第百十七話 周囲の高い顔面偏差値の弊害は?
目を擦りつつ僅かに入る朝陽の眩しさに目をすがめ、ふと、自分が何か温かいものに包まれているのに気がついた。
・・・・・。
開いて目の前には三本の手があった。
私の腕がニョッキリと夜の内に生えるなどという状況はありえないことを思えば、これは私以外の誰かの手。
後ろから抱きしめられた状態であることに気がついた。
この手は見覚えがある。
節くれだった長い指、剣を振るためにできた握りダコのある大きな手。
イシュカのだ。
なんでこのような状態になっているのか記憶を思い起こす。
昨日ライオネルと暖炉の側で話しをしていたのは覚えている。
その途中で眠くなってうつらうつらとしていたところでイシュカが帰ってきたのも、足がもつれて抱き上げられたのも覚えてる。
・・・ダメだ、思い出せない。
なんか会話してたのは覚えてるんだけど。
今まで目が覚めたら誰かの膝の上とかいうこともあったし、若干慣れてきた。多分、疲れて寝こけていたのを抱き上げられてベッドまで運んでくれたけど私が腕を掴んだまま離さなかったとか、そんなところだろう。膝枕されている時とかもそんな似たような理由だ。
よく眠っていたからと、大概そのまま寝かせてくれる。
みんな私に甘すぎる。
最近はドキドキはするけど大騒ぎするほどではなくなってきた。
後ろに感じる体温が心地よい。
恥ずかしいのと同時に居心地良すぎてマズイと思う。
首筋に掛かるイシュカの寝息がくすぐったい。
イシュカにしても、ガイにしても不審な気配がすれば飛び起きるのに不思議だ。
いったい何が違うのかわからない。
でも抱えられていたせいか凍えるような寒さは感じなかった。
もう少し、もう少しだけこのままでいていいよね?
少しだけ身動ぎするとイシュカが微かに震えて寒いのか私の身体を更に内側に抱き込む。
ぴったりと背中にくっついた胸板から伝わるのは鼓動。
なんでこんなに他人の鼓動の音というのは安心するのだろう。
そういえばライオネルに昨日一緒に眠らないと言ったのに結局この状態だ。
なんと言い訳しようかとも思ったが事の経緯と事情は多分知っているだろうから今更か。
時間的にはまだ大丈夫だろうけど、この現場を見られるのは些か面倒だ。
いらぬ誤解を、っていうか、別に誤解も何もないのか。
大事な人がずっと側にいてくれると言ってくれたのは素直に嬉しい。
だけど・・・
婚約者となった経緯を思い出すと素直にそれが好意からだと盲信できるほど私は可愛い性格をしていない。
『お前は可愛気がないんだよっ』と、何度吐き捨てるように言われたことか。
だって仕方ないじゃないか。
私は男運もなかったけど、人との縁も薄かった。
信じたい、信じようと思って信じてみたら騙されて。
それでも極力他人に迷惑をかけないようにと生きていたのは私の意地。
『だから言ったでしょう、アンタは所詮その程度なのよ』と、そう言われたくなくて、それ以上ミジメになりたくなかっただけ。その結果、利用されることになったことも結構あったけど、ほら見たことかと嘲笑われるのだけは嫌だった。
最近、やたらと前世の思い出したくない記憶が蘇るのは何故だろう?
この世界に転生して、六歳の誕生日以降、様々なトラブルに見舞われたけど、全てそれなりに乗り切れて、自分の評価が予想外にも上がり過ぎているから、もしかしたら調子に乗るなと私の脳が警告しているのだろうか。
所詮、お前は凡人なのだから、忘れるなよと。
不安にギュッと胸が縮んだ。
「何をそんなに沈んだ顔をしているのですか?」
ふいに話しかけられて吃驚して振り返ると間近にイシュカのドアップが。
この距離で鑑賞に耐える顔ってどうなのよっ!
戦うことが職業であるというのに顔に一つも傷がないというのはどういうことっ⁉︎
単に相手がこの綺麗な顔を勿体なくて傷つけられなかったとか?
いや、でも逆に戦場ならそうでない方達にやっかまれて狙われそうな気も・・・
あっそうか、イシュカは魔獣討伐部隊所属、魔獣に顔の良し悪しは関係ないか。
でもそれはイシュカがそれだけ強いということなのだろうけど。
「おはようございます。すみません、昨日、貴方が腕を離してくれなかったので。ベッドにお邪魔してます」
やはり、か。
まあ遠慮してベッド脇で眠られて風邪をひかれるよりマシだ。
まだ完全に覚醒していないのかぽやっとした顔で挨拶された。
なんか、妙に色っぽく見えるのは私の気のせいではないはず。
「おはよう、イシュカ。ありがとう、ごめんね。私の手なんて振り解いてくれれば良いんだよ?」
私はとりあえず挨拶を交わすと謝罪する。
次回はそうしてくれて構わないという意味を込めて言ったのだがイシュカはそうは取らなかったようで眦を下げて尋ねてくる。
「私がそうしたくなかっただけです。御迷惑でしたか?」
慌てて私が頭を横に振るとイシュカがホッと息を吐く。
「それなら良かったです。貴方はとても温かくて、私もぐっすり眠れました」
私もだよ、とは恥ずかしくて言えなかった。
何かいい夢を見ていたような気もするのだけど、寒い中、身を寄せ合って眠ることの暖かさを改めて実感する。
起き上がって毛布が捲れ、外気に触れると途端に寒さが増した。
「ねえ、イシュカ」
私、昨日寝惚けて何か変なことを言わなかった?
そう聞こうとしたけれどなんとなく聞きづらくて頭を振る。
「ううん、なんでもない。今日の訪問、上手くいくといいね」
「はい」
ふわりと私の好きな柔らかな笑みを浮かべてイシュカが返事をする。
「早く終わらせて帰りましょう、私達の家に」
そう言われて私は力強く頷いた。
「うん」
今日はいよいよ他国の王との謁見だ。
自国の王とは最近謁見続きであまり緊張もしなくなったのが私の図太い神経の成せる技だろう。陛下が然るべき筋を通してそれなりの礼儀と敬意を払えば無体なことをする方ではないと理解したせいもある。
だが他国の王ともなればそうもいかない、気をつけなければ。
国王の命に比べたら下々の命などたいした価値もないのがこの世の中だ。
とりあえず今回順調に進めば私の出番はないはず。
滞在期間は今日を入れて三日間、城内に部屋も準備してくれる。
状況によっては延長もあり、観光や視察も可能らしいが微妙なところだ。無事、何事もなく済んでくれるといいのだけれど私が絡んでまともに進むとは思えない。きっと何らかのトラブルにまきこまれるに違いない。
着替えて食事を終えるとロイ達がベラスミの王に献上する品の最終チェックを終え、荷を積み込んでいた。
城に向かう馬車は二台、前に乗るのは王都から来たメンバーと連隊長、後ろの馬車は団長と私達だ。街中では城から迎えに来たという護衛が両脇に付いた。
昨日は人通りが少なくてあまり気にならなかったけど私達はあまり歓迎されていないように見える。始めは物珍しくてジロジロと見られているだけなのかと思ったけれどどうにも不快な感じだ。
恨まれているという感じではない、もっと別の・・・
「妬み、だな。恵まれた土地に住む者への。恨むには理由が足りないってとこか」
馬車の外を見る団長の呟きに納得した。
この国と我が国の間には今までたいした諍いも起きていない。
侵略の歴史がないのは利がないからだと。
戦争というのはお金が掛かる。
それに見合った価値がないから攻め落とさない、一年の半分以上が雪と氷に閉ざされた国。スケートやスキー、スノーボードみたいな娯楽は発達していない以上雪山に価値はないってわけだ。雪景色を楽しむようなゆとりがなければ美しいそれも生活を貧しくする厭う理由にしかならない。
雪国のリゾート開発というのも心そそられるものはあるけれど、流石にいっぺんに全部は手を付けられない。将来的には選択肢に入れてもいいけどまずはウチの領地の開発が先。上手く友好が結べるのであれば是非とも原材料として取引交渉したいとマルビスも言っていたけれど。
「何事も工夫次第だとは思うんだけどなあ」
現状を変えようという意識がないと何も出来ないのは間違いない。
安易に麻薬売買に手を出しているあたりが問題だ。
「お前のようにできるヤツばかりじゃない。むしろお前の発想力は異常だ」
ボソリと漏らした私の呟きに団長が言った。
「酷いなあ。そんなに変わったことをやっているつもりはないんだけど」
前世の知識を利用してるからズルといえばズルなのだけれど。
私に専門的な知識はないし、上品なお貴族様相手の商売は厳しい。
だからこその平民相手なわけなのだけれど。
「お前がもしこの国に生まれていたら、また変わったかもしれんな」
ポツリと言った団長に否定する。
「私にそこまでの力はないよ」
「どの口が言っている? 山と畑しかなかったド田舎を一大リゾート施設兼産業地帯に作り替えようとしているヤツが」
その首謀者は私ではなくマルビス達商業班。
「だから私の力じゃないって。いくら提案したところでそれを実行してくれる優秀な人材がいないなら絵空事でしかないんだから」
「そういう意味ではお前は恵まれているよな」
「ありがたいことにね」
面白いと思って実行してくれる人がいなければどうしようもない。
一番最初に私が話を持ちかけたのは父様とロイ達。
父様達がその気になって、マルビスが私を見つけてくれて、全てはそこから。
もし私の話をくだらないと父様が掃き捨てていれば始まらなかった。
「だが工夫次第ってことはお前ならこの国を変えようと思えば変えられるってことか?」
ツッ込むのはそこなのか。
私がこの国に生まれていたら、か。
一年の半分が家の中というのは私にとって苦行でもない。
前世の私は思い切りインドア派だった。
おそらくこの国に生まれていたらこれ幸いと読書三昧で家に閉じ籠り、ヒョロモヤシで今のような活動的な状態にはなっていなかっただろう。
「でも、そうだね。資金もある今ならやってみたいことはある、かな? 時間はかかりそうだけど。人材が集まるなら娯楽施設一つか二つくらいなら作ってみたいかも」
スキー、スノボみたいなスポーツだけじゃなくて、もっとイベント的なものがいい。
寒いとこなら温泉施設みたいな温まってのんびり出来る観光地とか?
温泉を使ったプールみたいな屋内遊技場みたいなものも面白そうだ。
極寒の中、室内で水着で遊べるなんて最高の贅沢だ。
雪見温泉とかもできたら最高。
お酒が飲める歳になったら露天風呂に浸かりながら一杯なんて夢だろう。
後は雪や氷の彫像とか作って芸術家達を競わせて、祭典なんてのも面白そうだ。
前世で一度は行ってみたいと思っていたけどあの時期は宿も高くて二の足を踏んでいた。
雪景色のライトアップとかも幻想的で綺麗だろうなあ。
思いつきにニヤニヤとしていると団長が肩を竦めて見せた。
「そんなことを言うのはお前くらいだ。本当に呆れたヤツだな」
いいじゃない、考えるだけならタダなんだからっ!
「人生楽しんだ方が得だからね」
「お前は楽しみ過ぎだ」
そこをつかれると痛いところだ。
何事もやってみなくちゃわからない。
前世でも好奇心旺盛で新し物好き、興味を持てば試してみたくて仕方なくなり手を出した趣味は数知れず。実に多趣味で借りていたアパートの中は様々な道具で溢れかえってた。
この性格は死んでも治らなかったようだ。
下手の横好きレベルで作ったハンドメイドをもとに手先の器用な職人達が工夫を凝らして作ってくれるので私より綺麗な出来上がりの作品に、落ち込むこともしばしばだけど。手を貸してくれて、商品価値のあるものに変えてくれる人がいなければ結局売り物にならないことを考えればマルビス達の功績が如何に大きいのか判る。
「でも、やってみたいことがあっても地元の人の協力が得られないなら厳しいよ。余所者の私がそんなに簡単に受け入れられるとは思えないから難しいかもね」
国が変われば常識も考え方も変わる。
そんなに上手く行くとは思えない。
「だが来年から北側の領地が新たに加わると狭い範囲とはいえベラスミとも国境を接するようになるぞ?」
言われてハタと思い出す。
「そうだった」
「だがここの城下町とは少し離れているし、山も近い。検問所もあることはあるが食料品や鉄鉱石の搬入くらいにしか使われていない。おそらく例のものが運び込まれたのもそこからだろうな。来年からはそこの管理も私の管轄になる」
父様が難しい顔で唸りながら左手で顎を摩る。
私は頭の中に以前見た大陸地図を思い出す。
「でも運河を通すならそこだよね?」
「鉱山も近いからそうなるな。それも見越してのグラスフィート領の領地拡大だろう。何ヶ所も検問所を抜けるとなるとそれだけ手間もかかるからな」
そういうところも考えての陛下の采配というわけか。
父様の言葉に納得していると団長が横から口を出してくる。
「今回の提案が決まればそこから南に向けて伯爵の領地を縦断することになる。何年かかるかわからんが将来的には王都まで繋がる事になる。グラスフィート領は一大貿易都市にもなるかもしれんぞ?」
いや、いくらなんでも、
「それは大袈裟じゃない?」
「そうか? もし各国と運河が繋がればわからんだろう? 各国間の貿易が盛んになればグラスフィートは、特にお前の私有地は位置的にもその中心になる。充分な土地と各国から運ばれてくる物資を加工するための工場と職人も揃い、発展するための土壌は整っているんだ。可能性としても充分だと会議でも話が出ていただろう?」
団長の言葉に私は首を傾げる。
「そうだっけ?」
「ああ、お前は開発担当者の方に主に混じって話をいたんだっけな。陛下や宰相、財務大臣やマルビス達がそのような話をしていたぞ? 俺はてっきりお前がそこまで考えてこの提案を持って来たのかと」
「んなわけないないでしょうっ、単なる思いつきなんだからっ」
そんなスケールの大プロジェクトなんて恐れ多い。
だが、またもや私の言った事が巨大事業化しそうな予感がしてならない。
どうすんのっ、今でさえ人手が足りてないのにどこから人集めてくるのっ⁉︎
そこまで言われて気がついたのはあの時陛下に押し付けられた褒美の寮建設の追加案件だ。つまりは好きなだけ人材集めて確保しておけよってコト?
「思いつきが他国を巻き込んでの国家事業になるってお前の頭はどうなっているんだ?」
「知らないよっ」
これって更に目立つ結果になるよね、間違いなく。
そりゃあ地味に生きるのはもう無理なんで諦めましたけどね。
これって有名になるのは国内どころの話じゃないよね?
そこまで派手に有名人になるのはどうなのよっ!
「だから優秀なのは私じゃなくて私の思いつきをそうやって利用価値のあるものに変えるみんなでしょ?」
「成程、そういう考え方もあるのか」
そういう考え方じゃなくて、実際そうなのっ!
「ああいうものは使う人によって便利にも粗大ゴミにも変わるんだから」
「それも大元となる発想がなければ可能にならないわけだから、そう考えるとお前達のところはそれらが全部揃っているから強いわけだ」
「何度もそう言ってるでしょ、私は自分に足りないものが何かよくわかっていただけだよ」
優秀なのは私ではなく、私の周りなのだと何度も言っているのに、本当にどいつもこいつも人の話を聞こうとしない。
「見栄を張らずにか?」
「そんなもの一銭の得にもならないじゃない、馬鹿らしい」
出来ないことを引き受けて、『やっぱりできませんでした』って言う方がカッコ悪い。
「男というのは見栄を張ってなんぼだろう?」
「身の丈に合った見栄ならそれも有りかもしれないけど、そういうものって大概身を滅ぼすものでしょう? 同じ張るなら意地とハッタリだよ。根性決めて小さいものを大きく見せて大物を釣り上げる、そのほうが得も多いよ」
ハリボテ着たって意味はない。海老で鯛を釣るのを狙うべきだ。
「やはりお前の考え方は為政者に近いぞ」
「そう?」
団長や陛下達はどうにか私を国政に引っ張り出したいようだが冗談ではない。
「何歩先もの未来を考えて動くだろ」
「普通じゃない?」
「大多数の人間は目先の利益に流されて失敗する」
そんなものか?
取らぬ狸の皮算用などしたところでマトモなものでないならいずれ破綻する。
私は大博打を打つのは嫌いだが、ある程度の保証が見込めるなら手を出すことも考える程度の小心者小市民、のはずだったのだけれど最近ハイリスクハイリターン的な状況が多い。
「それを言うならどちらかといえば私は為政者というより経営者が近いと私は思うが」
黙って聞いていたサキアス叔父さんが口を開いた。
「ハルトが動かそうとしているのは人ではなく、経済だからな」
叔父さんの言うことは的を得ているような気もした。
それに父様も頷いて続けた。
「そうですね、経済を動かすには人がいる。大規模展開していることもあってそうも見えますし、全体的に見れば為政者という見方もできるでしょうが、それは結果論であって、元となっているのは経済です。今回の件についても民の生活のためというのではなく、水を活用範囲の広い資源、売りつける相手のいる商品として捉えている辺りがそのいい証拠でしょう」
「つまり政治には向かないと? 伯爵はそう言いたいのか?」
納得のいかない様子の団長に父様が苦笑する。
「そうですね、向いているか向いていないかで言えば間違いなく向いているのでしょうが、凡庸ではないという程度。経済を発展させるという今の立場ほどの力はないでしょうね。
おそらく陛下はそれを見抜いたのではないかと。そのためにこの子が成人するまでに長男に家督を譲り、私にこの子のものとなる土地の領地経営をさせるつもりなのではと思いました。この子には跡取りとは考えていませんでしたからそういうことは教えてきませんでしたし、今から教え込むこともできなくはないですが、そうなるとこの子が今抱えている仕事に支障が出てきます。それでは勿体無いと思いませんか?」
「それで伯爵に引退はないと。あれはそういう意味か」
「あくまでも推察ですが。陛下の深いお考えは私のような凡人には計り知れませんので」
それはありえるかも。
裏で何をたくらんで、いやいや、お考えになっているかわからないからなあ。
あの陛下。
「もうすぐ到着するようですよ」
そんな会話を交わしているとイシュカがそう言って会話を切った。
馬車はゴトゴトと音を立ててまだ雪の浅い石畳の上を走っていった。
城門を抜けて馬車が止められたのは高級ホテルにある地下のエントランスのようなところだった。
早い話が雪除けのためなのか、感覚としては列車が車庫に入るような感じだ。雪に慣れない来客が足を滑らせないようにという配慮からなのかもしれない。なかなか考えられている造りになっているが玄関とも言うべきホールを抜けて歩いて行くと護衛を含めて持っている剣を預らせられた。
当然と言えば当然なのだが、簡単なボディチェックの間に持って来た献上品には検査が入り、案内役を先頭に謁見の間に向かう。私達の後を献上品を持った騎士達がついてくる。
あまり歓迎されているわけでもなさそうだ。
場内は質実剛健と言えば聞こえはいいが私の生活している三、四階スペースといい勝負。つまりはすごく質素だ。ゴテゴテした飾りが装飾は必ずしも必要だとは思わないが城というには豪華さに欠ける。あまり裕福な国ではないということは間違いなさそうだ。我が国内でも公に発表されていないから今回の訪問目的は詳しく告げられていないようなので警戒されているのかもしれない。
謁見の間に通されて当たり障りのない時事の挨拶などの会話がまずは代表であるフィアによって交わされる。簡単な各国などの国内情勢などの情報に話は始まり、持参した品々の説明と引き渡しが終わるといよいよ本題へと話が変わる。
「それでフィガロスティア殿下。この度はどのような御用件で参られた? 我が国に何ぞ相談提案したいという案件を持って参られたと伺っているが?」
他国の王子とその御一行様とあってはそんなに粗雑な扱いもされない。
心内はわからないが表面上はあくまでも友好的なものだ。
尋ねられたフィアがすぐ斜め後ろにいた宰相よりシルベスタ王国の紋章の封蝋をされた書類の束をフィアに手渡すとそれを受け取り、切り出した。
「はい。早速では御座いますが、この度、我が国では水道工事事業及び運河建設の計画が持ち上がっておりまして、宜しければベラスミ帝国にも御参加頂いてはどうかと。
勿論こちらはあくまでも提案であって強制するものでは御座いません。ですがこの事業への参加はこちらの国にもかなりの利があるかと思いましてお誘いに参りました次第で御座います。まずは同行させました我が国の開発部局長からの簡単な説明と、こちらに仔細な資料を用意致しましたので後程検討頂ければと」
フィアが両手で差し出した封書の書類を向こうの文官らしき人が受け取ると封蝋をしっかりと確認して中身が取り出され、ザッと目が通される。
両脇の兵はぴくりとも動かないけれどその書類を読み始めて直ぐにその文官の顔が驚愕に変わり、すぐにその横の文官、そしてベラスミも国王へと回される。
私も同じ書類は見せてもらったが最初の二枚は今回の提案を簡単にわかりやすく説明されたもの、三枚目からより詳しい工事の計画予定が書かれている。最初の二枚目まで国王の目が通されたところで開発部門責任者のデイビスが断りを入れてから徐に前に歩み出て、この一大事業計画について話し始める。
この計画の利点は単にこの国の水害被害を軽減するだけに留まらない。
掘り出した鉄鉱石の運河による運搬も勿論だが最大のメリットは国内処理に困っている大量の雪解け水を南の国まで繋げることにより、その多くの被害元である水を換金できる点だ。勿論、まだ南の国にはこの話を持って行っていないし、話が纏まっているわけではないのであくまでも仮定の話にはなるけれど万が一その契約がまとまらない場合でも海に面していないため排出先に困っているそれを我が国の水路を使い、海に廃棄できる点にある。
土地から大量の水分がなくなればぬかるんだ土地でも雪の積もらぬ半年間、食糧の栽培もできるようになる可能性があり、緩い地盤が改善されれば厩舎等の建築も容易くなり、畜産にも手が出しやすくなる。利用価値が低い湿地が乾燥すれば掘り出した鉄鉱石の運搬も楽になる。賛同してもらえるのなら技術協力も約束され、公共事業として行えば国内の経済効果も見込まれることになる。
勿論工事を行う以上、その工事費は掛かってくる。
だがそれだけの価値はあるはずなのだ。
「如何でしょうか? 決して悪くはない提案だと思うのですが」
デイビスが説明を終えて一歩下がるとフィアがそうベラスミ国王に尋ねる。
「確かにこれが実現するのなら素晴らしい。我が国にとっても願ってもないことだ。だが私一人の一存では決められぬ。至急会議にかけたいので時間を頂いても構わないであろうか?」
得てして上手い話には裏があるものだ。警戒するのも無理はないし、一大事業となれば王の一存で決められないのも当然。
「それも当然でございましょう。共同開発事業というものは互いに利があってこそ。我が国でこれによる利益を独占するわけではないというものを御理解頂くためにもそのための事業に詳しい人材を連れての今回の訪問で御座います。不明な点や質問等御座いましたら納得頂けるよう充分に説明させて頂きます。じっくりと御検討頂き、御返答を頂ければと」
頷いてフィアが勿論だと応えた。
こちらも慈善事業でない以上、勿論利はある。
こちらの豊富な水資源を利用できるなら国内の荒れた土地を豊かに変えられる可能性もあり、干ばつによる被害は避けられるようになる。水が枯渇しないのならそれだけでも充分に国には利益がもたらされる。様々な産業の発展には水は不可欠だからだ。
「城の中にとも思ったのだが見知らぬ者が彷徨いていては気も使われるであろう。中庭にある離れの小宮を一棟丸ごと用意させて頂いたのでそちらをお使い頂こうと思っているのだが如何だろう? 無論気に入られないようであれば城の中にすぐに部屋を用意させるので側の者に申し付けて下さい。視察や観光に行かれるというのであれば共もお付け致します」
それはありがたい。こちらでの話し合いも容易になる。
使用人や召使といった見張りはつくであろうが特に聞かれて困るようなことを話すつもりはないし。
「御配慮、ありがとう御座います。それでは御説明が必要な場合に対処できるよう半分をこちらに残し、残りを視察に行かせて頂いても宜しいでしょうか。彼が現場と民の暮らしぶりを是非見てみたいと申しておりましたので」
そう言ってフィアが私の方を見る。
これも当初からの計画通り。
まずは町の産業や状況、詳しい地形を確認したかったからだ。
ある程度どのような状況にも対応できるよう叔父さん達が考えてくれてあるのだが実際に目で確認してみなければわからないこともある。
「そちらは?」
そう問われてフィアが自慢げな口調で切り出した。
「風の噂では既に御存知かと思われますが、我が国の至宝、ハルスウェルト・ラ・グラスフィート伯爵。今回の事業の発案者で御座います」
その至宝っていうのは何っ?
そんなの聞いてないよっ!
またそんなこと言ったりしたら大事に、っと待てよ?
領地の例の件を考えればここは大きく価値を上げておいた方が良いのか?
向こうもそれが誇大化されたものだということくらいわかるだろう。
謁見の間が私の名前にどよめいていたが今更だ。
噂というのは大きくなって伝わるものが多いのは常だから私の威厳の欠けた姿を見れば割り引いて評価してくれるだろう。不躾なくらいに私に視線が集中しているのは見渡す必要もなく感じる。
「話には聞いていたが、また随分と幼い」
暫し間を空けて感心したような国王の声が耳に届く。
「子供だからと彼を侮ると痛い目をみますよ? 我が国でも彼にやり込められ、窮地に陥った貴族は一桁では収まりません。知略だけでなく武勇にも優れた者なので彼を敵に回すのはお勧め致しません」
やはり過大評価気味に伝えられているようだ。
貴族をやり込めたことは本当なので否定しないけど。
「正義感の強い、公正な者で御座います。無頼者や無法者、傲慢尊大で民を踏み躙ろうとする者には容赦致しませんが基本的に争いを好みません。我が国王陛下も重用する者でもあります。友好的に接する限りは文武ともに頼もしい者であることは間違いありません。
相手が喧嘩を吹っ掛けない限り、ではありますが」
と、宰相が更にそれに続けた。
「様々な伝説の如き活躍は私の耳にも届いている。各国が彼獲得のために乗り出し、自国の姫さえ送り込んでいるという話もな」
「はい。ですが我が父、国王陛下は彼を他国に渡すつもりはないと仰っておられましたのでそれをお考えになっているようであれば早々に諦めていただいた方が宜しいかと」
そうなのか、まあ逃げるつもりはないけど。
既にたくさんの人達を巻き込んでいる以上私にはあの場所にいる人に対しての責任がある。
「それについては安心なされるが良い。彼に相応しい報酬を用意できるほど我が国は豊かではない」
「そのようなもので動く者ではないが故に我が父、陛下も難儀しています」
基本、私の大事な人達と自分に害が及ばぬ限りは周囲の雑音には興味ないし。
今回も父様に余計な火の粉が掛からないなら多分来なかったと思うしね。
「では今回御提案頂いた件については早速こちらでも話し合わせて頂くとしよう。ゴードン、客人を一先ず小宮まで案内して差し上げてくれ」
両脇にズラリと並ぶ兵達の中から一番玉座寄りの男が前に歩み出た。
「かしこまりました、陛下。ではこちらへ」
団長に負けないくらいの体格だけど、覇気と迫力がない。
おそらく実力ではかなり劣る。
顔の作りは悪くはないけどいかにも凡庸で陰気な感じだ。
別にそれが悪いわけではないのだが、最近やたらと周囲の顔面偏差値が高すぎて面食いではないはずなのに顔の評価基準が上がっているような気がする。男は中身が大事だという基本は変わっていないけど綺麗な男の人が嫌いなわけではない以上、美しければ目が行くのは当然なのだ。
ゴードンと呼ばれた彼が歩き出すと入口から何やら慌ただしく数人が飛び込んできた。
客人の前だと王が嗜めるが青ざめた顔で耳打ちすると一瞬王の顔が歪む。
どうやら何か事件が起こったようだ。
やはり私はどこへ行ってもトラブルという厄介事に付き纏われるようだ。
出来ればあんまり物騒じゃないのがいいなあと思いつつ隣にいるイシュカを見上げた。
目が合うとイシュカは苦笑して私の手を軽く握った。