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第八十六話 馬にも色々あるようです。


 無事にレイオット侯爵閣下にお帰り頂いた後、今度は大急ぎで翌日の辺境伯邸訪問の準備を始めた。朝一番の馬車での出発で到着予定が昼頃予定だ。手土産は閣下の奥方様に見せる前に買い占め対策で既に避けてある。

 御所望の品は蒸しパン、フルーツサンドにガラス細工のブローチだが、あの綺麗な辺境伯夫人に似合いそうなスウェルト染めもニ、三点用意した。特に希望されたわけではなかったがそこは先を読んで動くべき、後でこちらも欲しいので是非伺わせてくれと言われる前に差し出しておけば来訪の牽制にもなるだろうとロイに提案されたのだ。

 なるほど王都での舞踏会には仕立ても間に合わないのでとりあえずすぐに身につけられそうなブローチやスイーツを所望しておいて繋ぎを作り、後からやっぱりこれも欲しいから予定を空けて欲しいと強請る手口ということか。確かにあれもこれもと申しつけるのはあまり外聞もよろしくない。そこで手頃なスイーツを手土産にとブローチの買い上げの話を持ち掛け、顔見せしたところで『其方のところにはもう一つ話題の物があったよな』と持ち掛けるということか。誕生日パーティで私がお会いしたのは夫人だけ、辺境伯とは面識もない。そこへ私が馬を大量に買い付けたいと申し出て来たのでまさに渡りに船というわけか。

 出迎えの準備の手間や来訪されて予定が塞がれるのもできれば避けたいし、必要以上の貴族との繋がりはできれば持ちたくない。これから続々と色々な物の売り出しを考えているこちらとしてはその度ごとにやって来られるのも、呼びつけられるのも御遠慮願いたい。秋はまだしも冬は寒さと雪のせいもあってあまり舞踏会やパーティの機会も少なくなるので秋まで乗り切れば忙しさも落ち着くだろうとマルビスは言う。

 ウチの領地も山や森に囲まれていることもあって雪が降り積もることもそれなりにある。そうなると町への商品の配達も厳しくなってくるので冬季は休業するか、工房を町に移すか検討中だ。今のところ順調に売れているけれど流行りが落ち着いてくれば売り上げも落ち着いてくるはずだ。とはいえ、いまだ店の前は大行列らしいけど。フルーツサンドは真似できても蒸しパンは蒸し器の存在がなければ作れない。蒸し器は商業登録も出されていないし、最初に作って貰った工場でも以後注文は出していないから使用方法がわからないので失敗作だと思われているようだ。

 他の物は注文されているのに登録もされなければ生産注文も入って来ないとなれば普通に考えてそうなるよね。蒸しパンの製造方法が漏れる可能性を考えると町に工房を移すのは秘密を守るという点においてあまりよろしくない。マルビスは相当悩んでいるようだ。

 他にも仕事はたくさんあるし、私は冬季は休業でもいいと思っている。

 冬の間は本でも読みながらのんびりするのも悪くない。

 子供達の識字率や計算能力も上げたいので寺子屋的な学校を開くのもいいのではないかと提案した。そうすれば子供達の出来る仕事の幅も広がってくる。その中から優秀な子が何人か出てくれば儲けもの、頑張ればより良い仕事に就けるとなれば一生懸命になる子もいるだろう。向上心を持たせることは色々な意味において悪くはないし、後々のことを考えれば優秀な人材が増えることは損失にはならない。

 

 翌朝、朝食を取ると早々に辺境伯領に向けて出発した。

 一泊二日のお出かけの間は団長とゲイルに留守番をお任せだ。

 久しぶりのみんな揃ってのお出かけに私は少しだけウキウキしている。

 買い付けた馬の運搬もあるので今日は少し多めの人員だ。新しく作った大きめの馬車にガイを除く全員が今日は乗り込んでいて前後の荷台に三人づつの計六人が、馬で追従しているのが二人、合計十三人。ガイはどこにいるかといえば馬車の天井だ。もともと乗り合い馬車にも使用できるようにと荷物置き場にするため天井を平らにしてあるとはいえ、相変わらずよくもそんなところで寝られるものだと感心している。

 検問所を抜け、辺境伯邸近くに人数分の宿を取り、そこに伯爵邸訪問人員以外のメンバーを待機させておく。私はロイ、イシュカと護衛の二人と一緒に辺境伯邸に向かった。

 今回マルビスを宿に置いていくことにした理由は三つある。一つは叔父さんとテスラ、キールを連れて町で書物をある程度の数を仕入れてもらいたいこと、そしてまだ足りていない分の馬の買い付け。もう一つは今日お会いするステラート辺境伯の人柄に起因している。

 ステラート辺境伯は身分差意識が強く、平民出身の者をあまり側に置きたがらないそうだ。虐げたり無礼打ちするわけではないそうだが差別的な態度を取るらしい。所謂身分を弁えよというヤツだ。余計な口を挟んだり、面倒をかけない限りはたいして問題にしないようだが礼儀には煩いようで下手に平民出身の者を大量に連れて行くのはよろしくなさそうだと判断した。ただ例外があるそうで、屈強な武人に対しては貴族、平民差別なく平等に扱うらしい。鍛えられた己の持つ肉体と力、技量でのし上がる人間は素晴らしいという事らしい。辺境伯自身もレイオット侯爵閣下に負けない体格の持ち主で剣の腕前は閣下よりやや劣るが、馬の名産地だけあって馬術が得意らしくこちらの腕は閣下よりも上、要するにトータル的には互角くらいらしい。小賢しい者はあまりお好きでないようなので貴族馴れして扱いも心得ているロイはまだしも口が達者でよく回るが馬術も戦闘力も低めのマルビスはこちらが上手を取れるようになるまで連れて行かない方が無難だろうという団長の話だ。なので今回同行する護衛はガイを除いた場合の表向きのウチのトップの三人、イシュカ、ライオネル、ガジェットだ。話からすると知恵と財力もその者の持つ力と考える侯爵閣下に対して辺境伯は筋肉崇拝主義っぽいのでこのメンバーなら間違いないだろう。

 美しく聡明な妻も自慢のようで、私がなみいる令嬢に見向きもせず、夫人にダンスのお相手をお願いしたのは辺境伯的には高評価のようで、『アイツは女を見る目がある』と褒めて下さっているそうだ。父様達を青ざめさせたらしい私の行動がそのような結果をもたらすとは何がどう転ぶかわからない。

 なんにせよ、辺境伯の私に対する評価は総合的にもかなり高いのは理解した。ただ、強いとわかると手合わせを挑まれる可能性があるらしいので極力煽ったり刺激しない方がよいということだ。私はいつもそういうところは墓穴を掘りがちなので実のところ戦々恐々としている。私の戦い方は小賢しい部類に入るものだからだ。

 そんなわけで色々と不安を抱えながら私は通された応接室で緊張しつつも立ったままで待っている。案内されたと同時にソファに腰かけようとしたところをロイに止められ、長時間の待ち時間になってお茶が先に出てきた場合を除き、目上の人を待つ場合は立って待っていた方がいいそうだ。貴族間では陛下に対するほどの礼儀は求められないが基本は目下の者から目上の者に声をかけるのは無作法にあたる。そこが自分の屋敷であったり、開かれているパーティの主役であるならばその限りではないが注意するに越したことはないそうだ。礼儀作法にこだわる人が周りにあまりいなかったのでそのあたりは私はまだまだ勉強不足。ガチガチに固まっている私にロイが子供にまでそんな厳しいことを言う方ではないので大丈夫ですよと声をかけてくれた。

 閉められていた扉がノックされ、そこから入ってきた辺境伯は確かに服の上からでもわかる筋肉の鎧に覆われた厳つい方だったが、団長やダルメシアほどの迫力はなく、心の中で少しだけホッとして肩の力を抜いて会釈をしたまま声が掛けられるのを待つ。歩く度に床が軋みそうな重量級の体躯は体格だけなら団長とも張り合えそうだ。

「多忙な中、よくぞ参られた。こちらからの急な要望に応じてくれたことに感謝する」

 尊大な態度に丁寧な口調、礼儀は重んじるが身分をかさに着る方ではなさそうだ。

「この度はお招き頂き、ありがとうございます。御招待頂いていたというのにこちらに参上致しますのが遅くなったこと、まずはお詫び申し上げます」

「良い。王族の方々と侯爵家が優先されるのは当然のこと。気にしてはおらぬから顔を上げよ」

 出来るだけゆっくり、静かに、真っ直ぐ姿勢を正して。

 ピンと背筋を伸ばしたまま顔を上げるとかなり背が高く、ほとんど真上を見上げた状態だ。この距離だと辺境伯以外の周りが何も見えない。武骨な方を好まれると言うのなら礼儀作法で一番重んじるのはおそらく姿勢。手の指先まで真っ直ぐにと心掛けて前に立つ。辺境伯は私を値踏みするかのように上から下まで眺めると口を開いた。

「数々の武勲を聞き及んでいたのでもっと体格の良い、生意気な面構えをした子供を想像していたのだが、父上によく似た優男の顔立ちをしておるな。妻が申していた通りだ」

「失礼ながら奥方様はなんと仰られていたかお伺いしても?」

 気になって尋ねると辺境伯は面白そうに口角を少し上げた。

「愛らしい顔立ちに似合わぬ凛とした空気を纏った不思議な子供だと、確かそう、お前は言っておったよな?」

「ええ、弱き者を守るため、強者にも怯まず立ち向かう勇敢な子よ」

 辺境伯の振り向い先にいたのは相変わらず美しくて、綺麗で、色気の薫り立つ姿の女性、ステラート辺境伯夫人だ。私が見惚れてしまっていると優雅な仕草でドレスの裾を持ち上げて会釈をしてから彼女の夫の横に立つ。

「お久しぶりね。少し背が高くなったかしら? あれからの益々の活躍に私、社交界でもとても鼻が高くてよ。貴方は私との約束以上に立派な功績を立ててくれて、今や大勢の御婦人や御令嬢に妬まれるくらいよ」

 そんなことになっているのか。

 悪気はなかったとはいえ、とんだご迷惑を。

「申し訳ありません」

「あら、謝って頂く必要なんてないわ。社交界で沢山の女性に妬まれることは貴族の女にとって誇りだもの。それだけ羨まれているということ。貴方は私にその栄誉をくれたの。感謝こそすれ謝罪して頂く理由はないわ」

 そんなものか。

 基本的に小市民のつもりの私にはよくわからない世界だ。

 波風は立たない方が良いと思うのだが。私の場合は余計なことに首を突っ込んで大事になるケースも多いし。見て見ぬフリのできないこの性格が恨めしい。

「先程、手土産も頂戴したわ。ありがとう。レイオット侯爵夫人が絶賛するものだからついどうしても食してみたくなってしまって。お手数をおかけして申し訳なかったわ」

「いえ、どうにも私の噂は誇張されがちなようで、お口に合うかどうか保証致しかねますが」

 お姉様系の上品な匂い立つような色香は私の憧れだ。

 やはり女はこうあるべきだ。

 前世でこの方の十分の一でも色気があれば男より男らしいなどと言われることもなかっただろう。

 ソファを勧められて辺境伯夫妻が座った後に失礼しますと一言断ってから腰掛けると私の後ろにロイ達が立つ。

「それで、お願いしたものは持ってきて頂けたのかしら?」

 夫人に尋ねられてロイに背後から差し出されたそれをテーブルの上に置く。

「はい、こちらに」

 そう行って蓋をずらして開けてみせると夫人が身を乗り出してきた。

「お気に召して頂けると宜しいのですが、いかがでしょう?」

「素敵だわ。ねえ、あなた。どれが私に似合うかしら? 全部綺麗で迷ってしまうわ。あなたが選んで頂ける?」

 感嘆の溜め息とともに手を伸ばし、一つ一つ手に取ると陽の光に翳してはしゃぎ、夫にねだる姿は可愛らしい。辺境伯は夫人にべた惚れらしく目尻が垂れ下がっている。

「気に入ったのなら全て買い上げれば良かろう。値段も宝石ほど高くないと聞いている。妻を美しく飾るのは夫の務め、好きにすれば良い」

「嬉しいわ、ありがとう。大好きよ」

 その腕に豊満な胸を押し付けてしなだれかかっているのに下品さがない。

 意地っ張りで可愛げのない私には到底できない芸当だ。

 夫を立てつつ上手く操縦している。

 手玉に取るとはこういうことを言うのだ。最近私が時々言われる言葉だが私のは夫人に比べればまさしく子供騙し、あくまで行動を上手く言葉で誘導していただけ、たまたまそれが上手くいっているだけなのだ。

 私はロイに目配せをして持ってきたもう一つの包みを渡して貰うと、ガラス細工のブローチを横に避け、それをテーブルの上に置いてまずは御礼を述べてから切り出す。

「この度、馬の大量買付を快諾して頂きましたこと、誠に感謝致しております。そこで勝手ながら今回このような御礼の品もお持ちさせて頂いたのですが、宜しければこちらも是非麗しき奥方様を彩る品の一つとして御加え下さいませ」

 風呂敷包みのように結んだそれを解くと中から現れるのは夫人がよく身につけている紫のカラーバリエーションが効いた複雑な模様染めとオレンジと紅の鮮やかなムラ染めと、落ち着いた紅と紫の二色染めの三枚の絹のドレスを仕立てるにも十分な大判の布地。

「ねえ、あなた。見てっ、私がすごく欲しかった物よ」

 興奮気味に声を上げ、辺境伯に声をかける。

「どうぞ手に取ってご覧下さいませ」

 はしゃぐ姿は少女のようだ。

 夫の代理で出席する場所などでは凛とした艶やかさと心遣いを。

 夫の前では可愛く甘える妻を上手く演じ分けている。

 スタイルも良く、綺麗で色っぽくて可愛いなんて最高だろう。辺境伯が極甘になるのも責められまい。

「本当に頂いてもよろしいのかしら?」

「はい。そのために持参致しました」

 是非とも有効活用して頂きたい。

 きっと上手くこの布を使いこなし、効果的に評判を広げてくれることだろう。

「妻のためにこのような物まで用意してくれるとはな。何か礼をせねばなるまい」

「ねえ、あなた。馬を買付にいらしたというなら、あなたがハルスウェルト様のためにいい馬を一頭選んでプレゼントして差しあげるというのはどうかしら?」

 思案げの顔の辺境伯に彼女が提案する。

「おお、それはいい。将来有望な男児に相応しい馬をワシ自ら選んでやるというのは話題にもなって悪くない。流石我が自慢の妻、ミレーヌ。なかなか良いことを言うではないか。ヨシ、食事の後、すぐにワシ自慢の馬達を見せに連れて行ってやろう。おいっ、すぐに昼食の準備を整えよっ」

「かしこまりました、旦那様」

 命令された執事風の男が一礼して部屋を出ていく。

「王族達のおメガネに適ったという其方らの料理にも劣らぬと自負しておる自慢の料理を用意した。是非召し上がって行かれるが良い」

「有り難き幸せでございます」

 辺境伯が立ち上がるとその後をついて料理が用意されているというサンルームに向かった。


 出てきた料理は武人がいかにも好みそうな肉料理メインの食事だったが上質なそれは柔らかく、とても美味だった。とはいえ少々子供の体には腹に収めきれぬ量、目上の者に出された物を残すのは失礼にあたるので必死に胃袋に押し込んだが腹八分目どころか十二分目辺りまでぎっちり詰め込まれ、今にも口から飛び出してきそうだ。給仕も私の様子がおかしいことに気づいたようだが主人の意向に逆らって止めるわけにもいかない。

 必死に作り笑いをしているが額に冷や汗が滲み出そうだ。

 上機嫌で自分の武勇伝を語る辺境伯の話を遮ることも出来ず、ひたすら愛想笑いを浮かべていると少し離れたところにいたロイが私の顔色に気づいたサッと緊張を走らせた。落ち着いた仕草でさりげなく席を立とうとしたところ、夫人がそれに気付いてロイを視線で制しテーブルの上の飲み物の入ったグラスに手を伸ばす。夫の語る話を持ち上げつつ、チラリとこちらを見るとそのグラスを私に向かって思い切り倒した。

「ああっ、ごめんなさいっ、ついあなたの話に聴き入ってしまって」

 グラスの中身が私に向かって勢いよく降りかかる。

 夫人は立ち上がるとロイの方を向き直る。

「そこの貴方、早くハルスウェルト様を手洗い場に連れて行って差し上げて」

 立ち上がってロイが駆けつけて来る。

「折角のお洋服がシミになってしまうわ。あなた、私、お客様に失礼をしてしまったわ。ごめんなさい」

 節目がちに夫に恥をかかせたと謝る夫人に辺境伯が立ち上がる。

「おお、妻が粗相をしてすまぬ。ヤエル、すぐに手洗い場に御案内しろ。そこのお前、主人を早く連れてってやれ」

「ありがとうございます、失礼致します」

 ロイが執事の案内に従ってさりげなく辺境伯の視線から私を隠して先を急ぐ。

 口を押さえて小走りに走ると洗面所に駆け込んだ。


「もう大丈夫です、吐いてしまって下さい」

 背中をさすってくれる優しい手に吐き気が込み上げて思い切り胃の中にあったものをリバースしてしまった。みっともないとは思えども苦しさには勝てなかった。思い切り咳き込んだものの体調が悪かったわけではないのでいっぱいだった胃袋が空になって随分と楽になった。スッキリしたとはいえないものの後残すはデザートのみ、なんとかなりそうだ。差し出された水をありがたく頂戴して口許を手のひらで拭うとふうっと息を吐く。

 真っ青な顔をして頭を下げているのはヤエルと呼ばれていた執事だ。

「大変申し訳ございません。まさか旦那様のお客様がこのような御歳の方とは思いもよらず。対応を間に合わせることが出来ずにこのようなことに」

 礼儀とはいえ無理した私も悪い。

 私は首を軽く振って差し出されたロイのハンカチを借りて洗った手を拭いた。

「貴方のせいでは有りません、気にしないでください」

「しかしっ」

「普通に考えて私のような子供が来るとは思いませんでしょうし、仕方ありません」

 どんな言葉で伝えられていたのかわからないが一般に考えて子供は親に連れられて来るものだ。一人と連れの従者と警護の者が来るとでも伝えられていたのなら子供の私が来るとは通常ならありえない。

「夫人に助けて頂きました。私もあの場所で恥をかかなくて済み、辺境伯の顔を潰すこともなく済んだ。本当にあの方はよく気のつく素敵な御方ですね」

「ええ、旦那様をよくフォローなさって下さっています」

 これであの方に助けられるのは二度目だ。

「辺境伯には御内密に。幸い私も醜態を晒さずに済んで助かりました。意地を張った私も悪いのですよ。料理は美味しかったのですが些か私の胃袋には多かったようで。私をもてなすために作って頂いたというのに申し訳ないとシェフに謝罪しておいて下さい。辺境伯に余計なことを言う必要は有りません。夫人が折角上手く丸く収めるように計らって下さったのですから」

「ありがとうございます」

 執事にもう一度頭を下げられて私はもう一度気にしないようにと笑う。

 無駄な叱責を受ける必要もない。

 吐いて気分も良くなったし。

「ではロイ、戻ろうか。夫人にはまた助けて頂いた。今度お会いした時に何か御礼をさせて頂かなければならないね」

「・・・はい、そうですね。すみません」

「謝る必要はないよ。これは体面を気にした私が悪い」

 私の様子に気づくのが遅れたことを気にしているのだろうか、ロイの表情が少し暗い。でもロイの位置的に私の異変に気づくのは無理だ、少し離れたテーブルの背中を向けた位置にいたのだし。

 サンルームに戻る途中でふいにロイに小声で話しかけられた。

「ハルト様はあの御婦人のような御方が好きなのですか?」

「うん、好きだよ」

 ああいう人は私の憧れだ。

 アッサリと答えた私にロイがポツリと呟く。

「そう、ですか」

「綺麗で、色っぽくて、可愛いくて。その上、よく気がついて、私の理想だよ」

 前世で私がなりたかった女性像そのものだ。

 私は色気がなくて男っぽくて、可愛いなんて言葉はおおよそ縁遠かった。

 昔の自分を恥ずかしいとか恥だとか、そんなふうに思っているわけではないけれど素敵だなと思う。どちらの立場も悪くすることなく立ててみせる。私はああいう気遣いが苦手だし、辺境伯がデレデレ状態なのも無理はない。

 この後は辺境伯自慢の馬を見せてくれるっていうし、そこから選んでプレゼントしてくださるというのは少し、いや、かなり楽しみだ。ここはこの国でも有数の馬の名産地で騎士団にもよく納められてるっていうぐらいだから名馬も多そうだ。私専用の馬はまだ持っていないから暇が作れるようになったらみんなで遠乗りしてピクニックもいいなあ。今まで遠くに出掛ける時はいつもロイやイシュカ達の前に乗ってたし。憧れは白馬だけど艶のある茶色や黒もカッコイイ。相性もあるって聞いたから私に合う仔馬がいると良いんだけど。

 そんなことを考えながら歩いているといつものようにうっかり行き過ぎてしまいそうになり、ロイに上手く誘導されて気がついた。

 危ない、危ない。

 自邸ならまだしも余所様の屋敷でやっちゃマズイよね。

 まだ少し暗い顔をしていたロイの手を一瞬だけ強く握って離すと私はサンルームに入っていった。



 昼食後、辺境伯が連れて行ってくれたのは街の外れにある店の厩舎ではなく、屋敷の裏にある広大な敷地の中の馬場だ。ズラリと塀近くに並ぶ馬小屋はウチの馬場と同じくらいか。ただ囲む柵は凄く高く、頑丈そうだ。

「どうだ、立派であろう?」

 自慢げに尋ねてきたので勿論感嘆して頷いておく。

「凄いですね」

 ここで大きいですねと言うとウチの馬場の方が広いので後でバレた時がマズイことになりかねないから無難な言葉を選んでおく。それに設備的には多分急拵えのウチと違って間違いなく上等だろうし。それに管理している馬の質もこちらが上なのはきっと間違いない。

「ここは街で売っている馬とは少し違っていてな。王侯貴族に卸す馬が殆どだ。血統は勿論だが、数は少ないが中には魔獣と交配された馬もいる」

「魔獣ですか?」

 初めて聞いた。

 そりゃあ魔素が取り憑いて凶悪化したわけだから元は普通の馬であることを考えればそれも無理ではないのかもしれないけど、よくもまあそんな無茶なこと考えたなあ。

 驚いている私に辺境伯がニヤリと笑う。

「そうだ。秘密ではないが一般的にはあまり公表されていないので知らなくとも無理はない。魔獣化した馬が上手く捕えられた場合、交配され、それが上手くいけばの話だが、気性が荒いのだが長生きで脚も速く頑丈、戦場を駆けるのには最高の馬だ。だが乗り手を選ぶヤツが多い。どんな名騎手でも気に入られない限りはその背に乗せてくれないのだ。それ故、一生その背に人を乗せることなく生涯を終えるヤツもいる。一代限りでソイツの仔にはその特徴は出ない。今、この国で掛け合わせ、ワシらは獣馬と呼んでいるが、それに乗っているのは全部で八人だ。陛下、マリンジェイド近衛連隊長、アイゼンハウント団長、レイオット侯爵、ミスラエル侯爵、ランスロイド子爵、そしてワシと、平民ではダルメシアだ」

「ダルメシアも、ですか」

 そういえば団長達が乗っている馬は他の馬とはまるで違って体格もスピードも違ったし、冒険者ギルドにも一際体格のいい馬が一頭いたっけ。

「そういえば今ダルメシアは其方の領地のギルド長をやっているのだったな」

「ええ、よくお世話になっています」

 私がそう言うと辺境伯は馬小屋の方に視線を向けた。

「獣馬は金で売るものではない。勿論それなりの金額は払ってもらうが獣馬は己が認める者しか背に乗せないのでな。ソイツが気に入れば飼い主、ソイツの騎手になれるというわけだ。魔獣の血を引いているせいか、その者の持つ魔力に惹かれるところもあってな。一定以上の魔力量を持っているか、ソイツを従わせるだけの素質や能力があるのが大前提だ」

 なるほど、辺境伯の言葉に、彼が筋肉崇拝者というか、力ある者を好む理由を理解した。要するに彼が手塩にかけて育てている獣馬に気に入られそうな男としての興味なわけだ。

「なかなか興味深いですね。魔獣化した馬を捕えるのは大変そうですが」

「興味あるなら見せてやろう。今、獣馬は全部で七頭、ここにいるのはワシの馬を除いた六頭がいるが初めて持つ馬というなら従わせられるようなこともあるまい。まずは血統のいいヤツから相性の良さそうな乗りやすい普通の馬を選んでやろう。お主の功績からすれば、いずれ獣馬も乗りこなす器になるかも知れぬな。楽しみに待っておるぞ」

 そう行って辺境伯は私の髪をクシャリと撫でた。

 面白そうではあるけれど、私は別に普通の馬でいい。

 というか、普通の馬がいい。

 戦場を駆ける予定はないし、気性の荒い馬はできれば勘弁願いたい。

 世話も大変そうだし。

「其方の護衛の者も見学したければ一緒に付いて来るがよい、見たところそれなりに腕も立つようだしな。ソイツらに認められれば売ることも考えてやる」

 辺境伯の言葉にイシュカ達護衛が色めきたった。

 それもそうか。陛下や団長、連隊長達は謂わば圧倒的強者、憧れの存在。

 そんな人達が乗っている馬と同じような馬に乗れるかもしれないとなれば期待値も上がるだろう。

「気性が荒いということは世話も大変なのではないですか?」

 主人以外面倒見れないとかいうと大変そうだし、泊まりとかだとどこへ行くにも連れて行かねばならなくなるのではと、ふと考えた。 

「それなりにな。だが無理に綱を引いたり、粗雑に扱ったり、背に乗ろうとしない限りは普通の馬とそう変わらない。敬意を持って接してやれば他の者の世話も受け付ける、大丈夫だ」

 つまり賢くてプライドが高いということか。

「たとえば、強者、辺境伯や団長なら複数の獣馬を従えて乗ることも可能なんですか?」

「可能だ。相性というのもあるのでせいぜい二頭か三頭といったところだが。ワシが乗れるのも七頭の内二頭だけだ。一頭はワシの馬として厩舎は分けてある」

 それならイシュカとライオネル、ガジェットの誰か一人くらい認められるといいなあ。

「面白いぞ。獣馬は外見も特徴も様々だ。一見して普通の馬と変わらないものもいれば頭に角を生やしているヤツ、翼が生えているヤツもいる。脚が特に速いヤツ、ジャンプ力が並外れているヤツ、一際頑丈なヤツとかな。外見が変わったヤツは魔力量も多く、頭も良いから従えるのは難しくてなかなか扱える者が現れん」


 へえ、角とか翼とか、まるでユニコーンかペガサスみたいだ。

 ちょっと夢があるかも。

 どちらにしても今の私の体格では当分無理なのは間違いない。

 見せてもらうだけならタダだし、楽しみになってきた。

 

 囲む柵の高さも獣馬を飼うためと思えば納得だ。

 私達は興味津々で馬場の鍵を開けて入って行く辺境伯の後に続いた。


  

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― 新着の感想 ―
2025/04/25 20:08 7cミレーヌ様最高!!私も憧れます。
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