閑話 ロイエント・ハーツの葛藤
正直に言えば、それまでたいして気に留めてはいなかった。
ハルスウェルト・ラ・グラスフィート様は自分の仕えている伯爵家の三男坊で跡継ぎ候補からも外れた、時々話をする程度の繋がりしかなかった存在だった。
ただひどく変わった子供でまだロクに歩けもしないうちから旦那様の書斎に入り浸り、元気に屋敷中を駆け回るわりには度々倒れて使用人達を慌てさせていた。家庭教師達からは一を聞けば十を理解するような聡明さを聞き及んではいたが旦那様が次期領主候補としてみていない以上、自分が関わることは殆どないだろうと。
時々見かける彼は人懐っこく、屋敷の使用人達や、気難しいと言われていた庭師のラルフにも気に入られていた、だが三男である立場を自覚しているのか自己主張の激しいあの歳の子供の中にあっても必要以上前に出ようとはしない、大人びた、手のかからない子供という印象が強かった。
それが鮮烈に塗り替えられることになったのは彼、ハルト様の誕生日のことだった。
出だしから彼は異質だった。
子供に似つかわしくない挨拶、立ち居振る舞い、話術に会場は騒然としていた。
だがそんな話題すら吹き飛ばす事態があの日、起きたのだ。
突然のワイバーンの来襲。災害級とさえ言われる魔獣の襲撃事件。
その姿を空の上に見つけた時の絶望にも似た感覚は今でも覚えている。
私はあの時、死を覚悟していた。
頭が真っ白になったが周囲から上がる悲鳴に子供だけでも逃さなければという責任感だけで動いていた。
そこに彼が飛び込んで来たのだ。
来てはなりませんという私の制止を振り切ってワイバーンの前に飛び出した彼はワイバーン相手に怯むことなく立ち向かい、そして、倒して魅せた。
見せた、ではない。魅せたのだ。
剣も、弓も持たず、魔法を駆使し、大人の助けを借りることなく、それは見事に。
倒した後、力尽きて崩れ落ちはしたがそれを誇るでもなく、真っ先に心配したのは来客の安全。
規格外にも程が過ぎると唖然とした私はこの後、更に驚愕することになった。
旦那様の命を受け、彼について調べると次々と驚くべきことが発覚し、しかも御一緒することになった冒険者ギルドでは魔力量測定石を測定限界の先端近く、しかも全属性の魔石まで光らせ、その上、ギルドマスターのダルメシアからA級昇級レベルのテスト対応で半刻逃げ切ってみせたのだ。
もとS級冒険者のダルメシアから半刻逃げ切れる者はこのグラスフィート領地内には存在しない。
それは私だけでなく、旦那様も含めてだ。
つまり彼は六歳にしてこの領地内でダルメシアに次ぐ実力者ということになる。
もうこれ以上は驚くことはあるまいと思っていたのに、彼、ハルト様は旦那様が何年も模索していた領地の経営戦略まで提示して見せたのだ。
しかも私達が思いもつかなかった方法で。
グラスフィート領地のレジャー施設を含めた平民向けのリゾート開発だ。
画期的な発想だった。
自然豊かなこの領地ならではと言ってもいい。
旦那様にハルト様の補佐を申しつけられた時、私に異存はなかった。
いや、寧ろ尊敬する旦那様に仕えることが決まった時以上の高揚感が体中を駆け巡った。
ハルト様の近くで、この方がこれから何を成して行くのか見ることが出来ると心が踊った。
ご一緒出来る時間が長くなるほど私はハルト様の行動に魅せられ、その言葉にひきつけられた。
おおらかで飾らない性格、多彩な才能、彼と話をしていると自分より年上なのではないかと思わせるほどの落ち着きと言葉の重みを感じることさえあった。
それはダルメシアに紹介された男、マルビスも同じだったようだ。
ハルト様の飾らない人柄と聡明さに驚き、巡り合えた幸せを彼も神に感謝した。
今やグラスフィート領の発展の鍵は彼が握っていると言っても過言ではない。
なのにハルト様にはその自覚がまるでない。旦那様が護衛をつけた理由を理解した。
まるで無防備なのだ。
いや、大人びた言動で忘れがちになるが彼はまだ子供。
候補地の下見に出掛ける時も私との相乗りを恥ずかしがって自分も乗れると真っ赤になって意地を張ってみたり。
それが微笑ましくて困った顔をしてみせると嫌じゃないと慌てて否定する。
瞳を潤ませて口をひき結ぶハルト様に一瞬、ドキリとした。
不自然なほど自分でも鼓動が早くなるのがわかった。
相手はまだ六歳の子供だと自分に何度も言い聞かせる。
落ち着け、落ち着け、これは気の迷いだと繰り返し。
確かにハルト様は年よりかなり大人びているし、旦那様譲りの艶やかな銀髪も、奥様によく似た中性的な顔立ちもお美しいが私に小児趣味はない。
時折妙に色っぽい仕草や表情をされるのは間違いないが。
この時、私は後ろでくすくすと笑うマルビスの声も聞こえていなかった。
結局、この日の昼食時にもまた驚かされることになったのだがここまでくると驚きも日常だ。
食後の運動と称してランスに剣の稽古の相手をさせているハルト様を眺めながらのんびりと私はお茶を楽しんでいた。やはりお強いとはいえ剣の腕前はまだまだ発展途上のようで安心する。
「知ってますか? ハルト様の好みのタイプ」
ハルト様の作らせた携帯用簡易コンロをひとしきり眺め倒した後、マルビスは私と同じようにお茶を手に話しかけてきた。
いきなりなんの話だとも思ったのだが最近怒涛のように送られてくる縁談話を思い出し、彼の情報を聞いておくのも悪くないと考えた。希望や好みがわかれば話もまとまりやすいだろう。
この男の情報網は侮ることはできない。
ハルト様のことについて旦那様や私が知らなかった事まで知っていたふしがある。
「色々と調べたのですがね、どうやらハルト様はかなり歳上好みでいらっしゃるようなんですよね」
「歳上、ですか?」
それは気が付かなかった。
そういえば誕生日会でもなみいる御令嬢達に目もくれなかったことを思い出す。
「そうなんです。大人びておられるせいもあるんでしょうかね、同世代ではどうにも合わないようで」
なるほど言われてみればその通りだ。あの立ち居振る舞いをみれば確かに同じ年頃の子供はさぞかし子供っぽく見えるに違いない。
子供の中にいて浮かないのは上手く周りに合わせているからなのだろう。
一歩引いて保護者のような対応をしているというのが近いかもしれない。
しかし何故マルビスがいきなりこのような話をしだしたのか。
彼は意味深な笑顔を浮かべると先を続けた。
「あまり男女のこだわりはないようでしてね。女性ならハルト様がダンスをしたという辺境伯夫人のような聡明で色気のあるお綺麗な方。そして男性なら細身で理知的、背の高い男臭くない顔立ちの、そう、丁度貴方のような方に弱いようですよ、ロイ」
その言葉にピタリとお茶を飲んでいた手が止まり、理解したとたん思わず吹き出して咳き込んだ。
ゴホゴホと咳き込む自分にマルビスは面白そうに追い打ちをかける。
「真っ赤でしたね、ハルト様。あまりあのお方を誘惑しないで下さいよ」
「ハルト様はまだ子供ですっ」
何を馬鹿なことを、と言おうとしたもののそれは続く言葉に遮られた。
「子供はすぐに大きくなりますよ。後二、三年もすれば恋をして、十年もすれば結婚できる歳になります」
「私は平民です、しかも二回り近く歳上の」
「でもハルト様はそんなことを気になさらない。貴族も平民もあの方の前では等しく平等だ」
そう、貴族は特に平民を下に見がちだ。尊敬する旦那様ですらその傾向がある。
でもハルト様には身分差別というものは全くといっていいほど感じられない。
平民である自分に対しても簡単に頭を下げ、謝罪し、感謝を述べる。
「数年も待たずしてあの方の名声や武勇は他国にまで知れ渡ることになるでしょう。
多勢の人間が恋焦がれ、欲しいと望み、手に入れようと画策するでしょうね。
恐らく、それでもハルト様がお変わりになることはないのでしょうけど」
それには同意だ。
先程の会話でもあった。人としての価値はハルト様には誰もが等しく平等であってもあの方にとっての優先順位は別なのだと。
彼の価値観は常に一定している。
「まだ意識されているだけのようですが、ロイ、あのお方を手に入れるなら今がチャンスですよ」
唆すように言われた言葉に私は再び咳き込んだ。
そこにまた突っ込んでくるのかとも思ったが出発の時、真っ赤になっていた頬にそういう意味もあったのだろうかとも思った。この国では同性婚も認められているし差別意識もないがまさか二十近くも離れた子供にそういう意味で意識されるとは思わなかった。
「貴男にその気がないのなら私が頑張ってダイエットして挑戦するのも悪くないかもしれませんね。一生のビジネスパートナーにもなれそうだ。
この国は重婚が認められていますし、彼相手なら側室も悪くない」
どこまで冗談なのか、本気なのか。
確かにそういう考え方もあるのか。
結婚は一種の契約であり誓いだ。
特に貴族においては血を残すという風習が強く、親同士の間で取り決められることも多い。ハルト様はそれを敬遠しているようではあるけれど。
この国は重婚も同性婚も認められているが結婚に対して負う責任は他国よりも大きい。
それ故、愛情が冷めても離婚しないままの夫婦が多いくらいだ。
一生側にいるという契約、か。
そう考えた時、自分の心が揺れたのを確かに私は感じていた。