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夢の終てまでも  作者: 木原式部
2.現実から目を背けて
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 ふいに左肩を叩かれたような気がして、蛍は意識を取り戻した。

 ――身体が重い。

 まるで空気自体が重くなってしまったかのような圧迫感を覚えながら、蛍は瞼を薄く開いた。

 さっきまでの心地よい世界はどこにもない。

 確かに自分の足元のカーペットは毛並みが長くてふわふわしているし、どことなく漂って来る空気も清浄な感じがする。

 でも、さっきまでのあの世界に比べれば、平凡でつまらないようなものに思えて来る。


(――ここは?!)

 蛍は目を見開いた。

 いつの間にここに戻っていたのだろうか。蛍は香椎という老人の寝室の隅の壁にもたれかかっていた。

 夢の世界へ行く前は、確かに紫と並んでベッドの横のスツールに座っていたのに。


 蛍が重たい頭をゆっくりと上げてベッドを見ると、紫と香椎という老人の姿が見えた。

 紫はあのスツールに座ったままだが、香椎は目を覚ましたらしく、ベッドの上に上半身を起こしていた。


「――今日もありがとう」

 香椎はまるで少年のようにあどけない熱っぽい視線を紫に向けていた。「今日もあの思い出の夢を見られた。本当に嬉しいよ。また次回も頼む」

「――はい」

 興奮している香椎に比べて、紫は何ともそっけない表情だ。

 蛍はまだ重たい頭でその光景を見ながら、違和感みたいなものを覚えた。

 確かに紫は第一印象からふてぶてしく不愛想だった。でも、今の紫は第一印象よりももっとふてぶてしく不愛想だ。

 紫はきっと不機嫌なのだろう。何かを嫌悪しているような表情をしている。

 ――もう、この場からすぐに立ち去りたい。

 そんな表情をしている。


 証拠に紫は感謝の言葉を何度も繰り返す香椎を遮るかのようにスツールから立ち上がった。

「また、次回も頼むよ。今日は本当にありがとう」

「いえ、それではまた」

「お礼はいつも通り、下の家政婦に受け取ってくれ」

「はい」

 紫は手短に会釈をすると、老人を振り切るように壁にもたれて座り込んでいる蛍に歩み寄った。

「――あの」

 蛍が何を言えばいいのか戸惑いながら紫を見上げると、紫は無表情のままスッと手を差し伸べた。

「立てる?」

「うん」

 蛍が紫の手を取ると、紫の手だけがまだ夢の続きのように柔らかくふわふわとして温かかった。 

 蛍は歩けるだろうかと不安だったが、一度立ち上がってみると、まだ身体がクラクラするような気もするが、歩くのに問題があるほどでもなかった。

 紫も蛍の様子を見てそれを悟ったのか、蛍の手を離すとさっさと寝室のドアの方へと行ってしまった。

 蛍は香椎に向かって会釈すると、慌てて紫の後を追って寝室を出た。


 蛍が紫の後に続いて階段を降りると、着た時に対応をした家政婦が階段の下で紫に声を掛けて来た。

「――賢木様、今日もありがとうございました。こちらお礼です」

 家政婦は紫に封筒を差し出した。

 蛍には封筒の中にいくら入っているかはもちろんわからなかったが、封筒の厚みから一万円や二万円と言う枚数でないことは悟った。

 誰かに夢を見せる相場はかなりの金額みたいだ。

「ありがとうございます」

 紫は封筒をぶっきらぼうに受け取ると、「では、失礼します」とそのまま足早に外へと出て行った。


 蛍はまだふらつく身体で何とか紫の後を追った。

 なぜかわからないが、紫は怒っている。

 でも、何にそんなに怒っているのだろうか。

 蛍から言わせれば、あれだけの金額をもらえば、それだけで上機嫌になりそうだというのに。


 紫は真っすぐに香椎の家の門を潜り抜けて道路に出ると、ぴたりと歩みを止めた。

 紫の後を追っていた蛍も歩みを止める。


「――あの意気地なし!」

 突然、紫が声を上げた。

「えっ?」

 蛍も驚きの声を上げた。

 紫は振り返ると蛍を見た。

 やっぱり……と蛍は思った。老人や家政婦と対応している時は無表情だったが、自分が感じた怒りの雰囲気は思い違いではなかったようだ。

 振り返った紫は明らかに怒っている表情をしていた。

 でも、なぜこんなにも怒っているのだろうか。

「見たでしょ? あのクライアントの夢」

「えっ? うん、確かに見たけど……」

「あのクライアント、いつもあの夢を見せてくれって言うのよ。それがどういう意味かわかる?」

「えっ? いや、その……。全然わからないけど」

 蛍は紫の怒りに圧倒されて、思わず後退りしてしまった。

 本当のこの女の子は一体何者なのだろうか……。

 普段は無表情でクールだというのに、ポイントポイントで頬を紅潮させたり怒ったりと感情を露わにする。

 でも、目が離せない。

 紫が感情を露わにするたびに、紫の違う面を見るたびに、紫が気になってしまう。

 この女の子が一体何者なのか、気になってしまう……。


「あの夢、さっき会ったクライアントの中学校時代の夢なの」

「あっ、やっぱり、昔の……」

 蛍が古臭いと思ったのは当たっていたようだ。

 あの夢がさっきの香椎という老人の中学校時代の夢だとすれば、かなり昔の日本の話なのだろう。

「少年と少女がいたでしょ? 少年はあのクライアントで……。少女はあのクライアントの初恋の人なのよ」

「初恋の人?」

「そう。あのクライアント、まだ初恋の人が好きなのよ。本当は初恋の人と結婚する予定だったけどお金のために別の人と結婚して、初恋の人は誰とも結婚できなくて……。クライアントはあの初恋の人をお金のために捨てたの」

「捨てた?」

「でも、クライアントはずっとあの初恋の人が好きで、夢の中で少女に渡された羽根をずっと持ってるの。枕元にあったでしょ? 羽根」

「あっ、うん……」

 蛍は老人の枕元に飾られていたあの真っ白い羽根を思い出した。

「あの初恋の人はまだ生きているんだけど……」

「えっ?! 生きてるの?」

「そうよ、生きてるの。あのクライアント、初恋の人がどこに住んでいるかもわかってるのよ。自分の奥さんが亡くなってからいろいろと調べたみたいだけど、会いに行かないの」

「何で……」

 何で会いに行かないの? と蛍は訊こうとした。

 未だに枕元に初恋の人からもらった羽根を飾っているくらいだ。自分の奥さんも亡くなっていて、初恋の人が独身で生きているというのであれば、会いに行けば良いのに。


「――怖いのよ」

「怖い?」

「あのクライアント、初恋の人に会いに行くのが怖いの。会って罵られるのが怖いのよ。それにお互い若い頃と違って年取っているし……。自分がひどいことをしたとか年を取ったとか、そういう現実を見るのが怖いのよ。だから、せめて私に中学校の頃の夢を見させて自分を慰めているの。

 ――現実を見たくないの、現実に見て見ぬ振りをしているの」

「見て見ぬ振り……」

 蛍は突然自分の胸を締め付けられたような気持ちになった。

「本当に意気地なしよ。私よりも遥かに長く生きてあんなに大きな家に住めるほど人生で成功もしたって言うのに、どうしてあんなに意気地がないの? どうして現実の自分に見て見ぬ振りをしてしまうの? ねえ、どうして?」

「――」

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