03 のこちゃん、いろいろとビックリする
『おい君、そろそろ目を覚ませ、おい君、おいっ』
夢に出てきた凛々しいお姉さんの声に促されて、のこちゃんの意識は急速に浮上する。
ゆっくり目を開くと、まだ夜が明けてすぐくらいの時間帯なのだろう、窓からの光が乏しいのか部屋の中は薄暗い。
ぼんやりとしたまま、断片的に思い出される情景には、酷い夢だったなと半笑いで流そうとするのこちゃんである。
『いや、残念ながら夢ではないよ?』
ハッキリと聞こえるお姉さんの声に、ありゃまだ目が覚めていなかったか、こういうのを明晰夢って言うんだっけと続けて流そうした所で、のこちゃんは、自分が見知らぬ場所で横たわっている事に気がついた。
「………………え、何処ここ?」
『ようやく意識が戻ったか』
「お、お姉さん?!何で……」
『それは後にして、先ず己の置かれた状況を確認した方が良い』
「ええぇぇ………………」
でもまぁ確かにそれもそうだよなぁと、のこちゃんは取り敢えずお姉さんの声について深く考えない事にして、仰向けに寝ていた自分の体を身じろぎさせると、掌で床に触れてみる。
硬い石で作られている、ひんやりとした平らな床だった。
後頭部に、背中に、腰に、足に、それぞれの感触にも齟齬は無い。
意識がしっかりすると、薄暗かったはずの自分がいる場所について、まるで昼間になったかの如く周りが見て取れる様になった。
横になったのこちゃんの頭と足から壁までには、そんなにスペースが空いていない模様だった。
左右に腕を伸ばすと、やはりすぐ壁についてしまう。
天井に意識を向けると、内側に取っ手の無い、頑丈そうな四角い金属製の蓋になっている。
それもかなり低い位置にあるため、なかなかの窮屈さだ。
どうやらそこは、石作りの床と壁に囲まれた、部屋と言うよりも牢屋の類らしい。
「う~ん、閉じこめられてるのかな、コレ………………あ、これも結界ってやつか?」
『いや、単純に何者かが君を閉じこめたんだろうよ』
「誘拐!」
のこちゃんは、慌てて身を起こした。
急に起き上がった所為なのか足がふらつくが、それでもなんとか中腰の姿勢になると、のこちゃんは天井へ手をかける。
知らずに立ち上がったら思い切り頭を打ちそうな低さだったものの、逆に言えば、十分に力を込めて持ち上げられる位置ではあった。
押した所でビクともしない重さを想像していたのだが、実際に力を込めてみると、思いがけずパカンと乾いた音と共に蓋はくるくると宙に舞う。
何かプルトップ缶詰の蓋を開けたみたいな音だなぁと変な感想を覚えながら、のこちゃんは、降ってきたその蓋を軽々とキャッチした。
見た目は金属製でも、発泡スチロールの様な軽くてヤワな板である。
考えてみれば、そりゃあ犯人だって自分でも動かし辛い物はあまり使いたくないよねと、まぁ納得がいく話だ。
恐らく、所詮は中2女子だから気がついた所でビビって動けないだろうと、のこちゃんをなめていたに違いない。
「ふっ、油断したな、誘拐犯め」
チャムケアの気高き魂を受け継ぐのこちゃんには、悪者の思い通りに乗っかってやるつもりなど、これっぽっちも無いのだ。
『君も、相手をなめない様にな。
先も言ったが、状況を確認して、常に周りを警戒するのだ』
「そ、そうか………」
すかさず、お姉さんの声に窘められて、のこちゃんは気を引き締めた。
もうただの四角い穴と化した天井からそっと顔をのぞかせ、目を凝らし、耳を澄ませて、のこちゃんは慎重に辺りの様子を探った。
穴の外はどうやら屋外らしく、中と同様に石作りの床が地面を覆い、そこを掘り下げる形でのこの部屋という造りになっているらしい。
四方には柱が立っていて、東屋の様な簡易的な屋根が設置されている。
まだ暗い時間帯になっていないのだが、幸いにして他人の気配は無い。
のこちゃんは、音を立てない様に蓋をそっと穴の横へ置くと、壁の縁からよじ登って外に出た。
「………ふう」
立ち上がって周りを見渡すと、床に同じ板が2つ3つ等間隔に並んでいる。
恐らく、その下は、のこちゃんが横たわっていた場所と同じ状態なのだろう。
『ほう、結界というのも、あながち間違いではなかったな』
「え?」
『金属製にせよ、施錠の類が仕掛けられていないから妙だとは思ったのだが、上から軽い封印が施術されている』
あれ、重しでも乗っかっていたのかなと床を見まわしたものの、のこちゃんにそれらしい物は見つけられなかった。
『………これは、施した術師に気づかれたな』
「ちょっと、何を言ってるのか…」
『恐らく、君を閉じこめた何者かが、すぐにここへ来るという事だ』
「え!?は、早く逃げないと!!」
例えチャムケアの魂を受け継いでいても、のこちゃん自身は非力な己の分をわきまえているので、平気で人をさらう様な犯人と直接対峙など言語道断である。
力で及ばない以上、こちらの利は、小柄で地味な目立たないルックスと、それ故犯人に気付かれないまま逃げ果せる可能性に他ならない。
のこちゃんは、急いで屋根を支える柱の一本に身を寄せると、速やかなる逃走の算段へと態度を改めた。
わたし、帰ったら新しいチャムケアの録画を見るんだ的な思いも強く、旗は立ちっぱなしであるのだが。
『いや、そこまで慌てなくても………もしかして、君は、現在の自分を解っていないのか?』
「あんにょお~、お願いがあるんですけどぉ~」
のこちゃんがお姉さんの声に訝しがられていると、いつの間にかその場にいた、のこちゃんからしてもだいぶ小柄なその者がおずおずと声をかけてきた。
カナハちゃんと同じくらいの背丈と見えて子供なのかと思ったものの、声質的には成人女性のものである。
しゃべり方に険が無く可愛い感じでもあったため、一瞬ハッとしただけで、のこちゃんに警戒心は起こらなかった。
「何でしょう………………えっ?!」
しかし、のこちゃんが返事をしようとしてその者をよく見てみると、そこには人の姿でありながら表情を見て取れる生きた猫の顔を持った、明らかに人間と異なる存在が立っていたのだ。
ザックリと言ってしまえば、猫系の獣人である。
「あにょですねぇ、わたし、ここにょ封印管理を任されているんですけどぉ~、簡単に脱出されちゃうと立場上困るんですぅ。
にゃので、ここは、おとにゃしく……」
ただ、ファンタジーにそれほど詳しくないという事もあり、のこちゃんには、獣人と云う観念に乏しかった。
しかも、チャムケアと出会う過程で叔母のきょう姉さんには特撮ヒーロー作品を沢山お薦めされており、脅威として描かれる敵性キャラクターへの造詣が深い。
なので、自然と口から出た言葉は………………
「か、怪人だ!」
何か説明をしようとしていた猫系獣人の女性は、目を瞠ると絶句し、やがてわなわなとふるえ始めた。
『ふむ、いくら敵かも知れない相手とは言え、いきなり罵倒するのは不躾ではないか?
場合によっては、要らぬ争いを招く事になるぞ』
確かに、特撮ヒーロー作品の前提があろうと無かろうと、突然初対面の者へ対しての怪人呼ばわりは、普通に悪口である。
お姉さんの声に指摘されて、のこちゃんは、己の失態を自覚した。
「ああ、ごめ……」
「あにょっ、あにょっ、ここにょ警備担当は狼系にょ連中でぇ、融通が利かなくて見つかると厄介でぇ、じっさんがあにゃたを拾ってきて頼まれたから、すぐ戻ったらごまかせるから、あたし、せっかく、それにゃのに面と向かって怪人とか、ひ、酷くにゃいですかぁ………」
氏素性の知れないあにゃたの方がよっぽど怪しいじゃにゃいでぇすかぁと、涙声でまくしたてたかと思うと、そのまましくしく泣き始めてしまった。
「ごめんなさい………………」
あちゃあ~と思いつつも、のこちゃんにとっては相手が謎の存在であるが故にどう対処して良いのか解らず戸惑っていると、にわかに周りが騒がしくなってきた。
どうやら、監禁場所からのこちゃんが脱出した事を、何某かのセキュリティー装置で感知されてしまったのだろう。
件の警備担当の者たちが、押っ取り刀でここへ駆けつけてくる模様である。
これはまずいと、のこちゃんがそちらへ気を取られている内に、いつの間にか猫系獣人はその場から姿を消していた。
「あれ?あの人?……は?」
『猫の獣人なら、泣きながら、さっき君が出てきた所へ入っていったぞ。
先ほどの話しからして、その警備の連中とやらに、姿を見られるのはまずいのだろうよ』
「あー、獣人って言うのか」
そう言えば、昭和のフルヘルムナイトシリーズには怪人を獣人と呼んでいるタイトルがあったなぁなどと思い出しながら、のこちゃんが穴の部屋を確認してみると、しっかり蓋も閉まっていた。
『ふふ、内側から封印を施術し直した様だ』
「やらかしちゃったなぁ………まぁ、それはそれとして、わたしも逃げなきゃな」
喫緊の事態となれば四の五の考えている場合ではないと、どやどや迫ってくる気配の反対側へ、のこちゃんも走り出そうとした。
しかし、お姉さんの声がそれを制する。
『いや、この際、君は自分の事を理解した方が良いから、敢えて、ここで迎え撃ってみるのだ』
「はははは」
『なに、自分たちのねぐらの中をわざわざ警備担当する程度ならば、恐らくは、若輩に経験をつませる配置であろうよ。
軽くなでてやるくらいの気持ちで、十分、対処可能だろう』
「ははは…」
『ただし、少し成り行きを見たいから、殺さぬ様に気を付けてな』
「こっちが殺されるわっ」
お姉さんの声が急に無理難題を要求してきた事を笑って流そうとしたものの、しれっと話を続けてくるので、耐えきれずに思わずツッコミを入れてしまったのこちゃんである。
「誘拐犯かと思ったら、獣人なんて出てくるし、訳の分からない相手なんですよ!
まぁ、誘拐犯でも勝ち目はないんですけど、どっちにしろただの中二女子に無茶振りが過ぎます!
やっぱり、こんなの気にしないのは無理なんで、お姉さんとわたしがどうなっているのか教えてください!」
『ふむ、しかし、そんな暇は無いのではないか?』
気がつくと、今度は狼顔の獣人たちが、のこちゃんをぐるりと取り囲む様に迫りつつあった。
口からうなり声を上げ、簡素な鎧を身に纏ったその手には、それぞれ短い槍の様な武器を持っている。
気づかれない内にどこかの物陰に滑り込んでやり過ごそうとしたのだが、のこちゃんの逃亡計画は、どう見ても無理な状況へと推移していた。
「詰んだぁ………………」
お姉さんの声に抗議していないで、とっとと行動すれば良かったと後悔しても、それは後の祭りである。
のこちゃんがもたついている内に、狼系獣人たちの包囲は完成し、360度から短い槍を構えられてしまった。
後は、一斉に飛びかかられて、終わりだろう。
「くっ………………」
ぐるるるとうなり声が、全方位からのこちゃんを包み込む。
「うぅ………………」
ぐるるるとうなり声が、全方位からのこちゃんを包み込む。
「………………」
ぐるるると………
「………あれ?全然、襲ってこないね」
のこちゃんを取り囲んでから、狼系獣人たちは一定の距離を置いて、誰も近づこうとしなかった。
ただただ、その立ち位置から威嚇するのみである。
『つかぬ事を訊くが、狼の獣人たちを見て、何か気がつかないか?』
「え?………何ってもなぁ………」
ただ、そう言われてみれば、先ほどの猫系獣人とまではいかないにせよ、小柄な気がしたのこちゃんである。
「思ったより、体格が小さいとか?」
『ふむ、ならば手近な相手に、少し近づいてみろ』
「だから、無茶言わないでください、刺されちゃうでしょう!」
『心配せずとも、そもそも警備というのは、先ず相手を斃す事を目的としていないのだ。
侵入者を取り押さえてから、どこから忍び込んだのか、何が目的だったのかを詮議しなければならないからな。
槍も、君がこじ開けた蓋と同様に、殺傷能力が低い見せかけだけの棒にすぎんよ』
何なら近づいて取り上げてみれば分かると、お姉さんの声は、淡々と説明する。
「でも、多勢に無勢って状況じゃないですか…」
『では、何故、あ奴らが遠巻きにしたまま動かないのだと思う?
君が気づいた通り、小さな体格に比例してあまり強くないからこそ、自分たちのねぐらの中を警備する役目に、しかも大勢で就かされているのだろう。
一対一で見れば、決して無勢とはならんだろう』
「…だったら、ただ真ん中にいるより、一人を狙えば突破口に出来るかも知れないって事か」
『解っているじゃないか。
このまま座して待てば、むざむざあちらに時間を与えて、何か別の手段を用意さるかも知れないという事でもある。
ならば、やってみる価値はあると思うのだが?』
冷静なお姉さんの"可能な限り素早く近づいてしまえば何とかなりそう"という話しに説得力を覚えたのこちゃんは、この状況を打開すべくやる気になった。
もちろん、帰りたい一心の冷静じゃないのこちゃんがお姉さんの口車に乗せられた形なのだが、冷静じゃないので気付く故もないのである。
のこちゃんは、前方に位置する適当な相手へ迫ろうと、瞬発力を意識しながら身構える。
それを察知したのか分からないものの、包囲する狼系獣人の中の一人が、慌ててのこちゃんへ呼びかけてきた。
「お、おとなしく縛につけば、こちらも手荒なまねをしないと約束する。
食事も用意しよう。話も聞こう。
どうだ、これだけの数を相手にするのはそちらも面倒だろうし、悪い条件ではないはずだっ」
あれ、確かに悪くない話しだなと、のこちゃんは、その申し出にも一考の価値を覚える。
『ふむ、見え透いた交渉は、戦力としての決定力が乏しい時の常套手段であろうからな。
圧倒的に優勢でありながら、自ら馬脚を現したとなれば、行けるぞ、君。
恐らく、あの呼びかけをした者がこ奴らの頭であろうから、狙い目としは申し分ないだろうよ』
すかさず煽るお姉さんの声に、それもそうかと迫る目標を変更すると、のこちゃんは再び全身に力を溜めた。
「おい、話を聞け!おいっ」
『ほう…』
のこちゃんとしては、この場を凌げれば何でも良いのだが、訳の分からない大勢の手へ落ちないに越した事も無いのである。
あの短い槍はもちろん、狼顔なので噛まれたりするのも怖いとは言え、脱出の可能性の方がかなり魅力的だった。
だから、全力で突っ切ろうと結論するのは、無理からぬ事でもあった。
「とにかく、ダッシュしてみるよ」
のこちゃんが、溜めた力を解放するイメージで、地を蹴る。
先ず驚いたのは、プールの中を歩いた時にまとわりつく、まるで水の様な空気の抵抗だった。
そして、瞬く間に、目標と決めた狼系獣人へと視界が迫って行く。
狼顔の表情は分からないのだが、咄嗟に動けずに、固まっている様子が見て取れる。
のこちゃんは、"この勢いでぶつかると拙いかも"と直感で踏みとどまろうとしたが、一度ついてしまった勢いを制動できずに慌てた。
『上へ逃がせ』
お姉さんの声が聞こえた瞬間、反射的に再び強く地を蹴ったのこちゃんである。
その視界は、ぐんと中空へと羽ばたくが如く、上昇する。
「これって………」
のこちゃんの身体は、己の脚力のみで、天高く舞い上がっていた。
そう、チャムケアシリーズの第1話ではお約束になっている描写であり、力を得た主人公が自分のジャンプ力に驚くというアレである。
「これって!」
ただ、のこちゃんの眼下には、つまり、今まで自分がいたであろう場所には、よく分からない建物群が存在していた。
ドーム球場を彷彿とさせる半球の形をした大きな建物を中心に広がるそれは、ネットを含めた現代の日本で全く見た事のない、異様な建築物の数々である。
本来ならば、ビルや家屋を指標として"わたし、こんなに高く飛び上がれた!"を表現すべき所なので、のこちゃんは少し残念だった。
いやいや、そこじゃないだろうとすぐに思い直し、この建物にしても獣人たちの存在にしても、もしかするとここは地球上じゃないのかも知れないと考え至ったのこちゃんの目に微かな光が差す。
その光源に視線をやれば、彼方に見える山の稜線には、輝く輪郭が浮かび上がっていた。
『………黎明だな』
未だ空高くあるのこちゃんを、見知らぬ大地に昇る太陽が煌々と照らし始める。
「あれ?あんなに明るかったのに、今まで夜だったんだ」
『ふむ、姿だけではなく、夜目が利く特性も受け継いだ様だな……ならば、この陽の下で己の状態をしかと確認しておけ』
また、お姉さんの声が何か言っているよと、半ば呆れているのこちゃんの周りには、新しい煌めきが生まれていた。
「何だこれ………………」
それは、太陽の光を反射して輝きを放つ、自分自身の体であった。
全身には黄金をベースに、漆黒の縞模様から成る体毛が覆い、胴体に白銀の体にピッタリとした鎧の様な物を纏っていた。
両の腕と足にも、白銀の鎧のパーツであろうか、グローブとブーツの様な物をそれぞれ着けている。
素手であるはずの掌には、やはり体毛と………
「肉球ですと――――――――?!」
のこちゃんの絶叫が、夜明けの大空にこだました。
続きます。