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夢の終てまでも  作者: 木原式部
1.駅近くの歩道橋の上で
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 蛍は紫から視線を逸らした。

 柄にもなく、胸がどきどきしている。

 紫のさっきまでクールだった眼差しが、急に愛しい人を見つめるような熱っぽい視線に変わったからだ。

 事情を何も知らずにこの熱っぽい視線で見つめられたら、大体の男は「この女の子は自分に恋をしている」と勘違いするだろう。

 事実、蛍は一瞬勘違いしそうになってしまった。

自分と同じように「一度も夢を見たことがなかった人」がいるという衝撃の事実を目の当たりにしたというのに、一瞬そのことも忘れそうになってしまった。

(――違う、このは夢を見たことがない人を見つけたかっただけで、俺を見つけたかったわけじゃない)

 蛍は心の中で自分に言い聞かせた。


「君も、俺と同じように夢を見たことがないって……」

「そう。私も生まれた時から一度も夢を見たことがないの。もちろん、あなたと同じように睡眠時間も短くて十分。大体、3時間も寝れば大丈夫」

 蛍は紫の方に視線を戻した。

「俺の他にも同じような人がいたなんて……」

「あなたの周りにはいないの? 同じように夢を見ない人。例えば、家族とか」

「いないよ。だから、『夢を見たことがない』って言っても誰も信じてくれないし……」

「私のママは、私と同じだったけど」

「えっ?!」

 これも衝撃の事実だ。

 目の前にいる紫だけでなく、紫の母親も「夢を見ない」人間だと言うのだろうか。


「じゃあ、あなたは突然変異か何かなのかしら? 私の家系は代々『夢を見ない人』が生まれて来るの。みんなじゃないけど。で、夢を見ない人が『仕事』をするの」

「『仕事』?」

「そう、『見たい夢を見せる』仕事」

「『見たい夢を見せる』仕事?」

「あなたは知らないだろうけど、私とか私のママとかあなたみたいに夢を見ない人間は、他人の夢に入り込んで見たい夢を見せることが出来るの。もちろん、やり方とか知らないと出来ないけど、あなたにも出来るはずよ」


 蛍は紫の方をただただ見つめた。

 紫の視線はさっきほどの熱っぽさは薄れていたが、彼女の視線を見る限り言っていることに虚像はないように思える。

 蛍は頭の中で紫の話を整理してみた。


 ――紫は自分と同じように夢を見ない人間で、睡眠時間も短くて済む。

 ――夢を見ない人間は他人の夢に入り込んで見たい夢を見せることが出来る。

 ――紫は他人に見たい夢を見せることを仕事にしている。

 ――そして、同じ夢を見ない人間である自分も、他人に見たい夢を見せることができるらしい。


 紫が自分と同じように夢を見ない人間だと言うことは信じられる。自分だって夢を見ない人間だから、他にもそんな人間がいてもおかしくない。

 でも、その他のことはどうだろう。

 夢を見ない人間が他人の夢の中に入り込めるとか、見たい夢を夢を見せることができるとか俄かには信じられない。

 果たしてそんなことが出来るのだろうか。

 そして、自分も他人に見たい夢を見せることが出来るって……。

 これが一番信じられない。

 第一、自分は今まで生きてきた中で寝ている間に夢を見たことがないのだ。小説とか映画とか他の人の話で夢がどういうものか知っているが、自分が夢を見たことがないから夢を見せると言われてもぴんと来ない。

 大体、そういうファンタジー小説のようなことが出来るのだろうか……。


 蛍が紫を黙って見つめていると、ふいにどこからかピアノの音が聞こえて来た。

 前にも歩道橋の上で聞いたことがある、紫のスマホの着信音だ。

 紫はソファから立ち上がると、机の上のあの深紅のバラの花束の横に置かれてあるカバンの中からスマホを取り出した。

「――行かなくちゃ」

「えっ? どこへ?」

「仕事」

「仕事?」

「そう。――あなたもついて来て」

「えっ?!」

 蛍は驚きの声を上げたが、紫は当たり前のような表情で部屋の隅にかけてあった薄手の黒い上着に手を掛けた。

「とりあえず、私の仕事を見てもらいたいんだけど」

「でも……」

 そんなことをいきなり言われても……と蛍は口ごもった。

 紫は上着をはおると、戸惑っている蛍の傍に近づいて来た。

「あなたみたいな人をずっと探していたの。私みたいに夢を見ない、私の仕事を手伝える素質のある人を」

「仕事を手伝える素質のある人?」

「そう、あなたに私の仕事を手伝ってもらいたいの」

 紫はまた蛍の方をじっと見つめた。


 紫のあの熱っぽい視線が、また蛍を捉える。

 さっきよりも至近距離で見つめられて、蛍は今度こそ紫の視線から目が離せなくなってしまった。

 胸がどきどきして、頭がくらくらする。

 紫の黒い瞳はどんな熱量も持っていないように冷ややかに見えるのに、どこからこの熱っぽさが出て来るのだろうか

 まるで赤い炎よりも、一見すると冷たく見える青い炎の方の温度が高いかのようだ。


「――でも」

 蛍は我に返ると、慌てて紫から視線を逸らした。

 また、勘違いしそうになった。

 紫は決して自分に対してこの熱っぽい視線を送っているわけはない。

 ましてや自分に恋とか愛とかの恋愛感情を抱いているのではない。

 あくまで自分の仕事を手伝える素質」に熱い視線を送っているのだ。

「あなた、自分のこと、知りたくないの?」

「えっ?」

「あなたの周りには夢を見ない人がいなかったのよね? どうして自分が夢を見ないのかとか、見ないというのがどういうことなのか考えたことがないの? 知りたいと思わないの? こんな機会、二度とないと思うけど」

「それは……」

「知りたいんだったら、私についてきて」

 紫は蛍に背を向けて、さっさと部屋のドアまで歩き出した。


 蛍は紫の離れていく背中を見つめながら、少しの間動けなかった。

 確かに紫の言う通り、自分のことを知りたいと言えば知りたい。

 でも、今までそのことに関しては見て見ぬ振りをしてきた。

 それでも、不自由は全くない。

 夢を見なくなって睡眠はちゃんと取れているし、しかもその睡眠時間も短くて済む。

 もちろん、寝たふりをしているときに聞きたくもないことを聞いて、嫌な思いをしたこともあったが……。

 今更、自分が夢を見ない理由なんて、知ったところで何の得やメリットがあるというのだろうか。


(――でも)

 ここで「知らなくてもいいです」と言って帰ることもできるが、そうすると、目の前の紫とは二度と会えなくなる。

 紫が好きとか嫌いとかそういうわけではないけど、蛍は明らかにこの目の前の女の子が気になって仕方ないのだ。

 クールでふてぶてしいのに、突然少女のように頬を紅潮させる。

 そして、あの熱っぽい視線……。


 蛍は部屋のドアを開けた紫の後ろ姿に向かって無意識に声を上げていた。

「――わかった、ついてくよ」

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