第百十二話 押しに弱いのは昔からです。
上からガイが降りて来たところで悪巧み、っと、違った、会議は始まった。
まずはそれぞれの報告からだ。
最初の発端となった事件、ウチのグラスフィート領での違法高利貸しの事件とその調査報告からだが、ウチで既に調査済みのものについては割愛してその後の王都で行われた尋問その他で判明した件についてだ。とはいえ調書その他は灰塵と帰してしまっているために取調担当者が覚えている範囲の報告、そしてウチに現在勤めているお姉様方への聞き込み調査、そしてガイの仕入れて来た情報、昨晩のキャスダック子爵一家殺害事件及びその証拠隠滅による被害状況、そして私が私有地にて見回りを強化して得られた報告。
結果から言えばほぼ証拠は隠滅をされてしまった。
一家どころかその時屋敷にいた使用人まで斬殺されては証言も取れない。
貴族の屋敷というものは一般的にそれなりに大きいので辺りの民家まで悲鳴が届くようなことはあまりない。辺りが田畑に囲まれていれば静まり返った中でそれも響くだろうが、そうなると悲鳴を聞く民家もないというわけだ。大勢の人間がドタバタと逃げ惑うような事態にでもなればまた違ってくるであろうが、キャスダック子爵邸にあった死体は全て喉を大きく掻き切られるか、背後から心臓を一突き、つまりほぼ一撃で悲鳴を上げる暇もなく始末されていたらしい。当然だがそのような手練れが証拠を残すなどと間抜けな真似をするわけもなく、残っていた帳簿も特に怪しいものはなかった。私達が消火にあたった畑の他にも二つ、証拠隠滅のために焼かれた畑があったということだ。不幸中の幸いはこちらは麦の収穫がほぼ終わっていたために残った根を焼く程度のボヤ騒ぎで済んだようだ。刈り入れが済んでいるのにその根まで御丁寧に焼いて炭にしていく辺りが相当に用心深い。草というものは根が残っていればまた生えてくるものだ。放っておけば今は良くても来年芽が出たり、切られた根元が伸びればバレてしまう危険もある。そこまでの証拠が隠滅されてしまっていたということは、既に賊は消息を絶った後ということに他ならない。ようするに逃げられたわけだ。まだこの領地に潜伏しているかどうかは定かではないが、見張らせている対岸の野営場所にも戻ってくる様子はないし、その周辺も捜索したが人影は見当たらなかった。おおかた野営地がバレたのを見抜いてどこかに隠れたか、一度大元の雇い主へ報告に行ったのだろう。
そうなってくると残る手掛かりはウチに日雇いの大工職人として現在入り込んでいる一人だけ。
「おそらくだが、関係者に間違いないとは思うぜ」
ガイが茶請けに出した煎餅に手を伸ばしながら言った。
昨日残った白米を潰して平らにした後、甘辛醤油で味付けして両面をこんがりと焼いたそれを口にしたガイは気にいったらしく、勢いよくバリバリとほうばり始めた。
「何故だ?」
口の中に入ったそれを飲み込むと自分の手元に皿を引き寄せ、横から伸びて来た連隊長の手を叩き落として抱え込むとガイが連隊長の質問に応えた。
「御主人様が出かけている間にツマミと酒を何本か持って大工の寝泊まりしている宿舎に行って来た。宴会にかこつけて様子を伺いにな。歩き方が普通の職人とは違う。ありゃあそれなりに訓練されたヤツか相応に手慣れているヤツだ。気配が他のヤツとは違う。それに北部のヤツ特有の訛りが消し切れていなかった。ごく僅かだったがな」
私達が留守中にそんなことをやっていたのか。
流石というか、抜かりがないと言おうか、だからこそイシュカも多少のことは目を瞑るのだろうけど。
「捕まえて吐かせられるか?」
連隊長の言葉にガイは首を横に振る。
「イヤ、確証はねえ。御主人様は敵もそれなりに多いからな。他領の貴族の密偵の可能性もゼロではないし、そのフリをされる可能性もある。昨晩の言い訳も考慮すると頭も相応に切れる。とりあえずは見張って証拠を押さえるしかねえだろうな」
「つまりは現状、証拠は何一つ残っていないというわけか」
「まあそうなるな」
連隊長の呟きをガイが肯定する。
「だがこれでベラスミのヤツらのこの領地での仕入れ先は潰れたわけだ。まだ他に栽培する土地を確保していれば話は別だが、帳簿上でも検問所でも薬草や加工品ではなく輸入品目は葉物野菜で通されていて証拠もない。
そうなってくるとオーディランスの連中がウチの関与責任を取ろうと思ってもシラを切り通せないこともない。ベラスミが食物を仕入れているのはウチの国だけじゃないから特定しようにも無理がある。俺の仕入れて来た情報も確実なものは一つもない噂レベルのものも多い。全ては憶測の域を出ないということになる。焼かれた畑被害も御主人様が抑えてくれたんで実質一区画のみ、この領地の収穫量からすれば微々たるもんだ。ボヤで通せる。被害者には気の毒だが平民が野盗に襲われる話はさして珍しくもない」
「そうなると国としても今回の件で追及が必要になるのはキャスダック子爵邸のみということか」
「まあそういうことだ」
ガイが吐き捨てるように言った。
これがこの世界での身分差による現実というものだ。
仕方がないで片付けたくはないが歴史も身分差による格差社会も改革も、一朝一夕で変わるものではない。革命や変革を経て円熟し、作られていくもの。
だが父様は受け入れきれないようだ。
「だからといって私に管理責任がないわけではない」
潔癖と言おうか、高潔と言おうか。それとも馬鹿正直というべきか。
だが、統治者であるなら尚更領民のために清濁合わせて飲み込む必要がある。
政治家、領主というものは個人的なベストを尽くすより自分が守るべき領民の圧倒的多数の意見を尊重し、より大勢の納得できるベターな結論を選ぶべきなのだ。
「麻薬についての情報は兵士に伝えているのか?」
ガイが責めるような口調で父様に尋ねる。
「それはまだだ。確証がない以上まだ伝えない方が良いだろうと判断した。ベラスミとの違法取引の疑いということで伝えてある」
「賢明だな。憶測の域を出ない状態で下手な情報は漏らさない方がいい。それに責任感が強いのは悪いことじゃないが自分が犯してもいない罪を被るのは間違いだ。責任の取り方なら他にもあるだろ?」
事実が必ずしも必要とは限らない。
それは私もそう思う。
個人レベルの責任を追求した末がその他大勢の不幸につながるのならそれは晒すべきではない。これは国家レベルの案件、父様が責任を負うことでそれが公になれば他国を巻き込んだ戦争にも発展しかねない。
それには連隊長も同意のようで頷いて言った。
「そうだな、私もそう思う。第三国が絡んでくる可能性がある以上妥当な判断だ。現状明らかにすべきではないだろう。然るべき時が来たら然るべき責任を負えばいい。今貴方がここの領地経営から手を引かれるのは悪手、折角ハルトが起こしている事業を潰しかねない。まずは内々に御相談して陛下の判断を仰ぐべきだ。
それでオーディランスがウチの国にコカトリスを差し向けた証拠はあるのか?」
「そっちも確実な証拠はないが、平民の間ではかなりそういった話が出回っているのは間違いない。本当か嘘かわからないような嫌がらせを講じてやったと考えなしに自慢しているヤツもいる。イビルス半島の魔獣被害で相当にやっかまれているからな。ウチで被害が殆ど出ていない理由の調査は入れてるようだからコカトリス討伐の功労者と御主人様の関与についても既に調査済みかもな。それを考えると職人の中にオーディランスの密偵も潜んでいないとも限らない。御主人様の警護と見回りは強化すべきだろう」
またもや警護の強化か。
陛下が脅しをかけてくれたお陰で少しは息苦しさも解消できると思っていたのだけれど。
連隊長が眉を顰めてガイに問いかける。
「危険があると睨んでいるのか?」
「命の危険というより誘拐、もしくは向こうの国からの王侯貴族との婚姻の提案ってとこか。まあウチの御主人様はそう簡単に誘拐されるタマじゃねえことを考えれば向こうへの婿入りかこちらでの嫁取りの方が確率的に高いだろう。そうなると早々に三人と婚約しといたのは正解かもしれないぞ? できりゃあもう一人二人追加しといた方が良いかもな。多けりゃ多いほど手出しも申し入れもしにくくなる」
いきなり自分に思わぬ方向で話が飛んできて私は目を丸くした。
三人でも多いと思うのに更にもっと増やそうだなんてどう考えても色々な意味で無理がある。閣下や辺境伯でさえ三人しか夫人がいないのに私が更に婚約者を増やすなんておかしいでしょう?
それに、
「簡単に言わないでよ。そんな物好きそうそういないよ」
こんな子供の婚約者になろうなんて奇特な人がそんなにいるわけもない。
するとニヤリとガイが意味深に笑っ言った。
「そう思っているのは御主人様だけだ」
そんなわけないでしょうがっ!
そう反論しようとするとそれを聞いていたロイがポツリと言った。
「もう一人ならテスラでしょう。後は・・・」
へっ⁉︎ テスラ?
なんでここでテスラが出てくるの?
私が目を白黒させているとロイは更にその視線をガイに流した。
「俺っ? 俺は駄目だ。縁が切れているとはいえ、御主人様と繋がりが出来てそれが親父にバレたらシャシャリ出て来ないとも限らない。商魂がかなり逞しくてガメツイからな」
「バレなければ良いのか?」
更にもう一人なんて私の想像の範疇を突破している。
無理だと断ったガイにホッとしたのも束の間、連隊長がそう尋ねた。
するとガイは少しだけ考えて呆気なく意見を翻す。
「まあ、特に問題はねえな。御主人様のところは居心地もいい。もともと結婚する気は皆無だったし、養子縁組みたいなもんだと思えば」
何をそんな簡単に、そんな結論になるの?
連隊長がガイの返答を聞いて提案する。
「ならば一度私の縁戚の養子に出てから婿に入るのはどうだ? それなら元の姓も消えた状態での婿入りならパーティなどで出会さない限り親兄弟親戚にバレることもないだろう」
「いいのかよ、俺みたいなのが養子で」
連隊長の言葉にガイが尋ねると連隊長があっさりとそれに頷いた。
「言っておくが親戚といっても爵位は男爵の地方貴族だぞ? その方が後も辿られにくいだろうし面倒もないだろう」
「構わないぜ? 俺はさっさとシレイユスの姓を捨てられるなら平民でもいい」
「決まりだな。こちらとしてもこの辺でハルトに借りを返して置かないと積もり積もって大変なことになりそうだし丁度いい。早速話を持って行くとしよう。私としてもハルトと縁戚になれるのは願ってもない。バリウスが聞いたら悔しがって地団駄を踏みそうなところがまた良い」
連隊長がニヤニヤと愉快そうに笑い出す。
まあ二人がそれを承知で構わないと言うなら今更だ。
「ガイはそれでいいとしてもテスラの意見は聞いていないでしょ」
既にフィアの誕生日パーティで恋人としてガイは御披露目されてしまっているし。
だがテスラは違う。
側にいるという時点で個人の感情を抜きにするなら適任かもしれないけれど。
「テスラは断りませんよ」
「いや、強制は駄目でしょう」
確信めいたロイの口調を私は咎めた。
「では聞いてみますか? テスラが嫌じゃなければ構わないんですよね?」
「そういう意味では・・・」
「ちょっと呼んできます」
私の制止と意見は聞かれることなく、ロイによってテスラは呼びに行かれた。
大方の事情を大雑把に話されてジッとそれをテスラは聞いていた。
「・・・というわけなんですが、どうします? 強制ではありませんし、断ったからといって立場も扱いも今まで通りで何も変わりませんが」
ザックリと説明されて頷くとテスラは特に驚いた様子もなくにっこりと笑った。
「婚約します。俺も婚約者に加えて下さい」
だからなんでそうなるのっ!
ガイみたいに理由があるならまだ分からないでもないけれどテスラが受ける理由がわからない。
「テスラ、よく考えた方がいいって」
「ハルト様は俺が婚約者になるのは嫌なんですか?」
私みたいなのの婚約者なんかになったら後が大変だからっ!
嫌か嫌じゃないかの二択で聞かれれば嫌ではない、嫌ではないが。
「ロイやマルビス、イシュカにガイまで良くて何故俺は駄目なんですか?」
諌めるつもりが逆に問い返された。
確かにテスラがそれで良いというなら断る理由は見当たらない。
「別に駄目ってわけじゃないけど」
「ならば問題ありません。明日にでも誓約書を書きます。話がそれだけなら俺は作業に戻りますね。書類も一つ仕上げてしまいたいですし」
あまりにも早すぎる決断と決定。
それだけ告げると用は済んだとばかりにテスラは書斎を出て行った。
まるで何事もなかったかのように。
それを見送ったところでガイが本題へと話を戻す。
「ということで御主人様の件は片付いたとして、残るは違法取引疑惑と三国間の問題についてだが」
か、簡単に片付けられてしまった・・・
普通婚約とか結婚ってもっと話し合って決めるものじゃないの?
やっぱり何かがおかしい気がする。
そりゃあ国と国の問題からすれば私の婚約者の問題なんてたいしたものでもないかもしれないけどあまりにもあっさりし過ぎてはいないだろうか?
着実に(逆?)ハーレム状態に私の意思とは無関係に近づいている。
そんな茫然自失の私を取り残し、父様達の話し合いは続けられる。
「頭が痛いところだな。どちらの国も情勢は芳しくない。戦争にならないのは単に資金不足だからという一点に尽きる。戦争というのは金食い虫だ。起こせば国民にも増税という名の協力を仰がねばならん。平民自体が蜂起すればまた状況は変わってくるだろうが国自体が動くなら相応の準備が必要だ。特にオーディランスは街の立て直しも出来ていない状態での侵略は厳しいという点に期待するしかない。現状薬物汚染が広がっているのは港町だけだろう?」
頭を抱える連隊長にガイは他人事のように言う。
「まあな。一都市だけと狙いを定めるなら実に効果的だ。港町ってのは大概貿易の要だからな。金を持っているやつもそこそこいるし、経済的にもある程度打撃を与えられる。そうなると国家として動くなら港町以外になるだろう。ウチの国を目の敵にしているのは主にそれによって国庫に打撃を受けた王族一派と港町を管理している貴族連中だけだ。他はたいして実害を被っていないことを考えればそっちは仕掛けてくるよりも御主人様の取り込みに力を入れてくると見た方がいい。問題はベラスミの方だ。この二カ国間で戦争が起きた場合の結末によってはウチも賠償問題に発展しないとも限らない」
「要するに集めて来た情報が真実であり、それがオーディランスの知るところとなった場合か」
ボソリと漏らした父様の言葉にみんなが沈黙した。
証拠は消えたとしても関係者の口から漏れる危険性。
シラを切り通そうと思えばできないこともないだろうけど、逆恨みされているとするなら証拠をでっち上げ、イチャモンつけてくる場合も考えられるってことか。なかなかに厄介だ。
「因みに戦争になった場合、負けるのはどっちの確率が高いの?」
「九割の確率でベラスミの負けだな」
速攻で連隊長が答えてくれた。
九割って、それ、ほぼ負け確定ってことでしょう?
つまりは父様の心配は充分に現実となり得るってことだ。
「ベラスミってそんなに弱いの?」
私が尋ねるとガイが教えてくれた。
「まあ強くはねえな。ただあそこの国は奪うだけの価値がねえってだけだ。主な資源として大きな鉄鉱山が二つあるがそれだけだ。人の住める土地自体も少ないし、金や宝石みたいな高価な物は出ていないんでそんなに金にはならんが産出量だけは多いんでその輸出でなんとか国が持っているといった方がいい」
要するにその資源が尽きれば存続自体も厳しいというわけか。
「そうだね、高い山も多く、一年の半分弱は雪と氷に閉ざされているし、魔物や魔獣の出現率も低くない。他にも山はあるが雪とそのせいで資源採掘の調査もままならない状態だ。人口の殆どは鉄鉱石の採掘と加工に携わっているといってもいい」
ガイの言葉を父様が領地経営の視点から補足する。
「雪解けの春もあるんだよね?」
「一応あるが山に積もっていた大量の溶け出した雪で殆どの平地は湿地になり、狭い山間の土地では農作物の大量生産は出来ないし大規模な畜産も厳しい。割に合わないんだよ」
いくら使われていない土地があっても使えないのでは話にならないというわけか。かける手間と資金以上のリターンがある程度見込めないと産業というものは存続も厳しい。赤字経営では国も破産する。
「万が一この二国間で戦争が起こるとしても雪溶けを待ってからになるだろうね。湿地の行軍は厳しいだろうが雪よりはマシだ。つまり普通に考えれば半年程は猶予もある、ということだ」
連隊長が溜め息混じりに溢した言葉に私は希望を見つける。
つまり、まだ時間は半年も残されているということだ。
「ねえ、ロイ、地図を持って来てくれないかな? 近隣のじゃなくて大陸地図みたいなやつ」
ならば国家間の関係を改善できる手段は残っている。
以前閣下や辺境伯達から諸外国の現状を聞いてふと考えついたもの。
「何か思いついたんですか?」
尋ねるロイに私は大きく頷いた。
「思いついたというより少し前からちょっと考えていたことがあるんだ。大規模な公共事業になるだろうから実現するには各国、各領地の協力が得られるかどうかが問題になってくると思うんだけど、それぞれの利益を示せればどこの国も充分利点があるから友好国として協力が得られるんじゃないかと。
ウチの領地としても利用価値も高いし悪い手ではないと思うんだ」
もし、これが実現できれば各国との繋がりも出来て利害関係も結べる。
契約というものはどちらか一方に負担を強いては長続きしない。
双方の利があってこそ続くものだ。
私の言葉に父様が身を乗り出した。
「話を聞かせてくれ」
フィアの誕生日以降、ウチの国の各領地の諸事情と国を取り巻く他国の諸事情について調べてみた。本は勿論だけど各国を旅したことのあるマルビスや討伐などの遠征で各領地に向かうことのあるイシュカ、行商や仕入れで詳しいゲイル達にも色々と。始めは縦長に広いウチの領地に一本の主要道路を通して物資を運搬する道を作ることを考えていた。
勿論、それも必要だが、このシルベスタ王国は諸外国に比べてもかなり広大な領土を有している。そのため北と南では気候も違えば抱えている問題も様々だ。その一つ一つを挙げて行くとキリが無いのだが多いのは水に関係していることだ。特に内陸部の領地の川が流れていない土地は荒れたところも多く、限られた水源で苦労している所もあればベラスミのように水源から溢れ出る水を蓄えきれずに春先などに川が氾濫を起こすところもある。そういう両極端な地域が存在する。
それを各領地内で解決しようとするから無理が出る。
ならば水の不足している地域に水の多い領地から回せばいい。
つまりは水道の整備だ。
何かいい手はないものかと考えて思いついたのは前世で大昔使われていたという石造の水道橋だ。
各領地に最初から全て作るとなるとかなり大変だし時間も何十年とかかる可能性もある。そこで考えたのは各領地を隔てている高い外壁だ。この上、もしくは内部でも構わないのだが水の通る道を作ればどうだろうと思いついたのだ。各国、各領地の外周を取り囲むこれに水路を作り、水を循環させることで水不足の領地には水を届け、溢れ出る水に困っているところから足りないところへと届くようにする。
そしてこれが国と国の間でも利用できるのならベラスミの水源地から溢れ出た水を南の砂漠地帯に届けられれば尚更に役立つはず。後は物資運搬のための水路、運河を通してもいい。ただこれには輸出入の管理と監視が必要になってくるので警備や対策も必要になるだろうが馬ではなく船や筏などで物資を運べることはかなり運送面で楽になる。
水魔法の使い手がいるからそれでなんとかしようと考えるのは簡単だけど魔力にも限りがある。だが水を共有することができれば解決する問題は多い。これが可能ならウチの領地も干ばつで被害を受けるような事態は今後減らせるはずなのだ。水というのは大きな惑星という単位で循環するものだ。
水は欠かすことのできない資源と考えるなら、ベラスミは大量の水という資源を抱えた国とも言えるのだ。これを南の砂漠地帯に届けられればそれは輸出品としても扱えるはず。少しの水ではたいした金額を取れないし、運搬費を考えれば良策ではない。だが水路や水道を通すことでそれは解消できるのだ。我が国はその運搬と管理費という名目でベラスミと利益を分け合えばいい。そのあたりは国家間の話し合いで決めればいいことだ。
これを実現できるならそれを盾に和平の維持も出来るだろう。
敵対するということは即ち水資源のやり取りが滞るということになる。
「どうかな? 悪い手ではないと思うんだけど。これを交渉材料にすればベラスミだけではなく他の国とも対話がしやすいし、条約や協定を結べばオーディランスも攻め込みにくいでしょ。麻薬の原材料の生産がここでしかされていないとすれば早めに次を探されない内にクギでも刺しとけばオーディランスの薬物汚染もこれ以上広がらないと思うんだけど」
この設備を利用できるのならオーディランスにも旨みはあるはずだ。
自然災害というのは突然くるものだ。
これはそういったものにも対応しやすくなるだろう。
少なくとも干ばつ、洪水などの被害を少しは減らせる筈なのだ。
それを簡単に説明し終えると連隊長が興奮気味に叫んだ。
「凄いですよっ、これを実現出来れば実に画期的且つ合理的な考え方だ。そうなればベラスミの出方次第では併合してしまうという手もある。おまけに外壁を通すということは水を必要としている国であればあるほど境界にある外壁を壊せなくなる。そこと友好を結んでいる国にもです。即ち攻め込まれにくくなる」
連隊長の言葉にそういう利点もあるのかと気がついた。
「ですが併合となればコトを揉み消そうとしていると取られるのでは?」
父様の心配も尤もだ。
「その辺りは陛下とも相談する必要がある。国家間の問題でもありますし、我々が口出しすべきではないかと。その点を踏まえると一度伯爵には王都に来て陛下に拝謁する必要があるでしょう。出来ればハルトと一緒に早急に」
「えっ、私っ⁉︎」
なんで私?
これは私レベルが取り扱えるものではないでしょう?
「私は置物だと言った筈ですが?」
「これを伯爵や私が提案したとして私達の提案であると信じる者がいると思うかい?」
そう言われて口を噤んだ。
確かにやや無理があるかも?
う〜んと頭を捻らせるとガイが面白そうな口調で提案した。
「別に全てに関わる必要はないんじゃねえ? 対外的には御主人様がアリバイ作りに利用した作業場での提案っていうふうに持って行けば。テスラに書類一式作らせてまずは連隊長か伯爵から陛下に持って行けば違法取引については御主人様は知りませんでしたで通せるだろう。御主人様の提案はギルドへ直接提出するには大掛かりすぎたんで前もって伯爵に相談して偶々連隊長がいたんでついでに知りましたっていうように持って行けば問題ないんじゃねえ? まあ二度手間にはなるかもしれんが」
ふむっと連隊長が頷いた。
「成程、上手い手だ。となれば急ぎ早朝に一度私が王都に戻って陛下に報告してこよう。そうすれば明後日のミゲル殿下のお迎え時に一緒に伯爵とハルトに同行してもらうという手もある」
「大丈夫かよ? 四日連続馬で半日以上の移動だろ」
「それくらいで屁張るような軟な鍛え方はしていないよ。それに殿下と一緒の帰り道は急ぎではない。ゆっくりの帰途なら獣馬への負担も少ないだろう。ただテスラには急ぎ書類を仕上げて貰わねばならなくなるが」
そう言って連隊長は作業場方向に目を向ける。
「その辺りは大丈夫でしょう。テスラはこういった新しい技術に目がないですからね。頼めば徹夜してでも仕上げてくれますよ。それにこれほど大掛かりなものとなればまずは第一校という形での提出で後から補整していくという手段も取れると思います。帰って来たらマルビスにも手伝わせましょう。研究室からサキアスも呼んできます。魔石を使った設備も利用可能かもしれませんし。私も微力ながらお手伝い致しますので四人がかりなら早朝にも間に合わせられるかと」
なんか、またかなり大事になってきた。
いや、実現すれば大事なのは間違いないのだが、またリゾート計画提案時のように原案だけが私で元がわからなくなるくらいの規模と提案と計画で実行可能レベルまで引き上げられそうな気配が漂っている。
「それはいいな。ここには各スペシャリストが揃っている。実に素晴らしい」
ノリノリ状態の連隊長は今日ここに来た当初の目的を忘れたかのような表情だ。
大規模になるのは承知の上で話したのは間違いないが、また私の評価が過剰に上乗せされそうな予感がする。
基本的に私の側近達はみんな好奇心旺盛なところがある。
こうなると止められる人間の心当たりはない。
今度はどこまで私は有名人になるのだろう。
地味に生きるのは諦めた。
諦めたけれどこれは派手過ぎやしないか?
婚約者の数もどこまで増殖するのか私にも予想がつかない。
おかしい。
何かがズレている。
いや、ズレ始めたのは既に承知しているが、いくらなんでもズレ過ぎだ。
私は一人で良かったのだ。
大事な人が一人いればそれで良いと。
私の意思とは関係なく増えていく婚約者の数は既に五人が決定した。
私は頷いたことは一度もない筈なのに・・・
優柔不断という言葉が頭の中を横切った。
だって仕方ないじゃないかっ!
五人に増殖した婚約者達で嫌いな人は一人もいないのだ。
その時思い出したのは前世で友達が言っていた言葉だ。
『遥は押しに弱いから嫌いなら断れても信頼している人に迫られたら、間違いなく陥ちると思うよ』
二十年以上の付き合いがあった私の前世の親友は間違いなく私の性格を見抜いていたのだとこの日、心の底から実感した。




