閑話 マルビス・レナスの直感
よくあること。
この世界では特に珍しい出来事ではない。
私の家は王都でも指折りの商家だった。
小さな頃から商人のなんたるかを叩きこまれ、育てられてきた。
父にやっと一人前として認められ、他国に買い付けを任されるようになり、初めて旅に出ていた最中、その事件は起こった。
レナス商会一家惨殺事件と称されるそれは私から全ての家族を奪った。
獣に食い殺されたような酷い有様だったという遺体は私の帰りを待たずして灰となり、土へと返った。
残された商会の従業員達は殆どが解雇され、次の職にも困っている状態の者が多かった。
本来、読み書き計算の出来る人間は重宝され、働き口が見つかりやすいことが常であるにもかかわらず、曰く付きの商会従業員、しかも、その商会の建物ごと買い取ったのが地方でも有力な貴族であったため、不興を買うのを恐れ、敬遠され、苦労していると聞き、地方から戻った私は小さな別荘の倉庫の床下の父の隠していた財産で彼らの新たな地での再出発の足しにと補償してまわった。
平民は貴族に逆らえないのが常だ。
どうしようもなくなったらケツをまくれ、命さえあればまたやり直せる、商人には商人の戦い方があるのだからと言っていた父はその命さえ奪われてしまった。あの貴族が裏から手を回していたという証拠は掴んでいたが、それは役人にあっけなく握り潰され、事件はお蔵入りとなった。
だからと言って二十年近くを商人の息子として生き、育てられてきた私には今更他の生き方は出来ない。
家族を殺した貴族も許すことは出来ない。
だが何の武器も持たないままでは指をくわえて見ていることしか出来ない。
ならば私は私が持っている武器で成り上がり、商人は商人らしく戦うしかないのだ。
私は地方の、田舎だが領主の評判もよいというグラスフィート領で密かに情報を集めつつ、反撃の機会を窺っていた。
情報収集は商人の基本、町の酒場や市場に幾度も通い、聞き込みをしていた。
グラスフィート領はこれといった特色がない田舎町。
だが治安もよく町の中は活気が溢れている。
ここの領主一族は領民にも慕われ、尊敬されているようだ。
贅沢な生活をするでもなく、飢饉の際にも王都まで出向き、現状を訴え、税を軽くしてもらえるように嘆願し、足りない分は領民から取り立てるのではなく家財を売り払い、納めた上で彼らも質素な食事で生活していたという話があって領主の悪口を言う領民は殆どいなかった。こういった土地の人間は結びつきも強く、三軒隣までみな家族的な雰囲気があるので情報も集めやすい。
そんな中で半年ほど生活していると色々な話も聞こえてくる。
それは領主一族の三男坊の話だった。
他にも兄弟がいるにもかかわらず、下町で聞く領主の子供の話題はその殆どが彼のものだった。
どうもかなり変わった子供のようで屋敷に務めている使用人からもたらされる話なのだろう、言葉も話せない頃から書斎に入り浸り、厨房に仕留めた獲物を手土産に入りこんでは料理人に頼んで変わった料理を提案し、庭師に使用用途不明の不思議なものを作らせる。
我儘息子の所業かと思えばそうではないらしく楽しそうに使用人達は彼の話を語るのだ。彼ら、彼女達は自分の子供や孫のように可愛がっているようなのだ。
面白い、そう思った。
新しい物を生み出す力、発想力は商売のメシのタネだ。
売り方次第、扱い方次第でそれは巨万の富に変わることもある。
なんとかその彼に会えないものかと思っていたところ、町の中を討伐されたワイバーンが荷車で領主の屋敷の使用人達によって冒険者ギルドに運び込まれた。
ワイバーンといえば一匹現れただけでも町が滅びるような騒ぎになる魔獣だ。
それが町に被害を出すことなく討伐されたことで町中で話題になった。
私は直感的に噂の彼に違いないと思い至り、すぐさま冒険者ギルドに駆け込み、直談判した。
彼に会えるチャンスだ。
私は自分の名前と経歴を伝え、宿泊先をメモした紙をギルマスに押し付け、連絡を待った。
連絡が来たのは翌々日の朝。
昼にその彼がやってくるので会わせてくれるというのだ。
しかもなにやら彼が起こそうとしている事業の手伝いができる人間を探しているというのだ。
私は自分のカンを信じ、昼過ぎにやってくるという彼をじっと待った。
やってきたのはまだ六歳の誕生日を迎えたばかりの子供。
貴族の子供らしく小綺麗で、なのに彼は少しも貴族らしくない。
平民を庇ってワイバーンの前に飛び出し、命令して従わせることもできるのに自分に対して礼を尽くして手を差し伸べる。気難しいと評判の強面のギルマスにすっかり気に入られている彼は不思議な引力を持って周囲の人間を魅了していた。
私の商人としてのカンが彼を逃してはならないと告げていた。
そして彼、ハルト様の屋敷を訪れ、彼の作ったという噂にもあった数々の物を目にし、彼の計画している事業内容を聞き、私は自分の直感が間違いなかったのだと悟る。
平民を対象とするグラスフィート領地のリゾート開発事業。
今までにはなかったものだ。
貴族対象の避暑地的なものは他の領地でもみられるがこれは安価な低価格帯で揃えられた、平民がほんの少し無理をする程度で利用出来るように設定されている。
これが六歳の子供が考えたものなのかと疑いたくなるほどだ。
やはりこの方は只者ではない。
何故平民対象なのかと問えば実に理にかなった答えが返ってきた。
この施設は薄利多売、沢山の人を呼び込むことにより利益を得、地域活性化も同時に狙っているのだ。
経済を回すことを念頭に入れた開発事業、成功すれば莫大な富となる。
しかもその下地と素材はすでにある程度まで揃えられているのだ、ハルト様の手によって。
これで成功させられないのならその商人はよっぽどのボンクラだ。
グラスフィート領のリゾート開発候補地から戻った次の日、私はハルト様が考案した折り畳み式の野外用コンロを抱え、商業ギルドに向かう馬車に乗っていた。
あの方の発想力は素晴らしい。
商品開発というものは本来遅々として進まないことが多い。
発案から始まり、制作、コスト削減、その他諸々の段階を経て形になるまでにはそれなりの時間がかかって然るべきなのだが、ハルト様はそれを殆ど全て一人で完成形に近い形にまで持っていってしまうのだ。『こうしたら便利かなって思って』と、ただ自分が使いやすくするために道具を改造してみたり、制作したりする。食べ物に関してもあの方の基準は食べてみたかったから、遊具等は面白そうだったから。
ハルト様の開発基準は自分が欲しいものだ。
好奇心旺盛で思いついたものは片っ端から試したくなるらしく、興味をそそられるとそれに夢中になってしまうのは子供ならではというところなのかもしれない。
そしてそれを単なる好奇心で終わらせず、形にしてしまうのはハルト様の持つ子供らしからぬ膨大な知識量によるところが大きいだろう。思いついたとしてもそれを形に出来る発想力と知識がなくては製品としての誕生は難しい。
だがその二つを合わせ持っているが故の商品の大量開発。
末恐ろしい方なのには間違いない。
あの年にして私と商売の話を対等に語れるのはもはや驚異だ。
余裕を持って用意していたはずの商業登録用紙は既に空、今日はそれも買い足して、いや買い占めておくべきか。そんなことを考えながら馬車に揺られていると後方から荒々しい蹄の音が聞こえてきた。
この辺りはまだ街の中心部から遠い、この時間帯は走る乗合馬車はこの一台だけだったはずだ。
何か事件でも起こったのかと考え、そして思い当たったことに私が慌てて立ち上がると同時にシーファの私を呼ぶ声が聞こえた。
「マルビスッ、マルビスはいるかっ」
並走した伯爵家の紋章入りのそれに乗っていた乗合馬車が急停車する。
「シーファッ、どうかしたのかっ」
私は慌ただしく馬車を飛び降りると、御者に向かって銀貨を一枚投げた。
乗合馬車の運賃は通常銅貨二枚、釣りを払おうとする御者を制するとそのまま出発するように手で促す。
多めのチップに上機嫌で走り去っていく乗合馬車を見送り、私はシーファに走り寄った。
「ハルト様が至急にとお呼びだ。このまま冒険者ギルドに向かう」
「至急ということは例のものが見つかったのか」
「そうだ、詳しいことは着いてからだ、早く乗れっ」
頷くとすぐに馬車に乗り込み、馬車はそれと同時に駆け足で走り出す。
私は御者台側の小窓を開け、シーファに話し掛けた。
「アレがこの領で見つかったのか」
「いや、違う。隣のステラート領だ。だが境目に近い。
こちらに被害がでる可能性をハルト様は憂慮されているのだがウチに騎士団の派遣はない。領地防衛の指揮をハルト様が執ることになったんだ」
なんとなくだがおおよその事態が飲み込めてきた。
領境、しかもアレ、ワイバーンが多数潜伏しているにも関わらず目撃情報が極端に少なかった事からしておそらく見つかったのはカザフ山麓のダレスの森辺りだろう。境目に近いのにもかかわらずウチに騎士団が来ないということは位置的に山を背後に陣取っている状態で居座っていると見るべきか。
しかしハルト様が領地防衛の指揮官とは、十二歳以下戦争不参加の法律はどうなっている?
そうなると例の噂の真実味も増してくる。
今回のハルト様の偵察個体の早期単独撃破の話題を面白く思っていない貴族があるということは耳にしている。あの方はまるで意識しておられないがそれは歴代の記録を塗り替えるものだ。ただそれだけならやっかみ程度で済んだのだろうが問題はこの国の王族にある。
王家には今、二人の王子とニ人の王女がおいでになる。一番上の王女は既に隣国への輿入れが決っているのだが二番目の王女のお相手がまだ決まっていないのだ。確かハルト様と同じ歳だったはず。勿論王族との縁戚関係を持ちたいということもあるだろうがここで密かに話題になっているのが本来王家を継ぐことになるであろう王子達の噂だ。第一王子は病で伏せっており現在歩くこともままならず、王位を次ぐ予定のなかった第二王子は継承するに適さない人格らしいのだ。要するに甘やかされて育ったために横暴で粗雑、頭の出来もよろしくなく、剣の腕前も底辺スレスレ、つまり第一王子が継承出来ない場合、この二番目の王女の婿に王位が回ってくる可能性が出てきたのだ。
つい最近まで伯爵であるグラスフィート家は歯牙にもかけられていなかった。
だが今回の件で一躍脚光を浴びることになった。
同年代の御子息を持つ貴族達の目の上のタンコブ、要するにハルト様はこの国の王になり得る可能性も出てきたということになる。もっとも、ハルト様はこのグラスフィート領の当主どころか貴族の地位にすら興味を抱いていない様子が窺えるので、そんな貴族達の心配は杞憂でしかないのだが。
おそらくハルト様の活躍を面白く思わない御歴々に恥をかかせられれば良し、ついでに襲われて戦死でもしてくれれば上等とでも思われたのだろう。
全く短絡的としか言いようがない。
とはいえ事と次第によっては一大事、それが現実化する場合もある。
冒険者ギルドに向かわれ、私を呼びに来たということはあの方は何かを仕掛けるおつもりなのだろう。
危機的状況にもなり得るというのに私は不謹慎ながらも胸を踊らせていた。
冒険者ギルドに着くと、直ぐに奥の実技試験会場へと案内された。
てっきり二階の応接室に連れて行かれると思っていた私は首を傾げたものの、その一角に造られたソレを見て納得した。ハルト様、ギルマス、ロイ、ランスの他に冒険者が四人、この地区ではランク的に十位以内に入る実力者達が囲む土を使って造られたソレはこの辺りの地形を立体的に縮尺した地図。
入ってきた私に気がついたのはロイだ。
目線で彼の隣に誘導され、そこに着く。
「どこまで話は聞いた?」
ハルト様の思考を邪魔しないように小声でロイが話かけてきた。
「大雑把なところは。それで全部で何匹見つかったのですか?」
「二十だ。ギルド長の話によるとこちらに回ってくる可能性があるのは多くても四匹程度だろうと言うことなのだがハルト様は繁殖期に入った魔物はこちらの予想通り動くことはないだろうと推測されている」
「それでどうなさると?」
「半分程が逃げてくると仮定してそれに対処する方法をお考えになると。
そのためにもワイバーンの性質や地形を詳しくお知りになりたいが地図ではわかりにくいとおっしゃられて」
で、この状況というわけか。
なるほど、これなら一目瞭然、地図の読めない者でもわかりやすい上に記載されていない情報も理解しやすい。大きな体格の良い男達に囲まれていると殊更に小さく見えるハルト様は何かブツブツと呟きながらその地図の周りを行ったり来たりしている。そして何か思いついたように顔を上げたかと思えば難しい顔で首を横に振り、再び行ったり来たりを繰り返す。
カザフ山は活火山で数十年に一度くらいで噴火を繰り返すため、あの辺りの地形は複雑だ。兵を配置するにしても幾通りもの戦術が考えられる。ハルト様に戦の経験があるはずもなく、今回ばかりはかなり厳しいようにも思えるのだがこの方は何をしでかすかわからないところがあるだけに侮ることは出来ない。
暫し様子を見守っていると考えが纏ったのか動きを止め、私の名前を呼んだ。
「マルビス、マルビスは来た?」
「はい、ここに」
一歩前に出てそれに応える。
「至急用意して欲しい物がいくつかあるんだ、まだ他にも出てくる可能性はあるけど。用意が出来ないものがあったら教えて」
そう言って挙げられたいくつもの道具。
ロープ、ワイヤー、丸太、おが屑や籾殻、油に家畜等、殆ど戦闘とは無縁と思われるようなものばかり。
戦の準備と言えば普通は剣や鎧、盾や弓、槍が主だ。
いったい何に使うつもりなのかと尋ねるとハルト様の口からは今回の防衛戦についての作戦を説明された。次々と口から飛び出すその戦略は現在の魔法や剣などを用いるものとは全く別物、私は不謹慎であることを自覚しながらその発想に目を輝かせずにはいられなかった。
「あと五日で用意できるかな?」
「お任せ下さい。現在、例の事業計画で必要と判断し、前もって準備させていたものがありますのでそちらを利用しましょう。
その他の物も全て揃えてご覧にいれます」
「ありがとう、助かるよ。私はこのまま現場に一度下見に行って確認したい。
ロイ、ランス、シーファ、ついてきてくれる?」
「お供いたしますっ」
即日行動どころか、即時行動。決断が早い。
先に返事をした私よりも先にギルドを飛び出して行く後ろ姿を私は見送るとすぐに私は私の仕事に取り掛かった。その後もいくつかの変更や追加の資材等もあったが全てはハルト様の立てた作戦通りに滞りなく準備され、迎えた当日、私は町の出口で留守番を申し渡された。
私も付いて行きたかったが戦闘では私は役立たずに近い。ついていったとしても足手まといなのはわかっている。
それでもハルト様に預けられた兵の数はたった三十、それを考えると心配でならない。
「大丈夫、私は無駄死にするつもりはこれっぽっちもないんだから。
マルビスにはマルビスの仕事があるでしょ。
適材適所、マルビスがいてくれてすごく助かっているんだから。ありがとう。
じゃあ行ってくるね」
その後ろ姿に私は頼もしく思いながらも見送ることしかできない自分の不甲斐なさに歯噛みした。
私の魔力量は決して少ないほうではない。
だが、剣も、槍も、弓でさえ満足に扱うことができない。
魔法ですら戦闘に関するものは苦手だ。
何故私は現状の力に甘んじて武力を鍛えてこなかったのだろう。
満足に闘うことはできなくても、せめて自分の身を守る術さえ持っていればお供できたはずなのだ。
しかし今、ここでそれを嘆いたところで始まらない。
足りない力ならば手に入れればいいだけだ。
私は今までもそうして生きてきたのだから。
だがそれもこの件が片付いてからだ。
ハルト様の仰る通り、私には私にしか出来ない仕事がある。
あの方の無事を信じて今はその事に全力を尽くそう。
これは恋ではない。
多分、恋ではないと思いながらもまるで恋い焦がれるように夢中になっていく自分を自覚している。
愛しいと言う意味ではない、目が離せないのだ。
彼と一緒なら世界すら変えられそうな気がするのだ。
家族を全て失った時、この世に神などいないのだと思った。
だがハルト様に出会い、やはり神はいたのだと信じたくなった。
世の中悪い事ばかりではない、私は商人であることを諦めなかった自分をこの日、誇らしく思った。