第百二十四話 こんな当たりは引きたくなどありません。
嫌なものを見てしまった。
人の死に際のことではない、他者を犠牲にしてでも生き残ろうとする淺ましい人間の姿だ。
しかしオオカミというのは夜行性ではなかったのか?
しかも魔獣のくせに昼間っから出てくんじゃねえよっ!
なんでこう私は貧乏クジを引き当てるのか。
思い出したのは昨日見つけたオオカミ型と思われる獣の足跡。
確証はないけれど距離的にもあの村からそう遠くないことを考えれば、あの足跡のヌシかもしれないとも思われる。グリズリーの気配を感じてあの村から逃走し、己の腹を満たすため、ここまで来たのだろうか。
「たっ、助けてくれっ」
他人を突き飛ばして生贄とし、生きながらえた男は吐く息で空気を白く曇らせながらフラフラと私達に近づいて来た。ゼイゼイと肩で息をする男は些かの罪悪感も感じていないのか自分のことだけで必死になっている。
そりゃあ私も他人のことをとやかく言えるような立派な人間ではない。
だがあのようなことをしてまで生き残りたいとは思わない。
あれはある意味殺人ではないのか?
恐ろしいのは理解できる、他人の盾になれなんて言うつもりもない。
でも本来助かるはずだった者を犠牲にしていいとは到底思えない。
私は許すことのできない行為に腹が立った。
「貴方は見ず知らずの、子供の私にそれを言うんですか?」
身なりのいい、私に真っ先に駆け寄って来たのは私がこの中で一番御し易いと思ったのだろう。子供なら勢いで押せば頷くかもしれないという打算が透けて見える。
お生憎様、私は普通の子供ではない。
貴方程度の雑魚キャラに怯みはしない。
私が吐き捨てるようにそう言うとその男はしがみついてきた。
「あんた貴族だろっ、貴族なら自国の民を守る義務があるはずだっ」
イシュカは目の前の男が私の最も嫌う種類の人間だと知っている。
冷めた氷のような眼差しで彼を見下ろしている。
侮蔑を込めた凍てつくようなイシュカに視線に男はビクリと体を強張らせる。
確かに平民の税金で暮らしている貴族には民を守る義務がある。
殆ど税金を搾取するための口先だけの建前となってしまっているけれど。
ある意味、彼の言い分は正しい。
だが、
「そうですね、自国の民であるならば。確かに私は貴族ですが、この国の者ではありません。通りかかっただけです。ここにいる者は私の護衛と従者ですが、それを知ってなお貴方は子供の私に助けを求めますか?」
私が暮らしている金は彼の支払っている税金ではない。
しかも現在大規模事業主のトップである私は高額納税者、国に支払っている側だ。
私達が旅人であると認識した彼は自分が助けを求められる相手ではないと悟り、縋り付いてくる。
「あんたら強いんだろっ、助けてくれたっていいじゃないかっ」
強いか弱いかで言えば間違いなく私達は一般的に強い部類ではあろう。
だが私達が彼を守らなければならない義務はない。
私は思いきり軽蔑した眼差しで馬上から彼を見下ろし、言い放つ。
「強いから見ず知らずの、しかも負うべき責任のない他国の者を救うために自分の護衛を差し出せと?
随分勝手なことを言いますね。
では護衛が離れている間、誰が私と私の従者を守ってくれるのですか?
それとも貴方は私の身を犠牲にしなければならないほどの要人なのでしょうか?
とてもそうは見えないのですけど」
冗談ではないと吐き捨てる。
この世界のこの時代において命の重みは等価ではない。
私も人の命が同じだとは思っていない。
今世も、前世も。
権力者にはその他大勢の平民を虫ケラ同然に扱う者がいる。
大多数の者にとって、他人の命とは自分や大事な者と比べれば軽いものだ。
どんなに綺麗事を並べたところで最終的にどちらかを選ばなければならない事態というものはあるのだ。その時に優先されるのはその場にいる者にとって、何が一番重要であるか、だ。命が等価であるなら一人を助けるために百人が犠牲になるとすれば一と百では百の命のほうが大事である筈なのに、実際にはたった一人を助けるために千、万の単位で人命の犠牲を強いる状況もあるのが現実だ。そういう状況があるのに等価などとは私は口が裂けても言えない。
建前と理想は現実と相反することも多い。
だからといって全てが許されるわけではない。
目の前にいる男の所業はそういった類いのものだ。
「先程自分が助かるために貴方は仲間を突き飛ばして見殺しにしましたよね?」
私の言葉に男が表情を強張らせる。
自覚くらいはあるのか、それが非人道的であると。
「私は貴方のような方が大嫌いです。庇えとまでは言いませんが自分より年若い者を突き飛ばし犠牲にして、他国の貴族の、しかも子供の私から護衛を取り上げてまで助かろうとする貴方の命の価値はさぞかし高いんでしょうね」
私の嫌味にその男は顔を青ざめさせ、彼は震え、俯いた。
助かりたいのは誰でも一緒。
目の前の男も、そして彼に突き飛ばされて魔獣の餌食となった者も。
正直なところ私はこの男を助けたいとは微塵も思えない。
こういう輩は同じような状況に陥れば同じことを繰り返すだろう。
この男は自分の突き飛ばした男の家族にどう謝罪するつもりなのか。
きっと自分の都合のいいように事実を改竄して捻じ曲げ、告げるのだろう。
いや、謝罪すらしないかもしれない。
黙ったまま事実を隠蔽する方が遥かに楽だ。
これが己の領地に住まう者なら死んだ男の家族の前に突き出してやるものを。
世界というのは決して弱者に優しいものではない。
利己主義で自分勝手な者が生き残る、残酷な現実がそこにある。
「貴方は自分が助かるために他人の命を犠牲にした。貴方の理論からいくと助ける義務のない私は私が助かるために貴方を犠牲にしても良い、ということになりますよね?」
そう尋ねると男はぐっと息を呑む。
「たっ、頼む、俺が悪かった、謝る。謝るから助けてくれっ」
今度は泣き落としか、芸がないことだ。
私は呆れて溜め息を吐く。
「貴方が謝罪すべきは私ではない。貴方の身代わりに亡くなった人とその家族です。
私が命を賭けても良いと思うのは私の大切な者と私が守るべき相手だけ、貴方はその中に含まれていない。世の中には謝って許されることと許されないことがあることくらい、いい年をした大人の貴方は子供の私に諭されるまでもなくよくご存知ですよね」
私の言葉に縋っても無駄だと男は理解のか、こちらを睨みつけてくる。
御愁傷様、私はそれくらいでビビリはしない。
「こういう場合にはこの国でこの男に罪は問えるのですか?」
私はゴードンを振り返って尋ねた。
法律は国によってもかなり違うこともある。
「誰も見ていないとなれば難しいでしょうが、しっかり目撃者がいますので勿論罪となります。状況からするとせいぜい十年以下の禁固刑か流刑地送り程度だと思われますが」
そんなものか。
まあ無罪放免よりマシか。
「では後で衛兵にでも引き渡しましょう。こういうことは一度前例を作って見逃すと、それが赦されることだと認識されて無秩序になってしまいます。クギを刺すためにもしっかり取り締まるべきですから」
そうイシュカが言うと男は冗談じゃないとばかりに逃げ出そうとした。
だがこれだけのメンツが揃っていて逃げられるわけもない。
すぐに逃げ道は馬で塞がれ、残るは逃げてきた鉱山方向だけになる。
まさに門前の虎後門の狼である。
「さてどうしますか? 私達にこの国の民を守る義務はありません。
ですが貴方は違いますよね」
男を縛り上げて縄で繋いでいるゴードンを振り返って尋ねる。
すると彼は少し逡巡するように唇を引き結ぶと口を開いた。
「・・・助けに行きます。貴方が許可を下さるのなら。私の任務は貴方の護衛と案内ですが、私はこの国の騎士ですから」
そう、それなら良かった。
また私達任せでいられても困る、ここは彼らの守るべき土地なのだから。
「ならば御一緒しましょう。貴方が討伐するというなら道案内がいなくなるのは困りますのでお手伝いくらいならさせて頂きますよ」
そう言うとゴードンは私を驚いたように見た。
さっきアテにしないで下さいねと言ったばかりだし無理ないか。
別に見捨てるなどとは言っていないのだが。
「勿論余計な手出し口出しをするなと言うのなら黙って見守るだけにしますけど?」
私がそう告げるとゴードンはふわりと笑って首を横に振った。
「いえ、昨日のあのような戦い方を見せて頂いた後にそのようなことは申しません。ご助言頂けるだけでも非常にありがたいと思います」
そう答えたゴードンの顔つきが変わった。
初めて見た時の陰気臭いイメージとまるで違う。
人というのは表情ひとつ、目の輝き一つで劇的に印象が変わるものだ。
そうしてシャンとして前を向くと意外に彼もイイ男だ。
ちょっと個性的な感じで好き嫌いは分かれるだろうけど、ガイとはまた違ったワイルド系。青みがかった黒い髪も、艶のある黒水晶の瞳も不思議な男臭い色気がある。タイプでいうなら印象は団長が近いかな。団長は燃えるような赤毛でゴードンは黒髪だけど。
「では行きましょうか。案内、宜しくお願いします」
にっこりと笑った私達の前をゴードンは頷いて道なりに駆け足で馬を進め始めた。
シュバルツが捕らえた男の連行と倒したフォレストウルフの回収を引き受けてくれたのでひと足先に私達は鉱山に向かうことにした。
川沿いを煙の立ち昇っている鉱山方向に向かう道すがら、イシュカが小声で話しかけてきた。
「先程は随分と露悪的な言い方をされていましたね」
露悪的ね。まごうことなき本心なのだけど。
普段は角が立つので思っていても口に出していないだけなのだが。
「私はああいうヤツが嫌いなだけ。逃げるのは勝手だけど他人を踏みつけにしていい理由にはならない。加害者のクセに都合のいい時だけ被害者ぶるヤツは許せない」
正義感なんてカッコイイもんじゃない。
自分の罪を理解しようとしないヤツが嫌いなのだ。
イジメて、虐げておいて自分はそんなつもりじゃありませんでした、なんていうヤツが私は大嫌いだ。ちったあやられる方の身になって考えろというものだ。
自分がそういう目にあったことないからわからない?
何をふざけたことを言ってやがるのだ、わからないなら考えろ。
その頭には脳味噌入ってんだろと怒鳴りつけてやりたい。
自分が同じことをされた時、嫌か嫌じゃないかくらいわかるだろう?
それともそれすら考えられないという想像力のカケラもない頭しかありませんでしたとでも言うつもりなのか。
だが大抵の場合、そういうヤツはプライドが高いものだ。
そういう言い方をすると逆上されるのがオチなので黙っているけど。
加害者なら加害者らしくしやがれ。
知りませんでした、わかりませんでしたが許されるものばかりじゃない。
未成年? 責任能力がないから許される?
正当防衛ならまだしも、そんな馬鹿なことがあっていいわけなどない。
加害者の家族のことも考えろ?
では大事な者を奪われた被害者の家族はどうなる?
間違いは誰にでもあるからやり直せる機会を与えるべき?
では間違いで殺害された人のやり直せる機会はどこにある?
加害者の手で未来を全て閉ざされてしまったのに。
非力を理由に卑怯な者の身代わりに被害に遭われたので御愁傷様でした、諦めて下さいとでも言うつもりなのか。死んだ者の家族からすれば縊り殺してやりたいくらいであろうに。だがそういうことは実際そういう目に遭わなければ理解できないものだ。察することは出来ても理解は出来ないのが普通、大事な者を理不尽に失った痛みは想像以上のものだ。自分の大切な人を奪った犯人がのうのうと生きていることを望む被害者の家族は果たしてどれくらいいるのだろうか。
「もっとも、ああいう人間は罰を与えられたところで自分の罪を理解せずに逆恨みするだけだろうけど。
それにこの国で本来先頭に立つべきは私じゃない、彼、ゴードンだよ。
自分達の国は自分達で守って貰わないと。
どちらにしても足の速いフォレストウルフに背を向けて逃げるのは危険でしょ?
追いつかれたら危ないんだから仕方ないよ」
みっともなく逃げた結果が背後から襲われましたではカッコ悪過ぎだ。
私がまた厄介事に巻き込まれたとばかりに大きな溜め息を吐くとイシュカが苦笑する。
「仕方ない、ですか。貴方はいつもそう言って様々なことに首を突っ込みますね。
いつも逃げる理由でなく、逃げられない理由を探している。
私は貴方が逃げろと言うのならこのまま逃げても構わないですよ?」
そう、イシュカが言った。
逃げられない理由?
確かに基本的に私は逃げることはあまり好きではない。
逃げて状況が好転することは殆どないからだ。
見たくないことに蓋をしたところでそれは都合よく消えたりしないことが殆ど、むしろ事態は悪化することの方が多いのだ。私は自分に降りかかる火の粉を払っているだけなのだが、好意的に見るならハタから見るとそう見えるのか。出しゃばりの目立ちたがり、前戦に出ても剣を滅多に抜くことがない(腕が三流だからだが)口だけ番長と言えなくもない私なのだが。
しかしながら鉱山にフォレストウルフが出たとして、あれはグリズリーほど討伐ランクは高くないはずなのだ。一人、二人程度で相手取るなら苦戦しそうだが、普通なら鉱山と言えば騎士、もしくは衛兵なりが盗難や不正流出防止のためにそれなりの数が配置されているものではないのだろうか?
私は疑問に思ってゴードンに尋ねる。
「鉱山に警備の者はいないんですか?」
「いえ、そんなことはありません。常に十人以上は駐在させています」
だよね、だったら何故?
こんなところまで鉱夫追いかけてくるような事態になっているのか。
「フォレストウルフはそんなに討伐ランク高い魔獣じゃないよね?」
私は後ろでアルテミスの手綱を握るイシュカに問いかけた。
「一体一体は確かにDランク前後です。ただアレは十頭前後の群れで行動しますので面倒なんです。群れのリーダー次第では驚異度はCランクプラスにまで上がることもあるくらいですので」
リーダー次第でワンランク上になるわけか。
「つまり今まで私が相手にしてきた少々頭が足りない魔獣とは違うってことだね」
そうなると今までのような単純な手は使えない。
大まかな分類で言うなら犬型であることを考えるなら鼻もいいはず。
コッソリ近付くのも厳しそうだ。
何かいい手はないものかと考えているとイシュカが更に教えてくれた。
「ですが硬い皮膚や鱗で覆われているわけではありませんから初級程度の魔法の攻撃でも効きますし、剣で切ることも出来ます。リーダーさえ倒してしまえば連携も取れなくなり、そう問題にもならないのですが」
要するに集団にしなければそんなに脅威な相手ではない、と言うことか。
結構メジャーで出現率も高い魔獣だし、山間で警備、護衛をしている者がそれを知らないわけもない。そう考えるとどこか矛盾を感じる。慣れた者なら梃子摺らないということを考えると鉱夫がここまで逃げてくるのは変だ。
「警備が駐在しているだよね。それで梃子摺ってるの?」
「確かに。失礼ですがこの国の兵はフォレストウルフにも手こずるような者を警備に配しているのですか?」
私の問いかけにイシュカも納得してやや前方駆けるゴードンに尋ねる。
「いえ、貴方がたには劣るでしょうけどそこまで弱くはないはずなんですが」
つまりは不測の事態が起きている可能性があるってことか。
「とにかく現場に行ってみましょう。詳しい状況が把握できなくては対処も出来ません」
坑道の入り口に到着するとそこには結構な被害が出ていた。
担架で運ばれていく怪我人の数も視界の範囲内だけでも十人以上。歩行可能な怪我人と既に運ばれているであろう負傷者の数はわからないがかなりの数だ。布が掛けられている遺体も八体ほどある。辺りには血痕が残っていて悲惨な状況が伺える。
昨日の四頭のグリズリーが現れた村よりも被害が大きい。
ここでは聖属性持ちは駐在していないようで現場での応急処置を行なっている。
メイガストにサキアス叔父さんの護衛をお願いして重症者から順番に回復魔法を掛けてもらうようにお願いした。魔力量が叔父さんは然程多くはないことを伝え、治療の手伝いはするがくれぐれも無理はさせないで欲しいとこと付けて、叔父さんだけでは不安なのでロイにも付いて行ってもらった。この国でも聖属性持ちは少ないようで歓迎され、何度も御礼を言われ、頭を下げられ、三人は怪我人が収容されているという簡素な建物に向かった。
辺りは物々しい雰囲気に包まれている。
フォレストウルフに襲われたのは間違いないようでその死骸が手脚を切り落とした状態で数体積み上げられていた。そして坑道の入口にはこれでもかというほどに土の壁が形成されていた。
これはどういう状況だ?
この国の騎士には近衛と魔獣討伐部隊の区別はなく、ゴードンはウチで言うところの連隊長と団長の立場を合わせ持った人だと言うのを聞いている。そのため顔見知りも多く、ゴードンが知らなくても向こうが知っているという状態のようだ。警備員の一人を捕まえて連れてくると、この詳しい事情と経緯を説明させた。
その話によると逃走されたか討ち漏らしがない限り、フォレストウルフは既に討伐済みだということらしい。
なのに何故こんなに緊迫した空気が漂っているのか?
それは坑道の入口から近い場所に居座っている魔獣の存在が原因だ。
ことの発端は夜明け前の家畜小屋から聞こえたけたたましい家畜、鶏や山羊の鳴き声から始まった。
ここには町からの出稼ぎに来ている鉱夫達の寮がある。彼らの食事の栄養源ともなっているのが鶏の産む卵であり、山羊のミルク。そして昨日の村と理由は一緒、人が襲われる前に襲ってくる獣達の腹を満たすことで被害を減らすことが目的だ。
駐在する衛兵が夜勤の見回り途中に家畜小屋から聞こえたその音に反応して仲間を呼び、警戒しながら近付くと、そこにはフォレストウルフの群がそこにいた家畜達を襲い、食い散らかしていた。灯りが僅かばかりあるとはいえ、その総数を把握できるほど明るくなく、薄暗がりでの戦闘になった。明け方近かったこともあって鉱夫達が寮から出て来ていて慌てて寮に駆け込んだ者は被害を免れたが、逃げ遅れた八人が犠牲になり、幾人かが重傷、軽傷を負うことになった。
フォレストウルフは厄介とはいえ、何度も相対し、討伐してきた相手。
なんとかなると思っていた。
実際、衛兵には大怪我するほどの者もなく、残るウルフは一匹となった時に背後から何かを喰む大きな音が聞こえたそうだ。なんの音かと振り向いたその先にいたのは自分達が討伐したソレを喰らっている巨体。衛兵達はビビった。
フォレストウルフの討伐に気を取られていた衛兵達はその接近に気が付かなかったが、不幸中の幸いなのは食い荒らされているのは自分達の討ったフォレストウルフの死骸、もしくは深手で動けなくなった個体。それに気がついた衛兵はすぐさま残った一匹を討伐するとその暗闇でウルフを貪り食っている巨体に向かって自分達が討伐したウルフの死骸を数体放り投げた。そして自分に向かって放り投げられたソレを四体ほど食らうと腹が膨れたのか朝日が顔を出し始めた頃、その巨体は陽の光を避けるように坑道の中へ入っていったということなのだ。
夜明け前の薄暗い中、昇り始めた朝陽に照らされて姿をハッキリと現したのは大人の背丈はゆうに超えた巨大な真っ黒い毛並みのグリズリー。しかも頭部には角らしき物が生えていたという。
そこで坑道に入ったのをこれ幸いと土属性持ち総動員で何重にも壁を築いたということだ。
要するに私達を襲ってきたのは大型のグリズリー、それもカイザークラスと思われるヤツから逃げ出して来たウルフだったというわけか。しかも話を聞くところによれば通常個体差はあるものの毛並みの色は白に近い茶色から濃いめの焦茶色、なのに漆黒だったというその色、魔素がその体から染み出し、異臭を放っていたという状況からするとおそらく魔素により体質変化も起こしていると見るべきだ。
となればカイザークラスでAランクなのだから更にその上のSランク個体。
つまり私はまたとんでもない当たりクジ、いや貧乏クジを引いたわけだ。
しかもかなりの巨体となれば体当たりでもかませられればこの土壁もいつまで持つかわからない。
とりあえず鉱山の山肌近くに建てられている寮の上にはこういう魔獣に襲来に備えて避難所として横穴が掘られていて、屋根からそこに上がれるそうだ。今は無事な鉱夫達で手分けしてそこに食料や水、その他を運んでいるらしい。被害状況を確認次第、息を引き取った犠牲者は遺品と遺髪を残して火葬する準備を整えたが王城に連絡しようにも馬がウルフの犠牲になり、脚がない。
怪我人を運ぶこともできない上に町から医者を呼んでくることも出来ない。
困り果てていたところに私達の御登場というわけだ。
「どうしますか?」
とりあえず、現在ロイと叔父さんが乗っている馬はこの国で現地調達した馬だ。
足がないという彼らにロイの馬を貸し、宿までは叔父さんと相乗りしてもらうことにして馬に二人乗せ、一人は町で避難準備と万が一町に魔獣が向かった場合に備えての対策準備を、一人は至急王城へと遣いを走らせてもらった。現在自分達の連れが王城に滞在しているのでそちらに返してもらえば問題ないと名乗ると目を見開いて驚かれた。
どうやら私の名前は間違いなく隣国にも轟いているようだ。
誠に面倒で迷惑この上ないことだが、その名を聞いて疑う衛兵にゴードンが肯定するとワラワラと衛兵が集まって来た。ぐるりと周りを興味本位の衛兵達に囲まれ、私はイシュカの後ろに隠れる。
目立つのは諦めたがこういう不躾なくらいにジロジロと眺められるのは好きじゃない。集まって来た人垣をひと睨みで散らすとイシュカは私に尋ねてきた。
「どうするもこうするも、ここまで来ちゃったし、どうしようもないよね」
流石にこの現状を見て何もせずに帰るのは気が引ける。
今回はゴードンが先頭に立ってくれると言うし、腹が膨れて坑道に引っ込んだというなら多少の時間はあるはずだ。
「話からすると昨日の四体と比べるとかなり手強いかと思われますが」
「みたいだね。さて、困った」
今日はガイもいないし団長もいない。代わりにライオネルがいるけれど、この人数でたいした仕掛けも無しに大型の討伐ランクSクラスの魔獣を相手取るのはハッキリ言ってしまえばキツイ。
シュバルツもメイガストもいるけれど他国で無理はさせたくない。
彼らが任されているのは私達の道中の護衛であって魔獣討伐ではない。
知恵が回ることを考えるなら昨日のような露骨な罠は役に立たないだろう。
そうなるとどうすべきか。
「貴方の持っている属性は? 聞いても問題ない?」
まずは戦力分析と状況把握からだ。
私は隣にいたゴードンを見上げると、そう尋ねた。
「構いません。この国で私の名を知るものなら大抵知っていることですし。私の属性は水、風、土です」
「珍しいですね。ベラスミに多いのは火と光属性持ちですよね」
そう言ったイシュカにゴードンが続けた。
「属性は地域性とも関係性が高いですからね。生活に必要なものから覚えていくことが多いせいでしょう。実際、ここにいる衛兵も光や火属性持ちが多いですよ」
なるほど。
その認識もあながち間違いではないが。
子供が親を真似て覚える。
冬が長いのなら寒さを凌ぐための火、鉱夫ならば暗い坑道を照らす光は重要だ。
農民が多いウチの領地に土属性持ちが多いのと一緒だ。
「私の親は商人でしたので、そのせいかもしれません」
そういえばマルビスの属性も水と風だった。
商品を洗浄するための水、乾かすための風、必要だから覚えるというわけだ。
そして本来持っている、それ以外の他の属性が消失する。
しかしそうなると今回主力戦力の中で火属性持ちはライオネルと私だけか。
メイガストが土と光、シュバルツが土と闇だった。
罠を張るにしても町に取りに向かい、調達してここに戻ってきてから仕掛けるのでは準備が間に合うかどうかもあやしい。日が傾けば夕闇以降は魔獣が活発に動き出す時間だ。鉱夫も避難させるにしてもすぐに準備が整わない以上今夜は避難所でやり過ごし、明日以降に持ち越すことにしたそうだ。
相手は水と風、二属性以上持つ可能性があるSランク魔獣。
まともに当たれば死人が出るのは必至。
吹き飛ばされて一発KO間違いなしだ。
そうなるとまずしなければならないのは足留め。
そして絶対に避けなければならないのは長期戦だ。
体格からすれば圧倒的に向こうの方が体力が上なのは間違いない。
パワー勝負もダメだ。勝ち目はない。
網を掛けたところで引き摺られて引き千切られるか、さもなくば鋭い爪で引き裂かれてジ・エンド。犠牲が出るのは間違いない。私は今ここにある物で何か使えそうな物がないかと見て回るための許可を取るとイシュカとライオネル、案内の衛兵を一人連れ、敷地内を徘徊しはじめた。
いつものガイに病気と称される癖が出る前にしっかりイシュカと手を繋いで。