プロローグ オバサン 後悔する
私は自分を不幸だと思ったことはない。
それは幼少の頃から母親に刷り込まれた、
「他人は他人、自分は自分。上ばかりを見ていても仕方ないの、でも下ばかり向いていても駄目よ」
そんな言葉のせいもあったのだろう。
所謂、中流家庭のごく普通の家で育ち、飛び抜けた特技も取り柄もない自分には様々な意味でその言葉通り上も下もあった。
幼少時代は自分で言うのもなんだが、よく天使のようだと言われた。
だが可愛いともてはやされ、甘やかされ、我儘放題に育ったがそのツケは小太りになり、小中学校で陰湿なイジメに合うことによって支払わされた。
高校時代はデブだ、ブサイクだと影で罵られたものの、自宅から少し遠くの学校を選んだため私のイジメられていた過去を知る人がほぼいなかったことも手伝ってか数こそ少なかったがそれなりに趣味の合う(主に腐女子な)友達にも恵まれ、側に寄れば気持ち悪いと避けられるなどの多少の嫌がらせはあったが以前に比べると随分とかわいいものだったし、折しも世間は不景気真っ只中、破産だ、自殺だ、倒産だと日々のワイドショーで話題が取り沙汰され、学費が払えず退学したクラスメイトがいたこともあり、自分はまだマシなのだと毎日を大好きな漫画やアニメ、ラノベ談議にオタクな友達と花を咲かせつつ過ごした。
そしてなかなか厳しかった受験戦争が終わった頃には贅肉に埋もれていた私の目鼻立ちも随分とスッキリしていたが、身なりにも構わずダサ過ぎる瓶底眼鏡と服装に今度は『オバサン』と呼ばれるようになった。
いくら女子大学生とはいえ不景気真っ只中、競争率の激しいバイト先争奪戦の最中、ブサイクな『オバサン』に選べるバイトは多くない。
裏方や力仕事が多く、夏休みも半ばに差し掛かる頃には体に長年こびりついていた脂肪という名の重りは更に落ち、噂の出処は不明だったが一部では眼鏡を外すと某人気のアイドルに似ているらしいとも言われた。
他人の評価というものは随分とコロコロ変わるものだ。
そして一年で意図せずに実に十キロの減量に成功し、着ていた服はサイズが合わずブカブカになっていたこともあって我が身を振り返り、流石に女子大生にしてこの格好はないだろうと夏休みのバイトで稼いだ小遣いでここは一つオシャレに挑戦してみようかと考えた。
しかしながら、無いに等しいファッションセンスに期待も出来ず、何を着てもお似合いですとお愛想笑いを浮かべる店員も信じられない。
そこで本当かどうかはわからないが出所不明の噂にあったそのアイドルを手本にすれば多少はマシになるのではとネット検索してみるとその名前で出てきた人物は人気男性アイドルグループのセンターに立っていた。
確かに昨今男でも女でも使われる名前というのは珍しくない。
かく言う私の『遥』という名前も男子に時々使われている。
だが、もともと子供の頃からイジメにあっていたこともあり、現実世界の男共は敵認識、ニ次元男子サイコーであった私には顔面偏差値が高いと言われるその麗しきかんばせに、いささかの興味も抱かなかった。
しかしながら久しぶりに地方に散っていた高校時代の友達と会う約束をしていたこともあって似合わない服で出かけるよりもせっかく『いいお手本』があるのだし、ネタくらいにはなるだろうと軽い気持ちでそのアイドルのファッションを真似ていざ出陣と洒落こんだ。
本当に冗談のつもりだったのだ。
瓶底眼鏡をコンタクトレンズに換え、流行の服に着替え、美容室でそのアイドルを真似て髪をカットして街を歩くと賑わっていた人の波はまるでモーゼの十戒のように割れた。
通る人々振り返る、老若男女、女子からは黄色い悲鳴が、男共からは妬みと羨望の視線が。
正直に言おう。
凄く気分は愉快、爽快だった。
昨日までは汚物でも見るような視線が確かに向けられていた。
中身は何一つ変わっていないのに少し外観を整えただけでここまで人の評価は変わるものなのかと。
面白くなってきた私はそれから仕草や言葉遣い、歩き方に至るまで『男らしく、格好良く』を心がけ、男の仕草を真似ているうちにそれは習慣となり、板につき、周囲からは男よりも男らしいという評価を頂いていた。
でも外見はどうであれ中身はそう簡単に変わるはずもなく、スカートを履けば友達から女装だとからかわれていたが多くの趣味を満喫する以外はちょっとばかりズレてはいたものの念願だった他者に理不尽に虐げられることのない普通の生活を送っていた。
だが社会人になって周囲に彼女彼氏持ちが増え、結婚ラッシュが始まると流石の私もマズイと考えた。
年齢イコール恋人いない歴を未だ更新中、まずは友達からでもと同僚や友達の紹介等で知り合った男性と出かけてみたが男らしいと称されるこの性格が今度は仇になった。
女扱いされずに彼氏、恋人に昇格する前に友人になってしまうのだ。
かと言って男らしいと称されるようになる前の人間不信気味の卑屈でミジメな自分に戻りたくなかった。
おまけに出会う男はマザコン、守銭奴、ヒモ男にギャンブル狂、時代遅れの男尊女卑な勘違い亭主関白男。トドメはストーカー、会社の金を横領した同僚、複数の痴漢行為を働いた後輩。
とどのつまりは犯罪者。
世間に存在する男という生き物全てが悪いとは私も思っていない。
尊敬できる上司や同僚、友達も沢山いた。
だが私の恋愛対象としての男運の悪さは友人たちの折り紙付きで、もはや『祟られている』だの『呪われている』だの言われるレベル。
お祓いに行った方がいいのではと心配されるほどの男運と、現実社会の彼氏としての男に夢も希望も打ち砕かれ、そこに過去のイジメられた記憶も重なって恋愛対象としての男にさほどの興味もわかず、恋人がいないことの不便さを全く感じていなかったために、この際、生涯独身貫いて趣味に旅行にとお気楽に生きようと十年、それなりに楽しみ、三十代も半ばを過ぎようとしていた。
そんなに悪い行いをした覚えはない。
なのにこの仕打ちはないだろう。
人は死ぬ間際に今までの記憶を走馬灯のように見るというがそれをまさに今私は体験していた。
猛スピードで信号無視で突っ込んで来るトラックは眼前、辺りからは鋭い悲鳴がいくつも上がる。
後ろはガラス張りのショールーム、右は交通量の多い車道、左は工事中の立て看板、逃げ道はないと瞬時に視線を巡らせた私の視界に小さな女のコが目に入った。
反射的に手を伸ばし、自分の懐に子供を抱え、しゃがみ込む。
きっと私は助からない。
でもこの子なら助かるかもしれないと、迫ってくるトラックと子供の間に自分の体を割り込ませた次の瞬間、激しい痛みが全身を襲った。
痛みも限度を超えると悲鳴すら出ない。体中の骨が折れる音が聞こえた。
薄れゆく視界の中、確かに動く子供の存在にホッとして私はゆっくり目を閉じた。
一度くらい、ごく普通の恋、してみたかったな。
ドラマのような、なんてそんな贅沢は言わないから。
もしそんな人がいたのなら、もっと私の人生も彩り鮮やかに変わっていただろうか。
遠くなる意識を手放す前、最後に思ったのはそんな叶えられなかった願いだった。