数の貴族から聞いたので間違いないかと。
みな揃ってうちの娘婿にと騒いでいました」
「ドドメを刺しただけ、とかでは」
「ありません。単騎単独討伐最年少最短時間記録更新です。隊長、抜かれましたよ」
そんなものはどうでもいい、最早冗談を通り越し、怪奇に近い快挙。
「まあ被害が出なかったのは良い事だ。それでその子供はどうした?」
「疲れてそのまま倒れたようですがたいした怪我もないそうです」
「みあげた度胸と腕っぷしだ。
では調査隊を向かわせ、合わせて遠征の準備を進めるとしよう」
この時はまだ半信半疑、何か事情か理由でもあるのだろうとたいして気にはしていなかった。
調査は進み、一週間ほどでワイバーンの棲家の情報もあがってきた。
飛来した方向はわかっていたので目撃情報や被害も出てないことからその直線上を主に調査した結果、グラスフィート領の隣、ステラート領の森の中、領地の境目近くで発見された。
数は二十匹、通常の群れ二つ分の数だ。
当初、ウチだけの遠征百人、もしくは赤の騎士団の選抜の何名かを予定していたが結局他の緊急事態が起きた場合の予備人員を残し、合計二百人の出陣が決定した。
一匹あたり三名三組の九人でチームを組み、これに辺境伯の部隊が側面の防御、グラスフィート領には兵糧の補給等の依頼。カザフ山を超えた向こう、グラスフィート領地まで逃がすつもりはなく短期決戦を選択した。
大人数で一気に叩いて終わらせるための準備は進み、とうとう討伐を翌日に控えて騎士達がテントで休み始めた頃、食料等の保管されたテントの前にグラスフィート領主を見つけ、声をかけた。
彼は軽く会釈すると近づいてきた。
「お久しぶりです、アイゼンハウント団長。この度は遠征お疲れ様です」
「久しぶりだな、グラスフィート伯。
この度は早急の兵糧の手配に応じて頂き感謝します」
「いえ、隣の領地、しかもすぐ境い目近い場所。何かあればすぐうちの領地にも被害が及びかねません。先日のようなことは稀ですから民に被害が及ばずほっと致しております」
そういえばそうだった。
ここ何日か忙殺されて忘れていたが偵察個体が来襲したのはそもそもこの男の屋敷だ。
「偵察個体は伯の息子が討伐したのだったな、今回は連れてきているのか?」
「いえ、あの子は自領の防衛にあたると。
こちらには長男と次男を勉強のため御一緒させて頂いております。
あの、タレット公爵からお聞きになっていないのですか?」
あの欲の皮の突っ張ったジジイが何かしでかしたのか?
どうせろくでもないことだろう。利権が絡むとやたらと出てきたがる貴族の間でもあいつを毛嫌いしているやつは多い。
「先日我が邸にお見えになった時、今回の遠征に対して我が領地の兵を半分以上出すよう依頼を頂いたのですが公爵にカザフ山を挟んですぐウチの領地があるのだから取り逃がしたらどうするつもりなのかと、せめて我が領の兵はカザフ山付近の地に待機させるべきだとくってかかりお叱りを頂きまして」
凄いな、さすが子供は怖いもの知らずだ。
裏では相当汚いことをやっていて子飼いの殺し屋もいるらしいと噂に聞く奴なのであまり手出しをしたがらない者が多いのだがたいしたものだ。
「いや、むしろ伯の息子の言い分が正しい」
「ならばお前が守ればよかろうと仰られ、あの子はこの山の向こうで三十人の兵と待機しております」
「たった三十人でか」
それは驚きだ。
ワイバーンの来襲を恐れているのに、それでもたったそれだけの人数で立ち向かおうとするその心意気は子供ながら尊敬に値する。大人しく頷いて何かあればだから言ったではないかとふんぞり返って約束の守れぬ情けない大人のせいにしても六歳の子供なら許されるであろうに自ら先頭に立つとはまさしく傑物と言ってもいいだろう。
育ったら是非うちの隊にスカウトしたいところだ。
「恥ずかしながらウチは兵を多く抱えられるほど豊かではありませんので補給部隊要員を差し引いた残りなのです。そのかわりあの子の部隊が討伐できたらその分の素材は我が領地で貰うと念書まで書かせまして」
思わず俺は笑い出してしまった。
それはスゴイ、確かにそうさせておけば間違いない。
後で難癖をつけ無かったことにしかねないのをしっかり押さえている。
「なかなかしっかりしているではないか。取り逃がした場合こちらが損害賠償すべきなのだから当然の権利を主張しただけだ。
いや、むしろあのタヌキ親父に念書まで書かせたのは称賛に値するぞ」
「最近はあの子のやることなすこと全てに驚かされていますよ」
「俺も驚いたよ、まだ六歳だったか、普通はワイバーンが襲ってきたら大人でも足が竦む」
「あの子も震えていましたよ。闘いが終わった後にそれに気がついたようですが」
震える体を押さえつけ、それでも逃げなかったということか。
「それは凄い、ということはあの噂は事実で間違いないわけか。
いったいどうやって倒したんだ?」
「魔法です。あの子はあの時、剣どころかナイフの一本も持っていませんでした」
彼の口から出た信じられない言葉に俺は息をのんだ。
「丸腰ではないか」
「使っていたのもほぼ初級の魔法です。驚いて顎が外れるかと思いましたよ。
それでもあの子は私が走り寄るよりも、警備の者が駆けつけるよりも早く倒してみせたのですよ。平民の使用人を助けるために」
しかも自分より弱い者を、危険もかえりみず、それはまさに騎士のあるべき姿だ。
「危ない事をして心臓が止まるかと思いましたが、私はあの子の親であることを誇らしいと思いました。
あの子には言いませんでしたけどね。
もっとも、あの子にはあの子なりの理由があったのですが」
「命をかけるほどのか?」
「ええ、少なくともあの子にとっては。
それがダルメシアのツボにハマったらしく随分と気に入られてますよ」
そいつは凄い。あの男は腕は確かだが偏屈なので有名だ。
アイツを怒らせると寿命が十年は縮まると言われているくらいだ。
「ではあの男の怒りを買わないためにも明日は伯の息子のところに奴等をやるわけにはいかないな」
「宜しくお願い致します」
その時は、確かにそう思っていたのだ。
まさか翌日、その子の心配が現実となるとは思わずに。
ここ数年間の中でも稀にみる酷い戦場だった。
目を背けたくなるほどの現実がそこにはあった。
早朝、日の出と共に奇襲をかける準備をしていたのだがそれを察知されていたのだ。
まだ態勢の整わぬ寝込みを襲われ、追い込みをかける予定であった赤の騎士団は空振りとなり態勢は滅茶苦茶だった。なんとか立て直しを図ろうとしているうちに、群れの九匹をグラスフィート領地に逃してしまったのを確認した瞬間、昨日の夜の会話が蘇った。
決して油断していたわけではない。
だが、どこかに驕りがあったのだろう。
数で圧倒し、一気に片をつけるつもりがこんな事態に陥り、焦っていた。
皮肉なことに半分近くの数がグラスフィート領に向かったことで数の優位は功を奏し、死傷者を出しながらも残すところは群れのボスと思われるひとまわり大きな個体のみとなった頃、カザフ山の向こう、グラスフィート領から討伐修了の合図が上がった。
正直、嘘だろうと疑いたくなった。
たった三十人しかいないと聞いていた。
いったいどれほどの被害を出しているのかと思うと自分の不甲斐なさに心が引き絞られたが、それでも話題になっていた三男坊は自領の民を守り抜いてみせたのか。
なんて奴だ。
俺も負けるわけにはいかないと力を振り絞り、最後の一匹のトドメを刺し、倒した。
「すまないが俺も一緒に行ってもかまわないだろうか?」
撤収の準備をしているグラスフィート伯爵をつかまえて俺はそう頼んだ。
軽傷の者は救護班に、重傷者は動けるようになるまでステラート領での療養を手配、戦死者は教会で聖属性の僧侶を雇い、家族のもとへ届ける手配を終え、支度のできた者から順次王都に戻らせた。
「約束を守れなくて申し訳なかった」
頭を下げる俺に伯爵は小さく横に首を振った。
「これもあの子の選んだことです。それを恨むような息子ではありません」
「だがそれでは気がすまないのだ、俺の我儘で申し訳ないがせめて子息に謝罪したい」
許されたいわけではない。
これは責任だ。
「撤収作業があるので私が帰るのは明朝になってしまうのですが」
「勿論構わない。これは俺の勝手なのだ」
再度頭を下げた俺に伯爵は静かに応じてくれた。
「承知、致しました」
翌日、日の出と共にステラート領を出発し、グラスフィート邸に着いたのはまだ朝早い時間だった。
到着とともに子息の無事を確認し、ほっと息をつくと伯爵はまだ眠っている彼を呼び出した。
通された応接室で軽い食事と御茶が運ばれてきたが手をつける気にはなれない。
現在彼は事情があり、屋敷での伯爵の秘書をしていた男が世話をしているらしく、じきにその男が連れてくるだろうと向かいの席に座っている伯爵はのんびりと御茶を飲んでいた。
「大丈夫ですよ、少なくともロイが無事だということはあの子もたいして怪我はしていないはずです」
「何故だ?」
「ロイはあの子がワイバーンから助けた男なのですよ。
ロイがあの子の無茶を許すはずがありません。何かあれば今度こそ体を張ってでも止めるでしょう。随分後悔してたようですから」
すると、コンコンコンッと軽いノックの音が響いた。
「ああ、来たようですね」
「父様、お呼びとお伺い致しましたが失礼してもよろしいでしょうか」
眼鏡を掛けた背の高い男に連れられて入ってきた子供は想像とはまるで違っていた。
ワイバーンに挑み、タレット公爵から念書を奪ったと聞いていたのでさぞかし体格のいい、生意気な面をした子供なのだろうと思っていたのだが現れたのは年相応の体格と中性的な顔立ちをした、いかにも貴族然とした男の子だった。礼儀正しく、利発そうな目は凛として意志の強さが伝わってくるものの話に聞いたような武勇を成すようには見えない。
外見だけなら騎士というより文官が似合いそうな子供。
実際、俺の格好を見ただけで立場を推察し、歳に似合わぬ言葉遣いからは知性が窺えた。
俺の謝罪に対しても取り乱す様子もなく淡々としていた。
彼の口からは俺を責める言葉は一切出てこない。
しかも礼を述べ、大丈夫だというのだ。
いったいどういうことなのかと尋ねれば、
「こちらの被害は出ていないので問題ないという意味ですが」
信じ難い言葉に驚いて立ち上がればガタンっと間にあったテーブルが音を立てた。
「嘘、だろ?」
「昨日、早めに片付いたのであの後、みんなで食事に行ったのですが傷ひとつありませんよ。あっ、確か運ぶ時にナバルが爪で引っ掛けて怪我したって言ってたから無傷じゃないか」
「ワイバーン九匹だぞっ」
負ったのが引っ掻き傷ひとつ、しかも討伐後に打ち上げ・・・
「はい、こちらで討伐した分はこちらに頂けるとのことでしたので昨日のうちにギルドに運び込んで解体をお願いしています」
淡々とした対応に益々混乱した。
「どうなってる、こっちは怪我人どころか死人も出ているんだぞ」
「直接戦ったわけではないので。足を繋いで水を流し、丸太で叩いて七匹、ニ匹はワイヤーで巻いて丸焼きにしました」
???
わけがわからない。いったい何を言っている?
理解できずに混乱しているとソファの後ろに立って控えていた男が苦笑した。
「ハルト様、それでは伝わりませんよ」
「ロイ、お前も一緒だったな、どういうことか説明してくれ」
伯爵に言われてロイと呼ばれた男が彼が仕掛けたという罠をわかりやすく図解しながらそれをどういう使い方をし、どう作用したのか説明し始めた。
丸太で叩いて、丸焼き、なるほどロイの解説を聞けばその意味も納得した。
直接戦ったわけではないという意味も。
ここまでくると感心を通り越してもはや呆然だ。
「また、とんでもないな」
「運が良かっただけですよ」
「これはもう運とは言わん」
これが運が良いと言う言葉で片付けられてしまったら俺達は運が悪かっただけとでもいうのか。
「でももう一匹いたらどうなっていたかわからないし」
「まだ罠は残ってましたよね」
ロイの言葉に驚いて再び彼を凝視する。
更にまだ仕掛けをしていたのか、なんて奴だ。
「あれは保険みたいなものだよ。避けられたら終わりだもの」
説明を求めて伯爵はロイに視線を向ける。
「設置型の巨大弓矢です。ただし羽根の先にはワイヤーが結ばれていましたが」
「何をするつもりだったんだ?」
するとロイの視線も彼に向けられる。
彼はどうも説明を苦手としているらしい。
先程の話を聞いていてもそうだったが彼の中で理解されていることが他人に理解しきれていないとわかってはいるようだがどこまで説明すればよいのか迷い、実に残念な結果を招いているようだ。
相手が何をわかっていないか理解すれば説明する気があるのが救いだろう。
「上手くいけばワイバーンの動きを止められるかなと」
「ワイバーンの体を狙うなって言ってましたよね」
「だって狙えば避けられるか落とされるから」
ますます意味がわからない。
弓とは相手を狙い撃つものではないのか。
混乱していると彼は我々が何を理解していないのかわかったらしくその理由を説明しはじめた。
「鞭と同じ理屈だよ。外れた位置ならわざわざワイバーンも避けないかもしれないから横から風魔法をぶつけて軌道を曲げて脚か首に巻き付けられれば、後は怒らせて追いかけさせればワイヤーが木とかに巻きついて動きが止められるかなって。ワイバーンは空から攻撃されるのが一番厄介だって兄様達が言ってたから落とすか繋ぐのがいいかと思ったんだ」
狙えば避けられる、確かにそうだ。
それはワイバーンに限らず俺でもそうする。
だが明らかに外れていたら俺は避けるだろうか?
多分避けないだろう、それは当たらないとわかっているのだから。
この子は倒すための手段を考えているわけではない。
倒すためにまず何をするべきかを考えているのだ。
こいつは俺達と考え方が根本から違う。
「正面から闘っても私は勝てません。ダルメシアにも複数相手には向かないから冒険者や騎士には向かないって言われました。私もそう思います」
勝てないから諦める、ではなく工夫する。
「・・・そうだろうな。
君に向いてるのは騎士でも冒険者でもない、指揮官、もしくは参謀だ」
順序立て、勝つためではなく負ける要素を潰しているのだ。
「私の言葉を信じて手伝ってくれた人がいたからできたことです。
私の功績ではありません」
「それを言えることこそ優秀な指揮官たる資質なのだが、まあいい。
今日の予定はあるか?
是非参考までに今回の討伐について君ならどうしたか聞いてみたいのだが」
多勢の死傷者を出した今回の遠征、この子ならどう対処したのかどうしても聞いてみたくなって頼んでみると本人は表に出しているつもりがないようだが明らかに面倒だというような声が返ってきた。
「状況と地形がわからないのでお応えのしようがないのですが」
しかし、俺はどうしても聞いてみたい。
今日が駄目だと言うなら明日まで滞在を伸ばしてでもだ。
「もう討伐は終わっている。あくまでも意見としてだ、実戦にあっていなくても構わない。状況や地形については俺が知る限りのことを教えよう」
「上手く説明出来る自信がありません」
自覚はあるのか。
先程の伯爵の反応で日常的に苦手としていることは気づいたが。
「ロイとマルビスが私のわからないことを教えて、言いたいことを理解して上手くみんなに伝えてくれたから。私のやろうとしたことを一緒にどうすればできるか考えてくれたので」
伯爵がこの男、ロイをこの子に付けたのはそういう意味もあるのか。
「ロイ、手伝ってやれ」
父親に逃げ道を塞がれ、彼は溜め息をついた。
「あの、庭に移動してもよろしいでしょうか?」
「何故だ? 地図も紙も揃っているぞ」
意味がわからないと俺は首を捻った。
「勿論それも使いますけど平面ではわかりにくいので考えが上手くまとまらなくて」
彼がどう説明したものかと首を捻っているとロイが口を開いた。
「百聞は一見にしかずです。私も最初は驚いたのですが見てるとわかりますよ」
「よし、行こう」
何をするつもりなのかは理解できなかったが理由があるようだ。
「私は水と小枝を用意してきます、中庭でよろしいですか?」
「うん、お願い」
そうして中庭に連れ出されると彼は地面に座り込むと辺りの土をかき集め、山をつくりだした。
何をしているんだと問えば縮尺地図を作っているのだという。
水桶と小枝の入った籠を抱えて戻ってきたロイは彼の横に座った。
「ハルト様、辺境伯側はこの辺、下が少し窪んでいるのですよ。ここも円錐形ではなくて」
「ゴメン、私見たことないから」
「私が作りましょう、だいたいで構わないんですよね」
「うん、で、泉はどの辺?」
「丁度ハルト様の足もとの辺りです、大きさはそうですね、山の高さがこれくらいですから私の手のひらくらいの大きさになりますかね」
「森は? 平地や窪地もあるんだよね」
そんな会話を交わしながら庭の土で作られていくのを見ていると彼らのやろうとしていることを理解した。
なるほど、地図を立体的にするわけだ。
これはわかりやすい。平面の地図では理解しにくいところもこれをみれば説明がなくてもわかる。確かにこれは百聞は一見にしかずだ。納得がいった俺は彼らに混じって土をほり、小一時間ほどで中庭に縮尺地図が出来上がった。
その周囲を彼はゆっくりとニ周ほどまわった後、気になる場所をウロウロと行ったり来たりを繰り返し、ミニカザフ山の近くに陣取って座り、ブツブツと小声を洩らしながら考え込んでいた。
暫しの時間を置き、何か考えが浮かんだのかふいに顔を上げ、
「一応、思いついた手はあるのですが実際に現場を見ていないのでもし実行不可能なら言ってください」
そう、一言告げてから彼は考えた手段を上げていった。
つらつらと出てくる手段は実に合理的だった。
話しながらも思考は止まることはないようで言葉にしてはその欠点、欠陥に気づき、否定しては新たにそれを補う手段を模索する。途中から理解が追いつかなくなってきたがロイが彼の言葉を箇条書きで書きとめたり、図形に表わし、彼がそれを訂正すれば書き足し、直していく。
そしてそれを俺にわかりやすく図解して教えてくれるのだ。
なるほど彼がロイがいないと駄目だと言った意味を理解した。
この二人は、いや、もう一人彼の発想を理解して形にしようとする者がいるらしいから二人ではなく三人になるのか、それが上手く作用して機能しているのだろう。
彼の足りないところをロイが補い、ロイの手が及ばぬところをその男が支えている。
伯爵はこれを見越していたのか、偶然なのか。
だが結果的にこの領地に暮らす民達は守られた。
自分の力ではない、みなの協力あってこそと彼は言った。
考えたのは自分だと胸を張るのではなく、自分を助けてくれる仲間を誇り、守り、大切にする。
これはこの小さくて大きな背中について行きたくもなるだろう。
「・・・ありがとう、十分だ。よくわかったよ。君達に犠牲が出なかったわけが」
俺は彼の肩を叩き、隣にしゃがみ込むと彼の頭を髪をクシャリと撫でた。
「王都に来たときは是非俺の所に遊びにきてくれ、王都を案内してやるぞ。
それからもし騎士団に入るつもりがあれば隊長権限で年齢制限無視の入団テストなしですぐにでも俺のとこに入隊させてやるから是非教えてくれ」
彼の考え方が浸透し、広がれば戦いの犠牲者はきっともっと減るだろう。
「すみません、今のところはその予定はありません」
「それは残念だ。騎士が嫌なら軍事顧問でもいいぞ」
「御遠慮致します」
それは残念だ。
だが彼はまだ子供、気が変わることもあるだろう。
その時に他の団に取られることだけは阻止せねばなるまい。
俺はこれからどう取り込んでやろうかと考えると楽しくなって笑いがこみ上げてきた。
これは彼が王都にくる時には是非前もって連絡をくれるよう伯爵に頼んでおかねばなるまい。
彼を連れ回し、俺が目をつけているのだから手を出すなと、周囲に知らしめるために。