04 のこちゃんの怪人デビュー
のこちゃんは、あれから何事もなく着地したその足で、猫や狼の獣人たちがいた場所へ投降する事にした。
空高くからこのよく分からない建物群が存在する大地を見回した結果、全方位が彼方に霞んでいる山まで、ほぼ緑や水辺の無い荒涼とした不毛の状態であると分かったからだ。
アテもなく彷徨った所で、これはすぐ身も心も保たなくなるだろうと秒でのこちゃんが悟った事を、お姉さんの声も肯定する。
『それなりの手勢を擁する集団が拠点としているのなら、独自の補給手段も、それなりのものがあると見て良いだろう。
いくら造り替えたその身体が強靱でも、飲まず食わず休まずでは、早晩限界を迎えよう。
ならば、いっそ体に慣れるまで、訓練を兼ねてあそこに居座るのも悪手ではあるまいよ』
流石にお姉さんの声に言いくるめられている自覚は持ち始めたものの、いちいち説得力があって、結局それもそうだなと思えてしまう。
「それにしたって、居座るって、わたし、そこまでふてぶてしくできる自信ないけどなぁ………どう扱われるのかも、分からないんだし………」
『まぁ、敵意さえ露わにしなければ、どうにかなるだろう』
そもそも敵意は無いんですがと愚痴を零しながら、離れていてもよく見える半球の大きな建物を目標にして、のこちゃんはとぼとぼと歩き始める。
現在の所、強靱になったらしい身体に、何も不調は感じていない。
そう言えば、あの高さから着地した時には、ちょっとした地響きが起きて驚いた。
これといったケガも負わず、我ながら随分と遠くまでジャンプできたものだねと呆れつつも、チャムケア的な体験を思い出してはつい嬉しくなってしまう。
『そら、牙を剥いているぞ、気を付けろ』
「え?」
のこちゃんとしては、ニヤニヤと思い出し笑いをしていただけなのだが。
『ふむ、体に慣れろとは、そういった事も含めての話だ』
「言われてみれば、まだ新しい顔を見てなかったな………………牙があるのか………………」
きっと、あそこへ戻れば、鏡の様な自分の姿を映す物はあるだろう。
しかし、見たい様な見たくない様な、中二女子の複雑な心境は、姿が変わってしまっても絶賛継続中なのこちゃんであった。
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半球が近くなると、周りにある他の建物も見え始め、ちょっとした城下町の様な形になる。
しかし、石と金属らしい建材を混ぜる様な造りに加え、所々平たい壁面のビルの様であったり捻れた塔の様であったりと、どう見ても異様な建築物の数々であり、とても町という感じはしない。
周りに往来している住民の姿がある訳でもなく、荒涼とした大地に突然現れるそれは、廃墟の町を模した大がかりなオブジェと言われた方がしっくりとくる。
外側の境界に当たる部分には、それらの建物が隙間無く並んでおり、初見ののこちゃんにも防護壁を兼ねていると推測できた。
「入り口は何処だろう………」
壁の様に並んだ建物に沿って、のこちゃんは、足下にジャリジャリする荒れ地の感触を覚えながら歩いた。
そう言えばと、あの強力なジャンプを実現させ、その後で着地の衝撃に耐えた自分の足を改めて観察してみる。
腰から太腿にかけては、全体の体毛と同様に、黄金を地に漆黒の縞模様から成っている。
触ると我ながらモフモフしているとあって、この辺りは、まだ虎の感じと納得が行く。
ただ、膝とふくらはぎから足先までは白銀の金属製ブーツの様な形になっているのだが、これがどうも脱げる気がしない。
と言うか、そういう素足として造り直された、そんな気がしてならないのだ。
すでに陽は高く、目が覚めてからかなり時間が経過したので、流石に自分の事を色々と気にする様になったのこちゃんである。
「あの、お姉さん………………この鎧っぽい所って、外せないのかな?」
『ふむ、その白銀鎧は、かつて余が聖ザンバー=リナとして天空の女神様の天啓に従い、戦いへ赴く際に身に着けていた物だ。
天空の女神様より下賜された唯一無二の聖なる神器であり、余の魂と同化し、神獣・大ティハラを討ち封印するまでは、あらゆる悪意からこの身を守り抜いてくれた。
流石にその巨体を全て覆うには至らなかったが、それは君へとしっかり受け継がれた、もう立派な君の身体の一部なのだ………むしろ、外れたらまずいだろう』
白銀鎧についての有用性を滔々と語ったお姉さんの声は、"君の身体の一部なのだ"という部分しか、のこちゃんへ届かなかった。
「うぅ、やっぱりかぁ………」
結果が似た様なものであっても、薄々自分で気がつく事と他人から現実を突きつけられる事は、天と地ほどの差がある。
足の他には、首の下辺りからから同じく白銀の金属製ハイレグ水着の様な形成で鎧本体があり、肘から手首にかけての腕にも籠手の様なカバーが付いているのだ。
これで、"素の身体です"となれば、猫の人を怪人呼ばわりしている場合ではない。
それは、巨大なブーメランになって、そのままのこちゃんへと戻ってくる。
選択の余地がなかったとは言え、せめて鎧は脱着式にして欲しかったなぁと、思わず涙目になるのこちゃんであった。
そんな心のダメージをかみしめながら歩いていると、外環を造っていた建物の並びが途切れ、この建物群の出入り口と思しき場所へと辿り着いた。
これといった門構えがある訳ではない。
ただ、建物と建物の間に出来た小路を通って、建物群の内側へ出入りできるだけの様子だ。
薄暗さも相俟って、どこか、繁華街のビルとビルとが作り出す裏通りを彷彿とさせられる。
「外側をだいぶ歩いたと思うんだけど、こんなのが点在してるだけじゃ、交通に不便じゃないのかなぁ?」
のこちゃんが、一人ギリギリ通れる幅の小路を歩きながら、実際の利便性に対して疑問を呟く。
『周りの荒れぐあいを考えると、日常の生活に於いて、頻々に外出する用事があるとも思えないからな。
通路自体は、必要最低限で構わないのであろう………
で、あるならばだ、闖入者への監視には、うってつけの造りでもあるのだろうよ』
お姉さんの声がそう締めくくったタイミングに合わせるかの様に、それまでこの一本道の何処に隠れていたのか、のこちゃんの行く手を塞ぐ者が現れた。
とは言え、ただそこに自然体で佇んでいるだけで、侵入に対して立ち塞がっている様子はない。
単純に、狭くて、すれ違えないのである。
身の丈は、小柄な猫や狼たちより、のこちゃんのそれに近かった。
獣人で言えばイタチやオコジョの類だろうか、目が大きく、丸みを帯びた灰色の顔には険が無い。
白くて裾が長い、時代劇に登場する"位の高いお坊さん"の法衣の様な物を身に着けている。
「こんにちは旅のお方、こちらへのお運びは、如何なご用向きでしょう?」
なかなか渋い男性の声で急に丁寧な挨拶をされて、こちらも何か言わなくてはと、のこちゃんはあたふたしてしまった。
「あ、こ、こんにちは………えっと、来たと言うか、戻ったと言うか、わたしも本当のところは、どうして良いのか困っていまして、その…」
『君よ、慌てず、ゆっくりと考えをまとめながら話せば良い』
法衣の獣人は、はてと頭を傾げると、何か思い当たる事があったのか胸の辺りでぴたんと両手を合わせて鳴らす。
「ああ、今朝の騒ぎは、貴方でしたか」
どうやら、事の成り行きは、知られているらしい。
「はぁ、まぁ、そうかも知れません…」
のこちゃんが語尾の小さくなる頼りない返事をすると、法衣の獣人は、外には何もなかったでしょうと苦笑した。
「成る程、成る程、今朝は混乱していたものの、こちらへご自身の意志で戻られたという認識で間違いありませんね?」
「は、はい」
「賢明なご判断をされたと思います。
その判断力を以て、本来ならば、このままこちらへお迎え入れる事に吝かではないのですが………
貴方をここへお連れした者が、どうしても自身の目で貴方のお力を見たいと、ずっと待ち構えおります」
「えっ」
誘拐犯ではなかったにせよ、のこちゃんをお持ち帰りした者は、確かに存在していたらしい。
「素知らぬ顔でお迎えしましても、何れむこうから掴まえに来ると思いますので、後々面倒の無い様に先ずはご案内を致します」
どうぞこちらへと、のこちゃんを促しながら、法衣の獣人は踵を返した。
「うう、はい」
『ふむ、これは…』
意識のない自分をさらった相手が待ち構えているという、理由が理由である。
何か嫌な予感で尻込みしつつも、仕方なくのこちゃんが獣人の後へ続こうとすると、注意を喚起する様にお姉さんの声は話し始める。
『目の前の姿は、恐らく術的な幻影の類だな………周りの様子から、何か、君も感じないか?』
突然、何か感じないかと言われましてもと思いながら、のこちゃんは少し視線を上げて、意識を自分の周囲へと拡大してみた。
それに従い、のこちゃんの視野が広がって行く。
狭くて薄暗い小路に、前を歩く法衣の獣人の後ろ姿があり、それなりの高さの建物に挟まれた上の隙間からは、申し訳程度の空が覗いている。
しかし、その他にこれといって特筆するべきものは無いかなと結論を出しかけた時、空から陽炎の様な細い揺らめきの連続がある事に気がついた。
ハッキリとした線ではないものの、何か微かな流れが出来ている。
その揺らめきを辿り、視線を空から下へ戻せば、足を止めてこちらを振り返る法衣の獣人と目が合った。
「ご慧眼です」
法衣の獣人は、それだけ言うと、再び前を向いて歩き出す。
「?」
『ふむ、君が捉えたのは、今ここに幻影を成しているあやつの、方術の力の道筋であろう。
その感覚を憶えておけば、似た様な状況下で、攻撃や罠といった悪意からその身を守る事に役立つはずだ』
お姉さんの声に解説されて、おおそうなのかと素朴にのこちゃんが感心しながら歩いていると、間もなく小路は広場へと繋がった。
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そこは、サッカーグラウンドくらいのちょっとした面積があり、建物の陰から解放された空と、石材の敷き詰められた凹凸のない地面が広がっていた。
視界が開けた事で、建物群の中心に聳えている半球も、間近にあって大迫力である。
昼の光に照らされて、青黒い御影石なのか重金属なのかよく分からない材質感の巨大な半球の表面に、びっしりと刻まれている幾何学模様もよく見てとれた。
「………………ラスボスいるやつだな、これ」
それが、改めて半球を眺めた、のこちゃんの感想である。
何なら、脳内では、チャムケアシリーズに登場する歴代敵組織のBGMからどれが似合うかの選定も始まっている。
個人的には、シリーズ5作目に当たる『OK!チャムケア4フォーファラウェイ!』に登場した敵の本拠地、"暗黒の大図書館"のテーマだななどと軽い現実逃避も試みていた。
「なかなかの景観なのですが、今は先を急ぎましょう」
一見、半球の巨大さに圧倒されている様にぼけっと突っ立っていたのこちゃんを、法衣の獣人は申し訳なさそうに再び促す。
まさか、女児向けアニメのBGMを脳内で鳴らしていたとは、誰にも想像できないので仕方ないのだが。
「あっ、はい」
自分のマイペースさに苦笑いしながら、のこちゃんは、案内に従って歩き出そうとした。
『君、そのまま止まっていろ』
不意に、お姉さんの声から制動をかけられる。
のこちゃんが戸惑いながらも出しかけた足を戻すと、間髪入れず、のこちゃんの前にあった地面の敷石が砕け散った。
「!?」
ビックリして声が出なかったものの、何が起きたのか周りの様子を窺うと、前にいる法衣の獣人が横を向いて目を細めている事に気が付いた。
その視線の先を追ってみれば、そこには、のこちゃんよりもかなり体の大きな獣人が長い紐をしならせて振り回している。
ただの円運動ではない。
右へ左へと、まるで紐自体が生き物の様に不規則な動きをしつつも、高速で回転させているのだ。
よく見ると、大勢で警備をしていた狼の獣人たちに似た容姿であり、どうやら同じ種族という事らしい。
ただ大きさが倍以上あるので、体格差に関しては、人間と同じ様に個性によるのかも知れない。
格好は、鎧の類を身に着けておらず、岩の様な筋肉質の両肩から太いサスペンダーらしきベルトでダボついたズボンを吊っているだけだ。
はだけた上半身から灰色の体毛を逆立てており、その巨体を更に大きく見せている。
ぐるるるとうなり声を上げながら振り回している紐は、見る間に勢いを増して行き、大きなプロペラの様な凄まじい風切り音を響かせていた。
『ふむ、丈夫な紐の先に錘を付けて、変幻自在に殴打する武器にしているのか………芸としては、興味深いがな』
それって流星錘ってやつかなと、のこちゃんは、以前きょう姉さんが見ていた武侠映画だかカンフー映画に、その使い手が登場していた事を思い出す。
「………タレン殿、この様なマネは、あまり感心しませんね」
「こいつぁ、売られたケンカだ!案内役の影は口を出すんじゃねぇ!!」
法衣の獣人からタレンと呼ばれた狼の獣人は、そう啖呵を切ると、のこちゃんを睨みつけながら振り回す紐の勢いを上げた。
すると、風切り音が甲高く変化し、先端にある錘の軌道には炎が走り始める。
さながら、宙を縦横無尽にうねる、炎の蛇と言ったところか。
「うわ、すごいな」
『ふむ、君は、アレにケンカを売ったのか?』
他人事の様な感想を呟くのこちゃんへ、お姉さんの声が素朴に尋ねた。
「えっ、う~ん………もしかして、ここを飛び出した時の事なんですかねぇ」
咄嗟に衝突を避けたので、警備をしていた狼獣人たちには被害が及んでいないはずと、困惑するのこちゃんである。
騒ぎを聞きつけて、のこちゃんたちと狼の獣人タレンの周りには、多種多様な獣人たちが集まり始めていた。
広場を見渡してみれば、三々五々に散らばってはいるものの、鎧を身に着けた兵士らしき者たちがそこそこおり、他の獣人を合わせてかなりの大人数が元からいた模様だ。
「はて、どうしたものでしょうか………」
タレンから影と呼ばれた法衣の獣人は、のこちゃんとタレンを交互に見やり、このまま立ち去る事が難しくなったと困っている。
まぁ、謂われのない因縁をつけられている、のこちゃん自身が一番困っているのであるが。
「よぉっ虎ヤロウが、この俺に向かって牙を剥きやがって、覚悟はできてんだろうな!」
タレンの双眸に、炎の色が反射してちらつく。
一方的な言いがかりに加え、百歩譲って虎の要素は仕方ないにしても、こんな女子を捕まえてヤロウ呼ばわりに納得がいかないのこちゃんである。
「な…」
『察するに、君は、また人間感覚で笑ったのか?』
しかし、何か言い返そうとしたのこちゃんへ冷や水をかけるお姉さんの声には、少し呆れた様な響きが含まれていた。
「ああっ!」
人間感覚を誹られる筋合いは無いものの、言われてみれば、自嘲する感じで苦笑した事を思い出す。
その勢いで、つい大きな声を出してしまったのこちゃんのそれに対して、タレンは、戦いの肯定と受け取った。
「いい度胸だっ」
タレンもまた、獰猛な牙を剥き、笑ったのであろうか。
うねりから一転、炎の蛇は、のこちゃんに向けて奔る。
炎が閃くと、何かしらが頬を掠めた衝撃があり、空を切り裂く様な甲高い音が過ぎ去った。
「?!」
気が付けば、炎の蛇は、再びタレンの周りでうねっていた。
のこちゃんには、一連の動きが、全く分からなかった。
周りで見物していた獣人たちからも、そちらこちらで感嘆の声が漏れる。
「へっ、今のくらいで反応できねぇのかよ」
タレンがのこちゃんを嘲りながら、炎の蛇の速度を更に上げて行く。
あ、これヤバイやつかも…とか、今更な事を思っているのこちゃんに、お姉さんの声が語りかける。
『ふむ、先ほどの感覚を憶えているか?』
「え?何処ほどですかね」
『あちらの影とやらが方術に使っている力の道筋を、君が捉えた時の事だよ』
のこちゃんは、法衣の獣人をチラリと見やった。
『あの要領で、タレンとやらの芸も同様に掴めよう』
「それって、どういう…」
『良いから、同じ様に周りを感じてみよ』
あの魔法みたいなのとは違う気がするものの、どうせお姉さんには説得されるんだろうからと、意識を自分の周囲へと拡大して視野を広げてみる。
ほら、やっぱり、特にこれといったモノは感じな………
「あれ?、揺らめきの細いやつがあるな」
『そら、それに沿って、何か飛んで来るのではないか?』
のこちゃんは、自分の左肩辺りへと続く揺らめきの流れから外れる様に、体を動かしてみた。
それと同時に、炎の蛇らしき閃きが横を通り過ぎて行く。
「何んだ?!」
タレンが素っ頓狂な声を上げる。
「おお…」
『そういう事だ』
確かに、炎の蛇は、のこちゃん自身によって躱されたのだ。
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タレンからまぐれだとか手元が狂ったなどの独り言と共に繰り出される炎の蛇は、その後、のこちゃんを捕らえる事が遂に出来なかった。
それはそうだろう。
ここに来ると予め示されている攻撃へわざわざ当たりに行く理由が、のこちゃんには無い。
中にはフェイントと思しき揺らめきの流れもあったのだが、うっすらと心許なく、本命の流れと明らかに違うので容易に判別もできた。
そうなってしまえば、もはや、アミューズメント施設にある大型筐体のダンスゲーと変わらない。
ひたすら、疲れない様にを心がけて、着実に避けるステップを踏み続けるのみである。
『ただし、注意しなければならないのは、達人の域にある者の場合、虚実の流れさえも自在に操れるという事だろう。
君が捉えたその揺らめきの流れは、相手から放たれる意志そのものと言って良い………つまり、方術であろうと、直接の攻撃であろうと、そこに差異はない。
なれば、実と見せて虚、虚と見せて実、この基本的な攻めの術も意志の段階で織り込まれ得るという訳だ』
もう、お姉さんの声が何を言っているのか分からない状態にすっかり慣れてしまったのこちゃんは、取り敢えず乗り切れた感じに安堵していた。
肩で息をするタレンは、すでに紐を地面に垂らして、回転させるのを止めてしまっている。
ただ、ひたすらのこちゃんを睨むばかりであったのだが、吐き出す息の合間にポツリと言葉をこぼす。
「………………何で、反撃してこねぇ」
このまま有耶無耶の内に事が収まる展開を期待していて、不意を突かれたのこちゃんは、慌てて返事をした。
「え、あいや、ご、誤解があったって言うか、そもそもケンカする気は無いって言うか、その…」
『ふむ、その咄嗟に考えないで話すクセも直すべきだろうな』
すかさず、お姉さんの声に酷評されるのこちゃんである。
「俺とは、まともにやり合う価値がねぇって事か?」
タレンが落胆した様に続けると、周りの獣人たちからも不満の声と、不穏な空気が漂い始めた。
「ですから誤解が…」
「この決闘には合意があったろうがよ………誤解もクソもねぇんだよ………ここまで力を見せつけておいて、全く手を出さねぇなんてよ………
この上ねぇ侮辱しやがって、ふざけんじゃねぇぞてめぇ、ぜってぇ許さねぇからな………」
ゼエゼエと苦しい息と共に絞り出されるタレンの言葉に、他の獣人たちも同調する。
どうやら、獣人の感覚としては、タレンの言う事が正しいらしい。
「そんな事、言われても…」
ただでさえ自分より体の大きな獣人に凄まれて、のこちゃんは本当にどうして良いのか分からず、呆然として立ち尽くす。
「お二方、ここまでにしておきましょう」
その空気を変えるためなのだろう、法衣の獣人は、のこちゃんとタレンの間にゆっくりと歩みでた。
「案内役の影が口を出すんじゃねぇ………」
しかし、タレンはそちらへ一瞥もくれずに前と同じ事を繰り返しただけで、場の雰囲気も悪いままで動く様子がない。
「元はと言えば、一方的にタレン殿が手を出したのですから…」
「だったら、こうしょうぜ?」
それでも、法衣の獣人が何とかこの場を収めるべく説得を試み始めた所、のこちゃんたちを取り囲む獣人たちの外側から、のんきな声で話しかける者がいた。
それは、タレンほどではないものの、やはりのこちゃんよりも体格が上の獣人である。
その存在に気が付いた周りの獣人たちは、一斉に左右へと分かれて、その者のために道を作る。
ゆっくりと近づくその者に向き直った法衣の獣人は、一礼をした後に、少し呆れた口調で話しかけた。
「ああ、やはりいらしてしまいましたか、白獅子の御大将」
「御大将はやめてくれ…いつも、じっさんで良いと言ってるだろ?
そこの虎は、俺が拾ってきたヤツだから、何か粗相があれば俺の責任って事になるからな。
この俺が、改めてその虎と決闘して、ここの流儀を教えるのが筋だと思うんだが、どうだよタレン」
その者は、歴戦の疵痕が刻まれた白い獅子の顔を持つ獣人の戦士であり、のこちゃんをこの地へと連れてきた張本人であった。
獣人たちにとって一目も二目も置かれた存在であるらしく、タレンはもちろん、周りからも異を唱える者はいない。
「あ、あんたがそうしてくれんなら、そいつを許すつもりはねぇが、この場は引いてやるよ………」
「じゃあそれで…って訳だから、お前も良いな、虎の?」
状況の急転はそれとして、本名である"虎の子"を言い当てられそうになり、一瞬ドキッとしたのこちゃんであった。
続きます。