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第八十八話 男の見栄とプライドは大事なものなのです。


 連れてこられたのは修練場と思われる十五メートル四方の空き地。

 ヤル気満々の辺境伯の様子に私は深い溜め息を吐いた。


「申し訳ありませんっ、つい」

 イシュカが私に向かって頭を下げる。

「いいよ、イシュカが私を思って言い返してくれたのはわかってるから」

 私は上着を脱いでロイに渡すと近くの草むらに座り込む。

 折角のお気に入りの服だったのだが、こうなってしまってはしょうがない。

 どちらにしろあの四頭の獣馬が付いてきた時点で避けられなかっただろう。

 ただ気になるのは横にいるロイの上機嫌さだ。

「なんか嬉しそうだね、ロイ」

 チラリと視線をロイに向ける。 

「すみません、不謹慎だとはわかっているのですが。貴方が私を大切だと、大事な秘密よりも守りたいのだと仰って頂いたのが嬉しくて」

「当然でしょ、何当たり前のことを言ってるの」

 今更ではないか。

 ロイを手放すくらいなら見せ物小屋のパンダになる方がマシだ。

「イシュカ、辺境伯の持っている属性が何か知ってる?」

「確か、火、土の二つだったかと」

 多いな、その二属性持ち。

「前衛タイプの人ってだいたいその二つだね」

「そうですね、攻撃力としての火属性は使い勝手も良いですし、土属性の防御力が加われば有利ですから戦闘職、特に強いと言われている方にはこの二つを合わせ持つ方は多いです。火は水に弱いとはいえ、水は土に効果が薄い上に火属性にも防御力が期待できますから」

 それもそうか。

 上級魔法になれば多少変わってくるけどそれは殆どの場合において使用されることはない。使用魔力量が多いから一発打てば一般的な兵士なら保有魔力の半分以下、トドメというならまだしもその後の戦いが不利になる。それにそれまでの戦闘で魔力消費していれば上級魔法を打てるだけの魔力が残っている可能性も低い上に当たれば効果も大きいが当然ながら詠唱時間も長くなるしその間は無防備になりがち、呪文を唱え終わるまで待っているようなマヌケは少ないから当然邪魔も入る。そうなると当然初級から中級魔法の方が断然使い勝手もいい。

 私はズボンの裾をふくらはぎの辺りまで捲り上げる、靴を脱ぎながら側にいた護衛の二人に尋ねる。

「ライオネル、ガジェット、二人は私の戦闘見るのは初めてだったよね」

「はい、イシュカ様やガイ様との鍛錬としての打ち合いなら目にしたことはありますし、お強いというのはお聞きしていますけど」

「じゃあここで見たことは誰にも喋らないでね」

 ガイとは戦ったことがあるけどそういえばイシュカも直接見たことないよね。

 結局殆ど後衛として援護してるところしか見せたことはない。

「何か見られてはマズイことでも?」

 二人は疑問に思ったのか聞いてきた。

「マズイっていうか、あまり知られたくないだけ。辺境伯みたいな人達や物見高い人達に押しかけてこられたり、余計なところから面倒臭い色々な案件を持ち込まれたくないんだ。これ以上騒がれるのは正直、ゴメンなんだよ。黙っていられないというなら席を外していてもいいよ。ここの屋敷の中なら護衛の必要もなさそうだし」

「いえ、拝見させて下さい。約束致します」

「そう、ならいいけど。破ったらどうなるかわかるよね?」

 口が軽いということはないとは思うけど、少しだけ脅しをかけておこう。

 私は靴下を脱ぎながらあえてにっこりと笑ってみせる。

 こういう時にドスを効かせたところで今の私では迫力が足りない。

 言葉に不似合いな態度は時に人をゾッとさせるものだ。

 案の定、二人は噂でしか聞いたことのない私の戦闘力を侮っていたのがわかった。

 確かにそんなに強い方だとは思わないけど、負けないという点に於いてはそれなりに自信はある。要は捕まらなければいいのだ。幸い魔力量は人並み以上だし。

「納得出来れば終わりでいいというなら適当なところで降参して頂くように頑張るよ。団長とダルメシアがほぼ互角でそれよりはお強くないんだよね?」

「間違いありません」

「感じからするとダルメシアと同じ前衛特化型タイプかな。少し癖はありそうだけど、基本的に直情型、小細工は嫌い、真っ向勝負が男の浪漫的な感じってとこか。でも経験値はダルメシアほどでもなさそう。ここのところ各国の争いがないことから察するに、闘いは騎士同士の試合や訓練が殆どかな。騎士同士の戦いでは魔法があまり多用されないことから考えると変則的な細かい攻撃の対応は苦手とみるべきか。後で文句言われないようにその辺りの言質は取っておいた方が無難かな」

 大きく頭の上で指を組み、大きく背伸びをして背骨を伸ばし、準備運動をしながらいつもの如くブツブツと呟いているとイシュカが小さく笑って言った。

「辺境伯に勝てる前提なんですね、貴方は」

 そりゃあね。

「最初から負けると思っていたら勝てるものも勝てないでしょ。少し本気を出させてもらうよ。私のロイを引き合いに出したことは後悔してもらわなきゃ」

「ロイのため、ですか」

 答えた私にイシュカがポツリと問いかけてきた。

 口に出すつもりが無かったのか声に出した後、イシュカがハッとしたように慌てて口を手で押さえた。

「いえ、ただ、引き合いに出されたのが私でも貴方はそんなふうに怒ってくださったのかなあと、少しだけ考えてしまいまして、すみません」

「当たり前でしょ。何を今更。私は私の大事な人達を軽く扱われるのが許せないだけ。ノセられた感は拭えないけど嫌なものは嫌。売られた喧嘩なら買わせてもらおうじゃないの。そして買ったからには絶対に勝つ」

 自分の方が身分が下だからと下手に出てばかりいたらそれが当然で通される。そんなのは冗談ではない。利用されるだけの人間に成り下がるつもりはないし、それが生意気だというなら今後のお付き合いを控えて頂けばいいだけ。出入り禁止にされたとしても今回の買い付けでマルビス達も馬は既にある程度の数は手に入れてるだろうし、団長に貸しも作ってあるからその辺りのツテで後はどうとでもなるだろう。

「まあ前に立った感じあまり怖いとは思えないからなんとかなるでしょ」

 迫力はあるけど敵わないとも思えない。

「あれが怖くないんですか?」

 私に呆気に取られたようにガジェットが仁王立ちしている辺境伯の方を見て聞いてきた。

 チラリとそちらに視線を流してみたが、やはり恐怖は感じない。

「すごい気合入ってるなあとは思うけどダルメシアの前に立った時ほどの圧迫感は感じないよ」

 幸い真剣での立ち合いは避けてくれたから死ぬようなこともないだろう。

「じゃあ行ってくるね。どうせやるならあの辺境伯から三頭の獣馬もぎ取ってくるよ」

 特に緊張するでもなく私はそう言って辺境伯のもとに肌足で駆けていった。

 まさかこんなことになるとは思わなかったから履いているのは戦闘向きの靴でない。多分この方が動きやすいだろう。整備もよくされていて小石も殆ど見当たらないし問題ない。私は立てかけてあった木刀の中から特に小ぶりな二本を選んでそれを腰に差すと待ちかねていた辺境伯の前に立った。


「お待たせしました。準備はできましたのでお相手させて頂きます」

 辺境伯から十メートルほど離れた位置の向かい側に私は立った。

「逃げずに出てきたことは褒めてやろう。たいした度胸だ」

 この台詞も強者の定番だなあと思いつつ私はしれっと答えた。

「それが取り柄ですので」

 肝が座っているのは前世からの私の性格だ。

 怖いもの知らずがいいことか悪いことなのかは定かではないが。

「一言申し上げておきたいのですがよろしいですか?」

 とりあえずなるべく勝敗決着後の怒りは買わないように念は押しておく。

「なんだ?」

「私は腕力や剣技では堂々と打ち合ったところで到底貴方様には敵いません。それを補うために、おそらく私の戦い方は辺境伯にとってあまりお気に召さないであろう、かなり小賢しい部類に入ると思いますのでその辺は御容赦下さい」

 私がそう言い伝えると辺境伯はなんだそんなことかとばかりに言葉を返してきた。

「ワシは何も正面から打ち合えとは言っておらん。自分に足りないものを他に持っている自分の能力で補うのは当然であろう?」

 よし、これで言質は取った。

「それを聞いて安心致しました。ではいつでもどうぞ」

「普通は挑戦者から掛かってくるものだと思うのだが?」

 首を傾げて何故だとばかりに聞いてくる。

「申し上げた通り、私の戦い方は小賢しいのですよ。相手の行動、動きを予測して魔法で動きや体勢を崩したり、誘導するものですので挑みかかるのではなく、待ち受けるタイプなのですよ」

「剣を構えぬのもそれ故か?」

「ええ、私の剣の腕は三流です。まともに打ち合ったところで経験も浅い私の剣技でもパワーでも辺境伯どころか多くの騎士には敵いません。殆どの剣士が魔法を補助として使われていますが私の場合は剣の方が補助なのです、今のところは」

 そろそろかと、私は会話を交わしながら速力と筋力強化の魔法を二重がけしておく。

 これで明日の筋肉痛は確定だ。

「今のところ、か。この先はわからぬ、ということだな?」

「はい。私は成長期真っ盛りですので」

 身長も伸びて身体が出来上がってくれば筋力や体力も当然上がる。魔力量は今のままでも充分だが増加が止まったわけではない。まだまだ今後に期待なのだ。

 

「成程、承知した。ではワシから行かせてもらおう」

 そう言った瞬間、辺境伯の存在感が一気にアップした。

 突っ込んでくる。

 おそらくまずは真っ直ぐに。

 生意気な子供の鼻っ柱を折ってやろうとばかりに突進してくるだろう。私の度胸と腕を測る意味でもまずは小細工なしに。ダルメシアの時は自分のすぐ足もと近くを掘り下げたが今回は辺境伯の持っている属性もわかっているし、お手並み拝見。

 私は構えている辺境伯から視線を外すことなく少しづつ姿勢を低くして地面に手をついた。私の取った姿勢からおそらく土魔法を警戒されているだろうが詠唱せずに待っていることから私が土属性を持っているのか判断しかねているようだ。すぐに特攻を仕掛けて来ないあたりはダルメシアよりもやや慎重のようだ。ダルメシアよりも体格はやや小さい事を考えるとあそこまでのパワーはないのかもしれない。

 何をするにしても辺境伯の視界から一瞬でも外れることが先。

 となれば、今回は掘り下げて穴に落とすより、ある程度の幅でジャンプしても飛び越えられない高さの土壁を築けばパワーに自信があるのならぶち抜いてくるはず。私みたいなのを相手にするなら壁を残したままにしておくのは得策ではないからだ。詠唱破棄出来ることは外部にはなるべく隠しておきたいし、常になるべく辺境伯の耳に届かない小声で詠唱しているフリをしつつ撹乱、なんの魔法を使ってくるかわからなければ常にそちらに注意を何割か割かなければならない。そうなればある程度の行動にも制限がかけられる。ダルメシアの時は必死でそこまで考えが及ばなかったが、要はもうすぐ何かの魔法が発動するかもしれないと思わせておくだけでも効果は充分。魔法は使いこなすセンスが重要だ。多くの人が声を張り上げ、呪文を唱えるのはイメージを明確にするためだろう。全属性持ちは出来るだけ隠しておきたいから風、光、聖と闇属性は見せない方向で、風も強化で使う程度なら土属性の身体強化か風属性の速力強化か分かりにくいはず。火、水、土をメインに残り四つは初級の詠唱破棄可能な強化程度の補助で行く。果たしてそれがどこまで通じるかはわからないが。

 それではまず、本来私には必要のない土壁を築く詠唱を早口で声に出す。

 すると思っていた通り、その邪魔をするために正面から突っ込んで来たが、残念。私を侮っていたのか身体強化魔法はかけられていなかったようで私の詠唱の方が早く終わり、辺境伯との間に大きな壁が出現する。すぐに私は後方に大きく飛び退いて続けざま三枚の壁を築き、三枚目の壁のすぐ際に今度は深く地面を掘り下げる。壁の向こうから辺境伯の身体強化魔法の呪文が聞こえてきたのでそれが唱え終わる前に掘り下げた地面に今度は薄い土壁で蓋をする。ガイに使った方法の応用だ。体を水に浮かせることでジャンプする力を奪い、簡単に上がって来れなくして時間を稼ぐ。先に穴を水で満たせば水音でバレる可能性があるので空中に大量の水の塊を用意して待つ。準備が整ったところで辺境伯が一枚目の壁をブチ破る音が聞こえてきた。二枚目、三枚目と崩され、辺境伯が姿を現した。流石筋肉至上主義、私が築いた壁は粉々。だが警戒されていたのは間違いないようで壁は崩されたものの木刀は構えた臨戦態勢だ。

 そして私が上空に用意していた大量の水の塊を眼にした途端、それを放たれる前に阻止しようと思ったらしく、大きく一歩を踏み出した。

 掛かったっ!

 勢いよく踏み出された一歩は見事に私が薄く張った地面の蓋を割り、辺境伯は穴に落ちていく。その瞬間を狙ってすぐに水を穴、辺境伯の上に向かって落とし込み、すかさず周囲に冷気を走らせ、壁を土魔法が受け付け難くする。これで暫くは時間が稼げるはず。跳躍もできず、土魔法も使い難いとなれば残っているのは火を使い、水を蒸発させることで水量を減らし、土魔法を受け付けやすくすることくらい。案の定、穴から大量の水蒸気が上がり出す。

 後は時間との勝負。

 私は急いで周囲に土壁をなるべく多く築く。最初に築いた土壁を土魔法でではなくて力でぶち抜いたのも魔力量温存のためと見るべきだ。そうなるとおそらく辺境伯の持っている魔力量はおそらく多くても二千程度。魔力を大量に消費させるためにも築いた土壁の隙間から水弾で攻撃を加えて行く、ヒットアンドアウェイで攻めていくのが無難。イラつかせるためにも気配を出来るだけ消しながら、幻惑魔法と隠形魔法で撹乱しつつ走り回って居場所を掴ませない。壁はダルメシアの時のように崩されてもまた次々と作ればいいし、一気に壊すために上級魔法を使ってくるならそれも良し。魔力量も大幅に減らせればシメたもの。初級魔法程度なら私の魔力切れは殆どない。多少は減って行くだろうが使った先から回復していくし、もう二、三個水を満たした落とし穴でも作っておけばブチ切れるのも早いだろう。ついでに辺りにいくつも水溜りを作っておけば響く水音に居場所も把握し易くなるし、火炎魔法系を使えば水蒸気が立ち昇り、益々私の姿は視認し難くなり、立ち込める蒸気熱が体力も奪ってくれるだろう。

 私が穴に落ちたのにも関わらず追撃しなかったのを警戒してか、強力な殺気を放ちつつ臨戦態勢で辺境伯が飛び出してきた時には既に全ての準備は整っていた。

 高熱のサウナ状態、しかも火が燃えれば空気中の酸素は消費されて酸欠状態からの脱出にかなり体力は消耗したのか、肩で荒く息を吐いている。そして無数に作られた土壁に舌打ちすると神経を集中させて周囲を探索し始めた。私は気配を殺しながらすぐ近くの木の枝の上から見ていた。

 これは思ったより効果が高かったようだ。

 力任せに壁を崩そうとはしていないし、用心深く壁に手をつきながら私の居場所を探しているようだ。ならば益々疲労を蓄積してもらうためにも神経を尖らせ、集中してもらおう。私は手に持っていた小石を思い切り無数に築いた壁の向こうに投げる。するとその小石が落ちた方向に辺境伯の視線と注意が向けられ、走り出す。それを何回か繰り返すと見えない私の姿にイラつき始めたのが上から見えた。

 そろそろもう一度、穴に落ちてもらおうかな。

 そしたら多分我慢の限界は超えるだろう。

 私は持っていた小石の残りを辺境伯のいる方向とは逆にそれを放り投げ、そちらの方向に走って行ったのを見届けるとスルスルと木の上から降りた。

 思っていたより疲弊も酷いようだし、この辺で穴の付近近くで私がチラリと影を見せれば猛追してくるに違いない。それを何度か繰り返せば疲れから正常な判断も出来なくなるだろう。そこでうっかり見つかったふうを装い、慌てて逃げ出せばチャンスとばかりに追って来るに違いない。プライドの高い貴族の、しかも腕に自信のある騎士が子供に振り回されていいとこなしで終われるわけもない。

 魔術戦闘とも違うまともな戦闘職とかけ離れた私の戦い方は典型的な前衛型戦士の辺境伯にはさぞかし理解し難いことだろう。正面から当たって勝てないなら、正面から当たらなければいい。

 私は気配を隠しながら作戦通りに決行する。自慢のすばしっこさで速度をアップした水弾で物陰から当てては逃げるを繰り返し、やや浅めに作っておいた隠し落とし穴に誘い込み、落とす。ここで重要なのはあまり穴が深くないという点だ。最初に落ちた穴とは明らかに規模も作りもわざと粗雑に作っておく。頭に血が上った状態なら手を抜かれていると感じることだろう。怒りが頂点に達すれば自分のパワーに自信があるなら一気に力押しか、この面倒な土壁の群れを崩すために上級魔法を使うだろう。

 さて、どちらを使ってくるか。

 聞こえて来たのは土属性の上級魔法の呪文。

 一気に壁を崩すほうを選択したようだ。 

 魔力切れが近くなってもまだ自慢の剣技と力技が残っているのだから、私の姿さえ捕捉できれば勝ち筋は残っていると判断したのだろう。それも最初なら可能だっただろうが、それを避けるためにチマチマと体力と魔力を削り、疲労させたのだ。戦闘経験豊富が故の、先を見越した警戒と対応が仇となり、私はダメージ率ほぼゼロの状態で残っている。私は走って辺境伯から距離を取ると周辺に被害が及ばないように大きく鍛錬場を包み込むように結界を張った。大きく震える地面の揺れまでは流石に閉じ込め切れなかったようで振動が結界の外まで伝わって来て、崩れた土壁の破片が結界内部の壁を叩く。私は再び木の枝の上に飛び乗り、それを見ていた。

 無数の破片による打撃で結界にヒビが入り、壊れたそこには砂煙が立ち込め、うっすらと人影が現れた。

 魔力も、体力も底を尽きかけ、荒く肩で息を吐きながら、それでも真っ直ぐに立つその姿から漂う強者のオーラと気迫だけは消えていない。そこは流石という他ない。

 私は砂煙が収まったその鍛錬場に立つ辺境伯の前に一応用心のため二本の木刀を抜いて姿を見せる。

 すると彼は私の姿を見て一瞬目を丸くすると手にしていた折れた木刀を後ろに放り投げ、腹を抱えて笑い出した。


「今のは一応ワシの奥の手だったのだが。まさか無傷どころか周囲への被害まで抑えているとはな。呆れたヤツだ、いや、たいしたヤツだ」

 奥の手、か。

 確かにあの結界の中にいたのなら少しくらいダメージを食らっていたかも。

 実際、頑丈なはずの私の結界も一枚しか展開していなかったとはいえ破れてしまったし。

「お怒りにならないのですか?」

 私がそう尋ねると辺境伯は不思議そうな顔をして言った。

「何故怒らねばならない? 其方は最初からワシに断りを入れておいたではないか。それを隠して有利に持ち込むこともできたであろうに、わざわざ自分はまともに打ち合ったところで勝てぬから小賢しいと。ワシが怒っておったとすれば其方に振り回されている自分にだ」

 その言葉に、この人を私は少しだけ見直した。

 この人はただの脳筋なだけの人ではない。

 あの美しい御婦人を射止めるだけの器を持ったお方なのだろう。

「なるほど、あの四頭が其方に付いて来た理由は理解した」

 辺境伯は少しだけ間を空けて、呟くように言った。

「降参、して頂けますか?」

 私がそう尋ねると彼は私を見て自嘲気味に笑った。

「ワシにも武人としての誇りがあるのでな。生憎このままでは終われん。最後の悪足掻きをさせてもらおう。これを防ぎ切ったのなら其方の勝ちだ」

 そう言うと彼は残った体力を使って私に拳を向けた。

 最後の肉弾戦ということか。

 ならば私が持っているこの二本の木刀も邪魔だろう。

 私はそれを思い切り後ろに放り投げる。

 おそらく一番はじめにこの拳を食らっていたら避けられたかといえば自信がない。蓄積した疲労でスピードは明らかに落ちているとはいえ、その辺の冒険者などとは比べるべくもなく、それが向かってくる速度は私がかろうじて避けられるほどのものだ。私は自慢のすばしっこさを利用して逃げ回る。

 そして、疲れがとうとう足に現れ、バランスを崩し、空振りしたその手を取ると、その勢いを利用して辺境伯を投げ飛ばした。

 ドシンッと大きな音がして辺境伯が背中から地面に落ちた。


「これでは文句もつけられぬ。その体格でワシを投げ飛ばすとは」

 青空を見上げながらポツリと漏らした辺境伯の呟きに、私は彼の横に腰を降ろして言葉を返す。

「貴方様が万全の状態では多分、無理だったと思います。私はそのために貴方様の体力と気力、魔力を削ったのですから」

 これは私の作戦勝ちであって試合や決闘などの勝敗とは違う。

 そう思って口に出した言葉に辺境伯は笑った。

「ワシの完敗だ。約束通り三頭の獣馬はくれてやる。自領に帰るのは明日の昼、だったか」

「はい。折角ですので一泊して明日の午前中は買い物と観光させて頂こうかと」

 早起きして朝市も回りたい。

 私はあの市場に溢れる活気と良いものを安く買えるお得感が大好きなのだ。

 生まれ変わって大金所持しても、所詮私は一般庶民と変わらない。

「それはいい。ワシの領地は馬以外にも色々と名産もある。他国と国境を接しているので王都でも見ないような物が出回っていることもある。アイツらは街では目立つからな、明日の昼頃までに検問所まで届けてやろう」

「ありがとうございます」

 確かにあの三頭は外見も明らかに違うし、警戒されるだろう。

 門を抜けてしまえば自領の山と畑の多い田舎道だからそんなに問題にはならないだろうけど。

「しかしミレーヌにみっともないところを見せずに済んだことはよかったが、其方に負けたなどとても言えぬわ。あやつは強い男が好きだからな」

 男は見栄っ張りな生き物だ。

 惚れた女性の前でなら特にカッコつけたいものだ。

 私は苦笑する辺境伯に一言言った。


「どうして言う必要が?」

 わざわざ敗北を伝える意味などない。

 私はロイを引き合いに出したこの人をやり込めたかっただけでプライドを傷つけたかったわけではない。

「貴方様は私とのこの戦いについて口を噤んで下さると約束しました。私はただ馬を選んで頂き、そのついでに剣の稽古をつけて頂いただけのことです」

 黙っている理由としては充分だろう。

 それに下手に言いふらされては余計なトラブルまで一緒にやってきそうだし。それはなんとしてもゴメン被りたい。

 そう言うと辺境伯はキョトンとした顔で一瞬表情を止めると、次の刹那、大声で笑い出した。

「はははははっ、そうだ、そうであったな」

 腹を抱えて面白くてたまらないと言った様子で言葉を続ける。

「では将来有望な男児に相応しい馬を、間違いなく贈らせてもらおう。是非、またウチに遊びにくるが良い」

「ありがとうございます。では私はこれで失礼させて頂いてもよろしいでしょうか。この格好では美しい御婦人の前に出るのも躊躇われますし、流石に街を歩けませんのでこのまま新しい服を買いに行こうと思います」

 すっかり泥と土埃に塗れてしまった。ところどころ飛んだ小石のせいで擦り切れてしまっているし、退散させて頂くとしよう。とはいえ一度宿に戻った方がいいだろうか?

「そういえば服を買ってやるとも約束していたな」

 忘れてたな、私も。

 でもとっておきの馬をもぎ取った上に洋服まで買わせるのは如何なものか。ここは御遠慮しておこう。

 私は小さく首を横に振った。

「必要ありません。もともと自分と側近達の分も含めて対外的に使用する服を購入するつもりでしたから。これから人に会うことも多くなりそうなので少しは外見も整えた方が良いと思っていたところなので」

 最近では動きやすい服ばかり選んでいるような気がするし。

「それに私は成長期ですから、この服もすぐ着れなくなる予定ですから」

 春先に丁度よかった服が少しだけキツくなってきたし、レインほどは無理だとしてもこのままということはない。少し大きめのサイズで何着か。多分それも数年もしないうちに着れなくなるだろうけど。

「成長期か。誠に其方は末恐ろしい男だな。色々な意味で」

「それは褒め言葉と、受け取ってもよろしいのでしょうか?」

 なんか持って回ったような言い方だが。

「それ以外の何がある?」

 あっさり返されてそんなものかと聞き流すことにした。

「イシュガルド、其方の馬を渡すのも明日でいいか?」

 そうだ、そういえばその馬もあった。

 尋ねられてイシュカが首を横に振って応える。

「いえ、お代は屋敷に戻らねばお渡しする金貨がありませんので」

 話を聞いた時、私が立て替えようと思ったんだっけ。

 でも考えてみればこの間のリッチの報酬金もイシュカは受け取らなかったんだった。イシュカはあくまでも騎士団からの出向であって私が給料を払っているわけではなく、国庫からそれが出ていて、イシュカの仕事は屋敷の警護ではなく、私の護衛。なので自分は自分の仕事をしているだけだからと言うのだけれど。


「いいよ、イシュカ。私が出すから。この間の討伐でイシュカが受け取らなかった報酬の代わり。ロイ、すぐに辺境伯にお支払いできる手持ちはある?」

「はい。ガラスのブローチを買い上げて頂いた分もございますので充分に」

 そう言ってロイは持っていた鞄から百枚入りの金貨の袋を二つ取り出すとそのまま辺境伯にお渡しする。

 それに慌てたのはイシュカだ。

「ハルト様、それでは最初に提示された報酬より遥かに上回ってしまいますっ」

「良いんだよ。イシュカは何かあってもいつもこれが仕事だからって私からの褒賞金一切受け取らないんだから。マルビスとも何かイシュカの欲しい物があったらそれで押し付けようって話もしていたし、丁度いいよ」

「しかしっ」

「イシュカ、主人に恥をかかせちゃダメだよ。私が払うって言ってるんだから、こういう時はありがとうございますって一言言って素直に受け取れば良いの」

 更に言い募ろうとするイシュカに私は反論を許さずビシッと言い渡す。

 確かに私はイシュカの雇い主ではないが、イシュカが今住んでいる屋敷の主人、間違いではないはずだ。

 見上げながらの状態では威厳も何もあったものではないけれど。

 そう言うとイシュカは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに私の言葉に従った。

「はい、ありがとうございます。大事にします」

 一際嬉しそうに笑ったイシュカに私はドキリとしてしまった。

 いつも綺麗だとは思っていたのだけれど、男の人に言う言葉ではないが、花が咲いたように笑ったイシュカに少しだけときめいてしまった。

 どうして私の周りにはこう、イケメンばかり集まってくるのだろう。

 まあ目の保養はいくつあっても困るようなものではないので構わないけど。その内私の心臓が壊れそうな気がしないでもない。私はメンクイではないがイケメンが決して嫌いなわけではない。人間中身が重要だが外見もいいならそれに越したことはないのだし。

 その一部始終を見ていたらしい辺境伯が感心したように言う。

「其方は本当に男の扱いが上手いな。団長から聞いていた通りだ」

 何故、辺境伯にまでそのように言われなければならない?

 貶されているわけではないがどうにもその言葉は褒められているようには聞こえない。私は上手く扱おうなどとはこれっぽっちも思ってない、なのにどうして売れっ子キャバクラ嬢のような言い方をされるのだ?

 そんな器用な真似ができていたら前世で年齢イコール彼氏いない歴を爆進していたりしなかったはずなのに。

「団長はなんと?」

「聞きたいか?」

 尋ねては見たものの、聞き返されて私は少し考える。

 気にはなる、気にはなるけど、

「やめておきます。どうせ碌でもないことでしょうから。どうも私の噂は誇張されて大袈裟に伝わっているようですし、大きすぎる期待や過剰な評価はウンザリですから」

「ワシはむしろ過少評価されている気がするぞ?」

 全くもっていい迷惑だ。


「所詮私は少しばかり知恵の回る子供でしかありません。二十歳過ぎればタダの人、普通の一般人と変わりません。側にフォローしてくれる者がいるからこその評価です。私一人の力など、たかが知れているのですよ」

 何度も繰り返しそう言っているはずなのに、肝心なこの言葉が伝わっていないのは何故か?

 評価されるべきは私の周りにいるみんなの方だろう?

「では失礼致します」

 ぺこりと会釈すると私はそのまま裸足でスタスタと歩き出す。

 馬車まで行ったらこのまま靴下を履いても土埃で茶色くなりそうだし、一旦宿に戻って軽く体を拭いてから服を買いに行くとしよう。そろそろみんな宿に戻っている頃だ。

 まだ夕暮れまでは時間もあるし、閉店前に入ってしまえば大量に買い込む上客を追い出したりはしないだろうし。

 私の靴と上着を持ってロイが後をついてくる。


「ヤエル、客人を門まで送り届けてやれ。悪いがワシは疲れて動けぬのでな。それから・・・」

 辺境伯は側に控えていた執事を呼びつけると何やら耳打ちした。

「かしこまりました、旦那様」

 そう、返事をすると、執事は私達のところまで歩み寄って来て斜め前に立つと玄関まで案内してくれた。

 そして馬車が準備されるまで用意してくれた水を張ったタライとタオルで軽く足を洗うと、一枚のメモを差し出された。

「旦那様より服をあつらえるなら、是非この店をご利用頂きたいと。当屋敷の御用達で御座いますので間違いございません」

 辺境伯のオススメか。

 夫人のドレスも素敵だったし、辺境伯の着ていた服もセンス良かったっけ。

「ありがとうございます、では一度覗いてみます」

 そう返事をすると一通の封筒を差し出された。

 しっかりと封蝋された辺境伯の紋章入りの手紙。 

「よろしければどうぞこちらをお持ち下さい。旦那様からの紹介状で御座います。店主に渡して頂ければ多少の融通も利かせてもらえることでしょう」

 多少の融通?

 特急でのお直しとか割引とか営業時間の延長みたいなものだろうか。

 どうせ行くなら頂いておこう。 

「ありがとうございます。ではありがたく利用させて頂きます」

「はい、是非御利用下さいませ」

 そう言って執事は私達の馬車が見えなくなるまで見送ってくれた。



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