第九十二話 臆病で情けないのは相変わらずなのです。
入って来たのは如何にも悪役じみた御面相の三人組。
こういうのって定番だよね。
ドスドスと足音を響かせているあたりも下っ端じみている。
私の今まで会って来た強者達は大きな足音をさせる人は少なかった。
それは相手に気配を悟らせ、警戒させてしまうからだ。
単に威嚇しているだけなのかもしれないが、そうしなければならないあたり、立派な体躯はしていても実力の底はしれている。脳ある鷹は爪を隠すものだ。
私は極力目立たないように執務机の椅子に座り、ライオネルとガジェットはソファに腰掛けているマルビスの後ろに立っている。私は有名人なので姿を見て警戒されても困るとマルビスが言ったので更にその後ろにある執務机の椅子に座った。席を外せと言わないのは素性を隠したとか詐欺だと因縁つけられないためだ。最初からこの場にいたなら向こうの確認ミス。前にある大きな執務机もあって私の身長では丁度ギリギリ視界が確保出来るくらい。ロイが右斜め前、イシュカが執務机の左前方に立っているので私の存在は前に立つ四人の隙間からしか見えない。背丈の高い彼らに囲まれていれば視線はそちらに誘導されるはず、余程注意して見なければ気づかれることもないだろう。ソファの両脇には厳選してきた怖面の面々も立っている。マルビス達の護衛の数は充分だ。
「なんだ、今日はヤケに大勢客がいるじゃないか」
ドスを効かせた声にたじろぐこともなくマルビスは微笑んだまま返事をする。
「お邪魔してます」
両隣に当事者である叔父さん達を座らせて迎え討つ。
屈強な男達に囲まれているものの目の前にいるのはたいして腕が立つとも思えない優男達。それに安心したのか借金取りの三人組はドスンッとマルビス達の前の席に座る。
「なんだ、借金返済の目処がつかなくて相談でもしていたのか? だったらコチラとしても助かるんだがなあ。ちょっとコッチも事情があってすぐに全額返してもらわないといけなくなったんでな」
だろうね、だと思うよ。
全ての命運はここの借金回収にかかっている。
特に慌てた様子も見せず、マルビスは優雅に脚を組み替える。
「それについては今私共も丁度相談を受けていたところでしてね」
「そりゃあウチとしてはありがたい。それで残金は全て支払ってもらえるってことで良いのか?」
勿論、そのつもりだ。
但し、払う残金が残っていれば、である。
ゆったりとした仕草でマルビスは年配の執事の入れてくれたお茶に口を付け、尋ねる。
「その前にまずお伺いしたい。彼が一年ほど前に貴男方にお借りした金額は金貨三十枚ということでしたが、これに間違いはないでしょうか?」
「ああ、合っているぜ?」
あ〜あ、認めちゃった。
もうマルビスの手の上だ。
「確認したところ今までの返済支払い証から計算すると、先月で既に返済は終わっているはずなんですがねえ。何故今月も取り立てを?」
「いや、まだ終わってないぞ。ソイツにはまだ金貨二十六枚の借金が残っている。それを支払ってもらわない限りウチとしても非常に困るんだよ」
あらまっ、借金金額が増えているじゃないの。
確かサキアス叔父さん話では利子つけて金貨五十枚だったはず。
よくもまあ偽の証文でそれだけボッタくれるものだ。
それに言い返そうと立ち上がったメイベック叔父さんを軽く手で制してマルビスが先を続ける。
「先月までで金貨三十八枚、支払われていますよね。国で定められた最高法定金利は年二割。後二十六枚の借金など残っているはずもない。その計算からいくと法定金利の実に五倍、明らかに違法なんですよ。これがどういうことか説明して頂けますか?」
「そんなモン俺達の知ったことじゃねえなあ。ウチとしても金貨三十枚なんて大金用立てるにはそれなりの苦労をしているんだ、その手間賃ってヤツも加算されているんだよ」
その手間賃入れて一年で倍以上っていくらなんでも無茶でしょうよ。
「そうですね。そういう話になりますと最初の契約の時点で証書を交わせば更に一割、上乗せ出来ないこともないでしょうが、だとしても残金は残り金貨五枚もないはずなのですよ」
「だからそんなモン関係ねえって言ってんだろっ、コイツはそれでも良いから貸してくれってサインしてんだからよ」
「そんなものした覚えはないっ、私が契約したのは法定金利の二割。手間賃なんて記載はどこにも無かったっ」
理路整然と問いただすマルビスにイラついて怒鳴る男にメイベック叔父さんが言い返す。
その言葉にニヤニヤと下品な笑みを浮かべて男が言う。
「困るなあ、フェイドル男爵。コッチには証文だってあるんだ。サインしたからにはしっかり払ってもらわねえと」
ふ〜ん、あくまでもそれで押し通そうってわけだ。
確かにそれがあれば一筋くらいの光明はあるかもしれないねえ。
それが間違いなくあれば、だけど。
「ではその証文とやらを私に見せて頂けますか? それに間違いがなければ彼の代わりに私が残金全てをお支払いしましょう」
マルビスの言葉に男はシメたとばかりに上機嫌になる。
「なんだ、お前、案外話がわかるじゃねえか。おいっ、事務所から証文取って来い」
カシラと思しき男が隣に座っていた男に命令すると三人の内一人が立ち上がり、すっ飛んで行く。
でも残念、貴男達は知らないだろうけど、それ、無駄足だから。
私達は知っているけど、それを知らないメイベック叔父さんの顔からは血の気が引いている。そりゃあまあそうなるよね、騙してサインさせられたとはいえ、間違いなく証文はあるのだから。
但し、今は私の父様の机の上に、だけど。
「良かったじゃねえか、金持ちのオトモダチがいて」
御機嫌でメイベック叔父さんに向かって男が言う。
「友達ではありません。彼は私の上司の縁戚にあたる方でして」
「へえ、ってことはその上司に頼まれたってわけか」
「まあそんなところです。ところでその証文とやらは間違いなく本物なんでしょうね? 私としても偽物にそんな大金を支払う気はありませんので、それが本物でない場合は国の定めた法定金利以上お支払いするつもりはありませんよ」
ここから難癖をつけられては困るとばかりにマルビスが男達から言質を取るために仕掛けていく。
「ああ、間違いなく本物だぜ? 今、取りに行かせてるから待ってろって」
まさしく大船に乗ったつもりなのだろう。
それが泥で作られた、沈み行く運命のものだと男は気づかない。
「ではその前にコチラの確認を。現在までに彼が支払った済証です」
マルビスがテーブルの上にそれらを並べ始めると男はそれを確認するために手を伸ばそうとするが、マルビスは男の手がそれに触れる前にサッと取り上げる。
「っと、触らないで下さい。大事な証拠ですので。金貨三枚が六回、その後、金貨五枚づつ毎月支払われています。コレはソチラのものに間違いありませんね?」
「ああウチのモンだ」
「つまり最初の半年で金貨十八枚が支払われている。大雑把に計算するなら半年で一割、この時点で金利を含めた借金は金貨三十三枚なわけですからつまりこの時点で法定金利であるなら残りの借金は金貨十五枚。これに二割上乗せされたとしても残り金貨十八枚。そして更に金貨五枚が四回支払われているということは正当な法定金利であるなら既に支払い済ということになるのですが、これは間違いないですね?」
マルビスの言葉に男が言い訳をする。
「法定金利ならな。だがそれには用立てた時の手数料が含まれちゃいねえ」
「ですがフェイドル男爵はそんな書類にサインした覚えはないと言う。コチラとしてはどちらの話を信じるべきか、迷うところでしてね。ああ、コレは貴男を疑っているというわけではなく、単に第三者的立場から見てのことです。男爵としては最初に契約した以上の金額を払いたくはない、貴男方は契約書通りの金額を支払わせたい。私としてはどちらの言い分が正しいのか決めることはできません。証拠があれば別ですが」
「証文ならある。事務所の金庫の中にな。ここから事務所の往復には一刻もかからねえ。すぐにアンタが望む証拠とやらを見せてやるよ」
慌てるなとばかりに男は言う。
「ならばこちらとしても文句はありません。私が上司から申しつかっているのは早期解決。証拠があるならばその通りにお支払いしましょう。ですが、もし証明が出来ない場合は法定金利で。これでよろしいですね?」
「構わないぜ?」
絶対の自信があるのだろう。
だったらガイに楽勝と言わせるような杜撰な管理はやめておけばよかったのに。
マルビスは言質は取ったとばかりに今度はそれを固め始める。
「ではその証書を書いてサインを頂けますか?」
「なんでそんなモン書かなきゃならねえんだ」
「私は疑り深いタチでしてねえ。簡単に人を信用しないことにしているんですよ。口約束なんてアテになりません。勿論私も書きますよ、証明されたのなら間違いなく全額お支払いすると。貴男だって証拠を突きつけた時、私がそんな話は知らない、約束した覚えはない、あんなものは冗談だと言われたら困るでしょう?」
困るのは貴男達の方ですよとばかりに畳みかける。
男は少しだけ考え、納得したようだ。
「違いねえ。だが良いのか、そんな安請け合いして」
「問題ありません。私は私の上司に全ての裁量を任されていますから。条件さえ満たして頂ければ、すぐこの場で即金でお支払いします。大金を持ち歩いていますからね。そのための護衛なのですよ」
そう言ってぐるりと警護人員を見渡すとマルビスは上着の内ポケットから金貨百枚の入った布袋をワザと音を立てて取り出し、準備はできているとばかりに男達に見せつけてからそれを再び懐に戻す。
ゴクリと男達の喉が鳴る。
「良いだろう。金が用意済なのはわかったからな」
眼前に見せつけられた大金に視線は釘付け。
切羽詰まった状況下でのそれは男達の判断を狂わせるには充分なものだ。
彼らはすっかりハメられていることにも気づかないまま、マルビスに言われるままにペンを取り、文章をしたため始めた。
この時点でヤツらの命運は完全に尽きたのだ。
これで当座を凌ぐことが出来ると確信した男は呑気に調子っぱずれの鼻歌まで歌い出したのだが、それは証文を取りに行かせた男の血相を変えて飛び込んできた姿で状況は一変する。
「カシラッ、カシラッ、大変ですっ」
「どうしたっ」
息を切らし、往復で一刻も掛からないと言っていた使いに出された男はまさしく一刻どころか、半刻少し過ぎたあたりで戻って来た。息を切らせたその様子から察するに、隠し金庫の中から証文だけが綺麗サッパリなくなっていたのを見て慌ててすっ飛んできたのだろう。
「それが・・・」
耳元でマルビスが一筆書かせていた男の耳元で駆け込んできた男がコソコソと耳打ちしている。そして伝えられた言葉に顔色があっという間に真っ青に変わる。
「どうか致しましたか?」
「いや、なんでもねえ」
マルビスがすました顔で尋ねると男は慌てて誤魔化すように首を横に振ったが、それしきのことでマルビスの追求から逃れられるはずもなく、素知らぬフリしてトボけた調子で再度尋ねる。
「そちらの方は確か、証拠の証文を取りに行かせたとかいう御方ではありませんでしたか?」
いそいそと支払い準備を進めるが如く書類一式を整え始める。
そんなものないのは百も承知である。
「持って来て頂けたのでしたら早速お支払い致しましょう。これでもそこそこに忙しい身でしてね。この後も仕事が詰まっているのですよ。さっさと済ませてしまいましょう。私も長らく上司をお待たせするわけには参りません」
金貨以外の支払いを済ませるための書類を並べながらマルビスは如何にも支払う気マンマンの様子を見せつけつつ、相手を追い詰める。
「証拠、持って来て下さったのですよね? 早く見せて頂けますか?」
右手を差し出し、早く見せろとばかりに催促され、男達は返答に詰まる。
無い物を出せるわけもなく、さりげなく男達は視線を逸らす。
本来なら借金の貸付の証文は二通存在する。
貸付側と借り付け側。だが、最初に交わされた正当なものは男達が既に破り捨て、燃やし、証拠を隠滅してしまっている。そして偽造されたもう一通の貸付側の証文は紛失、そうなると借金の存在自体、証明することも困難だ。取り立て屋の存在が隣近所で知られていたとしても、それが後いくら残っているかなど御近所さんが把握しているはずもなく、不当に借金を作らせ、違法に搾取していたのだから借金を背負わせていた者達がまともに自分達を援護してくれるはずもなく。
押し黙る男達にマルビスが更に追い込みをかける。
「お早くお願い致します。私は証拠があれば全額返済の手続きをすると御約束致しました。それを違えるつもりはありません。商人は信用第一ですからね。時は金なりと申します。無駄な時間を過ごすのは性に合いませんのでさっさと済ませてしまいましょう。それとも何か見せられない理由でもあるのですか?」
それでもなお何も言おうとしない男達にマルビスはわざとらしいまでに深いため息を吐く。
「見せられないというのであれば、先程交わした約束通り、国で定められた法定金利でのお支払いということになるのですが、それでよろしいんですか?」
先程まで調子に乗ってマルビスに言われるがままの文書にサインをした男は憎々しげにマルビスを睨み上げる。よく悪人が言う常套句、『騙される方が悪いのだ』という台詞があるが、加害者である彼らが今、それはあくまでも騙す方の言い分でしかないと思い知らされ、実感していることだろう。確かに安易な言葉や要求を簡単に鵜呑みにする方にも責任はある。だが、もとを辿れば騙す人がいなければ騙される人もいないのだ。
念押しするマルビスの言葉に頷くこともできない。メイベック叔父さんのところから回収できなければ彼らの取れる行動は少ない。今まで通りの派手な生活どころか明日のメシにありつける保証はない。
いそいそとテーブルの上の書類を片付け始めるマルビスを止めようにも証拠として差し出す証文はない。目の前に見えていた彼らの一筋の光明は今完全に消えたということになる。
マルビスは机の上を綺麗に片付けるとにっこりと笑って立ち上がる。
「では先月で支払い完了済みということでよろしくお願いします。金貨二枚分ほど当方が払い過ぎているようではありますが、それは返却して頂く必要はありません。どうぞ手数料としてお納め下さい。それでは私達はこれで失礼致します。以後、こちらには一切取り立てにはいらっしゃらないように。約束が守られないようでしたら当地領主伯爵邸に申し立てに参りますので宜しくお願いします致します」
トドメとばかりにそう言い渡すとマルビスは小さく一礼する。
「では失礼致します」
挨拶をして立ち去ろうとくるりと無防備に背中を向ける。
そう、これは罠だ。
さあ襲えと言わんばかりに振り返りもせずに歩き出す。
男達が顔を見合わせ、ナイフを抜くとマルビスに襲いかかった。
あ〜あ、誘われているとも知らずにまんまと引っかかってくれちゃってまあ。
彼らの行動は予測するまでもなく、最早お約束というものである。
すぐそこに大金を持った男が背中を向けて立っているのだ。
カモがネギを背負っているその状態であっさりと見逃すはずもなく。
但し、それは周囲に護衛達がいなければ、の話だ。
どちらにしても命運は尽きているのだ。一縷の望みを賭けてマルビスが懐にしまってる金貨を奪取すべく襲いかかるが、それは呆気なくライオネル達護衛に取り押さえられ、床に倒れ伏すこととなる。
背中に乗り上げられ、腕を捻り上げられ、ナイフを取り上げられ、憐れな姿を晒している。
口惜しげに睨み上げているがマルビスは動じるとこなく言い放つ。
「馬鹿ですか? 貴男達は」
呆れたように溜め息を吐かれ見下ろし、続ける。
「襲うなら襲うで、もう少し場所を考えては如何ですか? 護衛の姿が見えていなかったのですか? 頭が悪いだけではなく、目も耳も悪いようですね。私は護衛を連れていると言ったはずなのですがね。それとも三歩歩けば忘れてしまうほどの記憶力しかなかったということでしょうか。彼らは私の主の護衛の中でも屈指の実力者達ですよ? 貴男方ごときが束になっても敵うはずがないでしょう?」
そう言いたくなるのはわからないでもない。
計画ではここではお引き取り願い、バックに誰かいるのならそこに駆け込んでもらい、正体を突き止めてから捕縛する予定だったのだ。大金を見せつけ、襲いやすい状況であることを印象づけておくことでその後、彼らの前にワザと姿を現し、襲いかかってもらい、捕らえる算段だったのだ。
頭が悪過ぎて計画は台無しである。
とはいえ、引っ張って取り調べる理由はできたわけだ。
「さて、これで貴男達は強盗未遂、いえ、ナイフまで持ち出しましたから強盗殺人未遂ですか。全く、貴男達が馬鹿過ぎて予定が些か狂ってしまいましたよ」
「離せっ」
往生際悪く足掻く悪党に引導を渡すべく、マルビスは微笑んで、
「如何致しましょう? 我が主、ハルスウェルト・ラ・グラスフィート様」
そう、私に向けて言った。
その名前をウチの領地で知らぬ者は殆どない。
冒険者ギルドでもリッチの一件以来、すっかり名と顔は知られてしまっているし、ハルウェルト商店の買物袋には私の似顔絵イラストが刻印で押され、町のあちこちで見かけるような状況。本人を見たことがなくてもその似顔絵を見たことない町人は皆無に等しい。
護衛達が動いたことで私の前にはスペースが空いたので、私は椅子から降りると彼らの前に姿を現した。
私の顔を見てすぐに領地内に伝わっている、というか、蔓延している私の誇張された武勇伝を思い出したのか男達の顔から一瞬にして血の気が引いた。
「申し遅れました。私、グラスフィート伯爵家三男、ハルスウェルト様側近の一人、マルビス・レナスと申します。以後お見知りおきを。っと、以後があるかどうか微妙なところですかね。で、どうします? この悪党。襲い掛からねばこの場は見逃すことも考えていたのですがねえ。ことのほか、早く片がついてしまいました」
と、そう胸を張って言うマルビスの顔は誇らしげだ。
確かに計画は狂ったが大きく修正する必要もない。
簡単に尻尾を掴ませない黒幕貴族がこんなマヌケに正体をバラしているとも思えないし、このままとっ捕まえるのが妥当だろう。
「全部で何人いるんだっけ?」
「主要人員は五人、下っ端の雇われ者も入れると全部で十五人ほどになります」
イシュカが即座にこたえてくれる。
って、ことはあと十ニ人か。確か、十人くらいは娼館の経営の方の人員だったはず。
「とりあえず父様に連絡して。コイツらが捕まったと知れば逃げ出すヤツが出てくるとも限らないからまずは内密に。大声出されても面倒だからとりあえず見張り付けて猿轡でも噛ませて馬小屋の柱にでも縛りつけといて。取り調べは私の管轄じゃないから父様達に任せる」
コイツらを逃さない限りそんなに情報も回らないだろうし、主要メンバーさえ捕まえてしまえば後はどうとでもなる。情報によれば月末回収の後に給料は支払われていたはずだから給料をもらう前にトンズラするとも考え難い。逃げるのにも隠れるにもお金はかかるものだ。
ライオネル達がさっさと作業を進め、三人の男達が縛り上げられていく。
「貴男達もある意味勇者ですね。近隣領地でも恐れられているハルスウェルト様の縁戚、しかも側近御家族をカモになさるとは。
ああそういえば、ここの当主の兄君のサキアスが側近入を果たしたのは最近のことでしたっけ。メイベック様を引っ掛けたのが一年前というならまだハルスウェルト様のお名前も知れ渡る前のことになりますね。そうなると少々お気の毒なような気も致しますが。もう少し情報というものには敏感になった方が良いですよ、こういう痛い目を見ることになりますから」
すっかり抵抗する気をなくした男の前でマルビスがとうとうと語っている。
その言い方だと私がまさしく魔王様のようだが今更だ。
既に貴族の間ではそんな扱いみたいだし、だけど私が魔王だというならマルビスやロイ達は差し詰め魔界の門番かその手下の悪魔侯爵になるのでは? まあ悪魔というものは人を惑わすものだというし、そういう意味ではイケメン揃いの私の側近達は相応しいと言えなくもない。
そうなると私の屋敷は魔王城ということか。
開発途中とはいえ深い森もすぐ近くにあることだし、基本売り出す商品は女性の好きそうな物が殆どだ。そういう意味でも女性を惑わす商品と女性の好むタイプの違う美形が多くいる上に、へネイギスに捕らえられていた子供達も利用目的が目的だったから比較的見目麗しい者も多いし、ウチの屋敷一帯の顔面偏差値が高いのは間違いない。これで娼館勤めしていたお姉様方に加わって頂ければ益々顔面偏差値が高くなるのは確定だ。
高利貸しの男達は猿轡をかまされた上で暴れないように後ろ手で縄で縛られ、鎖をかけられてライオネル達に運ばれて行く。
「ではサキアス、ここにいる護衛を二人ほど連れて旦那様に報告して来て頂けますか? コイツらの扱いをどうするのか連絡下さいと。護衛だけではまだ旦那様に顔も知られていない者もいますが貴方がついて行けば問題なく話も通るでしょう。私達はまだ少しやらなければならないことが残っていますので、それを済ませてから追いかけます」
「了解した。では義兄さんの屋敷で待っている」
そう言って部屋の中にいた護衛の二人と一緒にサキアス叔父さんが出て行く。
連れてきた護衛はイシュカを入れて全部で七人。
フェイドル邸門前に二人、馬小屋の見張りに二人、サキアス叔父さんの護衛に二人。部屋に残ったのはメイベック叔父さんとマルビス、ロイとイシュカ、私の五人だけだ。
これで余計な話を聞かせたくない人員は部屋の中から居なくなった。
「では、残った用事を済ませましょうか」
マルビスがメイベック叔父さんを振り返る。
別件、と言っていいのかどうかはわからない。
けれど今回の件と全く無関係ではない、もう一つの犯罪が関わっている。
「フェイドル男爵。一つ、御忠告致したいのですが、宜しいですか?」
「なんでしょう?」
マルビスが切り出した言葉にメイベック叔父さんが聞き返す。
「見せて頂いたここ数ヶ月の収支台帳の中に交際費として落とされている経費があるのですが、こちらの内訳をお聞きしても宜しいですか?」
マルビスがここの経営状況の助言を申し出たのは運営状態からの把握についてと協力体制を敷くことの利便性もあるけれど、これも確認したかったに違いない。実際おかしいのだ。サキアス叔父さんは自分の給料の金貨七枚の内、六枚をメイベック叔父さんに毎月入れている。それまでは叔父さんの収入がなくても金貨三枚返済されていた。だとすれば、一月の返済額は金貨八枚から九枚あってもいいはずなのに実際に借金返済に回されたのは金貨五枚、単純に計算しても金貨四枚が余るはずなのだ。しかもここ最近、主に私の関係でだけれど、色々なことがあって臨時収入が出ていてそれもサキアス叔父さんは全部家に入れていた。まともな金貸しではなかったからそれが借金返済に回されていたとしても未だに返済が終わっていなかった可能性も勿論あるけれど、そもそもの原因が膨らむ交際費の存在が大きい。しかもサキアス叔父さんの入れていた成果報酬の臨時収入は収支台帳に記載さえされていない。消えているのだ。
「マルビス殿、貴方の御助言、提案等は誠にありがたいと思いますが、私の私生活についてまで口出しして頂く必要はありません」
その通り、普通の生活をしていて、サキアス叔父さんの給料の使用用途がハッキリしていれば個人の財産をどう使おうと個人の自由、口出しするつもりは一切ない。
不愉快そうに顔を顰めるメイベック叔父さんにマルビスが頷く。
「ええ、私としても普通ならそこまで口出しするつもりはありません。そこまで野暮ではないつもりですし。ですがサキアスが家のためにと用立てている金額は給料のほぼ八割、その殆どがこの交際費で消えています。その前からも今ほどではないのですが一年ほど前から急にこの支出が増えているのですよ。この支出が以前通りなら確かに贅沢はできませんが、そんなに高利貸しから借金をするほど生活が苦しくなるはずがないんです。サキアスは自分が塞ぎ込んでいたせいだと言っていましたが、違いますよね?」
無言は肯定を意味しているのだろう。
全くサキアス叔父さんに責任がないかといえばそうではない。
だけどサキアス叔父さんの責任だけとは明らかに言い難い。
「サーシャ・ハルミエフという女性をご存知ですよね?」
イシュカがメイベック叔父さんに尋ねる。
「はい、知っておりますが。それがどうか致しましたか?」
「彼女の本当の名前を知っていますか?」
そう、問題はメイベック叔父さんに関わっているこの人物なのだ。
「本当の、名前?」
不審に思ってメイベック叔父さんがオウム返しに聞き返す。
「ケイト・エルドジャイルという名前に聞き覚えは?」
「いえ? ありませんが」
イシュカは大きく溜息を吐く。
ここは王都とも離れている、聴き覚えがなくとも仕方がないのだ。男爵クラスとなれば余程裕福でもない限り王城の舞踏会に呼ばれることもないので重大事件が管轄内で起こるか、騎士団などにでも所属してない限りは滅多に自領から出ることもない。殆どは父様が登城すれば済んでしまうことが殆どだ。
「そうですか。では、よろしければこちらの資料をご覧ください」
それはガイが王都で仕入れてきた女性の資料だ。
金髪、瞳の色は紫。一見清楚な雰囲気に唇の左下にあるホクロが色気を添える、いかにも男の人が好きそうな顔立ちの似顔絵の下には彼女の特徴が書かれている。豊満な胸と括れた腰。南方地方訛りの口調など、事細かに記されたそれは王都の騎士団や冒険者ギルドに貼られている手配書。そして、その下には彼女の起こした数々の事件の手口と仔細状況など。それは実に十枚以上にも渡る報告書。
彼女の起こした事件の殆どは結婚適齢期からそれを過ぎた男性に言い寄り、結婚の意思をチラつかせて気がある素振りを見せては病弱な父を養うための生活費を無心する。当然だが病弱な父など存在しない。金持ちからは色仕掛け、金がない者からは王都の高利貸しとグルになってそれを用立てさせるために借金を背負わせる。所謂結婚詐欺だ。彼女に破滅させられた被害者の男の数はわかっているだけで四十八人、多分実際はそれ以上いるだろう。
彼女と組んでいた高利貸しはお縄になったが彼女はドサクサに紛れて王都から逃げ出し、行方がわからなくなっていたのだ。
そして叔父さんが知っているというサーシャ・ミハイルフという女性と彼女の特徴が見事に一致している。王都と違い、今回捕まえた高利貸しと直接繋がりがあるわけではないのだが、引っ掛けた男達をヤツらに紹介することで仲介料を巻き上げているのだ。現在、彼女が付き合っている男はウチの領地内で八人。この内の一人がメイベック叔父さんである。おそらくだが破滅させられた男はもっといるだろうと推測される。
タチの悪い女に捕まったということになる。
メイベック叔父さんの顔からみるみる間に血の気が引いていく。
「・・・嘘だ、こんなの嘘に決まっている」
サキアス叔父さんと似た顔立ちで決して悪くはないのだが三割ほど見栄えは落ちるが充分ハンサムな部類だと思う。だがイケメンと言い切れないのは醸し出す雰囲気のせいだろう。サキアス叔父さんはあくまでもマイペース、みんなが扱いに困るほど行動も浮世絵離れしているせいか年齢より若く見えるし綺麗と言っても差し支えない顔立ちだがメイベック叔父さんには覇気がない。サキアス叔父さんの言動に振り回され、結婚詐欺に引っかかり金策に追われ、生活に疲れ、窶れた結果かもしれないけど。
イシュカはメイベック叔父さんの表情に複雑な表情を浮かべている。
「恋は盲目と言いますからね、それを信じる、信じないは貴方の勝手。ですが、王都にはこの件について連絡済みです。同一人物と確認が取れ次第、捕縛となります。現在彼女には尾行を付けてありますが、王都での一件と別であったとしてもこの領内での彼女とお付き合いがある男性の人数は間違いなく八人以上います。彼女が今回の件で捕らえられることになれば貴方にも調書に御協力頂くことになりますのでよろしくお願い致します。すぐに駆けつけ問いただしたい気持ちもあるかと思いますがこの二、三日は御辛抱願います。くれぐれも彼女にこのことを告げ、一緒に逃げようなどとはなさいませんようにお願い致します。そんなことをすれば貴方も罪に問われることとなりますので充分ご注意を」
指名手配書は街を守る衛兵だけではなく、近衛や団員のところにも回ってくるらしい。犯罪者はどこに潜んでいるのかもわからないし、今回のように地方で見つかることもあるからだそうだ。どうやって検問所をすり抜けたのかは定かではないが王都に潜伏していると思われていた結婚詐欺師がこのグラスフィート領で発見されたわけだ。
茫然としているメイベック叔父さんにマルビスが告げる。
「先程貴方に申し上げた取引については有効ですが、貴方が自らの責任を放棄して罪人と逃避行するような人間でないことを祈ってますよ」
念のためメイベック叔父さんがこの屋敷から出た場合には尾行が付くことになっているが、この憔悴ぶりからすると心配ないような気もするのだが、イシュカの言うように恋する男の行動に予測はつかない。
私にはそんな人達の気持ちをわかるとは言えない。
恋したことのない私には前世のワイドショーなどで見ていた男女の行動や漫画や小説の中での愛憎劇はいつも他人事だったから。馬鹿らしいとさえ思ったこともある。ロクでもないのに引っかかったのがわかってもなお相手を庇おうとしたり、一緒に駆け落ちしたりする人達の心理が理解出来なかった。
どうしてそんな相手のためにそこまで自分を犠牲にしなければならないのだと。
転生した今世でさえまだ私は恋に憧れているだけの存在だ。
我を忘れて追いかけたくなるような人に出会ってみたいと思う反面、恋に堕ちて人生に影を落とす人達を見ていると恋するのが怖いと思うこともある。
前世で友達から言われた言葉は今でも覚えている。
恋愛に対してかなり臆病だった私は押されると弱いところがあるからこの人は信頼出来ると思った人に迫られたら私はきっと押し切られて、絆されて好きになるよ、と。残念ながら私の周りは既婚者だらけで人から奪ってまで幸せになりたいとは思えなかったから恋する気にもならなかった。未婚の男性はといえば十歳以上年下ばかりだったし、彼等から見れば私は恋愛対象外のオバサンだったことだろう。結局私は仕事なら割り切ることが出来るのに、いじめられっ子体質が抜けきらず、好意を寄せてくれても信用出来ず、疑り深いところを残したまま年齢を重ねて独りきりのまま前世は人生を終えてしまった。
私のこの性格が変わらない限り、恋愛は厳しいのかもしれない。
私は裏切られるのが怖い。
頼ることを覚えた後に捨てられるのが怖い。
もしかしたら私が誰よりもイイ男になりたいと思うのは自分より魅力的な人が現れて目移りされ、心変わりされるのが怖いからなのかもしれない。男前な性格と言われつつも、本当は誰よりも女々しいのかもしれないと、思わずにはいられなかった。
私よりイイ男はきっと星の数ほどいる。
前世で散々性別を間違えて生まれてきたのだろうと言われ、今世で折角男に生まれ変わったというのに私は何も変わっていない。
英雄だ、勇者だ、魔王だと言われるようになった今でさえ、
結局私は臆病で情けない男なのだ。