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閑話 ガイリュート・ラ・マリンジェイドの油断 (2)

 

 結局、御主人様の提案はそのまま採用され、今、ベラスミのもと宰相と密偵は奴隷紋を刻まれた上で名前を変え、ビスクはマルビスの下で経理を担当し、ケイは俺の下に付くことになった。


 そろそろ腕のいいコマが欲しいと思っていたところだ。

 御主人様に忠誠を誓い、奴隷となっている以上裏切られる危険もない。

 こうして多少のトラブルはあったが無事にグラスフィート領のリゾート施設もオープンを迎え、御主人様は七歳になった。プレオープンで王族御家族御一行様がやってきたのには驚いたが、おそらくあの腹黒陛下のことだ、何か思惑があるのだろう。それ以降は大きな問題もなく、客入りも上々、比較的平和な日々が続いた。


 だが御主人様に平和な日々は長く続かないというのが最早御約束。

 夏の水上アスレチックオープン直前に持ち込まれたのはベラスミで開発事業を任されたジュリアスからの手紙だ。


 三つの洞窟が見つかったというその内容に即座に翌日出発を決めた御主人様は俺とイシュカ、ロイとテスラ、そして地理に詳しいケイと専属護衛十人、団員三十人を連れて早朝から出発した。

 日暮れ前には到着し、翌日崖崩れで露出した洞窟の調査に行くことを決め、早々に休んだその日に事態は起こったのだ。


 最初に気づいたのは別荘の周辺を夜警巡回をしていたヤツだった。

 ズルズルと何かが這いずるような音。

 倒され、葉を激しく揺らす木々の騒めきが近いて来ていた。

 一種異様な空気を感じて俺が目を覚ましたのもこの時だ。

 いつになくゾッとした感覚に背筋が凍り、窓ガラスに飛びつくとそこには見たこともない大きさの蛇がこちらに向かって前進して来ているのだ。

 マズイなんてもんじゃない、あんなのに襲われたら近隣の村なんて一気に全滅だ。たった一匹だというのにそれは圧倒的な存在感を持ってそこに存在している。あんなのは騎士団時代の現場でも、図鑑の中でも見たことはない。今までの目撃情報がないことを思えば、おそらく例の崖崩れで空いたとかいう穴から出て来たのだろう。魔獣や魔物の中には長い間、冬眠や休眠しているヤツもいる。それが何かのキッカケで目覚めて動き出したことは過去にもある。

 俺が部屋を飛び出したところでイシュカ達も御主人様の部屋から飛び出して来た。階下からの騒めきからすれば夜警のヤツらの連絡が来ているのだろう。俺達はまだ眠っている御主人様をとりあえず寝かせたまま、テスラを側に残し、階下へと降りて行った。


 降りてきた俺達の元に団員、警護のヤツらが集まってくる。

 間近に迫っている正体不明の化け物。

 どうすべきか相談していたようだ。

 そして、この状況に於いて、御主人様を起こすかどうかについても。

 魔獣討伐は団員の仕事、御主人様の仕事ではない。

 今まで相手にしてきた魔物とは明らかにランクもスケールも違う。


「どうしますか? 支部長補佐」

 団員達がイシュカに問いかける。

 魔力量、策士としての能力からすれば御主人様の存在は非常にありがたい。

 だがまだ僅か七歳、本来なら闘う義務もなく法律でも守られるべき存在。

 イシュカは少しの迷いもなくすぐに決断した。


「ロイ、テスラと一緒にハルト様の部屋に結界を張って出来る限り気づかれないようにして下さい。アレは私達だけで討伐に当たります」

 それを聞いてロイが頷き、再び上に階段を上がっていく。

 多分、コイツはそう言うだろうなとは思っていた。

 御主人様はいつも必死に震えを隠して踏ん張っちゃいるが大型魔獣との戦闘経験は少ない。本来ならそんなところに引っ張り出されるような年齢でもないことを思えば、逃げずに前を睨み据えているだけでも上等、俺らの前で泣き言を言わないのも立派なモンだ。

 イシュカの言葉に団員達も否はないらしく顔を見合わせて頷く。

「私達は陛下からも厳命を受けています。

 万が一の場合にはその身を張ってでも守れと。異存はありません」

 なるほどね、まあそれもそうだろう。

 御主人様は今や各国との同盟の要、いなくなればそれも揺らぎかねない。

 俺らの代わりはなんとかなっても御主人様の代わりは何十という屍を積もうが用意出来ないと言うのが国の上層部の認識だろう。特に御主人様提案の水道、運河建設は貧しい領地出身の者達の中では期待も大きい。騎士団に身を置いているヤツらは特にそういう領地出身のヤツが多い。大抵はロクな金も持たされず家を出される貴族の三男以降のヤツらが食うに困ってやってくることが多いからだ。自分の故郷を救ってくれるかもしれない存在を巻き込みたくはないだろう。

 本人の自覚はないが御主人様は最早王族に次ぐこの国の重鎮と言っても過言ではない。

「ガイ、貴方も協力して下さい。但し、貴方は後方でなるべく力を温存、無理だと判断した場合、彼の方を抱えてロイ達と一緒に逃げて下さい」

 協力するのは構わねえけど。

「お前は?」

「私は前戦に立ちます。逃げるにしてもしんがりが必要です。それは半端な者には出来ません」

 そりゃあごもっとも。

 足止めするヤツが弱ければ防御の決壊も早い。

 だが、

「俺は御主人様を起こした方が良いと思うぞ?」

「知れば彼の方は私達と一緒に闘うと言うでしょう」

 イシュカがそのまま寝かせておきたい理由はまさしくそれだ。

 ウチの御主人様は仲間が戦っている後ろで黙って見ていられるタチではない。

 責任感も強く、実に男前で負けん気の強い性格だ。

「だろうな」

「それは容認できません。アレは今までのヤツらとは強さの桁が違います。確かにハルト様なら正体不明なあんな物相手でも何か良い手が思いつくかもしれない。しかし、最悪はあってはならないのですよ」

 言っていることはわかる。

「後で怒られるぞ、絶対」

 俺がそう言うとイシュカは小さく笑った。

「でしょうね。私は彼の方と約束していますから。一人で勝てないのならハルト様を頼ると」

 如何にも御主人様らしいことだ。

 普通護衛にそんな言葉はかけない。

 命をかけて自分を守れ、それが護衛をする者に対する認識だ。

 それ故の危険手当。

 騎士、兵士は一般の職業よりも給料が遥かに高い。

「ですがそれは二人でなら勝てると思った場合です。二人でも勝てるかどうかわからない戦場に引っ張り出すわけにはいきません。たとえそれが、嫌われ、憎まれることとなったとしても」

 それも覚悟の内ということか。

 イシュカの瞳には一切の迷いがない。

「ガイ、頼みましたよ? 万が一の場合でも気配を消すのが得意な貴方ならばおそらく逃げ切れるはずです。そして王都に遣いを出し、団長に事情を説明して討伐を依頼して下さい」

 確かにこの中で一番逃げるに適しているのは間違いなく俺だが。

「本当にそれで良いのか?」

「それ以外どうしろと? ハルト様は失くしてはならない方なのですよ、絶対に」

 俺はそれ以上何も言えなかった。

 御主人様の安全の保証が俺には出来なかったからだ。


 案の定、見たこともない大蛇に厳しい戦いを強いられた。

 幸い気付くのが比較的早かったため装備を整える時間が得られたのは大きい。

 いつもより団員達の動きがいいのは御主人様達が行っている講義のせいだけではないだろう。見も知らぬ大多数の存在を守るという大義名分よりも守るべき相手がハッキリ見えている方が気合も違うというものだ。

 だが圧倒的な存在を前に苦戦を強いられないわけもない。

 一人、また一人と戦線離脱を余儀なくされている。

 俺も闇魔法で気配を隠しつつ隙を狙って背後から攻撃をかけていたが、繰り返される俺のそれが鬱陶しかったのか罠をかけられて大蛇の尻尾に弾き飛ばされた。

 マズイ、油断した。

 このまま叩きつけられたらタダでは済まない。

 そう思った瞬間、横から強い風が吹き、俺の体が空中で一瞬止まる。

 風の力で押し留められ、俺は空中でくるりと体制を変え地面に着地すると風が吹いて来た方向を振り向いた。


 果たして・・・

 そこに御主人様の姿を認め、俺は驚いたように目を見開き、破顔した。

 やはりこの人はやってくるのか。

 相手がどんなに強大であっても、俺達のために。


「ったく、ウチの御主人様はどうしてこうオイシイところで登場するかね?」

 走り寄ってきた御主人様に俺は憎まれ口を叩く。

「待った?」

 そう言われて俺は笑う。

 子供のくせにこんな絶望的な状態でも飛び込んでくるその度胸。

 やはり只者ではない。

「いや、丁度良いタイミングだぜ? 主役は遅れて登場するモンだろ?」

 そうだ、御主人様は俺らみたいな小物とは違う。

 イシュカはそれを忘れている。

 平民の間では神話の英雄にも今や喩えられている、まさに物語の主人公なのだ。

 まあ本人にその自覚はないが。

 俺の軽口に御主人様が小さく笑う。

「そんな口が聞けるなら大丈夫そうだね。倒れてる怪我人の回収をお願いしても良いかな。心配事は少しでも少ない方がいい。動ける人には倒す必要はないから気を引いて時間を稼いでもらって。イシュカと合流して状況を確認したい」

「了解だ」

 そうだ、主役である御主人様がこんなところで野垂れ死ぬわけもない。

 俺は返事をするとすぐに指令を遂行する。

 幸いイシュカもライオネルもまだ無事だ。

 御主人様が使える戦力は充分に残っている。

 最大の危機?

 そんなこと知ったこっちゃない。

 こんなもん、御主人様にはありふれた日常だろう?

 今までここ一年半、そうやってその名を轟かせてきたんだ。

 俺を退屈な日常から引き剥がし、ワクワクさせてくれる。

 必ずなんとか突破口を見つけてくれる。

 俺は転がっている団員や護衛達を確認して回り、動けるヤツに手伝わせて戦闘不能のヤツらを別荘のエントランスに運び込むとロイとテスラが救急道具を用意して待ち構えていた。御主人様に張った結界を破られて、仕方なしに怪我人が運ばれてきた時のために待機していたらしい。俺は二人に無事御主人様がイシュカと合流出来たことを伝えると不安な顔の中にもホッと息を吐いた。

 まだ元気が残っているヤツ以外の避難の手配をつけると御主人様のもとに戻るために踵を返す。混戦状態になっているが現在は倒すことではなく戦況維持に徹底しているせいか消耗は見られるが大きな変化はない。御主人様がイシュカに話を聞いて分析と戦略の組み立てにかかっているようだ。その邪魔をしないように大蛇の注意を引きつつ時間を稼いでいる。俺は気配を消して御主人様達のもとに戻る。


「その二つを持っているのにそれによる被害が少ないように思うんだけど」

 御主人様声が聞こえた。

 属性の話か、確かにザッと見回ったところ重軽傷者はいたが死人は出ていなかった。

 あのまま御主人様がこないまま突撃を繰り返していれば出ていたに違いない。

 だがそう珍しいことでもない。

 ふむっと考え込んでいると御主人様の背後から声をかける。

「いたぶっているんだよ。多分、だけどな」

「ガイッ」

 御主人様が驚いて振り返る。俺の言葉にイシュカが頷いた。

「食うのに腹で暴れられるのは面倒なんだろ。毒も致死タイプじゃないことを考えると怪我人が多いのに死人が出ていないのは多分そのせいだ。

 メシは新鮮な方がウマイからな。

 一応動けるヤツは自分で歩かせたが動けなかったヤツはソイツらにも手伝わせて別荘内に運び込ませた。まあそれも俺達がやられりゃあ無駄になるわけだが」

 特に蛇は口で獲物を噛み砕くことが出来ない。丸呑みしてその胃袋でゆっくり消化する。一気に息を止めてしまっては餌が腐るのだ。麻痺毒で動けなくなっているだけのヤツも多かったことを考えると弱らせ過ぎて魔素に取り憑かれても面倒だと思ったのだろう。ムカつくほどに知恵が回る。そういう余裕があるあたりも気に入らねえ。

 俺らは多少保存のきく食料程度の認識程度なのだろう。

 だが悪いな、そういう知恵比べはウチの御主人様の得意分野だ。

 お前の命運はここで尽きるだろう。

 前方に注意を向ければライオネルが果敢にヒットアンドアウェイを繰り返し、大蛇の視線を引きつけてくれている。そろそろ限界も近い。

 御主人様は聖魔法でイシュカの外傷の血止めを終えると俺の腕を今度は引き寄せて癒しにかかる。

「気をつけろよ。俺らはともかく、御主人様のサイズじゃガッツリ咥えられりゃあお終いだ。弱らせるまでもなくアイツに丸呑みされるぞ。討伐レベルS Sクラスの超大物だ。おそらく抱えてる魔石も四千超え、下手すりゃあ五千クラスだ。つまり総魔力保有量は八千から一万」

 ここ最近ではこの国どころか近隣の国でも出現報告のない魔物。 

「魔石を奪えば?」

 って、ソイツを奪う算段なのか。そりゃあ無茶ってモンだろう。

「四千から五千、今まで俺達に使った分を差し引くなら更にそれよりも下だ。奪えればの話だが」

 魔石に溜め込んだ魔力は体内保有魔力を使い切らなきゃ取り出せねえストックだ。

 確かにソイツを奪えるならグンと勝率は上がるだろうが魔物や魔獣のソイツを削るのはハンパな労力ではすまねえ。リッチなど人間が元になっている場合を除き、コイツらの殆どは威力こそあるが高位の魔法は殆ど使わねえ。厄介なのはその魔力量で強化された頑丈さと威力倍増化した中級以下の無詠唱魔法攻撃だ。

「魔石って心臓近くにあるんだよね?」

「ほぼ例外はない。ああいうものは守りやすい、大事なところにあるもんだ。つまりソイツを奪えるってことはトドメもさせるってわけだ」

 そう、魔石を奪えるならむしろトドメを刺す方を狙った方が早い。

「わかった。イシュカ、ウェルムの剣もう一本持ってる?」

 ウェルムの剣? 最近ここぞという場面で敵の首を切り落とすためにとイシュカが腰にぶら下げていたヤツか。

「ええ、ありますが」

「貸して。出来ればマントも」

「刃は鱗で・・・」

「うん、それは聞いた。覚えてるよ」

 グリズリーの足を一刀両断したウェルムの剣でも歯が立たなかった。

 それだけ硬い鱗。

 イシュカが御主人様に剣とマントを脱いで渡す。

 見るとその足は素足のまま、震えそうになる唇を噛み締めている。

 俺が子供の御主人様を尊敬するのはこういうところだ。

 この人はこの小さい体で、恐怖に怯えても絶対逃げようとしない。

 諦めずに勝利の道を探す。

「試したいことがあるんだ。 少しだけでいいからイシュカとガイでアイツの気を引いてくれる?」

「しかしお側を離れるわけにはっ」

「隠蔽と幻惑の魔法を重ね掛けしておけば大丈夫でしょ。ガイも言ったじゃない。私達が殺やられたら終わりだって」

 反論したイシュカにそう言って御主人様は自分に隠蔽と幻惑の闇魔法をかける。

 流石魔力量六千オーバーの魔力持ち、俺よりも効果が高い。

 だが技術が追いついていないことを考えると俺と同程度ってところか。

 もし御主人様が俺と同等の技術を身につけたらいったいどれだけの効果を発揮するのか。考えるだけで恐ろしい。

 これなら動きさえしなければそうアレの目を引くこともないだろう。

 イシュカはそれを見て小さく頷いた。

「わかりました」

「そんなに長く持たねえぞ」

 前方で奮闘していたライオネルが苦しそうにこちらに視線を流す。

「おいっ、ライオネルが離脱するぞっ」

 御主人様がそれに頷くと素早くライオネルが前線を離脱した。

「三十数える間くらいでいいんだ、できる?」

 短いとも長いとも言える微妙な時間だが、目を引くだけなら無理ではない。

「ガイ、もし私が守備よく腹を切れたら急所を狙ってくれる?」

 って、腹を切るつもりなのかよっ!

 確かに一ヶ所でもあの硬い鱗から肉が覗けばそこから攻められる。

「OKだ」 

「イシュカはガイにアイツの視線がいかないように」

「承知しました」

 俺達は頷くと御主人様から離れて一気に加速して前方に飛び出した。

 

 確かにコイツは頑丈で面倒だ。

 倒せと命令されたなら即座に無理だと返答する。

 だが御主人様から申しつかったのは時間稼ぎ。

 何か考えがあるのはあの目を見りゃあ聞くまでもない。

 震える手で剣を握りながらも強く輝く瞳。

 大丈夫だ。

 こういう場面に於いて御主人様が下手を打ったことは一度もねえ。

 俺は俺の仕事をすれば良い。

 イシュカと二人、なんとか指定された時間を稼ぎ終わる寸前、大蛇が不自然に動きを止めた。


 なんだ?

 チャンスとも思ったが、それ以上に何かが変だ。

 不審に感じてそちらの方を向くとそこには御主人様がハッキリと見えた。

 そう、ハッキリと。

 隠蔽と幻惑の魔法がかかっていたはずだ。コレは明らかにおかしい。

 それに妙に視線が引き寄せられる。おそらく魅了か囮の魔術がかかっている。

 マズイ、間に合わねえっ!

 俺もイシュカも引き離され過ぎている。

 目の前のコイツが御主人様に齧り付くまでに駆けつけるのはどう考えても間に合わねえ。

 いったい何を考えているんだ。

 とりもあえず急行するが間に合うわけもなく、俺とイシュカの目の前で御主人様は大蛇の口に飲み込まれていく。見上げるとその目と不意に合い、強がりな笑顔を作った。結界を張っていたのは見えた。小さな、自分の体を覆うほどの大きさだが。

 何か、考えがあるのか?

 すぐ近くではイシュカが錯乱状態で叫び声を上げ、ソイツに真っ向から飛び掛かろうとしていたのを慌てて止める。

「抑えろっイシュカッ」

「ハルト様がっ、ハルト様がっ」

「焦るなっ、御主人様がなんの考えもなしにあんな無謀なことをするわけねえだろっ、落ち着けって」

 確証はない、確証はないが、確かに目が合った瞬間、笑ったんだ。

「ですがっ、ですがっ」

「大丈夫だ。信じろって、それにどうせ飛びかかるなら助ける確率が高い方にしろ。蛇は丸呑みしたヤツを腹で消化する。御主人様は結界を張っていた。助けに飛び込むならその方が確実だ。お前は御主人様の一番弟子だろう? 無謀に飛びかかるくらいならアイツの腹に御主人様が到着するまでにアイツの腹を断ち切る策を考えろっ」

 悪足掻きすることを御主人様はカッコイイと言っていた。

 普通なら逆だと思われるその行動を。

 負けることを良しとしない、諦めの悪さは足掻いている証拠なのだと。

 誰よりもカッコイイ男のなりたいと言っていた御主人様が何もせずに黙って呑み込まれる、そんなカッコ悪いことをするわけがねえ。

「助けたいんだろっ、しっかりしろっ」

 そのツラを張り飛ばしてイシュカに冷静さを取戻させるとブツブツと呟き出した。

 ホント、こういうところは御主人様に似てきた。

 場所を弁えろと言いたいところだがまあいい。

 下手に暴れ回られるよりはマシだ。

 そう思った次の瞬間、不意に目の前の大蛇が動きを止め、鳴き声とも言えぬ悲鳴にも似た大音量が辺りに轟いた。

 

 なんだ?

 何が起きてやがる。

 ひょっとして御主人様が何かやったのか? 

 大蛇の腹の中で。

 見れば大蛇の腹の手前辺りに何か突き刺さっているのが見えた。

 あれは剣の先か? 

 そう思った刹那、その僅かな変化はあっという間に形を変える。

 硬くて刃が通らなかったはずの大蛇の皮膚が裂けそこを中心としてビキビキと音を立て、夏の蒸し暑さの中、辺りに冷気が漂うのを感じ、瞬間、裂けた肉の間から何かがするりと抜け落ちた。

 御主人様だっ!

 それと同時に大蛇の首元から腹にかけて硬い鱗の下から氷の刃が突き出したのだ。

 大きな巨体が最後の断末魔を上げ、力を無くし、地面の上に落ちて行く。

 ヤバイッ、御主人様があのままでは下敷きになる。

 俺は速攻で駆けつけるとその小さな体を抱き上げて走った。

 背後でズドンッと大きな音が響き渡り地面が大きく揺れ、その反動で風が巻き起こり、辺り一帯の木片などを吹き飛ばす。しがみつく体をしっかり抱えて走り抜け、その衝撃が収まったところで立ち止まり、ゆっくりと大蛇の倒れた方向を振り返る。

 

 やった・・・

 やりやがったっ!

 やっぱ俺の御主人様は最高だっ!


「俺に急所を狙えって言ったのはどの口だっけっかな?

 しっかりトドメまで刺してくれるとは流石俺の見込んだ御主人様だ」

 前方に見える大蛇は横たわり、ビクビクと動いている。

「・・・死んでる?」

「あれで生き返りゃあアンデッドか不死身だろ。喉元から腹の辺りまでしっかり凍らされちゃ息もできねえし、心臓貫かれて白目剥いてるんだぜ? 動いてるのは最期の痙攣だろ。相変わらずとんでもねえ手を使うなあ。御主人様が呑み込まれた時イシュカの顔真っ青だったぜ」

 ホッと息を吐く御主人様が小さく笑う。

 俺達は軽口を叩き合いながら討伐された大蛇の魔素による蘇りを防ぐための指示を出しているイシュカを暫くの間眺めた後、怪我人の治療をしたいと言う御主人様を抱えて玄関に向かう。


「ガイ」

 呼ばれて抱えた体を見下ろすと意志の強い瞳が俺を見返してくる。

「私もっと強くなるよ。どんな時もみんなが安心して私を頼れるくらい」

 充分強いと思うぜ、御主人様は。

 それに俺達が御主人様を守りたいという理由は弱いからというわけではない。

 大事だからだ。

 何も仲間を大事に思っているのは御主人様だけじゃないんだぜ?

「慌てる必要ねえと思うけど? 御主人様は充分に強い。

 俺らの仕事も残しておいてくれよ。

 あえて言うなら、そうだな。まあもう少し気配に敏感になってくれるとありがたいことはありがたいが御主人様は強さに不似合いなほど無防備過ぎる」

 まあ異常な速さで強くなり過ぎたってせいもあるんだろうが。

 気がつきさえすれば御主人様にとって向けられる殆どの殺意や敵意は脅威ではない。

 だからこその鈍さとも考えられる。

「どうすればいい?」

「こればかりは経験だろうな」

 御主人様に圧倒的に足りていないものがそれなのだ。

 大物ばっかり相手にしていたせいで小物に対する警戒が抜け落ちてしまったのかもしれない。

 些か問題ではあるが、まあそれも俺達が側にいれば充分カバーできる。

 それさえもできるようになってしまえばまさしく俺らの仕事はなくなる。

 それを考えるならこのままでいていいように思うのは俺のエゴイズムかね。

 俺らが側にいる理由を残しておいて欲しいとも思うのだ。

 まあいいや、そんなことを考えられるのも生き長らえてこそだ。


 その後もエントランスにいた負傷者達を聖魔法で癒し、声を掛け、ついでに自分との約束を破ったイシュカ達に『お触り禁止令』を申し渡し、四階の風呂場で自分と俺の怪我を治すとついた泥を落とすために風呂に一緒に浸かる。こうして眺めていると本当にただ綺麗なツラをしているだけの子供(ガキ)にしか見えねえのに、ホント不思議だ。

 並外れた度胸は子供の向こう見ずとは明らかに違う。

 むしろ子供の体に経験値を持った大人が入っていると言われた方がまだしっくりきそうだが、そんな話は聞いたこともねえ。若返りの秘薬なんていう馬鹿げたものを探している貴族の御婦人達もいるらしいが、そんなものが存在するということも耳にしたことはねえし、間違いなく御主人様は伯爵の第一夫人の腹から産まれている。その成長過程に多少呆れ果てはしたものの、ロイからその奇怪極まりない行動も聞いているが子供が妙な行動をするのは珍しくもない。大人顔負けの言動をするかと思えばたまに常識がすっぽり抜けているところがある。大量の書物を読んだというからおそらく抜けている知識はまだそういった書物を目にしていないということなのだろう。それを思えば体が何か得体の知れないものに乗っ取られている可能性も低い。大人の魂が入っているとするにしてはあまりにも恋愛ごとにも不慣れだし、貴族の生活にも平民の生活にもまだまだ慣れていない。特に魔法を日常生活で使うことにも慣れていないあたりは間違いなく子供だ。使えることを忘れて魔法ではなく、あれだけの魔力を持ちながら自分の手足を使って物事を片付けるのだ。チグハグというか、バランスが悪いのは子供によく見られる現象だ。

 結局のところ、よくわからない存在という他ないのだ。

 まあだからこそ見ていて面白いのだが。 

 風呂から出た後も俺とケイを連れて洞窟の偵察から帰ってくると二階の広間で会議をする。構いたがりのアイツらの手から御主人様を引き剥がしつつ抱え込むと団員その他からの嫉みの視線が向けられて俺は愉快になって御主人様を膝上に抱き込んだ。

 いいねえ、この視線。

 気分は最高だ。

 高笑いしたいのを抑えつつ、とりあえず洞窟調査の仕方は団員達に一任したところで俺は御主人様を連れて四階へと戻る。今後どうするのか話していると御主人様が急に昨日のことを思い出したのか、表情が暗くなった。

 しまった、閉じ込められたこと、相当気にしていたのか。

 話題を間違えた。


「我儘で振り回して、みんな困らせて。迷惑かけてゴメンね」

 必死に泣くまいとしているのは多分俺を困らせないようにしているのだろう。

 別に泣けばいい、子供(ガキ)なんてモンは普通ちょっとしたことでもピーピー泣くモンだ。

 俺はそんなこと気にしねえ。

 そうやって強がられる方がキツイんだ。

 大人も泣き言を言いたくなる状況で、あれだけのこと成し遂げて、その上涙まで我慢する必要なんかない。

 だって御主人様様はまだ七歳の子供(ガキ)だろう?

 こういう時、ロイ達みたいに気の利いたことなんて言えやしない。

 俺にできることなんてたかがしれている。

 手を伸ばすとぎゅっと御主人様を腕の中に閉じ込める。


「わかってねえな。御主人様はちゃんと俺達を守ってくれてるんだぜ?

 だから謝る必要なんかないんだ。

 大丈夫だ。みんな迷惑だなんて思っちゃいねえよ。だいたい嫌いなヤツのために一生懸命働いたり、命張ったりしねえよ」

 ゆっくりと泣きそうになっている御主人様(こども)に語りかける。

「ガイも?」

 尋ねられて即座に返答する。

 そんなこと、当たり前だろう?

「ああ、そうだ。御主人様の側は居心地がいい。

 だからこそいつも約束守って帰って来ているだろう? 

 コイツはスゴイことなんだぜ。この俺に戻って来たいって思わせたのは今まで御主人様だけだ。今まで出会ったどんなにイイ女も俺にそう思わせることは出来なかった。なのに仕事が終わると早く帰りたい、顔が見たい、御主人様のメシが食いたいってな。すっかり胃袋も掴まれちまってるし」

 ふふふっと笑う声が聞こえた。

 良かった、余裕が多少出てきたか。

「男を繋ぎ止めるのは美味いメシが何よりだってガイ、言ってたね」

「ま、そういうことだ」

 嘘は言ってねえ。

 本当に御主人様の側は俺に帰りたいって思わせてくれるんだ。

 それは多分おおらかなで細かいことは気にしない性格や驚くほど大きな度量のせいもあるだろう。

 ホント、子供らしくない。

 だが心地よいのだ。

「でも今は私の作るものはロイも、料理長も殆ど作れるでしょう?」

「そうだな。でもなんでだろうな、俺には御主人様のメシが一番美味いって思えるんだよ」

 それが不思議なのだ。

 確かにロイや料理長と違って基本的に大雑把で少々不器用な御主人様の作るメシは見た目だけなら明らかにその二人に劣る。

 だが、違うんだ、味が。

 何故だかわからないが俺には御主人様の作るメシが一番口に合う。

 俺がそう言うと御主人様は嬉しそうに笑った。

「じゃあさ、どこへ行ってもいいよ。いつも側にいてくれなんて言わないから、だから必ず私のところに帰って来て? ずっと待ってるから」

 そりゃ新婚の新妻みたいなセリフだなとは思ったが黙っておく。

「メシを作って、か?」

「ううん、御飯は作りたてが一番美味しいもの」

 確かにそれは間違いねえが。

「じゃあ長く留守にした時には帰って来たら食いたいモンこれからも作ってくれるってことか?」

「うん、ガイがリクエストしてくれるのを待ってるよ」

 これからも御主人様は戻ってきた時は俺のためだけに作ってくれると言っているのだと理解する。

「そりゃあ絶対戻って来なきゃならねえな」

 何がなんでも。

 そしてその翌日には団員達にそれを自慢して羨ましがらせてやろう、たっぷりと。

「惜しいな。御主人様がもう少し育って女だったら間違いなくモノにするんだが」

「子供で男は対象外?」

「ったりまえだろ。ただ・・・」

 わからない。

 御主人様は伯爵似の綺麗なツラをしているが、夫人にも似て伯爵の顔よりも更に中性的な顔をしている。もともと俺はスレンダー好き、女の胸より細くしなやかな脚が好きだ。

 このまま細身で美しく育ったら、俺はどう思うだろう? 

 俺のような男を文句言わず、心配して待っていてくれるヤツを。

「ただ?」

 尋ねてきた御主人様にどう答えたもんかと悩んだが、顔が近づいた程度でまだ真っ赤になることもある御主人様には気も早すぎる。男であることはまだしも子供(ガキ)は完全対象外だ。

「いや、なんでもねえ。ただ覚えておけよ。人に縛られるのが嫌いなこの俺が曲がりなりにも側近で、しかも婚約者でいる理由。それだけ御主人様が気に入ってるってことだけはな」

 俺は笑って誤魔化したが御主人様もそれ以上追求しなかった。

 昨日からの疲れが溜まっていたのか抱きしめてあやしている内に俺の腕の中で御主人様がウトウトし始める。

 間違いなく子供の寝顔に、やはり色気が出るのはもっと先かと安心する。

 すっかり寝入ったことを確認して俺は階段に目を向ける。


「だから起こした方がいいって俺は言ったよな?」


 イシュカが少し前からそこにいたのは知っていた。

 俺達の会話を聞いていたのも。

 あえて言わなかったのはコイツにも聞かせた方が良いと判断したからだ。

 静かに気配を消し、足音を立てずに近づいていたイシュカに御主人様を起こさぬよう、小さな声で俺は言った。

「泣かせてんじゃねえか。守れねえ誓いなんてすんじゃねえよ、この馬鹿っ」

 コイツなりに御主人様が大事でした行動なのはわかってる。

 わかっちゃいるがこんなふうに泣かせては意味がない。

 御主人様は言っていた。

 大事に守って欲しいのではなく、一緒に闘って欲しいのだと、いつも。

 俺は隣に立ったイシュカの腹に一発思い切り拳を喰らわせた。

 殴られるのはわかっていただろうがイシュカはそれを避けなかった。

 それはコイツなりの反省なのだろう。

「すみません。もう二度とこんな無様は晒しません。

 私はもっと強くなると誓います。

 ハルト様が安心して後ろで笑って見ていられるくらいに」

 その瞳に強い力が宿る。

 御主人様と似たようなこと、言ってやがる。

 こんなとこまで似てきたのかと思わず笑った。

 落ち込んでいるだけではない姿を見て俺は安心する。

「ああ、そうしろ。でないと・・・」

 俺が将来、攫って逃げるかもな。

 こんなヤツは滅多にいねえ、男でも、女でも。

 性格だけなら間違いなく俺好み。

 このまま強く、綺麗に育ったら俺もコイツらのように血迷うかもしれない。

 まあ、だがまだわからない。

 どちらにしても御主人様は間違いなく子供(ガキ)なのだ。


「なんですか?」

 問いかけてきたイシュカに俺は首を横に振った。

「いや、なんでもねえよ」


 だがこんなことを考えていた時点でとっくに手遅れ、捕まってしまっていたのだと、後に俺は思い知らされることになる。


 逃げられるわけもなかったのだ。

 まだまだ子供だと油断していたのは俺で。

 御主人様は規格外の想定外、俺の想像をいつも超えてくるのだから。



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