表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢の終てまでも  作者: 木原式部
4.盲目的な愛
31/54

 蛍が目を開けると、世界は既に朝を迎えていた。

 当たり前だが、やはり今日も夢は見ていない。

 蛍はベッドから身体を起こすと、軽く頭に手を当てた。

 確かに自分は夢を見ていないが、昨日の出来事がまるで夢の世界で起こったかのような錯覚に陥ってしまう。

 紫が誘拐され、あの紫の許嫁だった稔に助けを求めに行き、紫の言う通りに警察に通報せずに紫を助けに行き、でも結局は稔と紫の父親である幸樹が警察を呼んだため、誘拐犯は捕まってしまう。

 そして、その後、成り行きで紫が自分の家に泊まることになり、つい数時間前に紫の口から語られた夢の世界の数々……。

 本当に、まるで夢の世界の出来事のようで現実味がない。

 もしかすると、自分は本当に夢を見ていたのではないのだろうか、と思いながら蛍は着替えをして、一階の居間へと降りてみた。

 居間から、何やら楽しそうな話し声が聞こえて来る。

 父親は遠い県に単身赴任だし、姉は嫁に行って家にいない。

 母親と紅葉の自分の二人暮らしなのに、話し声が聞こえるなんて……と思いながら、蛍が慌てて居間に入ってみると、そこには母親の紅葉と紫が楽しそうに会話している姿があった。


「――ああ、おはよう。あのね、賢木さんが朝食作るの手伝ってくれたのよ。本当、若いのに良く気が付く娘さんだわね」

「そんなことないです、ただのお礼です」

 紫が笑顔で紅葉に返事をする。

 その何気ない母親と紫のやり取りがあまりにも自然だったので、蛍はもしかすると紫と紅葉は自分の知らないところでずっと仲が良かったのではないかと錯覚してしまうほどだった。

「さあ、ご飯にしましょうか。――で、ご飯食べたら、蛍、あんた、賢木さんを送って行きなさいよ?」

「えっ?」

「当たり前じゃない! あんた、どうせひまなんでしょ? それに賢木さんは昨日大変な目に遭ったんだから、不安だろうし」

「わかったよ」

 蛍がキッチンの自分のイスに座りながらテーブルを見ると、いつもよりも品数の多い朝食が並んでいた。

 元々、紅葉は手料理が得意な方だが、紫が手伝ったと言うことでおかずの数が多いのだろう。

 いただきますを言って口に運ぶと、いつも通りの美味しい食事だった。

 女性二人は、食事をしながら色々と話をしている。

 蛍は正直、紫がここまでおしゃべりをする女の子だとは思ってもいなかった。表情も昨日よりもっと柔らかくなっている。

 まあ、よく考えてみると紫とは仕事の時でしか会ったことがないし、元許嫁の稔や父親の幸樹にはいつも不機嫌そうな顔しかみせないが、プライベートではこんな風に柔らかい表情をするごく普通の19歳の女の子なのかもしれない。

 でも……、蛍は少しがっかりとしたような、そんな気持ちになっていた。

 紫の母親の紅葉に向ける表情と普段自分に向ける表情が全く違うからだ。

 どうして、自分にはそんな柔らかい表情を見せてくれないのだろうか。


(――何か、自分の母親に嫉妬しているような気分だな)

 蛍は思わず口に運ぶ箸の動きを止めてしまった。




 朝食を食べ終わって支度をすると、蛍は母親に言われた通り紫を送って行くために家を出た。

「賢木さん、こんなところで良ければいつでも遊びに来てね」

 紅葉は玄関先でそう言うと、紫に菓子やら何やらが入った紙袋を手渡した。

「ありがとうございます。泊めてもらって、ごはんまでごちそうになって、お土産まで……」

 紫はふと言葉を詰まらせて、顔を下に向けた。

 蛍が紫の顔を覗き込むと、紫の目元が潤んでいる。

 紫があの黒い瞳に涙をいっぱい溜めているのだ。


 ――こういう時って、どうすれば良いのだろうか。


 蛍が戸惑っていると、紅葉がさっと紫に手を差し伸べた。

「私もあなたみたいな可愛い娘さんが家に来てくれて、すごく嬉しかったわよ。何せ、いつもはガサツな息子と二人で暮らしているからね」

「ガサツって……」

 蛍が思わず不満を口にしたが、紅葉は知らんぷりした。

「また、ぜひいらっしゃい」

「はい、ありがとうございます」

 顔を上げた紫は、まだ目元に涙を溜めているが笑顔だった。


 紅葉が大げさなくらい手を振りながら見送る中、蛍と紫は最寄りの駅に向かって歩き始めた。

 紫は自分のカバンからハンカチを取り出すと、そっと目元に当てている。

 蛍は何か話しかけたら良いのだろうか、それともこういう時は何も話しかけないのが良いのだろうかと考えるうちに、何も話さないまま時間が過ぎていく。


 ――あんまり何も訊いたりしなかったら、会話なんて続かないし、相手も自分に興味がないとか思うんじゃないの?


 ふと、母親が昨日の夜に言った言葉を思い出す。

 紫は確かに根掘り葉掘り訊いて来る母親の紅葉に対しては、表情も柔らかだったし笑顔も見せていた。

「――あの、家って、研究所の近くって言っていたけど、どこら辺?」

 蛍は横を歩く紫に思い切って話しかけてみた。

「歩いて5分もかからないところよ。あの歩道橋の近く」

 紫の言うあの歩道橋とは駅近くの紫と初めて会った時にいた歩道橋だろう。

 あの辺りは俗に言う一等地だ。あの辺りに研究所があって住む部屋もあるなんて……。やはり、紫は自分と違う人間なのだろう、と蛍は思った。

(――でも、だったら何であんなに母さんと嬉しそうに話をしてたんだろう?)

 自分の家で過ごしている紫は、少なくともいつもとは違う幸せそうな笑顔を見せていた。

 正直、あんな紫を見たのは初めてかもしれない。


「――あの、俺の家って、大丈夫だった?」

「えっ? 大丈夫って?」

「いや、その……。こういうとあれだけど、多分、君が今まで過ごして来たのとはずいぶん違う環境だから、その、驚いたりしなかったかなって思って」

 蛍が言葉を選びながら言うと、紫は一瞬呆気に取られたような表情をしたが、次の瞬間クスクスと笑い始めた。

「ずいぶん違う環境って……」


「いや、だって、本当にそうだと思ったから……。君はその、俺がびっくりするような高級なところに行っても全然動じないし……。むしろ、俺の家のような環境にびっくりするかなと思ったら全然びっくりしてないし、結構楽しそうだったから」

「そうね、私、確かにあなたの家で過ごせて、とても楽しかった。――だって、私、いつも一人だし、ママもパパもあんな感じだから、普通のキッチンみたいなところで誰かと一緒におしゃべりしながらご飯を食べるのって滅多にないの。だから、昨日は久しぶりに楽しかった」

「そうだったんだ、良かった」

「ママがあんなになる前は、昨日みたいに毎日楽しかったのよ。ママとあなたのお母さま、タイプは違うけど、ママはとっても優しかったし……。

 でも、ママがあんなになって、パパの家に引き取られてから、毎日が変わってしまったの。パパが会社をやっていて忙しいのはわかるけど、全然私の話すこととか聞いてくれないし理解してくれないし。パパは自分の幸せが私やママの幸せだと思っているけど、違うってわからないのよね。

 私が睡眠時間が短くてなかなか寝ないのも、ママがあんなになったからだと思って精神科の医者を呼んだり、自分の会社のベッドとかとっかえひっかえ持って来たりしたりして。違うのにね。それに父親だったら、娘がそんなになったら傍にいるようになるはずなのに、自分はお金を使ってものだけ与えて、傍にいようともしないのよ」

「……」

 蛍は紫が一人で淡々としゃべるのをただ黙って聞いていた。

「パパが私を好きなのはわかるけど、そういうことされると、本当に好きなのかよくわからなくなる。パパは私を人形か何かだとおもっているんじゃないかって。ママもそう言ってた。だから、ママと私は家を出て行ったのよ。

 ――でも、あなたの家は良かったわ。初めて入った家なのに、初めて来たような感じがしなかったし、あなたのお母さまは私の話をちゃんと聞いてくれたし、あなただって、私の言うことをちゃんと聞いて私の言う通りに助けに来てくれたし」


 紫にとっては母親がちゃんと話を聞いてくれて、自分が紫の言う通りに助けにきてくれたことが、そんなに嬉しかったのだろうか。

 自分の母親に関してはどちらかというと「勝手に一人でしゃべっている話し好きな母親」というイメージしかないし、もっと言えば、自分の母親だって「夢を見ない」ことを理解をしようとしなかった。

 ただ、確かに自分の母親は紫の父親とは違うような気がする。

 紫の父親は一度しか見ていないし紫の口から聞く話しか知らないが、確かに紫を自分の娘として見ていないような気がする。

 紫の言う通り、自分の娘を人形とかそういう風な感じに見ているような気がする。

 紫に「家に帰ろう」と言った時も、まるで小さい子どもが親から取り上げられた人形を取り戻したい様な雰囲気にも見えた。

 そこは確かに自分の母親の紅葉とは決定的に違う。

 母親だって自分の話を聞かない時もあるが、さすがに息子のことは「自分の息子」として接しているのはわかる。


「――母親のこと、そう思ってくれて嬉しいよ。まあ、俺にとってはどこにでもいるおしゃべり好きのただのおばさんみたいな感じだけど。ああ見えても、母親にもいろいろとあったからね」

「いろいろとあったって?」

 紫が蛍を見た。

 蛍は紫から視線を逸らすと真っすぐ前を向いた。

「まあ、いろいろとね」

「そう」

「うん……」

 紫はそれ以上、訊いてこなかった。


(――本当は「いろいろとある」だけど)

 蛍は心の中で呟きながら、母親の言った通りだな、と思っていた。


 ――別に何か訊いていやだったら、相手だって答えないだろうし、返って何も訊かないなんて失礼じゃない?


 言いにくいことに、確かに紫は突っ込んで訊いてこなかった。

 蛍はしばらく黙ったまま自分の母親と父親、そして嫁に行った姉のことを考えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ