第二話 一歩でもその先へ。
運河に沿って道も整備され始め、道行きも若干楽になった。
悪路を進むことを想定して今回はノトスにテスラと二人跨り、ベラスミへと向かう。
途中の村で班を四つに分けて食事を取ったが、それでも陽もあるうちに別荘到着となった。
想定より多い人数で押し掛ける結果となったのだがジュリアスは一瞬驚いたように目を見開いたが、その後すぐに広間の奥の物置から他の幹部と一緒に十五組の布団を引っ張り出してきたのには驚いた。
「冬になれば使者や作業員が帰れない状況もあり得るかと思いまして」
そうジュリアスが言った。
さすが大幹部、ゲイルに次ぐマルビスの懐刀だ。
広間にはベッドが足りない分だけの布団が運ばれてきて隅に置かれ、追加で付いてきた団員達は固い床で雑魚寝を免れ喜んだ。食材も作業員達の明日の昼食分から回してくれて、追加分は朝に持ってきてもらうように手配もしてくれた。
早速ロイとテスラに夕食準備を手伝ってもらいつつ、イシュカ達団員にはケイと一緒にまずここから近い浅い洞窟の調査に向かい、ガイは私の護衛という名目の居残り、ライオネル達には別荘周辺の安全確認に出てもらう。
明日には問題の崖崩れで見つかったという洞窟の様子を見に行かねばならないし、今日は夕飯食べたら早目に温泉に浸かって眠るとしよう。
戻ってきたイシュカ達とライオネル達に異常がないことを確認するとロイとテスラが団員に手伝ってもらいつつ広間に鍋ごと食事を運んでくる。テーブルは流石に足りないので床に直座りの直置きだ。
ウチでは特に珍しいことでもないし、遠征時にはよくあることだという団員達も気にすることはない。今は夏だし冷たい床板が気持ちがいい。
団員達には交代で夜警をお願いして食事が終わるとサッサと私達は四階に上がる。
男の裸にも見るだけなら前回の年末年始の休養でだいぶ慣れ、極力視界に入れなければのぼせるようなこともなくなった。
温泉に浮かれていたつもりはない。
ないのだけれど、ここ最近物騒なことも殆どなかったので忘れていたのだ。
私が厄介事を引き寄せる、トラブルメーカーであることを。
魔獣被害というものは予言なく突然襲ってくるものであるということを。
私は団長やイシュカ、ガイのように危機を察知する能力に欠けている。
団長にその理由を以前、魔力量が多いせいではないかと指摘された。
猫が鼠を恐れないのと一緒だろうと。
だが窮鼠猫を噛むという諺もある。
何事も絶対ということはない。
百パーセント保証は滅多にないのだ。
だからこそ私は今まで極力用心深く立ち回ってきたし、ズボラで大雑把な自分の穴を埋めてくれる人達を探してきた。
一人でできないことも多くの人間が集まれば可能になることが多いからだ。人には向き不向きがあるし、私にはロイのような気遣いも出来ない。マルビスのような商才も持っていない。多少記憶力は良かったが、それも人並みよりちょっとだけという程度で直感と雑学というべき知識を繋ぎ合わせているだけでしかない私はテスラのような手先の器用さや物事を論理的に組み立てる能力にも欠けている。サキアス叔父さんのような頭脳も、キールのようなセンスも持っていなければイシュカのような戦闘力やガイのような危機回避能力や情報収集力もない。
何もかもがナイナイ尽くしの私だが彼らに唯一勝っていると言えなくもないが魔法の扱い方と制御力、そして魔力量、魔法の使用に関することだ。
ところが私はこの圧倒的魔力量を使い、魔獣を倒したことは殆どない。
これを温存しつつ闘うことで私は常に逃げ道や安全を確保してきたと言ってもいい。
どんなに強力な魔法でも適切な方法で使用しなければ効き目は薄いし、躱されないというわけではない以上絶対を保証するものではないからだ。
用心深いといえば聞こえは良いが要するに臆病なのだ。
実際、持っている図太さに不似合いなビビリのところが私にはある。
そりゃあ人には得意不得意があって、世界チャンピオンの格闘家が奥さんの尻に敷かれていたり、威張り散らしている上司が犬が苦手で両手に乗ってしまうような子犬に吠えられて怯えて逃げる、そんなことだってある。
私にとって正体不明なものとか、幽霊、初めて見たものとかがそれに当たる。
逃げ場がなければ胆も座る。
怒りに支配されれば負けん気が顔を出す。
正体と対処法がわかってしまえば落ち着けばいいだけの話。
月の明るい夜ならまだマシだし、誰かが一緒であれば気も紛れる。
だが魔獣や魔物は夜の闇に紛れて本来動くものなのだ。
今までの私は多少の差異はあったけれどそれらと相対するとき、殆どの場合において時間という猶予があったし、どういうものかわかっていれば覚悟も出来た。
自ら乗り込むことで優位な立場を取る手段も使ったりした。
夜や闇で力が増す生き物に本領を発揮されないよう、極力迅速速攻を意識した。
罠や作戦、魔物の性質や特性などを見聞きして、対処してきたのだ。
そしてなんとかなってきていたのだ、実際に。
だからこそ驕りがあったのかもしれない。
天才だ、至宝だ、魔王だと煽てられ、冗談じゃないといいつつ、調子に乗っていたのかもしれない。
ベラスミの別荘付近は驚くほど静かだ。
山に程近く、辺りに民家はなく、人里から少し離れているというせいもある。
近くに流れる川の支流は蛍が飛ぶほどには澄んでいる。
夜の静けさにぐっすりと眠っていたはずが、不意に外での喧騒に気が付いて目が覚めた。
何?
この声、この騒ぎ。
それに横で眠っていたはずのロイが、イシュカがいない。
屋敷より一回り大きなサイズのベッドは三人で眠っても充分にあるゆとりで、屋敷のような防犯設備が整っていないからと理由付けされ、大概誰かが眠る時は一緒なのだ。
イシュカやガイは特に顕著だがロイやマルビスも人の気配に敏感だ。
そういうものに鈍い私に対する危険防止の意味もあるのだろう。屋敷外において最近では気がつくと私の隣では側近の誰かが眠っていることが多い。
なのにその二人が揃っていないというのは明らかにおかしい。
外から聞こえてくる物音に何か関係があるのだろうかとのっそりと起き出し、窓から見下ろした庭に見えた光景に一瞬にして体中の血が凍りついた。
ナニあれ?
そこには庭を這いずる手脚のない長くて青白い体。
胴回りは大人の腕も回らないような太さのそれは庭の大木の前にいるイシュカとライオネルの前でその頭を上げ、威嚇していた。倒れている大勢の団員達、傷だらけになって気配を殺し、後方で隙を窺っているガイの姿がある。
蛇だ。それもとてつもなく大きい。
瘴気を放っていることからすればおそらく魔獣や魔物の類い。
団員達は決して弱くはない、私よりも余程戦闘経験も豊富な猛者だ。
なのに、その団員達が傷付き、地に倒れ伏している。
圧倒的存在感。
私が今まで倒してきた魔獣や魔物と格が違うのはわかった。
私はギュッと拳を握る。
あんなの戦ったことなんてない。
日本の神話の中にも出てきそうなその姿に恐ろしくて足が竦む。
だけど、そこに大事な、守るべき人の姿がある。
私は枕元に置いてあった自分の二本の剣を掴むと扉に向かって走り出した。
まだ間に合うはずだ。
きっと間に合う。
イシュカも、ガイも、ライオネルも、ランスやシーファだってみんな強い。
だが飛び出そうと手を掛けた扉は・・・
開かなかったのだ。
そして気がついた。
私は確かに気配を感じ取るのは苦手だし鈍い。
でもこんな騒ぎが近くで起こっているのに気が付かないほど鈍くはない。
あれだけの戦闘が繰り広げられているのに音が小さいのだ。
この部屋は結界で守られている。
私を外に出さないよう閉じ込めているのだ。
イシュカ達は外で戦っている。
だとすれば当然この結界を張っているのは・・・
「ロイッ、テスラッ、ここを開けてっ」
私はドンドンと扉を叩き、叫び声を上げる。
「行ってはなりませんっ」
やはりだ。扉の向こうからロイの声が聞こえた。
私は更に強くそれを叩く。
「イシュカが、ガイが、ライオネル達がっ、お願い開けてっ」
傷ついて、倒れているんだ、すぐそこに。
早く、早く行かなきゃ。
焦る私の耳にテスラの声が届く。
「アレは今までの魔物とは格が違いますっ、俺達は貴方を戦わせるわけには行かないっ」
「そんなのっ、見ればわかるよっ、だからっ、だから私が行かなきゃっ」
「だからこそ私はイシュカに、団員に、絶対ここを開けるなと言われましたっ」
ロイが叫ぶようにそれを私に告げる。
「貴方の御身は私達より遥かに大事なのですっ、団員達が貴方を頼らなかったのは万が一の場合はその身を呈して貴方を護れと陛下から厳命を受けているからですっ」
・・・そんなの知らない。
聞いてない。
「貴方は私達の、いいえ、国にとっても無くしてはならない存在ですっ!
貴方がいなければ折角結ばれた国家同士の国交関係や条約も破綻しますっ、貴方がいなければグラスフィート領の開発も運河開通も、水道工事設備も滞ってしまう可能性がある。私達は貴方を決して失うわけにはいかないんですっ」
ロイの言っていることが理解できないわけじゃない。
だけどそれは私の大事な人達を守りたかったからしたことだ。
私がこんなふうに守られてたくてやったことじゃない。
こんなところに閉じ込められ、仲間がすぐそこで傷ついているに、助けに行けない。
ただ安穏と最大とも思われる危機から守られたいわけじゃない。
倒れている仲間のために駆けつける。
そんなことも許してももらえないような、こんな状況を作りたくてしたことじゃない。
ロイの怒鳴り声にも似た、だけど苦しくて胸の奥から搾り出すような声が聞こえた。
「お叱りは後で、どのような罰もお受け致しますっ、ですからどうかこのままっ」
「いやっ、絶対にそんなの嫌っ」
この世界で手に入れた大切な人達。
私のことを誰よりも大切にしてくれようとしてくれる人達。
私がこれまでどんなに怖いと思える魔獣達を前にしても踏ん張ってこれたのはイシュカが、ガイが支え、みんなが一緒に戦ってくれたからだ。
なのに敵が強大だからってここでそんな彼らを見捨てていいはずなどない。
彼らの生命を盾にしていいわけなどないのだ。
「私は誰にも私の犠牲になんてなって欲しくないっ、誰かの屍の上に立ってまで生きていたくなんかないっ、誰かをっ、私の大事な人達を見捨てたら、私は私じゃなくなっちゃうよ、だからお願いロイッ、ここを開けてっ」
返ってこない返事。
開けられることのない扉。
それがロイの、テスラの答えだ。
わかってる。
本当はロイとテスラだってこんなことをしたくないはずなんだ。
屋敷の四階に住まうみんなは私の家族にも等しい。
この一年、ずっと一緒にいた仲間を見捨てていいなんて思っているはずない。
でも二人は選択した。
陛下に命令されたからというだけではない。
全ては私を守るために。
私が弱いから、犠牲になることを選ばせた。
私がもっと、圧倒的な強さを示していたら、
私がもっと、己の知識に驕ることなく戦っていたら、
みんなにこんな選択はさせなかった。
これは私の罪だ。
ならば私は私のやってきたことに対して責任を負うべきだ。
私は二本の剣を鞘から抜き、峰打ちで構える。
「わかった。二人がここを開けてくれないなら私それでもいいよ」
ゆらりと立ち上る蒸気にも似た空気の揺らぎ。
それが握っている剣を伝い鈍く光る。
剣は魔石と違って魔力を止めておけるわけではない。
だが金属は放った魔力で強化される。
これが同じ剣でも使うものによってその発揮される能力の一つと言われている。
だからこそ団長や連隊長は無類の強さを発揮する。
そして滲み出た魔力はその内包する魔力量によって他者を圧倒する。
殺気と同じ原理なのだが、私は今まで大概の場に於いて自分の価値を低く見せるため使わなかった。
私は兵器ではない、人なのだ。
他者を圧倒する必要などない、魔物に気配を悟らせるのは得策ではないと。
でも、もし私が私の大事な人を守ることができるなら私は兵器で良い。
だって何より大切なんだ。
私が手に入れた、欲しくて欲しくてたまらなかったものなのだ。
誰かのついででもなく、ふとした瞬間にでもなく。
私を一番に思ってくれる人達。
可愛げのない私を、誰よりも可愛いと言ってくれる。
抱き上げて『ただいま』と言ってくれる大事な家族なのだ。
生命を賭けて守ろうとしてくれる大切な人達。
絶対に無くせない。
彼らが私のために生命を賭けて闘ってくれるというのなら、
私も生命を賭けて守ってみせる。
絶対に。
その魔力の放出による揺らぎを、存在感を感じ取ったのか扉の向こうから二人の私を止める声が聞こえてきた。
「お止め下さいっ」
「駄目ですっ、ここで大人しくしてて下さいっ」
更に結界に魔力を流し込まれたのか結界が鈍く光った。
駄目だよ、二人とも。
その程度じゃ本気の私は止められない。
「無駄だよ、ロイ、テスラ。知っているでしょう? 私の魔力量」
確かに二人の魔力量は一般の平民より多い。
だけど二人合わせても三千そこそこ、私の半分にも満たないのだ。
そしてそれが何を意味するのか二人がわかっていないはずがない。
「二人じゃ、ううん、私が本気になったらこの国の誰の結界も無駄なんだ」
圧倒的魔力の差がもたらすもの。
ロイが私に教えてくれたんだ。
本からは知ることが出来なかった、それは知識だ。
私には容易にロイやテスラの結界を破ることができる。
でも二人には私の結界は簡単には壊せない。
私は何度も結界を張ることの有効性を利用してきた。
だからこそ私は三つの魔石を首から下げ、常に複数身につけるようになった。
私の魔力量は結界を利用するのに圧倒的なアドバンテージ。
体から滲み出た魔力はそれを鈍く光らせる。
「私は私の信念を曲げるわけにはいかない。
私の肩にロイの言うようなものが掛かっていると言うなら尚更、私は引くわけには行かない。仲間を、大事な人を見捨てるような人に誰が付いて来てくれるのっ」
そう言い放つと私は二本の剣を二人が張った結界を壊すために打ち下ろす。
ドンッという鈍い音が響き、その振動が伝わったのか二人が慌てて結界を解く。
「何より私は大事な人を見殺しにして、胸を張って生きてなんか行けない」
私が本気で壊そうとすれば二人の張ったそれは長く持ちはしない。
そう判断したのだろう。
そしてそれは正解だ、無駄なことと悟った二人は部屋の中に飛び込んできたけれど、私は首に下げた首飾りの一つを引き千切り、二人と自分の間に結界を展開する。
それをドンドンと叩き、二人が今度は張られた結界を破ろうとしている。
だけどそれは無駄だよ。
首から下げられるほどの小さな魔石。
一刻も待たずに魔力は切れる。
だが私がここを飛び出すまでには間に合わない。
泣きそうな二人の顔が目に映った。
「我儘でゴメンね、ロイ、テスラ」
そう呟いて微笑むと私は身体強化と速力アップの魔法をかけバルコニーの手摺りに手をかけ、一気に飛び降りる。
「ハルト様っ」
止める二人の声が聞こえた。
ここは四階、まともに落ちたら無事では済まない。
私は風魔法を使い、下に向かってそれを放ち、衝撃を和らげるとくるりと体を回転させて体制を変え地面に着地した。
裸足で飛び降りた外は小石が足の裏に体重で食い込んで痛んだ。
走れっ!
そんな痛みを気にしている暇があるのなら一歩でもその先へ。
まだ間に合う、絶対に間に合わせてみせる。
私は全速力で庭を駆け抜けていった。