06 のこちゃん、本当に怒る
少し前の事、のこちゃんは、トレーナーが折につけ使う"方術"という言葉について質問した。
それまでは、会話の流れからニュアンスとして魔法とか魔術みたいなものかなぁと、ぼんやり聞き流していた。
しかし、荒涼とした戦いの世界で生き延びなければならない状況を思えば、そうも言っていられない。
何であれ、それが脅威になりうるものであるならば、ちゃんと知っておくべきなのだ。
当然、現代の中二女子に過ぎないのこちゃんの思う魔法や魔術の類は、アニメや特撮などの娯楽作品で知っているていどである。
それも漠然としたもので、画面上を光らせたり燃やしたりと派手な映像効果で演出する、何かすごいヤツといった所だろうか。
まなっちゃんこと諏訪愛茅という読書家の友だちと話題にした時は、アレイスター・クロウリーとかいう人の魔術について書かれた訳本があって、そこへ秘められた魔術パワーを封印するために本文のページが別紙で閉じられているのだけど、それ6刷りだったんだよと笑っていた。
いきなり解像度の高い話は、詳しくない人にあまり伝わらないのかも知れないと、心の中で少し反省したのこちゃんである。
いかにかみ砕いてチャムケアの素晴らしさを伝えるのか、アプローチが肝心なのだ。
もちろん、そんなチャムケアシリーズにも魔法をテーマにした『ふしぎまじっくチャムケア!』があるので、魔法や魔術は、のこちゃんの守備範囲からも外れてはいない。
作中での魔法は、"ケアッチ・ファタタ"の呪文で摩訶不思議な現象をひきおこす、謎の力として描かれている。
今となっては、それこそがのこちゃんの主な魔法のイメージと言っても、過言ではない。
ちなみに、"ケアッチ・ファタタ"とは"ケア・タッチ・ファタータ"を短くしたもので、力の根源である女神グラン・ファタータへ"ファタータ様、癒しの御手を賜りたく奉る"と祈る意味らしい。
そこを踏まえると、のこちゃんにとっての魔法とは、呪文を唱えて発動させる超能力という事に尽きる。
ただ、不思議には違いないものの、物を空中へ浮かせる様なものが多いので、どこか牧歌的なのだ。
そして、例え魔法がテーマにあろうとも、戦いに臨むチャムケアのスタイルは、やはり格闘が主体になる。
肝心な魔法は、ひきおこされる現象こそ敵の攻撃を防いだり自身の移動速度を上げたりと、必殺技を除けば、戦いを有利にするための補助役にすぎない。
必殺技の方も、強力な魔法として繰り出される体を取っていても、とどのつまりは浄化が目的なので、他のチャムケアの必殺技と具体的に何が違うのかあまり分からないといったぐあいである。
確かに、平時のものよりも、戦いに則した数々の魔法で彩られる変幻自在なチャムケアの戦いは魅力的だ。
とは言え、実際に魔法が存在した場合、どんな形で我が身への脅威となるのか、チャムケア基準では今ひとつ想像がつかない。
逆に、他はチャムケア基準で良いのか?という話なのだが。
『ふむ、方術とは、要するに、術を行使する各々が用いた、それぞれの根源に因る千差万別な結果を、便宜上ひとことでかたづけてるのだ…のこ』
「ふぇー、そうなんですねぇ………」
まったく分からなかった。
「ま、魔法や魔術みたいな話じゃない感じですかね?」
『その方術を魔の根源に与する者が行使したのであるならば、それは、魔術や魔法と呼んでも差し支えないだろうよ…のこ』
まぁそうなのかも知れないけど、そういう事じゃないんだよなぁと、のこちゃんは、"魔刃殿"から与えられた個室の寝台に座るティハラザンバーの頭を傾がせる。
『なに、敵からの方術に相対した場合、応じ方もその都度変わってくるのだから、それはその時になってから考えれば良い…のこ』
「つまり、何をされるか分からないから、万全に備えるのは無理って事なんですか?」
『ふむ、その通りだ!…のこ』
トレーナーの我が意を得たりみたいな調子をよそに、結局、のこちゃんに芽生えた"方術"に対する危機意識は、何も解決されぬまま若干の引っかかりとして今日に至っていた。
――――――――――――――――
「っ……くっ………………」
のこちゃんは、もうティハラザンバーの口から、かすかな呻き声をもらす事しかできなかった。
恐らく、脅威の可能性として懸念していた、方術による直接の攻撃であったのだろう。
光による射撃。
次々と叩きつけられてきた"それ"は、例えるならば、その一つ一つが生身の人間へ鉄の杭を重機の力で打ち込むに等しい威力である。
成人男性であっても、一撃あれば、ひとたまりもないだろう。
まるで、敵意をエネルギーへと変換させた様な、破壊を強要する苛烈さだった。
しかも、攻撃の気配をティハラザンバーがまるで感知できなかったために、完全なる不意打ちとなってしまった。
そんな無防備な状態で受けた過度な衝撃の数々は、のこちゃんにしてみれば、耐え難い激痛の連鎖だったに違いない。
これまで頑丈さで感心させられてきたティハラザンバーをして、今は、地に這わされていた。
それでも、のこちゃんは、気を失っていない。
しかし、それは、決して痛みを克服したからではなかった。
ティハラザンバーは、その頑強さゆえに、受けた被害を許容してしまったのである。
確かに、ティハラザンバーの身体強度であれば、痛痒ではあっても、意識を手放すほどのダメージではなかったのかも知れない。
反撃するなり、逃げるなりするための的確な判断材料として、痛みの度合いを測れる事は、重要でもある。
ただし、それは、身体に見合うタフな精神が備わっていたならばの話なのだ。
中身は、現代の中二女子である、のこちゃんに過ぎない。
気絶に至らなかったのは、身体の反応として正しくても、結果として、明かに裏目へと出ていた。
襲いくる激痛の嵐を意識が途切れないまま知覚し続けてしまったために、のこちゃんの心は、萎縮のどん底へと打ち沈められてしまったのだろう。
ほぼ、精神的な活動が停止に陥って、壊れかけているのかも知れない。
ティハラザンバーへ多少ダメージが通った事はもちろん、その中に在るのこちゃんに最悪の影響を及ぼす形で、現実の危機が訪れていた。
既に攻撃は止んでいるものの、その余波で周囲にもうもうとした土埃が立つ。
湖面を奔っていた風も、現在は凪いでいる。
『意識を強く持つのだ、のこ!』
この身体はあのていどで傷ついたりせぬと、トレーナーの必死な呼びかけが、のこちゃんの精神をかろうじて奮わせる。
「う………………」
それは、トレーナーの持つ力である。
トレーナーが聖ザンバー=リナであった時代、その発する言霊には、共に旅する仲間たちを鼓舞する力が備わっていた。
それは、天空の女神より授けられた神託を遂行する者としての権能であり、仲間たちが戦いに向かう時にも大いに役立てられた。
特に、傷つき倒れた者の混濁した意識を連れ戻し、一命を取り留めさせた様なケースは枚挙に暇がない。
その権能は、トレーナーとなった現在でも有効であったらしい。
『ならぬ、そのまま逝ってはならぬっ、のこっ』
「………………っ」
しかし、トレーナーが呼びかけても尚、のこちゃんの精神は覚醒に至らず、すぐに闇の底へと完全に沈んでしまいそうになる。
『君は、君自身の意志で、生き続ける事をハッキリと選択したであろう!!ならば生きよっ、生きるのだっ、のこ!!!』
「………………っ」
かろうじて、のこちゃんは、トレーナーの呼びかけに対して反応し続けていた。
まさしく、トレーナーの存在が命綱と言える。
『………たのむ…生きてくれ、のこよ………………』
発せられる言葉は、権能以前にトレーナーの本心であり、切なる願いに違いなかった。
そこに、のこちゃんが豪快聖女と評した、いつものトレーナーはいない。
これまでになく、トレーナーは取り乱していた。
永い間、神獣・大ティハラを封じていた漂流結界"澱"の中に、"それ"は独りであった。
結界内で時は止まっておらず、かつて聖ザンバー=リナであった肉体は、とっくに朽ちてしまっていた。
しかし、その事を認識できる己に疑問を抱いたりもしなかった。
恐らく、天空の女神の神器に因って、意識だけは保たれているのだろうと推測できたからだ。
この結界は、維持と管理のために、施術した術者の存在が不可欠なのだ。
ならば、"それ"がその役目を継続するのみである。
術を維持させるエネルギー源は神器が担っている。
皮肉な事に、大ティハラを封じている双剣からも、大ティハラの力を削ぐために吸収したエネルギーが供給されて、術をより強固なものにしていた。
静寂の支配する空間に、像の様な大ティハラの封印された姿だけが在り、"それ"は実体もないまま漫然としていた。
のこちゃんが結界へちん入してこなければ、この先も、そんな有様が延々と続いていたに違いない。
のこちゃんへ"ここは監獄である"と説明したものの、果たしてそれは、大ティハラに対してだけの事だったのであろうか?
あの時の"それ"は、自分でもよく解っていなかった物言いだったと、トレーナーの名を得た今なら分かる。
天空の女神からの使命とは言え、自ら決断して大ティハラと共に囚われていた時間は、やはり人の心身に酷だったのである。
よくも正気を保てたものだと、今更ながらに感心もした。
トレーナーは、虜囚の身より解放されたという意味で、のこちゃんに感謝していたのかも知れない。
加えて、既に瀕死の状態だったとは言え、大ティハラの復活を防ぐために年端もいかぬ少女を巻き込んでしまったという負い目もあったのだろう。
今でも、ティハラザンバーをでっち上げる事が、あの状況下において最適解だったとトレーナーは思っている。
事実、そのまま結界を崩壊させてしまっては、これまでのすべてが無駄になってしまっていただろう。
だからこそ、のこちゃんに対して、己が消滅してしまう前までに、できる限りの手を尽くそうと考えたのである。
何より、トレーナーとしてのこちゃんを導く事が、存外に楽しかったのも大きい。
白銀鎧の聖女と呼ばれていた頃、すでに終わったかつての生では、本格的に弟子をとったり誰かを育てる様なまねをしてこなかった。
のこちゃんと共に過ごしたこの短い間でも、自分の中で目覚めたものがあると、トレーナーは確信する。
もしものこちゃんが精神的な死を迎えて己だけ取り残されたのでは、本末転倒も甚だしいのだ。
断じて、トレーナーに受け入れられる結末ではなかった。
『君の意志をもって再び、強く立ち上がるのだっ、のこ!』
「ぅぐ………………」
トレーナーの激励に、のこちゃんがまた反応した所で、横たわるティハラザンバーの頭部へ上から影が差した。
「まぁ、あれくらいじゃあ、くたばらねぇよな」
『こやつっ!?』
ティハラザンバーを後ろから方術で撃った、暗闇色の男であった。
漆黒の金属装甲で全身を覆った姿は、分厚く厳つい鎧のそれとは違い、スッキリと均整の取れた人型のシルエットを顕している。
近くで比較してみれば、やはりティハラザンバーの腰辺りくらいな背の高さであり、長身の人間サイズといった所だろう。
奇しくも、埴輪の巨人に対するティハラザンバーと似た様な背丈の差違である。
金属装甲の接合部が擦れたのか、ガチャリと音を立てて暗闇色の男がティハラザンバーの顔をのぞき込む様にしゃがむ。
顔も、金属装甲で全体が覆われていた。
近くで見ると、頭部の左右にある羽根飾りは、キャップ型の帽子にある庇の様な部分が左右へと伸びた構造になっているらしい。
その下に、二つの丸いレリーフ意匠が双眸を象る。
そして、それぞれの円の中心には、意志を示すかの様な光が灯っていた。
それで、いったい何が見えているのか、不気味でもある。
トレーナーの存在には、当然ながら気がついていない。
『…いったい、どうするつもりなのだ?』
トレーナーが訝しんでいると、暗闇色の男は、ティハラザンバーへ顔を寄せて話しかけた。
「よぉ、聞こえてるか?」
「………………………………」
――――――――――――――――
「ん?」
現在のこちゃんは、トレーナーの呼びかけに反応している身体とは別口で、何やら夢の様なものを見ていた。
あちらは、言ってみれば脚気の検査で、足がびよんとしている様な感じである。
のこちゃんの精神は、こちらにあった。
「…あれ、わたしどうなったんだっけ…」
しかし、夢にしては、あまりにも意識がハッキリとしている。
それどころか、身体の感覚もしっかりと生きていて、その場に二本の足で立っている認識さえ持っていた。
足踏みをしてみても、布団に拘束されて足がうまく前に出せないといった、あのもどかしさも無い。
これが所謂"明晰夢"であったとしても、どこかもっとフワフワした感じくらいはあるものだろう。
「また、他の場所へ飛ばされたとか?」
それならばと、これまでも高性能で助けられてきた、ティハラザンバーの五感を駆使してみる………
のだが、周辺を見回したり耳を澄ませてみても、自分がどこにいるのかサッパリ見当がつかない。
暗くもなければ眩しくもない、どこかへ閉じこめられている圧迫感も、広い場所でぽつんとしている様な不安感も無かった。
それだけではなく、危機感や焦燥感といった、次のアクションをうながすための衝動の類すらわいてこない。
何もかもがニュートラルすぎて、さすがにこの状態は、異質である。
とは言え、のこちゃんは、これに既視感を覚えていた。
「もしかして、じっさんと決闘させられた時に見た、先代との遭遇イベントみたいやヤツかな?」
確かに、白銀鎧の聖女である聖ザンバー=リナと、魔に与する神獣・大ティハラの大決戦を見せられた時の、何からも干渉されない感じは似ている。
「でも、それ1回やっているからなぁ………」
考えなおして、他の可能性を模索してみれば、まだ思い当たるものがあった。
「ああっ、ピンチになって意識を失いかけると、家庭の風景とか家族が出てきて、よくここまでがんばったね、もう良いんだよって言われるヤツかも!」
『チャムケア!MarvelousHowl』の決戦で描かれた同様のシチュエーションには、のこちゃんの涙腺も、決壊を免れられなかった。
幼い頃の回想を入り口とする演出だった事から、既に両親が他界している、自らの境遇が重なってしまったのだ。
その視聴後、大事なDVDの取り扱いを失敗するといけないので、涙が収まるまでしばらくじっとしていたのは良い思い出である。
ちなみに、佐橋の家で良くしてもらっていたり、中学校へ上がってから友だちができて順調だった事もあり、現在では両親とのお別れにもしっかりと向き合えている。
もちろん、チャムケアとの出会いも大きい。
ファンタジーな創作物でも、十分、人が前を向いて生きるための糧となるのだ。
ただ、現在進行形の身体とは、あまり向き合えていると言えないのが悩ましい所だろう。
「あれ?」
そう考えてみると、決戦レベルでのピンチにならなければ起こらない展開であったと気が付いて、のこちゃんは、また戸惑ってしまった。
「…えっと、ラスボスと戦ってたんだっけ?」
いや、でも埴輪の巨人には勝ったよなぁなどと、ティハラザンバーの首を傾げさせる。
現実では、意識が混濁して、今にも精神的に事切れそうになっている状態なのであるが、いたってのんきなものである。
まぁ何れ思い出すだろうと、のこちゃんは、気持ちを切り替えた。
先ずは、この現状がどうなるのか、見極めねばならない。
何より、本当に家族の幻が現れるのだとすれば、誰が出てくるのかキャスティングも気になる。
「おじいちゃんとおばあちゃんかな、あと、きょう姉さんか…いや、定番は、やっぱり両親だからな」
お父さんとお母さんに久しぶりに会えて、優しく労ってもらえるのなら悪くないのかもと、のこちゃんがワクワクしていると不意に前方の空間が揺らいだ。
やはり、何かしらの現象が起こるらしい。
「お父さんは兎も角、早くにお別れしてしまったお母さんはもっと若い姿だろうし、会ってピンと来るのかちょっと不安だな」
やや、違う意味でも緊張し始めた………
と言うか、そもそもその流れは、体の良い挫折を誘惑されても強い意志ではね除けるという文脈なので、期待してしまってはまずいはずなのだが。
揺らめく空間には、何者かのシルエットがスーッと象られてゆく。
間も置かず、そこには、ティハラザンバーを見下ろすほどの大きな獣の姿が顕現していた。
「え?!」
『ご期待に応えられなくて悪いんだけど、あんたをこの場へ連れてきたのは、於兎なのよね』
それは、伝説の中で見たあの大ティハラ、威容を誇る魔の神獣であった。
全身を黄金の毛に覆われ、漆黒の縞模様が印象的な巨大な虎を彷彿とさせられるその姿は、漂流結界"澱"の中で封じられていた、まさしくティハラザンバーの元ネタに他ならない。
虎と言えば虎なものの動物の虎そのままではない、かなり攻撃的な怪獣めいた造りの頭部に、黄金の瞳が二つ強い光を放っている。
顔が怖いのはティハラザンバーも同じなのだが、大きさが段違いであり、その迫力たるや比べものにならない。
同じキャラクターのぬいぐるみでも、千円代クラスの物と万円越えの大物では、圧倒的な差がある事でも分かるだろう。
「大ティハラ…」
のこちゃんの呟きに、大ティハラが牙をむいて、何やら肯定的な雰囲気を醸しだす。
恐らく、笑っているらしい。
ああ、これは確かに怖いかもと、反省しきりののこちゃんである。
『そう、於兎は、大ティハラ。
いつからか、最初に誰が呼んだか、大ティハラ………
こうして話すのは、初めてよね?』
「…お、おと?」
小銭を投擲武器にして活躍する岡っ引きが主人公の時代劇を彷彿とさせる様な言い回しで、自己紹介する魔の神獣は、法事で会った親戚のおばちゃんの様な砕けた口調だった。
『於兎も、あんたの事をのこって呼んだ方が良いかしら?
ティハラザンバーだと、何かもう、ややっこしいからイヤよねぇ…』
伝説の中で見た戦う姿や、トレーナーから聞かされていたイメージとのギャップがひどい。
のこちゃんは、大ティハラって牝だったのかぁと、混乱する頭でボンヤリと考えていた。
『それでね、ちょっと、どーしても言いたい事があって』
「…いいたいこと?」
『それは、於兎たちにとって、かなり大事な話なのよ』
「…だいじ?」
『水はダメよ!』
「…みず?」
混乱している所へ急に訳の分からない事を言われても、まともに思考が働かず、要領を得ないのは当然だろう。
結果として、のこちゃんは、先ほどから大ティハラの言葉を断片的にオウム返ししかしていない。
『そう、何でもない時に水浴びするくらいなら良いんだけど、戦ってる最中は絶対にダメ。
全身の毛が水に濡れてしまうと、ベッタリくっついちゃうでしょ?
それで、皮膚感覚って言うのかしら、周りの空気から色々と読み取れなくなっちゃうのよねぇ』
こう見えても繊細なんだからねと、大ティハラは、大きな身体を揺すってケラケラと笑った。
もちろん、口元がバックリと開いて、みっしりと並んだ鋭く大きな牙の列が、見る者を威嚇する様に閃いている。
大ティハラの振り見て我が振り直せ。
ああ、こういうのも本当に気をつけようと注意喚起した所で、のこちゃんは我に返った。
「あっ、あの、大ティハラさん…で良いんですよね?」
『うん?』
大ティハラは、何かが引っかかった様に、ティハラザンバーを見据える。
あれ、まずい事を言ったかなと、のこちゃんは、改めて緊張した。
一拍、間を置いてから、やおら大ティハラが言葉を続ける。
『…ねぇ、小のこ、あっちのトレーナーだっけ?
さっきも言ったけど、ややっこしいから、於兎にも何かそういう素敵な呼び方を考えてちょーだいよ』
まさかの、ニックネーム?の要求だった。
「え?、えーと……………… おと と言うのでは…」
『於兎は名前じゃないでしょう。
小のこだって、あのトレーナーと話す時は、自分自身の事を わたし って言ってるじゃないの。
もう、おかしな事を言うもんじゃないわよっ』
どうやら、於兎とは、大ティハラの一人称であるらしかった。
「あっ、すんませんしたっ」
のこちゃんは、慌てて謝る。
ただでさえ怖い顔の大ティハラに至近距離で怒られたら、中二女子に過ぎないのこちゃんでは、そのプレッシャーに耐えられないに違いない。
咄嗟の事だったので、生前のお父さんが顔見知りの偉そうな人へ、頭を下げていた時の口調になってしまった。
幼い子供であっても、意外と親の仕草は、見て憶えているものである。
『もう、小のこは、そういう所よねぇ。
封印でかなり弱っていたとは言え、この於兎の全てを引き継いだんだから、もっと気持ちを強く持ちなさい』
至近距離のお説教でも、怖さは変わらない。
プレッシャーにのけぞりそうになりながらも、のこちゃんには、ふと引っかかるものがあった。
「………その、わたしが言うのもアレなんですけど、大ティハラさんは、この身体の事を怒ってないんですか?」
『う~ん?』
うっかり大ティハラと呼んでしまったため、その強大な双眸が、ティハラザンバーを凝視する。
「あっ、考えますっ、考えますっ!」
のこちゃんが愛称の検討について快諾すれば、大ティハラは、ため息まじりに話し始めた。
『ないわよ。
真っ正面から全力で戦って負けたんだから、封印も受け入れたし、於兎の処遇は、勝者であるあのトレーナー次第って事だったからねぇ…』
「………………(ん?、それなら、ティハラザンバーを造る必要なかったのでは)」
『だからこそなのよ!』
「ひぃ!」
急に語気を強められたものだから、のこちゃんは、大ティハラの気勢に当てられてすくみ上がる。
『於兎の後継でもある小のこが、いい加減に負けるのはガマンならないのっ!そこっ、分かってる!?』
「ひぃぃぃ!!」
結局、怒られてしまった。
のこちゃんは、その強烈なプレッシャーの直撃で、オーバーフローした意識を暗転させ………
『してないでしょ』
「ひ…あれ?」
言われてみれば、間近で大ティハラの圧力に晒されても、自然と耐え切れていた。
のこちゃん自身が、ティハラザンバーの脆弱性である事は、百も承知している。
いや、ティハラザンバーとしてのこれまでを顧みて、剣持虎の子のままであったなら瞬殺されていたであろう事態ばかりだったので、己の弱さには揺るぎのない自信を持っているのだ。
本来なら、大ティハラから0距離で威圧されれば、跡形もなく消し飛ぶのがのこちゃんの自然体である。
『そう、小のこの心が鍛えられて、その身体に見合う様になるくらいまでは、於兎ができるだけ援護してあげるわよ』
「それって、つまり…」
のこちゃんに襲いかかるであろう精神的な負担から守り、大部分を軽減させて無理のない成長を促すという、大ティハラの申し出だった。
『そう、これなら小のこが足下をすくわれても、何とかなるでしょう?』
恐らく、大ティハラのサポートは、ティハラザンバーが方術の直撃に晒された時点で開始されていたのだろう。
どうりで、のこちゃんがピンピンしている訳である。
何より、その厳つい姿形に反して、大ティハラは、のこちゃんが自立できるまで面倒を見てくれるつもりなのだ。
ティハラザンバーは、ある意味で、直系の存在に違いない。
その姿勢は、子を育てる親のそれであり、のこちゃんが虎児として虎穴に迎え入れられた形でもあった。
若しくは、上京した先で、心細い時期に飲食店で出会った面倒見の良い女将さんなどを、東京のお母さんとか呼ぶ感じだろうか。
何れにせよ、頼もしいと喜ぶべきなのか、怪人深度の取り返しがつかなくなりそうと戦慄するべきなのか、のこちゃんは反応に困ってしまう。
「…いや、でも弱いのは本当なので、すごく助かりますっ」
それもまた、正直な心情ではある。
いくら戸惑っていても、状況は、何も好転しない。
ならば、切り札は、可能な限りあった方が良いに決まっている。
『ただ、あのトレーナーも言っていたと思うけど、何れ於兎も消えるだろうから、悪いけどそれまでって話よ?』
於兎とあれは表裏一体みたいなものだからと、大ティハラは、しれっと己の限界についても言ってのけた。
確かに、残された力があまりにも些少であるからと、トレーナーは、自分が消滅するであろう未来をハッキリと告げている。
のこちゃんは、ティハラザンバーの中にたった独りで取り残される状況を想像して、素朴に怖じ気づいた。
だからこそ、トレーナーの存在が担保されていると思しき押し入れが無くならない様に、のこちゃんは、これまでも身体の回復に尽力してきたのだ。
しかし、その日には、いつか至ってしまうらしい。
「わたしが、がんばらないとですね………」
『そう、なるべく早めに…素敵な呼び方を考えといてよね、小のこ』
大きな黄金の目を細めて身をかがめると、大ティハラは、ティハラザンバーの鼻先を自分の鼻先でなでる。
「うおっ?!」
これまでと違った衝撃にのけぞりかけながらも、のこちゃんは、何か本当にお母さんっぽいなと少し照れくさくなってしまった。
言うなれば、心身共に虎の威を借る中二女子が爆誕した瞬間である。
不意に、大ティハラは、自分の後方へと視線を向けた。
つられたのこちゃんには、このあまりにもニュートラルな場所が広がっている以外、特に何も見えないのだが。
『さっきから、小のこの事をあのトレーナーが呼んでいたんだけど、何かあったみたいね…』
「えっ………」
『すぐ、小のこの意識を回復させるわよ』
「意識ですか?」
あれ、じゃあここにいる意識が明瞭な自分って何なんだろうと、戸惑うのこちゃんである。
戸惑う事にかけては、ティハラザンバーになってこちら、材料に事欠かない。
大ティハラは、ここへ顕現した時の様に泰然とした佇まいになると、ティハラザンバーを見据えた。
改めて、こうしていると魔の神獣たる威厳は、のこちゃんが最初に見た時から少しも損なわれていない。
『そう、於兎は滅多に出ていかないけど、いつもあのトレーナーと共にいる様なものだから、あれが健在なら於兎の援護も生きていると思って良いからね』
「はあ」
『だから、小のこも、もう弱気にならない様にするのよ?』
「はあ」
『そう、それから…』
けれど、ハンカチ持った?ポケットティシュは?鍵を無くさない様にね?といった、お出かけする小さな子へお母さんがあれこれ注意する様な物言いで台無しになっている。
「あのう…」
さすがに、延々と続いても困るので、のこちゃんから何かしら口を挟もうとした時であった。
『この精神だけの世界でも、小のこがティハラザンバーの姿である事を忘れてはダメよ?』
"精神だけの世界"という大ティハラの言葉に、のこちゃんは、言うつもりだった内容を忘れてしまった。
「それは、どういう………」
プツリと、今度こそ、のこちゃんの視界は暗転する。
――――――――――――――――
『早く目を覚ますのだっ…のこ!』
「………………くっ……っ」
焦点が合っていなかったティハラザンバーの黄金の瞳に、光がうっすら戻る。
トレーナーの呼びかけに緩慢な反応をしていた身体も、ささやかながら、それまでとは違う挙動を見せ始める。
不完全ながら、のこちゃんの意識が覚醒していた。
しかし、視界がボンヤリとしていて、全身の体毛も水に濡れてベタついているため、周りの状況は分かっていない。
じゃりじゃりとした感触が顔を圧迫する。
無様に、地面へうつぶせで這いつくばっている事くらいは、かろうじて自覚できた。
当然ながら、目の前にいる暗闇色の男について、のこちゃんは気が付いていない。
『も、戻ったのか?、大丈夫か?、のこっ!』
「………………ん?」
大ティハラの助力により精神的な難を逃れたとは言え、身体へのダメージは残っているらしく、頭からつま先まで強ばっている。
のこちゃんは、寝ぼけている様な頭をそのままに、取り敢えず手足から動かそうと身じろいだ。
「へー、もう動けるのかよ」
不意に顔の近くで男の声がした。
驚いて、のこちゃんは、そのまま固まってしまった。
『慌てずに、そのまま聞くのだ。
こやつは、方術でティハラザンバーを背後から撃った者、恐らく、乱破の類と見える。
それなりの力は持っているらしいが…今、ティハラザンバーの頭の近くにしゃがみ込んでいる。
どういうつもりか分からぬが、何れにしろ、心してかかるのだ、のこっ』
のこちゃんが、目覚めたばかりだからなのだろう。
トレーナーは、努めて抑揚のない言い方で簡潔に状況の説明をして、警戒を促した。
それだけでも、のこちゃんにとって、トレーナーが心強い存在だと分かる。
闇雲に現状を把握してゆくよりは、一気に不安要素が軽減されるからだ。
独力で、手探りのままであった場合、こうはいかないはずである。
現在、不測の事態の真っ最中らしいと了解したのこちゃんの意識は、みるみるクリアーさを取り戻してゆく。
ティハラザンバーの全神経が、急激に活性化をし始めたのだ。
現実世界への同期を復旧させて、認識をリアルタイムに追いつかせようとしているらしい。
取り敢えず、残っている多少のダメージなどに、かまっている暇はないとばかりである。
そんな精神の屈強さも、大ティハラのサポートによる効果が、さっそく現れているのかも知れなかった。
「……だ…れ…だ?」
のこちゃんは、ぎこちなく声の主に向かって誰何した。
形だけでも、軽い牽制をしたつもりだろう。
だが、暗闇色の男は、何も意に介さない様だった。
「フン、つっても、虫の息だな。
俺は、処刑騎士団のアビスガルダってもんだ」
暗闇色の男ことアビスガルダは、騎士と言うよりも年季の入った野盗の様な柄の悪さで、低く威圧的な声である。
普段から、どういう素行なのか、どういった活動に長けているのか分かり易く伝わってくる。
ここまで大胆に接近してきたのは、無防備さや無謀さからではなく、経験則による、確固とした自信があっての動きに違いない。
それも、荒事に慣れている証ともとれた。
トレーナーの"それなりの力は持っているらしい"という評価に、信憑性が増す。
『ふむ、こやつは自らの粗暴さをコントロールしているとなれば、目的を遂行する傭兵の類なのだろうよ…のこ』
トレーナーの声色からも、警戒心は失われていない。
「…ようへい…か…」
のこちゃんは、復活しつつある意識でボンヤリと魔刃殿以外でもそういとこあるんだなぁとか、こういうの同業他者って言うんだっけなどと考えていた。
同時に、そのアビスガルダを含めた周りの様子が把握できないまでも、いつでも、すぐにでも動ける様にと、手足の具合は確かめておく。
今の所、運動能力に問題はなさそうである。
それにしても、大ティハラの言った通り、身体が濡れているだけでここまで感覚が鈍してしまうのかと、のこちゃんは改めてショックだった。
知らなかったとは言え、うかつに水へ飛び込んでしまい、それが原因でこの現状を招いたからである。
ティハラザンバーは、元になっている材料が魔の神獣と神器なだけあって、凄まじい可能性を秘めている。
第一印象が怪人にしか見えなくとも、逸材を超えたハイエンドな存在と言えるだろう。
しかし、それを生かせるかどうかは、のこちゃん次第なのだ。
「その感じだと、身に覚えありってか?
…って事は、やっぱり、てめえも俺と似た様な口だったらしいな」
どうやら、のこちゃんの呟きを己への返答と誤認したらしく、アビスガルダは会話を続けた。
トレーナーの推測を裏付ける様に、傭兵については、否定しない口ぶりである。
それにしても、本来そういった生業をする者ならば、生き長らえるための慎重さは必須だろう。
ティハラザンバーに比べて背丈が半分くらいにすぎない人間サイズとあれば、警戒して然るべきな体格差なのだ。
現に、のこちゃんが埴輪の巨人と対峙した時には、ビビリ倒していた。
もっとも、その場合は、のこちゃんの持つ素養の中に、バトルロワイヤル適性が無かったからなのだが。
それにも係わらずアビスガルダの行動は、いくら先制攻撃を決めたからとは言え、不敵さが余る。
己に対する信頼は当然としても、無様な腹ばい姿を晒しているティハラザンバーにも、脅威性無しとの判断がある様子だった。
要は、なめられているのだ。
それでも、トレーナーは、問題無いと言う。
『こやつが侮っている内は、むしろ、こちらに有利なのだ。
試しに、いきなり双剣で突いてみたら、驚いて腰を抜かすかも知れぬな…のこ』
一時はどうなる事かと危機感に苛まれていたトレーナーも、のこちゃんの復活が嬉しくて、いつもの調子に戻ってきたらしい。
まるで、悪友がイタズラをそそのかす口調である。
のこちゃんもトレーナーに心配をかけたらしいという自覚があるので、普段通りな態度は、むしろありがたかった。
とは言え、この体たらくから、いきなり反撃せよとは無茶振りが過ぎる。
「…それは…どう…だろう?」
抗議の意志を込めて冷静にツッコミ返すしかないのだが、どうも息がまだ苦し気なので、とぎれとぎれになってしまった。
水中で口を閉じても流暢に話せていたはずなのだが、ティハラザンバーの仕様は、なかなか掴みづらい。
「フン、この期に及んで、しらばっくれるのかよ…まぁ、良いか。
話ができるんなら、一応、聞いとけ」
また、のこちゃんの言葉を拾って、アビスガルダは勝手に話し続ける。
『ふむ、判断力も、しっかり戻っている様だな。
よく帰ってきてくれた…のこ』
一方でトレーナーは、のこちゃんの精神状態を測るべく、敢えておかしな提言をしたらしかった。
声色に喜色が浮かぶ事で、トレーナーの危惧が、アビスガルダとやらの脅威性よりも、復活したのこちゃんの健やかさにあったと表していた。
そこに関しては素直に嬉しいものの、やはりTPOというものがあるのではないかと、配慮を求めたいのこちゃんである。
それに、普段の言動とそれほど大差がないので、本気で言っている感じも質が悪い。
「…今それ…やるの…違うと思うけど…」
得体の知れないアビスガルダを前にして、豪快聖女にもほどがあるだろうと、のこちゃんは、なるべく柔らかい表現でダメ出しを試みた。
当のアビスガルダと言えば、のこちゃんの言葉を更に受ける。
「意気がるのも良いけどよ、その様で何を言っても、格好はつかないんだがな」
ティハラザンバーが、反抗心から、不利な状況なりに悪あがきを見せていると思ったのだろう。
粗野な気性相応と言った所か、それなりに理解のある様子と共に、アビスガルダはティハラザンバーを鼻で笑う。
「(………ん?…あっ!)」
急に嘲笑されされた気配も手伝って、のこちゃんは、アビスガルダから話かけられていた事に気が付いた。
何と、トレーナーの物言いが原因で気を取られていたとは言え、ほんのつかの間にせよ、至近距離にいる攻撃してきたらしい敵性の存在から意識をそらしていたのだ。
性懲りもなく致命的な失敗を繰り返すなどと、知らずに水へ飛び込んだやらかしと重なって、のこちゃんは、己のうかつさに少なからず衝撃を受けた。
まさしく、心胆寒からしめるとは、この事だろう。
これでは、トレーナーに文句を言う資格もない。
ある意味、剛胆さともとれるこれもまた、大ティハラの影響なのだろうか。
しかしそれでは、精神的な支援効果が慎重さの欠如に繋がるという、諸刃の剣になりかねない事を意味している。
むしろ今は、これまで以上に、用心深さを求められる状態なのかも知れない。
何れにせよ話かけられた内容が分からないので、のこちゃんは、アビスガルダへ聞こえない様に注意してトレーナーに訊いた。
『ふむ、こやつは、先ほどより何やらこちらへ言いたい事がある様子であった…のこ』
って言うか、分かっていたなら同時に話さないで欲しいと思う、のこちゃんである。
幸いにも、手遅れになっていない状況に感謝しつつ、のこちゃんは、気を取り直した。
ひとまずは、襲ってきた相手の姿を確認しなければと、回復した視界にアビスガルダの姿を探す。
ティハラザンバーの首を動かすまでもなく、漆黒の金属装甲で全身を覆ったその男は、トレーナーの言った通り頭の近くにしゃがんでいた。
「フン、ガン飛ばすくらいの力は、まだあるみてぇだな」
その金属装甲の表面には、ティハラザンバーどころか、周りの風景が何一つ写り込んでいない。
まさしく、暗闇が質量を持って、人の形になっている様な風貌だった。
暗闇色の頭部に灯る二つの朧気な光が、ティハラザンバーの視線を受け止めている。
お前が深淵をのぞくなら、深淵も等しくお前を見返すというやつだろう。
「…あんた…が…アビスガルダ…」
尚、のこちゃんの第一印象は、時空刑事シリーズから始まった所謂"メタリック・ヒーローズ"の悪者側で出てくるタイプだった。
メタリック・ヒーローズは、それまでのヒーロー造形に無かった真空蒸着という技法で、金属の表層を形成させたキャラクタースーツが売りの関連作品を指している。
ピカピカテラテラな金属面を全身にまとうヒーローキャラクターが、派手なアクションを繰り広げる事で目新しく、ハリウッド映画でもインスパイアされるくらい人気があったのだときょう姉さんから聞いた。
そんな作品の中には、真空蒸着のスーツを、悪者やライバルのキャラクターにも使用するタイトルがあるのだ。
特に目の部分が光っているのは、電飾で発光させる見得切り演出のお約束なので、なかなかそれっぽいなどと変な感心をしてしまうのこちゃんである。
「………………(きょう姉さんが、好きそうだな!)」
端的に言えば、それであった。
叔母のきょう姉さんは、のこちゃんがチャムケアと出会う切っ掛けを与えてくれた大恩あるヒーロー作品愛好の師であり、メタリック・ヒーローズ好きなのだ。
ちなみに、一番の推しは、初代時空刑事の"吉祥寺鐡"である。
大ティハラの支援があるからか、こんな状況でも気持ちが安定していて、いつもの感じにはなっている。
のこちゃん的には、ほぼ復活を果たしているつもりだった。
しかし、話そうとすると、何故かティハラザンバーの口からは、とぎれとぎれの言葉が発せられる。
腹ばいの体勢が問題なのか、それとも、まだ身体に思わぬダメージが残っているのだろうか。
どうやら、たどたどしいしゃべり方になっているのは、息苦しさが原因でもなさそうだった。
「話が…ある…とか…」
のこちゃんは、アビスガルダが何かを言いたがっているというトレーナーのアドバイスに従い、先ず促してみた。
それにしても、発声の不調は、なかなかもどかしい。
「あん?」
かなり痛い目を見せられたはずの相手を前にして、それほど物怖じしていない様子のティハラザンバーには、予想を裏切られたのかも知れない。
アビスガルダは、一瞬、何だコイツといった反応を見せた。
それでも、やはり最初からそのつもりであったらしく、やや訝しみながら話し始める。
「………てめえも同業なら、それなりの仁義ってのを解っておかねーとなって話だ」
この期に及んで、己の圧倒的な優勢は、揺るがない。
アビスガルダの声には、そんな余裕がにじみ出ていた。
「…わたし…やく…ざじゃ…ないけ…ど?」
もちろん、お父さんの事は嫌いじゃないものの、やくざ者に憧れてもいない。
その辺り、のこちゃんは、しっかりと線引きをしていた。
仁義とか言われても、知らんがなである。
「チッ、訳の分んねぇ事言いやがって、まだ頭がちゃんと回ってねーみてぇだな」
少しイラつきながら、アビスガルダは、あれだよあれと指をさした。
指の先には、埴輪の巨人が横たわっている。
『そう言えば、こやつは、何やら手間をかけていたのに、横から手を出されたといった様な事をわめいていたな…のこ』
トレーナーに補足されて、どうやらアビスガルダが埴輪の巨人を狙っていたらしい事を、のこちゃんは知った。
あまりピンと来ないものの、ティハラザンバーが獲物を横取りした感じなのだろう。
のこちゃんにしてみれば、襲われたから必死に対処したまでで、文句を言うならあちらにしてくれという心境である。
「こち…らから…手を出し…たわけ…じゃない…」
例え形としてはアビスガルダの邪魔をしていたとしても、そもそも一方的に攻撃される謂われも無いので、一応、抗議の旨を主張しておく。
こういう手合いには、身の潔白が証明された後、"あの時、何も言わなかった"的な言い逃れを許さないためにも必要なのだ。
どうもアビスガルダには、幼い頃に間近で接していた世界、やくざ者の匂いがするとあって、余計に身構えるのこちゃんだった。
「はぁ?ガキを攫っといて何言ってんだよ、てめぇはよっ。
アレが、あのガキに反応して、動くのを分かってたんだろうがよ!」
どうやら、アビスガルダの言うガキとは、シマユリの事らしい。
その物言いは苦々しく真偽も分からないものの、本当に反応していたのであれば、埴輪の巨人がシマユリの言う武神様だったのかも知れない。
『ふむ、確かにそれならば、あれほど執拗に追いかけて来た話の筋は通るな…のこ』
のこちゃんも途中から薄々そんな気がしていたものの、まさか応戦しているまっ最中では、確認のしようもなかった。
どちらにせよ、シマユリを救出した時から、アビスガルダは、こちらの動きに目を付けていたという話だろう。
ただ、誘拐犯みたいな言われ方は、聞き捨てならない。
「攫った…なんて…事は…」
「アレを探し出して仕留めるってんで、仕掛けを準備したり手下を雇ったりと、こっちはそれなりの出費と時間をかけてんだよっ。
てめぇがちょっかいかけやがったから、予定が狂っちまったんだからな!」
アビスガルダは、のこちゃんの異議申し立てを遮る様に、批難の言葉を重ねた。
なるほど、ティハラザンバーも同業者ならば、その辺りの事情は酌んで然るべしという言い分なのだろう。
一見、この業界には業界なりに筋の通し方があると、それらしくは聞こえる。
だが、これには、トレーナーが呆れた様に冷笑を語気に乗せた。
『こやつ、余らの共倒れを待って分かり易く漁夫の利を狙っただけのくせに、よくもぬけぬけと抜かしたものだな…のこ』
まぁ、状況的にそうだよねと、のこちゃんもアビスガルダにやくざ者の匂いを嗅ぎとったくらいから、ろくでもないヤツなのは予想していた。
本当に横取りされまいとするのであれば、森の中を移動している間、幾らでも介入するチャンスはあったはずである。
そりゃあ、辛勝で消耗したティハラザンバーを、後から不意打ちのめった撃ちにするだろう。
面の皮が厚いとは、金属装甲の事であったか。
「だから…卑怯な…マネして…も良いと…でも?」
のこちゃんの言葉で、再びアビスガルダは鼻で笑う。
「つっても、あのでかさだ。
こっちで直にケリを付けるってなってたら、それなりに苦労をさせられたはずだからよ、助かったは助かったってこった。
てめぇにトドメまで刺さねぇのは、そのご褒美って所だな。
ただし、ケジメは付けとかねーとなっ」
これからも、この商売を続けんなら良い勉強になっただろうと、アビスガルダは嘯く。
『ふむ、やはり双剣で突くべきではないか?…のこ』
結局、トレーナーは本気だったらしい。
それよりも、のこちゃんには、アビスガルダに問い質すべき事があった。
「それ…じゃあ…最初に…あの子を…襲った…のは…アンタか?…」
シマユリが狙われた時の様子を見ていたのなら、当然、アビスガルダもあの場にいた事になる。
ならば、埴輪の巨人がシマユリに反応すると知り、雇ったという手下たちに囲ませ、弓で射らせたのではないか?
抗う術を持たないシマユリに、問答無用で四方八方から、一切の躊躇をせずにである。
アビスガルダの性格を見ながら、のこちゃんは、そう確信していった。
「アレは、弱い存在の守護者って話だったからよ、大がかりな方術でこの森に住む生き物を全滅させてみたんだが、動きゃあしなかったんだけどな…
たまたま見つけたあのガキにも試してみたら、てめぇが攫った直後に躍り出てきやがって、射手どもは皆殺しよ」
あそこまで大正解だったとは思わなかったぜと、アビスガルダは悪びれもせずに、淡々と言ってのけた。
要するに、たまたまあの場所にいたというだけで、シマユリは、すげなく殺されそうになっていたのだ。
のこちゃんの予想とは少し違ったものの、この森に植物以外の生き物を見かけなかった理由もさる事ながら、その所業は無道にもほどがある。
アビスガルダを見据えるのこちゃんの視界が、望遠レンズを引いた様に、キュッと圧縮されて歪む。
『ほう、こやつは面妖な形姿の示すまま、悪鬼羅刹の類であったか。
余が生きていた聖女時代であれば、この場で、既に斬って捨てている所であろうよ…のこ』
トレーナーの平静な語気の中にも、憤りが垣間見えた。
「アンタ…人間…なんだろ…」
「あ?…まぁ、元はな。
だから何だってんだよ、突然よっ」
ティハラザンバーの口から、予想していなかった言葉が出たからなのだろう。
アビスガルダは、少し戸惑う様子を見せる。
「あ…んな子供…を同じ人間な…のに平気で…犠牲にでき…るのか…」
明らかに、語気からそれまでの弱々しさが消えて、力が込められている事が分かる。
「何を言い出すのかと思えば、つまんねぇ事、訊くんじゃねえよ。
てめぇみてえな、力のある種族から見りゃあ、人間なんてカスみたいなもんだろうよ。
その通りでな、俺みてえに存在ごと強化するか、弱えーままなら、あのガキみてーに利用されてお終いだ」
本当につまらない話をしたとばかりに、アビスガルダは、吐き捨てた。
罪悪感も無いまま、シマユリをシマユリとして狙った矢は、無情に放たれていた。
のこちゃんにとっては、その事実だけで、もう十分だった。
「つ…まらなくなんて…ないっ…」
のこちゃんの気力が高まったからなのか、ティハラザンバーの発する言葉にも、たどたどしさが消えつつある。
その分、語気に含まれるトゲトゲしさが、輪郭をハッキリとさせる。
「さっきから、何ゴチャゴチャ言ってんだよ、てめぇはよっ」
地面に這いつくばって、無様な姿をさらしているティハラザンバーが、急にそんな態度を見せたからだろう。
イラついた様子のアビスガルダは、ティハラザンバーを小突こうと拳を振り上げたものの、途中で止めた。
異変に気が付いたのだ。
前触れもなく、空気が動いていた。
ティハラザンバーを中心に、突如として風が発生し始めたのである。
「てめぇ!?」
危険を察知して、アビスガルダがティハラザンバーから飛び退いた。
その間、ティハラザンバーは、ゆっくりと地面から顔を持ち上げる。
両腕で支えられた上半身も、徐々に起こされてゆく。
身体から砂埃がサラサラとこぼれ落ちる。
のこちゃんは信じている。
どんなに哀しい事があっても、前を向いて歩いて行けるなら何かを見つけられる事を。
のこちゃんは知っている。
どんなに辛い状況であっても、何かが切っ掛けで変われる可能性がある事を。
のこちゃんは願っている。
なかなか変われなかったとしても、その可能性はいつでも一緒に在る事を。
だから、本人の意志とは別の所で、命運を他者に握られ潰されるなど、のこちゃんは絶対に承伏できないのだ。
それが、あの日の自分を重ねてしまう、幼い子供なら尚更である。
片膝立ちになったティハラザンバーの足が、力強く大地を踏みしめる。
今、のこちゃんは、怒っていた。
こいつとは、戦わねばならない。
そのためには、このずぶ濡れの全身を乾かし、いつもの感覚を取り戻す必要がある。
のこちゃんがそう思った時、白銀鎧の部分から、強い風が吹き出した。
風は、ティハラザンバーの周りを渦巻き、瞬く間に勢いを増してゆく。
『ふむ、天空の女神様の神器なればこそ、大気が満る場では、何も恐れる事はない。
そう言ったであろうよ…のこ』
白銀鎧にも、双剣と同様に、空気を味方にできる仕様があったらしい。
同時に、大ティハラの助力を得た事で、ティハラザンバーの身体が本来の能力を十全に発揮し始めたのだろう。
全身からも水分を飛ばすための熱が発して、風の力と併さり、みるみる内に体毛を乾かしてしていった。
黒い革の服が、相応にバタバタとはためく。
ティハラザンバーにとって、双剣が"虎に翼"であるのなら、白銀鎧は、俺ドライヤーと言った所だろうか。
地面に転がっていた双剣は、いつの間にか、両手に収まっていた。
完全に乾いた黄金の体毛が、強風に煽られてキラキラと陽光を反射している。
そして、射貫く様な黄金の瞳も、アビスガルダを真正面より捉えて外す事はない。
ティハラザンバーは、ゆっくりと立ち上がった。
「…何だよ、てめぇ、トドメ刺されてぇのか?」
低く平板な声色に、感情的な揺らぎは一切無い。
アビスガルダも、一瞬にして臨戦態勢へと、切り替えていた。
その機敏さには、荒事の世界を渡り歩いてきた、ベテランの貫禄が垣間見える。
やはり、ただの悪党ではないのだろう。
甦ったティハラザンバー本来の皮膚感覚が、周りの状況を見渡す様に把握してゆく。
ふっと、のこちゃんの視界に、アビスガルダより発せられた"揺らめきの流れ"が顕れた。
ティハラザンバーが牙を剥く。
埴輪の巨人と戦った時はこれが無くて苦労したので、ちょっと嬉しくなって、ついにやけてしまったのだ。
それを戦闘開始の合図と受け取ったアビスガルダは、何の予備動作も無く、攻撃の方術を放つ。
一度はティハラザンバーを後からめった撃ちにした、光による射撃だった。
幾筋の光が同時に目の前を埋め尽くす。
並の者であれば、絶対に避けられない数が殺到する。
ただし、全て"揺らめきの流れ"に沿ってである。
しかも、大ティハラの効果もあってだろうか、身体の切れが天井知らずにも感じる。
それは、ティハラザンバーならば、対処可能な事を意味していた。
「だったら、必死に避ける!」
ティハラザンバーは、驚異の運動能力をもって、のこちゃんのイメージに応えた。
言ってしまえば、アビスガルダの光の射撃を、なりふり構わず動き回ってまるごと躱して見せたのだ。
「何だそりゃあ?!」
至近距離からの方術攻撃を、見てから全て避けられた。
アビスガルダにとっては、驚愕の一言に尽きただろう。
『ふむ、双剣で、あるていどは斬って捌けたと思うぞ…のこ』
「えっ…」
どんな姿であろうとも、基本は、のこちゃんである。
続きます。




