⑧
紅葉が始終紫に質問をして、紫がそれに答える。
青井家の夕食はそんな感じで過ぎて行った。
驚いたのは、紫が紅葉に対してずっと笑顔だったことだ。
その笑顔も愛想笑いと言う感じではない。
紫はどうも、蛍の母親を気に入ったらしい。
(――もしかして、俺の母さんってすごい奴なのか?!)
蛍が思わずそう錯覚してしまう程だった。
元々、蛍の母親の紅葉は息子の蛍に比べて人懐っこくコミュニケーション能力が高い。
電車などで隣り合った見知らぬ人と会話がはずんでいるのを小さい頃から見ている。
ちなみに蛍の姉も蛍よりも友達が多く、コミュニケーション能力が高い。
蛍の父親は無口でそこまで人との交流が多くなく、蛍は父親に姉は母親に似たのだろう。
蛍は紫に対してそれなりに年齢やプライベートのことは気にはなっていたが、訊いて良いものかどうか躊躇していた。
でも、母親の紅葉は(同性だからかもしれないが)そんなのはお構いなしにどんどん紫に質問を投げかける。
意外なのは、その紅葉の質問に対して、紫が特に不快の表情もせずに笑顔で受け答えしているところだった。
(――俺って、考えすぎだったのか?)
もちろん、紅葉が同性だからとか、紅葉の雰囲気が人懐っこく話しやすい雰囲気だからということもあるのだろうが、自分はいろいろと考えすぎて、紫との間に変な距離を作っていたのだろうか、と蛍は思った。
「――まあ、あの駅近くのマンションに一人で住んでるの? あそこら辺、住み心地は良さそうだけどね」
紅葉は紫とすっかり打ち解けて、未成年と知ったからなのか気付くとタメ口で話していた。
「はい、前は母親と一緒に住んでいたんですが、母親が病気で入院してからは、ずっと一人で住んでいます」
「そうなの……。お母さん心配ね」
「でも、病院の方がちゃんとケアしてくれているので、その辺は安心しています」
「ご兄弟は?」
「私、一人っ子なんです」
「そうなの。もし、淋しければ、ここにいつでも遊びに来ても良いのよ。娘がね、蛍の姉がお嫁に行って旦那も遠い県に単身赴任中だし、あなたみたいにきれいなお嬢さんが家に来てくれたら、家の中が華やいで私も嬉しいし。――ねえ、蛍?」
突然、母親に話を振られて、蛍は飲んでいたみそ汁を吹き出しそうになった。
「えっ? うっ、うん、君さえ良ければ……。母親も嬉しそうだし」
「本当ですか? ありがとうございます」
紫はそう言って笑顔を見せた。
笑顔の紫は「はい、19歳です」と答えたのがまさに本当だと言わんばかりのあどけなさを見せている。
蛍は紫の笑顔を見て胸がどきどきするのを感じた。
「――ねえ、蛍、あの賢木さんってすごく良い娘さんね。あんた、あんな可愛い人のところでバイトしてるなんて、どこで仕事見つけたのよ?」
夕食を終えて、紫がお風呂を使っている時、紅葉がここぞとばかりに息子に話しかけて来た。
「どこで見つけたって、偶然だよ。前の職場の最終日に、たまたま歩道橋で会ったんだ。それで、仕事手伝わないかって誘われて……」
事情はもっと複雑だが、紅葉に説明してもわからないだろう。蛍は紅葉が理解できる範囲で正直に答えた。
「やだ、偶然あんな可愛い女の子に出会ったの? あんた、運良いわね。しかもバイトまで見つけて来るなんて」
「運が良いって……」
運か、と蛍は首を捻った。
運が良いかどうかわからないが、確かに紫と出会ったのは不思議な巡り合わせと言える。
一般ではこれを運が良いというのだろう。
「でも、なんかあの娘、複雑な家庭に育ってるみたいね。お母さんは入院しているし、お父さんいるのに一緒に住んでないなんて。しかも、若いのに学校行かないで働いてるなんて。感じ良いし素直な娘だけど」
蛍は思わず母親を見つめた。
母親の紅葉の紫に対する印象は、自分とはまったく正反対のようだ。
紫が複雑な家庭に育っているというのは同じだが、蛍は紫を「無表情でクールな女の子」と思っているのに対し、紅葉は「感じが良いし素直」と思っている。
確かに紅葉の紫に対する受け答えを見ると、「感じが良いし素直」という印象を持つのは頷ける。
一体、どちらが本当の紫だと言うのだろうか。
「母さん、でも、初めてあった娘に、根掘り葉掘り聞き過ぎじゃない?」
「やだ、でも、あれくらい世間話で訊くでしょ?」
「俺、あんなに突っ込んだこと、今まで訊いたことないよ」
「そうなの?! 本当にあんたって相変わらず考え過ぎね。別に何か訊いていやだったら、相手だって答えないだろうし、返って何も訊かないなんて失礼じゃない?」
「えっ? 根掘り葉掘り訊く方が失礼じゃないの?」
「そりゃあ、時と場合にもよるけど、あんまり何も訊いたりしなかったら、会話が続かないし、相手も自分に興味がないとか思うんじゃないの?」
「興味がないって?」
「あんただって、相手が自分を何も探って来なかったら、特に自分に興味がないのかなって思うでしょ? 興味あるのに見て見ぬ振りして何も訊かないなんて、それこそ相手に対して失礼じゃない」
紅葉がまくし立てるのを聞きながら、蛍は「何だ、その考え……」と思っていたが、「まあ、確かに……」とも思っていた。
(――それにしても、また母さんまで見て見ぬ振りって)
どうして、自分にはこの見て見ぬ振りという言葉がしつこいほどずっと付きまとってくるのだろうか。
「――ありがとうございました」
お風呂から上がったらしく、紫の声が聞こえた。
居間のドアが開くと、どこかで見たことのある部屋着を着た紫が顔を覗かせる。
多分、あの服は姉が実家にいた時に着ていたものだ。普段紫が来ているような真っ黒い服ではないし、地味な部屋着なのは変わりないが、それでもこうやって改めて見てみると、紫はやはり19歳の自分よりも6歳年下の年相応の女の子に見えた。
化粧品は仕事で急に泊まりになることもあるので、いつも自分が使っているものを持ち歩いている、と紫は言っていたが、普段家でかいだことのないような洗練した香りが漂って来て、蛍はまた胸をドキドキさせた。
「あら、お姉ちゃんの服がぴったりで良かったわ! 部屋もお姉ちゃんの部屋使ってね。時々帰って来るから、お布団は干してそのままだったけど、カバーは変えておいたから」
「何から何までありがとうございます。ごはんまでごちそうになって、とても美味しかったです」
「良いのよ、良いのよ! 今日は大変だったんだから、早く休んでね。朝だって、いつまでも寝てたって良いのよ。夜怖かったら私でも蛍でもたたき起こして良いから」
「ありがとうございます」
紫はまた紅葉が「感じが良いし素直」と表現した笑顔を見せた。




