第百七話 ガイの御帰還は厄介事と一緒に。
ここ二週間あまりガイの顔を見ていない。
これまでも一週間くらい調査に出かけたまま戻ってこないこともあった。
シルベスタ王国は広いし、端まで行くとなればそれなりに時間もかかる。仕方がないといえば仕方がないのかもしれないけど。
心配ないとは信じたい、ガイは強いし要領もいい。
下手なプライドがないから敵わないとなれば逃げることも厭わない。
でもこれだけ長い間帰ってこないことはここ半年の間一度もなかったのだ。
私は少し不安になる。
夕食後、ミゲルとレインが眠った後も外が気になって仕方なかった。
私は毛布を被ってベランダに出た。
明日からは収穫祭、ガイは酒が好きなだけ飲めるからって楽しみにしていたのに。
収穫祭でなくてもいつも稼いだお金全てを酒代に注ぎ込むような生活してたのに、美味い酒は命の水だと言って私が飲み過ぎは良くないと言ってもなかなか止めてくれなかった。でも、甘いお菓子が大好きで、私がお酒を取り上げようとすると、それなら何か代わりに甘いものを作ってくれと強請った。
ねえ、ガイ。
明日はガイが楽しみにしてた収穫祭だよ。
早く帰ってきてよ。
私を安心させて、ガイの好きなもの、なんでも作ってあげるから。
いつもみたいに軽口叩いて笑ってよ。
会いたいよ、ガイ。
前は一人だって平気だったのに。
みんながいてくれるってわかっているけど、ガイがいない。
私は欲張りだ。
誰も欠けて欲しくない。
「今日もここで待っているつもりですか?」
秋も深まり、木々の紅葉も随分と色付いて来た。
朝晩はかなり寒い。
「うん、ゴメン、ロイ」
「私は構わないのですが、風邪は引かないで下さいね」
ロイも寒いだろうに毛布どころか上着一つも羽織ってこない。
私は被っていた毛布の半分をロイに明け渡し、一緒に一つの毛布に包まった。
以前なら赤面ものだったけど、スキンシップ多めのロイに随分慣らされた。
「ありがとう。ただの自己満足だってわかってるんだけど」
「そんなにガイが気になりますか?」
こんなことして体調でも崩せば余計な心配を増やすだけ。
わかってる、わかってるんだけど。
「大丈夫だって信じたいけど、でもやっぱりこんなに長く見てないのは初めてだから」
諜報活動というのは危険がつきものだ。
だから行かないでくれとも言えない。
ガイが嫌だ、引退したいというなら両手を上げて歓迎しそうな自分が情けない。
その仕事を楽しんでいるのがわかるのだ。
自分一人では太刀打ち出来ないことも私が表に立つことで面白くない輩が次々とその罪を白日の下に晒し、裁かれていくのが堪らなく愉快だと言っていた。
それは正義感からなどではなく、楽しいから、面白いからだ。
偉そうに踏ん反り返っていた輩が落ちぶれ、惨めに消えて行くのが愉快で堪らないという。
それはガイの普段の行動を見ていても明らかだ。
宝飾品などにまるで興味がないにも関わらず、団員の前では私が贈った腕輪を見せつけるようにして歩いてる。昔、緑の騎士団に所属していた時に何があったのかは知らないけれど、あれは相当に根深そうだ。団長は万が一の事態も考えて、ウチから王都に戻ってすぐにガイの退団届けを抹消して休職扱いに変えておいたらしい。コカトリスの一件ではそのおかげで特に怪しまれることもなく無事に招待客に紛れ込めたらしいけど。
「なんだか妬けてしまいますね。貴方は私が長い間お側を離れていてもそうやって心配なさって下さいますか?」
そう言って苦笑したロイに私は即座に言葉を返す。
「やだよ。ロイは私の側にいてくれなきゃ。って、これって我儘だよね。ゴメン」
言ってる途中にすぐ気がついて、すかさずロイに謝った。
「いいえ、嬉しいですよ。貴方が素直に甘えて下さるのは私だけですから」
うん、そうだね。それは充分自覚してるよ。
ロイは私の虚勢をすぐに見抜くけど決して止めない。
でもさりげなく支え、甘やかしてくれる。
「この意地っ張りな性格をもう少しなんとかできれば可愛げもあるんだろうなあと、わかってはいるんだけど」
私はごめんねともう一度小さな声で謝った。
するとロイは微笑んで首を横に振る。
「貴方は充分にお可愛らしいですよ。
ですが、その意地があるからこそ貴方はお強いのだと思います。
だから貴方は変わる必要はありません。貴方の負けず嫌いは筋金入りですからね。
どんな困難からも逃げようとしない、震える足で踏ん張って、怖くても決して苦難に背中を見せようとしないところは尊敬致します。ですが、私は貴方が逃げ出したとしてもその後を付いて行くだけですし、闘うというのならその背中を支えるだけです。
貴方は貴方の思う通りに生きて下さい。
私はただ貴方の側で、貴方を見ていられたらそれで良いのですから」
「ロイは、私を甘やかすのが上手いよね」
いつも私の欲しい言葉をくれる。
「そうですか? 私は私のしたいと思うことをしているだけですよ?」
だからこそ恥じるような自分でいたくないと思って頑張れる。
「うん、わかってる。でもありがとう。大好きだよ」
「私もです」
そう優しい瞳で返してくれるのが嬉しい。
ロイは多くは望まないと言った。側にいられるならそれだけでいいって。
その言葉に嘘がないことは聞かなくてもわかる。
ロイは私に尽くしてくれている。ロイが私に望むのは私のことばかり。
もう少し自分のために欲張ってもいいんじゃないかなあって思うこともある。多分、それは許されないって思ってるというのもあるけど、この間少しだけロイが言っていた『情の深い両親の凄惨な死に際』に原因もあるのだろう。聞けば話してくれるだろうけど、折角そこから変わろうとしているらしいロイのことを思えば聞くべきじゃないような気もしている。
それに気にはなるけどどうしても知りたいことではない。
過去は所詮過去でしかない、私はロイが側にいてくれればそれでいい。
ずっと一緒にいてくれる約束をしたのだから急ぐ必要はない、いつかロイが自分から話してくれるのを待っていればいい。
なんとなく、ウチに集まっているのはワケアリの人達が多いみたいだし。
類は友を呼ぶというが、中身がオバサンな六歳児という私ほど変わった人間はいないだろう。それが万が一バレた時、みんなが騙されたって思わないだろうかという不安はある。隠しておかねばならない理由はないのかもしれないけど、打ち明けるべき理由もない。
気味が悪いとか、騙されたとか、そんなふうに思われないだろうか。
頭がおかしくなったと勘違いされないだろうか。
みんなのことを信じていないワケじゃないけれど、友達だから、仲間だから、婚約者だから、全てを話さなければならないということはない。
誰にだって秘密の一つや二つあるものだ。私もみんなが話したくないことまで聞くつもりはない。勿論、話してくれるというなら聞くつもりはあるけれど。
みんな昔話を避けてる傾向があるしね。それならそれで構わない。
そんな中でもガイは特にその傾向が顕著だ。
まあ情報屋なんてやっていれば後ろ暗いことの一つや二つあってもおかしくないだろうし、驚きはしない。
ガイの性格上、弱者をいたぶる趣味がないことは聞かなくてもわかる。
それは正義感からではなく、ガイのプライドなのだろう。
「ガイはさ、ロイみたいにいつも側にいてくれるわけじゃない。
でも、私が怖くて傍にいて欲しいって思う時はいつも駆けつてけてくれる。逃げ出したくなるような時は必ず一緒に乗り込んでくれる。楽しくて堪らないって感じの笑顔見てると安心するんだ」
いつもイシュカが側で守ってくれるから大丈夫、心配ないって思うんだけど、でも一人より二人、二人より三人、ガイがいてくれるなら絶対間違いないって思えるから、落ち着ける。
平和な安心安定の生活よりもスリルや面白いことが大好きで、でも私のためにあんなに嫌がってた城にまで駆けつけて来てくれた。
嬉しかったんだ、すごく。
多分それが露骨に表情に出ていたんだと思う。
私を見て少しだけ笑っていた。
しょうがねえなって、顔で、だから心配なのだと言わんばかりに。
私の虚勢を見抜いて、意地だけでそこに立っているのだと知ってなおその手を差し伸べてくれる。
俺の手が必要だろってその目がいつも言っていた。
そうだよ、ガイ。
私はガイに側にいて欲しい。
でもガイは束縛を嫌う自由人、命令されるのが大嫌い。
行かないでって言ったら逃げられそうで怖いのだ。
私の『厄介事引き寄せ体質』はガイにとっては『面白そう』なものなのだ。
だから私がトラブルメーカーでなくなってしまったらガイは興味を失うかもしれない。
ベランダから見える景色はいつもより明るい。
道を挟んだ向こう側の寮の灯りがいつもより多い。
明日はみんなが楽しみにしている秋祭り、楽しみで眠れないのかもしれない。
私もそう、楽しみにしていた一人だ。
なのにちっとも楽しくない。
不安で仕方がない。
・・・何か聞こえる。
何かが近づいてくる音が聞こえた気がして私は町の方向を見遣る。
この辺りには酒場のような夜遅くまで空いているような店はない。
夜の静けさが支配するこの辺りは大きな音は尚更に響く。
馬の蹄の音?
こんな時間に高らかに音を響かせて駆けてくるということは賊ではない。
それにこの重厚感のある音、普通の馬とは違う。
「ガイッ、ガイだっ、ガイが帰って来たっ」
私は毛布の下から抜け出すと慌てて階段を駆け降りて馬場に向かう。
全速力で息を切らせて向かった先に果たして、
待ちかねていた人の姿を見つけて思わず駆け寄り、
飛びついた。
「おわっ、随分と熱烈歓迎だな」
思いっきりジャンプして抱きついたその勢いでガイが後ろによろめいた。
ぎゅうぎゅうとしっかり首根っこにしがみついていたのでガイがぶら下がっていた私を抱え直してくれる。
「ずっと貴方を待っていたのですよ。夜になると通りがよく見えるベランダから、遅い時間まで。もう五日になります」
そうだよ、待っていたんだ。
安心して、嬉しくて、涙が出た。
一向に離れようとしない私の背中をガイが軽く叩いて抱きしめてくれた。
「・・・悪い。心配かけた」
キマリが悪そうにボソリとガイが言う。
「ガイが戻ってきてくれたならそれでいいよ」
私は小さく首を横に振った。
側にいて欲しいけど、安心していたいけど、それをガイは望まない。
だったらどんなに心配かけてもいいから必ず私のところに戻って来て欲しい。
「明日は収穫祭だ。たらふく酒を飲ませてくれる約束だったからな、帰ってくるさ。何があってもな。それにここには俺の大好物がある。
作ってくれるんだろ? いつものヤツ」
「うん、好きなだけ作ってあげる」
豪快に食べるその姿は見ていて気持ちが良い。
ガイの帰りを待ち侘びて、ガイの大好きなハニーフレンチトーストの材料は欠かさず用意しておいた。
私を腕に座らせたまま厩舎から歩き出したガイに私はまだ言ってない言葉を思い出す。
「お帰りなさい、ガイ」
ここがガイの戻ってくる場所であってほしいと願い、口に出した言葉にガイは目を丸くして、嬉しそうに笑った。
「ああ、ただいま。俺の御主人様」
そうして厩舎の入り口で待っていたイシュカとマルビス、テスラと合流する。
私が階段をダッシュで降りる音に気がついてイシュカが追いかけて来ていたのは知っていた。そして勢いよく開けられた扉の音にマルビスとテスラが気がついて追いかけて来たのだろう。二人とも部屋着のままだ。イシュカは緊急事態に備えて眠る寸前まで着替えないのはいつもの事だが、まだベッドには入っていなかったらしい。
「随分と遅かったですね、今回は」
「ああ、ちょっとばかし国を出ていたんでな。資金も底を尽き掛けたんで戻って来た」
イシュカのかけた言葉にガイがそう答える。
なるほど、遅かったのにはそういう訳もあったのか。
「ということは何かわかったんですか?」
「全部、とはいかなかったが切れ端くらいは掴んだ。ガイアを引き取りに行った時に団長に報告するかどうか迷ったが一応確認が取れていないと伏せておいた。これが明るみに出れば近衛の特殊部隊と王家の隠密部隊も動き、国交問題にもなりかねん。国内では被害が出ていないが相当にマズイ」
なんとなく感じた嫌な予感はこれだったのか。
「ってことはやっぱり結構大物が引っかかって来たんだ?」
「なんだ? お見通しだったのか?」
私が尋ねるとガイが聞き返してくる。
「まさか。ただこれだけ抜け目なく正体を隠して動けるってことはそれなりの地位と権力、財力がないと厳しいかなって少し考えてただけ」
命を賭すほどのものであるとするならそれだけの理由がある。
命令されているのなら従うだけの事情があるはずなのだ。
死ねと言われて笑って死ねるほど人間は自分の命を軽く扱いはしない。
「ま、確かにな。だが、逆に言えば怪しい大物から順に探りを入れていけばわかるかもしれないと考えた。この国は統治も安定して腹黒陛下の支配力も強い。そうなると敵対する勢力も限られて来る」
「それで国外、ってワケ?」
「ああ。ただマズイ事にウチの領地も無関係ではいられなさそうだ」
無関係でないとするなら心当たりは一人だけ。
「キャスダック子爵?」
「そうだ、よくわかったな」
「というより他にいないでしょ」
マズイってことはキャスダック子爵はそれなりの国家間の問題に関わるような悪事に関わっていたということか。そうなるとこのグラスフィート領で五人の貴族を管理する立場にある父様の管理不行届にもなりかねない。
「父様の責任問題を追求されそうってこと?」
「確認してみないことにはなんとも言えない。だが、事実なら揚げ足を取ろうと待ち構えている奴らの恰好の餌だ。管理下での不手際ってことでな」
やはりそうなるか。
目立ち過ぎるということはそういう弊害も出てくるものだ。
「どうすればいい?」
「王室よりも先に真相を突き止めて証拠を隠滅するか、関係者を突き出して処罰の軽減を図るかの二択だろうな。ただ後者の場合、外交問題も関わってくるんで責任を取るだけじゃ済まなくなることも考えられる。
おそらく向こうはそれも狙ったんだろう。
悪いが伯爵を呼んで来てくれないか? 二度説明するのも面倒だからな、至急だ。俺はその間に御主人様のメシを食わせてくれ、王都から休みなしでガイアで飛ばして来たんで腹が減った」
それだけ厄介ということか。
「では私がアルテミスで行って来ます。ガイが居てくれるならその方が早いでしょうから」
父様の到着を待つ間、ガイは余程お腹が空いていたのかかき込むように作った食事を片っ端から平らげた。
簡単手軽で早い方が良いかと思ったので夕飯の残りのトマトスープに残っていたハンバーグをキャベツに包んで放り込む、手抜きロールキャベツと同じく残り物のマッシュポテトに少しのチーズを入れて丸め、衣をつけてあげれば簡単コロッケの出来上がり。後はサラダをつけて、ガイお待ちかねのフレンチトーストに取り掛かる。
話が込み入って来そうなのでついでにみんなの分もロイと私が作っている間にマルビスとテスラが私の部屋の応接室に人数分の机と椅子をセットしてくれる。流石にリビングではミゲルやレインが起きて来た時に見られるのはマズイだろうという配慮からだ。
そしてガイが一皿目を平らげる頃、父様を連れたイシュカが到着した。
ガイが持って帰った未確認の調査内容は実に三国が絡む厄介な事態だった。
まずはコカトリスの襲撃事件を裏で引いていたのは北のイビルス半島近くの北の国境に接するオーディランス王国。彼の国はイビルス半島の噴火によるスタンピード発生時、ウチほどの数ではないが、相当数の魔物に国内への侵入を許し、多大なる被害を受けた。
イビルス半島は我が国の領土、そこから押し寄せた魔物の大群が街を襲い、オーディランス王国第二の港町は壊滅に近い状態、それに反して我が国は同じように上陸されたにも関わらず打撃を受けるどころか国庫が潤うという異常事態(?)、何故我が国は他国から押し寄せた魔獣にこれほど被害を受けたのに、ウチは何故無事なんだとかなりの逆恨み状態にあるらしい。
魔獣魔物の被害は災害であって国の責任ではない。
実際、過去には我が国も他国から飛来した無数のナイトイーグルに街一つ滅ぼされたことも、エンシェントドラゴンを国境から半ば押し込まれた状態で押し付けられ、そこの領地の半分が焦土と化したこともあるという記録がある。この時も責任の所在について相当に揉めたようだが魔獣や魔物の移動、被害まで責任を持てないのが各国の実情だ。何故ならそれを追求し始めるとキリがないからだ。何かと引き合いに出されるワイバーンの襲来事件がいい例だ。あのワイバーンがどこから飛来したのかは調査しようがないことなのだ。ステラート領方向から飛来したとはいえ、それがどこの国から押し寄せたのか、それともウチの領地に隠れ住んでいたのか確認のしようがないし、証拠もない。仮にわかったとしても、今度はどこで生まれたのかという話になる。そこの国の前に他所の国にいた可能性もあるわけで討伐管理責任を求めてもしょうがない。
それ故、国家間でも魔獣魔物による被害責任は負わないと取り決めされているし、それを利用して他国に討伐を押し付ける事例も多数ある。とはいえ明らかな塀や砦の破壊は協定違反。それ故各国は国境付近には他国からも侵略と魔獣討伐のための軍備に力を入れているし、押し付けられないための砦や頑強な塀の建設のための予算も割かれている。
だがいくら国家間で決められているとはいえ、それを押し付けられたり、被害を被った国民、住民の感情までは抑えようがない。我が国の領土であるイビルス半島から押し寄せた魔獣に被害を受ければ国に責任がないとはいえ恨み辛みが我が国に向くのは当然。これでウチの国も被害、損害を受けていればまだ納得もできたであろうが王都は無傷、市民はそんな事実があったことさえ知らない者もいるとあってはどうしたってやりきれない。家族、友人、住む場所、仕事さえも失った者の憎しみがこちらに向かうのも流れ的には当然だろう。
それがたとえ逆恨みであったとしても。
つまりコカトリスを差し向けられたのは早い話、復讐、嫌がらせ。
王子の誕生日パーティをわざわざ狙い、各国に貴族の間で囁かれている私の武勲(?)の噂を流し、姫君達が送り込まれることを計算した上で襲わせ、招待客に被害が出れば我が国も相応相当の打撃を受けるはず。そうすれば豊かな我が国の土地を狙っている国もいるわけで、攻め込まれて疲弊したなら尚更ラッキー、ザマアミロってことだったわけだ。
これで思惑通りに事が運べば彼らの溜飲も下がったであろうがまたもや無傷。
面白いワケもない。
そして更に厄介なのはこの国、特にこの港町で最近薬物中毒、つまり麻薬被害が多く出ていたために街を守るための警備や人員が上手く機能せず更に被害が拡大したということらしいのだ。この麻薬を流通させていたのはオーディランス王国と我が国と国境を接するベラスミ帝国の商人、それも裏で国家が関わっている可能性を否定できない。だがここは一年の半分が氷で閉ざされた貧しい国、麻薬の原料となる植物の栽培に適した国ではなく、ウチの領地からも多くの食料が輸出されている状態だ。
ならばこの植物がどこで栽培されているのか?
これがキャスダック子爵領地内である可能性が高いらしい。
ベラスミ帝国に輸出されている食物の殆どがキャスダック子爵領からのものなのだ。どうも多くの野菜や果物の荷の中に紛れ込ませ、輸出しているようなのだ。そしてそれらはベラスミ帝国で加工され、オーディランス王国で売り捌かれ、貧しいベラスミ帝国の国庫を潤している。流通させているのはベラスミ帝国であっても栽培に関わっているのはウチの領地の経営に携わっている一人、キャスダック子爵。彼の妻はベラスミ帝国の出身なのだ。
ただ全ては調査結果をもとにした推測であり可能性。
確認が取れているわけではないのでとりあえず団長達への報告は見送ったと。
もしこれが思い過ごしであればウチの領地の躍進ぶりをよく思わない貴族に証拠を偽造されかねないし、事実であったとしても国家間の問題に発展しかねない、国交問題にも関わってくる。と、こういうことなのだ。
「これはどうしたものか、相当に厄介なものだな」
父様が頭を抱えて深くため息をつく。
だよね、事実だとすれば相当にマズイ。
直接関わっていないとはいえベラスミ帝国の陰謀の片棒を担いでいるわけだ。
そのせいで被害が拡大したとなれば補償問題にも発展しかねない。
「まずは事実確認が先でしょう。あくまでも集めた情報を繋ぎ合わせた結果の推測です」
ウチは良くも悪くも田舎なのだ。
領地も広く、全てに目が行き届かない。
隠れて栽培するにも適しているし、キャスダック子爵の管理する土地は山間が多いことも秘密裏の栽培にはもってこい。しかも検問が厳しいのは国家間であって事件等の問題が起こらない限り領地間は比較的緩い。食料関係は特にだ。山と積まれた野菜等を全部ひっくり返して確認することは珍しい上に検問所に立っているのはキッチン等に殆ど立ったことのない衛兵が殆どだ。野菜の種類等知りはしないし、それが野菜だと言われれば疑う者も少ないだろう。その点に於いても加工して輸出していない辺りは賢い選択と言ってもいい。
屋敷の出入りを使用人や外部の人間に見られては疑われる。古くからある店では身元がバレる可能性がある。娼館は彼等が金を稼ぐためではなく、彼等が長時間滞在しても怪しまれずに済む絶好の会議場所だったというわけだ。
「もし本当にベラスミ帝国国家と麻薬の流通が関係していたなら、それをウチが突き止めたと知られればキャスダック子爵が口封じに殺される可能性はないのかな?」
なにせウチの領地の牢に閉じ込められていた下っ端は殺害され、娼館勤めしていたお姉様達まで狙われたくらいだ。首謀者でもあり、ベラスミ帝国との関わりを示す人物である彼が消されない保証はない。
私の言葉にガイが頷いた。
「ありえない話ではないな。まあ殺されたとしても自業自得だが」
「そうだね、同情の余地はない。私も同感だよ。自分が裕福に暮らすために他人を犠牲にしておいて自分だけが助かりたいなど許されるわけがない。ただ王都とウチの証拠を同時に消された手際が良すぎることから考えれば下手に動けばキャスダック子爵の命も風前の灯、こちらが確証を掴む前に消されるんじゃないの?」
子爵の命運などどうでも良いが証拠を掴む前にいなくなられては困る。
「いえ、下手をすれば既に逃亡か、或いは始末されている可能性もあります。既に高利貸しが消されてから二週間近く経っています。もしこちらの動きを監視されていたとすれば、ですが」
イシュカが難しい顔で私の言葉に付け加えた。
「そんな気配はあったのか?」
「いえ、特に怪しい気配はありませんでした。ただこの場所は人の出入りも多いですからね、ただ見張るだけなら手練れに入り込まれれば見分けるのも難しいです。ここは町からも離れていますので敷地外に出る時には馬は必要になりますから馬場の開閉だけでもある程度のこちらの動きは把握出来ます。日雇いの大工職人にでも紛れ込まれたら把握しきれません」
「そうなると俺が入って来たのが目撃されていたとすればすぐに動かれる可能性があるな」
「ありえなくはありません。ですが、ここの警備員の腕からすれば夜の巡回中にそんな目立つ行動をするのは考え難いでしょう。そこそこの猛者が揃っていますからね。出て行くなら人混みに紛れて動く方が目立たないかと」
「確かにそれは言えてるかもな。となると、向かうなら今からが妥当か?」
「かもしれません。明日からは祭りです。早朝からの人出も多いでしょうし」
ガイとイシュカの会話を聞いていた父様が立ち上がった。
「わかった。私が今から向かおう。ここからは私の領主としての仕事だ。すまないがイシュカ、兵舎への遣いだけ頼めるか? 私はこのまま下で待たせている護衛と馬で先に向かう」
「父様、危険ですっ」
今は夜、しかも手際良く王都の牢にまで忍び込み高利貸し達の口封じをして成功して見せた相手。
「そうです、もし入り込んでいるのがそれなりの実力者だとすればっ」
「それでも私はこの土地の領主だ。責任がある以上行かねばならん」
イシュカの制止を途中で父様が遮った。
これは止めても無駄だろう。こういう時の父様は周りが何を言っても止まらない。
私はため息を吐いた。
「では私も参ります」
「必要はない。これはお前が被る責任ではない」
私の同行を即座に父様は断った。
だが、私も引くつもりはない。
これは私をも巻き込んだ、私に売られた喧嘩でもある。
面倒な権力争いに巻き込んでくれた礼はキッチリ返さねば。
「私は領主の息子、領民を守る義務はあるはずです。それに獣馬なら脚も速いし、夜目も効きます。父様を送り届けるだけでも充分に役に立つはずです」
父様の顔を立てつつ、私が同行するための理由付け。
所詮建前ではあるけれど。
私のセリフに父様は小さく笑った。
「・・・すまんな。結局お前に頼ることになるとは、情け無い父親だな」
「いいえ、父様は領民に慕われる立派な領主、私の誇りです」
父様の息子に生まれたからこそここまでの自由が許された。
普通の一般的な貴族の息子、しかも三男である立場からすれば命令され、義務として様々なことを押し付けられても無理はなかった。なのに父様は私の意志を極力尊重しようとしてくれた。
「ありがとう、ハルト。では私も頑張ってお前の父の名に恥じない人間であることに努めるとしよう」
父様は立ち上がるとすぐに歩き始める。
「ロイ、護衛を連れて父様の兵舎に向かって」
「承知いたしました」
ロイなら兵達にも顔が良く知られている。急な来訪にも問題ないはずだ。
「当然私達もお供致しますよ。貴方の側近であり、護衛であり、従者ですから」
「まあな、面白そうだから俺も付いて行ってやるぜ? 御主人様?」
イシュカとガイも立ち上がり、私達の後ろに付いてくる。
「ありがとう。じゃあマルビスに頼んで明日はとっておきのお酒を出してもらうとするよ」
「お任せ下さい」
私の言葉にマルビスがすかさず返事をする。
「流石っ、俺の扱いをよくわかっていらっしゃることで」
「では上等の酒を美味しく頂くためにも面倒なことはさっさと片付けてしまいましょう」
そう、明日からはお祭りだ。
厄介事はさっさと片付けて思い切り遊び倒したい。
祭りを楽しみにしていたのはガイだけじゃない、みんなも、そして私もなのだから。
せいぜい派手に暴れてまた盛り上げるとしますか。
だが、そんなに甘いことばかりではないと私はこの後思い知らされることになった。