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夢の終てまでも  作者: 木原式部
2.現実から目を背けて
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 紫はビルを出ると、たまたま通りかかったタクシーを停めて乗り込み、運転手に行き先が書いてあるのだろう紙切れを手渡した。

 蛍も紫の後に続いてタクシーに乗った。

「――これからどこへ行くの?」

 蛍が隣の紫に訊くと、真っすぐ前を向いていた紫はチラリと蛍の方に視線を向けた。

「クライアントのところ」

「クライアント?」

「そう、仕事のクライアント」

「クライアントって、どういう……」

「着けばわかるわ」

 蛍と紫の会話はそこで終わった。


 蛍は仕方なく、窓の外を見ながら時間をやり過ごした。

 外はすっかり暗くなってしまっているが、風景が段々と住宅街になっていくのがわかる。

 しかも、蛍には縁がないような超高級住宅街だ。

 大きな門や駐車場に高級外車が停まっているのを横目で見ていると、タクシーはやがて周りの家よりもひときわ大きい豪邸の前で停まった。

 蛍と紫が降りると、タクシーは走り出して暗闇の中に消えて行った。


「――ここがクライアントの家」

「クライアントの家?!」

 こんな豪邸に住んでいる人物が紫のクライアントなのだろうか。

 蛍の驚きを他所に、紫は何でもないような表情のままインターフォンを鳴らした。

 少しすると、家政婦であろう中年女性が出て来た。

 紫と家政婦の会話を聞く限り、どうも紫は何度もこの豪邸を訪れているらしい。

 この豪邸に住んでいるクライアントは、紫のお得意様なのだろうか。

「――お連れの方は」

 家政婦が紫の後ろに立っている蛍をちらりと見た。

「ああ、彼は私の助手です。お気になさらずに」

「助手?!」

 蛍が小声で言うと、紫は後ろを振り返って「黙ってて!」という視線をした。

「一緒に入ってもよろしいですよね?」

 こんな豪邸を前にしても、紫は平然とした表情をしている。

 家政婦に対して放った言葉も、有無を言わさせない威厳みたいなものを発していた。

「はい、あの……。かしこまりました」

 家政婦は門を大きく開いて、紫と蛍を中に入れた。



 今まで入ったことがないような、豪華な室内だった。

 玄関を入ってすぐのところは天井が吹き抜けになっていて、大きなシャンデリアが下がっている。

 柱や階段の手すりなどは白で、凝った彫刻が施されていた。

 所々に置いてある絵や小物に至るまで財を尽くしていることが、平凡な家庭に生まれ育った蛍にもわかるほどだった。

 蛍は隣に立っている紫に視線を向けた。

 こんな豪邸内にいるのに、紫は平然とした表情をしている。

 まるで、自分の家にでもいるかのような当たり前の顔だ。

 それだけ何度もこの豪邸を訪れているのか、元々度胸が備わっているのか……。


「――いつものところに行けば良いですか?」

 紫が家政婦に言うと、家政婦は頷いた。

「はい、旦那様は寝室にいらっしゃいます。でも、お連れの方は……」

「さっき言った通り、彼は私の助手です。香椎かしいさんには私から話しますから」

「あっ、はい!」

 家政婦は黙ってしまった。

 何て貫禄なんだろう、と蛍は思った。

 紫はこんな豪邸を訪れているにも関わらず、表情一つ変えない。

 それだけでなく、家政婦相手に威厳を放っている。

 本当に、この女の子は何者なのだろうか……。


「――こっち」

 紫は後ろの蛍に手招きすると、あの凝った彫刻が施された階段をひらりと登り始めた。

 まるで自分の家に帰って来た令嬢が、自分の部屋に行くかのような当たり前の仕草で。

 蛍も階段を登り始めたが、下に敷かれたカーペットがふわふわ過ぎて、思わず足を取られそうになる。

「あの……」

「何?」

「あの……、俺、本当について行ってもいいの? それに助手って……」

「良いの。そのために助手って言ったんだから。気にしないでついて来て」

「――わかった」

 蛍は黙って紫の後を歩いて行った。


 階段を登り切っても、当たり前だが室内の豪華さは変わらない。

 廊下の所々にはうっかり手を触れることさえできないような、きらきらした調度品が並べられている。

 紫は相変わらず蛍と正反対な平気な表情をしていたが、やがて廊下の隅の部屋のドアの前で歩みを止めた。

 紫はそのドアをノックした。


「――どうぞ」

 ドアの向こうから声が聞こえる。

 しわがれた、かなり高齢の男性の老人の声のようだった。

 紫は声を聞くと、一瞬の躊躇ちゅうちょも見せず部屋のドアを開けた。

 

 広々とした室内が蛍の目に飛び込んでくる。

 天蓋付きのベッドと言うものを現実に初めて見た、と蛍は呆気に取られた。

 高級ホテルか映画かどこかで見たことがある富豪の寝室とか、そういう自分とは全く縁がない豪華な世界が、そこには広がっていた。

 そんな豪華な部屋の中央に車いすがぽつりと置かれていて、さっきの声の主らしい老人の男性が座っていた。

 かなり高齢なのは顔のシワとしぼんだような身体つきでわかった。


 老人は紫の姿を見ると嬉しそうににこにことしたが、すぐに後ろの蛍に気付いて笑顔をひきつらせた。

「――香椎さん、失礼します。で、後ろにいるのは」

 紫は老人の表情の変化に気付くと、何食わぬ表情で蛍にちらりと視線を向けた。「私の助手です。今日はちょっと彼のお手伝いが必要でしたので、一緒に連れて来ました。もし、彼が一緒でお嫌なら、今日は……」

「いや、そんなことはない! 今日は彼が必要だと言うのなら、一緒で構わない」

 香椎、と言われた老人は慌てて紫の言葉を遮った。

「では、今日は彼も一緒でお願いします」

 紫はほほ笑んだ。


 家政婦の話の内容だと、この目の前の老人がこの豪邸の主なのだろう。

 だというのに、紫は明らかにこの老人を手玉に取るように言いくるめてしまっている。

 蛍はただただ紫の度胸に驚いた。


「じゃあ、今日も『あの夢』を見せてほしい。いつもの夢を」

「かしこまりました。また、お休みになった頃にお邪魔させて頂きます。――では、お休みなさい」

 紫は会釈をすると、蛍に手招きして寝室を出て行った。

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