第百二十七話 駆け引きも悪巧みも会議の後で。
早速翌日、朝から明日迎える賓客達のため準備に取り掛かる。
マルビス達商業班は朝一で食材の仕入れを済ませると幹部達を集めて会議のために三階会議室に閉じこもったので彼らの昼ご飯を作りつつ、来客用の仕込みを私達は手伝い始めた。
いつものように肉を漬け込み、スープの出汁を取ってグツグツ煮込む。サラダなどの簡単なものは寮の食堂に依頼した。後は簡易冷蔵庫に保管しておけるデザートを出来る限り用意して冷やして置くようにする。朝方父様からの文を持ってカラルが父様の屋敷まで届けてくれたので準備が整い次第あちらからも応援が来てくれるはずだ。ウチのメイド達も二階客室と使用人棟の準備に大忙し。とはいえ随分と彼女達の手際も良くなって来たものだ。
作業をする横ではテスラが筆記用具片手に止まっていた新しい商品開発の相談と私が旅行中に思いついたことなどを話し、それを書き留め、まとめている。
「そういえば昨日、なんですが商業ギルドに行った際に相談を受けまして」
テスラはロイやマルビスに比べるとあまり口数の多い方ではない。
かといって無口というわけではない。
夢中になると一気に喋り出すこともあるのだが無駄話というのをあまりしないのだ。話をふれば返事も意見もするのだが率先して喋るタイプではない。ちょっとばかり皮肉屋で、思ったことはストレートに口にするけどマルビスのように前に出るタイプではないし、ロイのように先回りして助言するタイプでもなく、ガイのように軽口を叩くわけでもない。だが聞きたいことも言いたいことも口に出してくれるので困るということはない。テスラに言わせるとマルビスは喋りすぎだというけれど特にうるさいとも言わない、所謂聞き上手タイプ。
勿体ぶったようなテスラの物言いに気になって聞き返す。
「何か重要なこと?」
「重要と言えば重要ですが、ウチとしてはたいして困らないものなのでマルビスに相談したところハルト様の判断に任せると」
重要だけど困らない?
いったいなんのことだと思ったが次のテスラの言葉に納得した。
「商業ギルドがウチの敷地内に支店を作りたいと言うのですが」
ああ、そういうこと。
確かにそれは重要ではあるけれど困らないことだが、ふと疑問がわく。
「商業ギルドって基本的に一つの領地に一つじゃないの?」
「基本は各領地の領主の住まう近くに拠点を置くものなのですが、王都などは広いですから東西南北に小さな支店があります。ここは領地としては広いですが町以外たいして必要ではなかったので今まで置いていませんでした。ですが現状、この領地で商業登録される九割以上がウチからのものですから」
言われてみればそうだよね。
父様の屋敷からならそんなに遠くもなかったけど、ここからだと片道一刻半。
ウチの領地のギルドもすごく暇というわけではないけれど、いつも人が賑わっているのは一階だけ。商業登録部署には殆ど人がいない。マルビスやテスラは父様の屋敷にいた頃は日参していたくらいだが二人とも人手や部下が増えてからは任せることも多くなった。とはいえテスラの扱うものは新商品の開発書類、一応名目上では機密事項も多いわけで気軽に他人に預けられない。信用のおける幹部にしか頼めないことが多い。だが彼らも決して暇ではないわけで。
「テスラとしてはどう? あった方がいい?」
「その方がありがたいことはありがたいです。町まで行く必要もなくなりますから」
そりゃそうだよね。
町まで馬で片道一刻半、往復では三刻。多忙なウチのメンバーではその時間は貴重なものだ。ましてテスラはまだ乗馬は得意と言えるほどの腕前ではない。
「じゃあいいよ、許可で。場所は今回の件が済んでからマルビスと相談して」
どちらにしても将来的には必要だろう。
商業ギルドは登録者であればコインロッカー的な役割も果たしてくれる。
リゾート施設オープン時には役に立ってくれるだろうし、場合によっては多少の出資をしてそういう仕事をこちらからお願いするという手もある。大量の買い物客にとって荷物預かり所というのは大変ありがたいものだ。私もよくお世話になっているし。
「即決ですね」
「あった方が便利なら迷う必要はないでしょう。みんな働き過ぎだからね、少しでも楽になるならその方がいい。頑張って今回の件が片付いたら年末年始くらいみんなでのんびり怠惰に過ごそうよ。休養もたまには必要だよ。ここにいると邪魔が入りそうだからどこかに旅行に行くか、別荘でも買って。
あっ、そうだ。ベラスミに温泉があったんだよ。ウチにもああいうのがあるといいなあ。そしたらすごく大きなお風呂作って、みんなでゆっくり浸かったり、遊んだりして。真冬にそういうふうに遊べるって最高の贅沢だよね」
私はベラスミの貸切温泉の出来事を思い出しながらつらつらとくだらない妄想話としてその他色々と旅の一つの出来事としてテスラに語った。
まさか後にこれが本当に実行されるとは思いもせずに。
一応ロイがベラスミの王城で早々に眠ったあの日に、残りのメンバーで話し合ってくれておいたおかげで王妃様二人をお迎えした時ほどの混乱もなく、順調に手配と用意は進み、無事に御一行様をお迎えすることができた。
やって来たのは総勢六十三名の大所帯。
その内、フィア直属の護衛以外は先に王都に帰還して、残りは五十一名。
ほぼ予定通りだ。滞在期間は最低三日、二日毎に延長が必要か判断されるので正直なところどのくらいまで伸びるのかはわからない。
フィアは四階で過ごすことになったが現在レインがいるために残り一部屋、団長と連隊長の二人には二本のクジを引いてもらい、当たった連隊長が四階へ、運に嫌われた悔しそうな団長とシルベスタの重鎮達は三階の空き部屋でのご滞在となった。
そういうわけで二階の客室は三つをベラスミ側で、一つをシルベスタで、邸内での護衛の宿泊場所として庭の使用人棟に十人、残り十八名は約束通り騎士団で、ついでに使用人棟の護衛達の食事も一緒に引き受けてくれた。
到着早々挨拶を済ませると、二階の広間に臨時に用意した会議場での議論と交渉が始まった。
ここではフィアや私はほぼ用無し、彼らの護衛を残して私達は四階に引っ込んで、用があれば呼びに来てもらうようにお願いした。だからといって流石にお出掛けするわけにはいかない。
因みにガイは一昨日から休みを取っているという例の密偵に現在張り付いているので不在。
実際のところ、ベラスミで運河建設で用立てられる金額は必要な予算のほぼ半分。それをどのようにしてウチが依頼する仕事を代価として補填できるかに決定の可否がかかっていると言っても過言ではない。ベラスミに作業依頼するとしても職人に手数料を支払わないわけにはいかないわけで、だが、仕事として請負うからには職人達はベラスミに税を払う義務が発生する。取り仕切る業者がそれを差し引いて職人に給金を支払うわけだが、この税金分がこちらに回される形が妥当なところだろう。
最悪私の部屋の隠し部屋に入っている金庫を借金として無利子で貸し付けるという手もあるけれど、あくまでもそれは最終手段、万が一の場合に備えて担保も必要だろう。多すぎる量に最近では渡された金貨を押し込むだけで数えていないので自分の部屋にある資産も現状把握し切れていないので足りるのかもわからない。暇を見て箱を整理して綺麗に並べ直さなければならないだろう。無造作に突っ込むには最早スペースの限界も近い。毎月王都から届けられる金貨五百枚に加えて登録使用料として月初にマルビスが金貨の詰まった箱を複数抱えて持ってくる。それ以外にもこの間城で振る舞ったオヤツが好評で多くの貴族達から問い合わせもありレシピが相当数売れた時のように臨時で入ってくる収入もあるわけで、幾らだと聞かれても沢山だとしか答えられない。
もともと私が買物は出先で朝市を漁る程度のものしかないし、研究開発費や運営費、食費などで経費で落とせるものが多いからその辺りはマルビスに任せきり。ウチの商業班が毎月動かしている金額も把握していない。膨大な金額であろうことはわかるけれど以前父様に帳簿にくらい目を通せと言われたが追われる毎日にそれもできていない。領収書は一応取ってあるけれど私個人の家計簿ならぬ収支書はロイが管理してくれている。実際は私室にある金貨は既に税金支払い済なので、この国の法律上それも必要ないといえば必要ないが、おおよそのところはロイが把握してくれているとは思う。
ただあの量の金貨を眠らせておくのは勿体無いので何かあった時のために半分くらい残して後は周辺の土地を買い足すか、運用、投資に回したいところだが、全ては落ち着いてからの話。
そして二国の重鎮とウチの経営陣が話し合いをしている間、今回のベラスミの土産話をレインとキール、フィアにせがまれて話をしたが、私の簡単簡潔過ぎる言葉ではやはり理解出来なかったようで結局イシュカが説明することとなる。西の国境でのカイザーグリズリー討伐の一件はフィアの耳にもまだ入っていなかったようだ。
「出発前日の夕方に出現情報はもらっていたんだけどね。ハルトが居合わせているなら多分大丈夫だろうってみんな言ってたよ。心配だけは一応してたけどね」
と、そうフィアが言った。
一応、なんだ?
それは信頼されていると取るべきか? 心境的に複雑なところだ。
表情にそれが出ていたのかフィアがクスクスと笑う。
「コカトリス三匹相手に無傷のハルトがカイザーグリズリー一頭程度に苦戦するとは思えないでしょう? 結果、案の定、無傷の勝利だったわけだけど」
手伝い程度で手出しをするつもりはなかったんだけどなあ。
所詮他国のことだし、みんなを危険に晒したくなかったから。
だけど、
「今回は私も吃驚だったよ。一瞬呆けちゃったくらいには。脚の筋を切るつもりがスパーンッと一刀両断だもん。ウェルムの剣に助けられたよ。立ち上がったら団長の倍以上の高さだったし、迫力満点だったから流石にビビったね」
「でも結局倒しちゃったんでしょ」
まあ結果としては、そうなるんだけど。
「ってことはまたハルトの武勇伝が上乗せされたってことだね。
ハルトってひょっとして、叔父上や連隊長よりも強いんじゃないの?」
そう言われてぴたりと私は動きを止めた。
あの二人より私が強い?
って、その可能性は皆無でしょ。ないない。
あんな歴戦の猛者達に私が勝てるわけがないでしょう?
「流石にそれはないよ。無理無理」
私が得意なのは小細工だけ。正面からやり合ったら勝てるわけもない。
「王都ではもっぱらそういう噂だよ。凄いよね、私より年下でコレだもの」
そうフィアは肩を竦めて笑う。
っんなわけないでしょ、そんな噂どこから出たんだ?
陛下が何か裏で企んでないでしょうね。
「それもいいんじゃない? 恐れられる分にはちょっかいかけようとする貴族も少ないだろうし。本来ならとんでもないスピードで成り上がると敵ばかり増えてくものなんだけど、ハルトの場合は敵だけじゃなくて味方も増やして行くからね。令嬢の潜り込みには充分注意しなよ?」
フィアまでそんなことを言いだした。
子供はお断り宣言済みだけど、そうなると未婚の適齢期女性が送り込まれる可能性もあるらしいから気をつけた方がいいと他の人達にも言われたっけ。適齢期近い女性なら普通婚約者がいるものではないのかと聞いてみると意外にもそれなりの数がいるそうだ。身分が低い際立つ美貌や才能を持たない御令嬢や上級貴族の御令嬢なら性格が悪かったり、金食い虫の贅沢が染み付いた如何にも女性らしい欲望に満ちた訳アリ物件だったりと、言いたくはないが所謂『売れ残り』でなかなか問題があるそうだ。
前世で四十手前まで売れ残っていた私が言えた義理ではないけれど。
可能性として考えるなら前者は地位的にゴリ押しできないことが多いので注意すべきは後者。自分の欲望のためなら手段を選ばないことも考えられる。男性は戦死することもそれなりにあるので絶対数的に女性の方が多いためどうしても余ってしまう。それ故の重婚可なわけらしいが、そうなると見目麗しかったり好条件の男性には女性が蜜に集る蟻のように集まることになる。だが、それでは今度は男性の方が余ってしまうではないのかと思うが同性婚を認めることでパートナーを得られる機会も増えるということだ。女性が望んで側室の立場を受け入れられるなら適当なところで手を打たれるよりも、より優秀な子供を増やすためには都合がいいらしい。
そういえば前世でも似たような話があったなあ。
動物は優秀な遺伝子を残すためにメスは無意識に強いオスを選ぶのだと。
野生であれば生き残る術を持つ強いオスを、人間社会におけるなら美貌、権力、知力、財力、戦闘力、様々な力を持つ男性に惹かれがちだと。無論付き合いを重ねるうちにその人の持つ魅力に惹かれることも多いのだが、無意識下においてそういう優秀な遺伝子を持つ男性を選ぶ傾向があると。
所詮人間も動物なのかと思ったのを覚えている。
要するに私は欲望に忠実な女性達にとって魅力的な男であるわけか。
なんにせよ、私はそういう女性に興味はない。
中身が重要なのは、なにも男だけに限ったことではないのだ。
「気をつけるよ。ただでさえ既に五人の婚約者持ちだし」
男ばかりではあるけれど。
すみませんね、眉目秀麗、才色兼備な男性達を五人も独占してまして。
言い訳かもしれませんが私は一度も頷いてないですよ?
断りきれなかった時点でその言い分も通じないでしょうが。
すると隣から声が上がった。
「その内六人になるからっ」
言わずとも知れたレインである。
諦めない宣言をして以来、レインは食事の席でも出掛ける時でも一緒の時は可能な限り私の隣をほぼキープ。小さな(とはいえ私よりはガタイがいいが)体を駆使して割り込んで、みんなの生暖かい視線を受けつつ頑張っている。それを可愛いとは思えども子供は守備範囲外の私にとって恋愛対象外なのは相変わらずなのだがレインはメゲることもない。
ニヤニヤとそれを面白そうに笑って見ているあたり、フィアにもあの腹黒陛下の血が間違いなく流れているようだ。
「へえ、レイン、ハルトの側室狙ってるんだ?」
「違うよっ、僕が狙っているのは第一席、側室じゃないっ」
揶揄うようなフィアの口調にレインは睨んで反論し、言い返す。
涙目になってる時点で迫力もなくて可愛いだけなのだがここは黙っておこう。
「まあ頑張んなよ、ライバル多そうだから。レインが諦めたら次は私が立候補しようかな」
「ダメッ、絶対。諦めないっ、絶対諦めないからっ」
これはレインで遊んでいると見るべきか。
フィアは第一王子殿下であり、次期国王陛下。
後継をもうけるためにもしっかりとした国母となれる女性を娶る義務がある。
花嫁選びはそう簡単ではないのだから。
二階会議室では真剣な話し合いが続けられているであろうけど、予算編成は私達は門外漢で専門外。フィアにしても今回の会議はウチとベラスミ間での交渉になるのであまり関係はない。のんびりとオヤツをほうばりながら結果が出るのを待っている。国家事業となれば動く単位のお金も桁が違うしそう簡単にまとまる話ではないはずだ。
昼御飯は話し合いしながらでも手軽に食べられるように毎度のサンドイッチとクレープサラダ、秋の味覚のキノコのクリームスープをカップで出すように準備しておいたけど、どうなっていることやら。
明日もこれが続くなら何を用意しようかな。
やっぱオニギリあたりが妥当かな?
具材は何にしよう。醤油と胡麻味噌を塗って焼きオニギリなんか面白いかも。そしたらおかずは何がいいかなと、そんなことを考えていると階段下で警備をしていたイシュカがマルビスから声が掛かった。
「殿下、ハルト様、ちょっと宜しいですか?」
そう声を掛けられて二人でロイと一緒に下に降りて行く。
何かあったのかと尋ねるとマルビスが小さく笑って応える。
「実はご相談したいことがございまして。会議室の方へいらして頂けますか?」
マルビスのこの顔は困ったというものではなさそうだ。
一流商人であるマルビスは人に簡単に表情を読ませたりしない。
困ったという顔をしていたとしてもそのままそれを信じてはいけない時がある。
要するに食わせ者というヤツだ。
口調、表情に誘導されて気がつけばマルビスのペースで話が進んでいるということもある。サキアス叔父さんが頭がいいというならマルビスは頭が切れるという言葉が相応しい。
会議室に呼ばれた私達はそれまでに話し合われた大まかな説明を聞きながら頷いていたが、細かい数字についてはサッパリわからない。ただこちらが持ち掛ける作業依頼に対して払える対価は運河建設工事相当に達するまで相応の時間、年単位で長くかかるらしいことは理解できた。一定数を定期的に依頼できても私達の商売は平民相手、大量発注であっても一個当たりの単価が安いのだ。そうなればチリも積もれば山となっても国家事業の資金を賄えるほどの金額となるには時間もかかるというわけだ。
そこで足りない分をどう補填していくのかが焦点となっているわけだ。
貸し付けるにしても無担保というのは避けるべきだし、だがウチとしては貴重な職人は確保しておきたい。だがウチの下請け作業だけではしれているというわけだ。
そこで浮上したのが私が昨日、テスラに話をしていた一件だ。
「確かに別荘が欲しいとは言ったけど」
冬にのんびりできる温泉付きの別荘。
憧れではあるけれど。
「ベラスミでは他国の者でも土地が買えるということなのでこの際、山を二つ、三つ買い取ってしまおうかと。当面は足りていますが、この先、対岸の施設の建設資材不足も考えられます。山ごと購入してしまえばリゾート施設建設の資材もそこから手配できますし、ウチとしてもあまり景観を崩すような木の伐採も考えものですから。遠くの領地から運ぶより、運河が出来ればそれを利用して切り出した木材を運んだ方が早いのではないかと。そうすれば更に現地で労働者を雇い、その賃金としてもウチで補填できます」
説明を聞けばああ成程と納得も出来た。
ウチの事業のメインはリゾート施設。
地上アスレチック施設は領内の木材で充分賄えたが、今後も大量の木材が必要になる。まだ六棟の寮と宿泊施設、それから水上アスレチック施設に巨大迷路、劇場やスポーツ施設、その他諸々の建築資材はどうするか。ウチの領地内の山を丸坊主にするわけにもいかないし、そんなことをすれば山の保水力が落ち、崖崩れも起こしやすくなる。折角の景観も損なうような開発は最初の定義から外れてしまう。
自然の美しさを知ってもらうための、自然を利用したレジャー施設の開発。
なのに木を必要以上に切り倒してしまっては意味がない。
手をつけるべきところと残すべきところは今までも慎重に検討してきた。それを資材が足りないからと木を無闇に切り倒すようなことはしたくない。大規模な事業にかかるのは何も資金だけのことではない、人手も必要だ。国内のそういった下請け作業者もいつまでも私達が独占しているわけにはいかない、これから運河や水道工事が始まれば尚更だ。
領地で開墾のために切り倒された木材はこちらに回してもらうようにはお願いしてはあるけれど、今後のことを考えれば資材確保の為に山を丸ごとベラスミで買い取り、そちらでそういう仕事を依頼し、手配するという手段は悪くないようにも思える。
だが、
「ベラスミ側はそれで構わないんですか?」
「はい。あの辺りには住んでいる者も殆どいませんからそちらの御希望であれば国境を動かしてしまっても問題ありません。お恥ずかしい話ですが国の財政も破綻しかけていますし、条件さえ合えば併合して頂いても構いません」
併合、か。
連隊長が運河の話を出した時、そんなことを確かに言っていた。
「その条件とは?」
「国民の生活の保障です。今より良い生活をというわけではありません。民の今の生活が守られるなら陛下はそのまま退位して隠居して構わないと仰っておられました。勝てもしない戦争などで民を犠牲にするよりも余程良いだろうと」
周辺地域にそう認識されているとはいえ、そういうことをハッキリ口に出していいものだろうか?
だが訪問した城や町の現状を見ればそれも致し方なしということか。侵略されれば下手をすれば植民地化、国によっては民を奴隷として連れて行かれる可能性もあり、更に民の生活は貧しく、厳しいものとなるだろう。
「しかし、我が国としても簡単にその案には乗るわけには参りません。国の併合となるとある意味、運河建設以上に大事ですから」
それで出た代案が山の買取、か。
確かにベラスミを併合するとなると管理の必要になる国土が一気に増えることとなる。実質使える土地が少ないとはいえただでさえシルベスタは国土が広い。ベラスミを併合すれば国土は一気に1.5倍にまで膨れ上がる。
「何か、妙案が他にありませんかね」
と、そう二国の宰相が尋ねてくる。
だから何故そこで私に意見を聞いてくる?
貴方達は各国の頭脳、重鎮でしょうがっ!
私などにそんな重大案件を放り投げないで下さいよっ!
私はムッとしてそこにいる者を睨みはしたものの、溜め息を吐いて考えてみる。
何かいい手はないものか?
前世の歴史や法律、政策などで似たようなものや何か使える手段があっただろうか。独立戦争、国家分裂、国境線の破壊による南北統一、その他色々あったはず。それらを参考にしつつ、この世界の歴史などを鑑みて、実行可能、且つ、両国の権利や民の暮らしを守り、それでいてどちらにもウマミがある方法。
全てが上手くいく必要はない、妥協できる点を探せばいい。
白黒ハッキリさせるというよりも、むしろ曖昧なグレーの方向で。
私はウ〜ンと考え込んだ。
「例えば、ですけど。一つの意見として聞いて頂きたいのですが、形として併合するとして、独立自治区として引き続きベラスミの方で管理、運営してもらうという手段は如何ですかね?」
植民地化でも統合でもなく、独立自治区。
そう、国としてはシルベスタ王国。だが統治責任はベラスミに残しておく方法。
「境界線が国境でなくなれば互いに関税をかける必要もありませんし、こちらからも仕事が回しやすくなります。山を買い取るにしても来年ウチの領地となる地域と接していればウチの領地として管理も可能。鉱山資源も同国として扱うなら我が国が優先、もしくは独占できますから私達の事業でも必要な分を融通して頂きやすくなりますのでこちらとしてもメリットがあります。ベラスミからは鉱石、水、人手などの資源を供給してもらう代わりに、こちらからは新しい仕事や働く環境を用意する。仕事が増えればその分だけベラスミの経済も回ります。他国にもベラスミが我が国の一部であると認識されればウチを敵に回したくない国は攻め込みにくくなるでしょう。
それに運河が通れば水道と合わせてその権利を我が国で一手に握ることができるわけですから国境がない分だけ管理、開発もしやすく、利益が充分に見込めるのではないかと」
私が唸りつつ提案と考えを捻り出すとそこにいた者から感心感嘆の溜息が漏れた。
しっ、しまったっ・・・
つい余計なことを言ってしまったかも。
なんか周囲の視線が私に明らかに集まっている。
内心冷や汗を流しつつも私はヘラリと笑ってさりげなくロイの後ろに隠れた。
「確かにそれであればベラスミにそのまま我が国の領地の一つとして管理を任せられますし、将来的に反乱などを起こされた場合にも領地としての責任の追求もできる上に万が一の時には独立自治区なのだからと切り離すこともできる。統治が落ち着いてから改めて我が国の領地として認め、正式に併合すれば段階を踏んでいる分だけ各国の認識も、民の混乱も少なく、支障も出難いだろう」
ウチの国の宰相が名案だとばかりに頷いている。
ベラスミ側も納得できる提案らしく、異論はないとばかりに表情を輝かせているし、なんか、嫌な予感がしなくもない。意見を求められた時点でやはり断るべきだっただろうか。だがそうなると目の前にぶら下げられた貴重な職人の確保も危ぶまれないとも限らない。それにこの仕事を成功させれば陛下から六棟の従業員寮と警護設備の整った高級宿の建設が約束されている。
目の前に差し出された御褒美はそれなりに魅力的なのだ。
だが盛り上がる中でデイビスが難しい顔をしていた。
「だとしても流石に国としても運河建設の全額を補填できません。我が国内の建設費用もあるわけですから」
最終的には詰まるところ、つまりは『金の力』が必要なわけね。
「私が山を三つほど買い取ればそれも可能になる?」
「おそらく」
マルビスが速攻で答えてくれた。
山、山ねえ。たいした資源がないのなら二足三文、だがその上に生えている木材としての資源は魅力的だし、確か通ってきた道沿いでも湯気が立ち昇っていた場所が幾つかあったので、温泉確保も期待できるなら悪くはない話なのだが必要な金額の総計はいかほどなのか。
「ぶっちゃけ足りないのはどのくらいなの?」
私が尋ねるとマルビスがすぐに教えてくれる。
「金貨二十万枚です。当面その内の四分の一程度はウチで職人の作業依頼として用立てることは可能です。将来的には充分取り戻せるのですが」
「すぐにはその金額が揃えられないと。それ故に工事がその間止まってしまうということだね」
「仰る通りです」
私の言葉をマルビスが肯定する。
確かに工事を始めてしまえば途中資金が足りないからと止めるのは良策ではない。ああいうものは一気に作ってしまった方が確実だ。そうしないと建設工事に関わる人間もその都度募集しなければならなくなるし、期間をおけば折角慣れた仕事もまた覚え直し、鍛え直し、同じ人間に仕事を割り振れるとは限らないから教え直しもありえるわけだ。
「要するにとりあえず足りない分をハルトに出資協力してもらっておいて順次仕事を割り振り、その収益でハルトに返していこうというわけだね? でも、そんな金額、ハルトに揃えられるの?」
金貨十五万枚はかなりの大金だ。
フィアが難しい顔で尋ねてくる。
揃えられるか、揃えられないかでいえばおそらく・・・
私は『ちょっと失礼』と言いおいてロイの袖を引っ張り廊下まで連れ出した。
「ロイ、私の隠し部屋にある金貨って何枚あるか把握してる?」
私は会議室から少し離れたところで辺りに人影がないことをキョロキョロと確認してから小声でそう問いかけると、ロイは頷いて答えてくれた。
「おおよそは。二十万には足りませんが、十九万二千六百枚程です。今月分は来ていませんのでおそらく次の月初には二十万を超えるかと」
ゲッ、考えないようにしてたけどそんなにあったのか。
多分マルビスもそれを知っているのだろう。何せ自ら金貨の詰まった箱を私の部屋まで運んでくるわけだから数字に強いマルビスがわからぬはずもない。
「私としてはみんなの役に立つなら出すのはあんな大金使い切れるとは思えないから全然構わないんだけど。でも、マルビスがこっちに話を振ってきたってことは裏があるよね、多分」
ボソボソと小声で話す私達を重鎮達が眺めている。
ロイは小さく頷いて同意する。
「おそらく。それに例のキャスダック子爵の件もまだ片付いていませんし」
「ここは一旦引き延ばすべき?」
「その方がよろしいかと。滞在が二日程度延びたところでたいした手間でも損害でもありませんし、まずは一晩か二晩、考えさせてくれとでも応えておくのが妥当かと」
じゃあそれで行こうと私はロイと顔を見合わせて頷いた。
とりあえずは大金故に用立て可能か調べてみると回答し、私はロイと一緒に再び四階へと引っ込んだ。
こういう場合、すぐに頷いては駄目だろう。
駆け引きも戦略、策略の一つだ。
ウチの事業のためならば出資もやむなし。
だが慈善事業でない以上、しっかりこちらの利益も確保しなければ。
いいように使われ、むしり取られては次の機会にもいいように利用されかねない。
今夜はみんな揃ったところで相談だ。
えっ? それは相談ではなく悪巧みだろうって?
そんな言葉は聞こえません。
本日只今より私の耳は休業中。都合の悪いことは届きません。
私は利用されるだけの馬鹿になるつもりはこれっぽっちもないのだから。