05 のこちゃんの怪人テスト
「俺は、ここで猫系連中の頭をやってるんだが、白獅子…まぁ、じっさんと呼んでくれ」
少ししわがれた声でそう話しかけてきたのは、白い獅子の顔を持つ獣人の男、これからのこちゃんと決闘すべく向き合っている厳つい戦士だった。
狼の獣人タレンほどの巨漢ではないものの、それでものこちゃんよりも大きくガッシリとした体格で、間近で見れば見るほど屈強を絵に描いた様な佇まいである。
『こやつは、かなりの手練れと見て取れるが、先ほどの場のあしらい方を思えば、ただ強いだけの者ではなさそうだ。
君、この際、胸を借りるつもりでその体を色々と試してみてはどうだろう?
すでにコツは掴めたであろうから、実戦的であっても、さして一方的にはなるまいよ』
などと、お姉さんの声は気安く言ってくれるのだが、実際に事へ当たるのこちゃんにしてみれば何の参考にもならなかった。
「ええぇぇ………」
目の前に立っているだけで、先ほどとは比べものにならないほどの圧を、ひしひしと相手から感じるのこちゃんである。
本当に戦いが始まれば、何を出来るでもなく棒立ちになる未来しか見えないのだ。
と言うか、そもそも決闘なんてしたくないのであるが。
法衣の獣人はヤレヤレといった仕草で眉間に手をやり、タレンとのこちゃんの周りに集まっていた多種多様の獣人たちも、そのまま決闘の見物へと鞍替えをして固唾をのんで見守っている。
事の発端となった当のタレンも、その中に混ざっており、腕組みをしながらすっかり観戦モードである。
のこちゃんがそれとなく周りを見渡せば、否応なく、完全に状況は整ってしまっていた。
陽の位置は、まだまだ高い。
この広場に来てから、それほど時間の経過をしていないにも係わらず、のこちゃんには妙に長く感じられた。
「よう虎の、お前は、何て名前なんだ?」
まだ訊いてなかったよなと、じっさんと自称する白獅子の御大将は、自然体でのこちゃんへの話しを続ける。
当然の様に、戦いを前にした緊張感は無い。
「え!?の…う~ん」
咄嗟に"のこ"と言いそうになり、のこちゃんは言葉を詰まらせる。
"虎の子"はもちろんなのだが、本名とそれに関連するものをここで言うべきではない気がした。
ただ、その理由は自分でもよく分からない。
『ふむ、かつての君の名が何であったにせよ、今の君とでは存在自体がかけ離れている。
恐らく、その名を明かした所で、個を特定する術式などにも引っ掛かりはしまいが………
気持ちの問題であるなら、ここは仮に、ティハラザンバーとでも言っておけば良いだろうよ』
「…ティハラザンバー!」
慌てていた上に、お姉さんの声に説得され続けてきたのこちゃんは、脊髄反射でつい提案された名前をそのまま名乗ってしまった。
言ってしまってから、あれ?、その名前って怪人ムーブを加速してない?とか冷静に思ってみても後の祭りである。
周りの獣人たちは口々に、あいつティハラザンバーっていうのか、ティハラザンバーだってよ、などと一斉にザワついており、タレンも憎々しげに憶えておくぜティハラザンバーとか呟いている。
すでに取り返しは付かない。
「ティハラザンバーか…
やはりその風体なら、魔の神獣とそれを討った白銀鎧の聖女伝説は、意識するよな」
ちなみに、伝説の何某と言えば、チャムケアの基本コンセプトである。
チャムケアシリーズの各タイトルには、それぞれ独自の世界観がありチャムケアの設定すらも作品毎に全く違っているのだが、共通して必ず"伝説となっている先達のチャムケア"が存在しているのだ。
第1話にて力を得た主人公が初めて変身した際には、伝説の存在が再び顕現したと敵が驚いたりするくだりも、シリーズとして一つのお約束になっていた。
なので、のこちゃんにとっては十分なパワーワードであり何それカッコイイと声を出さずに食いついていると、君は今まで余の話を聞いていたのか?とお姉さんの声が呆れる。
『こやつが言っているのは、余と神獣・大ティハラの事だぞ………………
しかし、斯様な伝説が残っているという事は、この地は余と縁があるのかも知れぬな』
「そ、そうなんだ………伝説の聖女か」
どちらかと言えば、のこちゃんが置かれた状況は、甦った聖女伝説の奇跡譚と言うより怪談の類である。
しかし、そこをさっ引いても、また新たなチャムケア体験を重ねてちょっと感動したのこちゃんであった。
「それじゃまぁ、ティハラザンバー、始めるぜ?」
じっさんは、そう言うなり腰の後で佩いていたのであろう、分厚く幅の広い豪快な大剣を片手でするりと抜いた。
軽々と片手で構えるには、のこちゃんにも一目で無理があると分かるほど、大きくて長すぎる剣であった。
その印象は、岩をも叩き割ろうかという重厚な金属塊であり、それでいて一枚の紙をすっと断ち切りそうな刃が禍々しい光を放っている。
じっさんは、そんな自分の身長にも届きそうな大剣の切先を、指さし確認をする様な仕草でひょいとのこちゃんへと向ける。
「っ!」
のこちゃんは、思わず息をのんだ。
のこちゃんは剣道の経験者であるから、慣れてくると自分の指先が竹刀の先端へ延長された感じになる事や、切先が揺れない水平な構えにどれだけの強さが秘められているのかなど、それなりに分かっている。
そして、じっさんが片手で扱かって見せたそれは、サイズ次第とは言え子供でも使える竹刀ではないのだ。
その事を頭で理解した瞬間、比喩ではなく、のこちゃんの背筋に正真正銘の怖気が奔った。
『恐れるのは構わないが、怖がるなよ?、君。
感情に支配されて一瞬の判断が遅れれば、せっかくの体も動きを鈍らせてしまう。
特に実力者を相手にする時、それは致命的となるだろうよ』
先ほどタレンとやらにやって見せた感覚を忘れるなと、伝説の聖女だったらしいお姉さんの声が、のこちゃんを窘める。
緊張で足が竦みそうになっていたのは、事実だった。
確かに、しっかり気を入れて対応を間違わない様にしなければ、このティハラザンバーの身体能力をもってしてもまずいかも知れないと頭では解っている。
そして何より、こんなよく分からない場所で、しかも不本意な決闘などで、まかり間違っても倒されてしまう訳にはいかないのだ。
だから、のこちゃんは、怖がる気持ちを何とか押さえ、じっさんから自分へと発せられる揺らめきの流れを捉える事ができた。
しかし、そこまでである。
外を歩いていた時に、そよ風が不意にひゅるりと吹き過ぎる様なと言えば良いだろうか。
そんな拍子で、のこちゃんが揺らめきの流れを避けるべく体の向きを変えようとした瞬間に、衝撃は到達していた。
胸の辺りの白銀鎧に金属と金属がぶつかる激しい音が鳴り響くと、のこちゃんの体は、勢いよく後方へはじき飛ばされた。
「くあっ」
のこちゃんの口から、苦しげな息が吐き出される。
じっさんの繰り出した攻撃は、今朝の高い空から着地した時の比ではない、途方もなく強い衝撃だった。
それでも、その着地する際の感覚を思い出したのこちゃんは、飛ばされた空中で刹那に姿勢を捻ると足から落ち、かろうじて転げずに済ます事ができた。
恐らく、猫的な身体になった恩恵もあったのかも知れない。
何れにせよ、ふらつきながらも、のこちゃんはじっさんの攻撃に耐えた形で再び大地に立っていた。
「おお、真っ芯を外して受け流すたぁ、やるなティハラザンバー!」
じっさんは、正面に伸ばしていた大剣を下ろすと、嬉しそうな声でのこちゃんを賞賛した。
周りの獣人たちからも、感嘆のどよめきが上がる。
やはり、それ程に凄まじい一撃だったらしい。
どうやら攻撃そのものは白銀鎧が弾いたらしいものの、のこちゃんの胸にはしっかりダメージが通っており、まだ痺れが強く残っていた。
「び、ビックリしたっ」
ただ、いきなりの事だったので、痺れ以上に、心臓のドキドキが大変な状態になっている。
猫だったらしっぽが膨らんで立っているかもと、のこちゃんはさり気なく自分のおしりに手をやったのだが、白銀鎧の感触があるだけだった。
ティハラザンバーに、しっぽは付いていないらしい。
『ふむ、単なる片手の突き技であったな』
「単なるって」
伝説の聖女という割にお姉さんの声はけっこう辛口だよなぁ…などとのこちゃんが思っていると、じっさんが大剣を構え直す。
「けどよティハラザンバー、今ので終わらせる訳にはいかねぇな。
こりゃあケジメだ………次のは、ちょっとキツいぜ?」
そう言いながら、両手持ちの大上段へ大剣を掲げると、じっさんの雰囲気がやおら激変した。
その浅い黄色の双眸から、ティハラザンバーを射貫く様な光が放たれる。
それまでの圧迫感がそよ風ならば、現在のそれは暴風だろう。
のこちゃんは、慌てつつも再び揺らめきの流れを掴もうと目を見開いて、更に瞠目してしまった。
「なにこれ………」
『ほう、まさしく裂帛の気迫というやつだ。
これは、早々に決めに来る気だぞ?』
何やら楽しげなお姉さんの声は、のこちゃんに届いていない。
それもそのはず。
のこちゃんが捉えたのは、一目で数え切れないほどにひしめいている、言うなれば放射される数多の揺らめきの流れであった。
一つ一つハッキリとした虚実などの駆け引きの無い"必殺の意志"であり、のこちゃんへ向かって、その全てが収束している。
死角も躱す余地も何も無い、あまりの打つ手の無さに愕然とするしかない、それは確かに決定的であった。
「覚悟を決めろよ、ティハラザンバー!」
何か、法衣の獣人が制止する様な事を叫んでいたものの、この場に耳を貸す者はいない。
「だめだ、避けられないよ…」
思わずのこちゃんが弱気を呟くと、不意にじっさんから吹き荒れていた暴風の圧が凪いだ。
明らかに、周りの空気が変わる。
『ふむ、ならば、すでに牙は持っているのだ…』
お姉さんの声と重なる様に、じっさんは、自然な態でただ一歩を前へと踏み込む。
それは、一筋の疾風であった。
――――――――――――――――
魔に与する神獣・大ティハラは、全身を黄金の毛に覆われ、漆黒の縞模様が印象的な巨大な虎を彷彿とさせられる姿だった。
凄まじい力で暴れ回り、その一挙手一投足に大地が激震し、咆吼は大気を渦巻かせる嵐となって、豊かな自然とその地に暮らす人々を丸ごとなぎ倒した。
窮する人々の願いを聞き届けた天空の女神の天啓に導かれ、大ティハラを討つべく戦いを挑んだ者こそは、白銀鎧の聖女と名高い聖ザンバー=リナである。
長く艶やかな黒髪と大きな黒い瞳、整った顔立ちに張りのある小麦色の肌が白銀の鎧兜によく映えると世に謳われたが、真なる麗しさは、その高潔で実直な魂にあったと伝えられている。
その地の統治者が擁する軍勢から協力を得た聖ザンバー=リナは、地形を利用した罠を巡らせるなど大ティハラを予め用意しておいた決戦の場へと誘導し、遂に誰憚ることなく全力で戦える状況を成立させた。
対峙する大ティハラと聖ザンバー=リナの両者は、お互いを滅ぼすべき宿敵として認め合い、どちらもこの場から引きあげる様子もない。
後は、戦いの火蓋を切るだけの段に至り、見つめ合ったままどれ程の時間が経ったのだろうか。
聖ザンバー=リナは、おもむろに大ティハラへ呼びかけた。
「美しき荒ぶる神獣よ、そなたは、あまりにも悪行をなしすぎた。
よって、天空の女神様の御名に於いて、余はそなたを調伏する!」
鎧と同様の白銀兜から長い黒髪をなびかせ、堂々とした聖女の討伐宣言である。
それに対して、大ティハラは、やってみせろと言わんばかりの低いうなり声で応えた。
伝説になるだけあって、黄金の毛並みを持つ巨獣と白銀鎧を纏った聖女が陽の光にキラキラと反射して、幻想的な光景だなぁとのこちゃんは感心する。
それにしても、聖女の話す声がのこちゃんに話しかける辛口なお姉さんの声と同じだったので、ひとことで聖女と言っても結局は人によるのか的な事を思った辺りで我に返った。
「…って、あれ?決闘してるのって、わたしじゃなかったっけ??」
確かに、のこちゃんへ向かってじっさんが何だかもの凄い攻撃を仕掛けて来そうだった事は、どうしようもなく怖かったのでハッキリと憶えている。
しかし今、何故かのこちゃんは、古の伝説を目の当たりにしているらしかった。
そう言えば、漂流結界の"澱"だったろうか、あそこで出会って以来ずっと話しかけてきたお姉さんの声が聞こえない。
どうなっちゃってるんだろうコレとしばらく考えて、現状で解らないもんをいくら考えた所で解る訳ないよねと結論したのこちゃんは、せっかくの"伝説の何某"を堪能する機会なんだから楽しもうと割り切る事にした。
間もなく、大ティハラと聖ザンバー=リナの攻撃が交差をし始める。
大ティハラが前足を大きく振りかぶって地を打ち据えると、大きな震動に続けて土埃や石礫をまき散らしながら、衝撃が地面を走り聖ザンバー=リナを脅かす。
聖ザンバー=リナは、背負っていた二振りの長い彎刀を抜き放ち、一方でその衝撃をどうやったのか斬って捨て、もう一方を振り抜き、その斬り捨てる威力だけを大ティハラへと投げつけた。
距離が開いていても、大地を抉り空気を引き裂く様な打撃と斬撃が応酬され、元から荒野だった決戦の地は、更に無惨な状態へと荒れてゆく。
しかし、これらは牽制し合っている小手調べに過ぎず、接近して直接攻撃をする段になれば、恐らく両者共にただでは済まないであろう事がうかがえた。
「おお、『ハードチャレンジ!チャムケア』や『バシバシ!チャムケア』のプロローグもこんな激闘シーンから始まるし、なかなかそれっぽいシチュエーションですなぁ」
伝説とは、寓話であり、ロマンであり、言ってしまえば現実へ直に干渉するものではない。
つまり、目の前で起こっているかの様に見えるこれら全ての現象へ、のこちゃんは触れる事ができなかった。
逆もまた然りで、人の身ならば恐れ戦くしかない天変地異とも言うべき状況の中、完全に安全なポジションで娯楽享受モードなのこちゃんは超リラックス状態であり、思わず間の抜けた感想がこぼれたのだ。
決して、自分とじっさんの決闘の見物になっていた獣人たちの事は言えないのこちゃんである。
不意に、聖ザンバー=リナの様子がクローズアップされた。
「ふむ、やはり、このままでは埒があかないな………いや、体力的にこちらが不利か」
ならばと、聖ザンバー=リナは、大ティハラが連続して放つ衝撃の合間を縫い、土埃と石礫の嵐に紛れて駆けだした。
一方では、大ティハラも聖ザンバー=リナの動きを察知して、大まかな衝撃波から一点を狙い撃つ様に収斂した衝撃波へと攻撃を切り替える。
それを同時にいくつも出現させ、つるべ打ちで射られる収斂された衝撃波の群れが、必殺の斬撃を狙う聖ザンバー=リナを串刺しにせんと、弩の如くその進む先々へ穿たれてゆく。
「器用なマネを…しかし!」
眉間にしわを寄せつつも飛来する衝撃波の弩を次々と躱し、避けきれないものは、また彎刀で斬って捨てて駆け抜ける聖ザンバー=リナに、大ティハラがいらだちのうなり声を上げる。
「怒ってる巨獣の顔、怖っ」
ちなみにのこちゃんは、最初に気が付いた位置から少しも動かず、そんな両者の様子を詳らかに観察する事ができた。
その後も、聖ザンバー=リナと大ティハラの激闘は、互いに必殺の間合いを得てもなお拮抗して続いていた。
それぞれが満身創痍になりつつ、己の全身全霊を賭して相手を斃す心づもりであるため、絶対に後へは退けないのだ。
最初は、全方位のスクリーンへと映し出された映像作品でも鑑賞している気分なのこちゃんであったのだが、あまりの苛烈な戦いを見せつけられ、次第に真剣なまなざしで食い入る様に向き合っていた。
そして、この伝説を目撃する事態について、自らが置かれた立場にふと思い当たった。
「そうか、これ、先代チャムケアとの遭遇展開だ………」
前述の通り、チャムケアには、必ず伝説となっている先達のチャムケアが存在している。
シリーズタイトルによっては、その姿すらデザインが用意されていない場合もあるのだが、敵との度重なる戦いに壁を迎えてしまい、主人公たちへパワーアップを促す切っ掛けとして、その伝説のチャムケアと邂逅する演出があるのだ。
もちろん、何れの世の中もチャムケア準拠で出来ていない上に、のこちゃんはチャムケアでもないので単なる思いこみに過ぎない。
しかし、なまじチャムケア体験が続いてしまったせいで、もしもこの事態に意味があるのだとすれば"それ"以外には考えられなかった。
「いやでも、こういうのは、余程のピンチにならないと起こらないんじゃ………」
よく考えたら、じっさんとの決闘で自分がなかなかの窮地に陥っていた事を思い出して、更に確信を得てしまったのこちゃんである。
それならば必ずここで解決の糸口が見つかるに違いないと視聴する姿勢を改めた所、ちょうど大ティハラの背面を取った聖ザンバー=リナが、二振りの彎刀をその背に深々と突き立てる場面であった。
大ティハラの断末魔が、この戦いで荒れ果てた大地に響き渡る。
「抜かったな神獣よ…
この剣は、天空の女神様より下賜されたる聖なる神器……
一度こうして縫いつけられたなら、そなた程の者でもどうにもならぬぞ………」
そう、息をつきながら言う、聖ザンバー=リナにもすでに力は残っていないのだろう。
苦しそうに、白銀鎧の肩を上下させている。
「あっ」
のこちゃんには、その光景に見覚えがあった。
漂流結界の"澱"にあった大きな像こそは、聖ザンバー=リナによって封じられた、大ティハラそのものだったのだ。
聖ザンバー=リナは、大ティハラの背の上で彎刀を突き立てた姿勢のまま回復を図り、息を整えると意識を集中させ何か文言を唱え始めた。
「ここに天空の女神様の御力をお借りして、結界の術、成すは"澱"、其の永劫たる………………」
文言の途中、あっという顔をして、聖ザンバー=リナの口が止まる。
のこちゃんが、頭の上に見えない?を出しながら事の成り行きを見守っていると、聖ザンバー=リナが深くため息をついた。
「ふむ、余とした事が………ここでこのまま結界を張っては、余も方術に取り込まれてしまうではないか。
しかし、いま剣を放す訳にはいかぬし…はて?」
しばらく両手でその柄を掴んでいる彎刀を見つめていたかと思えば、聖ザンバー=リナは、苦笑しながら再び文言を唱え始める。
この僅かな時間で、その身を捧げる覚悟を決めたのだ。
素っ気ない様でいて、厳しくも高潔なその決断力に、のこちゃんからも言葉は出なかった。
「其の永劫たる御力の行使へ御赦しを賜りたく、此処にして此処に非ず、彼処に其処に、そして此処に流転する聖域の顕現、其を願い奉る…奉る…」
唱えが進むにつれて、周囲の風景が陽炎の様に揺らいぎ始め、聖ザンバー=リナと大ティハラを包み込んでゆく。
やがて………………
『ふむ、ならば、すでに牙は持っているのだ。
避けられないのであれば、受けるか斬って捨ててしまえば良いだろうよ』
のこちゃんの視界が、眩しい光に溢れる。
――――――――――――――――
じっさんの繰り出す剣尖の閃きは、大剣と思えない勢いと正確さで、のこちゃんの正中線を捉えた。
まさしく、疾風の如き剣筋である。
これはやっちまったなと、当のじっさんも確信するほどの、明らかに必殺の一撃であったのだが。
それは、出し抜けにのこちゃんの両手へと顕現した。
つまり、牙である。
「は、え?!」
のこちゃんが思わず盾の様に交差させた刹那、それは、事も無げにじっさんの大剣を勢いごと阻んでみせる。
再び、両者の間で、金属と金属がぶつかる激しい音が鳴り響いた。
ただし、今回はじき飛ばされたのは、じっさんの方である。
「うぉっと、何だそりゃあ!?」
それは、二振りの剣だった。
しかし、伝説の中でのこちゃんが目撃した、聖ザンバー=リナの彎刀とは違う。
野太刀とでも言うのだろうか、ティハラザンバーの体格からすればちょうど良い得物と見えて、その実は、長大な打刀を更に長く広く厚くした様な、白銀に輝く厳つい造りの刀である。
そんな見た目に反して、軽やかで手に馴染む感触に、のこちゃんは戸惑った。
「何これ、竹刀より軽い…じゃなくて、こんなの、いつの間に持ってたんだろう、あたし」
『ふむ、その双剣は、白銀鎧と同様に天空の女神様より下賜された聖なる神器なのだ。
余の魂と同化していた以上、そのまま君に受け継がれて当然であろうよ』
すかさず、お姉さんの声改め、聖ザンバー=リナのどや声が自慢げな解説を入れてくる。
「いや、こんなの持ってなかったと思うんだけど…って、もしかしてこれも体の一部って事なんじゃ」
『鎧もそうなのだが、双剣と君の魂は、かつての余と同じく同化して繋がっている。
もはや君とは一心同体であり、君の心が折れなければ決して折れる事もなく、君自身が成長すれば更に力を増してゆく。
それを体の一部と言うのであれば、確かにそうであろうな』
己の怪人ムーブが次々と確固たるものへなってゆく。
そんな恐ろしい結論を思いついてしまい、違う意味で戦慄するのこちゃんである。
「"確かに"とか言わないで欲しかったよねぇ…」
そんな流れで、二振りの刀を握ったまま腕をだらんと下げて脱力しているのこちゃんに、体勢を立て直したじっさんが話しかけてきた。
「何処に隠し持っていたのか知らねえが、白銀鎧の聖女伝説と来れば、やっぱり双剣だよなぁ」
「え?…ア、ハイ」
「アレをよく凌いだな、ティハラザンバー」
「ガンバリマシタ」
何かもう、本当にがんばる気力も萎えてしまったので、のこちゃんの返事はテキトーになっていた。
じっさんは、しばらく考える仕草を見せたかと思えば、抜いた時と同様に大剣を難なく腰へ収めると周りを見回した。
「こんなもんで良いだろ……さっきも言ったが、コイツは俺が一方的に拾ってきたからな、だいぶ混乱してたんだと思うんだ。
後は、こっちで責任持って色々と言い聞かせとくって事で、どうだタレン?」
じっさんの視線の先で、巨漢の狼獣人が頷く。
「よし、じゃあこれで本当に終わりだ。
お前らも、とっとと自分の持ち場へ戻れよ」
周りで決闘の見物になっていた獣人たちは、じっさんから促されると、三々五々に散っていった。
そんな中、法衣の獣人だけは、眉間に手をやったままじっさんへ近づいて来る。
「………一時はどうなる事かと思いましたよ、白獅子の御大将。
何事もなかったから良い様なものの、初撃はともかく、何ですか二つ目のアレは。
実に大人げない」
「だから、御大将はやめてくれと…お前、わざと言ってるだろう」
「ご自覚が足らないからですよ」
そんな事を言い合っている二人の獣人をぼんやり眺めながら、のこちゃんは疲れた頭で、この抜き身の刀どうしたら良いんだろうとか別の事を考えていた。
「なぁ、ティハラザンバーを今期の育成組にねじ込めないか?」
「そうですね………実力的には、問題ないかと思いますが」
「よし、じゃあそうしてやってくれ。
伝説に憧れて調子に乗ってるだけならアレなんだが、こいつには見込みがあるからな」
「なるほど、承りました」
「てな訳だ、ティハラザンバー」
「………………」
「よう、ティハラザンバー…」
「………………」
「ぼやっとしてるんじゃねえぞ、ティハラザンバー!」
突然じっさんに肩を掴まれて、のこちゃんはビクッとしてしまった。
「へ?!あ、わたしの事か、何ですか!?」
「お前なぁ………自分で考えた名前なんだから、もっと…まぁ、良いか」
むっとしながら、それは違うと呆れるじっさんに抗議したいのこちゃんだが、話がややっこしくなるのでぐっとこらえた。
「何か思う所があるんだろうが、お前自身がここへ戻る事を選んだのは事実だ。
そして、それは受け入れられた………理解しているな?ティハラザンバー」
「…はい、そうですね」
他にどうしようもないのでと、のこちゃんは心の中で付け加える。
「なら良い。
じゃあ改めて、異次元踏破傭兵団"魔刃殿"へようこそ。
ティハラザンバー、戦力としてのお前に期待する………よろしく頼むな」
そう言うと、じっさんはのこちゃんと握手した。
『ふむ、この握手には契約の方術が込められているな。
恐らく、次にまた脱走したら、反逆と見なされて懲罰されるのではないか、君?』
興味深げに、聖ザンバー=リナの声が話しかけてくるものの、のこちゃんには届いていなかった。
その前にじっさんから放たれた、いかにもな組織名を聞いて目眩を起こしていたからだ。
「また、怪人ムーブが………………」
ここに、異次元踏破傭兵団"魔刃殿"の怪人、ティハラザンバーが誕生した。
続きます。