第百一話 やはり面倒事はどうにも付いてまわるようです。
会場に足を踏み入れると既に中には大勢の来賓がいた。
綺麗なドレスで身を包んだ綺麗な御婦人達で華やかに彩られたそこは眩しいほどに煌びやかだ。見た覚えのある顔もチラホラあったが、名前まで覚えている人は殆どいない。王子の誕生日パーティというだけあって同じ年頃の子供達も随分と多い。
私達と一緒に入ったアル兄様はすぐに分かれて父様達のほうに向かった。
わざわざ目立つところにいる必要もないので私達は即行壁際の会場の一番後ろの隅に移動する。こうして会場を見渡せる位置に陣取ると会場を改めて観察する。
正面を除きある程度の間隔を空けコの字型に配置されたテーブルの上には様々な豪華な食事が並んでいるが、まだパーティ開演前、主役のフィアが登場していないこともあって手をつけられてはいない。身分が高いと思われる、豪華なドレスを身に纏った御婦人連れの者ほど前方に、ドレスの見栄えのランクが落ちるほど後方の位置に下がっている。非常にわかりやすい図式だ。父様達は丁度中間程度になるわけなのだが現在話題には事欠かない上に親子揃ってのスウェルト染めを使ったドレスのせいで相当に目立っているようだ。狙われる確率が高いというなら人目を引くことは悪いことではない。注目されればそれだけ目撃者も増える。
そこにレイオット侯爵閣下夫妻とステラート辺境伯夫妻が近づいてくる。夫人達のドレスはいい目印だ。彼女達が誰かに譲り渡さない限り、今のところスウェルト染めのドレスを持っているのは王族とウチの親族以外はこのニ組の家族だけ。辺境伯のところの子供はまだ六歳以下で社交界デビューはしていないし、閣下のところは男三人、女二人の五人の子供がいたはずだがレインは次男、女の子二人はレインより下だったはずだから閣下について来ているのは長男とレインの二人だろう。父様達が会話を交わしているのが見えて視線が不意にこちらに向く。
おそらく私の居場所を聞かれたのであろうがどうすべきかとも迷ったが、閣下と辺境伯なら国内でも有名な手練れ、そう簡単には手出しもできないだろうし、不届者にも遅れは取るまい。視線が合ったので軽く会釈すると二組の家族が同時に私に向かって歩いて来た。
当然だがその行き先に注目が集まらないわけもなく、一斉に注目を浴びる結果となる。
折角壁の花(?)を決め込んで極力気配を消していたというのに台無しだ。
まあ仕方ない。パーティが始まってフィアとミゲルがこちらに来ればいずれにしても注目の的になることは間違いない。目上の方に挨拶無しとはいかないので私は少しだけ前に歩み出る。
「久しぶりだな、ハルト。この間は世話になった。お陰で妻のドレスを仕立てるのにも間に合った」
人混みをかきわけて近づいてきた閣下が開口一番言ったのは二ヶ月半程前のことについてだ。奥様にベタ惚れなのはもう疑いようもなく、取り繕ってはいるが美しい妻の着飾った姿にヤニ下がり、他人に自慢したくて仕方がないようだ。確かに陶磁器のように透き通るような白い肌、くっきりとした目鼻立ち、濡れて輝く大きな瞳、綺麗な御婦人が多い中でも一際目を惹く容姿。閣下が見せびらかしたくなるのも無理はない。
「いえ、とてもお似合いで閣下のお見立ても素晴らしいかと。清楚で可憐な奥様の前では庭に咲き誇る花も色褪せて見えます。こちらこそ、こんなに立派なエメラルドを頂いてしまい返って申し訳ないと」
「其方によく似合っている。またエメラルドが入り用な際には声をかけるが良い。良い物を融通してやるぞ」
「ありがとうございます。その時には是非に」
多分そうはいらないと思うけど。
すると張り合うように辺境伯が夫人を私の前に押し出してくる。
「ウチのミレーヌのドレス姿も見てやってくれ。其方が贈ってくれた物で仕立てさせたのだ。どうだ? 美しいであろう?」
「はい。とてもお綺麗です。相も変わらず目も眩むような御美しさで、今宵の月も恥ずかしくて雲の影に隠れてしまうことでしょう」
この漂う下品にならない気品さえ漂うような色気。羨ましい。
私にこの半分、いや、十分の一でも色気があればきっと前世でも死ぬ間際であんな望みを抱くこともなかっただろうに。女性らしい柔らかなラインもそれを強調するような豊かな胸も実に女らしい。
「貴方も相変わらずお上手ね。今宵はまた私と踊って頂けるのかしら?」
ふふふっと上品な笑い声を上げ私に問いかける。
普通婚約者がいる場合はその者が優先されるのだが、この場合にはどうなるのだ?
イシュカは婚約者ではあるけれど男だ。
私がチラリと見遣るとイシュカが小さく頷いた。問題はないようだ。
ならば断る理由もない。
「ええ、辺境伯の御許しが頂けてミレーヌ様さえ宜しければ喜んで」
「良い。是非相手してやってくれ。其方と踊ったことが妻の自慢でもある」
そういえばそんなことを言っていたっけ。
話題の人物とのダンス。注目が集まり、羨まれることが貴婦人達の誇り。
キツかったがダンスの練習してきて良かった。大恥を欠かなくて済みそうだ。
「それよりも其方、王都にあの獣馬で来たらしいな」
やっぱり辺境伯が振ってくる話題はそれか。
声を潜めることがないということは辺境伯も周囲に認識させて置くべきと思っているのだろう。
「はい、辺境伯に頂きましたあの馬は脚も速く非常に助かっております。少々事情もありまして今回はルナに乗って来ました。騒ぎになるだろうからと団長の実家に宿泊させて頂き、お預かり頂いております」
「其方が辺境伯のところで手懐けて見せたというあの美しい獣馬か」
そういえば閣下も獣馬に乗っていると言ってたっけ。
そうなるとルナやノトス、ガイアも見たことがあるのだろう。
「すっかり王都で評判になっておるぞ? 流石ワシの見込んだ男だ。もうアヤツがそこまで懐いておるのか」
この言い方からすると上流階級では私が獣馬を所有していることはおそらく広まっているのだろう。
「それにもう一頭、イシュガルド以外にも獣馬に乗って来たヤツがいるという話だが」
イシュカの馬は外観上は他の馬とも特に大きな差はない。
ただ他の馬と並べると明らかに存在感が違う以外は。
馬を見慣れている兵士ならば明らかに違うのは一目瞭然なのだろう。
だがガイアは一目で他の馬とは違う六本脚という特徴がある。
一応許可は頂いておいたが報告はすべきか。
「はい。あの三頭を連れ帰ったところ、やはり私のもとにいる男の一人と気が合ったようで、今は私よりも彼に懐いているくらいなのです。ガイアはその者に譲りました」
「イシュガルドと張り合える実力者と言っていたヤツか」
「はい。そうで御座います」
今この場所にいるけどね。別人として扱う以上視線を流す訳にもいかないが。
「其方のところには本当に逸材が揃っておるな」
「はい、私の自慢です」
辺境伯の言葉に間違いない。
にこりと微笑んで視線を両隣に向けると閣下がイシュカに目を止めた。
「ところで其方、婚約したらしいな」
じっとイシュカを値踏みするかのように閣下は見ていたが、特に困ることもない。
イシュカは品行方正、眉目秀麗、文武両道。間違いなく特の付く優良物件、アラもなければ、ケチのつけようもないはず。ただやや後ろにいたレインは悔しそうにイシュカを見上げ、睨み付けていたけれど。
そういえばレインにいつか口説き落とす宣言されてたっけ。
「どこからその話を?」
「先程其方の父上、伯爵からだ。つい四日ほど前らしいな」
「ええ。色々ありましたがこの度三人の婚約者を持つことになりました」
一人で良かったのに、三人。
しかも何故か彼らは私の婚約者をまだまだ増やす気満々だ。
普通好きな人というのは独占したいものではないのか?
よくわからない。
ロイもイシュカも自信がないと言っていたことだし、やはり恋ではないのではないだろうか。
例えは悪いがお気に入りの玩具を取られるのを嫌がるようなものなのでは?
ろくに恋もしたことがない私でも好きになったら自分だけを見て欲しいと思うくらいなのに。それともこの国の甲斐性さえあれば何人でもOKという婚姻制度の影響だろうか。実際ウチの父様も三人妻帯しているし、陛下も二人いる。奥様に夢中の閣下でさえも後二人いるという話だし、辺境伯にも他に三人いる。貴族特有の家の繋がりを作るための結婚というのもあるから名だけで実際には夫婦生活が無いことも珍しくないみたいだからかな。それが当然だから否定的考えがない。昔は日本でも大奥なる物が存在して時の権力者は何百という女性を囲ってたくらいだ。戦乱の世には戦で男の数も減るし、相手が人であれ、魔獣であれ、戦いが絶えない世の中は男女比はどうしても圧倒的に女に傾く。同性婚が許されているとはいえ一般的には男女が普通。男が少なければ子供を産めるのは女性だけなのだから多くの妻を持つというのはある意味合理的といえなくもない。養える甲斐性があればと限定している辺りがこの国の賢いところだ。子供が増えなければ人口も増えない。生涯独身の女性が大量にいればそれだけ子供の数も減る。女性の職場がまだまだ限られている状況では複数の配偶者を持てるような甲斐性のある女性もゼロでは無いがほぼいない以上、事実上は一夫多妻制と言ってもいい。その中で私はかなり異色であることは間違いない。
だが目立ったとしても今更なので気にしない。諦めた。
「まあ其方の立場ではいつまでもその席を空けて置くわけにもいくまい。その相手が全部男というのには驚かされたが」
閣下に言われて私もですと思わず言いそうになった。
子供が特別大好きというわけではないが家族を作るという点に於いて女性を考えていたのも事実。だけど子供が欲しいというだけの理由で女性を選ぶのも考えてみれば失礼な話。結婚していても子供のいない夫婦はいる。どうしても欲しければ養子を迎えれば済むのだ。もし十何年後か先に私に子供がいたとしても、必ずその子に家や事業を継がせようとは思っていない。ならば結局私は私が好意を抱ける相手であって、私を好きで大事にしてくれる人なら特にこだわりはないわけで。
「私は男女どちらでも構わない質なので、私を支えてくれる者を選びました。申し訳ないのですが同世代のお嬢様方よりも私は年上の方が好みでして。大概魅力的な女性というのは周りも放って置かないですからね。女性の理想がどうにも高すぎるので厳しいみたいです」
「確かに其方の好みが我が妻のような者だというのなら難しいであろうな。ミレーヌほどの美しく聡明な者はそういまい」
「清楚で儚げな一際光り輝く美しさを持つ白百合のようなヘレーネ様も間違いなく魅力的なのですが、色気のない私には艶やかなミレーヌ様のような御方にどうしても憧れてしまうのです」
決して女性の魅力が劣っているわけではなく、あくまでも好みの差だと強調する。
「自分にないものに惹かれるということか、なるほどな」
自分の妻が劣っているわけではないということに閣下は納得したようだ。
「確かに、其方は自分の功績に対して控えめなところがある。そういう意味でも其方にはやや勝気な者の方が似合うであろうな。もう少し自分の成し遂げたことに対して誇っても良いと思うのだが。なあ、イシュガルド」
そう言って辺境伯はイシュカに視線を流す。
「ええ、私もそう思います。ですがそういうところもハルト様の魅力なのです」
「晴れてハルトの婚約者の座を射止めた気分はどうだ?」
閣下に聞かれてイシュカが幸せそうな笑顔で微笑む。
「身に余る至上の幸福であります。今でも夢を見ているかのようで」
コレは結構照れるものだ。顔から湯気が出そうだ。
「第一席は決まっているのか?」
第一席、つまり第一夫人にあたるものだ。
「現在私が座っております。ですがハルト様は非常に魅力的な御方ですのでこの先も婚約者候補は増えるのではないかと」
コレはロイ達三人が話し合った結果である。
単に公式の場に出て行くことになる場合、都合が良いからという理由なのだが。
「つまりまだ側室狙いなら入り込む余地があるということか」
閣下の目がギラリと光る。
非常に嫌な予感がしないでもない。
「その隣にいる男もそうか。ハルトの瞳の色、私の贈ったエメラルドの耳飾りを付けておる」
「ええ、リュートと申します。この男もハルト様の婚約者候補の一人です」
ガイが軽く会釈をする。ボロが出ると言っていたが充分に綺麗なお辞儀だ。
「すみません、無口で驚くほど口数の少ない男でして」
「ハルトが側に置くということはそれなりに出来る者なのであろう?」
「それは間違いありません。私もリュートには一目置いております」
そうイシュカが応えると辺りが少し騒めき始めた。前方の階段から人が動き始めている。舞台に背を向けている二人は気づかないようだ。
「閣下、辺境伯、そろそろフィガロスティア王子殿下がお見えになるようですよ」
「誠かっ、では急ぎ前に行かねばならん」
くるりと閣下が振り返ると辺境伯もそれに続き慌て出す。
「ではまた後でな、ハルト」
軽く片手を上げて挨拶をすると二人は急いで前方に向かう。
いくら私が有名人で話題の中心人物であったとしても一国の王子に敵うはずはない。しかもつい最近までは伏せっていたという話が飛び交っていたのだから。
「今のうちに場所を少し移動しよう」
これ幸いと私は周囲の人間の興味がフィアに移った隙に場所を変えてしまおうと動き出す。フィアの挨拶が終わったと同時に興味がこちらに戻って押しかけられ、押し潰されても敵わない。
「そうですね。王子殿下には申し訳ありませんが些か人目を引き過ぎました」
小声で言った私にイシュカが応え、更に人目のつかないベランダへと移動する。
こういう社交場で始めのウチから奥の目立たない場所に引っ込もうという人間は殆どいない。私達は静かに扉を開けて素早く体をそこに滑り込ませる。
「どう? それらしい怪しいヤツはいる?」
声を潜めてガイとイシュカに改めて確認する。
そもそもガイがここにいるのは私に危険が及ぶ可能性を案じてだ。
取り越し苦労というならそれはそれで良い。
ガイは極力小声でベランダから中の会場を覗き見る。
「今のところはいねえな。もっともあの二人に張り付かれてはおいそれと手も出せねえだろうが」
「ですね。私も特に怪しいと思う者はおりませんでした。やはりこのような人目につく場所では狙い難いのでは?」
イシュカの言葉にガイが難しい顔で考え込む。
こういう時のガイの第六感は高確率で当たることが多い。
それなりに危険なところを潜り抜けてきた経験則というものもあるのだろう。そういうものは馬鹿に出来ない。そのガイのソレに引っ掛かっているということは決して安心出来ない。
中ではフィアの挨拶が始まったせいか静まり返っている。
意識を集中して感覚を研ぎ澄ませているのか、ガイの顔の表情が止まる。
そして暫くそのままそれを見守っているとピクリとガイが反応した。
「いや、待て。そうでもねえみたいだぜ?」
何かに気付いたらしいガイが視線を広間の上空に向ける。
「上の方で足音がする。警護のヤツなら問題ないが、普通屋根まで登らねえだろ」
「天窓から様子を伺おうとしているということですか?」
イシュカの問いにガイがジッと屋根を睨みつける。
「多分な。俺らがここにいることは気がついてないみたいだな。御主人様狙いかどうかはわからんが」
ここには今日多くの要人が集まっている。
私達の他にも怨みを買っている者も、権力争いなどに関わっている者もいるだろうから断定できないのも確かだ。
「どうします?」
「どうするもこうするもねえだろ。俺らの仕事は御主人様の護衛だ。二人して側を離れる訳には行かねえ。足音から察するにおそらく人数は三人。気配を消すのが相当に上手い、それなりのヤツだと思うぜ。下手を打てば逃げられるか、天窓を突き破って落ちるだろ。そしたら下にいる招待客に被害が出る。一応は知らせて置くべきだろうが」
「会場にいる警護の近衛に言付けますか?」
三人という数は結構微妙だ。
人数が多いということは気づかれる可能性も増すわけで、いくら手練れだとしても城にも警備のプロがいるわけだし、こういうめでたい席なら警護も厳しい上に連隊長や団長のような猛者、閣下や辺境伯のような名の知れた武人もいる。暗殺を狙うにしても、死を覚悟の特攻をかけるにしてもかなり分が悪い。
ただこういう人がたくさん集まる時はどんなに警戒を厳重にしていても紛れ込みやすいものだ。
だが様子を探るだけにしては随分と多い。可能性としてそれぞれが別口であることもあり得るわけだが最近は国境付近は比較的平和だというし、和平協定も結ばれていると聞く。しかしながら協定というのは絶対というものではないので一方的に破棄されることがないわけでも無い。考えだせばキリも無い。
ガイは少し考えてから口を開く。
「いや、お前は面が割れている可能性が高い。動けば感付かれる。俺が団長んとこに知らせてくる。中からじゃわかりにくいだろうが団長なら一言言やあ上の気配にも気づくだろ。お前らは俺が先に中に入って注意を引くから少し間を空けてから目立たないように俺が戻るまではカーテンの影にでも二人で隠れててくれ。御主人様が狙いだとすれば中にいなけりゃ会場外に目を向けるかもしれんからな」
「わかりました」
イシュカが大きく頷くとガイはすぐに行動に移る。
気配を消すという点においてガイは超一流だ。
普段から足音もしないし闇属性の魔法の使い方も上手いからきっとガイがその気になれば稀代の大泥棒にだってなれそうだ。前にそんな話をしたことがあったけれど国に追われるような犯罪者になれば気軽に酒も飲めないから遠慮すると言っていた。大泥棒になってまで盗み出したいものもないので馬鹿らしいと。
もし本当に天井から覗いているというのならフィアに注目が集まり殆ど誰も動かない中なら当然目立つし視線が行く。上から見えていても周囲に悟られなければ問題ないわけで。ガイが開けた扉の隙間から私達は中に入り込む。
「ハルト様、こちらに」
イシュカに手を引かれて厚いカーテンに隠れるように二人で包まる。
腕の中に抱え込まれて密着するとイシュカの心臓の音が聞こえてきた。
こんな時に不謹慎だとは思うが、ハッキリ言うならかなりドキドキしていた。
そりゃあ抱き上げられるのも最近では日常茶飯事だし、昨日も恥ずかしげもなく街中をそれで歩いたりもした。でも抱き抱えられたことはあってもこうして真正面から強く抱きしめられたことはない。そんな場合ではないとわかっていても別の意味でドキドキする。
頭の中で何度も私は子供、私は子供と繰り返す。
そんな私の様子に気づかないままイシュカは神経を張り詰めさせている。
腕の中とは言っても胸ではない、身長差から殆どイシュカの見事な腹筋に押さえつけられている状態なわけだがコレはコレでかなり恥ずかしい。いやまあ一応は婚約者なわけだし、問題ないといえば問題ないのであろうけど。逆に小さくて良かった気もする。これで私の身長がもっと高かったらイシュカにも私の心臓の音が丸聞こえだっただろう。
このゼロ距離接触は心臓に悪すぎる。
フィアの挨拶も、陛下の御言葉も賜り、人が動き出す気配を感じるとガイが戻って来たようで小さく声をかけられるとイシュカが私を離した。すっかり茹だった私はイシュカから少しだけ遅れて俯き加減で顔を出す。
「お前、何かやった?」
私を指差してガイが小さな声でイシュカに尋ねる。
「いえ、特別なことは何も・・・」
と、そう答えかけてイシュカは先程までの状況を思い出したのかイシュカまで赤くなった。
「何も?」
ニヤニヤと下品な笑顔を浮かべてガイが先を促す。
完全に面白がっている顔だ。
「・・・その、お護りしようと抱き締めてしまいました。すみません」
「へえ、マルビス辺りが知ったら抜け駆けだと喚き散らしそうだな」
「そういうつもりではなかったんですけど」
前方に注目もせず、ボソボソと広間の隅、カーテンの影で話しているのは高い場所から見渡している陛下達には丸見えかもしれないが特に注目を浴びている様子もない。殆どの人は前方、前より半分くらいに集まっているせいもあるのだろうが。
「それで、報告は済んだんですか?」
「ああ。一応な。やっぱり会場内に気を取られて気がついてなかったようだが忠告したらすぐにわかったみたいだぜ。顔は前を向いたまま視線を上にさり気なく向けていた。妙な気配がする方向にな。何人か鋭いヤツはそれで気が付いたみたいだぜ。招待客にバレないように静かに抜け出したヤツが数人いた。閣下と辺境伯辺りも団長の視線で勘付いたようだが」
それだけの実力者ということなのだろう。
そういう気配にある程度敏感でなければ強者にはなれない。
「では後はとりあえずお任せするのが妥当ですね」
「だろうな。こういう場の余計な手出しは連携が崩れて却って邪魔だ。俺達は俺達の仕事をする。そろそろ陛下の演説も終わる。人が動き出す、気をつけろ」
「わかってます」
上にいる三人が入り込めたということはこの会場にも潜り込んでいる可能性もあるということだ。だが城にまで潜り込んで来ているということは父様や私だけが狙われている可能性は低い。ここは警備の数も多いし、一度コトを起こせば封鎖されて逃げ道もなくなる。余程大掛かりな事を起こさない限りフィアの誕生日パーティのために警備も増強されているわけだから隙を作るのも難しいだろうし。だけど昨夜に王都とウチの領地で同時にコトが起こったことを考えると無関係ではないような気がするんだけど。
それともただの偶然?
たまたま同時期に複数の事件が重なることもありえない話ではない。
私は基本的に自分の興味のないことに対しては首を突っ込むつもりがないので他国間や他領地での諍いや外交、貿易には詳しくない。自領に関わってくれば別の話だが領地経営をしているわけでもないので関わりがないところのことは殆ど知らない。特にウチは位置的には王国の真ん中寄りではあるが周りは山に囲まれた領地が広いだけの田舎貴族、最近までたいした脚光を浴びるでもなく長閑な場所だった。
事実、父様の屋敷にも数ヶ月前までは殆ど来客もなかったのだ。スタンピードの一件で税金一年免除になったので最近では父様も新しい農地の開拓や道路、橋などの整備、所謂公共事業に力を入れている。父様が開拓事業、私が開発事業を急速に推し進めているせいで話題に上っているが、成り上がりと馬鹿にされることも多いみたいだし、没落して夜逃げした貴族も多いというから現在羽振のいいウチはやっかみ対象であることは確かみたいだけど。
もう少し他領、他国の動向に目を向けておくべきだったかな。
犯罪者にかける情けは無いが、逆恨みされている可能性もあるだろう。
陛下の挨拶も終わり、拍手が湧き起こる。
いよいよパーティも本格的に開始か。ピアノや弦楽器の生演奏が流れ出す。
一斉に人が動き出し、父様達も人混みに囲まれている。
ミゲルはともかくフィアは各領主達の御挨拶と祝辞が待っているだろうから早々にこちらに来れないだろう。私はといえば遠巻きに眺められてはいるものの近づいてくる気配はない。
まあそれも仕方なし。
なにせ私はその名も轟く魔王様だ。
貴族とは極力関わりたくないのでこれ幸い、シカトを決め込むことにした。
目の前の料理やスイーツも気になることだし、早速頂いてみようか。
一応他にも料理に手を付けている人がいる事を確認してから手を伸ばす。
イシュカは相変わらず警戒モードのようだがガイは給仕が運んでいる高そうなお酒に次から次へと手を出してあっという間に空にしていく。周囲に気をつけなければならないこの状況で如何なものかと思いもしたが、いつも人の倍近く飲んでも平気な顔をしているし、ガイが酔い潰れたところを見たことはないので問題もなかろう。仕事に支障が出るほど飲むタイプでもない。
食べたことのある物はおいといて、とりあえず珍しい物からと思ったのだが手前はなんとか手が届くものの中央の皿までは手が届かない。それに気がついたイシュカが皿に取り分けてくれる。いつもロイがしてくれるように色んな物を少しづつ乗せて渡してくれたので味見してみるとどれも味がかなり濃い。不味くはないが食べ過ぎると胸焼けしそうだ。
そういえば砂糖や塩、香辛料などの調味料は高級品も多いので、それらをたっぷり使用することで権力や豊かさを示すこともあると聞いたこともある。これもそういったものかもしれない。一皿で御馳走様した私の元に挨拶を終えたらしい閣下と辺境伯が再びやってくる。先程とは違う表情に多分さっきのガイと団長の遣り取りでも目撃して、詳細の確認でもしたいのだろう。周囲に悟らせないようにという配慮からか慌てて飛んでくるようなことはなかったけれど表情がやや硬めだ。
「何かあったのか? ハルト。先程そのリュートとか言う男が団長と何か話をしていただろう」
やや声を潜め閣下が聞いてくる。
「実は先程少しベランダに出た折にリュートが三人ばかり賊を発見致しまして、その報告に」
「賊だと?」
キッと御二方の目付きが変わる。
私は頷いて肯定する。
「ええ、この上です。単なる密偵ならまだ良いのですが、三人という数が少しばかり気に掛かりまして。普通ならそういう者は発見されるのを避けるためにバラバラで動くものではないのですか?」
情報収集というなら通常色々なところから集める物だ。
目当ての物やターゲットでも決まっていれば別だろうが。
辺境伯が難しい顔で唸る。
「なるほど、確かにそうだ。そうなると何か仕掛けてくる可能性があると其方は読んだわけか」
「思い過ごしなら良いのですが」
私の言葉に閣下が思案気に言う。
「密偵だとしても賊であることには変わりはないが、其方らが見つけたのが三人だとすればどこかにまだ潜んでいる可能性もある。今宵は他国から姫君達も来訪しておられる。何か事が起これば国交に亀裂も生じかねない。我が国を陥れるには絶好の機会であろう」
「姫君達はどちらに?」
問いかけると閣下は視線で指し示す。
「あそことあそこだ。やはり先程より警護の壁が厚くなっておるようだな」
確かに姫君の姿は見えないが白い騎士服を着たゴツイ人の集団がある。
つまり普通に人混みを歩かせるのは危険があるということか。しかし、
「我が国はそんなに敵が多いのですか?」
「少なくはない。だが我が国は大国、隣接する国も多いが北に位置する国々は一年の半分が雪に閉ざされている事も少なくない。地下資源にはある程度恵まれて入るものの作物が育ちにくい土地が多く、魔獣の出現も多い。食料輸入を我が国に頼っているため表立っては仕掛けては来ぬが、内心では少しでも領土を広げ、食料自給率を上げたいところであろうな。一応条約は結ばれているとはいえ、陛下はそれをわかっておられるので北の国境は特に防衛に力を入れている」
私の問いに辺境伯が答えてくれた。
自領で無理なら奪い取れということか。ありがちといえばありがちだ。
ただ戦争を起こしたところで兵糧がなければ長くは持たない。
余計に国力を落とすだけになる。故に攻めて来ないというわけだ。
「以前、南方もあまり穏やかではないと聞いた事があるのですが」
「これまでは友好的ではあったのだ。王が交代して治世があまり良くなくてな。民が重税に喘いでいるとも聞く。南から人も多く流れ込んでくるようにもなった。そのせいで南の領地では地元民と移民の間で諍いも絶えぬ。そうなると南は血の気の多いヤツも多い。いつ戦を仕掛けてきてもおかしくはない。ただ、南の地は砂漠と言われる人の住めぬ砂地も多く、領土の割には人口も少ない上に戦をするだけの資金がないから大人しくしているだけであろう。
其方が助力したワイバーン討伐と王都を危機に晒したスタンピードの二つでまともに被害を受けていたら、おそらく我が国が弱った隙にと攻め込んで来た国も二つ、三つあったであろう。そういう意味では其方が成した功績は国を救ったとも言える。陛下が其方を重用するのも当然であろう」
閣下の話を聞けば破格とも思える私の待遇はわからないでもない。
北は食料不足、南は重税に耐えかね貧しい生活を送るが故の資金不足。
資金も食料も戦をする上では欠かせない。
そうなるとすぐには攻めて来られないわけだ。
「国家間の移動というのは民は自由に出来るのですか?」
どちらも生活が厳しいならウチの国に逃げて来る民もいそうな気もするのだが。
「出来るぞ。ただ国境を抜けるにはそれなりの金がかかる。それ故それを払えぬ者には移動出来ぬ。重税に耐えかねて国を抜け出してきてもまともに職にありつけるとは限らぬ。スラムや日雇いで暮らしている者も多いので南では特に治安も悪くてな」
亡命者の生活難民か。生活が貧しくても生活できるなら治安もそこまで酷くはならないだろうが生活出来ないが故に犯罪に走るわけだ。
「南の国と我が国では言語が違うのですか?」
「いや、訛りはあるがケイトルやジャイブなどでは殆ど変わらぬ」
「治世が悪いというのはどこの国で?」
「ジャイブだ」
ということは言葉は通じるわけだ。それは好都合というもの。
私の表情が変わったのに気がついた閣下が訝し気に尋ねてきた。
「其方、何を考えておる?」
「いや、ウチは人手不足が続いてまして、仕事がないというなら働いて貰おうかなあと」
「あの場所にこれ以上人を増やす気かっ」
呆れたように閣下が言った。
これ以上も何も全然人手が足りていないんですけど。
「勿論受け入れる箱物の建設が足りませんからまだ先にはなりますが。土木作業員は勿論、工房でも人が足りていない状況で商品も欠品状態が続いていて流通するのにも人手が欲しく、町とウチの間の乗り合い馬車の御者も足りてなければ来春開園予定の運営人員も不足でして。ですがそうなると土地を開拓して農業従事者を増やさねば食料不足の心配も出てきますから父様とも相談が必要になるでしょうけど」
「呆れたヤツだ。あそこに討伐部隊支部が出来ればあそこの地区の住民数は千を超えるのではないのか?」
「まあ、そうですね。詳しくは把握しておりませんがゲイルなら把握してると思いますよ。優秀な人材はどんどん雇い入れていますし、支部と屋敷内に建設予定の物が完成しましたら宿屋ともう四棟ほど寮も建築しようかと。大工職人達も冬の間は故郷に戻っても仕事がないということなので引き続きウチで仕事をお願いできそうですし」
ゲイルも乗り気だったから問題ないだろう。
箱物建設は人手がある内に出来るだけって言ってたし。
「其方、国でも起こす気か」
「それは父様にも聞かれましたけど、そんな面倒なことしませんよ」
閣下に尋ねられてキッパリ私は断言する。
「あっ、団長がこちらに来ますね。何かわかったんでしょうか」
人混みの中にこちらに向かって歩いてくる一際大きな体躯を見つけ、私は会話を中断した。
大雑把な近隣諸国の情勢については理解した。
これは私の手に負えるような問題でもない。
人手は欲しいが揉め事まで引き受ける気はないし。
ああ、でも同じ国の者同士でリトル東京みたいな集落を作ってそこだけで運営させる手もあるか。
その辺はゲイルとも要相談だ。
どちらにしてもすぐに取り掛かれるものでもなし。
私が団長が来るのを待っていると閣下と辺境伯の会話が聞こえてきた。
「なんとなくワシは四頭の獣馬がアヤツに懐いた訳がわかったような気がするぞ」
「偶然だな、私もだよ。彼は私達とは別の生き物と考えるべきだ」
「同感だ、アヤツは敵に回すべきではない。絶対にな」
なんか今度は怪獣かUMAみたいな言われ方になっている。
だが、二人が敵に回ることがないというのはありがたいことだと私は割り切ることにした。




