01 のこちゃんの日曜日
初投稿です。
チャムケアの朝は早い。
『チャムケア』とは、悪と戦う正義のヒーローをコンセプトに、どこにでもいそうな中学二年生くらいの少女を主人公に据えた人気の女児向けアニメシリーズだ。
フリフリでヒラヒラな衣裳のカワイイ超人に変身した少女が邪悪な敵と主にフルコンタクトの格闘で戦うというギャップが受けて、近年の地上波テレビでは珍しく、シリーズ作品がかれこれ20年近くも日曜日の朝に放送され続けているご長寿番組である。
具体的には、記念すべきシリーズ第1作目『チャムケア』のタイトルが"チャーミングとケア"からの造語である通り、可愛らしさとお手入れによる癒しを作品の柱としながらも、大地に、空に、海に、宇宙にと、大きな舞台を所せましと己の肉体を駆使した主人公たちと怪物の繰り広げる壮絶バトルがシリーズの魅力なのだ。
登場人物たちの成長を描くドラマ仕立てとも相俟って、メイン視聴者の女児はもちろん、こども向け番組にもかかわらず大人のファンからも広い年齢層で支持されていた。
放送開始時間の午前8時30分は、通学や通勤の日常から見れば朝早いどころか家にいる時点で大凡遅刻になる残念な時間帯なのだが、日曜日という点が重要である。
特に予定のないお休みの日、率先して午前8時くらいに起床する人の割合がどれ程のものかを考えてみれば、その特殊な早朝感は理解できるだろう。
まだ、ゆっくり寝ていても良い。
そんな夢心地の状態から自らの意志で抜け出し、テレビ番組の自動録画が当たり前の現代にリアルタイムでアニメを視聴する姿勢は、そこにとてつもない熱意が込められているという事に他ならない。
この春、そんなチャムケアシリーズの主人公たちと同じ、中学校二年生になった のこちゃん も毎週日曜日の早朝をものともしない猛者の一人であった。
フルネームは 剣持虎の子 といい、かなり勇ましそうな名前ながら、現代に生きる14歳のれっきとした中二女子である。
まぁ、運動が得意とも言い切れないていどに活発であり、自分の好きなものに対して周りにそこそこ主張するくらいの明るめな性格なので、名前から想像される勇猛さとはなかなか程遠いのだが。
のこちゃんは、身長155㎝くらいの体格も細からず太からずである。
その印象は、同年代の少年少女の中に紛れればあっさり見失われてしまいそうな地味さ、ハッキリ言って凡庸である事を本人も自覚していた。
周りからは、剣持さん、親しい間柄だと のこちゃん と呼ばれている。
色々と事情があって、将来を危惧した大人にすすめられても改名はしないと固く心に決めているのだが、のこちゃん呼びにも感謝しているなかなか複雑な心境だった。
そもそも、本人がこれで良いと言っているのだから、放っておいてくれとのこちゃんは思う。
現在の所、これまで名前でいじめられた事は無いし、友だちともうまくやれている。
ただ、残念ながらと言うか自然な流れでと言うか、中学校二年生ともなれば友だちを含めたクラスメイトたちは、チャムケアシリーズの視聴からとっくに卒業してしまっている。
生暖かい目で見てくれる友だちこそいても、リアルタイムでチャムケアの話題についてきてくれる真の理解者はおらず、ただ一人で己の道を突き進むのみである。
格好良く言えば孤高の求道者でも逆に言うならボッチなので、趣味に限ってとは言え、端から見ればそれなりに辛そうな感じもする。
しかし、のこちゃんには、不安も焦りも無かった。
何故なら"チャムケアは絶対にくじけない"だからなのだそうだが、これは、のこちゃんにしか通用しない理屈であると友だちからもツッコまれている。
要するに、その程度の逆境ではビクともしないくらいに、チャムケアが好きなのだ。
そんな訳で、日曜日の朝、午前8時にセットした目覚まし時計の力を借りて布団から抜け出したのこちゃんは、今日も研鑽を重ねるべく一人テレビの前に鎮座していた。
のこちゃんの部屋は、六畳敷きの和室である。
家具は、小さな本棚と文机、現在見ている画角20インチに満たない液晶テレビと録画機が収められたラックの横に、簡易型クローゼットがあるくらいだ。
5月の連休を目前に控えている時期とあって、まだ朝方は肌寒い。
家自体がかなり年季が入っている一戸建てな上、家具が少ない分、のこちゃんの部屋はすきま風も通りやすかった。
一応、エアコンは付けてもらったのだが、暖房を入れると何故か気分が悪くなるので夏場に冷房しか使っていない。
仕方なく、自分の体温で暖かくなっている布団の中から毛布を引っ張り出して、ひんやりとした畳の上を引きずりながら身体に巻き付けてゆく。
一見寝床への未練たらたらなのだが、寝落ちの危険がある以上、布団に寝たままの体勢で視聴する事はあり得ない。
肩へかかるくらいの短めなその黒い髪が寝癖になってあらぬ方向へ飛び出したりしていても、のこちゃんの意識はハッキリ覚醒しており、決して寝ぼけてなどはいない。
季節的に来週か再来週くらいにはもっと気温も上がるだろうと思いつつ鼻の辺りまでスッポリ毛布にくるまりながら、のこちゃんの目は、テレビ画面にしっかりと焦点を合わせている。
例え毛布でぬくぬくしていようとも、チャムケア視聴に対するのこちゃんの心構えは、いつでも真摯で本気なのだ。
そのテレビの中では、チャムケアシリーズを放送する直前のニュースワイド番組が、休日の長閑な雰囲気とそぐわない事件や事故の話題を採り上げていた。
多くの車両を巻き込んだ交通事故をはじめ、大規模な鉄道のトラブルに火災や突然の建物倒壊といったものから、人の殺傷に絡む事件性が強いものなどで、総じてどれも暗い話だ。
「最近、多いよねぇ……」
誰に言うでもなく、のこちゃんは、寝起きのかすれた声でポツリとつぶやいた。
現実を生きていると、理不尽な目にあう事もある。
その内容は、人それぞれであり様々だろう。
のこちゃんの場合、両親が既にこの世にいなかった。
小学校へ上がる頃に独りとなってしまい、母方の実家へ引き取られたのこちゃんは無事中学に上がれているとは言え、そういった現実の一端を幼いながら目の当たりにしてきた者でもある。
だからチャムケアシリーズの様なアニメ作品に傾倒して現実から逃避しているのかと言えば、そうではない。
時にフィクションやファンタジーといった創作物は、現実を生きる人の糧となり、前へと歩み出すための原動力になってくれる。
その事を、他でもないチャムケアが教えてくれたのだ。
他人はどうか知らないけれど、うつむきそうになるその小さな背中を何度も力強く押してもらえたし、これからもそうだろう。
だから、のこちゃんは、チャムケアが好きなのである。
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チャムケアを見終わった後は、『チャムケアシリーズ』以上に長い歴史を誇る特撮ヒーロー作品の『シュープリム戦団シリーズ』と『フルヘルムナイトシリーズ』が同じチャンネルで立て続けに放送されているのだが、そちらを録画機に任せて本格的に起床をする。
実は、チャムケアに出会う前、同居する叔母のすすめで特撮ヒーロー作品を浴びる様に視聴してきたのこちゃんなので、暇な時に録画を見るくらいなのだが、現在でも新作チェックを続けている。
特におすすめされた『時空刑事シリーズ』は、かなり古い作品なものの、全身メッキで造形されたロボットの様なヒーローが激しいアクションを繰り広げるアプローチで、その熱いドラマ性にドキドキしたから今でも好きなのだ。
日曜日の午後は、地域コミュニティー主催の剣道教室へと通うのこちゃんである。
その前に、家のお手伝いをしたり、朝食をとるべくキッチンへと赴くのが習慣であった。
「おはよう、おばあちゃん」
「おはよう、のこちゃん」
キッチンでは、既に祖母が朝食の準備をしており、電気ポットから勢いよく湯気が噴き出していた。
雨戸が開けられたアルミサッシの窓からは、春のもんよりとした暖かい陽射しが家の中を照らしている。
チャムケア視聴を挟んでいても、寝起きの目には眩しい午前中の光である。
キッチンと繋がった居間には大型の液晶テレビがあり、電源がオンになっていないその黒い画面も、陽の光で真っ白になっていた。
平日だと学校にいるこの時間帯はテレビをつけてもよく見えないのだろうなと、ぼんやりのこちゃんは思う。
視線をキッチンへ戻すと、自分が引き取られてきた頃より白髪が目立つ様になった祖母が、花柄の赤いエプロンを身につけ器用にフライパンを操っている。
祖母はやせ形で、背の高さも今ののこちゃんとさほど変わらない。
のこちゃんが初めてこの家に来た時から、少し背筋も曲がってきただろうか。
「手伝うよ」
「ありがとう、じゃあ、お皿を出してくれる?」
「うん」
どこにでもありそうな家庭の、何でもない、朝の風景である。
母の実家である佐橋の家は、のこちゃんにとっての祖父母と、母の妹に当たる叔母の 京華 との三人住まいだった。
幼いのこちゃんが家族に迎え入れられてからというもの、寂しい思いをさせない様にと、三人には可愛がられてきた。
特にのこちゃんが きょう姉さん と呼んで懐いた京華は、ギリギリ二十代前半で祖父母に比べれば話しが通じやすいとあって、率先してのこちゃんの面倒を見てくれたのだ。
もちろん、件の特撮ヒーロー作品による英才教育も、のこちゃんが楽しく過ごせる様にというきょう姉さんなりの気遣いであり、その一環なのである。
幸か不幸か、ヒーロー作品三昧を嫌がって逃げ出さずに、嬉々としてそれに応えてしまったのこちゃんには元々素質が備わっていた訳なのだが、それが『チャムケアシリーズ』と出会う切っ掛けにもなった。
まさしく運命だったに違いないと、お皿を並べながら、のこちゃんは頷いてみる。
ちなみに、のこちゃんの部屋にある液晶テレビと録画機は、きょう姉さんのお下がりである。
それまで何を視聴するにしてもきょう姉さんの部屋で一緒にだったのだが、チャムケアと"運命の出会い"をした際に自分専用の物が欲しいと相談したところ、新調する予定だったからと言ってのこちゃんにラックごとくれたのだ。
あの時は、本当に嬉しかった。
おかげで、のこちゃんが初めて第1話からリアルタイム視聴したシリーズ第12作目『Joy!フロイラインチャムケア』以降は、充実した録画ライフを実現できている。
「……これが天国か」
何度でも己の意のままにチャムケアが視聴できるとあって、素朴に、そして心の底から感嘆の言葉がこぼれる。
未だに、自室へ録画の環境が導入された当時を思い出すと、顔がにやけてしまうのこちゃんであった。
もちろん、大切な録画データのバックアップは面倒がらずにしっかり取れという、きょう姉さんの厳しい教えもしっかりと実行し続けている。
キッチンと居間には、まだ祖父ときょう姉さんの姿は無い。
祖父はお休みの日だと寝坊しがちであるのだが、きょう姉さんの場合、現在も自室のテレビの前にいると確信するのこちゃんである。
のこちゃんにとってのチャムケアが、きょう姉さんにとっての特撮ヒーローなのだ。
とは言え、じきに祖父ときょう姉さんもキッチンに来るだろう。
食事を済ませたら、のこちゃんは出かける準備もしなくてはならない。
その事を二人とも知っているからだ。
「のこちゃん、先に食べる?」
「待つよ」
「そう?」
キッチンにあるダイニングテーブルへ4人分の食器を並べ終えたのこちゃんは、いつも自分が座っている椅子を引くと、今日放送されたチャムケアの事を思い返しながら席に着く。
そう言えば、番組内で告知されていた春恒例の劇場版公開に友だちを誘えたなら楽しそうなのだが、のってくれそうな相手は誰だろう。
ちゃんと朝早く起きる日曜日には、そんな事を考えられるくらいの余裕があるのだ。
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剣道教室は、公営の体育館ではなく、公民館にある広い一室を板張りの道場に誂えた場所で行われる。
道場は、建物の1階で窓も大きく、開閉可能なので換気も十分、それなりに天井も高いため圧迫感も無い。
道場といっても、普段はダンス教室やら演劇の稽古やらで使われていて、用途は様々だ。
集合時間より少し早いとあり、教室に参加するメンバーものこちゃんを含めて、まだそんなには集まっていなかった。
「今日のチャムケア見た?」
「見てねぇっつってんだろ」
のこちゃんがしれっと始めた話題にハイハイソウデスネといった面持ちでいなすのは、同級生で友だちの 大賀美宿福 だ。
残念ながら、チャムケア視聴からは卒業ずみである。
毎週、剣道教室に来る度に繰り返されるたわいないボケとツッコミの様なものなのだが、のこちゃんは割と本気で宿福がいつかチャムケアに戻って来るかもと希望を持っている。
宿福は、のこちゃんが中学に入ってからの友だちで、強気な上に思った事がすぐ口から出てきてしまう豪速球系女子である。
それは歯に衣着せぬ裏表の少ないまっすぐな性格とも言え、時に大人から反抗的なレッテルを貼られやすいものの、友だちとして付き合いやすい正直さでもあった。
背の高さはのこちゃんよりも大きく、本人の運動好きも手伝って、のこちゃんが知る限り特に運動部関係の友だちが多い模様だ。
整った顔立ちと生来のやや茶髪が印象的でヤンキー系に誤解されがちなのだが、上の兄弟がいて、幼い頃はヒーロー作品からチャムケアまで一通り見ていたからなのか、悪い事や筋の通らない事を嫌う。
これが所謂情操教育の賜物ってやつだろうか?と、のこちゃんは、常々この絶妙なバランスで成り立つ宿福の性格に感心しきりだった。
同じ剣道教室に通っていると言っても、さほど運動が得意でもないのこちゃんと宿福の気が合うのは、やはりチャムケアやヒーロー作品で熟成された熱い魂を持つ者どうしだからなのかも知れない・・・
と、主にのこちゃんが思っている。
「あたしが見てたのは"バシバシ!チャムケア"くらいの頃だな。その後は全然わかんねーよ…
ああ、いや、"スマッシュチャムケア"だったかを別のチャンネルで、同じ頃に見たかな?」
「『スマッシュチャムケア!』良いよね。丁度シリーズでもキャラの絵柄が変わって、歴代チャムケアが総登場する劇場版長編の『プロフュージョンフラワーズ』もこの年から・・・」
「あー、うるさいうるさい」
宿福がチャムケアに戻って来るという希望を持っていると言うより、突破口を見つけては、前向きに唆そうとするのこちゃんである。
そうなってくれれば劇場版チャムケアシリーズにも誘いやすいし、恐らく身近な理解者としては、理想的な存在に違いない。
チャムケアは絶対にくじけないのだ。
「そう言えば、のこは、京華さんと一緒に来なかったのか?」
友だちの厄介な暴走を遮る様に、宿福は強引に話題を変えた。
「きょう姉さんは、さっき仕事先から電話がかかってきて、そっちに行ったよ。何か用事を済ませてから、こっちにも来るってさ」
「あー、遅れてんのか」
きょう姉さんは、学生時代に取った杵柄でこの剣道教室を手伝っていた。
聞いた話では、大学の部活で参加した、一般も含める公式の大会にて武道館決勝まで行ったらしい。
のこちゃんを剣道教室へ誘ったのもきょう姉さんである。
きょう姉さんは、のこちゃんにとって剣道教室のコーチでもあるのだが、推しである「時空刑事シリーズ」の必殺技が剣主体な事を考えると、どういう腹づもりで剣道に取り組んでいたのか何となく察しがついてしまう。
事実、きょう姉さんとかかり稽古を始める前、時空刑事が必殺技を繰り出す際に剣を発光させるシャイニングソードのそぶりをのこちゃんがやってみせると、ノリノリのキレッキレな別の振りで返してくるのだ。
確かに、全身を防具で包む剣道の競技スタイルは、変身した気持ちになるのかも知れない。
稽古中に興が乗ってなのか、のこちゃんを相手にヒーローショーまがいな殺陣を披露して教室を脱線させてしまい、先生に怒られた事も一度ならずあった。
そんなきょう姉さんであるから、教室に通う他の子供達には何のマネか通じていないながら、ヒーローっぽくてカッコイイと好評を受けている。
宿福も、流石、のこの叔母さんだなと言って笑う辺り、きょう姉さんを気に入っているらしかった。
「あ、更衣室開くみたいだよ宿福ちゃん」
「おう」
剣道教室の先生が更衣室の鍵を管理しているので、先生が到着するまでは、中のロッカーが使えないのだ。
ロッカーは二人で一つずつ使えるきまりになっており、当然のこちゃんと宿福が一緒である。
着替えた服と貴重品なども入れて、教室が行われている最中は、それぞれのロッカーにも鍵をかけてしまう。
チャムケアシリーズ2作目『チャムケア!マーベラス・ハウル』は、1作目の純粋な続編であり、新たに加わったパートナーと二人でチャムケアに変身する設定となった。
二人が揃わないと変身出来ないとあって1作目とまた違うピンチの演出が作品の幅を広げ、放送当時は前作のままで良かったというファンの声が少し聞こえたらしいものの、大凡好評で劇場版も2つ作られた程の人気ぶりである。
のこちゃんがロッカーの使い方がそれに似ていると言えば、宿福もこいつはしょうもないなと遠い目をしつつ、ハイハイソウデスネといつも通り受け流して着替えを進める。
「そう言えば、のこは基礎化粧とかどうしてんだ?」
「えー、お化粧なんて、まだ何もしてないよ」
「ばーか、基礎化粧はメイクとかと違うんだよ」
「あっ、チャムケアでもメイクをテーマにした作品が…」
「うるさいうるさい」
繰り返されるたわいないボケとツッコミの様なものは、そんなひとときこそが、のこちゃんと宿福にとって大好きな日曜日午後の過ごし方なのだろう。
二人の顔は笑っていた。
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結局、仕事先のゴタゴタが終わらずにきょう姉さんが剣道教室へ来られなかったので、のこちゃんをはじめとする参加者たちは先生の指導で時間通りに稽古を終わらせた。
中にはもの足りない顔をした子供たちがいたものの、これが本来の剣道教室である。
とは言え、のこちゃんもきょう姉さんがいた方が楽しいので、気持ちは分かる。
やはり、きょう姉さんのお下がりであるのこちゃんのMyPhoneには、きょう姉さんの断末魔がショートメッセージで送られてきていた。
「きょう姉さん、良い人だったのに………」
「いや、京華さん、生きてんだろっ」
「のこちゃん、すくねちゃん、剣道終わったみたいだね?」
のこちゃんと宿福がMyPhoneの画面を見ながら公民館の前で乾いた笑いをこぼしていると、道なりに歩きながら二人へ手を振って声をかけてきた者がいた。
声の方へ視線を向ければ、そこには、宿福と同じく同級生で友だちの 諏訪愛茅 が近づいて来るところだった。
背はのこちゃんと同じくらいか少し高めで、ふんわりとした毛質の黒髪をテキトーに、それでも耳が隠れてしまう程度にボリュームを残して短く切りそろえている。
ややキノコっぽい印象ではあるのだが、寝癖にさえ気を付ければ、面倒が無いから楽で良いらしい。
この年代の少女らしく全体的に少しふっくらしているものの、目も大きく、愛嬌のある顔立ちである。
いつも何かしら本を読んでいる様などちらかと言えばのこちゃん側の目立たない系女子なのだが、今日は全体的に水色が晴れやかで、どこかお洒落な格好をしていた。
せっかくの日曜日なので、お出かけしていたのだろうか。
「あ、まなっちゃん」
「よぉ、まなち」
学校では、宿福と愛茅がのこちゃんにとって一番の友だちなので、一緒にいる事が多い。
「いやぁ、大型書店めぐりで都内へ足を伸ばそうと思ったら電車がだめでね、しかたなく駅前の本屋をのぞいて帰って来ちゃったよ」
「ああ、朝のニュース番組で見たよ。
電車一本で都心へ出れても、その電車がだめだと、あたしたちじゃどしょうもないよねぇ」
中学生の身では、家族に車を出してもらうか、電車より割高なバスを乗り換えて行くしかない。
そう言えば、のこちゃんが小さい頃に住んでいた都内のアパートからは都庁の建物も近くに見えていた記憶があるので、電車が止まっていても何とかなっただろうか。
「まなち一人で行ったのか?」
「ああ、ひなちゃんも一緒だったけど、ここに寄り道するって言ったら、用事があったみたいで帰っちゃったんだよ」
「うすか。何かあいつに、避けられてる気がすんな」
「そんな事無いよ。ひなちゃん、良い娘だよ?」
ひなちゃんとは 宇須陽菜 といい、やはりのこちゃんの同級生で友だちである。
確か、愛茅と陽菜は読書仲間で、時々一緒に本屋さんを回っていると以前のこちゃんは聞いた事があった。
「それでどうしたの、まなっちゃんは、あたしたちに用事?」
「うん、本当にこのまま帰るんじゃ物足りなくてね…二人とも暇なら、どこか寄って行かないかい?」
のこちゃんと宿福は、愛茅お誘いに顔を見合わせて、じゃあそうしようかと公民館を後にした。
そば屋のチェーン店である海畑そばにしようという宿福の主張は即刻のこちゃんと愛茅から却下され、同じチェーン店でも無難なハンバーガーショップの店内席へと三人は腰を据えた。
「天ぷらうどんな感じだったのになぁ……」
「まぁほら、食べ終わって即退店だと、ろくにおしゃべりできないだろ?」
白身魚のフライを挟んだバーカーにかぶりつきながら愚痴る宿福を愛茅が宥める横で、のこちゃんはチョコ味のシェイクをすすりつつ、春の劇場版に二人を誘ったら付き合ってくれるだろうか?と考えていた。
勿論、チャムケアの話である。
「そう言えば、二人は連休の予定って何か考えているのかい?」
おおそれだよ!と目を輝かせたのこちゃんに気が付いた愛茅は、苦笑いしながらチャムケア映画は考えておくよと前置きして、別の計画を提案した。
「都内の方は最近変な事件や事故が多いし、たまには山の方へでも遠出しないかい?」
「ん?ああ、天気が良けりゃあ、別にいいよ」
「なぜわかった」
「ほら、わたしたち二年生になってクラスが別れちゃっただろ?」
「そっか。のことは剣道教室があっからまだ良いけど、まなちは、たしかになぁ」
「そうそう、チャンスがあるならイベントの一つも欲しい所じゃないか」
若干リアクションのおかしいのこちゃんに再び苦笑しつつも、愛茅は、話を進める。
宿福が言う通り、確かにのこちゃんと愛茅は、二年生になってから休み時間に会うくらいの小さな接点しかなくなっていた。
「そうだ。せっかくだし、うすも引っぱって来いよ、まなち」
「それはかまわないが、すくねちゃん、何か悪い顔してるよ?」
中学へ上がり、たまたま同じクラスになって、どういう訳か馬が合った宿福と愛茅と一緒にいるのは自然で楽しかった。
そんな愛茅が一緒にいたいと言うのなら、まぁ、春の劇場版は後でも良いかなと思うのこちゃんである。
特に現在は、都内方面の電車が止まったりするのも不安であるし、少し時期をずらして、きょう姉さんに相談をして車を出してもらうのもアリなのかも知れない。
それにしても、山の方へ遠出となると、やはりハイキングだろうか。
のこちゃんも、ひとまずチャムケアについては脇に置いて、愛茅と宿福の会話に加わる事にした。
こうしたものは、あれやこれやおしゃべりしながら、予定を考える時間が一番楽しいのだ。
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名残惜しい日曜日の終わりには、自室の文机に翌月曜日の時間割を確認して教科書やノートに資料集等を揃え、きっちりと準備するのがのこちゃんの常である。
当然、宿題も忘れない。
正直に言えば学校の勉強は得意ではないものの、引き取って可愛がってくれる家族の顔に泥を塗る訳にいかないので、佐橋の家へ来てからというものできるだけがんばっているのだ。
お世話になっている人への恩を仇で返すなと、物心ついた頃からお父さんに唯一厳しく教えられた事を、頑なに守っている。
のこちゃんにとってそれは、剣持虎の子の名前と同じ様に、数少ない亡き両親との繋がりでもあった。
まだ小さな頃、両親と共に過ごした都内の狭い部屋を、のこちゃんはぼんやりと憶えている。
しかし、今思うとアパートの一室なのだろうが断片的で、住んでいたその正確な場所はもう分からない。
都庁の建物がそれなりに近く見えた記憶から、恐らく副都心の、新宿の何処かなのだろう。
現在ののこちゃんは、新しい家族にも良くされ、友だちにも恵まれて幸せだと思う。
ただ、その断片的な記憶にもまた、現在に劣らない多幸感が満ちているのである。
トントン
のこちゃんが準備を終え、就寝するべくパジャマに着替えようとした時、部屋のドアからノックが聞こえた。
「いま良いかな?、のこちゃん」
祖父である。
着替えたらおやすみなさいの挨拶を居間へしに行くのがのこちゃんの常なので、祖父の方から部屋へ訪れるのは、少し意外だった。
祖父は、祖母より十歳くらい年上と聞いている。
頭髪や眉毛は既にまっ白なものの、背筋がしっかり伸びた姿勢の良さで、普段から快活に笑う明るい人だ。
「何?おじいちゃん」
なんだろうとドアを開けると、眉を八の字にして、何やら困った顔の祖父が立っていた。
のこちゃんの"なんだろう?"は、更に大きくなる。
祖父はどう話を切り出そうかと迷ったらしく、暫くあーとかえーとか唸った後で意を決した様に話し始めた。
「実はね、のこちゃんのお父さん側のご親族から、連絡が来てね・・・」
「え?……」
祖父の話が意外な方向からだったので、のこちゃんはどう反応して良いか分からず、つい固まってしまった。
「のこちゃんと、二人だけで面会したいそうなんだよ」
「……お父さんの?」
「お兄さん、つまり伯父さんだね」
亡くなったのこちゃんのお父さんは、古い任侠道の一家にお世話になっていた、平たく言えばやくざ者であった。
幼いのこちゃんを残して逝ったのも、そのやくざな関係で事件に巻き込まれたからと聞かされている。
しかし、それはのこちゃんが小学校へ上がる前の事、昔の話だ。
のこちゃんが佐橋の家に引き取られた時も、父方の干渉が無かったのは、理由が理由だけに母方へ全面的に託す形になっていたからである。
「伯父さん……」
「それが、向こうさんが言うにはね……」
何故、今頃になって自分と会いたいのだろうか、そうぼんやり考えてしまって続く祖父の言葉が頭に入ってこないのこちゃんであった。
つづきます。