推しである裏ボスは娯楽に飢えている
短編
「さあ、かかって来い、勇者よ!」
かっこいいの一言に尽きる。
大人気の王道アクションRPG『スターダスト・ライト』。そこに出てくる裏ボス、ディルガン。
彼はラスボスを倒してから初めて戦える、いわゆる裏ボスであり、世界を観測している神のような立場である。
最初は青年のような人型で登場し、それを一定数のHPまで減らすことによって真の姿であるドラゴンに変身するという特徴がある。
さらに、裏ボスというだけあって戦闘難易度は高く、多くのプレイヤーを楽しませ、そして苦しめた敵キャラクターの1人。
豪快で偉そうな口調の、戦闘狂である。
プレイヤーである勇者と戦う理由も“強いやつと戦うのは楽しそうだから”と、単純だ。
語ればキリがない、というのも、この裏ボスは私の推しである。
ビジュアルが好みだというのも勿論あるが、その強さと相手に敬意を払う紳士さ、観測者という立場なのに子供みたいに戦いを楽しむギャップなどに心を鷲掴みにされた。
彼と戦うために目の下にクマを作りながらゲームを何周もしたのはいい思い出だ。
では、その推しが目の前に実際に現れたらどうすればいい?
私は発狂寸前の過呼吸になりかけた。
仕方ない、と自分でも思う。
だって推しがいきなり高画質を通り越してこの世界に生きているという事実を突きつけられたのだから。
だが、問題はもちろんあった。
ディルガンが現実になったのではなく、私自身がゲームの世界に転移してしまっていたからだ。
理由も原因も原理もわからないのでもうしょうがないとしか言いようがない。
「ほう、この宮殿までたどり着けたものがいたとはな……」
脳内の整理が終わらぬままに推しに話しかけられるというイベントが進んでいく。
話しかけられた声は、低く落ち着いていた。
ゲーム内で声優さんが演じていた声と少し音質が違うのは機械を通してないからなのかな、とか考えてしまった。
「長い長い歴史のなかで、ここまで来た者は片手で数えるほどだった……。――勇者よ、お前は我を楽しませることができるか?」
落ち着いた雰囲気から一転して、部屋の空気が変わる。
画面を通さない本物の神の威圧。
それを肌で感じられた。
ただの平和な世界住む一般女性である私だったら耐えられない覇気だったであろうそれは、不思議と歯を食いしばることで持ちこたえることができた。
おそらく、私の今の体が“勇者である私”だからだろう。
実際に身体を見てみると、私がデザインした装備などが身につけられている。
つまり、私はプレイヤーとしてではなく、勇者というキャラクターとしてこの世界に意識だけ転移してしまったということだ。
腰に携えていた長剣を手に持ってみる。
確かな重みと柄の感触は、私を勇者の力をそのまま継承した存在だと実感させるには十分だった。
「娯楽という名の神の気まぐれに耐えうる存在、それがお前であることを願う。 ――さあ、かかって来い、勇者よ!」
ディルガンが戦闘態勢に入る。
恐ろしく強力な魔法攻撃と物理攻撃を放ちながら、彼は私に接近してきた。
結果的に言えば私は不利だった。
それはそうだ。
なぜなら戦闘経験など全くない一般人に過ぎないのだから。
当然、勇者としての身体能力や魔力はある。
今の私は人智を超えた力を得たといっても過言ではないだろう。
ただ、それをいきなり与えられたとしても、巧みに使いこなすことは困難だった。
コントローラーで指を動かしてキャラクターを操作するゲームとは違う。
様々な経験を必要とする命をかけた戦闘では、私は彼には適わなかった。
次第に戦況も押されて、私の身体に傷が増えて満身創痍になったころ、ディルガンは動きを止めた。
彼は、面白くなさそうな腑に落ちない表情をしていた。
「何故、本気を出さない……」
この裏ボスがいる宮殿までたどり着くにはそれなりの戦闘技能が必要不可欠だった。
よって、私の実力はこの程度ではない。
理由はわからないが、手加減されているのだと彼は考えたようだ。
しかし、私の意識がこの身体に転移したのはついさっきであり、ダンジョンを駆け上がっていたのは“本物のほう”の勇者だ。
つまり、私は最後にいきなり現れた異物に過ぎない。
「本気、だったんだけどなあ……」
私はここに来て初めて口を開いた。
悔しすぎて涙を零す。
せっかく推しが目の前で具現化するという人生何周分もの徳を積んでも得られない幸福の時間だというのに、私は彼を楽しませてあげられなかった。
所詮は画面の向こうのプレイヤー。
自分の分身である勇者は立派に務めていた“ディルガンを満足させる”ということが、私ごときでは不可能だったのだ。
「我に敵意がないとわかっていたのか?」
「まあ、それもある」
これは設定上で知っていただけだが、ディルガンという裏ボスは本当に娯楽として戦えるキャラクターだったのだ。
彼は世界を滅ぼしたりもしないし、勇者に危害を加えたりもしない。
ラスボスを倒してストーリーを終えたら強制的に戦わなければならないシステムでもないのだ。
無害な裏ボス。
ただ、プレイヤーを楽しませてくれるボーナス的な存在。
では、彼のことは誰が楽しませてくれるのか。
私は短い人生のなかで沢山の時間をこのゲームに楽しませてもらった。
敵わないとは理解していても、ディルガン本人には自分との戦闘で歓喜を見出して欲しかった。
それが、例え自分の命と引き換えだとしても、だ。
「ちょっと理由があって本当の実力が出せなくなっちゃったんだ……。そうだなぁ、そう“力を封印”されちゃって」
口から出たのは出鱈目な言い訳。
事実、そんなことされてないし勇者の力を封印できる重要キャラクターがいたら見てみたいものだ。
でも、こうでも言わなければ彼が納得しないだろう。
それに、最後くらいはこの世界の勇者の設定は守りたかった。
「封印……だと?」
「うん、絶対解けないみたいでさ」
「いつそんなものにかかった?」
「ダンジョンで……えっと、なんか見知らぬ魔術師にやられた、かな?」
もうめちゃくちゃである。
身体中、傷だらけで痛みがあるし、頭が回らなくなってきた。
「最後にあなたを楽しませられなくて残念だけど、私は楽しかったよ」
これは本心だ。
推しという存在に出会えて、全く敵わないながらも、共に時間を過ごしたという事実は変わらない。
私は確かに幸せだった。
「ありがとう……」
ゆっくりと目を閉じる。
前世ではゲームくらいしか楽しみがなかった私が目を輝かせた大好きな世界。
それを少し体験できただけで、満足だった。
更には、最期を推しに見送ってもらえるのだからこの上ない贅沢だろう。
身体は次第に浮遊感に包まれて軽くなる。
傷の痛みも感じなくなってきた。
来世に思いを馳せながら、自分の鼓動が止むその時を待った。
――しかし、そんな時はこなかった。
私は何故か生きていた。
突然の浮遊感も痛みを感じなくなったのも、気のせいではなく、本当に傷が治癒していたのだ。
身体を起こし、その場にいる裏ボスの顔を見る。
彼は顎に手を当てて考え込む仕草をしていた。
「傷は治した。もう動けるだろう」
「え、でも、なんで……」
どうやら、ディルガン本人が魔法かなにかで治療してくれたようだ。
激しい戦闘の後だったにも関わらず、余力が残ってるのは流石としか言いようがない。
「お前は真の実力が“封印された”と言っていたな。それは我でも解呪が難しいのか?」
「まあ、難しい……かな」
なにかと思えば先程の嘘が真実だと思われていて、その話の続きをしたいようだった。
正直、自分の人生はもう終わったと思っていた私は呆気に取られていた。
「では、その封印が解ければ、お前はもっと強くなるのだな?」
「ああ、うん、まあそうだね」
彼の意図が見えずに困惑するばかりである。
「ならば、我と共にその封印を解呪する方法を探そうではないか!」
返ってきたのはとても前向きな提案だった。
が、もちろん私は冷や汗が背中を伝うのを感じた。
「いえ、結構です……」
「遠慮はいらん! 人間の生は短い。それ程の実力を持つ者をこのまま腐らせておくには惜しい。真の力を取り戻せ! そして、我と再び戦え!」
なんとなく理解ができた。
ディルガンの元にたどり着けるような腕利きの勇者は歴史上で数人程度。
つまりは、次の優れた勇者が現れるのを待つより、私の封印とやらを解いたほうが早いという結論に至ったのだろう。
そして、自分は強い者と戦えて歓喜ということだ。
――これは、大変まずい。
封印とかそもそも嘘だし、これからその罪悪感を抱えて生きていかなければならない。
そして、もし嘘がバレたらどうなるんだろうという強烈な不安が私を襲う。
「じゃあ、私はこれで……」
逃げよう。
そう思った。
しかし、現実は甘くない。
「待て、我も同行しようではないか。下界とやらに久方ぶりに降りるのも悪くない。さあ、勇者よ、再び全力で剣を交える時を目指して励もうではないか!」
――裏ボスであり、世界の観測者であり、神のような存在が下界に降りると言っている。
そんなシステムはゲームには当然、有り得ないものだった。
それこそ、世界の均衡が崩れるようなとんでもないことになりかねない。
「いや、ほんとに結構です!」
「何を言う。我ほどの存在に匹敵する力を持つ者として、お前は努力してきたのだろう? なにも後ろめたいことはない。誇れ。お前は我が協力するに値する人間だ!」
ディルガンは強い。
そして、それ故に1度決定したことは曲げない性格だった。
私は正直に言えば、その言葉はとても嬉しかった。
推しが自分のために協力してくれると言って喜ばないわけが無い。
それに、下界を旅するのに同行してくれるってそれただの旅行じゃん。
推しとの世界旅行。
とても良い響きだった。
「まあ、少しだけ、なら?」
人間は欲に弱い。
私は結局、ディルガンの威圧と自分の欲望に負けてしまった。
「ならば行くぞ。行動は早い方がいい」
彼が私に手を伸ばす。
戸惑いがちに、自身の手を重ねた。
それが承諾の合図となり、ディルガンはニカッと口角を上げて笑った。
突如起こる下からの風圧。
それに目を瞑ってしまったが、次に目を開けた時には私たちはいつの間にか、夜の雲海の中にいた。
そして、下界に向けてゆっくりと下降している。
空から見た世界、大陸、星はとても大きく見えて、一度ゲームで冒険したはずの私をゲーム初プレイ時のように興奮させた。
さらに、隣には自分がずっと想っていた相手がいる。
もう、これだけの幸福を味わえたのなら、これが夢でもなんでも後悔はなかった。
「さあ、存分に楽しもうではないか!」
ちょっとした嘘と勘違いから始まった旅がどうなるのか。
それは誰も知らない。