閑話 ガイリュート・ラ・マリンジェイドの油断 (1)
子供で男は趣味じゃねえ。
俺の好みはスレンダーな色気のある大人の女。
金はなくとも呑気で自由気儘な独身生活、気に入っていたんだ。
なのに決まった寝ぐらを持ち、仕事が片付けばあの顔が見たくていそいそと帰る。
自分の歳の半分にも満たない子供のために。
だが、あの時の生活に戻りたいとは思っていない。
俺は面白味のない生活が何より嫌いなのだ。
退屈という文字が存在しないあの場所は最高だ。
俺の御主人、ハルスウェルト・ラ・グラスフィート様の側は。
へネイギスの一件以来、俺の御主人様は王都の貴族の間で密かに『魔王』と呼ばれている。
実に愉快な話だ。
高慢ちきな貴族のお歴々がたった六歳の子供に怯え、恐れ慄いている。
後ろ暗いものを一つ、二つ抱えている貴族は結構多い。
清廉潔白という貴族は少ないモンだ。
へネイギスの次は自分ではないかとビクついているのだ。
馬鹿らしい。
ウチの御主人様はお前らみたいな小悪党などには興味はない。
余計なチョッカイ、手出しをしなければいいだけの話なのにアイツらはそれをわかっていない。恐れて排除しようとするから痛い目にあうのだ。まあ下手に動いて尻尾を掴ませてくれるというならラッキーだし、怯えていて引っ込んでいてくれるというならコッチも楽というもの。
余計な仕事がないというのは素晴らしい。
だが厄介事にウチの御主人様はどうにも好かれているようで次々と面倒なことに巻き込まれる。
リバーフォレストサラマンダーの目撃情報から始まり、それが片付かない内から腹黒陛下に問題アリの二人の王子を押し付けられる始末。一人は病弱、もう一人はクソ生意気なバカ王子、それも暗殺計画付きのヤツだ。まあ双璧と呼ばれる護衛二人も一緒だったんで心配ないと言えばないのだが、そんな荷物を抱え込んでもビクともしねえあの肝の座り具合はハンパねえ。
いや、正確に言うなら結構キツかったようだ。
基本的にお人好しの御主人様は自ら憎まれ役を買って出て、耐え切れなくなって泣き崩れたらしい。俺はその場にいなかったのだが、俺は多少安心したものだ。
全く子供らしくない御主人様にも人並みのところはあると。
何でもかんでも平然とこなされてはコッチの立つ背もねえ。
いや、違う。
そういやああったな、御主人様の苦手なものが他にも。
ダルメシアに頼まれて出かけたのはリッチとその眷属スケルトンなどの討伐。
幽霊の類いが特に苦手らしい御主人様は案の定、強がっちゃいたがビビッていたのは丸わかり。それでもその恐怖を押し殺して最前戦に一緒に立つ根性には恐れ入る。
普通の子供なら泣き喚いて大人の陰に隠れるモンだろう。
魔獣との直接の戦闘経験が殆どない御主人様だが、非情になれるなら俺やイシュカよりも実際は強いだろうとふんでいる。なにせ最上級魔法一発落とされれば膨大な魔力量による相乗効果と威力で一瞬で消し炭になるのは間違いなしだ。まあそれも狭い穴グラん中じゃ威力がありすぎて生き埋め、使えないだろうが御主人様の援護がある以上、イシュカと二人がかりなら負けねえと思っていたし、事実勝てた。
魔力切れ寸前、体力も底をつきはしたが。
そこでもまた厄介事を引き当てちゃあいたが、別にたいしたことでもねえ。
読めねえ書物にもロクでもねえ技術にも興味はない。
旨い酒と美味いメシがあって、俺を退屈させない人がここにいる。
結局王子二人だけじゃなく、その後にやってきた王妃様方もしっかりタラシ込んでいたし、レイオット侯爵閣下とステラート辺境伯を抱え込んだだけでは飽き足らず、三頭の獣馬まで手懐ける始末。
まあそれも無理はない。
五千を超える魔力量とあの大物を思わせる肝の座り具合。
強いヤツがめっぽう好きな獣馬が気に入らねえわけもねえ。
その内一頭は俺と気が合って譲り受けはしたが、通常獣馬ってヤツは主人にしか懐かないはずなのに俺のガイアは御主人様もお気に入り、前を歩けば上機嫌で鼻を鳴らし、尻尾を揺らす。
だが強いだけじゃないのが俺の自慢の御主人様で、大人顔負けなほど、いや違う、大人以上に知恵の回る御主人様は街の悪徳高利貸しまでやり込める始末。その様子は痛快そのもの、街中をデカい顔して歩いていたロクデナシどもがやり込められて背中を丸めている様は大いに笑ったものだ。
俺は正義感なんて御大層なものは持ち合わせちゃいないが町に俺らみたいなヤツらが住みにくくなるようなヤツを排除するのには大いに賛成だ。最近では王都に次ぐ様々な情報がこの町でも飛び交うようになった。
金になるからだ。
ここの話を耳にした同業者のヤツらが俺の噂を聞きつけて新鮮で面白いネタが入るとソイツを売りつけにくるのだ。寝ぐらをここ、グラスフィートに移したヤツもいる。そこそこ腕の立つヤツには連絡の取り方を聞き出してあるんでたまにチップを弾んで仕事を手伝わせることもある。マルビスがある程度信用できそうなら契約を結んで俺の下に入れても良いと言っていたが、それほど飛び抜けたヤツはいない。
無論、一攫千金を狙ってプレミア価格がついている御主人様のここでの情報を仕入れて王都で高く売りつけようとしているヤツもいる。
ただガッチリと様々な仕掛けや屈強なヤツらを配した御主人様のところの情報は殆ど出回ることはない。それも当然と言えば当然、何事も命あっての物種、ある程度のリスクは仕方ないにしても御主人様のソレを手に入れるには王都の城に忍び込む以上の危険を犯すにも等しい。貴族連中に魔王と恐れられている御主人様に手を出して、目をつけられればあの悪徳高利貸しの二の舞だ。賢いヤツなら敵に回すより金払いもいい御主人様達に有益な情報を売りつける方が良いと判断するだろう。
そんな理由もあって向かうところ敵なし状態の御主人様だが本人に自覚はまるでない。
相変わらず自分はたいしたことはないと思っているフシがある。
何かにつけてみんなのお陰、私一人では何も出来ないと宣う。
あの自信の無さはどこからきているのか甚だ疑問ではあるが、だからこそあれだけ大勢のヤツらをタラシ込んでいるとも言えるだろう。
大概の実力者達には自信家が多い。
だがそれはその下の者達にとって恐れ慄く理由や高飛車な態度が鼻につき、避け嫌う要素にもなる。
御主人様にはそれがない。
自分を慕い、従う者を決して自分の下に見ない。身分に関わらずにだ。
己を助け、手伝ってくれる味方として受け入れる器のデカさ。
自分より遥か上の存在と認める相手に対等に扱われれば調子に乗るヤツも多い。普通ならバカにされてもおかしくないのだが、それが御主人様の恐るべきところ、圧倒的な功績と文武の力で下に見ることを許さない。
御主人様の屋敷の隣に魔獣討伐部隊緑の騎士団支部の設立が決まり、移動してきたヤツらの殆どは御主人様の親衛隊だ。ここまで来ると新興宗教の教祖に近い。最近では俺をバカにしていた昔の同僚達は俺を嫉妬の視線が入り混じった目で睨み据えてくる。特にこの腕につけた御主人様の瞳の色、エメラルドの入った腕輪が羨ましくて仕方がないようで、俺がソイツを見せつけるようにしてやると歯軋りするのがたまらなく愉快だ。
そして、御主人様が第一王子のパーティ出席のために向かった折に問題の事件は発生する。
ここ、グラスフィート領の監獄と町の娼館でボヤ騒ぎが発生し、複数の罪人が殺害され、屋敷に賊が侵入した。
その日にこの二つの地で起こった事件には共通事項があった。
御主人様が吊し上げ、牢獄にブチ込んだあの高利貸し連中に関わりのあるヤツらばかりだ。俺は嫌な予感がして速攻でガイアに跨ると団長の屋敷に滞在している御主人様のもとに駆けつけると王都でも同じ件に関わった連中が殺されているという。これは只事ではない。
この国で御主人様に面と向かってケンカを吹っ掛けるようなヤツは少ない。
賢いヤツなら好き好んで『魔王』を敵に回そうとはしないからだ。
ガイアでは王都を走るのに目立ちすぎる。
俺は団長にガイアを預けて代わりの馬を借りるとすぐに以前からの馴染みのヤツに渡りをつけ、情報を集めたが目ぼしいものが集まって来ない。マルビスからいつもの倍の資金をふんだくって来たものの、その肝心の情報がないのではそれも買取ようがない。仕方なしに団長の屋敷に一旦戻るとロイとマルビスが俺を待ち構えていやがった。
「ガイ、申し訳ありませんが、今夜のパーティに出席をお願いします」
散々嫌だと喚き散らし、俺が逃げていたのを知っているくせに満面の笑顔でそうマルビスは宣った。
俺は顔を引き攣らせながら速攻拒否をする。
「嫌だって言っただろっ、あんな場所死んでも行きたくねえっ」
「貴方以外にいなんですよ、間違いなくあの場所でハルト様をお守りできる者が」
即座にロイに返された言葉に俺はすぐに拒絶ができなかった。
御主人様の護衛。それは招待状が来た時にも言われたことだ。
だが、御主人様は来なくていいよと言っていた。
一度口にした約束を違える人ではない。
マルビスが小さく溜め息を吐いて口を開く。
「今夜のパーティでは他国からの姫君が参加なされます。ハルト様への輿入れを狙って。そこで急遽ロイとイシュカ、私の三人がその虫除けのために婚約者としての立場を賜ることになりました」
そんなことになっていたのか。
確かに御主人様の功績を見ればそういう話が持ち上がってもおかしくない。まさか三人の年上の男を婚約者に仕立てねばならないほどとは思わなかったが。
「ですが、ロイと私では彼の方の護衛は出来ませんし、貴族の位も持っていません」
「だから俺も持ってねえって」
「団長がこういうこともあろうかと緑の騎士団団員名簿に休職中として登録し直してくれてあったそうです。だから問題ありません」
また余計なことを。
ロイの言葉に言い逃れが出来ない事態を把握する。
「それでも無理だって、俺にはああいうところに着ていく服も・・・」
「ああそれなら大丈夫ですよ、こちらに」
そう言ってマルビスが差し出してきたのは一着の黒いタキシード。
「こういうこともあろうかと密かに用意しておきました」
なんでそんなモンがあるんだよ。
「サイズは合っているはずです。それともハルト様が間違いなく安全であるという情報でも持ち帰って頂けましたか? それならそれで問題ないのですが」
痛いところをついてきやがる。
いや、マルビスは嫌味で言っているわけではないのだろう。
それだけ必死なのだ。
「強制は致しませんよ。ハルト様はこのことについてご存知ありません。無理強いをなされるような方ではありませんからね。貴方は自分がやりたくないと思えばフラリとどこかに逃げてしまいますし。
ですが、できれば私達は貴方に行って頂きたい」
そう付け加えられて押し黙る。
そりゃあそうだよな、あの男前な性格だ。
自分の都合が悪くなったからといって約束を違えるような人ではない。
ロイは俺に向かって静かな口調で言った。
「無理なら無理と仰って下さい。すぐに代わりの者を団長にお願いせねばなりません。ハルト様はお強いですが自身に向けられる殺気というものに鈍感です。彼の方に危険が及ばないとも限りません。団員達には王族の方々、多国の姫君の護衛任務もあります。そちらが優先される以上ハルト様のお側に半端な者をつけては・・・」
「わかった。行くよ、行ってやる」
それを言われてはもう断れなかった。
確かにあんな堅苦しい場所に行くのは面倒だ。
だが、ロイの言うようにいくら陛下に重用されているとはいえ、たかが『伯爵位』、王族や他国の姫君の安全が優先されるのは間違いない。しかもあの強さに似合わぬ無防備さ。腹黒陛下がそれを心配してイシュカを護衛につけたぐらいなのだから。
「ただし、偽名にしろ。その上で俺を知っているヤツに絶対バレないようにしてくれ。それができるなら行っても良い。今後の仕事に差し支えるのは困る」
そう俺が条件をつけるとロイのヤツは上機嫌でメイドを呼びに行く。
「勿論です。すぐに準備します。任せて下さい、普段の粗雑な貴方からは想像もつかない紳士に仕上げてみせますよ」
マルビスのヤロウ、一言余計なんだよ。
悪かったな、粗雑で。
そこがイイって言う女は多いんだぜ?
今までモテたことがねえお前にゃわからねえだろうケド。
しかしながらしっかり言葉通りに普段の俺からは想像もつかない姿に身なりをしっかり整えられ、仕上げとばかりにロイは眼鏡を外し、俺にそれを掛けた。
鏡に映っていた紳士然とした姿はとても俺には見えなかった。
実際、団長、伯爵達でさえ俺を前にして見抜くことができず、マルビスに耳打ちをされてようやく認識したくらいだった。まあ、これなら知ってるヤツに出会したとしても気付かれることはないだろう。
ところが御主人様ときたらイシュカでさえ気が付かなかったというのに俺を一発で見抜きやがった。
「ごめんね。でもありがとう。本当は少しだけ心細かったんだ。イシュカがいてくれるから大丈夫だって思ってたんだけど、今までこういう時はいつも二人一緒にいてくれたから」
こんな嬉しそうな顔を見せられると満更でもない。
だが御主人様、肝心な言葉が抜けてるぜ。
「・・・他に何か言うことあんだろうがよ」
そう、俺がボソリと言うとすぐに気がついたらしい。
「その服、似合ってる。最高に素敵だよ」
そう微笑んで俺の望む言葉を口にする。俺はニヤリと笑った。
「イシュカよりもか?」
キョトンとした目で俺を見上げる。
「どっちも同じくらい素敵だよ。だって二人は私の英雄だもの」
そう、最高の言葉を俺達にくれたのだ。
英雄か。『グラスフィート領の英雄』にそう呼ばれるのは悪い気はしねえ。
しかもカッコイイけどいつもの俺の方が好きだというとびっきりの殺し文句付きだ。
「そんなこと言ってると隣の婚約者殿がヤキモチ妬くぞ?」
揶揄うように言うとイシュカはすました顔で言う。
「大丈夫です。私は今朝山程褒めて頂きましたから」
「ああそうかよっ」
真顔でそう切り返されて俺はムッとして言い返す。
「んじゃホレッ、手ェ出せ」
そう言って右手を差し出すと御主人様は御手状態で左手を掌に乗せる。
ポケットからマルビスに渡された琥珀の指輪をその指に嵌める。
「これで俺が側に居ても怪しまれずに済むだろ? 婚約前の四番目の恋人って設定で頼むぜ?」
そしてイシュカの耳にもあるエメラルドの耳飾りを外すと自分の耳に付ける。
護衛ではなく恋人設定、多少思うところがないわけではないが貴族には家のために二十歳以上も年の離れた嫁をもらうヤツもいるくらいだ、珍しいことでもない。簡単に事情を説明し、偽名を使った上で無口で通すようにと念押しした。
すると御主人様は不思議そうに首を傾げる。
「なんでかな? 私はすぐわかったけど」
自分でさえ鏡に映った姿を見て別人と思ったくらいなんだぞ?
気付かなかったのはイシュカも同じだったようで、
「私も貴方が言われるまで気が付きませんでしたよ、印象が違いすぎて。どこかで見たことあるなあとは思いましたけど」
「絶対知ってるヤツに俺だとバレないようにしてくれって言ったらロイとマルビスのヤツが面白がって二人して手ェ加えやがったんだよ。一瞬で見破ったのは御主人様だけだぞ」
「? 私にガイがわからないわけがないでしょう」
ナニおかしなことを言っているとばかりにそう言うのだ。
俺は一瞬面食らったように目を見開くと楽しくなって笑った。
そして俺達の心配はその夜、すぐに現実となった。
いや、現実というと多少の語弊はある。
だが御主人様のトラブルメーカーぶりはここでも発揮されることとなった。
三頭のコカトリスが城に入り込んだ不審者の手引きによって来襲したのだ。
以前、俺が騎士団に在籍していた時にも酷い被害をもたらした魔鳥だ、第一王子の誕生日パーティは蜂の巣突いたような大騒ぎになった。
ここで他人事とケツを捲って逃げないのが我が御主人様だ。
即座にイシュカ達にその習性などを確認すると団長達に手伝わせ、戦闘体制を整える。
今まで御主人様は先頭切って魔法を行使しようとしなかった。
だが、今回初めて、その魔術戦闘の前戦に立った。
圧倒的な魔力量、それがもたらしたのは圧倒的な勝利。
俺やイシュカに手伝わせちゃいたが、それが必要だったかと首を傾げたくなるほどの火力でそのコカトリスを焼き払い、見せつけたのだ。
そこにいた、この国の名だたる武人達に。
自分が齢六歳にしてそれに並び立つ強者であると。
但し、やはり本人にその自覚はまるでなかったが。
とりあえず御主人様の武勇は横に置いておくとして。
俺はパーティから抜け出すとすぐに改めて調査に取り掛かった。
あれだけの力を見せつけられてはまず国内に御主人様を敵に回そうなどという怖い者知らずはいないだろう。腹黒陛下が脅しをかけてくれたようだし。御主人様の功績を妬んでいると思われる貴族のお歴々の名簿も俺の元に届いた。まずは使えそうなヤツにソイツらの探りを入れてもらうとして、いくらなんでもコカトリスを城に差し向けるのは国内の勢力、貴族では考え難い。あの陛下の不興を買っては元も子もないはずだ。
そうなると気になるのは他国の情勢。
この国は多くの小国に囲まれた大国だ。
表面上は平和に見えてはいるが敵も多い。
特にその中でも怪しいのは王都からも近いオーディランスあたりか。
あそこはイビルス半島のスタンピードの一件以来特にこの国に対する憎悪が深い。
魔獣被害は国に責任はないと近隣諸国の間でも取り決めされているし、それを利用して小国などは大国に相応しい圧倒的戦力を持つこの国の領地に魔物や魔獣を追いやって押し付けることもあるくらいなのだ。過去にはオーディランスに古代竜を押し付けられたこともある、責められる謂れはない。
だが過去とは忘れ去られるもので、今回の場合は数の桁が違う。
俺は御主人様と出逢った後で知ったのだがそのスタンピード被害を未然に防いだのは御主人様の力添えあってのことだった。罠を張り、仕掛けて捕え、共食いさせたりとあらゆる手段を講じて王都市民の被害どころか騎士団員の戦死もゼロで抑えるというとんでもないことをしでかしていた。
ウチの国の領土扱いになっているイビルス半島の魔獣来襲のせいでオーディランスの港町は壊滅状態になったと聞く。まずはそっちの国から調査すべきか。そう思い、国境を抜けて裏道に面した夜の酒場を彷徨いてみれば、まあ出てくる出てくる。本当か嘘かもわからないような噂話から復讐してやったという自慢話まで。
速攻で討伐されたコカトリスの話はまだウチの国の王都内にも広がっていなことを鑑みれば、それを吹聴しているヤツは限りなくクロに近い。ソイツの後をつけ、根城と寝ぐらを確認すると、ここ数年で麻薬による薬物被害を被った港町に出入りしているという身元不明の商人の話を聞きつけた。ウチの国に被害が出ているわけではないがどうにもキナ臭い。北の地方の訛りがあるというその商人の元を辿ると北のベラスミ帝国からではないかという疑いが出てきた。麻薬なんてものは大抵自国の国力低下、商売にあまりいい影響を与えないということもあって他国に対して売りつけることも多い。だがベラスミは雪と氷に大地が閉ざされている期間が長く、ああいったものの栽培に向いていない。あの国は国土だけは広いがたいした産業もないし、北に行けば行くほど殆ど人が住めないような地帯だ。
ならばその栽培はどこでやっている?
嫌な予感がして調べていく内にウチの国との繋がりが見えてきた。
それも関わっている疑いがあるのはグラスフィート領、御主人様の住むあの土地だ。俺は急いでそれの真偽について調べるとサキアスの実家の件で怪しいと思われていたキャスダックの存在が浮かび上がってきた。
これは非常にマズイのではないか?
オーディランスの港町が壊滅的な被害を受けたのは確かにスタンピードの一件のせいだ。だが、本来であれば港町は貿易の要、多くの騎士や兵が駐在していて当然なのだがその機能が麻痺していたのはベラスミからの麻薬流入が原因、その原料となる植物の栽培が行われていたのが御主人様の父親が管理するグラスフィート領となると・・・
思い浮かんだ未来に俺はゾッとした。
三国間戦争。
そんな言葉が頭を過ぎる。
戦争なんてモンはロクなモンじゃねえ。
あんなモンで満たされるのは殆どの場合に於いてその時の権力者の意地とプライドだけだ。一般の平民達にとっては平和な暮らしを脅かすものでしかないし、それが長引けば国力も衰え、国が荒れる。
俺は慌てて王都まで戻り、団長の屋敷に預けていたガイアを受け取るついでにオーディランスで知ったコカトリスの件についてだけ情報を流すとすぐさま御主人様の屋敷まで急いだ。
マズイなんてモンじゃねえ。
これは一歩間違えれば御主人様の上にも間違いなく火の粉が降りかかる。
俺は休む間も惜しんでグラスフィート領まで舞い戻った。
久しぶり、といっても二週間もない期間だったが俺を待っていたのは御主人様の熱烈歓迎だった。
思いっきりジャンプして抱きついてきたその勢いで俺は後ろによろめいた。
ぎゅうぎゅうとしっかり首根っこにしがみつく御主人様を抱え直す。
「ずっと貴方を待っていたのですよ。夜になると通りがよく見えるベランダから、遅い時間まで。もう五日になります」
そう、ロイに伝えられて悪い気はしなかった。
一向に離れようとしない御主人様の背中を軽く叩いて抱きしめる。
「・・・悪い。心配かけた」
キマリが悪そうにボソリと俺が呟くと御主人様は小さく首を振る。
「ガイが戻ってきてくれたならそれでいいよ」
「明日は収穫祭だ。たらふく酒を飲ませてくれる約束だったからな、帰ってくるさ。何があってもな。それにここには俺の大好物がある。
作ってくれるんだろ? いつものヤツ」
祭りには地下の倉庫に保管されている酒を放出してくれると言っていた。
それに俺の大好物、ハニーフレンチトースト。
甘い蜂蜜を滴るほどに垂らし、焼けたバターの香ばしい匂いも最高の一品。
「うん、好きなだけ作ってあげる。お帰りなさい、ガイ」
俺はその言葉に目を丸くする。
そうか。
ここには俺の帰りを待っていてくれるヤツがいる。
「ああ、ただいま。俺の御主人様」
俺はそう告げるとすぐにイシュカに伯爵を呼びに行かせてその間に空きっ腹に俺の好物を詰め込んだ。
伯爵がやって来たところで調査内容について伝えると全員の顔色が曇る。
それも当然だろう。
色々とあったものの折角ここまで順調に進んできた開発事業。
これが明るみに出れば伯爵の責任問題にも問われ御主人様を引きずり降ろしたくて待ち構えているヤツらにとって最高のネタになる。
御主人様の即断即決、迅速な対応は父親に似たのかどうかは定かじゃないがすぐにキャスダック子爵邸行きを決断した伯爵を送るためについて行くという御主人様はすぐに屋敷周辺とその近辺の警備人員を増やすように手配した。足りない人員は団員から借りて。もともと団員達の大多数は御主人様贔屓のヤツばかり、帰ってきたら今度メシを御馳走するからという言葉に我こそはと争い始める始末。放っておいても率先して見回ることだろう。同時にロイを兵舎に走らせキャスダック邸に追いかけてくるようにと手配をすると同行した伯爵の護衛より先んじて獣馬で出発した俺達の前方に火の手が上がっているのが見えた。
マズイ、既に証拠隠滅に掛かられたか?
山が近い、下手をすれば山火事にまで発展するだろう。
この土地は手付かずの山々が多い、一度そっちに火がつけばあっという間に燃え広がる。ヤバイと思ったのは俺だけじゃない。すぐに水属性持ちの御主人様とイシュカはそっちも消火に向かい、俺と伯爵はキャスダック邸に急ぐ。追いかけて来た兵の中で水属性持ちはそちらに向かわせることにして。
到着したキャスダック邸は不自然なくらい静まり返っていた。
それもそのはず。屋敷の中の人間は皆殺しにされ、既に冷たくなっていた。
生存者と侵入者を探している内に伯爵の兵達が到着し、現場検証と証拠探しを任せると俺と伯爵は水属性持ちを引き連れて火の手が上がっていた村へと急いだが、到着するとそこは御主人様が村人達に手伝わせ、既に消火を終えていた。
山火事から村を救った御主人様はいつもの如く通常通り、自分はたいしたことをしていない、むしろ畑を一区画犠牲にしたと伯爵に頭を下げている。そしてその問題の栽培に関わっていた者達は既に殺害されていた。
その後の調査は伯爵の管轄、帰りに湖の周辺捜査を自分の部下に頼むと御主人様は屋敷に戻った。
職人の中に密偵と思わしき人物も見つけ出し、俺らより先回りできた理由も判明した。ランプを使い、合図を送ることで向こう岸の仲間に連絡していたのだ。
俺はマルビスに酒をタカリ、十本ほどせしめると、御主人様が収穫祭に出掛けている内にその内の半分を持って件の密偵と思わしき人物のところに赴いた。
料理長に作らせたツマミを幾つか持って。
特徴は聞いていたのですぐにわかった。
北の地方出身の白い肌、僅かに残った消しきれていない訛り。そして職人とは違う歩き方。ヤツらのそれに似せてはいるが明らかに足音が小さく、体の使い方も違う。
おそらく密偵に違いないだろうが、疑って見ない限りは気付けない程度にまで馴染んでいるあたりがそれなりに腕が立つヤツなのだろうと思わせる。俺は馬鹿話をしながら様子を見ていたがそれ以上のことはわからない。目をつけられているとわかっているからにはそう簡単に尻尾も出さないだろう。
そのツラを確認したところで屋敷に戻って陽当たりの良いリビングで昼寝をしていると来客がやって来た気配がして不意に目を覚ます。
あの独特の足音、多分獣馬だろう。
そうなると多分団長か連隊長あたりか。
昨日は確信を避けてロクな情報も渡さずコッチに戻って来たし、おおかたその情報が一刻も早くほしくて押しかけて来たのだろう。まだ御主人様も伯爵も戻って来ていない。
俺の出番はまだ先だと昼寝の続きを楽しむことにした。
そうして夕方、密談会議に必要な面々が揃ったところで俺は呼ばれた。
事情その他の調査結果を伯爵が説明すると俺は俺で昼間見てきたヤツについての見解を報告する。やたらと責任感が強いらしい伯爵は死にそうな顔で自分を責めていたが、これはどうみても伯爵の責任ではないと思う。普通なら下のヤツに責任を押しつけてバックれてもいい案件だ。
ただウチの国での被害が殆ど出ていない理由の調査は入っていると思われるし、御主人様の関与についても既に調査済みの可能性がある。それを考えると職人の中にオーディランスの密偵も潜んでいないとも限らない。御主人様の警護と見回りは強化すべきだと提案する。命の危険というより誘拐、もしくは向こうの国からの王侯貴族との婚姻の提案ってとこが妥当だろうが、まあウチの御主人様はそう簡単に誘拐されるタマじゃねえことを考えれば向こうへの婿入りかこちらでの嫁取りの方が確率的に高いだろうから婚約者をできりゃあもう一人二人追加しといた方が良いかもしれないと進言すると御主人様は目を丸くした。
「簡単に言わないでよ。そんな物好きそうそういないよ」
やはり自覚はない。
自分がどれだけ注目を浴び、周囲からその正妻、側室の座を狙われているか。
「そう思っているのは御主人様だけだ」
俺がニヤリと笑ってそう言うと、ロイはすぐさまその候補を上げる。
「もう一人ならテスラでしょう。後は・・・」
その辺が妥当だろう。アイツなら特に問題もない。
親戚縁者もいないし揉めることもない。
何よりアイツもハルスウェルト教団の信者の一人だ。拒むはずもない。
すると今度はロイが更にその視線を俺に流した。
思わぬ飛び火がきたものだ。
「俺っ? 俺は駄目だ。縁が切れているとはいえ、御主人様と繋がりが出来てそれが親父にバレたらシャシャリ出て来ないとも限らない。商魂がかなり逞しくてガメツイからな」
俺を家から追い出したあの親父に思うところは既にないがアレが絡んでくるとかなり面倒なことになるだろう。それに親父はまだしも上の兄貴達のツラは見たくもねえ。俺より出来が悪かったくせに僻み根性ばっかり強くて俺が家を出てからも余計なチョッカイを何度かかけられた。
まあそれも騎士団を辞めた時点で無くなったが。おそらく兄貴達は俺がどこかでのたれ死んでいると思っているだろう。そのままにしておいた方が面倒がない。
「バレなければ良いのか?」
そう思っていた俺に連隊長がそう尋ねてきた。
言われて考えてみればそれが可能なら特に問題はない。御主人様のところは居心地もいいし、実家に足取りを追われたり、居場所がバレるのがイヤだったこともあってもともと結婚する気は皆無だったし、養子縁組みたいなもんだと思えば拒む理由もない。
結局テスラも断ることはなく、俺は連隊長の縁戚に養子に入ってから御主人様に婿入りすることになった。
御主人様は意見を聞かれることも殆どなく、またもや二人の男を婚約者にさせられたことに葛藤しているようだったが拒絶しなかったことを思えば絶対イヤだというわけではないのだろう。御主人様の意思を尊重しないことには罪悪感を感じないでもなかったが、この先のことを思えば十代半ばの婚期を過ぎた五人の男を婚約者につけておくのはこの地に留まりたい御主人様にとって悪い話ではない。
相応しい相手が見つかった場合でも御主人様のネームバリューを思えば全員と婚約破棄したところでたいしたキズにもならないだろうし、そのまま俺らが側室に下がったとしても事業の中核を担う側近達を側に止め置くためと解釈されるだろう。心配するほどでもない。
御主人様の件が片付いたところで改めて三国間での戦争にも発展しかねない事態をどうするかという話に戻すと俺達の話を聞いていた御主人様がまたしても提案を持ち出してきた。
近隣諸国を巻き込んでの水道工事及び運河建設による問題のすり替えと新たな国と国との契約という名の利害関係を一致させることによる和平条約の締結。
またとんでもないことを・・・
だがだからこそ御主人様の側は面白いのだ。
この提案は即座に書類に纏められ、異例の速さで城の議会を通り、決定された。
御主人様の学院在学中の講義とベラスミへの同行と引き換えに伯爵の罪の揉み消しを条件に。
ベラスミが雪に閉ざされる前にと使者がすぐに派遣され早々に出発となったのだが、見張りをつけていた御主人様が王都に行った時にも動かなかった密偵がこの時に動いた。
俺は見張っていたヤツらと連携をとりながらその男を追いかけた。
そこで判明したのはオーディランスで起きていた麻薬汚染は一塊の商人の所業ではなく、ベラスミ国家の上層部が関わっていた、という事実。
ソイツはベラスミに入国するとまずは取引商人のところへ、そしてその商人の屋敷から出てきた遣いは麻薬の加工場へ、ヤツは夜がふけるのを待ち、闇に紛れて行動を起こし、入って行ったのはベラスミ帝国の宰相宅。そしてその黒幕と思われる宰相の屋敷を出た後、男はその足で麻薬の加工場へと向かった。
全ての証拠を隠滅するために。
夜の闇に紛れて動き出した男は麻薬の加工に従事していた受刑者達を殺害し、証拠を隠滅した後に出てきたところを捕まえるとすぐに服毒自殺を図ろうとしたんで、すぐに解毒剤を飲ませて猿轡を噛ませ、屋敷に戻ってきた。
すると屋敷にはこの件の黒幕と思われる宰相が滞在していた。
とりあえずベラスミの宰相のみを引き剥がし、事情説明及び釈明をさせようと御主人様とイシュカがヤツを引っ掛けるための策を練る。
「んじゃまあ早速。朝から仕掛けてみましょうか。ね、イシュカ。
ガイ、ライオネルも力を貸して」
そう言って説明された手段を聞いて俺はニヤリと笑う。
なるほど、それならヤツも慌てずにはいられまい。
御主人様達が出て行った後、暫くしてから俺とライオネルは動き出した。
証拠隠滅をしてホッと息を吐いているであろうベラスミの宰相を引っ掛けるために。
俺は厨房で朝飯を受け取るとベラスミの宰相がやってくるのを待つために地下の酒蔵で待機する。
一人、また一人とウチの国のお歴々が各自屋敷の中庭を回って厨房の戸口から倉庫を抜けながら折り畳み椅子や机を片手に酒蔵への階段を降りてきた。人目を忍んでくるだろうからと長期戦覚悟故だったのだろう。それらを地下の酒蔵で組み立て、朝食が運ばれてくると皆椅子に座ってメシを食い出した。それからすぐにライオネルがヤツを引っ立てて階段を降りてきたのでソイツを床に転がしてメシを厨房にもらいに行った。
どうせすぐには来ないだろうと思っていた予想に反してベラスミの宰相はノコノコとすぐに現れた。
ロイとイシュカにひっかけられたらしい。
俺達の姿を見て自分が罠に嵌められたことを悟ると観念したのか全てを語り出した。話を聞けば一方的にベラスミが悪いとも言えない状況、しかしながら国を憂いて起こした行動とはいえ取った手段は最悪だ。だが決してウチには迷惑をかけないと告げ国の民のために是非とも運河建設を実現させて欲しいと土下座した。
そこで提案されたのはまたもやスケールのデカイ話。
この二人が罪を全て被る代償として提示されたのはベラスミでの新しい娯楽施設の建設。国を併合することで起きると思われる民族的な摩擦や統治をベラスミの土地や民について詳しく知るコイツら役に立ってもらおうというのだ。たいした度量、いや、図太さだ。
それを聞いて呆れたような大きな声で疑問符を叫んだのは両国宰相と我が国の双璧、そして第一皇太子殿下。
また面白そうなことを考えていやがる、ウチの御主人様は。
「勿論すぐに、というわけではないですよ? ウチのリゾート開発事業が優先ですし。
マルビスとテスラ、連れて来ましょうか?
貴方達も、もう逃げ出したり危害を加えようとしたりはしないでしょう?」
そうベラスミの二人が尋ねられるとヤツらは理解が追いついていないのか無意識に首を縦に振り、床の上に座り込んだまま瞬きもせず目を見開いて御主人様を見上げている。
そうしてやってきたのはマルビスとテスラの二人だ。
昨日テスラがマルビス達に渡したという資料を持ってやってくるとその詳細について語り出し、その企画書が順番に説明とともに回される。
地元に根付いた地元民による開発。
こういうものは余所者が手掛けては受け入れられにくいものだ。
雇い入れも現地が基本、全員の寮を作るとなると経費も嵩むからだ。確かにこれを実行しようというのならこの二人はおおいに役に立つ。なにせ自分の進退、命まで賭けて救おうとした国が変わるキッカケにもなり得るものだ。
こうして御主人様はまた二人の信者を増やし、益々向かうところ敵なし状態。
俺は一旦素性を探られ難くするためにゲイルのところに養子に出てから連隊長の縁戚に更に養子に出され、年明け前に姓を変え、御主人様の婚約者の一人となった。
ガイリュート・ラ・マリンジェイド。それが俺の新しい名前だ。




