第百十六話 訳アリなのは私もです。
畏れ多くも城に一泊した後、フィアとまた会う約束をして城を出るとそこには全部で木箱が山と積まれた荷馬車が十台止まっていた。
「なんですか? これ?」
第一弾の移動人員三十人と私達の見送りのために来てくれた団長に尋ねた。
「褒美だ。お前、陛下に強請っただろう? 酒だ」
「げっ」
「なんだその『げっ』というのは。欲しいと言ったのはお前だろう」
確かに言ったけど、なんなのだ、馬車一台でどこぞのテレビ番組の『◯◯一年分プレゼント』みたいなこの量は。一箱十二本入っているとしても、それが三十六箱、それが十台なのだからザッと計算しても四千本以上。
「いや、まさかこんなたくさんの量が来るなんて思ってなかったから」
「何を言っている? これで全部ではないぞ? 一国の王子の命を救ってこの程度の量で終わるわけがないだろう。一応個人によって好みも変わるだろうからと国内にある各酒蔵やワイナリーから十箱ずつ手配されている。これは王都周辺の領地の分だ、遠方の各領地分は別口でお前宛に配送される。良かったな、大酒飲みが多くてもこれで当分酒には困らんぞ?」
ロイとマルビス、イシュカと父様とその馬車の列を眺め呆然とした。
「これ、地下の倉庫に入るかな?」
そう、隣のロイに尋ねると大きく首を横に振る。
「どう考えても無理、ですね。旦那様にお願いして以前生活していた倉庫に入れて結界を張っておきましょう」
「構わんぞ? まだあれはそのままにしてある」
聞いていた父様が許可をくれたが別にそんな面倒なことをしなくてもそのままウチの屋敷の方に持って行って空いている部屋にでも詰め込んでおけば良いと思うのだけれど。
「何もそこまでしなくてもいいんじゃない?」
「これを見てテスラやガイが黙って見てるだけで済むと思いますか?」
酒の入った木箱の山を指差してロイがそう言った。
因みに今テスラと叔父さんは昨日の開発部のデイビスとかいう人に捕まって少し離れた場所で質問されている。この分だと工事が決定したら何人かがウチまで質問するため押しかけてきそうだなあ。
とりあえず、この場にテスラがいないのは良かった。
ウチの側近の中でも特に酒好きの二人にバレたら毎日のように酒浸りになりそうだ。
私はマルビスと顔を見合わせて頷いた。
「そうだね、そうしよう。特に高いやつは」
「はい。なるべく早く庭に地下保管庫を新たに作るよう手配します。間に合わなかったらとりあえず女子寮の倉庫にでも置かせて貰っておきます。あそこは基本的に男子禁制ですから大丈夫でしょう」
その手があったか。
いくらなんでも女子寮にまでは忍び込まないだろう。
後は保管庫が出来次第、酒好き二人の留守を狙って完成した倉庫に移せばいい。地下は地上に比べて温度や湿度の変化が少ないのでそういうものの保存には適しているから妥当だ。
「団長、荷台の中身はみんな知ってる?」
「いや、陛下から褒美だというのは知っているが中身については教えていない。団内にも酒好きは多いからな。下手にバラせばお前に強請るヤツや、少しくらい味見してもバレないだろうと思うヤツも出てこないとも限らないから黙っていた」
それは尚更好都合。
「ガイやテスラには内緒にしておこう」
「同感です。二人がいない時を見計らって私が選別します」
「そうですね、入手困難で春先の御披露目に使えるものもありそうですから」
ヒソヒソ声でマルビスとロイと密談する。
「団長」
「わかっている。箱の中身については口を噤んでおく。
おそらくベラスミには数日中には使者が送られ、その返答次第では即日出発となるだろう。遅くなるほどベラスミは雪で馬車の移動が厳しくなるからな。準備だけは整えておいてくれ。それからマルビス、陛下からお前にだ。向こうに手土産として持っていく物としてお前のところの品を幾つか用意して欲しいということだが用意出来るか?」
そういって団長が胸元から一通の封書をマルビスにて渡す。
「拝見致します」
一言断ってからマルビスは封を開けるとその手紙に目を通す。
「こちらでしたらおそらく問題なく揃えられるかと」
「では一応準備をしておいてくれ」
「承知致しました。色、その他御希望はないのですか?」
「お前のセンスなら問題ないだろう。その辺は全てお前に任せると」
「それは責任重大ですね」
ふふふふっと笑っているマルビスは自信満々だ。
一ヶ月後には騎士団支部がほぼ完成、順次人員も移動してくるし、ベラスミ行きの準備も必要。まだまだ当分暇とは無縁になりそうだ。
「ねえ、団長。ベラスミ帝国までは片道どのくらいかかるの?」
この世界で初めて行く外国になる。
「そうだな。馬なら急げば王都から三日ってとこか。あそこの国は北に行くほど雪も深いから首都は南寄りにある。今回は宿の関係で街道沿いを進むことになるだろうから辺境伯領の西から抜けるルートになると思う。そこから一日とかからない。多分お前んとこの領地を経由する形になるだろう。お前達に割り当てられる馬車は一台、最大で六人乗れるが道が悪いことを考えると六人乗りは勧めん。護衛としての馬での同行は二人までだ。あまり多すぎると威嚇になりかねん。人選は任せるが俺としてはガイに来てもらえると万が一の戦力として助かるが、行き先が行き先だからまあ無理だろうな」
確かに。
「だね。向こうに入国したところで別れて宿で待機しててもらうっていうなら出来るかも? 聞いてみるよ」
「それも有りか」
「まあ期待しないでおいて。最近出突っ張りで疲れてるみたいだし。団員は平気みたいだけど近衛は好きじゃないみたいだから」
お高くとまっているから嫌いだと言っていたのを思い出す。
多くはないとはいえ平民が混じっているし、現地で平民との交流を持つこともある討伐部隊とは確かに雰囲気は違う。如何にもなエリート感が苦手らしい。
「そりゃ厳しそうだな。まあそれならそれで仕方がない」
団長は肩を竦めて言った。
「日程は決まり次第連絡を走らせる。頼むぞ」
「わかってる。今回は下手を打つわけにはいかないもの。領地の命運がかかっているからね」
出来る限り情報も集めてしっかり勉強しておかなきゃ。
「伯爵、頼んだぞ。しっかりしているとはいえコイツはまだガキだからな」
「心得ています。私も息子に頼り切りの情けない親になるつもりはありません。御役目、必ずや果たして御覧にいれます」
父様は情け無くなんかないと思うんだけどな。
領民に慕われている尊敬すべき領主だ。
出発準備は整ったところで話し込んでいたテスラと叔父さんが戻ってきた。
財政大臣はついて来れなくても、多分ある程度の説明が必要になるだろうからあのデイビスという人も一緒についてくるのだろう。
なんか叔父さんと同じような人種っぽいんだよね。
所謂専門バカ。
まあ叔父さんよりはマシみたいだけど。
御機嫌で手を振る彼と団長の見送りを受け、私達が乗り込んだ馬車はゆっくりと領地に向けて走り出した。
王都から戻ると早速仕立て屋に父様と向かい、至急で訪問のための服を仕立ててもらうことになった。
向こうは寒さも厳しいので厚手のコートは必需品だ。一緒に行くメンバーの物も当然揃えなければならないのだが誰を選ぶかに頭を悩ませることになった。馬での護衛の一人はイシュカとしても、やはりガイには拒否されたので、今回はウチからはライオネルを一緒に連れて行くことにした。父様のところと合わせてもイシュカとガイを除けば実力的に一番なのは間違いない。そうなると馬車は六人乗りだが重量を考えれば多くても五人が良いだろうということになった。
私と父様は絶対として残り三人。身支度その他を考えればロイは外せない。
後二人をどうするか?
一人は父様の護衛を連れて行くとして、もう一人。
迷った末にサキアス叔父さんを連れて行くことにした。
レジャー施設オープンまで半年まで差し掛かっている今、商談が関係ないことを考えればマルビスには屋敷にいてもらった方がいい。開発商品のことならある程度テスラだけでも対応出来る、叔父さんの研究は緊急を要するものでないし、今回の件でも設備などの説明も出来る上に曲がりなりにも貴族なので王宮の出入りの必要が出ても問題ないだろうということになった。
王都からの遣いが来たのは一週間後。
ベラスミの使者が帰りに父様のところに寄って連絡していったらしい。
いつでも歓迎、お待ち致します的な返事だったらしく、改めて使者は寄越すけれど早ければ三日ほどでフィア達御一行はウチまで来るようだ。既にベラスミでは雪が降り始めていてあまり向こうに伸ばすと馬車での道行も厳しくなりそうだというのも理由の一つで、早々の訪問の場合には先に馬で連絡を走らせ、それを追い掛ける形での出発になるそうだ。
その三日後、王都からやって来たフィア達御一行は残すところ後一階部分のみとなった騎士団支部の二階に宿泊し、出発することとなった。ウチの北側の検問所を抜けても行けないこともなかったが寒くなってきたこともあって野宿を極力避ける道行となった。早朝に出発し、ステラート領の西側国境付近近くの宿に一泊した後、翌日ベラスミ帝国との国境を超え、その日の夕方少し前には城下町に到着した。
ベラスミ帝国は全体的に暗色系の壁の多い、街並みだった。
雪が多い国だと聞いていたのでイメージ的に白が基調なのではないかと想像していたのだが、これはある意味合理的だろう。太陽熱を蓄えやすい黒色は夏は暑いだろうが圧倒的に冬が長いとなればこちらの方が便利だ。白い雪の中でも家を見分けやすい。ただ、マルビスに聞いていたように町全体に活気があまりない。まだ空は薄明るいというのに道には殆ど人影もなく、店の殆どが明かりが消えて閉められている。灯が付いているのは数軒の酒場と宿屋だけ。
今日は宿で一泊して明日昼前に城に行くことになるそうだ。
城に向かう人数は全部で九人。フィアと宰相、デイビスと団長、連隊長とイシュカ、サキアス叔父さんと父様、私。残りは宿で留守番になる。私達に割り当てられたのは従者部屋付きの部屋二つ。父様の部屋には護衛と叔父さんが、私の部屋にイシュカとロイ、ライオネル。部屋に届けられた夕食を一緒に取りながら窓から見える街並みを見下ろした。
ポツリポツリと灯りは見えるけれどそんなに沢山の数はない。
「結構夜は暗いね」
屋根の数に対して灯りの数が少な過ぎる。
まだ宵の口だと言うのに。
「それも仕方ないでしょう。灯りもタダではありません。ベラスミ帝国は領土こそ近隣諸国の中では大きい方ですが、実際に人が住んでいる土地は多くはありませんし、豊かな国とは言い難いですから平民の暮らしも決して楽ではありません。薪も節約するため、早めに一つの布団に数人で包まり、互いの体温で暖を取っているようですし」
ロイの言葉に成程と頷いた。
鉄の採掘と加工などの産業が主だと聞いていたけど、薪などは仕事でも使う重要な資源。そう無駄遣いもできないのだろう。ここは夏場は湿地帯も多いと言うし、木材も貴重ということか。
「人肌ってあったかくて安心するけど、それが節約生活のためって考えると少し寂しいね」
暖炉を囲んでの一家の団欒も楽しいと思うんだけど。
生活がかかればそうもいかないのか。
「ですがその分家族の結びつきは強いとも言います」
「ひと家族あたりの子供も多いですしね」
イシュカとライオネルの言葉に納得する。
家族を支えるためにそれぞれがそれぞれの仕事をして家計を支える。
そのためにも多くの子供が必要だし、つまり寒くて好きな人とくっついて眠ればそのまま大人しくも眠れないということね。前世でも昔、大都市が冬に大規模停電を起こした翌年は子供がたくさん産まれたという話もあったくらいだ。
まだまだこの世界の娯楽が少ないことを考えればそうなるのも無理はない。
それに医療の発達もまだまだ遅れている。
生まれた子供が全て無事に大きく育つわけでもない。
食事を終えて暖炉の側でうとうととしているとロイが父様に、イシュカが団長に呼ばれて部屋を出て行った。明日のことで相談があるらしい。
私はぼんやりと特に何をするでもなく暖炉の火を見つめながら毛布に包まってライオネルと二人が戻ってくるのを待っている。なかなか屋敷にいるとこんな時間はない。何かしら仕事があったり、やることがあったりして寝る間際まで動いているか話をしていることも多く、いつの間にか睡魔に負けていることも多い。最近は疲れ果てて倒れるように眠るようなことは滅多にないけどまた最近のんびり出来なくなった。冬の間は行事とかもあんまりないし、少しはのんびりできるだろうか。
年越しはみんなでパーティして、寝正月なんてのもいいなあ。
そんなことを考えているとふと視線を感じて顔を上げるとライオネルと目が合った。
ジッと観察するように見られている。
そういえばロイもイシュカも側近達が誰もいない状態で誰かと二人っきりって状況はそんなにないかも。みんな結構過保護だから外では特に私を一人にしたがらないし。
「今日は二人と一緒に眠るんですか?」
いきなりそう切り出されて私は真っ赤になって慌てふためいた。
「寝ないよっ、いつも一人で寝てるし、って、なんでそんなこと聞くのっ」
思いっきり動揺している私を見てライオネルは『しまった』という顔をする。
ポリポリと片手で頭をかきながら口を開いた。
「いや、特に深い意味はないんですが二人の帰りを待っているようでしたので。
婚約者でしょう? それに護衛の意味でも一緒に眠るというのは悪くはありません。すぐ側にいるというのはそれだけ対処も早くできるということですから。貴方の立場であれば側室の一人になりたくて勝手にベッドに潜り込んでくるような女も出てきそうですし。お屋敷なら防犯設備も整っていますからその必要もないのでしょうけど、そういうことを防ぐのにも出先であれば一緒のベッドで眠るというのは効果的な手段だと思いますが」
どうやら悪気もなければ揶揄う気もなかったようだ。
キマリ悪そうに視線をそらしたライオネルがボソボソと言った。
それを聞けば成程、それも悪い手ではないのか。
以前父様やロイ達もそういう心配をしてくれていた。
既成事実を作ってしまえば後はどうとでもなる、貴族子女なら責任問題として追求すれば最低でも側室には入り込めるだろうからと。
「そんな心配はまだ先でしょ。私はまだ子供で色気もないし」
女の子との出会いだって殆どない。
男同士の雑魚寝など職人では毎日当たり前のことだし、団員達も遠征先では狭いテントでぎゅうぎゅう詰めで眠ることもあるとイシュカが言っていた。ハンモックが団員達に支給されてからはそういうことも少なくなったみたいだけど。それを考えれば女の子に潜り込まれるような事態などまだまだ先の話だろう。
「色気がないって、言われたんですか?」
ライオネルが不思議そうな顔で聞いてくる。
結構ズケズケグイグイとくるなあ。
まあいいけど。
コソコソ陰で言う人間よりこういうあっけらかんとした人の方が私は好きだ。
私は小さく笑って答えた。
「ロイもイシュカもそんなこと言わないよ」
仮に思っていたとしてもそういうことをいうタイプじゃない。
「ですよね。こういう言い方は失礼かもしれないんですけど」
「いいよ、ハッキリ言って。私は悪口とかでも気にしないから」
むしろ言われないと悪いところは自分じゃなかなかわからないから治せない。
言いにくそうに口籠るライオネルに急かすように言った。
「いえ、悪口ではないんですが。色気、ありますよ。ハルト様は」
えっと、今、なんと言った?
空耳だろうか?
「人によって感じ方や好みもあるでしょうけど、子供と思えないほどには充分過ぎる色気があると俺は思いますが」
やはり聞き間違いではない。
前世、あれほど皆無と言われていた、そんなありがたいものが?
これは喜ぶべきか?
私が驚いて固まっているとライオネルが先を続けた。
「色気というのは匂い立ち、滴るようなものばかりではありません。
隙やギャップを見せられてドキッとしたりすることってありませんか?
そういう点からみればハルト様には充分に魅力的で色気があると俺は思います。貴方がまだ幼いから無体なことはしないのでしょうけど。でなければ幾らお側に居たいからといって婚約までしないんじゃないですか? まあ貴方を含めて周りには朴念仁も多いようなので自覚があるか定かではありませんが」
ギャップって、確かに外見と中身の年齢差は物凄いけど。
朴念仁って、確かに私は鈍いとはよく言われるけど。
私を含めてって、つまりロイやイシュカ達のこと、だよね?
そんな言葉、みんな縁遠いように思えるけど?
「大変そうですね。十年後にはいったい何人の伴侶や夫人がいることになるのかわかりませんが頑張って下さい。執着の強い男はなかなか面倒だと思いますから」
「それって誰のこと?」
「貴方の側近の、婚約者の方々のことですよ。ああいう今まで何事も執着したことのなかったような男は欲しいものを見つけて夢中になると大概大変なことになりますから。他に欲しいものがないから一度それが欲しいと思えば脇目もふらなくなる。そういう意味では全員面倒そうな方達ばかりじゃないですか」
何事にも執着したことのない面倒そうな男。
そう言われて思い当たることは幾つかあった。
情の深い両親の死に様を見て恋愛に臆病になったというロイ。
万年フラレ男で両親の死をキッカケに人間不信気味だったマルビス。
生への執着が薄く、『死にたがり』と呼ばれていたイシュカ。
自分の姓を捨てたいと言ったほどに『家』を嫌うガイ。
家族の話をすると逃げるように時折席を外すテスラ。
みんな何かしらの事情を抱えているのは知っている。
「なんか経験豊富そうだね、ライオネルは」
「そういうわけでもありません。血筋なのか親兄弟親戚にそういうタイプが多いんですよ。俺はそんなところが嫌だとハルト様のところに来る前に恋人にフラれてしまったんですがね」
つまりライオネルもそういうタイプで、そんな家族達を見てきたからそう思うってことなのか。
しかしライオネルがそんなに情熱的なタイプだとは思わなかったが、
「自覚、あるんだ?」
私がそう尋ねるとライオネルは笑った。
「ありますよ、一応は。でもこういうのって理屈じゃないんで自分ではなかなか制御できないんですよね。まあ当分は恋愛関係は遠慮しようとは思ってますけど」
腕っぷしが良くて、頼り甲斐のあるライオネルならその気になればよりどりみどりだと思うけど。
「なんで?」
「言ったでしょう? 私は必ずや貴方の側近になって見せると。ウチの家系は恋愛以外でも結構執着強くて諦め悪いんで、必ずやその位置まで上がってみせますよ」
私の側近の座の倍率が跳ね上がっているのは知っているけど、
「みんな物好き多いよね」
「貴方が御自分の価値をわかっていないだけでしょう」
自分の価値?
たいしたことはないと思うんだけど、そう言われるよね。
みんなに大切に思われている自分に価値がないなんて思わないけど、ただこうしてたくさんの人と関わりを持ってくればわかる。自分の考え方や思想がかなりこの時代とズレていることくらいは。
身分差による迫害、人の命が平等でない社会。
貴族一人が贅沢をするために何万人もの平民が犠牲になる時代。
男女も決して平等ではない。
力あるものが力なきものに平気で踏み潰される世界。
前世でも人類が何百、何千年とかけて変えてきたものだ。
私の考え方はこの世界ではまだ認められていない、遥か未来のもの。
だからといって、この時代の考え方に順応することはできない。
時代を変えようなんて、そんな大それたことをするつもりはない。
でも、私がこの時代に染まらなきゃいけないわけではないはずだ。
例えそれが異端だと呼ばれたとしても、私は私の大事な人くらいは守りたい。
ただ、それだけなのだ。
結局、移動が続いて疲れていたせいか二人を待っている内にうつらうつらと船を漕ぎ始めた頃、ドアの開く音に気がついてうっすらと目を開ける。
うすらぼんやりと視界に映ったのはイシュカの姿。
「おかえり、イシュカ」
私はヘラリと笑ってそう言った。
「はい。只今戻りました。先に休んでいて頂いても良かったのですが」
小さくカツカツと足音を鳴らしてイシュカが近づいてくる。
私は瞼を擦りながら夢うつつの状態でイシュカを見上げる。
「うん、ただ私がおやすみって言いたかっただけ。ロイはまだ戻ってないの?」
「まだもう少しかかるみたいですよ。ここで待っておられますか?」
ボケたままの頭で少し考えてから首を横に振る。
「ダメ、もう限界みたい。ゴメン、先に寝る」
「はい。ロイには貴方が待っておられたと伝えておきますよ」
立ち上がろうとしてよろけると、イシュカが支え、受け止めてくれる。
いかん。思ったよりも疲れているみたいだ。
「失礼します」
そう言ってイシュカが私を抱き上げてくれる。
「このまま寝室までお連れしますよ」
「歩けるよ?」
「私がこうしたいだけですから、運ばせて下さい」
前は抱き上げられることが凄く恥ずかしかったけど。
今も恥ずかしいのは変わりはないけど、それよりも嬉しい。
みんなが私を大事にしてくれている証拠だから。
眠いせいか今ひとつ意識がはっきりしていない。
身直に感じる体温に無意識に擦り寄ってしまう。
「イシュカ、あったかいね」
子供だから許される所業だろうけど、いつまでみんなはこうして私を甘やかしてくれるのだろう。
「暖炉の近くにいたからでしょうか。貴方も暖かいですよ?」
「ライオネルと話してたから、暖炉の側でずっと。でもやっぱり、こうして、くっついている方があったかいね」
すごく安心する。
「そうですね。ここは貴方の屋敷に比べると随分寒いですから」
「私のじゃないよ」
あの場所は私の屋敷だけど、私だけのものじゃない。
「あそこはみんなの家」
こんなふうに誰かに甘えることは最近までなかった。
前世でも恋人どころか彼氏もいなかったし、子供の頃の記憶なんて殆どない。
人の体温がこんなに心地良いものだって知らなかった。
今世では三男で放任されていたし、前世では手のかかる弟や妹がいたせいか、お姉ちゃんでしょと言われて我慢しなきゃいけないことが多かった。学校でイジメられてても親にも言えない、家に帰ったところで小さな頃から自分のことは自分で全てやらなければならなかったから、掃除も、食事の支度も。弟達が生まれる前はあんなに可愛がってくれたのにと思ったことも一度や二度ではなかった。
手にしていたものを失うのはそれなりにキツかったのは覚えている。
甘えるのが上手い弟達は親の手伝いから逃げるのも上手くて、結局私は貧乏くじばかりで、子供の頃はそれも仕方ないとは思っていたけど、大人になってからも同じ実家通いで仕事に行っていた私は脛齧りと言われ、弟達は一番下の妹でさえ三つしか変わらなかったのにまだ若いからと容赦され、それが嫌で私は家を出たんだった。なのに家を出た後も同じ独身だったのに、家にいる弟達は何も言われず、家を出て自立してからも私は相変わらずいつまで親に甘えているのだと怒られた。
アンタの面倒を見るつもりはないと、親に言われた。
誰に育ててもらったのだと、怒鳴られた。
面倒見てくれなんて、一度も言った覚えはなかったのに。
甘えるのが上手い弟達、意地っ張りな私。
きっと素直に甘えられない私は可愛い子供ではなかったのだろう。
理不尽だと何度も思ってた。
友達にもよくそんな愚痴をこぼしてたっけ。
私は実家が嫌いだった。
今思えば家族もあまり好きではなかったのだろう。
死ぬ瞬間すら、家族の顔が思い浮かばなかった程度には。
実際、職場でも家族の話をしない私が天涯孤独だと勘違いしていた人もいたくらいだった。
職場でも、学校や家でも私の居場所と胸を張って言えるところなんてなかった。
早くいい人見つけて結婚しなさいと言われても男運の悪すぎた私には縁遠くて。
友達はそれなりにいたけど彼女達には帰る場所があって、結局最後は一人だった。
男らしいと言われていたのは人に頼ることが苦手だったから。
度胸があったのは自分を大切にしていなかったからだ。
私は家族が欲しかった。
ずっと。
血のつながりという意味ではない、自分の帰る場所。
本当の意味で私を待っててくれている人達がいる場所。
そして、私の大事な人達が帰ってきてくれる場所。
下には下がいる、上を見てばかりいてもキリがない。
確かにそうだ。私より不幸な人はたくさんいた。
自分が誰よりも不幸だなんて思ったことはない。
だけど、それでも、寂しかったんだ。
本当は。
ライオネル、訳アリなのは私もなんだよ。
だからただ一人でいい、自分の味方、恋人が欲しかった。
私が一番大事だと言ってくれる存在が欲しかった。
でも私は疑り深くて、臆病で。
一度掴んだ手を離されるのが怖くて仕方がなくて、いつか離れていくのではないかと考えると差し出された手を掴むのも怖かった。
だからいつか裏切られるくらいなら独りのままでいいと意地を張ったのだ。
その私に、今は婚約者が五人もいる。
「みんなが戻ってきてくれる家にしたいんだ、私」
最後に帰ってきてくれる場所になりたい。
そこが大きくても、小さくても。
「『いってらっしゃい』と、『おかえりなさい』って言ってあげられる場所」
私の自己満足なんだけど。
そしたら私は一人じゃない。
ロイも、マルビスも、イシュカも、ガイやテスラにも、みんなにそう思ってほしい。
「みんな、いつまでも戻ってきてくれるといいなあ」
私が甘えることを覚えて、
弱くなってもみんな側にいてくれるだろうか。
「戻ってきますよ。みんな、貴方がいるところへ。
貴方の側は、どこよりも居心地が良くて、あたたかいですから」
そんなイシュカの言葉を、私は夢うつつで聞いていた。