03 のこちゃんの夢
長めの休み時間とあって、廊下は、生徒たちの往来で絶え間がない。
廊下と階段を繋げる広めのスペースには、はめ殺しの大きな窓ガラスがぬくぬくとした陽光を取り込んでいて、上下に延びる階段の踊り場までを照らしている。
金属製の柵になっている手すりが窓ガラスをガードする構造で、のこちゃんと宿福は、明るい窓側を背にしながらそこへ寄りかかって話しをしていた。
「私立スタープレーン学園の小学校?……いい学校通ってんだな」
「そうそう、よく見たらブレザーと帽子がお揃いの制服姿だったから訊いたんだけど、地元から一人で初等部へ電車通学してるんだってさ」
私立スタープレーン学園は、小中高一貫の名門校である。
昨日知り合ったチャムケア同志の小学生について、例の如く、宿福に報告がてらおしゃべりしているのこちゃんなのだ。
最近の宿福は、違うクラスであったり部活中心に動いていたりで、間が合わないとその日まったく話せない事もザラであった。
特に今日は、のこちゃんが直面した"奇跡的な同好の士の結集"について語りたかった事もあり、まだ午前中なのだが、教室の移動中にバッタリ会った宿福の顔を見たとたんに話しが止まらなくなってしまったのだ。
宿福も慣れたもので、早口に言いたい事をまくしたてるのこちゃんに付き合う体ではいても、笑顔で相づちをうっている。
予鈴が鳴るまでの束の間とは言え、長閑な時間の流れの中で、楽しげな二人の影が廊下の床にならんでいた。
「それで、好きなチャムケアやタイトルを教え合ってて、スマホの電池がすぐ無くなっちゃうんだよねぇ」
「のこが楽しそうで何よりだよ」
宿福が苦笑しながら、しばらくは強引なチャムケアの勧誘も無くなりそうだと内心で安堵していると、通りかかった女子生徒に声をかけられた。
胸の学年バッヂから、のこちゃんたちよりも上級の3年生である事が分かる。
「あれ、大賀美じゃん」
「うわ、鬼先輩…」
「あ?締められたいのかな、こいつは~」
「いやその、鈴木先輩、ちぇいすっ」
「おっ」
鬼の様な鈴木先輩なのだろうか?
そう訝しみながらも、のこちゃんが見る限りでは、確かに太眉で目が大きく意志が強そうな印象である。
身長も、宿福よりやや高い。
体育会系部活で特有の謎挨拶をしたのだから、恐らくは、宿福が出入りしている何れかの運動部の先輩なのだろう。
引き締まった体型で手足も長く、顔立ちも整っていて、むしろついていきたくなる様な頼もしささえ感じる。
ただ、背中に届く長めストレートの髪は宿福よりもハッキリ茶色めいていて、どこかやさぐれたイメージが否定できない。
もしかすると、そんな辺りが鬼の部分なのかも知れない。
そう踏まえてみれば、何の部活か知らないものの、般若の形相で普段からオラオラと宿福をしごいている様な気がしてきた。
ぼんやりと失礼な事を考えていたのこちゃんであったが、よく見ればその髪には覚えがあり、そこに気付いた瞬間、体験して間もない鮮烈な記憶が目の前の先輩の姿にバッチリと重なった。
「ああっ、ケアビース…」
「!」
顔色を変えた鈴木先輩に、のこちゃんは、素早く顔へ腕を巻き付けられ口をふさがれたまま、風に飛ばされたティッシュペーパーの様な軽やかさで何処かへ連れ去られてしまった。
その一連の動作は、文字通り、電光石火の如し。
女子とは言え、鍛えられた運動部の腕力は侮れないものである。
あまりにも一瞬だったため、何事が起きたのか把握しきれない宿福だけが、呆然とその場に取り残され佇んでいた。
「のこ………え、鈴木先輩、あれ?」
校舎から出た所で、バタンと金属製の扉が閉められる。
のこちゃんが解放されたのは、拉致された場所からさほど離れていない、非常階段の踊り場だった。
少し霞がかっていても空は青く、眠気を誘う様な暖かな春の晴れ間も相俟って、外の風が気持ち良い。
「まさか、あん時のやつが大賀美の友だちだったとは………」
「えへへへ」
冷や汗まじりでひとりごちる様に呟いた鈴木先輩に対して、何か笑うしかないのこちゃんである。
「笑ってるし」
ムッとした鈴木先輩に睨まれても、のこちゃんは怖くなかった。
何故なら、鈴木先輩は、小さな女の子を守るために行動できる義侠心を持った尊敬できる人物なのだ。
それならば、理不尽な暴力をふるう様な不埒者と生きる姿勢が真逆に違いないと、のこちゃんは確信する。
そして何より、チャムケア好きに悪い人はいない。
「先輩は、ケアビースティが好きなんですね!」
脱力したのか、ため息混じりに階段の手すりに寄っかかり、決めつけんなよと再び呟いた鈴木先輩は、のこちゃんを睨むのをやめた。
「ただ、昔見たやつをたまたま憶えてただけだよ。
カッコ良かったからさ……」
「あの回は、一騎打ちの熱いバトルで、ケアビースティがすごかったですよね!
カナハちゃんともレイナーで話したんですけど…あ、先輩が助けたあの女の子です」
「何で、お前たちレイナー登録してんだよ」
ちなみに、"レイナー"とは、スマホで絶大なシェアを誇るチャット用アプリである。
「おかげさまですっかり意気投合しちゃって、即日、チャムケア専用のグループ作っちゃいました。
いつでも、招待しますよ。
カナハちゃんも、先輩にお礼が言いたいみたいですし」
「おかげさまって言うなっ」
"カナハ"は、アプリ上で女の子が自ら設定したニックネームであり、実のところお互いにまだ本名を知らないままだったりする。
勿論、のこちゃんの場合は、"のこ"と設定した。
「のこ?、ああ、大賀美が言ってた、珍しい名前の友だちってお前の事だったのか」
「え?……………」
一瞬、果たしてそうなのかな?と逡巡したのこちゃんなものの、宿福の周りでは、さすがに"虎の子"を越える名前の持ち主に思い当たらない。
自分で"珍しい名前"と開き直ってしまうのもどうなんだろうとは思いつつ。
「……まぁ、そうですかねぇ」
なので、変な間を作りながらも肯定したのこちゃんである。
そんな様子に、鈴木先輩は、妙に優しい表情でそっかと小さく頷いた。
「まぁ、招待はともかく、あの子にはもう気にすんなと言っといてよ」
「それじゃあ………」
「ん、それほど詳しくないしな。悪いね」
チャムケア専用レイナーグループへのお誘いをやんわりと断られて、しかも学校内でチャムケアの話しが出来ると心から期待していたのこちゃんは、どちらも叶わなそうと分かり意気消沈してしまった。
「しかたないですね」
「まぁ、大賀美の友だちでもあった訳だし、これも何かの縁だよな。
もし、名前の事で嫌な思いをしたらジブンに相談してよ。
もし相手がいるなら、カッチリ締めてやるからさ」
急に元気を無くしてしまったのこちゃんに何を思ったか、鈴木先輩は、励ます様な明るい口調で物騒な事を言い始めた。
「し、しめる?」
びっくりしたのこちゃんが目を白黒させていると、鈴木先輩は悪い笑いの顔をしながら、まかせろと力強く頷いて見せた。
「気にしている事、探る様な言い方して悪かったな」
そう言うと、鈴木先輩は、金属製の扉を開いて、またねと手を振りながら一人で校舎の中へ戻って行った。
なるほど、基本的には良い人だけど、ああいう所が"鬼"なんだろうなぁとぼんやり考えながら見送ったのこちゃんである。
――――――――――――――――
「いやいや、違う違うっ」
流石に連れ去られた後の事が気になったのであろう、下校の時間になると帰り支度をしているのこちゃんの許には、宿福と愛茅が合流してきた。
愛茅は、自己申告で単純に野次馬であるとの事。
何やら急いでいた宿福をたまたま見かけて、そのまま一緒についてきたらしい。
加えて、二人の教室からはのこちゃんのいる教室が昇降口への動線上にあるので、集まりやすいと言えば集まりやすいのである。
「え、性格的に厳しい所があるから、鬼の先輩じゃないの?」
のこちゃんが尋ねると、宿福は手の平と首を同時に振りながら、少しセンシティブな話なんだと言う。
「でも、すくねちゃん、思いっきり本人に鬼先輩って言ってた気がするんだけど?」
「いや、あれはその…ごにょごにょ」
宿福は、ばつの悪そうな顔で言葉を濁した。
現場を見ていたので、うっかり口を滑らせたんだろうなぁとは思うのこちゃんなのだが。
「ああ、鬼先輩の話なら、わたしも聞いた事あるよ」
「知っているのか、まなっちゃん!」
「すくねちゃんは、直接の先輩だから言いにくいんだろうね」
恐らくきょう姉さんからの受け売りと思しき小ネタを挟むのこちゃんを流して、愛茅が話しちゃって良いのかね?と目配せをすると、宿福は、まぁしょうがねーなと頷く。
ちなみに、流されてしまったのこちゃんは、小ネタを挟んだ事実を無かった事としたらしく、すました顔をしていた。
「あの先輩は、所謂キラキラネームなんだよ」
「え、鈴木先輩が?」
意外な方向の話だったので、のこちゃんが確認すると、そうだよと愛茅は肯定して続けた。
「"鬼天使"と書いて、キューティーと読ませるそうだね?すくねちゃん」
「まぁね」
話しをパスされた宿福も、それを肯定する。
鈴木先輩改め、鈴木鬼天使さん。
名前に関して他人の事は言えないのこちゃんでさえ、それは確かにキツイかもと唸る。
「小学校へ上がってからイジられ始めて、何度もお母さんに改名をお願いしたらしんだけど、その度に良い名前なのにと泣かれちゃって話しにならないんだってさ。
大人になって、独立してから自分で改名するって、今は諦めてるみたいだよ」
「お父さんは?」
「いないってさ。
亡くなったのか、離婚なのかまでは、聞いてないけどな………」
そう言われてみれば、虎の子についても、妙に寄り添ってくれた事をのこちゃんは思い出す。
「なるほど、それで"締めてやる"なのか」
のこちゃんがポツリと呟いた刺激的な文言に、宿福と愛茅は、驚きつつもここからが本題とばかりに詰め寄った。
「それで、のこが鈴木先輩と消えた後、何があったんだよ?」
「のこちゃん、締められちゃったのかい?」
二人が心配してくれている事が嬉しかったものの、ちょっと自分の名前について話しただけだよと、経緯を端折って説明したのこちゃんである。
先輩の様子を見るにつけ、残念ながらチャムケアには絡めて欲しくない印象だったので、件のケアビースティごと関連情報を伏せる事にしたのだ。
「宿福ちゃんから、あたしの名前の事を聞いたって言ってたよ」
「あっ………悪い、嫌だったか?」
「もう、そんなのはとっくの昔に通りすぎちまってらぁ、気にすんねぇ」
「何で、急にべらんめい調なんだい?」
そんなおどけた様子に、のこちゃんが気遣いな性格である事を知る愛茅は思わず吹き出した。
「まぁ、わたしの場合は、自分でこのままが良いって決めたからね。
本当に、他人がどう思うかなんて、気にならないんだよね……でも、そうだよねぇ………」
悪気無く親の付けた名前が、付けられた本人の現実を生き辛くしているという話を聞いてしまうと、自分のケースは稀なのだと改めて思うのこちゃんである。
ついでに、そう言えばあっちでチャムケアが放送される時は"輝的美天使"と表記されるんだったな等と、余計な豆知識も思い出していたのであるが。
「鈴木先輩は、わたしの個人的な事情まで知らなくて、それでも先ず味方するって言ってくれたんだね」
「のこ……」
例えそれが同類相哀れむの様な気持ちから出された申し出だったとしても、カナハちゃんの件でも分かる通り、そこには鈴木先輩の純粋な善意がある。
ならば、のこちゃんは、それに応えなければならない。
何より、締める云々については自分が変な申告さえしなければ大丈夫だろうし、行いの良い鈴木先輩に悪者ムーブをさせてはならないと思うのこちゃんであった。
もらった善意をちゃんと相手にお返しする事は、のこちゃんが愛するチャムケアのシリーズ中にて幾度となく推奨されてきた、正義の基本姿勢とも言える。
謂わば、のこちゃんのチャムケア活動なのだ。
ちょっとだけお父さんにも似たような事を言われた気がするものの、チャムケアの前では大凡が些事である。
そもそも、本質が間違ってさえいなければ、そこへ至る理由など好きなもので良いのだ。
とは言え、鈴木先輩に自分がどうするべきなのか、具体的な案は無い。
なので、直接の後輩である宿福と、なかなかの読書好きで知恵者の愛茅がせっかく目の前に集まっているとなれば、のこちゃんは素直に二人へ相談してみた。
「いい先輩だよ?
でも、あたしも分んねぇなぁ……そもそも、名前の事は知ってるけど、そばにいて気にした事無いしさ」
それだろうねと、愛茅は、宿福の言葉を受けて続ける。
「本来は、名前なんて近くにいる本人の前でそれほど影響力も無い筈なんだよ。
他人が大勢の中から誰か一人を特定するのなら兎も角、仲間どうしで呼びかける場合だと、"ねえ"で済んでしまうからね。
だから、そんな事を気にしない人たちに囲まれている状態が、鈴木先輩としては最良なんじゃないかな?」
のこちゃんは、ふむむと二人の言葉を柱にして考える。
「それって、例えば、あたしたちで先輩を遊びに誘えって事?
………だけど、レイナーのチャムケア専用のグループには、招待断られちゃったんだよねぇ」
「そりゃ、そうだろう」
「それは、仕方ないね」
間髪入れず宿福と愛茅に納得されてしまい、釈然としないのこちゃんである。
「むう」
勿論、それでもケアビースティの話しは出来ないのだが。
「まぁ、提案したわたしとしては、今度の山の方へ遊びに行く話しでもかまわないと思うよ?」
相変わらずぶれないのこちゃんの姿勢に苦笑いさせられながら、手っ取り早い機会として、件の計画を使ってみれば良いと愛茅は言う。
その修正案には、宿福も"アリ"とすぐに頷いた。
勿論、のこちゃんも、それはかまわないのであるが………
「勝手に鈴木先輩を誘ったら、陽菜ちゃんは、嫌がらないかなぁ。
人見知りな所あるし、しかも三年生が相手だからね」
この場にいない陽菜を抜きに、決めてしまって良い話ではない。
少し強引に参加を促された陽菜ではあるものの、その後、筋金入りのインドア派である自分が急に山の方へ行ったらまずい気がすると、毎朝早起きして散歩を始めたり、それなりに乗り気になっていたのだ。
「うすは、接点無いだろうから、まぁ、そうなるかもな」
「いや、ひなちゃんは、のこちゃんがそうしたいと言うなら大丈夫だと思うよ。
理由が理由だからね」
「しっ………そ、そうなの?」
本当に何か知っていそうな愛茅に、先程流されてしまった小ネタを再び言いそうになって、何とか思いとどまるのこちゃんだった。
「だったら、休みの予定くらいは、訊いてみても良いのか」
「のこ、鈴木先輩には、あたしが話をつけてやろうか?」
宿福の申し出に、今度は、のこちゃんがいやいやと首を振る。
「ここで、わたしがやらなきゃ、乙女の名折れだよ!」
「………………」
「………………」
言いたい事は何となく分かったものの、宿福と愛茅は、恐らくチャムケアシリーズからの引用なんだろうなぁと察して、生暖かいまなざしでのこちゃんを見守る。
見守られている当人は、ケアメルティの決めゼリフを絶妙なポイントでとっさに言えたため、ご満悦の顔をしていた。
ちなみにケアメルティとは、『スカウトチャムケア♯』に登場する、勝ち気な主人公チャムケアである。
ピンク主体で全身フリルの可愛いデザインなものの、より激しいフィジカルバトルが作品の特徴であり、放送当時は"描いているアニメーターが、その作業量で死ぬのでは?と噂された"らしい。
それまで可愛さにばかり目を奪われていたのこちゃんは、本だったかどこかのサイトだったかでその解説を読み、そんな作品の見方もあるのか!と驚きを覚えたという印象深いチャムケアなのだ。
――――――――――――――――
翌日、本格的に連休が始まる直前とあり、さりとて鈴木先輩の部活が終わるまで待つのもなんなので、のこちゃんは午前中の休み時間に3年生のフロアを訪ねた。
ただ、よく考えてみたら遊ぶ予定の日が連休に入ってすぐとあって、こんな急にお誘いをしたら鈴木先輩の迷惑にならないだろうかと思い至ったのこちゃんである。
その辺り、宿福にはタブンダイジョブナンジャネ?とか軽く言われてしまったのだが、実際にお話しする段となって少し不安が拭えない。
これまでの鈴木先輩のイメージ的には、予定さえ合えばフットワーク軽く、一緒に遊んでくれそうな気もするのだが………
予め訊いてあった3年生の教室をのこちゃんが恐る恐る覗くと、たまたま、そしてバッチリ鈴木先輩と目が合ってしまい、早速誰か締めるのか?と意気揚々に出迎えてくれた。
「ち、違いますからっ」
慌てて、のこちゃんは、突然ここを訪ねてきた事のあらましを説明する。
「………ああ、うん、その日なら良いよ」
予想に反して、健全なお誘いだったからか一瞬虚を突かれた様な顔をしたものの、すぐに快諾してくれた鈴木先輩である。
「急なんで、ちょっと迷惑かな?とも思ったんですけど、良かったです!」
本当にイメージ通りだったので、のこちゃんも嬉しくなって、つい思っていた事を言ってしまう。
「締める方のヤツも遠慮なく言えよ?」
「あ、いや、それは………」
そういえば、先に言っておかないといけない事があったと、のこちゃんは思い出した。
「あっ、あの、わたしと宿福ちゃんの他に、友だちがもう二人一緒に行くんですけど…」
「ん?そういうのジブンは気んなんないからさ、大賀美とそっちにも話ついてんだろ?」
「はい。
それで、宿福ちゃんはもちろんなんですけど………みんな"チャムケアの話はしません"から、安心してください!」
「お?、おう」
昨夜、のこちゃんが鈴木先輩を誘うに当たり、お話しする内容をあれやこれや模索していた時である。
先ほどの"急に誘ったら迷惑かも知れない可能性"と同時に、もしかしてケアビースティとキューティーは、鈴木先輩的に語感が似ているのかも知れない!と考え至ったのだ。
ならば、カッコ良い思い出と言いつつ忌避する理由も腑に落ちる上、のこちゃんが想像する以上にチャムケアについては慎重に扱わねばならず、むしろ話題になる可能性を先に排除する事で鈴木先輩が楽しく参加しやすくなるのではないか?
のこちゃん自身にとってみれば返す返すも残念な決断なのだが、のこちゃんのお誘いに快諾してくれた鈴木先輩への誠意として、それは必要な宣言でもあったのだ。
「あー、剣持だったっけ………何で、そんな辛そうにしてんだよ」
真剣な顔をして何を言い出すのかと思えばコレだったので、若干呆れ気味な鈴木先輩である。
「お気遣い、ありがとうございます……でも、わたしは大丈夫ですから!」
そう、例え友人たちと楽しくチャムケアの話が出来ずとも、のこちゃんの魂は、常にチャムケアと共にあるのだ。
何も恐れる事はない。
それはそれとして、後でカナハちゃんにレイナーでメッセージを送ろうとか思いながら、心の均衡を図るのこちゃんであった。
休み時間も終わりつつあり、あらためて宿福の方からも詳しい説明がある旨だけ伝えて去ろうとしたのこちゃんを、鈴木先輩は呼び止めた。
「なぁ、剣持さ」
「え…あ、はい?」
「何か、そっちこそ変な気つかってるみたいだけど、あれだ……ジブンがチャムケアの事をにごしたのは、中三にもなってどうかなって思っただけなんで、剣持が好きな事を曲げるのは違うって言うかさ」
「…………………」
「剣持が話したいなら、話せば良いじゃないかな。
ジブンがあんまり分かんないのは本当なんだけど、それとこれは関係無いからさ」
そう言いながら少し苦笑いの鈴木先輩に、のこちゃんは思わず満面の笑みで応えた。
「分かりました!じゃあこれからは、色々と解説しながらチャムケアの事、お話ししますね!!」
あれ?面倒くさいスイッチ入れちゃったかな的な表情の鈴木先輩にぺこりと一礼すると、のこちゃんは、それまでと一転したウキウキとした足取りで自分の教室へ戻った。
鈴木先輩が、些細な事を気にしない度量の広さである事や、宿福と仲の良い事は大きいのだろう。
しかし、のこちゃん自身とは、昨日今日の間柄なのだ。
それがここまでスムーズに良い方向へ事が運ぶとは、カナハちゃんとも知りあう切っ掛けになった件の巡り合わせといい、ひょっとすると本当にご縁があるのかも知れないとのこちゃんは思う。
それにしても、鈴木先輩が良い人なのは、十分解っていた。
ただ、やはり……やはりそうなのだ。
チャムケア好きは当然としても、チャムケアが縁で知りあう人にも悪い人はいない。
それだけ、チャムケアは素晴らしいコンテンツであり、長年にわたって愛され続けている理由もよく分かるというもの。
こうなれば、宿福を唆す計画に加え、鈴木先輩にもさり気なく本腰を入れてチャムケアを布教するしかないではないか。
これは、断念していた学校内でチャムケアを語る日々が、そう遠くない未来に実現する流れがこの身に来ているのだ。
まだカナハちゃんと二人きりのチャムケア専用のグループもきっと賑やかになるぞと、新たな皮算用を立てながら、のこちゃんのテンションは最高潮であった。
その日の夜、のこちゃんのそんな調子に乗った展望をレイナーで知らされたカナハちゃんは、諸手を挙げて支持したという。
確かに、ツッコミ担当のメンバーが、このレイナーグループには必要なのかも知れない。
――――――――――――――――
遂に、皆で遊びへ出かける前の晩である。
当然ながら、必要な物はすでに揃えて、きょう姉さんからもらったデイパックにまとめてあった。
ダークグレイがちょっと地味な印象なものの、きょう姉さんが学生時代に使っていたおしゃれ系のデザインで、作りはしっかりしている。
本格的な山歩きをするつもりはないとは言え、実質ハイキングな感じなのでリュックっぽい物を貸して欲しいと相談した所、もう使わないからと押し入れから出してきてそのままくれたのだ。
ちなみに、きょう姉さんの言に拠れば、黄色やオレンジといった柑橘系の色だと春に虫がたかるからやめた方が良いらしい。
お弁当は早起きして自分で作ろうとしたのこちゃんであるのだが、当日の予定を家族に話した所、他の子たちも一緒につまめる物を持って行きなさいという理由で、急遽祖母が用意してくれる事となった。
確かに、その方がお弁当のクオリティーは保証付きになるとは言え、いささか強引に説得された様な気もする。
首を傾げつつも、これで準備万端整ったとあり、のこちゃんは祖父母ときょう姉さんにおやすみなさいを言ってさっさと布団に潜ってしまった。
もちろん、早起きの予定は変更せずに、祖母をお手伝いするつもりなのだ。
しかし、いつもであれば就寝前に録画してある番組のチェックやら、チャムケアの見返しを楽しむ時間である。
特にチャムケアは、どのシリーズタイトルにも視聴する度に新しい発見があるので、決して見飽きる事がない。
朝寝坊しない事を鉄の掟として、自ら設定した入眠時間までは、テレビの前に座っているのが夜のルーティンとなっていた。
「でも、今夜は、しかたないよね」
未練が無い訳ではないものの、より楽しみな明日に備えて、のこちゃんは電気を消してキッパリと目を閉じる。
間もなく、録画機の時計表示だけが主張する暗い部屋に、小さな寝息が聞こえてきた。
どうやら、のこちゃんが少しだけ危惧していた"遠足などの前の夜に興奮して目が冴えてしまう現象"は起こらず、すんなりと眠りに落ちれたのだろう。
はからずも、自分で決めた時間に寝る習慣が有効だったのかも知れない。
そして、のこちゃんは夢を見ていた。
のこちゃんがチャムケアを意識し始めたのは、日曜日の朝にテレビを見る習慣がついた、小学校1年生の頃である。
都内の小学校へ上がってすぐにこちらへ転校した事もあり、佐橋の家へ引き取られてしばらくは、周りにお友だちどころか顔見知りも誰一人としていなかった。
朝こそ地域主導の集団登校にくっついて行く形だったものの、お父さんの噂からなのか教室でのこちゃんに話しかけるクラスメイトはおらず、一人でとぼとぼと下校する毎日が続いた。
1年生は、三々五々ではありながらも、まだ地域ごとにまとまって下校している時期である。
後から聞いた話によれば、小学校から家までの距離がそれ程遠くなかった事と、近所にクラスメイトがいなかった事も重なっての状況ではあったらしい。
そんな日々(ひび)の中では、何か楽しみを見出すとなると、きょう姉さんの妙に充実している特撮ヒーロー作品ライブラリーを片っ端から視聴するくらいしかなかったとも言える。
もちろん、きょう姉さんに勧められるままにという、但し書きはつくものの。
「この鐡さんのお父さんも時空刑事でね、敵につかまっちゃってるんだよ」
「おとうさんが!」
ただでさえジャンルに対する素養があり、何でも真に受けがちなのが幼年期ならば、やはりそれら作品群の影響はのこちゃんにも大きかったのだろう。
きょう姉さん一押しである時空刑事シリーズの主人公"吉祥寺鐡"が革ジャンを着用していたキャラだったので、衣料品を求めるため家族でお買い物に出かけた際、ピンクやフリルの付いた可愛らしい服よりも革ジャンへ興味を持ったのこちゃんに祖母が目を丸くした事もある。
のこちゃんは、かなり率先して特撮ヒーロー作品に関心を向ける様になり、シュープリム戦団シリーズとフルヘルムナイトシリーズの本放送をチェックする段に至って、ついに同じ放送枠であるチャムケアに出会ったのだ。
あの、仲間を得て共に困難な目標に立ち向かい、熱い信念を糧として己の拳で悪い状態を覆して行く、輝く少女たちの物語である。
「おお…おお…おおお……」
チャムケアの劇中に描かれるその作風は、のこちゃんから、決して順調とは言い難い現実を一時忘れさせてくれた。
正確には、一時どころか、全身全霊でのめり込んだ訳なのだが。
その頃放送していたのは、『ラックネスサージチャムケア!』である。
チャムケアシリーズ十周年記念作品とあって、毎回OP冒頭で歴代チャムケアたちが、代わる代わる番組の長寿を祝う挨拶をする企画になっていた。
そう言えば、過去作に興味を持つ切っ掛けになったのもこれだよなぁと、夢の中でのこちゃんは懐かしく思い出す。
きょう姉さんの解説によると、主人公が変身するケアマブリーは、昔同じ会社が製作して大ヒットしたロボットアニメの必殺技を取り込んでいるとの事で、作品に歴史ありと感心しきりなのこちゃんだった。
「まぶりーとまほぅぅぅく!」
「あっはっは、似てるよ、のこちゃん」
それからは、放送中の作品を録画する自分だけの環境や、過去作を視聴する方法などをきょう姉さんに相談したりと、大好きになったチャムケアを追いかける日々(ひび)の始まりである。
もちろん、のこちゃんの立場としては学校のお勉強もがんばらないといけないものの、"それはそれ、これはこれ"なので、子供心に気合いで何とかしてやろうという活力が生まれる結果に至った。
もう、慣れない場所に来てしまった程度の事では、気持ちを沈めてなどいられないのだ。
「この、けあまぶりーは、もーれつなんだかやー!」
我ながら単純だよねぇと呆れつつも、悪い気のしないのこちゃんは眠りを更に深め、意識を手放していった。
目覚ましが鳴って、のこちゃんの意識は瞬時に覚醒する。
まだ午前5時であっても、冬から春へ季節が変わった事を主張する様に、雨戸の隙間からは少し朝陽がこぼれていた。
布団が勢いよくめくり上がり、のこちゃんは、すかさずガバリと身を起こす。
普段から寝起きは良い方なのだが、遊びに行く日の朝となると、比較にならない程スイッチの入りが迅速になるのだ。
頭もハッキリしている。
「よしっ」
のこちゃんは思い切り立ち上がると、すぐに着替え始めた。
もう、肌寒さは気にならない。
――――――――――――――――
待ち合わせの場所へ向かう途中で、のこちゃんは、お出かけすると思しきおしゃれした姿のカナハちゃんと会った。
鈴木先輩とカナハちゃんに初めて出会った、あの歩道である。
制服姿も可愛かったが、明るいすみれ色と白のコーディネイトがいかにもお嬢様っぽくて、のこちゃんの目から見てもカナハちゃんは輝いていた。
しかも、それがチャムケアを愛好する同志となれば、例え小学生であろうとのこちゃんにとってはなかなか心強い存在だ。
天気が良いので、ご両親と遊びに行くのだと言う。
カナハちゃんのご両親もにこやかに、のこちゃんへ会釈する。
「お嬢様は、自家用車とかで行動するのかと思ってたよ」
「確かに、うちの学校にはお嬢様系が多いですけど、わたしは違いますよ~」
電車通学ですしとカナハちゃんは笑う。
「お散歩がてら、都内の方へお買い物に………チャーミングストアにも寄るつもりです」
「マジか!」
カナハちゃんが小さな声で付け足す行動予定に、のこちゃんは瞠目する。
チャーミングストアとは、正式には"チャムケア・チャーミングストア"と言い、幾つか店舗展開されている公式のチャムケアグッズ専門店である。
「まさか、新展開のコスメ狙いか、カナハちゃん………」
カナハちゃんはニヤリと笑うと、夜にメッセージと戦利品の画像を送りますと囁いて、ご両親と共に駅へ向かってしまった。
してやられた。
まだメイクそのものに手を出す気がないとは言え、劇中のアイテムとなれば、話は変わってくる。
のこちゃんとて、チャーミングストアには、きょう姉さんに連れられて何度か行った事があった。
しかし、件の事件や事故が都内各所で妙に起きている状況もあって言いだし辛く、最近はとんとご無沙汰だったのだ。
横浜だと更に遠くなるし、関西は論外で、期間限定の出張店舗も夏休みならこちらへも来そうな気がするものの、やはり現在だと難しい。
当然ながら、まごまごしている間にも商品は変わって行く。
シリーズ作品が新しく始まった時期ともなれば尚更で、チャーミングストアでしか手に入らないラインナップもあり、のこちゃんも気が気ではなかったのだ。
「……カナハちゃん、侮り難しっ」
むうと唸りながらも、朝のニュースでは取り立てて事件が報じられていなかった事を思い出しつつ、無事で帰れよとカナハちゃん一家の背中に祈るのこちゃんであった。
皆との待ち合わせは、駅近くの公園である。
まだ他に誰も来ていないので、のこちゃんはデイパックを抱えて、備え付けの木製長ベンチに座る。
手伝った祖母のお弁当は、予想通り出色の出来なので、お昼が楽しみだ。
祖母とのこちゃんが楽しげにあれやこれやと騒ぎながらお弁当を作っていると、寝ていられなかったのか祖父も早く起きてきて、朝食は一緒にとった。
きょう姉さんは、大がかりな店舗の模様替えがあるとかで、早くから出勤してしまった。
陽射しが柔らかく風も穏やかで、今日晴れて本当に良かったと、のこちゃんは思う。
そう言えば、昨夜は、チャムケアを見始めた頃の夢を見た様な気がしていた。
「こうなっちゃったんだから、しょうがないよねぇ………」
青空を見上げながら、ふと、将来は何かしらチャムケアシリーズに係わる仕事が出来たら良いなと思う。
「絵の腕前は、微妙なんだけどねぇ………」
鈴木先輩の所へ部活を絞ることにした宿福ちゃんが忙しくて、不参加になってしまった春の映画には、ひなちゃんとまなっちゃんが一緒に行ってくれるらしい。
例え過去に辛い何かがあったとしても、これから起こるであろう楽しい事に、あえてそれを紐付ける理由は無い。
のこちゃんは、いま幸せなのである。
つづきます。